勇者にはなれない   作:高円寺南口

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13 ファースト・コンタクト

 翌日正午過ぎ。俺はモンフォール家の正門前まで来ていた。

 ヒーコラ言いながら長い坂を上り、ようやくたどり着いた丘の上に、(くだん)の屋敷はあった。まったく金持ちってのはどうしてこうも、高い所に住みたがるんだろうな。物理的にも人より上にいないと気が済まないのかね。

 しかし悔しいかな、眺望は中々に素晴らしかった。

 

 大小無数の運河が張り巡らされ、水の都とも称されるルナティアの町並みが一望できるうえ、果てなく広がる海が美しい。

 ネロウィング海峡を挟んで向こうに見えるのは、対岸にあるアヴァロニア諸侯国連合の一角、アルルだろう。水面が陽の光を受けてきらきらと輝き、ガレオン船が往来している姿が目に入った。

 死にかけた夏の残り香のような、生ぬるい風が首筋を通り抜けていく。

 

 そんな風に、ぬぼーっとしていると、「おい」と声を掛けられた。

 

「何をしている」

 

 身なりから察するに、屋敷に雇われた衛兵だろう。

 事情を説明すると、「何?」と訝しまれたので、もう一度事情を説明すると、「本当か?」と疑われたので、再度説明すると、「メイド長から話は聞いていたが、お前がそうだったのか……」と少し哀しそうな顔で言われた。

 不審者じゃなくてスマンな。

 

 無駄に装飾の凝った門扉が、イカれた管弦楽器みたいな音を立てて開き、奥へと通された。

 道の両側に連綿と続く銀杏並木の景観は圧巻で、果てに白亜の屋敷が見える。屋敷と言うよりは、宮殿と言った方が的確なんじゃないかという気もするが……

 そこから屋敷の玄関までたどり着くのに、十分かかった。

 

 長い。

 

 庭師を何人雇ってるんだろうと疑問符がつくくらいに手入れが行き届いた庭園を抜け、噴水の側を通り、石畳の道を進んだ先に、メイドさんがいた。

 

 白と黒を基調としたエプロンドレスに、カチューシャ。

 丁寧に編み込まれた亜麻色の髪は後頭部で丸く束ねてあり、端正ではあるが、よく見ればまだ幼さを残した顔立ちをしている。何となくだが、たぶん異国の血が混ざっているような気がする。

 

 三秒ほどの沈黙が流れた。

 

 メイドさんは俺と目が合うと、丁寧に一礼した。

 両手でスカートの裾をつまみ、右足の膝を軽く曲げ、左足を斜め後ろに引いて、会釈をする。

 

 カーテシーとかいうヤツだ。なんかの本で読んだことがある。リアルでそれをする人間を初めて見たので、少し感動した。

 

「貴方がニケ氏ですね。お話は伺っております。中へどうぞ」

 

 言われるがままに付き従うと、重厚なドアが、ロバの断末魔のような声を上げて閉まった。

「全員揃いましたね……それでは、只今よりデスゲームを開始いたします!!」とでも言われるのかと思いきや、そんなことはなかった。

 

 やたら高い天井に、メイド・イン・ドワーフとおぼしき、きめ細やかな装飾が特徴的なシャンデリア。向かって正面の壁には、ひげ面のシャンとしたオッサンの馬鹿でかい絵画が飾ってある。

 「ご当主様ですか」と訊くと、「ええ。初代のご当主さまです」との答えが返ってきた。

 

 踊り場で交差する階段を上り、これまたアホみたいに長い廊下を進んでいく。

 

 エフタル辺りから仕入れたのだと思われる高級そうな絨毯に、ドーリア式の神殿みたいな柱、南洋っぽい独特の文様の土器、ダイアウルフの剥製、シャンバラのカタナと呼ばれる曲線美が艶めかしい武器……

 

 もはや暮らしのレベルが違いすぎて、何を見ても「すごい」という五歳児みたいな感想しか出てこない。

 多分羨ましいとか妬ましいって感情は、自分にも手が届きそうな範囲だから湧いてくる感情なのだ。比較対象が大気圏突破して宇宙まで打ち上げられたら、もはや何も感じなくなる。

 

 メイドさんは無数にある部屋の一つの前で立ち止まって、中へと俺を案内した。

 

 タンスとポールに吊るされた衣裳があるだけの、こじんまりした部屋だった。これくらいの方がやっぱ落ち着くなと思っていたら、「ここは更衣室です」と言われて壁に頭を打ち付けそうになった。

