勇者にはなれない   作:高円寺南口

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59 僕しか知らない物語 起

 魔法の才能に目覚めたのは、十歳の頃だった。ローランが国中の期待を背負って旅立ち、しばらく経った後だ。

 

 きっかけはなんでもない、誰にでもある好奇心というヤツで、母方の祖父の遺品を整理していたとき、倉庫から趣味で収集していた大量のグリモワールが出てきて、捨てるのももったいないからという理由で、母さんがそれを俺に預けたことから始まる。

 

 元々本好きだった俺は、暇つぶしとばかりにそいつを読み始めた。

 

 術式の構成にアルゴリズム、詠唱に調律、炎・水・風・土・氷・雷の六つからなる黒魔法に、教団主導で独自の発展を遂げた白魔法、それら二大魔法を支える補助魔法、召喚魔法、空間魔法……広くて深いその世界観は、幼い一人の少年を夢中にさせるのに十分な代物だった。

 散らばった点が一つの線となり、線は一つの形となって、真理へと到達する……

 

 気付けば俺は、魔法の虜になっていた。

 

 ここは広大な宇宙だ。

 先人の叡智が、幾億の星々の如く輝き照らしうごめき、今なおその宇宙は膨張を続けている。無限の可能性がどこまでも広がっていて、自分にしか見えない星座を記すことだってできる――

 

 居ても立ってもいられなくなって、生まれて初めてこの手で構成した術式のことは、未だによく覚えている。

 他人のトレースでしかないそれではあったが、詠唱だけはやたら凝りに凝りまくった、少年の熱量と痛々しさが紙一重のいびつな魔法で、たぶんきっと、死ぬまで忘れることはないだろう。

 

「煉獄の炎帝よ。血の盟約に従い、地の底より蘇れ。気高き御身(おんみ)は燃え盛ること紅蓮の如く、何人(なんぴと)たりとも触れること(あた)わず。蹂躙(じゅうりん)せよ――火炎球(ファイアボール)

 

 瞬間、差し出した掌から光芒が散り、その瞬きが消えると同時に、火の玉が飛び出す。

 彼方の草むらがごうっと燃え上がり、煌々と紅く瞬いては、風に揺られてやがて消えた。

 

 俺は腰を抜かして、しばし呆然としていたが、やがてにんまりと笑みを浮べる。

 嬉しかった。

 

 自分にも魔法を使えるんだという事実がとにかく嬉しくて、飛び跳ねるようにはしゃぎ回った。

 

 たったそれだけの出来事。

 

 たったそれだけの出来事が、今まで空虚だった自分の心にふっと明かりを灯したような気がして、今振り返れば、あの日あの時あの瞬間こそが、俺が魔法に焦がれた瞬間だったんだと思う。

 

「母さん聞いて! 俺にも火炎球(ファイアボール)が使えたよ!」

 

 まさかという表情を浮べていた母さんだったが、俺に手を引かれて、庭先の景色を見た途端、その顔付きが一変した。

 

 草の葉一枚も残らない、焼け焦げた地面。草むらの中に、不自然に生じた空白。

 

「ヴィクトル……あなた本当に、魔導具なしで……」

 

 母さんはしばし呆然とした顔を浮べていたが、やがてその場にしゃがみ込んで、すっと俺の頬に触れた。

 薬指にはめた銀色の指輪が、月の光で淡い輝きを放っていた。

 

「驚いたわ。大したものね……ヴィクトル。あなたひょっとして、魔法の才能があるのかも」

 

 俺の目をまっすぐ見つめると、母さんは微笑んだ。

 

「魔法は好き?」

「うん。すっごく面白い。先に進めば進むほど、どんどん違う景色が見えてくるような気がするんだ」

「そう……なら、これからも精進しなさい。母さんも応援するわ」

 

 良くも悪くも、当時の俺は年相応のガキでしかなかった。

 だから当然、たかが十歳の少年が、ロクな鍛錬もなしに机上の知識だけで、魔導具もなく、しかも初心者には扱いが難しいとされている火属性の魔法の発動に成功した事実が何を示唆するかなんて、全然わかっちゃいなかった。

 

