勇者にはなれない   作:高円寺南口

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45 誰がために雪は舞う

 翌日、俺はジジイと親父さんに連れられ、ドロシーと共に、自警団の詰所に向かった。

 村の最長老、薬屋のロジーナさんから「そろそろいけるやろ」のお墨付きをいただいたので、満を持しての作戦会議である。

 

 といっても、別に話すことはない。

 考えたらわかると思うが、俺とドロシーが鉱山に乗り込んで、派手に暴れて大立ち回りのチョチョイのチョイ☆なので、作戦もクソもない。

 なので、作戦会議という名の、事実上の激励会が催されることになった。

 

「ハァ~~~~~ドッコイショオ! ドッコイショオ!(ドッコイショオ!×2)
ア~~~~~ソーランソーラン!(ソーラン!×2)」

 

 瞳に映るは、七人の屈強な北の男達。

 上半身裸の彼等は己の鍛えた筋肉を躍動させ、低姿勢から左右に身体を大きく動かし、息の合ったキレの良い舞を見せる。見せつけてくる。

 

「エンヤァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ヤーレンソーランソーランソーランソーランソーランソーラン(ハイ!×2)」

 

 俺は上座の椅子に座らされて、じっと彼等の踊りを見ていた。

 

 つらい……

 

 顔面には精一杯、「無茶しやがって……でもありがとな」みたいな表情を貼り付けていたが、そろそろ限界である。

 一体何が楽しくて、オッサンどもの血湧き肉躍る、雄々しい民俗舞踊を観賞せねばならんのか。

 

 しかしこのオッサンども、ここまで元気があるなら、もう自分たちで山賊退治できるんでは……農作業で鍛えた筋肉は勇ましく、滴る汗は男の勲章。グーで殴られたら、軽く5メルトは吹き飛ぶ自信がある。

 山賊がこの村を襲わず、夜な夜な盗みを働く程度に留まっているのは、村人の逞しさにビビっているからなのでは……割とマジでそう思うよ。

 

「ニケ……どうだった、俺たちの踊り」

 

 親父さんが呼吸を乱しながら、いつになく真剣な眼差しでそう言うから、俺は思わず胸キュン……じゃなかった、真面目に答えることにした。

 

「いやハイ、よかったですよホント! これぞ北国の男って感じでしたよ!」

「そうか……じゃあもう一つあるから、見ていってくれ」

「え?」

 

 するとオッサンどもが再びフォーメーションを組み、猛り始めた。

 

[フレ~ッ…………フレ~ッ…………ニーケ。フレ~ッ…………フレ~ッ…………二~ケ。

フレッフレッニーケ! フレッフレッニーケ! フレ~~~~~ッ!!」

 

 俺は目を細め、満面の笑みを浮かべた。

 

 つらい……

 

 ふと、遠くの方へ視線を外すと、お袋さんとドロシーが談笑している姿が目に映った。モグモグメシ食ってるドロシーの隣で、うふふとお袋さんが笑っている。ドワーフの女子組も混ざって、女子会絶賛開催中の模様だ。

 いいなァ、そっちは楽しそうで……

 

「ニケェ!! いよいよだなァ、期待してるぜ大将! いよっ、男前!!」

 

 オッサンどもの余興が終わると、待ちわびたとばかりに、トルフィンにバシバシ肩を叩かれる。さらに他のドワーフ連中も便乗して、俺の頭だの背中だのケツだのを嬉しそうにベシベシ叩く。痛っ、ちょい痛いってば……

 クッソ~! どうしていつも、俺の周りは野郎ばかりなんだよおおお……

 

「それでは皆さんご注目ゥ~~~~! 酒の準備はよろしいですかな? これからいよいよ山賊退治に向かう、ニケとドロシーの前途を祈念いたしましてェ~~~~! 乾杯ッ!!!」

 

 トルフィンの音頭を合図に、村人や発掘隊の面々が、あちこちで盃を交わす。俺はもみくちゃにされた後、胴上げされるという手荒な祝福を受ける運びとなった。

 どうせなら俺のオハコである全身飲みを披露したいところだったが、そんなアホなことをして風邪でも引いたら、ドロシーにポカリ☆と頭を叩かれそうなのでやめておいた。

 

 宴たけなわにして、夜深し。

 

 空になった盃が目立ち、いつの間にやらすっかり日も暮れた。

 妙に気疲れしたので、便所がてら外の空気でも吸ってくるかと思った矢先、派手にグラスが割れる音がした。

 