 着替えるためだけの部屋があるとか、さすが金持ちは次元が違うなと思ったが、「使用人専用の更衣室です」と補足されて、心象一切灰燼と化した。

 

 こじんまりとは言ったが、それでもロゼッタの俺の部屋より遙かにデカいんだが……

 

 俺の年収=庶民の月収=金持ちの日収ってことか。宇宙の法則というのは、実によくできている。いや俺の年収はゼロだからその理屈はおかしいんだけどよ。

 

「では早速、こちらの執事用の服に着替えてください。外でお待ちしておりますので、準備が出来ましたらお声掛けください」

 

 意訳すると、「偉大なるモンフォールのご息女であるお嬢さまに、そのようなみすぼらしい格好で謁見させる訳にはいきませぬ」ということらしい。

 ひどいな、昨日ちゃんと風呂入ってきたのに……。

 こんなことなら、あえて不潔な身なりのまま行って、「その臭そうな服を脱ぎな。豚野郎」とメイドさんに面と向かって罵倒される方が得だったかもしれん。いや得って何だよ。

 

 しかし、正装なんてするのいつ以来かね……考えるのが面倒で、いっつも同じようなローブばかり着てたからな……

 

 着替えを終えて、ドアを開くと、メイドさんは俺の顔をまじまじと見た。

 その美しい顔で、「その腐りきった性根は、衣装の力を借りても隠しきれないのですね」と言ってほしかったのだが、どうやら違うらしい。

 

「ネクタイが曲がっていますわ。どうぞこちらへ」

 

 部屋の鏡の前に立たされ、メイドさんが蝶ネクタイの位置を整えてくれた。それから、燕尾服にシワがないか確認し、モジャモジャした髪を多少は見られるように直してくれた。

 俺のモジャモジャはじいちゃん譲りの天然癖っ毛だから、どうやっても直らんと諦めていたのだが、さすがプロだな……

 

「あの……名前はなんて言うんですか」

 

 五秒くらいの沈黙があった。

 鏡に映る彼女の姿は俺の背中に隠れていて、その表情は窺い知れない。

 

「……お嬢様の名前でしょうか?」

「いえ……あなたのお名前ですけど」

 

 また五秒くらい沈黙があった。

 メイドさんは俺の背中に隠れたまま、小声で言った。

 

「ライラ……ライラと申します」

 

 繋げるとイライラに聞こえるなとかアホなことを考えている内に、会話は終わった。

 この辺りに俺という男のしょうもなさというか、つまらなさのエッセンスが詰め込まれていると自分でも思う。わかりやすく言うと、モテる男との違いである。

 

 さーて、待ちに待ったお嬢さまとのご対面である。一体どんなお顔してるのかしら! ウフフ!

 

「なーんだ、またハズレっぽいわね」

 

 開口一番、そう言われた。

 ソフィー・ナンチャラカンチャラ・ド・モンフォール。

 

 それがお嬢さまの名前らしい。

 ナンチャラカンチャラの部分は、「早口言葉かな?」とか思ってるうちに聞き流してしまった。申し訳ない。

 

「オマエ、魔法アカデミーの出身なんですって?」

 

 お前……俺はオマエという名前じゃないんだが。オマエ・マジデクソニートという歴史学者なら、南洋あたりに実在したような気がする。ごめん嘘。そんなのいる訳ない。

 ここで正直に中退とか申告してもアレなので、とりあえず「はい」と答えておいた。「卒業なんだって?」とは聞かれてないから、嘘は言ってない。

 

「へえ。アカデミーの人間が来るのは初めてだから、少しは期待できそうね」

 

 痺れるねェ、怒濤の内角攻め。ナチュラルにやってるってのが、これまた畜生具合を加速させている。

 まあこれくらいは想定の範囲内だから別にいいんだけどよ。感じぬこと石の如し。この程度の煽りにイラついてるようでは、無職は到底務まらんからな。

 

「ライラ。貴方はもう出て行っていいわ」

「ですがお嬢様。お二人を見守るのが私の――」

「要らない。邪魔だから出て行って」

「しかし――」

「いいから! 何度も言わせないでくれる?」

 

 お、おう……いくら何でも、その言い草はちょっとひどくないですかね…… 

 一応女の子なんだから、こんなうさん臭い男とご息女を二人きりにさせることなど、お天道様が許しても私達が許しませぬというメイドさん側の配慮だろうに。

 さすがにライラが気の毒だったので、こっそりフォローを入れておくことにした。

 