 誰にでもできることじゃない。

 

 その言葉の重みを知るにはまだたぶん、幼すぎたのだろう。おそらくきっと、全てを悟って、見守ることを選択した母さんとは違って。

 

「うん! 任せといて!」

 

 力強くうなずいたその日からというものの、俺は日夜魔法の勉強に励んだ。

 じいちゃんの蒐集癖からこぼれ落ちたグリモワールのコレクションに加え、親父の伝手で、道具屋のマーリンおじさんから、古ぼけた魔術書をタダ同然で手に入れることができたのも有り難かった。

 俺が現在有している魔法の知識のほとんどは、この時期に寝る間も惜しんで勉学に励んだ賜物だと言って差し支えない。日に日に使える魔法を増やしていって、母さんはその度に俺のことを褒めてくれた。

 

 また、時機を前後して、師匠と出会うことができたのも大きかった。

 俺の師匠であるアテナ・エンジュは、義勇兵として二次東征に参加すべく、古い知己である俺の母さんを頼って、ロゼッタの地にやって来た。

 

 イケイケドンドンだった二次東征が時間の経過と共に膠着状態に陥り、窮地に立たされた王国は状況を打開すべく、イリヤ教の宗教的紐帯を利用して、アヴァロニアだけでなく中つ国全土に参戦を呼びかけていた。

 当初共同戦線を期待していたシャンバラが内乱の鎮圧、すなわち対アイゼンルート戦線に手を焼いている最中で、後陣として期待していた彼等の戦力を埋め合わせたい目的もあったのだろう。

 こうした出身も経歴もバラバラの連中が集まった混成軍団は、やがて義勇兵と呼ばれ、二次東征を影で支えると同時に、さらなる地獄への引き金を引く存在ともなるのだが……まあその辺の下りは省略していいだろう。

 

 師匠は当初軍医としての地位を与えられ、居候として俺の家に転がり込むことになった。

 エルフということももちろんあるのだが、細い糸目が特徴的で、とにかく綺麗な人だというのが俺の第一印象だった。洗練された大人のお姉さんとはかくあるべきという本尊を俺の中に支配・確立させたのは、もっぱらこの人の影響であると言っていい。

 

「ねえ、せっかくだからアテナ。こうして再会できたのも何かの縁だし、この子に魔法を教えてあげてくれない?」

 

 何がきっかけでそんな話になったのかはよく覚えていないのだが、とにかくそういう流れになった。

 

「うーん……この子は、自分の道は自分で切り開くタイプだと思うから、上から押しつけるより、自由にさせてあげた方がいいんじゃないかしら」

「そうは言っても、模範になるべき存在は重要でしょう。ほら、学ぶって言葉は真似ぶから派生してるって言うじゃない?」

「まあ、リリィ(※母の名前)がそこまで言うなら……もちろん、ヴィクトルがいいというならだけど」

 

 二人の視線が俺に集まる。

 それまで師などクソ食らえと思っていた俺だが、「よろしくお願いします」というまで五秒と掛からなかった。

 むさ苦しい野郎ならノーサンキューだが、妙齢の淑女ならば是非に及ばず。自慢じゃないが、その素質は、ガキの頃から変わっていない。

 

「わかったわ。それじゃ、仕事の合間にね」

 

 まあそんなこんなで、その日を境に俺は彼女を師匠と呼ぶようになった。

 師匠は「そういう柄じゃないから、やめてよ……」と糸目を微かに見開いては、遠慮がちによく呟いていたが、その仕草が可愛かったので呼び続けることにした。悪いとは思ってた。

 

 師匠からは、実に多くのことを学んだ。

 それまで格式張った東洋魔術しか知らなかった俺にとって、師匠の魔術の根底をなす陰陽道の考え方は斬新であり、こんなにも自由闊達かつ創意工夫が許されるのかという点で、大いにインスピレーションを受けた。

 

 一方で、教えるのが上手だったのかと言われると、師匠の名誉のために言っておくが、決して上手ではなかった。

 

