翌日明朝、俺たちは再びイカルガ鉱山の採掘場を訪れていた。
決行にあたって朝の時間帯を選んだのは、山賊の生活習慣上、夜襲より朝駆けの方がより効果的だと判断したからだ。
辺りは薄暗く、吐く息は白い。
朝焼けで空がほんのりと紅く染まり始めた頃――南洋風に言うなら、彼は誰時に俺は鉱山を見下ろせる見晴らしのいいポイントで、再び大自然に土下座――じゃなかった。千里眼を発動していた。
「ふむ……全く人気がないな」
「そりゃこんな時間だもの」
「にしても、見張りすら置かないとはね。麓に妙な連中がいると知りながら、ずいぶんと舐められたものだ」
「遠足に来たと思われてるのよ。きっと」
ドロシーは「ふあああ……」と興味なさそうにあくびしていた。それからワンドをかざすと、昨日と同じように使い魔のフクロウが現れて、索敵を開始した。
が――フクロウは洞窟の入口に近寄るや、すぐに引き返してこちらに戻ってきた。
「ん? どうしたの」
フクロウはドロシーの肩に降りると、ふるふると小刻みに身体を震わせていた。
「この子があからさまに怯えるなんて、珍しいわね……」
「なんて言ってるんだ? 『腹が痛くて帰って来たホー』、『ちょっとウンコしてくるから待っててホー』か?」
「んな訳ないでしょ……身の危険を感じたのよ。たとえば」
ドロシーが言った。
「血の匂い、とかね」
三秒ほどの沈黙が流れる。
ゴーレム君を起動させるのも一つの手だが、アレは無機物であるが故に地味に魔力食うんだよな。今後戦闘が見込まれる状況では、極力使用を避けたい。
ならば……
「突入しよう」
「お。やっとその気になった?」
「竜巣に踏み込まずんば、竜涎香を得ずってな。個人的には、君子危うきに近寄らず派なんだが、仕事となると話は別だ」
「ふーん……私は逆だけどね」
「まだ若いのに、役人みたいなこと言うなよ」
「合理的に生きてるだけよ」
周囲を警戒しつつ、道沿いに下山を開始する。十五分ほどかけて、ようやくお目当ての入口に辿り着いた。
例の山賊どもが、ねぐらとして使用しているポイントだ。
「相変わらず、人の気配が全くないわね……不気味なくらい。まだ寝てるのかしら?」
「ふむ。ガイラルがここにいればなあ」
「誰それ?」
「竜退治の時に世話になった白魔術士で……あいつレベルの索敵結界が使えたら、敵にも気付かれず、中の様子もバッチリ探れるんだろうけど」
「ま、私らじゃ無理よね。二人とも、黒が専門だし」
「俺の専門は黒というより、灰色なんだけどな……アイアムデバフマン」
「へえ……すごくしっくり来たわ。確かにあなた、人の足を引っ張るの好きそうな顔してるものね」
「君も人をおちょくるの好きそうな顔してるよ。お互い、バフよりデバフ向きだね」
ドロシーは「ふふふ……」と笑い、洞窟へと入っていく。
なにわろてんねんと思いつつ、俺も彼女の後に続いた。
洞窟の中は冷気の塊に手を突っ込んだかのような、外とは違った質の寒さが滞留していた。陰気くさくて、得体が知れず、気味が悪い。まるで俺みたいだ。
足音が残響し、ぽちゃりぽちゃりと、どこからともなく水滴が垂れる音が聞こえた。
一定間隔で置かれている篝火を一つ、二つ、三つと通過して、やがて階段の終点へと辿り着くと、不意にドロシーが足を止めた。
何事かと問うより早く、俺もまたすぐに異変を察した。
「…………死体、か。どう見ても事切れてんな」
ドロシーはうなずく。そして死体の方へ近づいていった。
面倒事には人一倍敏感な俺は、この時点でもう帰りたい気持ち満々になっていた。
嫌な予感がする。俺の中の天使と悪魔がガッチリ握手をして、「君子危うきに近寄らず」条約における「仕事となると話は別」条項の削除に合意し、互いに満面の笑みを浮かべている。
しかし、怖い物知らずでスタスタ歩いて行くドロシーを見捨てる訳にもいかない。
なんという強メンタル……ため息を一つ、すぐに彼女を追った。
ハンガーにつるされた鉄鍋。ほのかに残る熾火の近くに、山賊の亡骸が一つ。
少し離れた所に、もう一つ。
片方は腹部を抉られ腸が飛び出しており、もう片方は首から上がなかった。紅い液体が地面を染めている。
いずれも武器を手に持ち、応戦しようとした形跡が見られた。
「おいおい。宴席での喧嘩ってレベルじゃねえぞ……」
「血の乾き具合からするに、死んでから二・三時間は経ってるかな」
「だが……変だな。人間がやったにしては」
