勇者にはなれない   作:高円寺南口

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60 僕しか知らない物語 承

「煉獄の炎帝よ――」

 

 目を閉じ、集中が増すと同時、足下に六芒星の魔法陣が展開し、蛍火の如く紅き光芒が舞い上がる。

 

「無謬の理に従い、三千世界を照らし出せ。汝が怒りは天をも衝き、世界を蒼く染めたもう――火柱(ヴォルケイノ)

 

 すると、荒れ狂う青の炎が地面から天へとまっすぐに伸び、その熱量で視界が激しく歪む。

 火の粉が散って、光が褪せ、辺りに静寂が戻ると、ぱちぱちと乾いた拍手の音が響く。

 

「エレガント。さすがだ、ヴィクトル・サモトラ。今のが全力だな?」

「……安全に配慮しなければ、出力はもっと上げられますが」

「ふっ、心憎いことを言ってくれる」

 

 教師はうなずき、後ろの席で眺めていたお偉方の連中の側へ歩み寄った。

 身につけた徽章や衣服から、貴族や官僚といった身分の高い人間であることが窺える。

 

「ふむ。その年齢で、恐るべき才能だ。よき生徒を得たな」

「だが、身分は平民か……」

「問題あるまい。勇者の隣に立つ者として、その方が民の信望も厚かろう」

「上手く育ってくれるでしょうか。ただの早熟ということもあります」

「なに、そのときはそのときよ……」

 

 何やらやり取りを繰り返しているようだが、俺の位置からでは、はっきりとしたことは聞き取れない。

 やがて、一番右に座っていた白髪の男が、煙草をくゆらせながら俺の所へやって来た。初めて見る顔だ。

 

「おい坊主。お前、師はいるのか?」

 

 それを聞くより前に、名を名乗るのが礼儀なんじゃないかと思ったが、男はそんなこと気にも留めていないような素振りで、口元から煙を吐き出した。

 

「いるよ。でも、師事していたのは一年足らずだから、ほぼ独学です」

「そうか。どおりで型にはまらない術式だった訳だ……悪いことは言わん。お前みたいなタイプは、こんな所に留まらず、とっとと世界でも見てきた方がいい」

「……どういう意味ですか?」

「狭い世界の狭い物差しで測られることに満足するような器じゃねえし、くだらない足の取り合いに一喜一憂してるうちに、お前の才能がすり潰されるんじゃねえかって心配してんだ」

「……はて。仰ってる意味がよくわかりません」

 

 俺は男の方に向き直り、彼のアンバーの瞳をじっと見る。するとどういう訳か、男は口の端を上げて不敵に微笑した。

 

「そもそも坊主。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 見透かされたようなその質問に、どう返していいかわからず言葉に詰まる。

 やがて、男は足下に煙草を落とし、ブーツの底で火をもみ消した。

 

「ガキにだって、自分の生き方決める権利はあるんだぜ……誰かのためにとか、聞こえの良い言葉で自分の本心押し殺してないか、手前自身とよく相談するんだな。クロノアの隣に立つことを望むなら、なおのことそうしろ。それがアイツへの最低限の礼儀ってモンだぜ」

 

 そう言うと、男は振り返り、元の席へ戻っていった。

 後から知ったが、その男の名前はトラヴィスと言うらしい。ギルド「クライン」の首領であり、これより数年後、勇者の仲間集めを国から一任されることになる、その人物だった。

 

 

    *

 

 

 学士院での生活は、一言でいえば退屈だった。

 授業で習うことの多くはすでに知っていることだったし、周りの生徒もお世辞にもレベルが高いとは言えなかった。

 

 聞いた所によると、生徒の大半が平民ではなく貴族や有力商人の子息で構成されているのは、将来のために箔をつけるというのが実態だったようだ。政界と財界を結びつけるにあたって、同学の士という名の強固なギルドを基盤に、将来役立つ人脈の芽を、早いうちから育てておく。

 

 要するに学閥だ。「優秀な魔術士を育てる」なんて看板は、早い話が外向きの綺麗事でしかなかった。

 一見金にならない魔法アカデミーの立て直しに、財界がこぞって資本を供出したのは、裏にそういう恩恵があったからだ。

 

