「ほえー。我々は歴史的瞬間を目撃した……だって。どの新聞も陛下のこと称賛してるわあ~。いいなあニケってば、そんな瞬間に立ち会えて」
翌日、カムイの工房にて。
昼休憩の最中、カムイの奥さんにそう言われて、俺は渋い顔を浮かべた。
「すんません、アツコサン。雇われの分際で、出過ぎた真似を……」
「ん~? 良いのよどうせ、この身体じゃ無理はできないし。カムイもそれわかってて、あなたにあげたんだし……」
「はぁ」
「でもチケットって二枚あったんでしょ? ねえ誰と行ったの? 女の子? ねえ女の子なんでしょ」
「ハハッ」
やれやれ、またその質問か……好きだねえ君たちも。
ったく、モテる男は辛いぜ……
「一人です。急なことだったので」
真実を告げつつも、急でなければ誘える女の一人や二人いるという余韻を生み出す、このオトナな対応……
どうよ!
俺を含めて、誰も傷つかない世界の完成よ……と思ったが、いい年こいた男が人妻相手に一体何と戦っているのかと虚しくなったので、結果俺だけが傷つく世界が完成した。
運命よ。貴様は一体、どれだけ俺を追い詰めれば気が済むのか……
「それよりお子さん、そろそろですよね」
「うん。マーガレットさん(※百戦錬磨の産婆として名を馳せる近所のばあちゃん)の話だと、あと一月くらいだって」
「そろそろ休んでくださいよ。カムイだって、そのために俺を雇ったんだから」
「嫌よ。うちの母さんだって、陣痛来るまで農作業してたって言うし。ガラテアの女は、みんなそうやって生き抜いてきたのよ……都会の軟弱モンに、この苦労はわかるまいて……」
休息だけが人生だとの旗印を掲げ、出産とか関係なく、年がら年中休み続けてきた俺には耳が痛いコメントだ。
アツコサンは膨らんだお腹を撫でながら、「男の子だといいなあ……」とこぼした。
「ロゼッタだと、つわりが軽いと男の子って言われてましたね」
「そうなの? じゃあ期待していいのかなあ。カトブレスだと、その手の類いって、人によって全然言うこと違ってさあ……マーガレットさんは、おっぱいが右の方が大きくなると男の子、左の方が大きくなると女の子って言ってたんだけど、私妊娠とか関係なく、元々右の方が大きかったから、こういう場合はどうなるんだろう……?」
「……おっぱいに左右差とかあるんですか?」
「そりゃあるわよ。手や耳だって、よく見れば右と左で形違ったりするでしょ。それと同じ」
なるほど。では早速拝見拝見……百聞は一見にしかずと言いますしおすし。
「なにニヤついてるのニケ……やらしー……」
「え? いや、これはその……ウェヒヒヒ」
そうこう話しているうちに、カランカランと店の入口の鈴が鳴る。カムイが帰ってきたようだ。
「ただいま~。外はすごい雪だよ……参った参った」
「お疲れ様っす」
「ああニケ、悪いね。朝から不在にして」
「アツコサンに魔石の加工の仕方とかいろいろ教えてもらってたんで……おかげでずいぶん勉強になったよ」
「へえ。ニケって結構、ああいう気が遠くなるような作業得意だよな……意外と細工師に向いてるんじゃないか?」
「奇遇だな。アツコサンにも、全く同じこと言われたよ」
カムイがハハッと笑った。
ちなみに午後は「人妻と背徳感」と題して、おっぱいの左右差について、実技を交えてレクチャーしてもらう予定でしたと言おうとしたが、さすがに頭おかしいのでやめておいた。
「それはそうと、朝から急にギルドに呼び出されたって……何かあったのか? アツコサンは、こんなの珍しいって言ってたけど」
「ああうん、実はね……」
コートの雪を払い、ポールハンガーにつるすと、カムイは俺の向かいの席に座った。
そこでアツコサンが、温かいコンポートを持ってきてくれた。
