仕事が終わり、街の定食屋で夕食を済ませ、宿のベッドでゴロゴロしてからしばし。
二十二時を過ぎたころ、夜な夜な公衆浴場へと繰り出すのが、カトブレスに来てからの、俺のルーティンとなっていた。
こんな時間だと、すでに閉店している公衆浴場も多いのだが、水商売が多いエリアなんかだと、夜遅くに仕事を終えた人たち向けに、
つまり二十二時という時間帯は、一般の客はとうに利用を終え、水商売の人たちが来るには早すぎるという、海で言うところの、凪の時間帯なのだ。
したがって、混雑を避け、風呂を独り占めできる可能性が極めて高い。
もはや顔なじみになった番頭に挨拶がてら、お金を払う。
相場に比べると料金は高めだが、ここの風呂屋の売りは、なんといっても露天風呂だ。小高い丘の上に位置しているということもあって、カトブレスの夜景がこれまた綺麗でねえ……
のれんをくぐり、更衣室に向かうと、誰もいなかった。いつもは一人二人客がいるのだが、ラッキーなことに今日は俺一人だけらしい。
テンションマックスと化した俺は、すぽぽぽーんと服を脱ぐと、いち早く浴場へダッシュ。飛び込むようにして風呂に入ると、しばし潜水のち浮上。
キンタマ丸出し、生まれたままの姿で、大空に向かってガッツポーズするという奇行に及んだ。
ウヒョー! これぞお一人様の特権よ!
空は青白く、半月が浮かんでいた。辺りには小雪が舞っており、海の方角から微かにさざ波の音色が伝う。
桶には自前の熱燗(中身はレモンベースのホットウオッカ)を配備、ぷかぷかと温泉の熱で温めるという粋なスタイル。
雪・月・酒。
欲を言えば、隣で身を預けてくれる大人のお姉さんがいれば、何も言うことはなかったのだが……
熱燗を一口飲み、身体は熱すれど、心は一向に温まりそうになく、その対比にどうしようもない虚しさを覚えたので、肩までどっぷり風呂に浸かることにした。
くゥ~、最高です!
温泉ってのは、たまらんぜ……日々の疲れを洗い流してくれるパワーがありますよパワーが。
アルルにて、温泉というものをしてみんとてするなりした結果、すっかり熱烈な温泉信者と化していた俺なのであった。
冬の星空をぼけーっと眺めながら、しんみりと今までの旅路を振り返ってみる。
色々あったが、まあ何とか西方への入口まで来ることができたのは及第点だな。
結果として、ノルカ・ソルカに寄り道することにはなったが、こういう機会でもなければ、あんな最北の辺境に行くことはまずないだろうし……
イカルガ鉱山にも、興味はあった。
というのも、今回の発掘でハイスペックな魔石をゲットし、新たな魔導具を導入できれば――という気持ちがあったのだ。身も蓋もなく言うと、そういう打算があったからこそ、俺はカムイの代理を名乗り出た。
現在、俺の所有している魔導具は、母さんの形見でもある指輪のみ。
個人的には、魔導具を何個もチャラチャラつけて、ウホウホご加護マンと化している魔法使いは「煩悩まみれの欲しがりクソ野郎」と内心バカにしまくってきたのだが、盛者必衰の理があらわされた結果、そうも言ってられなくなってきた。
魔石の加護だろうが何だろうが、出涸らしは出涸らしらしく、すがれるものは何でもすがっていかないと、正直この先やっていける自信がない。
まあ二つくらいなら、別にいいよな……
欲張って魔導具を装備しすぎると、加護が競合して打ち消し合ったり、逆にマイナスの効果を及ぼすって聞いたことあるから、現実問題、メイン1・サブ1くらいが妥当な選択肢なようには思う――
身体もだいぶ温まってきたので、岩場に腰掛け、足だけ湯船に漬ける足湯スタイルへと切り替える。その時だった。
女子の声がした。
衝立の向こう、女湯のエリアから、明らかに若い
「……た~! 独り占め……るじゃん!」
「…………ことか?」
どうやら二人組らしい。その後も何やら喋っていたが、はっきりとは聞き取れなかった。
ふむ……どれ、少し近づいてみるとするかのう……
「私夢だったんだ~♪ こういうの」
「普段…………が言うことか?」
「いいじゃん別に。最初で最後かもしれないんだから」
「……でもない……」
「ねえねえ、せっかく故郷に帰ってきたんだからさ」
「ガラテアは故郷じゃねえ」
「寂しいこと言わないでよ。同じ北方人のよしみじゃん」
「ハハハ……明暗分かれたけどな。……のせいで」
「…………のせいかなあ?」
「さあね。……というと自滅だろありゃ。…………だと、そりゃ見限る人間も出てくるわ」
「……みたいに?」
「……ノーコメントで」
「ねえ。おっぱい触っていい?」
「脈絡なさすぎじゃない?」
「うわ。おっきい~!」
「おいコラちょっと……やめなさいっての」
女性の傍らの方は、声のトーンが低いこともあり、やや聞き取りづらい。しかしそんなことより……パイオツカイデー、だと?
