王都ロゼッタ、アウロラ宮殿。王室礼拝堂――
「よおアリシア。例の件、考えてくれた?」
「……」
収穫感謝祭及び、それに付随する一連の儀式が終わり、片付けをしていると、ニコニコと似つかわしくない笑顔を浮べている白髪の中年が突然姿を現した。
白と黒を基調とした祭服に身を包んだアリシアは、卓の上でトントンと書類を並べると、ベールを後ろに払って、その場を立ち去ろうとした。
「本日の営業は終了しました。またのお越しをお待ちしております」
「おいこら。ちょい待て」
服の裾を引っ張られると、アリシアは舌打ちした。周りに人気がないことを確認してから、彼女はトラヴィスに言った。
「結論は変わりません。嫌です。何で私がそんなことやんなきゃいけないのよ」
「まあそう言わずに」
「第一アンタ、あの子とクソ無職は当分の間泳がせておくって言ってたじゃない。その割に、二人を確実に引き合わせるよう図ってくれとか、やってることが矛盾してない? わたしゃ恋のキューピッドか」
「矛盾? たとえば?」
「わざわざ裏から手を回して、どこの馬の骨かわからん男を、モンフォール家の第三公女の家庭教師として斡旋したり、トランシルヴェスタの竜退治に部下まで使って、アイツの動向を逐一監視させたりよ。あんたクソ無職に対して、過保護に過ぎるんじゃないの」
「仕方ないだろ。俺もお前と同じくらい、ゴクツブシのことが大好きなんだよ。アイツのことを考えると、心配で心配で夜も眠れないんだ」
「ああ?」
「あ、忘れてた。クロノアもそうだったな」
「……」
アリシアは大きくため息をついた。
日々のイライラとか緊張とか気疲れとか、ありとあらゆるストレスを凝縮したかのようなため息だった。
「クロノアはどう思ってるのよ」
「直接聞けよ。俺を
「いや、だってその……お互い忙しいし」
「俺は忙しくないんかい。前から思ってたけど、お前って年下には妙に甘いところあるよな。年上には容赦なく噛み付くくせに」
「うっさいな。長女なんだから仕方ないだろ。育ってきた環境のせいだよ」
「環境のせいだけじゃないと思うが……」
トラヴィスは座席に腰掛けると、膝の上で頬杖をついた。
「まあ真面目な話、竜退治の件は、ゴクツブシは二の次だったんだよ。きな臭い事件に、探りを入れようとしたら、偶然アイツもその場に居合わせたって表現の方が正しい」
「ホントに偶然なの……? で、成果は?」
「うん?」
「クラインの優秀な部下まで潜り込ませたんだから、尻尾くらいはつかんできたんでしょう? なんつったっけあの子……ほらエルフの」
「……まあね」
トラヴィスが懐に手を伸ばそうとすると、「吸うなよ」とアリシアが親の仇を前にしたような声で言った。
トラヴィスはニッと笑う。
「相手が相手だけに、白黒ハッキリしない部分も多いんだ。バルザックのオッサンにも、機を急ぐなと釘を刺されてる。あとでちゃんと話すよ。お前だけじゃなく、クロノアやゴライアスにも……」
「ひょっとして、私に気を遣ってる?」
トラヴィスが視線を上げる。目が合うと、アリシアは言った。
「どうせ、暗部が動いてるんでしょ。
しゃあしゃあとそう言ってのけた彼女を見て、トラヴィスは鼻で笑った。
「とんでもない神官もいたもんだ……心臓に毛が生えてるね」
「手前だけ呑気に清廉潔白でいようなんざ、虫が良すぎるっての。アンタも私も、とうにその手は汚れてんのよ」
「罪深きわが正体に主よ来たれ――そういうことかな?」
「ああ? 上手いこと言ったみたいな顔してんじゃねえぞコラ。話はこんなもん? ほんじゃ、また」
そう言って立ち去ろうとしたアリシアの服の裾を、トラヴィスが強引に掴む。
アリシアは振り向きざまに素早く、聖書の角でトラヴィスの後頭部をドツこうとしたが、寸前で遮られた。
「まだだ。まだ、最初の話の答えが聞けてない」
「くそ、気付いてたか……」
アリシアは両腕を組んで、黒いブーツのつま先を忙しなく上下に揺らす。
パイプオルガンの正面に光が射し込み、埃がきらきらと宙を舞っているのが見えた。
「そんなに嫌か? 実家に帰るついでじゃねえか」
「……実家には帰りません」
「そうなの? じゃあ、カトブレスに滞在するついででいいからよ」
「あのね。私は仕事しにカトブレスまで行くのよ。それも、ムカっ腹の立つクソ面倒な調整事をしに……溜まってた休暇を消化しに行くんじゃないの。そこんとこわかってんの?」
「大丈夫だって。ゴクツブシとドロシーは、ちゃんとカトブレスで落ち合うよう、渡りつけといたから。お前は運命が静かに廻り始める瞬間を見届ける。それだけでいいんだ。簡単なことじゃないか」
「野暮ねえ……ほっといても、落ち着くところに落ち着くと思うけど」
「何でそう思うの?」
「女の勘」
「お前女だったの?」
再び聖書がトラヴィスの頭部を鋭角に襲ったが、彼は視線も動かさず、右手でそれを止めた。
「神聖なる書物で人を殴りなさんな……冗談はさておき。失敗は許されねえんだ。クロノアもそう言ってたろ」
「……」
アリシアは腰に両手を当て、ため息をついた。
「……わかったわよ。これっきりだからね」
「おっ、さすが。何だかんだ、お前はこういうの卒なくやってくれそうだからな。頼りにしてるよ」
「調子の良いことほざきやがって、このおっさん……」
「そう肩肘張らずに、ちったぁ羽伸ばしてこいよ。気楽にいられるのも今のうちだけだぜ。なんたって、久方ぶりの故郷の大地だ。仕事とは言え、騎士王とも会えることだし。お前、幼馴染みなんだろ?」
アリシアは答えなかった。
出口の方へ向かって歩き出すと、無表情に彼女は告げた。
「私、