 大人になった今ならば、「綺麗事だけではまかり通らない。そういうエサだって必要だったんだろう」と割り切れるが、 当時の俺は、それがひどく馬鹿馬鹿しく思えてしょうがなかった。

 

 生温い。

 

 教師も教師で、裏にそういう事情があるから、事なかれのお為ごかしのオンパレード。本腰入れて、この国における魔法の在り方を変えてやろうなんて思ってる奴は、この学校には一人もいないという事実が、なおのこと俺を失望させた。

 

 そもそもが、俺に学校なんてシステムが合ってるはずがなかったのだ。

 

 人を無理矢理鋳型に押し込んで、綺麗にトゲを抜いて、程よく訓練された量産型を社会に送り出そうとするこの発想自体が、くだらなくて無意味としか思えない。10の能力の人間を30に引き上げるために、元々80の能力がある人間がどうして割を食わなきゃいけないんだ? 

 官僚や政治家は、それを声高に平等などとほざくのだから、なおのこと滑稽だった。

 

 結果、俺はほとんど授業に出ず、図書館に引きこもるようになった。

 それでいて、学科や実技の成績は群を抜いていたから、必然学校の中では浮いた存在になった。

 

 クラスメイトからも、話しかけられることはほとんどなくなった。初めは俺の浮きっぷりをからかっていた連中も、次第に何も言わなくなった。空気だ。

 完全に透明人間と化した俺を、教師もどう扱えばいいやら、頭を悩ませているようだった。才能は抜群だが、社会性の欠如したこのはぐれモンスターを、勇者の仲間に推挙していいやら、無駄な会議を延々続けているらしい。

 

 大きなお世話だ。お前らの評価など、知ったことではない――

 

 そんな風に粛々と自尊心を飼い太らせていく日々の中、俺はこんな狭い世界の小さな片隅で、一体何をあくせくやっているんだろうという疑問が、頭の片隅から離れなくなった。

 

 時間の浪費。

 精神の摩耗。

 歪んでいく世界。

 何かが腐っていくような感覚。

 

 どれだけくだらないと見下した世界でも、傍から見れば、自分もそのくだらない世界の中でもがいている登場人物Aに過ぎない。

 

 俺はどうしてここにいるんだ? 何を求めているんだ?

 自分のため? それとも、誰かにやらされていることなのか?

 

 身勝手な話だ。手前で望んで手前で選んでここに来たはずなのに、どういう訳か袋小路に迷い込んで、出口が見つからないと俺は嘆いている。

 勇者の仲間になるなんて目標も、周りがさぞ当たり前のようにそう言うから、何となくここまで来てしまっただけで、本当になりたいかと問われると、正直な所実感が湧かない。そういう未来を想像できない。

 

 そもそも、俺はどこに辿り着きたかったんだ?

 

 振り返れば俺の原点は、純粋な魔法への好奇心だった。魔導師ノルンの存在を知り、彼女のような自由な生き様に憧れた所から出発している。

 究極のグリモワール、「アルス・ノトリア」をこの手で見つけ出す――突き詰めて言うと、それは世界への漠然とした憧れでもあった。

 

 理屈じゃない。直感だ。

 行かずに死ねるかという、強い衝動。

 

 このまま一生、ロゼッタの片隅でささやかに年を重ねていくこと。それを望むかと言われたら、答えは間違いなくノーだった。

 別にそういう生き方を否定している訳じゃない。否定している訳じゃなく、俺はもっと広い世界を知りたかった。

 

 此処ではない何処か。

 四方八方どこを見回しても、この空の下にたった一人俺しかいないような自由を、俺はずっと探していた。

 

 理解できないと言われたっていい。そもそも、言葉に置き換えて共感を求めるような話じゃないから。

 

 たぶんきっと、いやもうずっと前から、おそらく答えは決まっていたのだと思う。トラヴィスとかいう、うさん臭いオッサンにほだされるまでもなく、その答えは決まっていた。

 

 俺は世界に飛び出したかった。

 

 彼はこの世界で何を想い、何を為すのかだなんて、クソくだらない三文小説の筋書きで言うところの「彼」にならないことには、その先の答えは出ないというのが俺の答えだった。

 辿り着いた先の答えが、勇者の仲間になるなら、それも悪くはない。

 

 それが俺の得た結論だった。

 

 

     *

 

 

