勇者にはなれない   作:高円寺南口

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49 始まりの終わり

 選択の時は来た。

 翌日夕方、親父さんから「ドロシーが目を覚ましたらしい」との一報を受け、俺は足早に村の宿屋へと向かった。

 受付の姉ちゃんに話しかけると、彼女はドロシーに話を通しておいてくれたらしく、すぐさま二階の部屋へと案内してくれた。

 

「ねえねえお弟子さん。あなた、アリィと知り合いなんだって?」

 

 宿屋の姉ちゃんがニマニマした顔でそう訊いてきたので、俺は「仲良くさせてもらってます」と微笑で応えた。

 嘘は言ってない。物事には色んな言い方があるのだ。

 

 何でも宿屋の姉ちゃんは、アリシアと年が近いらしく、子供の頃よく一緒に遊んだ仲なのだという。

 

「あのイキリ散らしてた跳ねっ返り娘が、今や世界の救世主サマだもんねー……いやはや時の流れってのは恐ろしいわ」

「イキリ散らしてたって……昔からあんな感じだったんですか?」

「そうねえ。昔から白黒ハッキリつけたがるタイプではあったけど……いわゆるサバサバ系よ。サバサバ」

 

 サバサバというより、キレキレとかスパスパとかグサグサといった表現の方が的確な気がしたが、大人しく黙っておくことにした。

 

「ま、ブレない子ではあったわよ。良い所も悪い所も、全部おじいちゃん譲りっていうか……今となっては、その辺は貴方の方が詳しいんじゃないかしら。いずれ添い遂げるんでしょうし」

「ええ」

 

 考えもなしに即答してしまったところで、ふと足を止めた。

 

「ん? 添い遂げる?」

「うん……って、え? ……そういう関係なんじゃないの? 実家に挨拶まで済ませたんだし。アリィのおっぱいの一つや二つ、とっくに揉んでる仲なんでしょ」

「……」

 

 ええ?!

 

 つまりどういうことだってばよと困惑していると、宿屋の姉ちゃんが「村ではもう周知の事実になってるわよ」と言われて、俺の混乱にいっそう拍車がかかった。

 

 よくよく訊いてみると、どうやらジジイが俺の弟子入りを認めたことが、事の発端だったようだ。すでに隠居生活を送り、表舞台からは身を引いた、あの頑固一徹ロイドじいちゃんが今さら弟子を取るとは、つまりそういうことだよなあ……しかも、年頃の男……ゴクリ。

 そして邪推が拡散されるに至ったのだ。

 

 Oh……Shit! なんということだ。神よ、こんな仕打ちはあんまりです。俺はまだ、アリィのおっぱいに触れることすら叶わないというのに……

 

 木目調の階段が軋む。

 突き当たりの部屋の前で立ち止まると、宿屋の姉ちゃんは扉をノックする。返事があったので、宿屋の姉ちゃんは「ごゆっくり~♪」と残してその場を去った。

 

 俺は深呼吸を一つ、扉の取っ手にそっと触れた。

 

「入るぞ」

 

 開かれた扉の先には、毛皮の絨毯、暖を取るための火鉢……テーブルの上には呪文書が積まれ、その隣に彼女のトレードマークであるつばの大きな黒いハットが置いてある。

 しんとして、少し薄暗い。

 真っ白なシーツと厚手の毛布が敷かれたベッドに、ドロシーはいた。

 

「おっす。久しぶり」

 

 ベッドの側に椅子を引っ張って来て、ようよう腰掛ける。

 正面にはベッドを挟んで窓があり、遠くに連峰の輪郭が映った。南西の空に三日月が浮かんでいる。

 

「よく眠れたか? お前、三日もスヤスヤしてたんだぞ。さすが成長期だな」

「……まあ。ぼちぼち……」

 

 上半身を起こしたドロシーは、枕にもたれ、うつむき加減にほんの少し唇をとがらせている。

 

 少し大きめの、袖余りのカーディガンを羽織った身体の線は、細くて弱々しい。今俺の目の前にいるのは、天才魔法使いドロシーではなくて、ただの普通の、か弱い女の子にしか見えなかった。

 

「宿屋の人から、概ね事情は聞いたわ……あなた、私が意識を失ったあと、鉱山からおぶってくれたんですってね。ごめんなさい。迷惑掛けて……」

「気にすんな。お互い無事だったんだから、何よりだ」

「そうね……」

 