 見た目は清楚で理知的な雰囲気を垂れ流してるくせに、教えるとなると「ズドーン! バコーン!!」等の擬音がやたら多く、一言でいうと感覚派だった。ゴリゴリのロジカルパーソン、何はともあれ入口は形から入って、出口は自由に掘らせてもらうタイプの俺とはまるで対極の存在だったが、不思議と反発することは少なかったし、何かようわからんうちに結果として実になっていることが多かった。エンジュ・マジック。

 

 今だからわかるが、それは専ら師匠の人柄によるものだったのだと思う。

 

 師匠は包容力に長けた人だった。

 普段はのんびりすぎるくらいのんびりした性格で、昼下がりに縁側で茶を啜っている時間が人生で一番幸せな瞬間と言うような人だった。

 彼女が怒っている所は、ついぞ見たことがない。俺がしょうもないイタズラをしても、「仕方ない子ね……」と糸目を浮べて笑っているのが常だった。

 きっと、誰に対しても平等に接していたのだろう。実際、俺だけでなく他の子供にも暇があれば魔法を教えたりしていた。周囲の大人からは感謝されることがほとんどで、それでいて嫌味な所がなく、エルフにしては珍しく、他種族と交わるのに長けた、人望のあるタイプだった。

 

 それだけに、弟子に師匠のこういった長所が一切受け継がれなかったのは、大いなる謎である。爪の垢を煎じて飲むべきではという諸君の忠告にも、真摯に耳を傾けたい所存。出来の悪い教え子で申し訳なかったと、今さらながら反省はしてる。

 

 振り返れば、師匠と一緒に過ごしたあの時期は、俺の人生で一番充実していた時代だったように思う。土に撒いた種が、冬を越え、ゆっくりと芽を伸ばして、やがて実を結ぶように、その先に春が待っているという予感が常にあった。

 余計なことなんて考える気にもならなかった。坂の上にある雲をただ追いかけていれば、それだけで日々は充されていたから。

 

 けれど、その時間も長くは続かなかった。

 季節が巡り、師匠に弟子入りしてから一年が経とうとする頃、師匠は唐突に俺の元を去ることになった。

 

 理由は言うまでもなく、戦争の激化だった。

 泥沼化した戦線に一石を投じるべく、王国は総動員令と称して、予備戦力として本国に控えていた軍隊の大部分を前線に投入することを決断した。つまり、最後の切り札を切ったのだ。

 師匠は後方勤務から前線すなわちアウストラシアに配置換えとなり、それから東洋に戻ってくることは、二度となかった。

 

 最後に交わした言葉は、「こういう時に笑える人になりなさい。たとえ魔法なんかなくても、隣にいる女性を幸せにできるのが、魅力的な男性というものよ」だった。

 

 その言葉に恥じない人生を歩めているのかどうか、俺には全く自信がない。

 心にぽっかりと、大きな穴が空いた出来事だった。

 

 

     *

 

 

 十三歳のとき、俺は国の教育機関である王立ロゼッタ魔法学士院、通称魔法アカデミーにスカウトされた。

 

 二次東征勃発以降、各地で相次いだ魔力泉の暴走により魔物の勢力が増長し、人類の生存圏が少しずつが脅かされつつあるのは、諸国にとって頭痛の種だった。

 

 また、遠く西洋では東洋と同盟関係にあったシャンバラが滅ぼされ、新たに支配者として君臨したアイゼンルートは東洋に対して敵意を明確にしていた。

 さらには戦争が終結したとはいえ、魔族がいつ大東洋を渡って攻めてくるかもしれないという恐れもあり、アヴァロニア諸国は早急な立て直しを求められていた。

 

 亡き父の遺志を継ぎ、魔王を倒すと宣言したものの、クロノアはまだこのとき六歳。

 その両肩に全てを背負わせるのは、あまりに無謀で無策で無責任と言えた。

 

 ネウストリアはクロノアが成人となる十年後に再戦を仕掛けることを基本方針に、彼を勇者として世に喧伝し、彼の周囲を固めるべく、教団とも結託しながら、様々な政策を打ち出す。

 かいつまんで言えば、勇者の仲間にふさわしい人材の発掘だ。

 

 ネウストリアは外部からの招聘と、内部からの結束という二方向から、その目的を実現しようとした。

 