「やっぱりあなたも思った? 人殺しにしては、殺し方が残虐過ぎるのよ。ここまでやる必要あるっていう……衝動的な殺意が原因なら、なおさらね」
「だよな。怪物の類いに襲われたと考えるのが妥当か」
「ええ。この爪痕……人間に近い体躯ね。中型で、残虐な殺し方を好む魔物といえば、吸血鬼が思い浮かぶけれど……こんな人里離れたところに、吸血鬼が現れる訳ないし」
ブツブツ言いながら、死体の周囲を探索してるドロシーを見て、俺は眉根を寄せた。
地面には血を引きずったような跡が残っている。
薄暗くてはっきりとは見えないが、昨日のゴーレム君情報だと、奥は確か大空洞に続いていたはず……
俺の視線を察したのか、ドロシーがすっと立ち上がる。
「行きましょう、ニケ」
「ええ? 行くの?」
「当たり前でしょ。あなた何しに来たのよ」
ドロシーは簡易魔法で淡い光の球を作り、スタスタと洞窟の奥へと向かっていく。
んもう、ホント怖いモノしらずなんだから……
細い通路を伝い、再び開けた場所に出た。
予想通り、そこには大空洞が広がっていた。天井は高く、石筍が林立しており、地下水のせせらぎが聞こえる。魔力を帯びた水晶が、妖しい輝きを放ち、この場に不気味な神秘性をもたらしていた。
そして案の定、そこかしこに死体が転がっていた。
1、2、3……
ざっと15かそこらか。
中には、見覚えのある奴もいた。死体の数の多さから、おそらくここが主戦場だったのだろう。割れた酒瓶や、飛び散った血痕が生々しい。
怪物は入口から襲って来て、山賊達はここに追い込まれて……大方そんなストーリーかね。先ほどの入口で見つけた二つの死体は、第一犠牲者といったとこだろうか。
「むごいな……全滅か」
「ニケ。ちょっとこっち来て」
ドロシーに呼ばれて、しゃがんでいる彼女の頭越しに死体を覗く。
光の球が、仰向けに寝転んでいる死体の肩口を照らし出した。
「この傷跡。さっきのと違うと思わない?」
「さっきのって……前のフロアで見た、二つの死体のことか?」
「うん。よく見て」
そう言って彼女が指差した箇所は、肩口から袈裟懸けに一筋、真っ直ぐに皮膚が抉られていた。
「剣による切り傷……と見て間違いなさそうだな」
「おかしいと思わない?」
「何が?」
「怪物が剣なんて使うワケないじゃない。入口の二人とは、死因が異なるってことよ」
俺はハッとして、瞬きを止めた。
「つまり……そいつは人間に殺された?」
「ええ」
「おいおいちょっと待てよ。コイツらは、怪物に襲われたんだろ? なのにどうして、人間同士で争ってんだ?」
「そんなの私が訊き――」
ドロシーが何か言いかけた所、不意に地面が揺れる。
初めはただの気のせいかと思った。だが違う。一秒、二秒と時間が経過するにつれ、それは確信に変わった。
震動と共に、地鳴りのような何かが、こちらへと着実に近づいてきている――
「おいでなす――」
剣の柄を握ると同時、背後でヒヤリと冷たい感触が走る。アクアブルーの光芒。
気付いた時には、鋭い氷柱が、音のした方へ雨あられと降り注いでいた。
ドロシーの氷魔法だ。ノーモーションからの無詠唱。つまり、ウイッチクラフト。
こいつホント、容赦ねえな……
「せめて、俺が喋り終えるまで待ってくれない? あと二、三文字だったのに」
「ん? 何か言った?」
「いえ別に……」
「心配しなくても、咄嗟の魔法でくたばるような相手じゃないわよ」
「……みたいですね」
ほくそ笑んでるドロシーさんから目を離すと同時、「グオオオオオオオ!!!!」と鼓膜が破れるような唸り声が、洞内にこだました。
ゆうに人間の倍はある毛深い体躯に、二つの耳、つり上がった眦、鋭い牙……何より特筆すべきは、それが二足歩行であるということだろう。
俺は唇を噛み、舌打ち混じりに言った。
「人狼――か」
*
「残念。吸血鬼じゃなかったな」
「ホッとした?」
「まさか。滅茶苦茶最悪が、滅茶最悪になったくらいの違いしかない」
「それよりアレ……狼が先か、人間が先か。どっちだと思う?」
「滅多なこと聞くんじゃねえよ。前者であることを切に願う」
距離にしておよそ三十メルト。人狼が雄叫びを上げてこちらに突進してくる。
俺は素早く腰元の剣を引き抜き、刀身に手をかざす。
丹田に力を込めると、左手から溢れ出す闘気が剣へと伝播し、刀身が淡く光を帯びる。
「我が剣の錆となれ――」