林檎やベリーなどの果物に砂糖を加えて煮詰めた飲料で、これが中々のマイフェイバリット。個人的には、仕事の合間に最適な飲み物だと思ってる。
一般に北方人と言うと、真っ昼間からウオッカを飲み干し、血潮はアルコールで心は
ガラテア人曰く、「あいつら超人と一緒にするな」とのこと。
ベリーのコンポートを一口飲むと、カムイが言った。
「実は、新規の開発事業に誘われたんだ」
「開発って、新しい鉱床掘り出そうってヤツ? トルフィンさん家が主導でよくやってる……」
アツコサンの言葉に、カムイが首肯する。
「うん。ただ、今回のモノは少々訳が違うみたいでね。政府が一枚噛んでるんだ。トルフィンが好きな自発的な開発ではなく、上からの依頼なんだよ。だからギルドを通じて、俺にも話が来た。ちなみに場所は、ノルカ・ソルカ」
「ノルカ・ソルカぁ? 何でまた……国内じゃないの? しかもこのクソ寒い時期に」
「話すと長いんだが……どうも戦争が関係してるみたいでね」
カムイの話を要約すると、こうだ。
ノルカ・ソルカ南東部、ガラテアに程近い国境地帯には、イカルガ鉱山という大規模な鉱床地帯があったのだが、二次東征の最中、大規模な魔力泉の暴走が起こり、周囲の生物が凶暴化したことで、発掘が不可能となり、長らく放擲された状態が続いていた。
ところが近年、魔力泉の活動に収束が見られたということで、麓の村は鉱山の再開を目指し、ノルカ・ソルカ政府に、鉱山に巣くう魔物の討伐を懇願していたのだが、一向に受け入れてもらえなかった。
というのも、ノルカ・ソルカは戦後間もなく先代騎士王が崩御し、その後国が分裂して、王が空位という混沌状態が長く続いていたためだ。
王が空位という空前絶後の事態は今なお決着がついておらず、第三次東征も、ノルカ・ソルカはおそらく参戦しないであろうという見方が強い。
戦後著しく復興を遂げたガラテアとは対照的に、あの国は未だ敗戦の影を引きずっているのだ。
さて、そんなイカルガ鉱山に目をつけたのが、我等が騎士王陛下こと、ロロ様である。
騎士王は半年ほど前、イカルガの採掘権を売却してもらうよう、ノルカ・ソルカ暫定政府に働きかけた。これは国家財政が逼迫していたノルカ・ソルカとしても願ってもない話だったようで、両国間での交渉は速やかに成立。
条約が調印されるや否や、騎士王は電光石火で派兵を決定。イカルガ鉱山の魔物を掃討し、今回の発掘隊第一陣派遣にこぎ着けたのだという。
「あー、思い出したわ……アンブロワーズが噛み付いてきたヤツでしょ。『これは合意に見せかけた資源争奪、侵略戦争にほかなりませんわ! 騎士王は恥を知るべきですわ!』とかナントカ」
「エスメラルダ家も必死なんだよ。諸侯国連合の中で、騎士王を最も輩出した国としてのプライドがあるんだろう。東洋有数の魔鉱石産出地まで手に入れられて、これ以上、ガラテアの台頭を許す訳にはいかないって警戒されたんだ」
「そんなの、ガラテアからしたら知ったこっちゃないわよね。第一あの国って、戦後ノルカ・ソルカをボロクソに叩いてた筆頭じゃない。その口が今さら、ノルカ・ソルカの味方のような顔して、何を偉そうに言ってるんだか。移り身の早さに、開いた口が塞がらないわ」
「さあね。立場変われば、景色の見え方も変わるからなあ……」
二人の会話を聞きながら、俺はふむと口元に手を当てる。
アンブロワーズのエスメラルダ家といえば、先祖がネウストリア王家の外戚にあたり、東洋随一の名門として名高い一族である。同時に、アツコサンが言ったように、傲岸不遜が服着て歩いてるような連中としても有名なのだ。
長いものには巻かれて、短いものは徹底的にすり潰す――それがエスメラルダ家に伝わる、一子相伝の秘術なのである。