 前者はクラインの酒場を拠点に、世界中から魔王を倒す志のある者を集めようとする招賢政策として、やがて結実する。

 具体的には、トラヴィス・クローバーとかいうオッサンが発起人となって結成したギルド「クライン」が、その舵取りを任されることになる。

 

 一方で後者は、わずか九歳で家督を継いだツェペシュ家の第四王女を騎士王に抜擢するという異例の人事が行われた。

 その理由が、新たな騎士王ロローナ・アナスタシア・ツェペシュは、クロノアと並んで聖剣に選ばれし者であるというから、なおのこと驚きだった。

 

 こうも時機を見計らったかのように、聖剣を使える人間がポンポン現れるなんて、話が出来すぎで裏があるとしか思えない出来事ではあったが、そんなガキの浅はかな勘ぐりをよそに、世間の多くはクロノアと並び立つ騎士王の誕生を、好意的に受け止めていたようだった。

 敗戦のショックから民衆を立ち直らせて、未来に希望を抱かせるクスリとしては、これ以上ないレシピとなった訳だ。

 

 一方で、そうしたアヴァロニア全体での動きとは別に、王国は王国で、自国内の兵力強化を画策していた。

 

 特に魔術に関しては、二次東征で魔族に散々にやられた反省からか、ようやくこの国の石頭どもは自国の魔術の後進性を自覚したらしく、魔族に真っ向から立ち向かえるだけの知識や技量を有した魔術士の育成が急務であると考えるに至った。

 身も蓋もなく言えば、毒を以て毒を制する――革新的な魔術により、西洋の覇権を握ったアイゼンルートの脅威が背景にあったのも、理由の一つだろう。

 

 王国は、権威にかじりつくクソジジイどもの巣窟と化していた王立ロゼッタ魔法学士院を重点強化施設として刷新し、身分や経歴を問わず、国を挙げて魔術士の育成を大々的に行う旨を公表。

 要するに、俺はその取組の記念すべき第一期生、又の名を「次世代を担うスターの原石☆魔術士のタマゴ候補生!!」として、政府から直々にお声が掛かったという訳だ。

 

 ある日突然、役人が俺の家に来て、君の才能を見込んでうんぬんかんぬん。

 ああいう手合いはどうにも話し方が無機質というか、まるで機械がしゃべってるみたいで、今となってはそいつらの顔一つも思い出せないのだが、要約すれば「四の五の言わずに黙って判を押せ」。

 そういうことだったんだと思う。

 

 親父にしろ母さんにしろ、最終的には息子の判断に任せたいと俺の意志を優先してくれたが、俺は特段異議を唱えることもなく、さっさとサインを済ませてしまった。

 

 国から直々に招かれるなんて誉れ高いとか、これを踏み台に勇者の仲間になってやろうとか、そんな野心はまるでなかった。どころか、結婚式の数合わせに呼ぶ、縁の薄いご友人。賑やかしの壁の花に過ぎんなコレはと、内心完全に白けきっていた。

 

 要するにコイツらは、打てるだけの手は打ったという事実を残したいだけなのだ。

 結果など二の次、三の次。識者曰く、観測者が箱を開けるまで、猫の生死は決定していない。ただしその箱は、永遠に開かれることがない――

 

 お役所仕事ここに極まれりで反吐が出るが、にもかかわらず、俺が学士院に入ることを決めたのは、単純に利用価値があると思ったからだ。

 学士院の蔵書には、市場には出回っていないような貴重な文献がたくさんある。アカデミーの学生は、そうした魔術の叡智に自由にアクセスできる権限を与えられると役人から言われたら、断る理由などどこにもなかった。

 

 思慮が足りなかったとも言えるし、ある意味で傲慢だったとも言える。くだらない常識や言いがかりは、実力や才能の名の下に、カンタンに捻り潰せると信じて疑わなかったから、言葉の裏を疑うことを知らなかった。否、その必要性すら否定していた。

 いくら魔術に自信があるとはいえ、その点においては、俺はまだまだ世間知らずの、年相応のクソガキでしかなかった。

 

 だから、ああいう結末を迎えたのは……ある意味当然の報いだったのかもしれないと、今ならそう思う。

 

