季節は巡り、秋も深まりつつあったある日の夕方、俺は足早にエルの家へと向かっていた。
この頃、虚弱だったエルの体調は少しずつ快方へと向かっていて、短時間なら外出もできるようになっていた。短い間にここまで状況が好転したのは、師匠のケアが優れていたのもさることながら、ひとえにエル自身の努力の賜物でもあるのだが、彼がそうまでして治療に専念したのは、何やら理由があるらしい。
「アイツなあ、自分の足で外の世界が見たいって言いやがったんだ」
エルの親父さんが、こっそり俺にそう教えてくれた。
「ほら、アイツもニケ君が学士院なりで頑張ってる背中を目の当たりにして、俺もボンヤリしてる訳にはいかねえって思ったんだろうな。ニケに置いていかれないよう、俺も人並みに自分の事は自分でできるようにするんだって、聞かなくてよお……」
そう語る親父さんの表情は晴れ晴れとしていて、とても嬉しそうだった。ならば俺も奴の親友として、その思いに応えなくてはなるまい。
俺は親父さんに、ロゼッタの郊外にある見晴らしの良い丘へ、エルを連れて行っていいかと提案した。
そして今日、晴れてその日を迎えたという訳だ。
「お前……なんだよその大荷物は。家出でもすんのか」
長旅にでも出るかの如く、大袈裟なリュックを背負ったエルを見て、俺は嘆息する。
「だってほら、もしものことがあったら……薬草とか聖水とか、僕は戦えないから、せめてそれくらいは」
「あのなあ。城門の外って言っても、歩いてせいぜい二十分くらいの所だぞ。万一魔物に遭遇しても、俺の実力ならこの辺りの魔物くらい簡単に屠れる」
呆れたような俺の物言いにも、エルは「でも……」を繰り返すばかりだった。
やれやれと思いつつ、俺はエルの親父さんとお袋さんの方へ振り返った。
「御子息エルレイン・ガーフィールドは、不肖魔法使いヴィクトル・サモトラが身命を賭してお守りしますが故。それでは」
おどけた調子でびしっと敬礼すると、親父さんは「おう!」と元気よく答え、お袋さんはクスクス笑って俺たちに手を振ってくれた。
一方でエルは「もう……」と恥ずかしそうにモジモジしていた。女の子みたいなヤツだ。
大戦士アレクの像が睨みを利かす南の城門をくぐって、外の世界に飛び立つと、エルは落ち着きなくきょろきょろと周囲を見回しながら「わあ……」とか、「おお……」とか、感嘆の声を上げていた。
訓練や親父の仕事を手伝いがてら、しょっちゅう街の外に繰り出している俺としては、何がそんなに物珍しいのかよくわからないが、生まれてこの方街中の景色しか目にしてこなかった人間には、きっと特別の感慨があるのだろう。
「荷物重くないか? ちょっと待ってろ」
エルを制止すると、リュックを手に当て、俺はぶつぶつと言の葉を結んだ。
「……え? なんか軽くなったような」
「重力を制御する魔法だ。効果は一時的だがな」
「へえ、そんなこともできるんだ」
「重力を応用すれば時空に歪みを発生させることができる。この原理を拡張すれば、お前を十年後の未来に飛ばすこともできるんだが……どうする?」
「……へ」
「嘘だよ」
周囲にはすっかり秋の気配が立ちこめ、遠くに見える山並みもいつしか紅葉が目立つようになった。
背の高い薄が、さらさらと風に揺れている。
傾いた日の光に照らされて、黄金色に染まる畦道を、俺とエルは歩調を合わせて歩いた。
「――ふーん……未来に行くより過去に行く方が、理論的にはずっと難しいってことはよくわかったよ。でもやっぱり、僕は行けるなら過去の方がいいなあ」
「過去なんざ行ってどうすんだよ。勇者シリウスのツラでも拝んでくるのか?」
「それも面白いけど……過去の自分に会ってみたいなって思って」
「過去の自分?」
「うん。昔のずっと寝たきりだった自分に会って……今は辛いかもしれないけど、頑張ればそのうちいいことあるぜって教えてやりたいんだ。素敵な友達だって得られるよってね」
「……呆れた。お前の優しさは、時空まで飛び越えちまうんだな」
「ニケはどうなのさ。昔の自分に会いたいとか思わない?」