 間髪入れず、部屋の片隅から威勢のいい男の声が響く。

 

「ふざけんじゃねえ! お前みたいな小娘に、山賊を倒せる訳がねえだろうが!!」

 

 振り向いた視線の先、五十代前後の、中老の男の姿が目に映る。

 あれは……刀工のオヤジか? 名は確か、モーリスといったはず。

 

「あのうさん臭いモジャ頭の魔術士といい、このガキといい……なあ、みんな。本当にこいつらに任せて大丈夫なのか? 俺は正直信用ならねェ……大体人間のくせに、黒魔術に手を出す奴なんか、ロクなモンじゃない。みんな、頼むから冷静になろうぜ!」

 

 うさん臭いモジャ頭って俺のことか? 前後の経緯はわからんが、とりあえず冷静になるのはお前の方だよ。 

 はて、と思い、俺は向かいに立つ人物を見る。やはりというか、そこには彼女がいた。

 

「はあ? 冷静になるのはアンタの方でしょ」

 

 ドロシーが言った。

 

「勝手な思い込みでベラベラベラベラ……ずいぶんと想像力が豊かなのね。使い方は甚だ間違っているようだけれど」

「ああ?! なんだと!」

「私は自分自身の実力に嘘はつかないわ。そこまで言うなら、自分の身体で確かめてみる? あなた、ずいぶんと物わかりが悪いようだから」

 

 剣呑とした空気が流れる。トルフィンと愉快な仲間たちも、さすがにこの時ばかりは黙っていた。俺は目を糸のように細め、ポリポリと鼻の頭を掻く。

 

 あちゃー……やっちまいましたね、ドロシーさん……

 

 モーリスの些細な小言をきっかけに、ムッとしたドロシーが言い返して、徐々にエスカレートして……大体そんなとこだろうか。

 諸君はお忘れかもしれないが、ドロシーさんは基本的に「やられたらやり返す、倍返しだ」のカウンター型ではなく、「やられる前に殺る、ぶっ殺す」の前陣速攻型なのだ。ソースは御前試合。

 

 アホだなアイツも。酔っ払いの戯れ言なんざ、適当に聞き逃しときゃいいのに……

 

「もう我慢ならん! 一度痛い目にあわせてやる!!」

 

 そう叫んで、モーリスが拳を掲げた、その時だった。何者かが彼の腕を素早く掴み取る。

 

 俺だ。

 

 クールな俺が、最高にスタイリッシュに参上――と言いたいところだが、ごめん嘘。実際に腕を掴んだのは俺じゃない。

 俺は椅子に座ったまま、小指でハナクソをほじっていた。

 

「モーリス、もうやめておけ。それにドロシー、お主も矛を収めよ」

 

 ジジイの一言に、聴衆がハッとして息を呑む。

 ドロシーは唇を固く結んだまま、一方のモーリスは、掴まれた腕を振り払おうとしていきり立つ。

 

「離してくれロイド! 邪魔すんじゃねえ!」

「落ち着け。お前では彼女に近づくことすらできん」

 

 ジジイは淡々とした口調で言った。

 

「目を見ればわかる……ドロシーは強い。年を取り、肉体が衰えたとはいえ、俺は相手の本質を見抜く眼力まで失ったつもりはないよ」

 

 重みのあるその一言に、さすがのモーリスも押し黙った。

 対照的に、ふふんとドロシーが口角を上げた。

 

「あら、あなたはわかってくれるんだ?」

「当然じゃ。お前はお前の師匠より、ずっとわかりやすい」

「うん? 師匠?」

「ああ。そこのモジャ頭よりな」

 

 ジジイのその一言を合図に、皆の視線がモジャ頭こと俺へと注がれる。

 

 俺のチャームポイントである、じいちゃん譲りの癖っ毛を、そんな風に腐すのはやめてもらえます? 雨期は髪の毛のまとまり具合で周囲の湿気が推し量れるというスグレモノなんだから……

 とか何とかアホなことを考えてるうちに、ドロシーが先に口を開いた。

 

「あははっ、違うわよ。ニケと私は、師弟関係じゃない。ただのビジネスパートナー……以上でも以下でもないわ」

 

 ジジイは無言のまま、俺の方へと目をやる。

 

「そうなのか? ニケ」

「え、ああ……はい。ドロシーの言ったとおりですけど」

「……そうか」

 

 ジジイはそれ以上、何も語らなかった。

 一体何を根拠に、そう思い至ったのだろうか……「俺実は、アイツのファンクラブ会員第九号なんスよ~」とか、二人の関係性について言及した記憶はないが……

 