そういや、ロゼッタを旅立つ前に、なんかそんな風に両国が揉めてるニュースを聞いたような気がするな。元々両国は昔から犬猿の仲で有名だから、まーたやってんのかコイツら程度にしか思ってなかったけど……
「それで……カムイはこの話、受けるつもりなのか?」
「いや、断ろうと思う。せっかくの話だけど、発掘はこないだのが最後だ。俺にはやっぱり、アツコサンが一番大事だからね。これから出産に向けて大事な時期に入る。しばらくはずっと、彼女の側にいてあげたいんだ」
おお……よく面と向かって、そんな台詞さらっと言えるな。これが本当の、大人な対応ってヤツなのか。
思わず俺まで嬉しくなっちゃった! なんでだよ。
「いや、私に構わず行きなさいよ」
チョロい女の俺とは対照的に、アツコサンは淡泊にそう言った。
二秒くらいの沈黙のあと、彼女はため息をついた。
「イカルガといえば、ガラテアじゃ取れない魔鉱石がたっくさん……運が良ければ、今まで見たこともない魔石だって発見できるかもしれない。はっきり言うわ。魔石を仕事にしてる人間で、この話を魅力的だと感じない人間は、もう終わってる――さっさと店畳んで、故郷の田舎でベリー栽培始めた方が性に合ってるわ」
「いや、そういう話じゃ――」
「そうも何もない。私は大丈夫だから。マーガレットさんもいるし、アーちゃんもミィちゃんもいる。それに……あなただって、本心では行きたくて仕方がないんでしょうが」
店のカウンターに腰掛けたアツコサンは、うつむき加減に続けた。
「トルフィンさんの誘いだって、内心行きたくてウズウズしてたの、私は知ってるんだぞ。あなたはお金を理由にずっと断ってたけど、本当は自分に万が一があれば家族がって……それを一番心配してたんでしょ。何年一緒にいると思ってるの。口に出さなくても、それくらい私にもわかるよ」
「……うーん……」
「良い機会だから言っておくけど……私はこれ以上、あなたが家族を理由に、自分の気持ちに蓋を閉めるのをやめてほしいの。ガラテアの女を舐めないでちょうだい。夫の留守番くらいまともにできずに、ガラテアの女が務まるかってんだ……!」
言い切ると、彼女は頬に手を当て、ぷいっと窓の外へ視線を逸らした。
肉料理に添えられた香味野菜のような心境で、二人の行く末を見守っていると、やがてカムイが口を開いた。
「いやダメだな。やっぱり行けない」
カムイが顔を上げる。
自然、アツコサンと視線が重なった。
「だって、初めての子供なんだから。生まれる瞬間には、そりゃ立ち会いたいよ。人生で一度しかないことなんだ。お金にも、俺たちの夢にも替えられるものじゃない……そうだろ?」
「……」
アツコサンは口元をもにょもにょと動かし、何やら反論しようとしていたみたいだが、結局何も言わず、再び窓の外へ視線を逃がした。
個人的には、「俺たち」の夢って言ったのがポイント高かったな。さすがカムイ。モテる男は言葉のキレが違う……
なんだかんだ言いつつ、結局アツコサンも本心では、夫に側にいてほしいのだろう。
やれやれ。
ったく、しゃーねーなー。このアツアツ夫婦め……
「なあカムイ。あんたの代わりに、俺が行くってのはダメか?」
カムイとアツコサンが、ほぼ同時に俺の方を見る。
「代理で俺が行けば、イカルガの状況もわかるし、ギルドにも顔が立つだろう。おまけに、カムイはずっとアツコサンの側にいてやれる。良いことずくめだと思うんだが……どうかな?」
カムイとアツコサンは、無言のまま顔を見合わせる。
カムイは一瞬嬉しそうな表情を浮べたようにも見えたが、すぐに視線を落とす。そして言った。
「ニケ。そう言ってくれるのは非常にありがたいんだが……今回の発掘には、一つ条件があるんだよ」
「条件?」