 ドロシーは耳元の髪をかき分ける。

 何か言い淀んでいるような、そんな空気を感じ取って、俺は窓の方へ視線をやった。

 

「どこまで覚えてる?」

 

 空はすでに闇に覆われ、山の稜線をなぞるように、茜色の光がぼうっと灯っていた。

 それは今日という一日が死ぬ前の、最後の輝きのようにも見えたし、旅人へ明日の訪れを知らせるための、ささやかな希望の光のようにも映った。

 

「人狼に襲われて、応戦して……人狼の目が光った瞬間、山賊の死体がお前に襲いかかって……そこまでは覚えてるよな? 問題はその後だ――」

 

 パチンと指を鳴らし、サイドテーブルの上、燭台の蝋燭に簡易魔法で火を灯す。

 炎が揺らめいて、二つの影が床に延びた。

 

「お前にとどめを刺そうとした人狼が、突然動きを止めたんだ。そして、うなされたようにその場にしゃがみ込んで、間もなく事切れた……そこで俺はようやく気付いたんだ。

 お前の瞳が、紅く染まっていたことに――それからすぐ、お前は気を失って……なあドロシー」

 

 目が合うと、俺は言った。

 

「ありゃ何だ? どう見ても、人様に許されてる力の範疇を超えてるように、俺には映ったが……いや、今さら誤魔化しても意味ないな。はっきり言おう――あれは、魔眼じゃないのか?」

「……」

 

 ドロシーはうつむき、お腹の前で組んだ両手をじっと見つめていた。時間の経過を鈍らせるような重い沈黙が、刻一刻と積み重なっていく。

 

 やがて、俺は深々と息を吐き出した。

 

「安心しろ。このことは誰にも言ってない。即刻教団に突き出して、火あぶりの刑にしてもらうなんて物騒なことも言わねえさ。ただ、その……こうして知ってしまった以上、白黒はっきりつけないと、俺も居心地が悪くてな。どう見ても人間にしか見えないお前が、どうして魔族の力を宿しているのか、気になってよ……」

 

 ドロシーはなおも黙っていた。何かためらっているようにも感じる。

 

「余計なことを知られたなと思うなら、今すぐ俺の記憶を操作すればいい。魔眼の力を持ってすれば、それくらい造作も――」

「無理よ」

「……え?」

「あなたの心は操れない。私にはわかるの」

 

 顔を上げ、ドロシーが言った。

 

「わかるからわかるとしか言いようがないんだけど……どう説明したらいいのかな。見えるではなく、感じ取るっていうか」

Just feel itってことか?」

「何言ってんのかよくわかんないけど、私には他人の心の律動のようなものを感じ取れるのよ。この人は優しい旋律、この人は恐怖と憎悪に満ちている……みたいな感じでね。音色の特徴さえ理解できれば、操るのは造作もないわ」

「……それは、意識しなくとも聞こえるものなのか?」

「ええ。だから、普段は閉じるようにしてるの。開きっぱなしにしてると、色んなモノの音が漏れ聞こえて、うるさくてしょうがないから」

「……なるほど」

 

 さもわかったようなツラで「なるほど」と言ったが、実際は半分も理解できてなかった。

 

 心の波長? 音色?

 

 おいおい。黙って聞いてりゃ、コイツは中々パンキッシュな音を掻き鳴らしてくれるじゃねえか……さすが、音楽性を理由に勇者一行から脱退しただけのことはある。

 

「それで、その……俺の心が操れないってのは、俺の心の音色が聞こえないってことなんか? 誰にも心を開かない、虚しい男ってことなの?」

「いや、知らんけど……別にあなたが初めてじゃないのよ。どれだけ耳を澄ませても、音が聞き取れない人は他にもいた」

「誰?」

「クロノアと、騎士王。面識がある人の中では、あなたが三人目よ」

 

 ホウ、と俺は口元に手を当てた。

 

「なんか、俺だけ格落ち感が半端ないんだが……アリシアやトラヴィスを押しのけて、何で俺なの? おかしくない?」

「しゃーないじゃん。んなこと言ったって、聞こえないものは聞こえないんだから」

「ふむ……」

 

 クロノアと騎士王は、「強く正しい心」というか、強靱な精神力の持ち主ということで説明が付きそうだが、俺にそんなモンある訳ないしな……

 むしろ一番欠けてるモノだろ。弱くて脆い意志の男。自慢じゃないが、それが俺。

 

「まあいい……そんなことより俺が知りたいのは、お前がどうやってその力を手に入れたのか、だよ」

 