「くそっ、気に食わねぇ、どいつもこいつも……」

「しつこいぞモーリス。まだ言い足らんのか」

「当然だ! 父祖代々、ずっと守ってきた俺たちの鉱山を、こんな形で余所の人間に奪われて……挙げ句の果てに、そいつらに媚びるようなやり方でしか生きていく道がないなんて、こんな情けない話があってたまるか!」

 

 モーリスが床をどつき、叫び声が無情に響き渡る。

 誰もが視線を背ける中、ふとある人物が割って入る。誰かと思えば、親父さんだ。

 

「モーリスさん、アンタの言うことは一理あるが……その件については、皆で時間を掛けて話し合ってきたじゃないか。今さら蒸し返すようなことはやめてくれ。ここにいる他のみんなだって、内心は悔しいんだよ。それでも、ぐっと堪えて、現状を受け入れることを選んだんだ」

「理屈じゃねえんだよアラン! くそったれ……それもこれも、全部戦争のせいだ! あの憎ったらしい二次東征が、この国を変えちまったんだ!!」

「頼むから落ち着いてくれ! 子供も怯えている……頼むから」

「うるせえ、偽善者が……。お前に……お前らなんかに、俺の気持ちがわかってたまるか」

 

 不意に、モーリスの両肩が震え出す。何事かと思い、目を凝らした瞬間、ハッとした。

 

 彼は、泣いていた。

 男の頬を伝った涙が、ぽたりぽたりと床を濡らしていく。

 

「俺は……俺はあの戦争で、子供を二人も亡くしたんだ……生きてりゃきっと、今頃孫の顔にだって会えたはずで……これくらい、言わせてくれたっていいだろ……。

 戦争終結以来、この国はずっとメチャクチャで……マロノフの統領(オヤジ)を筆頭に、俺たちの誇りだったかつてのノルカ・ソルカは、見る影もない。戦争で全部壊されたんだ。どれほど悔やんだって、あの時代にはもう、戻れやしねえんだ……!」

 

 モーリスは白髪の目立つ頭をかしげ、顔をクシャクシャにして泣き続けていた。

 

「アレン……それにロイド。お前らだって、本心はそう思ってるんだろ……。どうして。どうして俺たちばっかりが、こんな目にあわなくちゃいけないんだ……」

 

 ようやくわかった。

 このオヤジが執拗に噛み付いていた理由も、彼の一見子供じみた振る舞いに、村人たちが強く反論できなかった理由も……

 

 救いの見えない沈黙の中、ある人物が口を開く。モーリスと同様、この国の浮き沈みを間近で見てきた生き証人だ。

 

「モーリス。気持ちはわかる。だが……辛いのはお前一人だけではない」

 

 ジジイの言葉に、地面に膝をついていたモーリスが、ゆっくりと顔を上げる。

 

「ワシとてあの戦争で多くのモノを失った。部下に、主君に、背中を預けてきた友に……必ず生きて帰ると誓った家内の死に目にだって、結局会えなかった。だが、いくら嘆いたところで、過ぎ去りし時は戻りはせぬ――それもまた事実じゃ」

 

 しんとした空気の中、ぽつりぽつりと、丁寧に紡ぐようにしてジジイは語った。

 

「失ったモノばかりに目を向けるのは、お互いもうやめにせんか。それよりも、残ったモノや、これから生まれてくるモノに目を向けるべきだ……ワシにもお前にも、幸いにしてまだ命があるじゃないか。命がある以上、過去ばかり見ず、未来を見据えて生きていくのは、残された人間の務めだとワシは思う。

 それに……血の繋がりはなくとも、お前と似たような辛さを味わった者は、お前が思っている以上に大勢いるはずだ。人間、分かち合えるのは喜びだけではない。哀しいことだって、分け合うことで、お互いの肩の荷を小さくすることはできるはずだ。だから……」

 

 一度周囲を見渡してから、ジジイはモーリスの目を見た。

 

「辛い時は人を頼れ――お前が誰かを頼らなければ、その誰かがお前を頼るということもできなくなってしまうよ。そんな哀しい話、あってはならんとワシは思う……」

 

 暖炉の熾火が紅く輝き、窓の外では静かに星々が瞬いている。

 モーリスは唇を強く噛みしめ、大粒の涙をこぼした。

 

「うぅ……すまねぇ。すまねぇ、ロイド……!」

 