「思わないこともないが、会った所でどうせ俺だろ。『俺は聞いてもないのに物語のネタバレをかます奴は、百年先まで恨んでやると決めている。こんな所で油売ってる暇があるんなら、とっとと帰れ』って追い返されるのが関の山だ」
俺の言葉に、エルは声を出して笑った。
東の方角に進むと、太陽が傾き、空が少しずつ紅く染まり始めていた。良い頃合いだな、と俺は思う。
丘の頂上に達すると、エルは足を止め、見渡す限りの絶景に言葉を失った。
「………………」
夕陽が地平線を茜色に染め上げ、最果てまで続く海は、光を反射してきらきらとオレンジ色に輝いていた。眼下に広がる麦の穂は、波を売ったように揺れて、焼けたように紅い空を雲がゆっくりと流れていく。
砂浜に寄せては返す波の音が、心なしかここまで届いているような気がした。
「自然ってスゲえよな。よくわからん魔術士の祈祷なんかなくたって、ここまで美しい風景を創り出せるんだぜ。そして全く同じ絵は、二度と生み出せない……一回限りの、最強の魔法だ」
「……そうだね。そう考えると、これってまるで奇跡みたいだね」
エルは黙したまま、目の前の景色焼き付けるようにずっと見ていた。
丘の上に並んだ二つの影を見つめて、俺はやがて視線を上げた。
「なあエル。あの海の先には、ガラテアとかエフタルとかアイゼンルートとか、俺たちの訪れたことのない国がたくさんあって、俺たちの知らない人たちが息づいているんだ。待ってるのは国や人だけじゃない。溶岩噴き出す火山に、どこまでも青い海。風吹きすさぶ大地に、果てない砂漠……自分の存在がちっぽけになるくらいに、世界はでっかくて、地図の上からでは計り知れない景色が広がっているんだ。考えるだけでワクワクしないか?」
そう言って、俺はにっと笑みを浮べる。エルもまた、優しくうなずいた。
「エル。俺、春になったらロゼッタを出るよ」
海から吹いてくる微弱な風が、二人の間を静かに通り過ぎた。
「学校を辞めて、世界に旅立つ。いろいろ考えたんだけどさ……やっぱ俺我慢できないや。自分の足で世界を旅して、自分が本当に何をなすべきか見つけることにするよ。このままこの街で悶々としながら、勇者の仲間になる道を選ぶより、そういうやり方の方が俺には合ってると思うんだ。その結果辿り着いた答えが、この街に戻ってくることなら……それも悪くはないと思ってる」
風がやわらぎ、束の間の夕凪が訪れる。
茜色に染まった空に蜻蛉が飛び立ち、気の早い鈴虫の鳴き声がどこからともなく聞こえてきた。
「……何をなすべきかなんて、本当はもうとっくに決めてたくせに」
ぽつりとこぼれ落ちたその言葉に、自然と目が合う。
「知ってたよ。わかりやすい名誉なんかよりも、ノルンのように自由に生きる道を選ぶ……それが僕の知ってる、ヴィクトル・ガライという人間だ」
エルはくすりと笑った。
その笑みは、友の背中を押したいという優しさと、別れを惜しむ寂しさが複雑に交じった笑みだった。それがわからないほど、俺も阿呆ではなかった。エルと俺は、それだけ多くの時間を共有してきたのだから。
「ねえニケ。僕も最近、やりたいことが新しく見つかったんだ。聞いてくれる?」
俺はうなずいた。
「僕ね、父さんの跡を継いで鍛冶屋になりたいと思ってるんだ。父さんも母さんも、お前には無理だって笑うけど、僕にはわかってるんだ。二人がそう言うのは、僕の身体を心配してくれてるからだって……僕はもう、これ以上父さんと母さんの重荷になりたくない。それよりも、自分の足で歩きたいんだ。周りの優しさに甘えず、自分を信じて、自分の足で前に進みたい。そう――君のようにね」
透明で澄んだエルの瞳が、まっすぐに俺を捉える。
「ニケ。君は僕にとっての勇者だ」
瞳には光るものを、口元には依然として優しい笑みを浮かべて、エルは言った。
「ずっと自分の部屋の中で、まるで世界の片隅に一人だけ取り残されたような気分になって、そんな僕にとって、君がどれだけ眩しく映ったか……魔法の才能に目覚めて、学士院に入っても、君は変わらず僕の側にいてくれた。ずっと、僕と同じ目線にいた……それが僕にとってどれだけ有り難いことだったか……ニケはたぶん、知らないよね。ずっと伝えたかったんだ、君に――ありがとうって」