 両手を組み直し、俺はドロシーの横顔をじっと見つめる。

 窓の外はすっかり暗くなって、三日月が妖しく光っていた。やがて、ドロシーが俺の方を見る。

 

「話してもいいが、一つ条件がある……」

 

 らしからぬ口調というか、妙に厳めしい口調で彼女がそう言ったので、俺は瞬きを止めた。

 

「条件?」

「ええ。今から私がする質問に、正直に答えてちょうだい。いいわね?」

 

 し、質問……どうしよう。私のこと好き? とか訊かれたら……ダメ! ダメよドロシー君……私には、ゴライアスという心に決めた人が……

 

 アホなことを考えている俺をよそに、ドロシーは至って真剣な眼差しで、俺に問うた。

 

「あなたの本当の名前は、ヴィクトル・サモトラ。間違いないわね?」

 

 

    *

 

 

「ロゼッタ魔法学士院には、史上最年少で入学し、神童と謳われ、かつてのシリウスにおけるノルンのように、勇者の右腕として活躍するのは間違いないと言われながら、突如として表舞台から姿を消した、天才魔術士がいた……

 それが、ヴィクトル・サモトラ。あなたのことで間違いないわよね?」

 

 視線が重なったまま、数秒。

 やがて、観念したように俺は頭をボリボリ掻いた。

 

「誤魔化してもダメそうだな……いかにも。ヴィクトル・サモトラとは俺のことだ。どこでその名前を知った?」

「クロノアに教えてもらったのよ」

 

 意外な人物の名に、俺は少し驚いた。

 

「クロノアだって?」

「ええ。確か、御前試合の前後だったかしら……この国には、将来を嘱望されながら、道半ばにしてその道を諦めざるを得なかった魔術士がいるって、彼が教えてくれたの。そこから、学士院に残っている記録をあさったり、トラヴィスの伝手を頼ったりして、あなたのことを色々調べさせてもらったのよ」

「ほーん……じゃあ俺の口から一々説明しなくても、大方の事情は把握してるのか……」

「まあね。魔力の大半を失っていることも、紆余曲折あって、結局旅に出たことも……。もっとも、あなたが力を失うきっかけとなった事件については、どれだけ調べても、簡潔に事故としてしか処理されていなかったから、その裏に何があったのかまでは知らないけれど……」

 

 だろうな。

 詳細に記録を残されていたら、今頃俺はここにはいない。教団の暗部に、とっくに処分されてる。

 今となっては、そういう寛大な処置を図ってくれた関係者方に感謝するほかないが……

 

 前髪をくしゃりと掴み、俺は大きく嘆息した。

 

「参ったな。必死に取り繕おうとしていたのに、お前には全部筒抜けだったのか……何と言うピエロ……」

「魔力がほとんどないこと? ないなりに工夫しているようには映ったけどね。隠すのはまあ、魔術士にとって自分の手札を明かすのは自殺行為に等しいから、同業者として理解はできるけど。仕方なかったんだろうなって」

「……いつから気付いてた? 俺の正体」

「いつからと訊かれたら、まあ出会ったときかしらね……心の音が聞き取れない時点で、おかしいなとは思ってた。ドラゴンを倒したって噂も一役買ってたわね。色々話してみると、やたら魔法に詳しかったりするし、外見もアリシアから聞いたのと大体一致するし……」

「ん? アリシア?」

「うだつの上がらない風采、もじゃもじゃした髪型、やる気に満ちていない瞳、肝が据わってるのかと思いきや中々目を合わせようとしないチキン、しょうもない冗談はほざくくせによくわからん所でキョドったりする不安定なコミュ力、酒呑ますと人格が変わる小心者、あとむっつりスケベ……」

「もういい。もうわかったから」

 

 後半の部分どころか、全体の九割九分は怒濤の悪口だったが、逆にそれが他ならぬアリシアさんの解説であることを証明していた。逆にってどういうこと? 