 温かい空気が周囲の緊張を弛緩させ、あちこちで鼻を啜る音が聞こえた。やがて村人たちが、一人、また一人とモーリスの元に駆け寄り、銘々がいたわりの言葉を掛ける。

 

 ドロシーは窓の外へ視線を逸らしながら、少し居心地が悪そうな、でもまんざらでもなさそうな顔を浮かべていた。

 

 それを確認すると、俺は役割を終えたとばかりにさっさと消えたジジイの後を追った。

 

 

    *

 

 

 吐く息は白く、青白い空には月が浮かび、天球の至る所で星々が瞬いている。

 雪の上に残された足跡を追って進むと、壁にもたれて、一人煙管をふかしている老人が目に入った。ジジイだ。

 

「なんじゃモジャ頭。何しに来た」

 

 開口一番、ジジイはそう言った。「その呼び方、やめてくださいよ……」とぼやきつつ、俺は彼の隣へと歩み寄る。

 

「綺麗事に聞こえたか?」

「え?」

「モーリスに言った言葉だよ」

 

 ジジイは煙管をふかし、大きく煙を吐いた。宙に吸い込まれるようにして、煙が霧散していく。

 

「別にそうは思いませんでしたが……」

「嘘つけ。それができたら誰も苦労しねえよとか、腹の内で考えとったじゃろお前」

 

 性格悪いなこのジジイ……いや確かに、そう思わなくもなかったこともなかったこともなかったけどな。つまり思った。

 

「……正直に言うと、意外でした。あなたはどちらかと言うと、一人で背負い込むことに、ある種の美学を感じているタイプの人間だと思ってたので……だから、あなたの口から人を頼れって言葉が聞けたのが、少し驚きでした」

 

 ジジイは煙管を口にくわえたまま、しばし黙していた。

 

「意外、か……そりゃそうじゃろ。アレはローランの受売りじゃからな」

「え……ローランって、あの?」

「あの以外にどのローランがおるんじゃ。勇者ローラン・ヴァロンドール、その人じゃよ」

「知り合いだったんですか……」

「二次東征の時に、少しな」

 

 マジかよ……いや風の噂で知ってたけど、まさか本当だったとは。

 改めて、このジジイは只者じゃないんだなと思い知らされる。東方不敗の格闘王。生ける伝説の看板は伊達じゃない。

 

「だがまあ、そうやって人を頼ることの大切さを説いていた男を、皮肉なことにこの世界は見殺しにした訳だ」

 

 口から煙を吐き出し、ジジイが言った。

 

「誰もが勇者を頼った結果、勇者は誰にも頼れなくなっていた。その内に抱えていた不安や孤独を、誰とも分かち合うことができなかった。勇者が孤独の中でただ一人立つ者の役回りを引き受けていたことに、愚かにも誰一人として気付けなかったのじゃ……そして結果として、彼はアクゼリュスの地に……

 これを悲劇と言わずに何と言う。むろん、ワシとて偉そうに言える立場でないことはわかっておるが……こんな結末では、ローランが報われまい。アイツが生涯を通じて掲げた哲学が、全て否定されたような気がしてな……」

 

 星屑を散りばめた遠くの空を見つめながら、ジジイはため息をつく。夜の凍てつく冷たさが、肺に刺さるようで、少し痛かった。

 

「すまん。余計なことを話したな」

「いえ……クロノアがきっと、ローランの無念を晴らしてくれるでしょう。何より、彼には仲間がいる。ローランと同じ轍を踏むことはないはずだ。そして――」

 

 言うべきか否か、逡巡はあった。

 そういう役回りを引き受けることに、いささかの抵抗があったのは事実だ。

 

 だが、理屈をこね回すより早く、俺はその先を口にしていた。

 

「あなたが果たせなかった意志は、今やクロノアの仲間となったアリシアが、成し遂げてくれるはずだ」

 

 煙管をくわえたままのジジイと視線が重なり、時間が止まる。青白い月が、空から俺たちを見下ろす。

 やがて、ジジイは煙管を口から離し、ふーっと煙を吐いた。

 

「……大方、ノンナにでも聞いたか」

「ええ、まあ……探りを入れた訳ではないんですが」

「そうか。アイツはアレンにはもったいないほどよくできた家内だが、お喋りなのが玉に(きず)だな……」

 

 ジジイはこめかみに手を当て、渋い表情でそう言った。

 

 実際、お袋さんは隙あらばあれやこれやエピソードを語ってくれるので、俺もすっかりローウェル家の事情に詳しくなっていた。

 魔術士は見た! ってな。正確には聞いただけど。

 

