無職の朝は遅い。目が覚めると、すでに夕刻だった。
もっとも、夜明けと共に眠り、日没と共に目覚めるのがデフォルトになっている俺にとってはこんなの普通で、どちらかと言えばむしろ早起きまである。
適当に着替えをすませ、部屋を出る。
突き当たりの窓からは、夕陽が射し込んでいた。秋らしく空気が澄んでいるせいか、遙か城壁の外に広がる高い山々が見渡せる。王宮の西、貴族街の中心に佇む魔法アカデミーの時計塔が、茜色の空を背負って、城下に暗い影を落としていた。
一階へ下り、外へ出ようとした、その時だった。
「おい。どこへ行くつもりだ」
振り向いた俺の目に映ったのは、カウンターから姿を現した親父の姿。
今日は運が悪いなとの考えが、脳裏をよぎった。
「宵になれば、そうやってあてもなくフラフラと外をうろついて……隠そうとしても無駄だ。俺は全部知ってるんだからな」
全部知ってる、か……
臆面もなくそんな台詞をほざく奴に限って、知ったつもりになっているだけなことを、俺は知っている。
「……で? それが何か?」
その態度に、さすがの親父もカチンときたのか、声を荒げた。
「いい加減にしろお前は!! ロクに働きもせず、毎日毎日怠惰に過ごすばかりで……少しは隣の勇者さまを見習え! 自分より年下の人間があれほど頑張っているのに、お前は恥ずかしくないのか!」
口角泡を飛ばして、まくし立てる親父。また始まったかと俺は想う。
この男の説教は、大体二パターンある。
一つは、隣家に住まう勇者サマを比較対象として、日頃の俺の怠惰を責め、焦燥感を煽るというもの。
もう一つは、俺はお前の将来を真剣に心配しているんだぞという体裁を装って、俺の罪悪感を刺激し、改心を促すというもの。
いずれにせよ、無職となって幾星霜。世間から隔絶されて五年以上の歳月が流れた俺に対し、未だあきらめずに説教を続ける親父の姿勢には、感服すら覚える。
だが、俺は知っている。
この男をここまで執念深く突き動かしているのは、所詮罪滅ぼしなのだと。
早い話が俺のためではない。自分のためだ。
頃合いを見て、俺はその場を後にする。
いつもなら、そこで終わるはずだった。
親父が捨て台詞の一つや二つを吐いて終わるはずだったやり取りが終わらなかったのは、奴が強引に俺の肩を掴んだからだ。
「……昨日、帳簿を処理していたら、金額が100フランほど合わなかった」
三秒ほどの沈黙を挟んで、親父は言った。
「お前がやったのか?」
ご期待に添えず申し訳ないが、全く身に覚えがなかった。
第一俺がやるなら、もっと上手くやる。いかにも私が取りましたと言わんばかりに、キリのいい額を一度で抜くなんてマヌケな真似はしない。
どうせ手癖の悪い客にスラれたか、小賢しい仕入れ先に支払いをちょろまかされたのか……最近は街中で異国からの来訪者が目立ち、タチの悪い連中も紛れ込んでいると聞く。
無理に一人で店を切り盛りしようとするからそうなるんだ。いい加減年なんだから、さっさと俺に見切りをつけて、ギルドを介して人の一人でも雇えと言いたいが、お生憎様、親父が求めてるのは、そんな返答じゃないだろう。
「そうだよ。子を養うのは、親の義務だろ」
言った瞬間、しんとした部屋に乾いた音が響く。
親父が右手を振り上げ、俺の頬をはたいたのだ。
「お前はどんなに落ちぶれても、人としての道は違えないと、信じていたのに……そう、育てたつもりだったのに……!」
親父は声を震わせ、わなわなと拳を握りしめていた。その目には、怒りというより哀しみの色が宿っている。
が、その程度の言動で心を揺さぶられるほど、俺の闇は浅くない。
とある事件をきっかけに、心を閉ざし続けた結果、高度に訓練された無職と成り果てた今の俺に、救済の余地などあるはずもない。
「……俺はもう疲れたんだよ。あんたもいい加減、それに気付いてくれ」
外からは鈴虫の音色が聞こえてきた。
夜は近い。そろそろ気の早い常連が店にやってくる頃だろう。