 実家の屋根の上に登って見上げた夜空には、ほんの少しだけ欠けた白い月が浮かんでいた。

 目を瞑ると、虫の音が聞こえ、涼しい風が首元を通り抜けていく。昼間のうだるような暑さはとうに和らいで、草木は囁くように微弱な風に揺れていた。夜は深まり、星々の光が淡く街を包んでいる。

 

 そういやもう夏なんだなと思った。師匠が俺の元を去ってから、すでに二年が経つ。屋根の上の風見鶏が、カラカラと錆びた音を立てて回っていた。

 物思いに耽るのも飽きて、ぼんやりと空を眺めていると、屋根裏部屋の窓が開く。母さんだった。

 

「やっぱりここにいたんだ……ごめんね、遅くなって。今日はお客さんいつもより多かったから」

 

 窓から顔をひょっこり出すと、母さんはふうとため息をついた。

 

「私もそっち行っていい?」

「いいけど……危ないよここ」

「大丈夫。母さんこう見えて運動神経良いから」

 

 窓の桟に足を乗せ、窓枠を掴むと、母さんはひょいっと軽快な動きで屋根を器用に伝い、俺の隣に腰掛けた。

 長い黒髪を束ねたシュシュをほどいて、母さんは「涼しいわねえ」と独り言を言った。

 しばらく黙っていると、むぎゅっと頬をつままれた。

 

「で? 話って何よ」

 

 仕草とは裏腹に、母さんは目を細めてニコニコと嬉しそうな顔を浮べている。

 いついかなる時も、決して明るさを失わない人なのだ。

 

「母さん俺、学士院を辞めようかと思ってる」

 

 想像以上に言葉がすんなり出てきたことに驚いたのを、今でもよく覚えている。

 虫の鳴き声と、風の音以外は何も聞こえなくて、生きとし生けるもの全てが眠りについたかのような、静かな夜だった。

 

「……ほう。どうして? 魔法が嫌いになった?」

「いや……」

 

 俺は首を横に振った。

 

「魔法は今でも好きだよ。でも、なんて言うか……俺が求めていたものは、あそこにはないってわかったんだ」

「それはなに? 周りの人間関係とか、そういうこと?」

「それもあるけど、多分それだけじゃない。俺はもっと先に進みたいんだ……志を同じくする人たちと出会って、もっとその先の景色が見てみたい」

「それは、今の環境じゃ実現できないの?」

「無理だね。いるだけで満足しているような連中がほとんどだ。心の底からわかり合えるような人間は、あそこにはいない」

「言うねえ」

「端的な感想を言ったまでさ」

 

 母さんは何が可笑しいのか、ふふっと微笑を浮べていた。そして、膝の上で頬杖をつく。

 

「それで? 学校を辞めてどうするつもり?」

「世界を旅したい」

 

 俺は告げた。

 

「魔導師ノルンが残した『アルス・ノトリア』をこの手で見つけ出して、彼女が残した『魔法に不可能はない』という言葉を証明したい」

 

 夜のしじまに星々が瞬き、緩く吹き付けていた風は、いつしか止んでいた。

 しばらく沈黙を挟んでから、母さんが言った。

 

「いいんじゃない。行ってくれば」

 

 俺は瞬きを止め、母さんの方へ視線をやった。

 

「……止めないの?」

「そりゃまあ、親としては、あと数年……そうね。あなたが十六歳の誕生日を迎えて、大人になるまでは、そういう我慢も勉強だと思って辛抱しなさいって言いたい所だけど……どうせ聞かないってわかってるし。ヴィクトル、そういう所はお父さんとそっくりなんだもの」

「うるさいな……」

「だってそうじゃない。二人とも、こうと決めたことは梃子でも変えないんだから。ありゃ間違いなくお父さんの方の遺伝子よ。私の方じゃない」

 

 俺としては、自分は母方の血を多く受け継いでいると自負していただけに、認めたくない事実ではあった。あんな偏屈親父と一緒にされるなど、不名誉にも程がある。

 

「それにヴィクトル、昔から言ってたものね。『僕もノルンのような魔導師になるんだ! 彼女のような生き方がしたい!』って」

「……俺、そんなこと言ってたっけ?」

「言ってたわよ。『オリヴィエの歌』を、後生大事に宝物を見つけたみたいに、目を輝かせて読んでたの、よく覚えてるわ。ヴィクトルってば、ご飯だって言っても全然聞かないんだもの」