ふむ。アリィちゃんか。これはちと、調査する必要がありますね……
「いいな。女として勝てる要素が一つもない」
「それは嫌味で言ってるのかな?」
「まさか。私も貴方のように、あるがままに生きたいんだよ」
「十分楽しんで生きてるように見えるけどな。私より」
「フフフ。わかってないなあ……乙女心が」
「それを言うなら……って。ん? ちょっと」
「何……モゴモゴ」
「衝立の向こう……妙な気配がする」
ピクリと俺は耳をそば立てる。
まずい……魔力を察知されたか? いかん、ひとまずここは戦略的撤退――
いち早く更衣室へ退散しようと思ったそのとき、ドゴォ!! と強烈な音がして、目の前の衝立が粉々に砕け散った。
同時に、「どえー! ちょいちょいちょい!」というトーンの高い方の女性の声がこだまする。
……は?
「人がくつろいでる時に襲撃たァ、いい根性してるわねえ。どこの回し者だ……って、あ?」
目を疑った。
バレッタで束ねられた蒼く銀色にも近い美しい髪に、タオル越しにもはっきり主張してくる胸部の双丘。
今や勇者の仲間となった女神官アリシアが、そこにはいた。
「へ……どうしてアンタが、こんなとこに……」
「あ、ハイ。どうも……ご無沙汰してます」
お互い三秒くらい硬直したのち、アリシアは軽くため息をついた。俺の貧相なキンタマにガッカリしたのだろうか。
そんな邪推を察したのか否か、彼女はゴキッと指を鳴らす。
「まぁアレだ……とりあえずくたばっとけ」
間断許さず、手刀らしきものが振り落とされ、俺の意識はそこで途絶えた。
*
虚ろな視界の先に、ぼんやり明かりが灯る。
見知らぬ天井――ではなかった。ここはおそらく……風呂屋の更衣室か?