「これじゃ、死んだ母さんに何て言い訳すればいいんだよ……」
去り際、親父がこぼした言葉に、我知らず足が止まる。
ため息を一つ、扉を開いて、俺は家を後にした。
*
家を出た俺は、大通りの酒場へと向かった。
クラインの酒場。ロゼッタでは有名な酒場だ。
というのも、ローランの死後、国王は職業性別を問わず、魔王を倒す
国のお墨付きの、人材斡旋ギルドと言えばわかりやすいだろう。
国王も馬鹿ではなかった。彼はローランの死から、天才一人に全てを依存する行為が、いかに残酷であったかをようやく学んだのだ。
だが、俺から言わせれば、人一人死なせないと、この程度の道理も理解できない時点で、目を覆いたくなるような阿呆だ。
痛みを伴えば、犬や猫だって理解できる。痛みを伴わない教訓にも意義を見出せないようでは、それは王と言うより、冠を被った猿でしかない。もっとも、餌を与えれば大人しくするだけ、猿の方が幾分マシなのかもしれないが。
王は来たるべきクロノアの決起、第三次東征の開戦に向け、ギルドに登録された人材の中から、選りすぐりの達人たちを、勇者の側近として任命する腹づもりらしい。
有名どころでは、戦士のゴライアスや、魔法使いのドロシーがいる。いずれも、その道では天才だの最強だの騒がれている連中だ。
だが、聞いた所によれば、最終的な決定権は勇者自身にあり、必ずしも強さだけが仲間の選択基準ではないようだ。
魔王を倒すための道のりは長く、困難を極める。クロノアにとって性格が合う合わないも、選択の重要な基準となるだろう。
二階へと上がり、上機嫌な吟遊詩人、泥酔した客の合間を縫って、カウンターの端の席へと腰掛ける。
やがて、馴染みのマスターがにやけた表情で近づいてきた。
オールバックの白髪に、涼しげなアンバーの瞳。
黒いベストに、首元がはだけた皺一つないシャツ。清潔感の中にも、それなりの苦労を重ねてきたことが窺える渋い顔立ちに、褐色の肌。
「こんばんは、ゴクツブシ君。いや、おはようございますか……今日もいい女の子入ってるぜ。
獣使いか……獣は手懐けても、獣より厄介なモンスター無職である俺を手懐けることはできんだろう。
首を洗って出直してこい。
「悪いな。今日はそういう気分じゃないんだ」
「何だよ、やっぱり
「たぶん、断罪されたいんだろうな……深層心理的に」
「断罪? おいおい、突然妙な性癖カミングアウトするなよ」
別に性癖とかそういうのではなかったのだが、上手く説明する気もなかったので、毎度お馴染みの台詞を呟くこととした。
「いつものやつ」
マスターは「へいへい」と言って、シェイカーに酒を注ぐ。俺は振り返って、欄干越しに階下を眺めた。
上機嫌に高笑いするオッサンどもに、甘い声でこび寄る女たち。女はいずれも、騎士や魔法使い、吟遊詩人と思しき衣裳に身を包んでいる。
中には、この国では少数派のエルフもいるようだ。
彼女たちは概ね人間と同じ外見をしているが、耳が鋭く尖っており、瞳の色も人間にはない翡翠色で、すぐに判別がつく。
といっても、多くのエルフは魔法で人間に擬態しているため、素人目にはまずわからないのだが。
西洋ほどではないにせよ、東洋諸国、一般にアヴァロニアと呼ばれる地域では、伝統的に人間中心主義の考えが根強く、異種族を積極的に排斥している地域もある。
そんな背景もあって、エルフは人間社会に溶け込む際、身の安全のために、人間に擬態していることが多いのだ。特に女性。
エルフの女性は、妖艶で美しく、若くいられる期間も人間より遙かに長い。人間の上位互換なんて言う連中もいるほどだ。寿命が長い分、種族の絶対数が少ないこともあって、この手の水商売や風俗業では、極めて重宝される。
嘘かホントかは知らんが、ネロウィング海峡を隔てた対岸の都市国家「アルル」では、エルフの女性を高値で取引する闇オークションがあると聞いたことがある。
身も蓋もなく言えば、趣味の悪い成金どもに、慰み者としてコレクションされるのだ。