「この際だから、一つ訊いていいですか……あなたがアリシアを冷たく突き放したのは、彼女に帰る場所を与えたくなかったからですよね?」

 

 畳みかけるように、俺は告げた。

 

「自分にはいつか戻れる場所がある――そんな生半可な覚悟で叶えられる夢ではないことを知っていたから、あなたはああいうやり方を選んだ。つまり、偏屈なジジイを演じて、アリシアを追い込むような道を選んだ……違いますか?」

 

 月明かりが、二人の影を淡く伸ばす。

 ジジイは煙管をポンポンと指で叩き、少しの間を置いてから言った。

 

「お前は本当に嫌な奴だな」

「よく言われます」

 

 俺は口角を上げ、両肩をすくめてみせる。

 あと卑屈とか陰険とかへそ曲がりとかこじらせてるとか何か気持ち悪いとかよく言われる。何かって何?

 

「答えを教えてやるよ。半分正解で半分間違っとる」

「え?」

「俺は俺の意志を、アリシアに引き継いでほしくなんかなかった。それは事実じゃ」

 

 ジジイはざくざくと雪を踏み砕いて、数歩進んだ位置で立ち止まった。

 そして両腕を組み、青白く透き通った夜空を見上げる。

 

「もううんざりなんだよ。誰かのために生きようとして、自分をすり減らす奴を見るのは……一度しかない人生なんだから、アリシアはアリシアの現実を生きればいいい。老い先短いこのクソジジイの無念など、その辺の犬にでも食わせておけばいいんじゃよ…… 」

 

 吐く息は白く、星明かりが遠くに見える山の稜線を、うっすらと浮かび上がらせる。

 降り注ぐような星空は、ネウストリアで見るそれよりも、ずっと美しくて、それでいて哀しくも映った。

 

 哀しさと美しさは両立する。ゆえに、罪深い。

 

「余計なお世話を承知で言いますけど……アリシアは、ずっと泣いていたそうですよ」

 

 ジジイの背中を見つめながら、俺は言った。

 

「あれほど頑張ったおじいちゃんが、どうしてこんなに辛い思いをしなきゃいけないんだって。力になれない自分が悔しいって、ずっと泣いては修行に明け暮れていたって……お袋さんに、そう聞きました。だからまあ、その……なんだ。自分のためが誰かのために、誰かのためが自分のためになれば最強なんじゃないですか。知らんけど」

 

 ジジイは立ち止まったまま、微動だにしなかった。

 が、すぐにうつむき加減になって、両肩を震わせる。どうやら泣いている――じゃない。笑っていた。

 

 笑ってる?

 

「知らんけどってお前……なんじゃそれは」

「予防線です。わかったようなこと言ってる奴が一番よくわかってないってのは、往々にしてあることなんで」

「真面目に答えんでいい」

 

 一体何がツボだったのかはよくわからんが、ジジイはなおも可笑しそうに、声を殺して笑っていた。その様子を見て、俺も自然と相好を崩す。

 

「ニケ。お前、極光(オーロラ)って見たことあるか」

「ないですね。伝承では聞いたことありますけど……」

「そうか。じゃあ死ぬまでに一度は見とけ」

「そんなに価値のあるものなんですか?」

「ああ。見ればわかる」

 

 Don't think. Just feel it. ってか?

 なんつー雑な説明だよと思ったが、ジジイは素知らぬ顔で煙管を口にくわえている。深く煙を吐き出すと、彼は言った。

 

「そろそろ戻れ。これ以上身体を冷やすと、明日に響くぞ」

「そうですね。そろそろ……」

「この空だと、明日はよく晴れそうだ。みっちり稽古はつけてやったから、あとはせいぜい頑張れよ」

「ハハハ……ロイドさんが付いてきてくれると、頼もしいことこの上ないんですがね」

 

 ジジイは鼻で笑った。

 いくら衰えたとはいえ、実際、この男が本気を出せば、山賊退治程度朝飯前なのだろう。それをしないのは、たぶんきっと……

 

 俺は振り返り、元来た道を戻る。空では依然として、流星群が瞬いていた。

 

 

    *

 

 

 翌日。

 

 平原を真白に染め上げていた雪も少しずつ解け始め、春の到来を予感させるような晴天が広がっていた。

 エルの剣を肩に背負い、リュックを担いだ俺の元に、ローウェル家の子供たちが駆け寄る。

 

「おっ、兄ちゃん魔術士なのに剣持ってたの?! スッゲー、魔法剣士だ!」

「うほほーい! 魔法剣士魔法剣士!」

 

 長男のミーチャと次男のワーニャが、ベシベシと俺の背中を叩く。

 痛っ! 痛いっつーの、このクソガキども……!