 

「ロゼッタを出るとき、彼女が教えてくれたのよ。アルス・ノトリアを探すんなら、いずれどこかで会うかもしれないからって。まあ、こんなに早く、こんな形で会えるとは思わなかったケド……」

 

 アリシア……あいつ、余計な気を回しやがって……

 とか本来なら言うところなんだろうが、死んでも言いたくなかった。まして、アイツが俺とドロシーを引き合わせようとしていたなんて、絶対に認めたくない。

 

 いや、それを言うなら、ドロシーに今回のクエストを紹介したのがクラインな時点で……そもそも、事の発端がクロノア……

 

 俺はクソデカため息をついた。

 

「どうしたの? ため息ばっかり」

「自分で踊っているつもりが、その実踊らされていた男の哀愁だよ」

「は? 意味わかんない」

「わからない方が幸せなこともある。お前もいずれわかるさ」

 

 ドロシーは何言ってんだコイツという顔をしていた。

 そんな目で見つめられると、おじさんちょっと嬉しくなっちゃうな……なんて。

 

「俺の話はもういいだろ。それより、お前の話を聞かせてくれ」

 

 ドロシーは視線を落とし、袖の余ったカーディガンから覗かせた手指を、モジモジと動かしていた。ふぅと息を吐き出すと、彼女は意を決したように言った。

 

「私、自分に関する記憶がないのよ」

「記憶?」

「ええ」

 

 ドロシーはうなずいた。

 

「二年前、ロゼッタ郊外の森で倒れていたところを、偶然トラヴィスに拾われて……それより以前の記憶が全くないの。自分が何者なのか、どうしてそこにいたのか、どこからやって来たのか……いくら頑張っても、霞がかかったように思い出せないのよ。唯一思い出せたのは、自分の名前がドロシーであるということ……それだけ」

 

 予想外の告白に、俺はしばし茫然と、言葉を失っていた。

 吾輩はドロシーである。記憶はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で――

 

「本当なのか……?」

「嘘言ってどうするのよ」

 

 ドロシーは冷めたような調子で笑った。

 

「だから、あなたの質問には答えられないわ。人間であるはずの私に、どうして魔族の力が宿っているのか……それを知りたいのは、むしろ私自身」

「そうか……だからお前は、アルス・ノトリアを」

「うん」

 

 ドロシーは首肯した。

 

「私は、自分が何者であるのかを知りたい――自分がいつどこで生まれたのか、どうして記憶を失ったのか、何の目的でロゼッタにいたのか、どうやって魔法を習得したのか……そして、なぜ魔眼を扱えるのか……。

 だから、クロノアの元を離れて旅に出ることを選んだ。この世のすべての理を明らかにしたとされる『アルス・ノトリア』を手に入れたら、失われた私の記憶を蘇らせることができるかもしれないから……」

 

 小さな身体に秘められた強い覚悟を目の当たりにして、ほつれた糸がほどけたように、得心がいった。それまで不揃いだった点が結ばれて、一つの線になったような感覚があった。

 

 言うべきことなんて決まっている。

 

 まさかこの期に及んで、「そうか……ほな頑張って。以上解散! 本日もお疲れ様でした!」という訳にもいくまい。散々迷って、散々考えて、散々振り回されて、散々踊らされてきたんだ。

 だから、最後くらいは自分の足で踊ってやるさ。震える足でな。

 

 覚悟という名前の銃弾を装填したら、あとは引き金を引いて、真っ直ぐに撃ち抜くだけ。

 銃口はどこに向けるって? 決まってるだろ。

 

 手前自身の脳味噌にだよ――

 

「ドロシー。俺と一緒に行こう」

 

 俺は告げた。

 

「実は俺も、お前と一緒で、アルス・ノトリアを探してるんだ。俺の過去を知ってるお前なら、大方見当はつくよな……そうだ。俺は、失われた力を取り戻したい。

 俺は魔力、お前は記憶と、互いに願うものは違えど、俺たちの目的は一致してる。思えばこうして巡り会えたのも何かの縁だ……どうだ? お前さえよければ、俺と手を組まないか?」

 

 重なり合った視線を離さず、俺は続けた。

 

「むろん、協力は惜しまない。手を組む以上、ドロシーの目的は俺の目的だ。お前が記憶を取り戻すために全力を尽くそう。実戦では二流でも、座学ではこれでもまだまだ一流のつもりなんだ……お前の役に立てることもあるだろう。分不相応な申し出であることは承知してる。お前にとってはメリットの少ない選択かもしれない。

 けれど、それでも……俺は、お前と一緒に行きたいんだ。俺にはお前が必要なんだ」

 

 部屋はしんとして、音一つない。南西の空に三日月が浮かんでいた。時の余白に、ひっそりと沈黙が積もっていく。

 やがて、ドロシーが口を開いた。

 

「……いいの? 私、この力であなたを傷つけるかもしれないよ」

 

 すると、彼女の碧い瞳が、黒く紅く、妖しく輝いた。

 