「部屋の外で待っていてください。何かあればすぐ呼びますし、何かあると思ったらすぐ入ってきてもらって構いませんから」

 

 二秒くらい俺をじっと見たあと、ライラはこくりとうなずいた。

 それまでソフィーのお目付役を務めていた部下のメイドを連れて、一礼してから、部屋を出て行った。

 

「ホントに、ライラはいつまで経っても私を子供扱いする。腹が立ってしょうがないわ。四六時中ついて回るし、鬱陶しいったらありゃしない」

 

 ソフィーはムスッとした表情で、そう言った。

 向こうはそれが仕事なんだからしょうがないだろと思ったが、ここは同意しておくべきか? それとも、立場を考えろとか、権力に不自由はつきものだとか諭してやるべきなんか?

 いや、これが仕事じゃなければ、「ほーん。あっそ」ってハナクソほじるとこなんだけど……

 

 高級そうな絹のローブを身に纏い、頭には可愛らしい花柄の髪飾り。微かに赤みのあるブラウンの長い髪は、ツヤがあって手入れが行き届いていることが、デリカシーという言葉を母ちゃんの胎内に置き忘れてきた俺のような男でもわかる。

 小さな顔にくりっとした瞳はよくできた人形みたいで、思わず見とれてしまうような気品があった。

 

 ふと、お嬢様とばっちり目が合う。

 

「なにボケっと突っ立ってるの。座りなさい」

 

 押忍。

 隣に腰掛けると、お嬢様のデスクにうずたかく積まれていた書物にざっと目を通す。「東洋魔術史」、「白魔法の起源」、「ソロモンの魔術論」……etc.

 俺も昔読んだことあるようなメジャーなタイトルもいくつか見受けられた。デスクだけでなく、本棚にもそういった書物がみっしりと並べられている。

 

 なるほど、熱意があることは間違いないみたいだな。全部読んでればの話だけど。

 たまにこういうの、集めるだけで満足してるヤツとかいるからな。俺のじいちゃんがそうだった。

 

「勉強熱心ですね。魔術がお好きなんですか」

「好きじゃないわ」

「え?」

「パパが後学のために勉強しろってうるさいから、嫌々やってるだけ。これからは弓馬刀槍の時代ではなく、魔法の時代だとか何とか」

「え……では、この大量の本は?」

「使用人が勝手に揃えたの。一冊も読んでないわ」

「……」

 

 俺は二秒ほど沈黙した後、すっと席を立ち、窓の近くまで歩み寄る。そして、両のまぶたを閉じた。

 

 おい。聞いてた話と違うやんけ。

 

 いや待てよニケ。昨日のギルドでのお姉さんとの会話を思い出せ。

 お姉さんは確か……鎖骨の下にホクロがあって、それが結構エロいなって会話しながらずっと思ってて、鎖骨とおっぱいは不可分の関係性にあると再認識した記憶がある。それはまるで、太陽と月、猛獣と小鳥、太ももとお尻のように、互いが互いを際立たせる不思議な関係……じゃない。それじゃない。

 

 思い返せばお姉さんは、会話の中でソフィーが魔法好きなんて話は一言もしてなかった。

 つまり、俺が勝手に脳内で、

 

 ソフィーは魔法に興味sinsin! でも教師と反目、しょんぼりmonmon……そこに颯爽現る俺、魔法をレクチャーポクポクtintin! 

 高まるsinkin感に、二人はbin-bin!! そしてwin-win!! Oh-yeah……

 

 とかいうストーリーを構築していただけの話らしい。

 

 マジかー……。

 

 とりあえず、三分ほど前に「なるほど、熱意があることは間違いないみたいだな」とか言ってた僕の呟きを返してくれませんかね? あと読まないんなら、ここにある本全部くれませんかね……専門書って市場で買おうとしたらバカ高い値段ふっかけられるんだよなあ……

 

「ねえ。オマエはアカデミー出身なら、学はある方なんでしょう? 勉強って何のためにするの? 教えてくれないかしら」

 

 振り返った俺と目が合う。フフンとした表情で、ソフィーは言った。

 

「将来のためとか、魅力的なレディーになるためとか、そういう答えは要らないわよ。パパや執事のセバスチャンに、散々飽きるくらい聞かされたから」

 

 試してんなコイツと思ったが、顔には出さない。

 こういう時はアレか、真面目に答えた方がいいのか? マジレスすると、「何かのためになる奴もいるし、何のためにもならない奴もいるよ。だが残念なことに、それがわかるのは色々手遅れになってからだ」なんだが、会ったばかりの距離感でこんな明け透けなこと言うのは流石にマズいか……。