「目ェ覚めたか」
声がした方へ顔を向けると、アリシアがいた。
ロッキングチェアーに腰掛け、肘当てに頬杖をついている。すでに浴衣に着替え、長い髪を無造作に下ろしていた。
俺はおもむろに上半身を起こし、そこでようやく、下半身にタオルがかけられていたことに気付く。つまりタオルを取れば、俺は全裸である。
俺はすっと、アリシアに視線を戻した。
「……お前、見たのか?」
「あ?」
「そうか、見たのか……アリィのエッチ! ヘンタイ!! ドスケベ!!!」
「はあああ?!」
アリシアはいきり立って席を立つも、俺がタオルで顔を覆い、股間を丸出しにした状態で悲しみに打ちひしがれていたので、慌てて視線を外した。
「あーもう、目覚ましたんならさっさと着替えなさいよ。調子狂うな……」
「ひどい。あんなことしといて、私とはやっぱりその場限りの――」
「いいからさっさと着替えんなさいよ!」
さすがにこれ以上やると、いい加減マジでぶっ飛ばされるなと思ったので、大人しく着替えることにした。
「そもそもなんだが……お前何でここにいるの?」
「そりゃこっちの台詞だっつーに」
「俺はまあ、色々あって陸路をエッチラホッチラ、はるばるやって来たんだよ」
「ルナティアからカトブレスまで船出てんじゃん。乗れよ」
「君たちみたいな特権階級と一緒にしないでくれる? しがない庶民は、せいぜいアルルまでの三等客室の運賃しか払えんのだよ」
「……どこまでも遠回りが好きなのね」
「それよりお前、クロノアの仲間に選ばれたんだって?」
「よくご存じで」
「いやー、僕も鼻が高いですわ。なんたって次世代を担う英雄にグーで殴られたんですからね。一生の思い出です。トラヴィスさんは元気ですか? その節は大変お世話になりましたとお伝えください。君の気配りには、心底感謝していますとね」
「……うぜぇ」
「アリィ」
「誰がアリィじゃ」
「お友達はどうした? ツレがいただろ」
「ああ……アイツは別に――」
とかなんとか言ってるうちに、のれんの向こうから声がした。
「おーい、アリィ~! ニケくん目覚ました~? こっちは番頭さんにちゃんと話して、今日はもうお店閉めてもらうことにしたから~。アリィも後でちゃんとこっち来て、謝るんですよ~!」
俺とアリシアは無言のまま、一瞬だけ目を合わせた。
「オカンみたいな友達だな」
「ありゃ半分面白がってんのよ。どうにも腹の底が読めんヤツでね」
「ちなみに謝るってのは、お前が衝立を壊した件のことだと思うが、お前はその前にまず俺に謝るべきだと強く思うな。ただ風呂に入っていただけの善良な一般人を襲うなんて、貴様それでも正義の味方か」
「聞き耳立ててたスケベが何言ってんのよ。衝立越しにも、邪気が伝わってきたっつーに」
「邪気? 男気と言ってくれないかね」
「死ね」
言い残すや、アリシアはスタスタとのれんの向こうへと消えていった。
俺はやれやれと嘆息し、やれやれと荷物をまとめて、やれやれとタオルを首にかけ、やれやれと歩き出す。
やれやれ。
のれんをくぐり、待合室に出ると、右手の方から、「いいのよそんな気にしなくて」、「いえ申し訳ありませんでした。全力で弁償させてください」との話し声が聞こえてきた。アリシアと番頭の女将だろう。
アイツ、人にちゃんと謝るとかできたんだな……
ふと左手の方へ視線を向けると、ロッキングチェアーでぐらぐら揺れてる女の子と目が合った。
彼女が口を丸くする。
「お」
肩に流れる程度の、ピンク色のふわふわクルクルヘアー。くりくりのパッチリしたお目々に、テカテカしたカラフルな付け爪。
熱いのか、わざとやってるんだかよくわからん着崩した浴衣に、膝の上で組まれた美しいおみ足。
「お~! 君がウワサのニケくん? ははっ、本当にクルクルじゃん。私と一緒~♪ ウケるんだけど~」
赤い実がはじけたように、彼女はケラケラ笑っていた。俺は両目を細める。
「……クルクル?」
「髪の毛。私も君と一緒で癖っ毛なんだよね~。これよく勘違いされるんだけど、生まれつきなんだよ。巻きたくて巻いてる訳じゃないんだよ」
「へぇ、なるほど……」
女の子は指先でクルクルと、肩にかかる髪の毛をいじっていた。
陰に生きる者特有のスキル、何の発展性もない同意と、「なるほど」感がこれっぽっちもない「なるほど」の二連コンボがオートで発動し、またぞろ初見の者を無慈悲に斬り伏せてしまうが、彼女は全く意に介していないようだった。
此奴……中々の実力者とお見受けした。
少し視線を外すと、壁に立てかけられている剣が目に入った。
刀身が納められた鞘は、何と言うかこう……光り物がちりばめられてデコられて、「きゅぴきゅぴルンル~ン♪」していた。
むぅ……さすがにここまで揃えられると
まあ、アリシアがあそこまで過度に警戒していた時点で、何となく察しはしていたが……
壁際の長椅子に腰掛け、この店のサービスでもある霊泉場から汲み上げられたキンキンに冷えた水、略してキンキン水をごくりと飲んでから、俺は言った。
「あなた、騎士王ですよね?」
「よくわかったね~。いかにも! 余がアヴァロニア第二十六代目騎士王である! 以後お見知りおきを~♪」
ビシッと、脇を閉じて二本の指をこめかみに当てる大陸式の敬礼。
俺は思った。
軽っ。
めっちゃ軽っ!
