ドロシーだった。
ロゼッタで御前試合を見ていた者なら、必ずわかる……あれはどう見てもドロシーだ。俺の妄想が生み出したドッペルゲンガーなどではない。
竜退治の折に、女魔術士テレサから又聞きした情報だと、ドロシーはクラインから登録を抹消し、理由も告げずに突然姿を消したとされている。
個人的には、音楽性の違いによる勇者一行との決別が原因と睨んでいるが、真相は不明である。
ていうか……
何でここにいるの?
今頃勇者の隣で、天才魔法少女として惜しみない声援を受けていたはずであろう彼女が、何が楽しくて、こんなむさ苦しいドワーフまみれの鉱山発掘ツアーに交じっているのか。
俺と同じで西方に用があり、金策に困っているのかなとか、安定を捨ててまで叶えたい夢があったのね、とどのつまりはやはり音楽性……などと色々考えてみたが、結局納得できる理由は見つからなかった。
違和感は拭えない。
本来混ざるべきでない色が、そこに混ざっているかのようなアンバランス。
幸い、発掘隊の愉快な仲間たちの中で、俺以外に彼女が「あのドロシー」だと気付いている者はいないようだから(身元を明かしていないのは元より、素性がほとんど知られていなかったことも関係しているのだろう)、俺もこれ見よがしに、「ウホッ……ロゼッタのドロシーさんですよね? 僕ファンなんです。前から応援してて……ウホッ」と訊くのは控えることにした。
いっそ話しかけるなら、周囲の邪魔が入らない二人の時に限る。
別にやましい下心や、あわよくばワンチャン期待の願望ある訳じゃなく、いやそれもないことはないこともなくなくないが、真面目な話、一人の魔法使いとして、彼女が魔法に対してどういう哲学を備えているのか、純粋に興味があるのだ。
よくよく我が半生を振り返ってみれば、お互い腹を割って、朝まで魔法談義ができるような相手は、師匠くらいしかいなかったからな……
学生時代は、よくも悪くも浮いてたし。あとは大体、本の中の故人が友達でした。
「生きている魔術士の言うことなんぞ信用できるか。死してなお生きている魔術士の言葉にこそ、魂が宿るのだ」とか本気で思ってました。人はそれを黒歴史と言う。
ここで会ったのも何かの縁、「よーし! ドロシーと仲良くなっちゃうぞ!」と意気込む俺だったが……
イカルガへ辿り着くまでの間、俺とドロシーは一言も言葉を交わさなかった!!
一言も言葉を交わさなかった!!!
交わさなかった!!!!
これについては、ちょっと言い訳させてほしい。
確かに俺がチキンで、終始モジモジしてはチャンスを逃した節はある。しかしそれ以上に、他のメンバーが俺に興味持ち過ぎだった。
端的に言うと、俺がモテないのはどう考えてもドワーフのオッサンどもが悪い。
お前ら、俺が休みの日何してるとか、そんなんどうでもいいだろ。ずっと一人だよ。何か文句あるか。
いやまあ、コイツらの前では、ドラゴンを一人で退治した魔術士で話が通ってる以上、物珍しさや、親しくなりたいと思う気持ちが勝るのはわかる。わかるけどさあ……
俺が親しくしたいのは、ドロシーなんだよおおお……!
頼むから一人にさせてくれよおおお……!
ちなみに「ロゼッタの魔法アカデミー出身? その割にはあまり聞いたことない名前だな」等、過去について聞かれた時は、「膝に矢を受けてしまってな……しばらくは表舞台に出ず、研究に勤しんでいたんだ」と適当に答えて、その場をしのいでいた。
正確に言うと、矢を受けたのは膝じゃなくて心の方ですけどね。おかげで誰も触れることのできないハリネズミの完成ですよ。ええ。
I am the bone of my pain.
