夜道を歩いていたら偶然という言い訳が通用するとは思えなかったので、洗いざらい自白することにした。自分の勝手な判断で連れて行く訳にはいかなかったので、こういう回りくどいやり方を取らざるを得なかった、今は反省している
そこは聡明なお嬢様のこと。すぐにお察しいただけたようで、
「はあ? つまり私は、オマエに乗せられたってこと?」
だって同じ炎タイプなんだもの。お前の煽り方なんざ、手に取るようにわかるわと言いたかったが、満面の笑みを浮かべて我慢した。
ソフィーはムスッとした表情で頬をふくらませ、「フンだフンだ」とブツブツ言っていた。
ツンツン改めフンフンしているお嬢様はさておき、ライラの話によれば、ソフィーが夜中にコッソリ部屋を抜けだそうとしていた所を見つけたのが、事の始まりだったらしい。
どうしたのかと訊くも、しどろもどろの言い訳を続けて、要領を得ない。
***
「お嬢さま。私に何か隠しているのなら、はっきり申し上げていただけませんか」
「……」
ソフィーは黙ったまま、ぽりぽりと頬を掻いた。
「あのさ……ライラはいつもこんな時間にまで起きて、私の警護をしてるの?」
「ええ。それが私の仕事ですから」
「……そうなんだ。いつ寝てるの?」
「部下と交代しながら、合間に仮眠を取っています」
「どうして私のために、そこまでしてくれるの?」
「? はて、どういう意味でしょうか」
「その……辛いとか、面倒だとか思ったことはないの?」
ライラは瞬きを止める。
やがてソフィーから視線を外し、伏し目がちに言った。
「ありませんよ」
くすりと微笑んでから、彼女は告げた。
「私が寝ている間に、お嬢様の身にもし何かあったらと思うと……その方が、私にはよっぽど辛いです。これだけ長い間、同じ時間を分かち合ってきたんですもの……従者である以前に、私にとって貴方は家族のようなものです。ですから、これが辛いだなんて思ったことは一度もありませんよ」
淡い月光が、窓硝子を通して廊下に影を落とす。
重なった視線の先で、はらりと少女の頬に涙が伝った。ライラが驚く。
「お、お嬢様? どうされましたか? 一体何が……」
歩み寄って、頬に触れようとするも、ソフィーはぶんぶんと首を横に振る。
「泣いてないわよ」と言ったが、どう見ても泣いていた。彼女は目元をゴシゴシと乱暴に拭うと、意を決して言った。
「そんなことより! いいから私を、屋敷の外へ連れ出して!」
「……え?」
***
そこで初めて、ライラは俺とソフィーの間に起きたやり取りを知ったらしい。
すなわち、あの男に罵倒されたと。
わがままな箱入り娘。口では偉そうに言ってみても、結局一人じゃ何もできない能無し。魔法を習ってる暇があるのなら、まずは常識を身につけることから始めたらどうだ?
やーいやーいこの世間知らず~。悔しかったら一人でやってみろ~。
「…………」
は?
「もちろんニケさんがそんな意地悪なことを言うなんて、私も信じられなかったので……。きっと何かの行き違いか、大袈裟に言ってるだけなんだろうと思いましたけど」
大袈裟の次元超えてません?
間違い探しの答えが、「そもそも絵が違う」ってくらい間違ってるような……
恨みがましい目でソフィーを見ると、彼女はべーと舌を出して、ふふんと鼻を鳴らしていた。
俺は無情なる心で天を仰いだ。
「何としてもニケさんをぎゃふんと言わせたいんだとお嬢様が強く仰るので、私も結局折れてしまって……でも本当によかったんでしょうか。あと執事長に何と言われるか……はぁ……」
ライラはこめかみを抑えながらそう言うも、言葉とは裏腹に、目の色には少し諦観の色が混じっているようにも見えた。「満更でもないように見えますが」と言うと、ライラはふふっと微笑んだ。
「お嬢さまが、私にここまではっきり自分の意志を主張したのは初めてでしたから」
「いつも主張してません?」
「ああ、えーと……少し言葉足らずでしたね。お嬢さまは基本的に、他人に不満を漏らすことはあっても、自分がどうしたいとかこうしたいとか、主張を押しつけるようなことは少ないんです。ご主人さまの言いつけも、何だかんだ言いつつきちんと守る方なので……私にはそれが、どうせ逆らうだけ無駄なんだって、あきらめているようにも見えて。よく言えば、末っ子らしく手間がかからないということなんでしょうけれど……少し寂しくも感じることもあったんです」
なるほどね。
自由ってものに憧れがあったと、ソフィーは言っていた。そう主張するだけの芽は、俺と出会う前から育っていたということか。
鼻歌交じりで数歩先を行くアイツを見ていると、とてもそうは思えんけど……
「話は変わりますけど……あの、ライラさんって何者なんですか? 先ほどの身のこなし、只者ではなかったような……モンフォールのメイドは、護身術が必須なんですか? ハハハ……」
ライラとソフィーが息を合わせたかのように、歩みを止める。
三秒くらいの沈黙が流れて、やがてソフィーがこちらへ振り返った。
「あれ? ライラ、何も言ってなかったの?」
「ええ……私の口から直接告げることでもないので」
「ふーん。どうせパパかセバスチャン辺りが口止めしたんでしょ。あいつらホント性格悪いんだから……どうして人を試すようなことばっかりするのかしら」
ぷんすか口を尖らせてから、ソフィーはビシッと俺を指差した。
「いいわ。私から直々に教えてあげる――ライラはうちのメイド長で、私専属の
なん……だと……?