「王様が、こんな所にいていいんですか?」
「いいんじゃない? ある意味最強の護衛もいるし、別に減るモンでもなし……って、あ! そのタオル!」
彼女は椅子から乗り出すと、俺の首にかけたタオルをがしっと掴んだ。
例のモヒーニキから買った(買わされた)、可愛らしいコウモリのイラストが入ったタオルである。
公演が終わってから、身体ふきふき風呂用タオルとして使い回していたのだ。
ちなみにモヒーニキにそれを言うと、「お前はそのタオルを何だと思ってるんだ」と小一時間説教を食らった。タオルを純粋にタオルとして使ってるだけなのに、僕のどこに落ち度があるんですかね……
「私のヤツじゃん! どこで手に入れたの? なになにニケくんってば、私のファンだったりするの?」
「これはその、こないだカトブレス劇場に行ったときに買って……」
「え? うそ、最終公演見に来てくれてたの?」
「あ、はい……綺麗な歌声で。すごくよかったです。めちゃくちゃ感動しました」
「ホント~? やだ、超嬉しいんだけど~♪」
そう言って、俺の肩を揺すぶってくる騎士王。
グイグイ来るなコイツ……おかげで着崩した浴衣の合間から覗く、胸の谷間が気になって、オラ全然会話に集中できねぇぞ……
あと笑ったときに見える八重歯が可愛い。
「今日はまた、あの時とだいぶ雰囲気が違うんですね……」
「そりゃそうじゃん。あの時は外向け、今は内向けっていうか」
「アリシアみたいな?」
「うーん。アリィほどスイッチが極端っていうか、ゼロか百しかない人は珍しいと思うけど……女の子は、大体みんなそうなんじゃないかな。相手や状況によって、いくつものペルソナを使い分けているのだよ」
「そういうの、辛くないっすか? 俺だったら疲れて、一年後に自分探しの旅に出ますね」
「もう出てんじゃん! ウケる~」
「ハハッ。確かに出てたわ」
なんか知らんが、会話が盛り上がってしまった。
上手く立ち回ったと言うよりは、上手く転がされたようなこの高揚感……やりおるわ。
騎士王はロッキングチェアーから立ち上がり、俺のすぐ隣に座った。そして両膝を組む。
近いよ。あと何で俺の手に手を重ねてくるの。おじさんをからかうのもいい加減にしなさい。
彼女は下から覗き込むようにして、俺の目を見た。
「ねえ、ニケくんはアリィとどういう関係なの? 色んな人から聞いた話だと、普通の知り合いってカンジではないよね~」
「普通とは? まずはその定義を教えていただきたい」
「しらばっくれないで。ずっと気になってたんだから」
「アリシアに聞けばいいでしょう」
「聞いても教えてくれないんだもん」
「そりゃそうですよ。話したくもないんじゃないかな」
「なんで?」
「まあその、ロゼッタにいた頃に色々……最悪な別れ方をしたもんで、まだお互い腹の底に気まずさがあるというか……」
「……」
騎士王は俺から身体を離し、うつむき加減に正面に向き直った。それから、ピンと人差し指を立てる。
「なるほど。つまり二人は付き合ってたんだね」