まあ最近は、あそこにいるエルフのように、自らの希少価値を理解して、人間の欲望を逆手に取ろうとする小賢しい連中も増えてきているようだが……
エルフが「純血」や「高潔」の代名詞だったのも、今や昔の話。時代は変わったのだ。
俺がエルフのロートルだったならば、石の上に腰掛け、杖に両手を乗せて、「嘆かわしいことじゃ……」とか言ってるレベル。
「おらよ。いつものやつ」
マスターから差し出されたアブサンのカクテルを一口飲み、俺は言った。
「儲かってるみたいだな。斡旋が順調なおかげで」
マスターが苦笑を浮かべる。
「ああ、最近は特にな……勇者にほとほと感謝だよ。勇者が仲間に選びそうな職業は、競争率も高くて、その分あぶれる奴も多い。女騎士あたりは客のニーズも高いから、需要と供給が一致して、こちらとしては助かってるよ」
「ひどいマッチポンプだこと」
「そう言うなよ。勇者の旅立ちまで、まだ半年ある。しょぼい魔物退治やクエストで食いつなぐのにも限界があるだろ。わかるか? 俺は雇用を創出して、この街の経済の活性化に貢献しているんだ。一見お遊びに見えて、その裏には計り知れない深謀遠慮が働いているのだよ」
俺は呆れたように嘆息した。
「そうだな。クラインがデカくなるにつれて、この街には、日に日に見知らぬ連中が増えていってるような気がするよ」
「凋落したこの国が再び繁栄を取り戻すには、資本に人材に情報に、世界中からカネとモノが集まる仕組みを作る必要がある。要はパイを育てるんだよ。育てるのが無理なら、あるところから奪ってこればいい。カンタンな話だろ?」
「発想が盗賊じゃねえか」
この男にしては珍しく、マスターは声を出して笑った。
「……まあ、一市民のお前から見てもそう感じるなら、俺の
「国も見て見ぬフリってか? そろそろ、ガサ入れの一つでもやってほしいくらいだよ。灯台もと暗しってな」
「それについては心配ねえよ。後ろ、見てみろ」
マスターが指差した方向へ振り返ると、ガタイのいい屈強そうな男が、一段と高級そうなソファーに美しい女騎士をはべらせ、下品な表情で酒を呷っている姿が目に映った。
耳元で、マスターがささやくように告げた。
「あの男、見覚えないか? 城の騎士団長だよ……今じゃすっかり、うちのお得意様だ」
VIP。
俺は目を細め、内心この男のしたたかさに舌を巻いた。
「なるほど……国にはとっくに取り入ってるってか。アコギな商売人だ」
「そこは抜け目がないと言ってくれないか? 第一、夜の商売つっても、やってることはお前の店とそう変わんねえだろ。そこに綺麗なお姉ちゃんがいるかどうかの違いでしかない」
「……他にも違いはあるさ」
カラになったグラスの氷を鳴らすと、俺は言った。
「人の欲望を
「……ゴクツブシが。上手いこと言いやがって」
マスターは不敵に笑うと、カラになった俺のグラスを下げ、代わりに新たなグラスを差し出した。
「こいつは俺の奢りだ。名は、
グラスの中のカクテルは、見る者を虜にするような、赤く妖しい輝きを放っていた。
「ローランの名声すら利用するか。ホント、根っからの商売人だな」
「うるせえな。一丁前の台詞が吐きたいんなら、自分で稼いだ金で酒飲みに来いっての」
捨て台詞を残して、マスターはカウンターの奥へと消えていく。一人残された俺は、グラスを口元へと運んだ。
葡萄の香りと、カシスの甘味。
喉元を通り過ぎた後に、渋い酸味が口の中に広がっていく。
ふと、在りし日のローランの姿が頭をよぎった。彼は俺に、「大人になったら盃を交わそう」と約束した。結果として彼は死に、その約束は果たされることがなかった。
仮にローランが聖剣に選ばれることがなければ、今頃俺の隣で酒を呷っているなんて未来もあり得たのだろうか。
何にせよ、俺がもしローランの立場だったなら――孤独の中でただ一人立ち続けた運命の結末が、あのザマとあれば、死の間際にこう思っただろう。
くたばれこんな世界、と――