勇者にはなれない   作:高円寺南口

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1 今となっては昔の話

 俺がガキの頃、大きな戦争があった。

 

 第二次東方遠征軍。

 

 一般に「東征」と呼ばれるこの戦いは、ネウストリアを中心とした東洋諸国が、世界樹の根付く聖地アウストラシアを、魔族の手から奪還することを目的として行われた戦争だった。

 

 魔法の根源たる魔力を生み出す世界樹を、己が手中で独占し、あろうことか我々に反旗を翻す魔族の蛮行は、断じて許されるものではない。今こそ我等人類の手で約束の地を取り戻し、諸悪の枢軸たる魔王に神罰を下さん――

 

 イリヤ教団の最高指導者ネフェル3世の有名な演説を発端に、中つ国はしばし混沌の中に身を委ねる訳だが……まあそんな前置きはどうでもいい。

 

 古来より戦乱は、その結末や当人の意思によらず、後の世で英雄として語り継がれる人物を輩出する。ローランもその一人だった。

 

 勇者、ローラン・ヴァロンドール。

 

 平民の出自でありながら、第二次東征の立役者であり、救世主。今や東洋でその名を知らぬ者はいない、英雄の中の英雄だ。

 俺はその高名たる英雄の隣家で生を受けたということもあって、彼のことは昔からよく知っている。

 

 丸太のような二の腕に、たくわえた虎髭。その厳めしい風貌は、騎士というより荒くれ者と言った方がふさわしい。

 声はいつだって馬鹿デカく、笑うときは聞いている方が清々しくなるほどに哄笑する。葡萄酒よりも麦酒が似合い、義理人情に厚く、仲間を何より大切にする。

 

 北国の叙事詩に出てくる豪傑のようなこの男が、俺は正直苦手だった。好き嫌いというよりは、人間としての相性の問題だろう。

 年を取って、大人になった今だからわかる。

 

 清廉潔白な英雄像からは程遠くて、時代が時代なら、大酒飲みの狩人で一生を終えていたはずのこのおっさんが、それでも周囲の人間を惹きつけて止まなかったのは、彼が他の誰よりも、人の痛みに寄り添える人物だったからだ。

 

 言葉に直すとバカみたいに陳腐だが、それは勇者たる者の素質の中核をなすものだと、俺は思っている。

 

 こんなエピソードがある。

 

 まだ一介の傭兵でしかなかった時代、ローランは同僚や知己やらを大勢引き連れて、ウチの居酒屋でしょっちゅう宴を催していた。稼いだ金を惜しみなく使っては、盛大に酒や食事を振る舞い、仲間と肩を組んでは大声で語り合う。

 夜な夜な続くどんちゃん騒ぎは、大人にとっては快楽でも、当時子供だった俺には苦痛でしかなかった。

 

 ローランが席を立ち、(かわや)へ向かおうとする。その途上、不意に俺と目が合った。母の袖を引き、怯えたように隠れている俺の気配に気付いたのだろう。

 巨体を揺らし、木目調の床をギシギシ言わせて、彼は俺の元へと歩み寄った。

 

「どうだボウズ。お前も楽しんでるか?」

 

 その場にしゃがみ込むと、ローランはまるで少年のように屈託のない笑みを浮かべた。

 同じ目線にある豪傑の瞳に気後れして、俺はうつむき、弱々しく首を横に振った。

 

 するとどういう訳か、彼はガハハと大声で笑い、俺の髪をグシャグシャと撫で回した。

 

「そうかそうか……すまねえなボウズ。お前にゃまだ、酒の旨さもわからねえ。おまけに大好きな母ちゃんも独り占めできねえ。そりゃ楽しくなくて当然だわな」

 

 ローランは立ち上がるや、パンと柏手を打ち、仲間に大声で呼びかけた。

 

「おいてめェら! 今日はもうお開きにすんぞ!!」

 

 突然の一声に、仲間たちが飲み足りないとばかりに一斉に不満の声を上げる。ローランは気にする素振りもなく、仲間を一人一人つまんで、さっさと帰るよう促す。

 ブツブツ文句を垂れながらも、素直に従う仲間の姿から、彼の日頃の人望が見て取れた。

 

