0 零落の魔術士
かつて七つの海を支配したという、神聖王国ネウストリア。
その首都、ロゼッタ。三番街の、とある家屋。
そこには無職がいた。
正確に言うなら、元魔術士・現無職である。年頃は二十歳を過ぎた辺りだろう。
彼は今日も日がな、二階の自室にひきこもり、無為な時間を過ごしていた。
「……ふぅ」
ドアを開き、廊下へ。
ほの暗い空間に、軋んだ床の音が響く。
突き当たりの開け放たれた窓からは、淡い月光。やるせない影が落ちる。
階下へ降りようとしたとき、ふと彼の足が止まった。
「ぎゃはは! だーかーらー、おめェはいつまで経っても、ゴブリン一匹退治できないんだっての!!」
「あれだけイキッといてこのザマたァ、マジウケるっての! 勇者サマに三つ指ついて、剣の手ほどき受けてこいよ!」
一階は、夕方になると居酒屋として賑わう。
最近は常連だけでなく、見知らぬ冒険者の客も増えているようだ。
「……うっせえな」
無職は隈のひどい目を細め、ため息をついた。
近頃めっきり、こういうことが多くなった。それもこれも、全てあの少年のせいだ。
物見遊山の連中が、光に誘われた羽虫の如く、あの少年見たさに極東の島国にまで押し寄せてくるのだ。
無職は
いる。
奴がいる。
奴は今日も今日とて、飽きもせず性懲りもなく、無心で剣を振るっている。
無職の瞳に映ったのは、剣の鍛錬に励む、一人の少年の姿だった。
今は亡き父親譲りの黒髪、何物にも惑わされない澄んだ灰色の瞳、利発そうな顔立ち、年齢に不釣合いなほどに落ち着いた物腰……
その風格は、年と共にいっそう凜々しさを増してきたようにも思える。
彼は事が起きたあの日から、一日もかかさず自身の向上に努めている。自らが果たすべき義務を理解し、周囲の期待に応えようと努力を怠らないのだ。そのひたむきな姿勢は、畏敬や感心を通り越して、嫉妬や憎しみさえも生み出す。
少なくとも、ある種の人間にとっては。
無職は左手に視線を落とす。
人差し指にはめた指輪の魔石が、月の光を受けて、淡く儚く輝いていた。
「一体何が、お前をそこまで突き動かしているんだよ……」
何気ないその一言は、自らに対する問いかけであったのかもしれない。
かつての自分に重ねようとしている自分に気づいたとき、不意に胸が苦しくなった。羨望と絶望が五分で混じり合ったような、複雑な感情が彼の心を支配する。
唇を強く噛みしめると、次の瞬間、彼は激しい音と共に窓を閉ざした。
すると少年が剣を止め、何事かと視線を転じる。
見上げた先に、すでに人影はない。
「…………」
夜風に草むらがなびき、木々の上枝から舞い落ちた葉が、空へとさらわれる。
無職と勇者。
対照的な二人の視線が、交わされることはなかった。