格好付けてるだけで威力や発動には全く影響がない、要するに特段意味はない掛け声と共に、腰を落として、逆手に掴んだ剣を左下から右上へ斬り上げる。
刹那、その軌跡をなぞるように衝撃波が生まれ、人狼へと飛来する。
突然のことに、人狼が足を止める。
奴は力尽くで俺の衝撃波を打ち消そうとしたが、異変を察したのか、土壇場で半身を転じた。
ギリギリのところで躱すと、後方の岩石が派手な音を立てて崩れる。わずかに掠った左腕からは、一筋の切り傷。だらりと血が流れていた。
「グオオオオ……!!」
人狼が歯をきしり、両目を剥いて、激しく俺を睨みつける。
クククク……運の良いヤツめ。すんでの所で気付いたか。
飛ばした斬撃――その刃は、俺の氣を高度に研ぎ澄まして練り込んだ必殺の一閃。
ジジイとの修行の末に編み出した、とっておきのワザなのさ……
魔力ではなく氣を出力に、遠距離から攻撃できる手段が欲しいという俺のリクエストに応え、ここ二週間徹底的に俺を痛めつけてくれたジジイには恨み――じゃなかった。感謝しかない。
おかげでエルから貰ったこのプラチナソードも、ようやく日の目を見ることができたという訳だ。
まあ、とっておきを初撃から使ってる時点で、とっておきじゃないだろって話だけどな。細かいことは気にするな……新しいモノはすぐに試したくなる性分なんでな。クククク……
不意に、視界から人狼の姿が消える。
消えた? いや――
「ニケ! うしろ!!」
「――」
ドロシーの声とほぼ同時、振り返った瞬間、それは来た。
鋭い爪が俺の喉元を抉るよりわずかに早く、差し出した剣が一撃を弾く。弾くと同時、互いにノックバックして、互いに隙が生じる。
「
ドロシーが即座に風魔法を発動し、人狼の身体が吹き飛ぶ。2メルトを超える巨体が、磔刑されたが如く、洞窟の壁面へ叩き付けられた。
砂塵が微かに舞う中、ドロシーは帽子のつばに手を当て、俺の背中に手をやる。
「大丈夫?」
「すまん……助かった」
両手には痺れがまだ残っている。
一人なら、次の一撃で確実にやられてたな……今頃壁面に叩き付けられていたのは、俺の方だったに違いない。
「しかしあの巨体であのスピード……どういうことだ?」
「さあ。昨晩は満月だったからね。血の気が旺盛なんじゃない?」
ドロシーが鼻で笑った。
いや、別にそんなスタイリッシュで気の利いた冗談は求めてないんだが……
「それより、こういう閉鎖された空間だと、ド派手な上級魔法は使えないわ。かといってあのタフさだと、下級や中級魔法では、チマチマやるのは骨が折れる」
「一点強化で射殺すほかないな。つまり一撃必殺。お得意の氷なら、そんなの朝飯前だろ?」
「簡単に言うわね。懐に飛び込まないと厳しいし、アジリティに秀でた相手だと、リスク高いんだけど」
「なら俺がヤツの足を止める。お前はそれまで応戦して、動きが止まった瞬間、ヤツの脳天を貫け」
「信用できないって言ったらどうする?」
「信用してくれって、土下座してる間に俺が殺されるだけだ」
「なら信じる」
するとドロシーはマントを脱ぎ捨て、ワンドを手放し、右手に魔剣を具現化させる。
トントンと、準備運動でもするかのようにその場で二、三回軽くジャンプすると、次の瞬間、スタン状態から立ち直った人狼へと肉迫する。
バフによるストレングス及びアジリティの一時的強化――
ったく、度胸のあるお嬢ちゃんだぜ……まあ俺が命令したんだが。
ドロシーが魔剣を振りかざし、人狼と一合、二合と撃ち合った頃合いを見て、俺は詠唱に入った。
「汝が影に問う。その闇はいづかたより来たりて、いづかたへか去る。常闇に潜むその姿は、汝のもう一つの姿――」
洞窟ゆえ、光が少なく、敵影が捉えづらい。照準が目まぐるしく動いては、ブレ続ける。先を読め。目標をセンターに入れてスイッチ。奴の動きを予測して、ここぞというタイミングで――
「捉えた――
瞬間、俺のデバフが発動して、人狼の影を突き破るようにして現れた黒い奔流が、背後から巻き付くようにして、植物の蔓の如く、奴の両手両脚を拘束する。
「くたばれバケモノ――」
ドロシーが左腕を引いて出力を上げると同時、蒼い魔力の残滓が瞬く。左手を覆うようにして現れた氷の刃が加速し、その鋭き切っ先が、人狼の眉間を射貫こうとした――
その時だった。
「!」
ドロシーが前のめりにバランスを崩す。沼地に足を取られたが如く、倒れ込む彼女を見て、俺は思わず瞬きを止めた。瞳に映った光景を疑った。
彼女を妨げたのは――
山賊の、死体……?