 

「ねえねえ、兄ちゃん。ちょっと耳貸して」

 

 三男のアリョーシャが、俺の服の裾を引っ張る。背丈の小さい彼に合わせて、身を屈めると、彼がこう言った。

 

「無事に戻ってこれたら、兄ちゃんこの村のヒーローだね。姉ちゃんの婿養子にでもなったら?」

 

 アリョーシャがにんまり笑う。

 俺がアリシアの夫に? オホホホ……この子ったら、無邪気な顔して何て恐ろしい事を言うのかしら。今のうちにその芽を摘んでおく必要があるわね……

 

「ふーん、魔法剣士ねえ。意外」

「おん?」

 

 振り返ると、ドロシーは両肩をすくめ、冷めた口調で告げた。

 

「別に。貴方がそういう邪道を使うとは思わなかっただけ」

 

 シードロちゃんよ。それを言ったら、俺の生き様がそもそも邪道なんだが……

 

「まあ見とけよ。この剣がただの飾りでないってことを、お前はいずれ知ることになるだろうさ」

「何か格好つけた言い方してるけど、言ってることはもの凄く普通よ。その剣がただの飾りなら、貴方は動く博物館か何かなの?」

 

 口では勝てないことを悟ったので、あさっての方を見ると、お袋さんと親父さんの姿が目に入った。

 

「はいニケさん! ピロシキたーっぷり作っといたから!」

「ワオ! ありがとうございます!」

 

 俺は満面の笑みを浮かべるも、受け取った風呂敷は思いのほか重く、どう見ても今日のランチの量を超越していた。

 これは……新手の筋力トレーニングですかね……

 

「ドロシーちゃんがね、ああ見えて結構食べるのよ。私嬉しくなって、ついたくさん作っちゃった♪」

 

 ついって……ついの量超えてるよ。まあ可愛いから許すけど……

 

 しかし、ドロシーが腹ペコペコリーヌだったとはな。言われてみればアイツ、昨日の激励会でも、大体モグモグしてたような。

 その割には肝心な所に栄養が回っていないとお見受けするが……。

 

「ニケ。ルートは先日案内したとおりだが……決して無茶はしないようにな。必ず生きて帰ってきてくれ」

 

 親父さんはそう言うと、俺に右手を差し出す。差し出された右手を、俺もまたがっちり掴む。

 雪降る山奥の村で、僕と握手!!

 

「あーそうそう。これは親父からの伝言なんだが……『教えるべき事は教えた。あとは好きにしろ。無事に戻ってこい』とのことだ」

 

 ふーん。

 好きにしていいのに、無事に戻ってこいって、矛盾してねえか。ていうか、何でこの場にいないんだよ。うんこでもしてんのか。

 

「直接自分の口で言えばいいのにねえ。何を恥ずかしがってるのかしら、お父さん」

「まあ、そういう親父だから……」

 

 夫婦のやり取りを見て、俺も察した。

 ホント、ようわからんジジイだ。ようわからん俺が言うんだから間違いない。うんこしてた方がまだマシだよ。

 

「それじゃ、いってきます!」

 

 振り返り、立ち去ろうとする俺とドロシーに、相次いで激励の言葉が贈られる。

 

「いってらっしゃーい!」

「頑張れよ!」

「希望を持たず生きることは、死ぬことに等しい――兄ちゃんよ。苦しむこともまた、才能の一つなのだ!」

「何言ってるの? ミーチャ」

「アレだよ、いつもの思春期病だよ」

 

 しばらく進むと、道ばたの方から、トルフィンたち発掘隊の面々や、宿屋の姉ちゃんら村人たちが、こちらに向かって声援を送っている姿が目に入った。

 よく見れば後ろの方に、ドロシーとやらかしたモーリスのオヤジもいて、心なしかホッとした。

 

「まあまあ、ご大層なことねえ」

「田舎は面倒くさいんだよ、こういうの。人情味があってよいではないか」

「ホントにそう思ってる?」

「思ってるよ。この邪気のないスマイルが、目に入らんかね」

 

 ドロシーは俺の顔を見るや、鼻で笑った。

 

「ま、いっか……」

 

 白亜の山脈の果てには、抜けるような澄んだ空が続く。

 俺と小さな魔法使いは、一路イカルガ鉱山を目指した。

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