 

 しゃーない。

 ここはニケ先生が、大人の模範解答とやらを見せてやるかね――

 

「そうですね。学問ってのは思考の訓練なんだと自分は思っています」

 

 俺は言った。

 

「たとえば算術は、論理的に物事を考察する能力を鍛えるための訓練。文法学や修辞学は、言いたいことを適切に他人に伝える能力ないし、他人の気持ちを察する能力を養うための訓練。魔法学や物理学は、物事を追究したり、原因を筋道立てて説明する能力を磨くための訓練……とまあ、こんな風に。ただ、その結果得た知識なり視点なりを自分の人生に役立てることができるかどうかは、結局のところその人次第でしょうね。親や教師はそこまで面倒見てくれないんで」

「使いどころは自分で考えろってコト?」

「はい。そういう意味では、教育の究極の目的ってのは、自分で自分を教育できるようになることなのかもしれません」

「……ふーん」

 

 ソフィーは口元に手を当てて、何やら考え込んでいる。

 まあ、まるで己の人生に役立ててない貴様がそれ言うか? って話なんだけどな。諸君も周知のとおり、自分で自分の教育もできなかった成れの果てが、このモンスター無職である。知識ばかり無駄に抱えて知恵がないって、俺みたいな奴を言うんだろう。

 人はそれを反面教師と言う。

 

「でも、手段が必ずしも算術や魔法学である必要はないんじゃないかしら」

「え?」

「だって、論理的思考力が算術を通じてしか手に入らないと言われたら、そんなことないでしょう。他の物事からだって、似たような能力を磨くことはできるはずよ」

「アッハイ……」

「あるいはこういう見方もできるんじゃない? 例えば、自由七科(リベラルアーツ)に音楽が含まれていて、美術が含まれていない理由って何? 音を生み出すことの方が高尚で、絵を描くことは低俗だから? 感性を養うという意味では、音楽も美術も戯曲も同等であると私は思うのだけれど。どうして序列があるのかしら? そんなのおかしくない?」

「それはまあ……先人の知恵というか、最大公約数的な所かと……」

「御託はよしなさい。いい、私が言いたいのはね……どうして、一つの手段に束縛されなきゃいけないのかってコト。大人はやりたいことだけやるのはダメだってよく言うけど、具体的に何がどうダメなのかしら? 一つの物事を徹底的に極めて、それでようやくたどり着ける境地ってのもあるはずよ。色んな事を半端にかじって、半端に知識人ぶって、わかったような顔をして承認欲求を満たすことが、立派な大人の定義なの? それこそ低俗な生き方だと思わない?」

「……」

 

 俺は振り返って、再び窓の外を見やる。そして、両のまぶたを閉じた。

 

 知らんがな。

 

 「黙れ小娘。覚え立ての言葉をこれでもかというくらい使いやがって」とおちょくりたいところだが、とりあえず質問は一度に一つにしてくれる? 俺はデバフの術式とかでよく見る、自動繰り返し即レスプログラムじゃないんだよ……

 十人の話を同時に聞くことができる程度の能力なんて高度なスペックは、残念ながら搭載されていない。

 

 まあそれはともかく。少し……気になったな。

 

「そこまで仰るということは」

 

 距離にして五歩か六歩。

 近くて遠い距離を隔てて、俺はソフィーの目を見つめた。

 

「お嬢様の中で、学問よりも大切なことが見つかったと。そういうことなんですか?」

 

 目が合ったまま、三秒。

 ソフィーは俺から視線を逸らすと、頬杖をつき、ツーンとした表情で言った。

 

「話した所で、オマエにはわからないわよ。私の気持ちなんて」

 

 でしょうね。

 ぐうの音も出ない正論だわ。私の地獄が貴様ごときに理解できてたまるかって、ホントそのとおりだと思うよ。だってどれだけ頑張っても、貴様は私になれないんだから。理解できるはずがない。

 以上解散! 本日もお疲れ様でした!!