あろうことか、近辺に転がっていた山賊の亡骸がドロシーの足首を掴み、一体、二体と立ち上がって、群がるように彼女に覆い被さろうとする。
「ちょ、やめ……離しなさいよこの!」
ハッとして向けた視線の先、人狼の瞳が真紅に妖しく光っていた。
あれは確か、竜退治の時の――
「ニケ! 何とかして!」
それまで人狼を絡め取っていた、デバフの拘束が破られる。迷う暇もなく、俺は剣を振り払った。
次の瞬間、人狼の右腕が――殺意に満ちた爪撃が、ドロシーへと振り下ろされる。
「つっ――!」
咄嗟に放った斬撃の波が、人狼の右腕、肘から先を切断する。時間差で送った二撃目は――外した。
奴の首筋を狙った一撃は、すんでの所で躱される。行き場を失った斬撃が、洞窟の壁面にぶつかり反響して、土砂に崩れる音が伝った。
それをかき消すかのように、痛みを押し殺し、憎悪に満ちた人狼の叫び声が、洞窟内に響き渡る。
アンデッドの群れを振りほどいて、何とか立ち上がろうとするドロシーの下に、人狼が迫り来る。
斬撃? いや魔法――ダメだ。もう間に合わない。
「ドロシー!!」
まるで時間が止まったかのような錯覚に陥った。
どうすることもできず、映像がゆっくりと流れていくのを、唯々眺めているかのような……
「……え?」
我知らず、息が止まった。
振り下ろされたはずの人狼の左腕は、ドロシーに届こうとする寸前で、停止していた。
一瞬、本当に時間が止まったのかと思った。でも違う。何度目を凝らしても、人狼の左腕は、中空で不自然に止まり、微動だにしなかった。
デバフ……か?
おそらくは干渉の類い。力場を巧みにコントロールすれば、できない芸当ではないが……そう言えばドロシーは、御前試合でゴライアスに似たようなことをやっていたはずだ。
ふと、人狼の様子がおかしいことに気付く。
奴は俄に全身を小刻みに震わせ、怯えたように恐怖したように、口から泡を吹き、両膝を地面に突いた。
「アアアアア……アアア……!」
その発狂を合図に、ドロシーにまとわりついていた山賊の亡骸どもが、ピタリと動きを停止する。
糸を断ち切られた操り人形のように崩れ落ち、アンデッドから物言わぬ死体へと戻っていた。
どういうことだ? 何が何やら……
混乱する俺をよそに、ドロシーがすっとその場から立ち上がる。
やおら立ち上がった彼女は、それまでと雰囲気が違っているように映った。魔力の波長が揺らいで、妙なオーラを纏っているようにも感じる。
愛用のハットがふわりと、地面を滑るようにして落ちた。
「……ドロシー?」
ゆらりゆらりと、彼女は人狼へと近づく。そして、右腕をすっと前に伸ばし、次の瞬間、掌をグッと握りしめた。
すると、人狼が激しく身もだえする。断末魔の呻き声を上げ、やがて、その半身が地面へと沈み込む。
遠目に奴が事切れたことを確認すると、俺はすぐさまドロシーの元へと駆け寄った。
「おい、ドロシー。どうしたんだ? お前、さっきからなんか――」
声に応じて、ドロシーがゆっくり振り返る。頬には返り血が付いていた。俺は両目を見開いたまま、呼吸を止めた。
彼女の瞳は、
明らかに、まともな人間のそれではなかった。