一方、ドロシーもドロシーで、数少ない女性のドワーフたちと会話する機会を除けば、積極的にメンバーと交わる気が一切合切金輪際ないご様子。
こりゃ完全にビジネスと割り切ってますね……あちゃー。どうしたもんか……
さてさて、そんな俺の気持ちとは裏腹に、旅路は至って順調。
ノリノリンスキー街道を北に三日ほど進み、イカルガ鉱山の麓の小さな村に到着した俺たちだったが……
一つ、困ったことが起きた。
宿のベッドが足らない。
田舎の宿屋のキャパシティでは、雑魚寝上等のタコ部屋体制を強いても、それでも何人かはあぶれる計算になってしまう。
宿屋の姉ちゃんには「こんなに来るとは思ってなかった」と言われてしまった。
そりゃそうだ。道中にあった、街道沿いの宿場町は、上手い具合に部屋を確保できていたのだが……
「ガハハ! 言われてみれば盲点だったな。どうするニケ?」
トルフィンが呵々大笑して、そう言った。
この様子だと、今まで宿が確保できていたのは、事前にちゃんと下調べしていたとかじゃなく、ただの偶然くさいな……
ドワーフの大雑把さは音に聞こえた話で、なぜこんな性格の連中からあれほど繊細な工芸が生み出されるのかは、世界七不思議の一つだと個人的に思っている。まあそれはともかく、どうして俺に意見を求めてくるのか。
「解散! ほなまた!」が本音なのだが、ひとまず数少ない女子組を優先して部屋に割り振ることとし、結果あぶれた野郎ども数名を、一時的にかくまってくれる善良な村人はいないか交渉してみた。
すると、
「あーん、大勢で押しかけなきゃ大丈夫だと思うな。ひーふーみー……武器屋に薬屋に、ローウェルさん家に頼めば、まあなんとかなるか」
「すみません……お手数お掛けして面目ない」
「いやいや。いくら二月の厳寒期は過ぎたって言っても、この土地でこの時期に野営しろとは言えないでしょ……鉱山が栄えてた頃は、ウチ以外にもたくさん宿屋はあったんだけどねー……。あなた、発掘隊の代表者?」
宿屋の姉ちゃんにそう言われて、俺はトルフィンの方を見る。トルフィンは「さっさと酒飲んで暖まろうぜ! グハハ!」と仲間と騒いでいた。
おっさん……
「じゃあ……ニケだっけ? 貴方がローウェルさん家でお願いね。アレでも一応、村一番の有名人だから。仲良くしといて損はないわよ」
「有名人?」
「うん。拳闘士のおじいちゃんがいて……ローウェル流って聞いたことない? 北国じゃ結構名うての流派なんだけど」
知らん。
剣術と同じく、武術も死ぬほど興味がないので、名うてと言われても、全くピンと来ない。
とはいえ、これも何かの縁。
それなりに名の通った人間なら、むしろ安心できるだろうと思い、その場は快く引き受けることにした俺だったが……
数日もせぬ間に、その判断は大いに間違っていたと思い知らされることになる。
*
薄暗い黎明の空を、鳥の群れが列をなして飛んでいく。朝日が山脈の稜線をオレンジ色に染め上げ、山奥の村に夜明けが訪れた。
ここは、イカルガの村。
村の中心にある楼閣の大広間で、俺は座禅を組んでいた。
氷のように冷え切った木目調の床。凜とした空気が伸ばした糸のように張り詰め、軒先に連なった氷柱から、一滴の雫がこぼれ落ちる。
何故俺が朝っぱらからこんなことをしているかというと、恥の多い人生を悔い改め、ついぞまっとうな生き方を志すようになったからではない。
ハメられたのだ。とあるジジイに。
「きえええーーーーっ!!」
静寂を破り、俺の脳天に強烈な一撃が走った。
「集中が足らん! 雑念が交じっておるぞ!!」
しゃがれた男の声。
うっすらとまぶたを開くと、片手にヒノキの棒を持ち、北国特有のルバシカというプルオーバーの衣服を身に纏った老人の姿があった。
「何だその目は……返事はどうした返事はァ!」
うるせぇなと俺は思う。俺に雑念が交じってるかどうか、何でアンタにわかるんだよ。確かに余計なこと考えてたけどさ――
「うつけものォ!!」
ビシィ!! っと、痛恨の一撃が俺の右肩を襲う。
ああん……!