「マジか……」

 

 我が事ながら、全く身に覚えがない。いや嘘。本当は死ぬまで忘れないレベルで覚えてるけど、恥ずかしくて口に出せなかっただけだ。

 

「何か、相談した側がこんなこと言うのもなんだけど……反対されるとばかり思ってたから、正直戸惑ってる」

「おいおい少年。じゃあ反対しようか?」

「いや、そのままでお願いします……」

 

 そう言うと、母さんは声を出して笑った。笑い上戸なのも、この人の特徴だった。

 

「まあ、同じ血が流れていて、同じ屋根の下で暮らしてる家族だもの。学校、あんまり面白くないんだろうなってあなたが感じていたことくらい、とっくに察してたわよ」

「ホントに?」

「お父さんに相談したことだってあるもの。そしたらあの人、なんて言ったと思う? 『そりゃ言わんこっちゃない。俺が言ったとおりになった』って」

「え、どういうこと?」

「あなたがアカデミーに入るってあっさり決めたとき、お父さん言ってたのよ。『アレはあんな監獄みたいな所に閉じ込められて、大人しく従うタイプじゃない。好き勝手に、自由気ままにやらせた方がいい』って。何でって聞いたら、『俺の息子だからだ』って。笑えるでしょ?」

 

 笑える笑えないで言われたら、当事者として笑えない話なのだが、不覚にも笑ってしまった。

 親父……

 

「いつ頃旅立つつもりなの? まさか明日とか言わないでしょうね。さすがに秋の収穫期は忙しいんだから、せめて次の春までは我慢しなさいよ」

「それは俺もわかってるよ。母さんの言うとおり、次の春に向けて準備をしようかなって思ってた。父さんにも相談しなきゃいけないし……」

「え?! 相談する気あったんだ」

「いやそりゃ……自分で決めたことなんだから、自分の口で伝えないとダメでしょ」

「ふーん。へえ……あの人は別に家のこと以外は何も言わないと思うけどね。むしろ遅かったくらいだこの野郎とか言い出しそう」

 

 母さんはケラケラと、どこか嬉しそうに笑っていた。

 そんな親の姿を見て、俺は膝をかかえて、顔を伏せた。

 

「なんか……俺ってホント、自分のことしか見えてなかったんだな……」

「そりゃ子供なんだから、自分のことだけ考えてりゃいいのよ。大人になったら嫌でも周りのこと考えなきゃいけなくなるんだから、子供の時くらい、子供の特権謳歌しときなさいよ」

「そういうもん?」

「そういうもんよ」

 

 俺は安心したような、憑きものが落ちたかのようなため息をこぼす。

 母さんの前では、あらゆる悩みも風と共に去ってしまう。周囲が度々この人を太陽みたいな人だと言っている本当の意味が、初めて腑に落ちたような気がした。

 

 バチコーンと俺の肩を叩き、母さんが言う。

 

「ほれ少年、話はこれで終わりかい?」

「ああ、はい……ご静聴、どうもありがとうございました」

「うむ。良きにはかりたまえ」

 

 そう言うと、母さんはニヤニヤしたままその場から立ち上がり、家の中に戻ろうとする。その途上で、急に振り返って、俺に言った。

 

「そうだ、ヴィクトル……魔導師ノルンは『魔法に不可能はない』と言った。あれは本当かな?」

「え? まあ……ノルンがそう言うならそうなんじゃないの」

「違うね。私は不可能、あると思うよ」

「……たとえば?」

「旅立つ息子を、寂しく思う親の気持ちを消し去る魔法だ。そんなのは、魔法如きに到底実現できるものではないと私は考える」

 

 俺は瞬きを止めて、母さんの顔をじっと見る。

 こういうときにどういう顔を浮べたらいいか、そんなの一つしかない。

 

「……じゃあ、俺が実現すればいいんでしょ。みんなが幸せになれる魔法」

 

 そう言って笑うと、母さんもまた笑った。「やれるもんならやってみなさい……期待してるわ」と言うと、母さんは窓の格子を伝い、姿を消す。

 

 見上げた空には、一番星が輝いていた。

 カラカラとさび付いた音を立てて回っていた風見鶏も、いつしかその動きを止めていた。

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