「すみませんねえ、ご主人。こんな三文芝居に付き合わせちまって」
三番街の居酒屋。
かのローランが足繁く通っていたという、1階のバーカウンターに腰掛けたマスターは、煙草に火を付けながら言った。
「結果として、あなたにまでご迷惑をおかけしてしまったことは詫びます。だがこうでもしなきゃ、あの腰の重い男を動かすのは無理だと踏んだもんでしてね」
マスターは紙切れをひょいと指でつかむと、パチンと指を鳴らした。
支払督促状、と記された書状が、ゆっくりと燃えていく。
「あのバカが出て行ってからしばらくして、あなたがウチに来たときは、さすがに驚きましたよ。借金の話が嘘だったことはもちろん、あのバカ息子が旅に出るのを許してやってほしいと、まさかクラインのギルドマスター直々に懇願されるとはね」
マスターはグラスのワインに目を落とし、煙草を口から離して、灰皿に灰を落とした。
「本意ではありませんでしたか?」
「そりゃ、親としてはね。もういい年なんだから、魔法はここらで見切りをつけて、まっとうな生き方をしてほしいってのはありますよ。でも、あいつが魔力を失ったとき、どれだけ辛い思いをしたかも知ってますからね。親として、俺はあいつを誰より一番近くで見てきましたから……エルレインと同じくらい」
「エルレイン、というのは……例の、彼の親友ですか?」
「ええ」
皿に盛ったチーズが出されると、マスターは礼を言った。
「俺の数少ない友達の
「そうだったんですか……息子さんは良き友人に恵まれましたね」
「まったく。昔からあのバカの近くには、不思議と善人が集まるんですよ。アイツ自身がクズだから、余計に善人さが際立つ」
笑っていいのか笑ってはいけないところなのか、判断が難しい冗談を言うところは、息子とよく似ているなとマスターは思った。
チーズをかじり、グラスのワインに一口つけると、彼は言った。
「……最後、息子さんは何か言ってましたか?」
「別に……なんか珍しくしおらしいこと言ってたけど、もう忘れちまったな。今となっては、すぐに音を上げて帰ってこないことを祈るばかりだよ」
マスターは苦笑を浮かべる。
居酒屋の主人はグラスを丁寧に磨きながら、嘆息混じりに言った。
「まあ何にせよ、賽は投げられちまった訳だ……俺には難しいことはよくわからんが、あんなバカ息子でも、勇者さまのお役に立てるというなら、いくらでも使ってやってくださいよ。アイツはどうせブツクサ文句垂れるんでしょうけど、俺は許可しますんで」
「ありがとうございます。今回の件は、すでにお伝えしたとおり、クロノアの意向もあるんですけど……私自身の希望でもあるんです」
居酒屋の主人が顔を上げる。
目が合うと、マスターは言った。
「彼という人間を世界という器に浸したとき、そこにどんな化学変化が起きるのか、私はこの目で見てみたいんです。四畳半の小さな世界に閉じこもっていた彼の可能性が、一体どこまで広がりを見せるのかをね……。
失敗に終わるのか、成功に終わるのか、それは誰にもわからない。わからないけれど、どちらに転んでも、彼自身にとってはプラスになるでしょう。そう考えられるくらいに、人の一生は長い……まだ若い彼には、ピンと来ないかも知れませんがね」
「……買いかぶりすぎじゃないですか」
「いえ。少なくとも、私はそう信じています。こう見えて商売柄、
そう言うと、マスターはグラスに残ったワインをごくりと飲み干した。
「もう一杯いただけますか? いいワインですね。少なくとも、俺の店にはない味だ……ローランがこの店に入り浸っていた理由が、何となくわかるような気がしますよ」
居酒屋の主人はふっと笑うと、振り返ってワインセラーの方へ向かう。
戸を開くと、ふと自分自身を落ち着かせるように、小さく深呼吸した。
「やれやれ……随分時間はかかっちまったが、やっと一歩踏み出すことができたじゃねえか。
大バカ野郎が」
目を瞑ると、彼は祈りを捧げるように呟いた。
「母さん。アイツの行く末を、どうか見守ってやってくれ……」