沈みかけた夕陽が燃え落ちるように空を輝かせて、星が瞬き、麦の穂が風に揺れる。
風が吹き付けて、エルが一度目を伏せる。
その空白が意味する所を、俺は知っていた。
「……感謝すんのは、むしろ俺の方だろ。こんな魔法オタクのとりとめの無い話を、延々真面目に聞いてくれる奴なんて、世界中探してもお前しかいない」
目元が微かに腫れたエルの顔を見て、俺は肩の力が抜けたような笑みを浮かべた。
「エル……なりたかった自分になるのに、遅すぎるなんてことはないんだぜ。世界は広い。お前という人間を受け入れるだけの広さが、この空の下には広がってる――どっかの本から借りてきた言葉だけど、なるほどそのとおりだと思う。大丈夫だ……俺がいなくても、お前はもう一人で歩けるさ。久しぶりに会うときは、立派な鍛冶職人になっててくれよ」
勇者は勇者らしく、最後まで笑おうとした俺の意図を汲み取ったのか、エルは目元をこすり、くしゃっと笑った。
「約束だよ」
「ああ。男と男の約束だ」
地平線に落ち行く夕陽を目に焼き付けながら、俺はやがてこうこぼした。
「エル。俺はこの先何があっても、今日ここで見た景色は忘れんよ」
「……それは、借りてきた言葉?」
「いいや」
俺は首を横に振った。
「俺の言葉だ」
*
それから数ヶ月が経った。
季節は冬になり、山並みを彩っていた紅葉も、地に落ちて土へと還った。秋を賑わせていた動物たちの群れは、来る春に備えて少しずつ姿を消し、枯れ木は枝に雪を積もらせながら、寂しそうにそれを眺めていた。
「今年は例年になく寒い冬になりそうねえ……」
暖炉の薪がぱちぱちと音を立て、外の吹雪に窓の格子がカタカタと揺れていた。客がおらず閑古鳥が鳴く店の客席に腰掛け、母さんが小さくあくびをしてから言った。
「明日の旅程が心配だわ。朝までに止んでくれるといいんだけど」
「俺が護衛しようか?」
本から視線を上げ、俺がそう言うと、母さんは「ヘン」と鼻を鳴らしてみせた。
「大丈夫よ。それよりも父さんのこと、よろしくね」
親父はこのとき、珍しく体調を崩して寝込んでいた。口の悪さと健康しか取り柄のない親父が何日も寝込むなんて、俺が物心ついてからは初めてのことだった。
ルナティアの港に出向いて、商品の仕入れを手伝うギルドの雑務に母さんが駆り出されることになったのも、そのせいだ。
「そうだヴィクトル、これ。あなたに預けておくわ」
そう言って、母さんが俺に渡したのは、銀色の魔石が埋め込まれた指輪だった。チェーンに指輪を通してネックレスとして、母さんは肌身離さずそれを身につけていた。
「いいの? これ、大事なものなんじゃないの」
「大事なものだから預けるのよ。昔、大切な人から託されたものでね」
「……それって親父?」
母さんは「ふふっ」と笑ったまま、俺の問いに答えなかった。
まあ、あの親父にこんな洒落たものプレゼントする甲斐性があるとは思えんが……
蝋燭の炎に照らして、まじまじと指輪を眺めてみる。決して派手ではないが、どこか人を惹きつける不思議な魅力のある魔石だった。月にも似た奥ゆかしさとでも言うのか……
「本当はあなたがこの街を旅立つ時に渡そうと思ってたんだけど……あなたも一角の魔術士になるつもりなら、魔導具の一つや二つ持っておいて損はないでしょう。お守りとして使ってちょうだい」
お守りねえ……
お生憎様、俺は魔法の行使において一切魔導具を使わない、この時代においてはもはや絶滅危惧種と言っても過言ではない分類に属していたが、魔導具ではなく単なるお守りとしてなら、有り難く頂くとしよう。
現に魔術士ではない母さんは、単なるアクセサリーとして使っていた訳だし。
「ありがとう、大切にするよ……でも魔導具って、確か魔石の性質に応じた加護を得られるんだよね。この指輪の加護は何なの?」
目が合って二秒。
ほんのわずかな沈黙を挟んでから、母さんは言った。
「時が来ればわかる――私に指輪をくれた人は、そう言い残して私の元を去ったわ」
何じゃそりゃ……蓋を開けるまでのお楽しみってか? 母さんもまた、いい加減なヤツに指輪を託されたもんだな……