 

 ……と行きたいところだが、残念ながらそうはいかないんだよなあ。

 なぜならこれは仕事だからだ。本音殺して、言いたいこともロクに言えないとか……やっぱ仕事ってクソだな。ますます社会で働きたくないと思いました。

 

「まあ、そうかもしれません。でも、話さない限りは永遠にわかってもらえないですよ。他人は超能力者じゃないんで」

 

 小さなため息を一つ、俺は告げた。

 

「言葉で伝わるのは言葉だけとか、想いを伝えるのは言葉だけじゃないって、いくら腹の内で言い訳しても、結局貴方が踏み出さないことには、現実は何も変わらない。それは事実だと思います。だから、ある日突然、お伽噺のように、誰かが手を差し伸べて貴方を救い出してくれるなんてことはあり得ない。貴方が自分の殻を破らない限りはね」

「……」

 

 ソフィーは沈黙したまま、応えなかった。

 ちょっと言い過ぎたかと思う反面、どのツラ下げて俺はこんな偉そうに説教かましてんだと虚しくなった。

 子供のころ、こんな風に知ったような説教かましてくる大人を見るたび「何だコイツ」という気持ちになったのを思い出して、俺もすっかり「何だコイツ」のコイツになってしまったのかとやるせない気持ちに駆られる。

 

 ガキの頃、世話になった師匠が言ってたっけ。

 人は皆、そいつなりの地獄を抱えて生きていると。

 

 そこを全く忖度せずに、頭ごなしにモノを言うのは、それこそ「何だコイツ」のコイツになってしまう。俺はコイツでもなければ、オマエ・マジデクソニートでもない。

 ニケだ。

 吾輩はニケである。仕事はまだ無い。

 

「勇者がいるわ」

「……え?」

「ロゼッタのクロノア。彼は正義の味方なんでしょう? 彼なら私のような人間も、救い出してくれるんじゃないかしら」

 

 突然出てきたその名前に、我知らず思考が停止する。クロノアが、白馬に乗ってソフィーを……? いやちげぇよ。そこで停止すんな。

 やがて、ソフィーがくすくすと笑った。

 

「冗談よ」

 

 冗談? ああいや、ここははぐらかされたと言うべきか……。

 

「まあ、そんな風に一人一人の声に耳を傾けていたら、身体がいくらあっても足りないでしょうからね……下手に誰か一人を救うと、どうしてアイツは救われて俺は救われないんだ? って話にもなってしまう。正義の味方ってのは、中々に大変な商売だと思いますよ」

「そうね。でも、もし……こんなことは絶対あり得ないんでしょうけど、もし、勇者が世界中の困っている人々を全て救い出すことができた、その時は……」

 

 ソフィーは俺の方を一瞥して、言った。

 

「勇者は、誰に救われるのかしら」

 

 誰? 誰ってそりゃ、人々の感謝とか笑顔とか、名誉とか富とか……でもソフィーが言いたいのは、おそらくそういうことではない。

 

 誰か一人を犠牲にすることで成り立つ幸福は、本当の意味での幸福と呼べるのか。

 

 それはある意味で、全員を犠牲にするより遙かに残酷な行為なんじゃないかと、ふとそんなことを考えてしまう。

 

「与太話が過ぎたわね。それじゃ、そろそろ授業を始めてちょうだい」

「え?」

「え? じゃないでしょう。何しに来たのよオマエ。まさかこのまま突っ立ったまま、帰るつもりだったの?」

 

 「そのまさかです」と満面の笑みで応えたいところだったが、流石にやめておいた。

 クッソ、良い調子だったんだけどな……このまま何もせず、金だけもらえるんじゃと(よこしま)な気持ちを抱いてしまったのが運の尽きか。

 

 ちなみにアカデミー時代、幾度となく廊下に立たされた経験があるので、罰を受けることには慣れてる。まあ俺の場合、ある意味毎日が世界という教室から閉め出されて、廊下に一人虚しく立たされてるようなもんだからな。

 

 お前の席ねえから? 

 おう知ってるよ。わざわざ教えてくれてありがとな。

 

「いえ、その……魔術は嫌いと仰ってたので」

「嫌いとは言ってない。好きじゃないと言っただけよ」

「違うんですか?」

「違うに決まってるじゃない」

 

 いや、全然違いがわからんのだが……。

 会話の端々で、ちょいちょい乙女みたいなメンタルねじ込んでくるなコイツ……いや乙女だったか。失礼。

 

 もういっそのこと、ライラと交代してくれないかな。俺はライラに魔法を教えたい。それまで意識していなかったあの人を意識してしまう魔法を、君にかけてあげるYO☆ 

 おっといけない、そいつは魔法じゃなかった。いいかい、そいつはね……ふふっ。恋って言うのサ……

 

「ハイ。それじゃ魔法の歴史から始めまーす。魔法は遙かいにしえの時代、魔族とエルフがこの大陸を――」

「唐突ね」

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