 

    *

 

 

 学校が終わって放課になると、俺は大通りに面する鍛冶屋に向かう。

 俺の実家である居酒屋の裏手にある、ガーフィールド武具店。俺にとって唯一親友と呼べる人物がいる場所だ。

 

 店番のおばちゃんに挨拶を済ませると、工房を通って、奥の通路の突き当たり。ドアを三回ノックすると、馴染みある声が返ってくる。

 

「ニケ。今日はずいぶん早かったね」

 

 エルレインことエルは、手元の本を閉じて袖机に置くと、ベッドから上半身を起こしたままの姿勢で、俺を見るやニッと笑った。

 

 今でこそ一角の鍛冶屋見習いとして立派に奉公しているエルだが、ガキの頃は呼吸器系が過度に弱く、一年のほとんどをベッドの上で過ごすような、ひ弱な少年だった。

 

「なんかお前……ニートみたいだな」

 

 ベッドの脇にある椅子に腰掛けると、開口一番、俺はそう言った。エルの瞳が、くりんと弧を描く。

 

「にーと? なにそれ」

Not in Education, Employment or Training.略してニートだ。何物にも染まらず、1と0の間に生きる孤高の戦士……早い話が、無職の上位互換だ」

「? それはニケが考えた言葉なの?」

「ああ。俺の理想とする所だ。ニートがさらに進化すると、賢者になる」

 

 そこまで言って、エルは俺の言葉が冗談だと悟ったらしく、クスクス可笑しそうに笑った。

 

「何か言い方は立派だけど、要するに何もしてないってことなんじゃ」

「バカ野郎。奴らは思索のフロンティアを彷徨う、地図なき冒険者たちなのだ。決して馬鹿にしてはいかんぞ……その迷いは海より深く、その悟りは山よりも高い。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやというヤツだ」

「えんじゃく、ってなに?」

「お前みたいなひよっこの事だよ」

「?」

「ククク……無知なることを畏れよ、エル君。無知の知だ。そんな君に、今日は素敵なプレゼントを持ってきた」

 

 そこで俺は鞄を開き、林檎を二つ取り出す。一つはエルに渡して、一つは自分でかじる。

 しゃりっと小気味のいい音がして、甘い香りが口の中に広がった。

 

「学校はどう?」

「……まあまあかな」

 

 林檎をかじり、ムシャムシャと咀嚼して、呑み込むのも待たずに俺は続けた。

 

「環境は申し分ないね。蔵書の数だって、さすがは歴史ある王国だ。道具屋のマーリンおじさんに横流ししてもらってた頃や、比較にならないほどの情報が手に入る。教師も中々、いるだけで満足していたジジイどもを追い出して、新しく余所から招いた人間のことだけはあって、魔法の造詣が深い……まあそうは言っても、師匠の域には到底及ばんがな」

「言うと思った。ニケ、大好きだもんね。エンジュ先生のこと」

「うっひゃいな。師匠が看てくれたおかげで、お前の病気だって、一時期よりかだいぶ落ち着いてきたじゃろ」

「うん。それはもう……ねえニケ。クラスメイトはどうなの? 友達何人できた?」

 

 ごくんと林檎を呑み込んでから、俺は続けた。

 

「俺に友達なぞいらん。お前一人で事は足りてる」

「またそんなこと言って~。ダメだよ、ちゃんと皆と仲良くしとかないと」

「由緒ある名家のご子息に、富裕商人の跡取り……まあ頭数は揃ってるな。庶民として生きてりゃ、一生口も利けないような連中が多いから、なるほど今のうちにゴマをすっておくのは、悪くない選択だ」

「もう、そういう意味で言ったんじゃないってば」

 

 エルはそこでようやく林檎を一口かじった。少ししか口に含んでいないのに、ずいぶん長い時間をかけて、彼はそれを咀嚼した。

 

「ま、そんなことより……魔法の話しようぜ。面白い論文を見つけたんだ。何でも百年以上前の研究なんだが、属性魔法の得手不得手は、術者の性格による所が大きいっていうテーマでな」