外の雪はなお止むことを知らず、辺りの景色を真白に染めていく。
翌朝、母さんはギルドの隊商と共に、ロゼッタの街を出て行った。城門の所まで見送りに行くと、母さんはこめかみ辺りにびしっと手を添えて、口元に毎度お馴染みの人懐っこい笑みを浮べていた。
俺はそんな母さんに向けて、大きく手を振った。右上で弧を書いた指先には、昨日母さんから貰った指輪を嵌めていた。
生きている母さんの姿を見たのは、それが最後だった。
*
俺が十四の冬、母さんは死んだ。
旅路の途中、魔物に襲われて亡くなったというのが公の知らせだったが、あの冬は例年になく厳しい寒さだったから、落ち延びた先で遭難したのが正しいのではないかと俺は思っている。
その証拠に、捜索隊が見つけ出した母さんの遺体は傷一つなく、本当に死んでいるのかと疑うくらいに綺麗だった。
生還者は、12人中0名。
中にはおよそ原形を留めていない遺体もあったようで、相当タチの悪い魔物に襲われたに違いないというのが捜索隊からの報告だった。
並べられた遺体の中には、ギルドの繋がりで見知った顔もいくつかあった。死体の顔を覗いた訳じゃない。遺体の側で嘆き悲しむ家族を見て、察したくなくても察するしかなかった。ああ、この人もかと――
運が悪かったんだよと、震えるように呟いた誰かの声音が、今でも鮮明に思い出せるくらい、記憶に焼き付いている。
母さんの葬式は、翌日三番街の教会でひっそりと執り行われた。
その日は冬にしては珍しく冷たい雨が降っていて、空は今にも泣き出しそうなくらい低く灰色の雲が垂れ込めていた。参列者の中には、エルやその両親の姿もあった。誰からも慕われる母さんの人柄を表すかのように、想像以上に多くの人が弔問に訪れた。
棺の中で人形みたいに眠っている母さんを見て、俺は未だ現実を受け入れられずにいた。その死が唐突だったせいもあるのだろうが、涙一つ出てこなかった。
涙は悲しみの象徴だというなら、涙を流すことはその人物の死を受け入れることだ。
感情の整理がつかない。認めたくない。今や形見と化した指輪を見つめながら、これは何だと、この茶番は何なんだと、しきりに自問自答している自分がいた。
でも、そんな葛藤は、親父の泣いている姿を見て、ただの甘えなのだと気付いた。
全てが終わったあと、親父は俺の前で初めて涙を流した。葬式の最中、あれだけ毅然として振る舞っていた姿が嘘のように、親父はずっと、「すまない」と、「俺が行っていれば母さんは死ぬことはなかった」と、自分自身を責め立てるように号泣していた。
代わりに俺が死ねばよかったと、直接言葉にこそしなかったが、彼は間違いなくそう思っていたのだと思う。
ああそうか。これが、人が死ぬってことなんだ――
師匠の時とは違う。こうもまざまざと、人はいつか死ぬ生きものだという現実を喉元に突きつけられたことで、俺はようやくその意味を理解した。
ロゼッタの片隅のとある宿屋で、俺と親父と母さんが同じ食卓を囲むことは未来永劫ない。あの当たり前で優しい時間は失われて、もう帰ってくることはない。
二度と。絶対に。
そうやって死の輪郭をはっきりと掴むと、あれだけ乾いていた涙が不思議と流れてきた。けれど――
俺はその術を知っていた。不可能を可能にする――それこそが、魔法の存在意義ではないか。
こぼれ落ちる涙を拭い、俺は親父にこう告げた。
「父さん、心配しなくていいよ。俺が絶対に、母さんを生き返らせてあげるから」
*
この世界には、死者を完全に蘇らすことができる魔法があるという。
俺も魔法使いの端くれとして、人伝に何度かそういった話を耳にしたことはあったが、いずれも些事として聞き流していた。
強大な力には、強大な制約が伴う――効果に見合うだけの対価を求めるのが魔法の原理原則ならば、死人を蘇らせるような神にも近い所業は、到底人間様の手に負える範疇ではないというのが俺の見解だった。
より正確に言うならば、机上の計算では成立しても、人間の脆弱な器では、それがもたらす負荷に耐えられない。魔力の