どおりで二人はいつも一緒にいたワケだ。しかもメイド長て……使用人の中だと、執事長に次ぐ、ナンバー2の実力者てことか?
……。
余計なことしなくてよかった……
「ニケさん、その……先ほどは申し訳ありませんでした。強く締めすぎましたよね……つい……」
「あ、いえ……お気になさらず。瀬戸際の生命力には自信があるんで……へへ」
口ではそう言いつつ、内心は歓喜のファンファーレが鳴り響いていた。
マウントを取られたあのとき、俺の顔に当たっていたあの柔らかい感触……嗚呼、間違いない。
生まれてきてよかった。
我が生涯に、よもや一片の悔いなしーー
などとアホなことを考えているうちに、街の波止場へと辿り着いた。
すでに宵よりも朝に近い深夜帯ということもあって、辺りに人の気配はなく、星明かりが海を照らしている。頬に当たる風はほんのりと冷たくて、微かに冬の匂いを纏っていた。
いてもたってもいられなかったのか、ソフィーが勢いよくその場から駆け出す。
停泊している巨大なガレオン船の側を通り過ぎ、埠頭の果てまで辿り着く。息を切らしながら、彼女は視界の先に広がる夜空を、抱きしめるように見上げた。
「うわー……綺麗」
濃紺の空には月が浮かび、無数の星々が瞬いていた。寄せては返す波の音が心地よい。午後まで降り続けた雨は、雲を遠くへ地平線の彼方に追いやり、まるで世界に三人しかいないような感覚にとらわれた。
ソフィーは深呼吸をして、大声で叫んだ。
「私は自由だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
声は辺り一帯にこだまして、空に吸い込まれるように、やがて消えていった。まるで物語の主人公みたいなことする奴だな。
俺はポケットに手を突っ込み、ソフィーの側へ歩み寄った。
「どうかね? 自由の味は」
「最高以外に言うコトバがある?」
「そうか。でもそれは、束の間だからこそ最高なんだよ。慣れたらすぐに持て余しちまう。俺たちは所詮、自由の奴隷なんだ」
「なに意味わかんないこと言ってるのよ。雰囲気ぶち壊しだからやめてくれる?」
やめろと言われたので、やめる。
ソフィーがくちゅんとくしゃみをしたので、ライラがハンカチで彼女の鼻を拭う。フンガフンガ言いながら、ソフィーがしゃべり出した。
「ライラ、今日は無理言ってごめんね。ありがとう」
「いえ……」
「でも、これで吹っ切れたような気がする。安心してお嫁に行けると思うわ」
「……はい」
不意に、金木犀の香りが漂った。
ライラが横髪をかき分け、ソフィーはじっと夜空の星を眺めている。
え? 今何て……
「びっくりした? オマエには話してなかったものね……まあ正確に言うと、言いたくても言えなかったんだけど。事情が事情だから」
目が合うと、ソフィーはくしゃりと表情を綻ばせてみせた。
「いわゆる政略結婚ってヤツよ。来年の春、私はアルルのバルザック家に嫁ぐの」
「バルザックって……え。あの、バルザック?」
「そうよ。東洋の二大財閥の一角、バルザック家よ。そこへ私が嫁ぐと言うのだから……公にできなかった事情は大体察しがつくでしょ」
察しも何も……
アルルのバルザック家は、今やモンフォールと双璧をなして、東洋のマーケットを牛耳る巨大財閥だが……それより何より、両家は深い確執があることで有名なのだ。
率直に言うと、めちゃくちゃ仲が悪い。
両家の対立を象徴するエピソードは枚挙に暇がないが、最も有名なのは双方の紋章だろう。
モンフォール家の紋章は、清廉潔白を意味する柊に、魔除けの象徴でもある鹿の角を模したもの。これに対し、バルザック家の紋章は、幸運を運ぶとされる蹄鉄に、勝利を意味する左右対称の二頭の跳ね馬。
鹿と馬、要するに「馬鹿」である。
馬鹿というワードの語源は、エフタルかそこらの昔話に由来していたと思うが、東洋では、両家の仲の悪さから生まれた言葉だと誤解してる連中が後を絶たない。
ルナティアとアルルに挟まれたネロウィング海峡の流れが激しいのは、両家の確執の象徴だと皮肉る連中もいるくらいだ。
そんな曰く付きの両家が、ここに来てまさか手を結ぶとはね……
「でも、どうしてまた――」