 やがて、母がローランに歩み寄り、詫びを言った。

 

「おうおう、いいってことよ。日頃世話になってるんだから、たまにはこういうのもな……それに、俺にももうすぐ子供が生まれるんだ」

 

 ローランはちらりと俺を見ると、鼻の下をこすり、嬉しそうに告げた。

 

「子供の目線でモノ考えられないヤツに、人の親になる資格はないだろ。違うか?」

 

 それだけ言い残すや、ローランは足早に立ち去る。出口の敷居をまたごうとしたとき、彼は突然振り返って、俺の目を見た。

 

「ボウズ! お前が大人になったら、おっちゃんと一緒に盃を交わそうな!」

 

 そう言うや、彼は歯を見せて笑った。

 

「約束だぜ」

 

 それからしばらくのことだった。

 ローランが、勇者の霊廟に突き刺さりし伝説の剣を引き抜いたのは。

 

 遙か昔、第一次東方遠征軍の英雄にして、今や伝説上の人物となった勇者シリウスの(つるぎ)……

 

 聖剣アロンダイト。

 

 世界が再び混沌に覆われたとき、神に選ばれし者が、我が聖剣の封印を解き、乱世に光をもたらすであろう――

 そんな勇者シリウスの遺言を実行した男が、青天の霹靂の如く現れたことで、歴史は動いた。

 

 教団はこれを天啓として、かねてよりの悲願であった第二次東方遠征軍の派遣を決定。王国はローランに「勇者」の称号を授け、民衆は新たな英雄の誕生を、万雷の拍手をもって迎え入れた。

 ネウストリアのみならず、東洋諸国一帯が熱に浮かされたかのようなムードに包まれた。

 

 人々の期待を一身に集め、ローランがロゼッタの地を旅立つ頃には、俺も九歳になっていた。

 国を挙げて行われた出陣式は、吝嗇家(りんしょくか)で知られるネウストリアの王にしては珍しく、豪華絢爛、見るも壮麗たるもので、魔王を倒すべく立ち上がった英傑の門出を祝うにふさわしい儀式となった。

 

 王都ロゼッタの大通りを埋め尽くす民衆に手を振りながら、悠然と馬を進めるローラン。

 身につけた勇ましい兜は、昔馴染みの鍛冶屋の一人が、彼のためにこしらえたものだという。

 

 威風堂々たる兵士の行進に、鳴り響く管弦楽。連なる軍旗の合間から、ローランの姿を見つけては、熱狂し、感極まって涙ぐむ人々。

 国中が沸き立つとはまさにこのことだと、俺も子供心ながらに感じたものだ。

 

 そして、ローランの伝説を象徴づけるような出来事が、このあと起こった。彼がまもなく城門を出ようとしたときのことだ。

 

 子供が、泣いた。

 

 まだ二歳前後のローランの子供が、突如として大声で泣きわめいたのだ。

 

「どうした?」

「何が起きたんだ?」

 

 ざわつく人々をよそに、ローランは馬を下り、元来た道を引き返す。兵士に群衆が、波を打ったように道を空ける。

 そして、彼は子をあやす妻の前で立ち止まった。

 

「悪いなクロノア。せめてお前が物心つくまでは、そばにいてやりたかったけど……世界はそれを待ってくれない」

 

 ローランは、その分厚い掌で、クロノアと名付けた我が子の頭を優しく撫でた。

 すると、クロノアが泣き止み、その真ん丸な瞳を大きく開いて、父の顔をじっと見つめた。

 

 ローランは口角を上げ、次の瞬間、神に誓いを捧げるが如く、力強く宣言した。

 

「俺は魔王を倒して、一刻も早くこの世界に平和をもたらす! そして――」 

 

 刹那にも永久にも感じる間を置いて、彼はこう口にした。

 

「必ず、生きてここへ帰ってくる」

 

 産み落とされた沈黙。

 静寂を切り裂いて、群衆が一斉に沸き立つ。

 

 熱狂は感動へと飛翔し、希望は確信へと生まれ変わる。この男なら、絶対にやってくれると誰もが信じた瞬間だった。

 