「集中しろ集中! わかったらもう一度やれェ!!」
俺はやれやれと観念し、目を瞑って、大きく深呼吸した。
「押忍!!」
朝の冷たく、凜とした空気の道場に、俺の声が染み渡る。
やがて、ペチペチとヒノキの棒を手で叩く音が伝った。
「うむ。やればできるではないか……心を無にすることは、何事においても重要だ。お前もようやく、その意味を理解し始めたか」
ブツブツ言って、老人は俺から離れていく。中身は所詮ジジイの小言なので、まともに聞いてない。
えーと、どこまで話したっけ? 確かジジイにハメられたとこまでか。
あの老人の名前は、ロイド・ローウェル。この村で隠居生活を送る、齢七十前後のじいさんだ。
宿屋の姉ちゃんから聞いたところによると、若い頃は高名な拳闘士として名を馳せたらしく、指一本で野生のクマを倒したこともあるとかなんとか。
さらに十年前の二次東征においては、すでに六十近い年齢ではあったものの、一度の会戦で三百以上の魔物を撃破する武功を上げたらしく、あのローランをもってして、「万夫不当の勇、一騎当千の豪傑。戦場の修羅とは、まさしく彼のことだ」とまで言わしめたそうな。
果たしてどこまでが本当でどこまでが嘘かはよくわからないが(噂とは往々にしてそういうものだ)、そういう生ける伝説みたいなジジイがいるのなら、一度会っておいても損はなかろうと、期待を膨らませたのが、そもそもの間違いだった。
「ローウェルさん家に確認したら、是非にってさ。ただ一応、おじいちゃんに挨拶しといてって。さっきも話したロイドさんのことね。薪割りの日課終えたら、いっつもお堂でブツブツ言いながら掃除してるから。すぐわかると思うよ」
宿屋の姉ちゃんのサッパリした物言いに、俺の目が細くなる。
なんだこの、近所のボケたジジイみたいな扱いは……生ける伝説にしては、扱い軽すぎないか。「ロイド様は、今日もお堂で禊の儀式に励んでおりまする」みたいなさァ……もうちょい言い方ってあると思うんだよね。
一抹の不安を抱きつつ、俺はそのお堂とやらに向かった。
いた。
奴がいた。
濃紺のルバシカに、毛皮のウシャンカ、右手にはシャベル。
老齢ながらがっしりとした体躯、顔や身体の一部に見える古傷は、これまで数々の修羅場をくぐり抜けてきたことを窺わせた。
「ん? なんじゃお前。見ない顔だな……」
生ける伝説が俺をまっすぐ見る。見るというより、射貫くに近い。
その鋭い眼光に、「これぞレジェンドのなせる威圧感か」と一瞬たじろぎそうになったが、すぐに
簡単な自己紹介から、発掘隊の一員としてこの村にやってきたこと、しばらくこの家でお世話になりたいこと……さらには天下に武名が轟いているおじいさんのことも個人的に興味があり、この機会に是非お話を聞かせてほしいと、お世辞を塗りたくるのも忘れなかった。
生ける伝説は、俺の話をロクにうなずきもせず、突っ立ったまま聞いていた。
十秒くらいの沈黙を経て、彼がようやく口を開いた。
「なるほどな……つまりお前、ワシに弟子入りしたいということか」
なんでやねん。
あとは大体お察しのとおりだ。
いや、何をどういう風に解釈したら、俺の説明が「あなたに弟子入りしたい」に発展したのかは、俺だってよくわからないし、おそらく永遠に明かされることのない謎だが、ローウェル家に転がり込むことになったその日から、早速座禅に組手と修行の日々が始まった。
さらに不幸なことに、弟子入りした翌日、イカルガの鉱山一帯が、三月では珍しいほどの猛烈な吹雪に見舞われ、呑気に山登りなんかしてる状況ではなくなってしまった。
村の最長老、雲の動きと空気の匂いで天気が読めるという薬屋のロジーナさん曰く、
「氷の精霊さんの最後の抵抗やね。数年に一回あるんじゃよ。こっから一気に温かくなるんじゃけど、雪崩が心配やねえ。鉱山の辺は、昔からようけ雪崩が起きる場所じゃけぇ。しばらくは様子見た方がええ思うで。急いてもロクなことにゃあならん」とのことであった。
最悪である。
「きええええーーーーーーっ!!」
奇声と共にヒノキの棒が後背に打ち付けられ、頭の中が真っ白になる。
「雑念が交じっておると、何度言えばわかる……ニケ」
「すみません……集中が足りていなかったようです」
「うむ。精進せえよ」
含蓄めいた口調で物申すと、ジジイは何を思ったのか不意に衣服の上半分を脱ぎ、縁側の戸を開いて庭先に降り立った。
ヒノキの棒を投げ捨て、腰を落として深く呼吸。そして大喝一声、虚空に向かって正拳突きを繰り出す。
「はあッ! せいッ! そいやァ!!」
肌を刺すような、冷たい冬の朝。半裸のジジイの馬鹿でかい声が、静寂の空に響き渡る。
もう、訳がわからない。
余りにも意味不明なので、俺は俺で一人変顔を作って、暇つぶしに興じることにした。
最近、真面目な雰囲気の中で、「いかに相手に気付かれずに変顔を浮かべることができるか」というミッションが、自分の中のブームになっている。
ここだけの話だが、カムイや騎士王と話してる時も、隙を見ては密かにやってた。悪いとは思ってる。
不意に、道場の入口の戸が開く。小さな男の子がひょっこり顔を覗かせ、にんまり笑ってジジイ譲りのデカい声を発した。
「じいちゃん! 兄ちゃん! ご飯できたよ!!」