「そんなの私が訊きたいわよ。三次東征に向けての工作とか、イリヤ教団が裏で動いてるとか、色々切迫した事情があるのは確かなんでしょうけど、本当の理由なんて誰も教えてくれない。パパやセバスチャンも、これは私が幸せになるための選択なんだよとか、ふざけたことしか言わないんだもの。頭に来ちゃうわ」
ソフィーが嘆息混じりに言った。
「どこまでいっても、私は一族にとっての駒に過ぎないのよ……そりゃそうよね。ポーンが自分の意志で好き勝手進むなんてあり得ないもの。プレイヤーの命令に従って、言われるがままに前に進むだけ。それが駒の役割。以上でも以下でもないのよ」
「お嬢さま。ご主人さまは、決してそんな風には――」
「やめてよライラ。私だってわかってるわよ……一番上の姉さんも、その次の姉さんも、みんなそうだったから。ある時期になると、みんな飾り物の人形みたいに、後生大事に送り出されていくんだもの。それがモンフォールの家に生まれた女の宿命なのよ……そこにどうこう異議を唱えようとする、私の方がよっぽどおかしいんだわ」
「……」
ライラはうつむき、言葉を失う。
静寂がいやに耳に突き刺さった。月が落とした光で、海の水面が微かに揺れているのがわかった。
「あーあ……あと半年もすれば、私も海の向こう側の人間か」
ぽつりと、ソフィーが呟いた。
「上手くやらなきゃね。モンフォールの名を汚す訳にはいかないから。パパやママ、セバスチャンやライラにも迷惑掛けたくないもの。うん、大丈夫。大丈夫だよね……きっと……」
ソフィーは言葉に詰まる。
堪えるようにうつむいた彼女の瞳から、ぽたりと一滴の涙が流れ落ちた。
「あーもう、なんで泣いてるんだ私……こんなつもりじゃなかったのに。遅かれ早かれ、こうなる運命だって、ずっと前からわかってたのに……どうして……」
拭おうとした指の隙間から、ぽたぽたと涙が溢れ出す。か細い泣き声が、夜のしじまに染み入るように伝っていく。
こういうとき、何を言ったら正解なんだろうと思った。
人はみんな、そいつなりの地獄を抱えて生きているという、昔どこかで聞いた言葉がリフレインする。
「ソフィー知ってるか。人間の肉眼で見える星の数は、宇宙にあまねく星々の、ほんの一握りに過ぎないんだぜ」
空を見上げて、俺は彼女に言った。
「何が言いたいって、つまり、目に見えるものや、耳に聞こえるものだけが全てじゃないってことさ……寂しいのはきっと、お前だけじゃない」
ソフィーがおもむろに顔を上げたそのとき、彼女の肩に華奢な指先が触れた。
「お嬢さま。どうか、そんな哀しい顔をしないでください」
ライラが言った。
「私はモンフォール家にお仕えしてから、貴方の側用人として、貴方の成長をこの目で見届けてきましたから……本音を言うと、お嬢さまがこの家からいなくなってしまうのは、すごく寂しいです。けれど、安心してください。貴方がこの家を離れても、貴方がこの家で過ごした時間は、決して消えたりしませんから」
ライラはソフィーの前に屈み込むと、ハンカチで彼女の涙をそっと拭った。
そして、優しく微笑んだ。
「泣かないで……大丈夫ですよ。お嬢さまは少し気が強い所があるけれど、本当は寂しがりやで、人懐っこい方ですから。貴方の側にいることで、幸せな気持ちになれる人間はたくさんいます……何より私が、貴方の笑顔に何度も救われましたから」
「……ライラ……」
「お側にはいられなくても、私はこれから先もずっと、お嬢さまのことをお慕い申し上げております……辛くなったときは、どうかそのことを思い出してください」
ソフィーは唇を噛み、両肩を震わせると、ライラに身を預けた。そっと抱き寄せるようにして、ライラがソフィーの髪を撫でる。
すすり泣くような泣声の中に、ぽつりと「ありがとう」という言葉が聞こえた。それはたぶんきっと、俺の幻聴なんかじゃなかったように思う。
ふと見上げた夜空には、色のない虹が架かっていた。
月虹だ。
昼間に見えるそれとは違い、七色ではなく、淡く白く輝いてるように見えた。
月虹はその希少性や神秘性から、確か「見たものに幸運が訪れる」という言い伝えがある。
二人の未来に幸多からんことをと、ささやかながら俺はそんなことを願った。