 それから、ローランは一度も振り返らずにロゼッタを後にした。

 その後ろ姿たるや、すでに英雄の風格を備えていて、後にも先にも、俺はあれほど格好良い男の背中を見たことがない。

 

 

   ***

 

 

 結論から述べる。

 ローランは死んだ。

 

 伝聞によれば、彼は東征軍と魔王軍がぶつかったアクゼリュスの丘の会戦にて、命を落とした。

 ローランは東征軍が敗色濃厚と見るや、味方を逃がすため、たった一人で敵軍に立ち向かい、その後の行方は誰も知らないという。

 

 劇的な死を遂げたのか、惨めで無様な最期だったのか、死の間際に何を想ったのか……今となっては、何一つわからない。

 

 ローランの死は、東洋諸国に絶望をもたらした。

 神に選ばれたはずの人間が、魔王はおろかその居城に辿り着くことすらできず、道半ばにして果てたという事実は、人々の心に衝撃を与えた。

 

「終わりだ。もはや人類は、魔王に屈するほか道がないのか……」

 

 日頃いるんだかいないんだかよくわからない、凡庸を絵に描いたようなネウストリア国王の言葉が、これほど胸に響いた瞬間はない。

 換言すれば、王も民衆も、皆それだけローランに期待していたのだ。

 

 初めのうちはよかった。

 向かうところ敵無しの連戦連勝で、誰もが人類の勝利を信じて疑わなかった。

 戦場でのローランの活躍ぶりが伝わるたび、人々は我が事のように喜び、夢見心地な気分に浸ったものだ。吟遊詩人は街角でローランの勇ましさを高らかに歌い上げ、酒場の灯りは朝焼けを迎えるまで消えることを知らなかった。

 

 それがどうだ。

 

 戦いも一年が経過し、魔王軍が一転して反撃攻勢を強めると、東征軍は各地で苦戦を強いられるようになった。補給線の確保や疫病の蔓延といった問題も深刻化した。

 さらには、戦争が長引くにつれ、東征軍内部の不和が表面化し、味方同士で足を引っ張り合うような事態が続出した。負けを重ねるたび、各国は疑心暗鬼になり、軍紀は名ばかりとなって、次第に単独行動も目立つようになった。

 

 こんな状態で、勝てるはずがなかった。

 

 ロゼッタで反戦論者が声を大にして、国や教団を罵り、憲兵に捕縛される所を見たのは一度や二度じゃない。

 要人の暗殺だの何だの、物騒な事件も増えた。イリヤ教団の異端審問会、俗に言う暗部が手段を選ばなくなっているのは明白だった。

 

 ローランだけが、人々の希望だった。

 彼がいる戦場だけは、闇の中に射す一条の光のように、敗北を知らなかった。

 

 しかしその光も、最後には闇に呑まれた。

 戦場の露へと、消えてしまった。

 

 祈りは潰え、夢は破れる。

 

 暗澹たる空気が世を覆い、誰もが希望を失いかけたそのとき、ほのかな光が地の底より出づる。

 その光は余りにも弱く儚く、そして優しくて、導き手が口を開くまで、誰一人としてその温かさに気づけなかった。

 

「いいえ、王さま。僕がいます。英雄ローランの血を引く、私が」

 

 ローランの息子であるクロノアは、居並ぶ王や役人の前で、こう言ってのけた。

 

「父の意志は、私が継いでみせます」

 

 まだ六歳に達したばかりの子供の発言は、傍から見ればちっぽけで、何の信憑性もない。

 それでも、その一言が人々を絶望のどん底から救い出すのに十分だったのは、それが他ならぬローランの息子で、他の誰よりも哀しみを背負っているであろう人間の口から発せられたものだったからだ。

 

 希望は再びその身に翼を宿し、絶望の淵から飛び立つ。

 

 その日を境に、クロノアは「勇者」と呼ばれるようになった。

 今は亡き、ローランの意志を継ぐ者となったのだ。

 

 そして今日も、勇者は来たるべき旅立ちの日に備え、血の滲むような研鑽に励んでいるという訳だ……

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