「性格?」

「ああ。たとえば、場の空気を察するのが得意で、誰とでも上手く合わせられる優等生タイプは水が得意、クールで感情を表に出さないが、内には固い信念を秘めたタイプは氷が得意とか、そういう感じだ」

「へえ、面白いね。ニケが得意な炎はどう書いてるの?」

 

 そう訊かれて、俺はパラパラと手元の書物をめくる。

 

「えーと……なになに。集中力があり、努力家で、こうと決めたことには徹底的に打ち込むタイプ。基本的に明るく、軽口を叩くのが好きで、よく笑う。一見理知的な性格に見えるが、その実直感や好き嫌いで動いていることが多く、白黒はっきり付けることを好み、気にくわない相手には執拗に噛み付くような所がある。一方で昨日まで熱心に打ち込んでいたことを、ある日突然放り投げるような性分を備えているため、周囲を困惑させることもしばしば……だってさ。当たってる?」

「うーん……大体合ってるけど、ちょっと違う所もあるような」

「まあ、性格分類なんて大体そうだよな。この学者も、人間はそこまで単純に割り切れるものではなく、複合的な気質を兼ね備えているのが一般的って言ってるし」

「でもどうして、術者の性格が、属性の使いやすさに影響するんだろうね」

「人はそれぞれ、生まれつき本人の気質に応じたエレメントの加護を受けていて、それが属性の扱いの得手不得手に影響するんだと。なんかイマイチ宗教臭くて、いかにも中世的な思考って感じがして、個人的には納得できんけど。これだと、周囲の環境による後天的な性格の変化が説明できないしな」

「なるほど……けど、研究するには面白そうなテーマだね」

「だろ? また将来解き明かしてみたい謎が一つ増えたな」

 

 ニヤニヤと不敵に笑うのは俺の昔からの性分だったが、エルはそんな俺のマニアックな話にも、真摯に耳を傾けて聞いてくれた。

 それが俺とエルの日常だった。時間は平坦で淀みなく流れ、そこに終わりが訪れるなんて考えもしないほどに、日々は繰り返すものだと思っていた。

 

「――ニケはすごいなあ、研究熱心で……この調子だと、いつかホントに、勇者様の仲間に選ばれちゃうかもね」

 

 エルは落とした視線を上げると、俺の目を見て遠慮がちに笑った。

 

「勇者クロノアに、魔導師ヴィクトル。二人が並び立つ日がいつか来たら、僕は君の友達として鼻が高いよ」

「……ばか。違うだろ。正確にはこうだ」

 

 ふっと口の端を上げ、俺は言った。

 

「勇者クロノアに、魔導師ヴィクトル。そして戦士エルだ」

 

 その一言に、エルはしばらく瞬きを止めていたが、やがてふふっと声を出し、可笑しそうに笑った。

 

「そうだね……そんな未来が来ると、素敵だね」

 

 俺は膝の上に頬杖をつき、こくりとうなずく。

 開け放たれた窓からは春の風が吹き込み、カーテンが小さく揺れていた。

 

「ねえ、ニケ」

「うん?」

「いつか本当に、勇者様の仲間に選ばれて、魔王を倒す旅に出たそのときは……僕に必ず聞かせてね」

 

 エルは組んだ両手から、俺へと視線を移す。その瞳はまっすぐで、どこまでも透き通っているように映った。

 

「溶岩噴き出す火山に、どこまでも青い海。風吹きすさぶ大地に、果てない砂漠……世界はこんなにも広くて大きいんだってことを、僕は知りたいんだ。王都の片隅の小さな寝室からでは、到底想像ができないほど、この世界は美しくて、多くの不思議に満ちているってこと……他ならぬ親友の魔法使いから、直接教えてほしいんだ。それが僕の夢」

 

 透明なエルの瞳に吸い込まれるように、俺はじっと彼の言葉に聞き入っていた。

 薄く閉じたまぶたを開くと、俺はエルの瞳を見つめ返した。

 

「わかった。約束しよう」

 

 エルはぱっと目を輝かせて、嬉しそうににこりとうなずく。

 開け放たれた窓からはクチナシの香りが漂い、小さく揺れていたカーテンも、いつしかその動きを止めていた。

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