勇者にはなれない   作:高円寺南口

2 / 68
第1章 ロゼッタ編
0 零落の魔術士


 

 かつて七つの海を支配したという、神聖王国ネウストリア。

 その首都、ロゼッタ。三番街の、とある家屋。

 

 そこには無職がいた。

 正確に言うなら、元魔術士・現無職である。年頃は二十歳を過ぎた辺りだろう。

 

 彼は今日も日がな、二階の自室にひきこもり、無為な時間を過ごしていた。

 

「……ふぅ」

 

 ドアを開き、廊下へ。

 ほの暗い空間に、軋んだ床の音が響く。

 

 突き当たりの開け放たれた窓からは、淡い月光。やるせない影が落ちる。

 

 階下へ降りようとしたとき、ふと彼の足が止まった。

 

「ぎゃはは! だーかーらー、おめェはいつまで経っても、ゴブリン一匹退治できないんだっての!!」

「あれだけイキッといてこのザマたァ、マジウケるっての! 勇者サマに三つ指ついて、剣の手ほどき受けてこいよ!」

 

 一階は、夕方になると居酒屋として賑わう。  

 最近は常連だけでなく、見知らぬ冒険者の客も増えているようだ。

 

「……うっせえな」

 

 無職は隈のひどい目を細め、ため息をついた。

 

 近頃めっきり、こういうことが多くなった。それもこれも、全てあの少年のせいだ。

 物見遊山の連中が、光に誘われた羽虫の如く、あの少年見たさに極東の島国にまで押し寄せてくるのだ。

 

 無職は(きびす)を返し、肩で風を切りながら、突き当たりの窓までずんずん進む。そして、地上の草むらを見下ろす。

 

 いる。

 

 奴がいる。

 

 奴は今日も今日とて、飽きもせず性懲りもなく、無心で剣を振るっている。

 無職の瞳に映ったのは、剣の鍛錬に励む、一人の少年の姿だった。

 

 今は亡き父親譲りの黒髪、何物にも惑わされない澄んだ灰色の瞳、利発そうな顔立ち、年齢に不釣合いなほどに落ち着いた物腰……

 その風格は、年と共にいっそう凜々しさを増してきたようにも思える。

 

 彼は事が起きたあの日から、一日もかかさず自身の向上に努めている。自らが果たすべき義務を理解し、周囲の期待に応えようと努力を怠らないのだ。そのひたむきな姿勢は、畏敬や感心を通り越して、嫉妬や憎しみさえも生み出す。

 

 少なくとも、ある種の人間にとっては。

 

 無職は左手に視線を落とす。

 人差し指にはめた指輪の魔石が、月の光を受けて、淡く儚く輝いていた。

 

「一体何が、お前をそこまで突き動かしているんだよ……」

 

 何気ないその一言は、自らに対する問いかけであったのかもしれない。

 かつての自分に重ねようとしている自分に気づいたとき、不意に胸が苦しくなった。羨望と絶望が五分で混じり合ったような、複雑な感情が彼の心を支配する。

 

 唇を強く噛みしめると、次の瞬間、彼は激しい音と共に窓を閉ざした。

 

 すると少年が剣を止め、何事かと視線を転じる。

 見上げた先に、すでに人影はない。

 

「…………」

 

 夜風に草むらがなびき、木々の上枝から舞い落ちた葉が、空へとさらわれる。

 

 無職と勇者。

 

 対照的な二人の視線が、交わされることはなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。