「ああ。ギルド長の話だと、イカルガ鉱山には、山賊が住み着いてしまったらしくてね」
「山賊だって?」
「ノルカ・ソルカは、戦後政府がほとんど機能しなくなって、治安が急激に悪化したからね……。騎士王が鉱山の魔物を討伐してくれた後の隙を突かれて、タチの悪い連中に占拠されてしまったようで。現に麓の村でも、農作物が奪われるなどの被害が出てるんだと」
「そんなことになってたのか……騎士王はもう、力を貸してくれないのか?」
「開戦が間近に迫っていることもあって、難しいんだと。戦力をこちらに割く余裕がないそうだ」
「むう……そうは言っても、このまま山賊どもに好き勝手させといたら、一体何のために高い金払って鉱山を獲得したのかわからんだろうに」
「ああ。そこは政府としても、歯がゆい事態らしく……ギルド長曰く、昨日政府から呼び出されて、冒険者ギルドなどを活用して自前で戦力を調達し、ギルドで解決を図ってもらえないかと提案されたそうだ。経済的な援助は行うという条件付きでね」
「なるほど、話がつながってきた。急に呼び出された、一番の理由はそこか……で、ギルドはどうするつもりなんだ?」
「引き受けるそうだ」
カムイが即答した。
「このまま山賊を野放しにすると、魔鉱石の密輸が横行するだろう。それは、俺たちの商売にとって大きな損失となる。指をくわえて見過ごす訳にはいかない……それに、ここだけの話だけど、陛下はイカルガ鉱山の運用管理を、石工ギルドに任せる方向で考えてるらしくてね。ギルドとしても、これは有り難い話ではあるから……中々強く反発できない事情もあって。うん……」
カムイはお茶を濁すような言い方をしたが、要は背景に政治的な駆け引きがあるということなんだろう。
ふむ。やりおるな騎士王……いつの間にやら相手の問題にすり替えてしまう手腕は流石というか。若いのに老獪とか、おじさんホント意味わかんないよ……
「要するに発掘に参加したい者は、それぞれ自前で戦力を調達してこいと。それが今日の会議での、ギルド長からのオーダーか」
「ああ。大体そんなとこだ」
「なら、ニケは打ってつけじゃない? 魔石の知識はあるし、発掘の経験だって積んだ。おまけに自分の身も自分で守れる。この仕事にピッタリな人材よ」
クスッと笑って、アツコサンが言った。
「だって、二等級の冒険者なんでしょ? ましてドラゴンを討伐したことある冒険者なんて、そうそういないわよ!」
あっ、と思った。
案の定、カムイは寝耳に水と言った顔をしていた。
「え……ええ?! ニケ、君はそんなに凄い人だったのかい?」
「あ、いや……隠してた訳じゃないんだけど。はい」
「二等級の冒険者だとは知ってたけど……俺はてっきり、君は知的分野や文化的な功績で、昇級が認められたタイプの冒険者だと思ってたから。まさか、そんな凄い達人がウチの案件を引き受けてくれてたなんて……恐縮だよ」
すんません。戦士も真っ青の、ゴリゴリ脳筋ルートで昇級してます。
しかも五階級特進してます。
ちなみにアツコサンがドラゴン討伐のことを知っているのは、二人だけの時に、俺がイキリ散らしてベラベラ語ったからである。
正直に申し上げますと、女性に褒められたかったんだ!
それがたとえ、人妻であっても褒められたかったんだ!!
それの何が悪いんだ!!!
「トランシルヴェスタの悪竜退治に一役買った、すごーい魔法使いなんだから。ね? ニケ」
「運がよかっただけですよ。ハハッ」
「そうか。じゃあ……すまないニケ。ここは一つ、君の好意に甘えさせてもらっていいだろうか? もちろん、この分の報酬は上乗せさせてほしい」
カムイはすっと立ち上がるや、俺の手を握り、いつになく真摯な眼差しでそう告げた。
むろん、俺としても断る理由はない。
「承知しました。俺に任せてくださいよ」