「あなたも見たとおり、この力はひどく不安定なのよ。完全に制御することは難しい。一度顕現したら最後、私の意志とは無関係に暴走してしまう可能性だってある。それに、この力は使いようによっては、一国を牛耳ることだってできる恐ろしい力よ……こんな不気味な人間が側にいて、あなたは怖くないの?」

「怖いって言っても、お前はその力を使って世界征服を目論んでる訳じゃねえだろ。お前がそういう人間じゃないことくらい、俺にもわかるさ……第一、俺に効かないんじゃ、俺がお前の力で傷つくこともないだろうよ」

「だとしても! 私がもし、あなたの大切な人間を傷つけてしまったとき……あなたはそれに耐えられるの?」

「そうならないように、側にいるんだろ。仮に暴走した時は、俺が傷ついてでも、お前のアタマをひっぱたくさ。そしたら大切な人間が傷つくこともないだろ」

「でも……それじゃあ、あなたが……」

「別にそれでいいじゃねえか。お前だって、もう十分傷ついてきたんだから」

 

 闇に染まった彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返して、俺は言った。

 

「ドロシー、お前さ……訳のわからん、得体の知れない力を一人で抱えこまされて、ずっと辛かったんじゃないのか? おいそれと人様に言えるような話でもないし、誰かと親しくなるのにもためらいがあっただろう。

 お前はずっと自分の力に苦しめられてきたんだ……俺、さっき言ったよな。協力は惜しまないって。パートナーとして、お前一人だけ傷つくのはフェアじゃない」

 

 ドロシーは目を真ん丸にして、瞬きを何度も繰り返していた。

 

「だから、俺も傷つくって? 何それ意味わかんないんだけど……」

「うるせえな。俺だって、自分で言ってて意味わかんねえよ」

 

 ドロシーはクスクスと笑った。

 年相応の少女らしいその笑みを見て、俺もまた自然と笑みを浮かべた。

 

「安心しろ。傷つくことには慣れてるんだ。なんたって俺は、挫折のプロだからな」

「それ、あんまり褒められたことじゃないと思うけど……」

「物事には色んな言い方がある。最初は不気味だと思ってたお前の魔眼も、よく見れば夜空に浮かぶ紅い月のようで、とても美しい……まあ何が言いたいかって、一つの見方にこだわるのは、非常にもったいないということだ」

「それも一つの見方だけどね」

「うるさいな。人が珍しく良いこと言ったのに」

「別に。上手いことまとめようとしてたのが、少し癪に障っただけよ……」

 

 ドロシーは手指をいじりながらブツクサ言っていたが、やがて、顔を上げて、俺の目を覗き込むように見た。

 

「ダメって言っても聞かなそうね……その証拠に。やっぱり、私にあなたの心は操れないもの」

 

 ドロシーが微笑む。彼女が微笑むと同時、瞳の色が元の色へと戻っていく。

 その時だった。

 

 窓の外から一条の光が射す。見れば夜空に、淡く翠に紫に輝く光のカーテンがたなびいていた。オーロラだ。

 

「わぁ…………」

 

 俺もドロシーも、言葉もなくその景色をじっと眺めていた。

 

 揺らめいてはたなびいて、光っては陰って、自在に形を変えては消えていく……

 静かに流転していくその様は、なるほど確かにジジイが教えてくれたとおりの、得も言われぬ美しさがあった。ゆえにエモい。

 

「知ってるか? オーロラってのは一説によると、マナと大気中の粒子が衝突して励起し、元の状態に戻ろうとする際に起こる発光現象のことらしい」

「無粋な説明ね。これほどの美しさを前に、理屈は必要ないでしょ」

「じゃあ何だ? 星の息吹とか、生命の脈動とか言った方がよかったか?」

「ええ。その方がずっと詩的で、儚いわ」

 

 さすが魔術士というか、常日頃詠唱のことを考えてるだけあって、コイツも中々のポエマーだな……などと感心してる俺をよそに、ドロシーはずっと窓の外のオーロラを眺めていた。

 そして俺は、その横顔をじっと見つめていた。

 

「……ここに契約は完了した、ということでよろしいかな?」

 

 俺がそう言うと、ドロシーの碧い双眸がこちらを向く。首肯すると、彼女は俺に手を差し出した。

 

「よろしくね、ニケ」

 

 うなずき、差し出された手を握り返したとき、終生自分は今日ここで見た景色を忘れないだろうという予感があった。何故だかはわからない。

 その理由はきっと、未来になればわかるだろう。不思議とそんな確信があった。

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