師匠が生前よく言っていた、「白魔術士は、此岸に留まった魂を彼岸に送ることはできるが、その逆はできない」という言葉の真意はとどのつまり、そういうことなのだろうと俺は理解していた。
第一、死者蘇生が実現可能であるならば、それはこの世界の
それがないということは、やはり死者の蘇生など人様に手出しすることが許された領域ではない。つまり、歴史上魔導師として名を馳せたノルンのような連中にも、迂闊に手を出せない事情があったということだ。
おそらく禁術だろうな、と俺は思った。
魔法の「魔」は、魔族の「魔」。
魔法は魔族に端を発し、人間が種族間の闘争の過程で、彼等の技術をコピーしたに過ぎないというのは、魔術士なら誰でも知ってる常識だが、中には研究の途上、コピーを断念したものもあるという。
表向きこそイリヤ教団の教義により、「邪悪な魔法」として一切の研究を禁止されているが、その実効果は絶大ゆえに、それに見合う対価も絶大なため、人間には有害と分類されている魔法――それが禁術の実態だと俺は睨んでいた。
禁術なら、公の書物に一切の記述が残っていないのも納得できる。
俺の読みは、結果として的中した。
学士院の蔵書を隅から隅までほじくり返すように漁った結果、禁術について言及していた本は三冊。厳密に言えばもっとあったのだが、いずれも便所の落書きとでも言うべき取るに足らない内容で、クソの役にも立たなかった。
三冊のうち二冊は、禁術の効果及び術式、さらにはその危険性や有害性についても記述してあり、一魔術士としても興味深い内容だった。
大陸一つを平気で消し飛ばすような破壊魔法や、天変地異を自在に操作する魔法など、なるほど確かにこんなもん野放しにしていいはずがない。一方で、俺クラスの人間が魔力の経路を全て開放してもなお不足するほどの膨大な魔力を要求したり、とかくアルゴリズムが滅茶苦茶で、術式として完全に破綻していた。
術者の負荷云々を論ずる以前の問題であり、ナンセンス。数式の破綻したプログラムに実用性を問うようなものだ。
おまけに、詠唱にあたっては人間の生首を四十九、供物として捧げるという記述を見たときは、さすがに笑った。邪神召喚の儀式か何かかよ。
高度に発達した魔法は科学を駆逐するという、この世界ならではの格言が示すように、魔法だって十分に研究されて合理化が進んでいる時代なのだ。こんな訳のわからん
なるほどこんなデタラメだからこそ、偉大なる教団様の検閲も逃れたのかと大きくため息をつき、もはや諦めるしかないと思って最後の一冊を手に取る。
タイトルは、禁術の研究史。
少々古ぼけたその書物はメテオラ語で記述されており、目録をざっと眺める限り、大魔導師ノルンが開発した、いわゆるノルン式転移術について、端的にまとめた書物にしか見えない。
が、ページをめくっていくと、所々文字がかすれており、後半に行くにつれ、落丁もしばしば見られる。保存状態が悪いと言えばそれまでなのだが、内容や文体からして、それほど古い時代に著されたものとは思えない。意図的なアナグラムの類いかとも思ったが、だとしても統一性がない。
ひょっとして……
本を閉じ、目を瞑って魔力を込めると、表紙の紋様が淡く光り始めた。
予想どおりだ。
この本はそれ自体が魔力を帯びている。俺の魔力に感応したのが何よりの証拠。あとは俺自身の魔力の波長を調律して、この本の持つ魔力にシンクロさせれば……
言葉で言うと簡単だが、実際この作業は相当骨が折れる。高さの異なる複数のピッチクラスの音を同時に鳴らして、寸分の狂いもなく一致させるようなもので、とかく神経を削りまくる緻密な作業なのだ。
少なくとも、昨今流行りのウイッチクラフトに依存していて、マナとオドを調律させる鍛錬を積んでいない、にわか魔術士どもには絶対不可能な工程だろう。まさか、魔導具を使わず魔法を行使する自分の特性が、こんな所で活かされるとは……
ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返した結果、ようやく魔力の同調に成功した。
「よし来た! これだ――」
すると、ページが独りでにぱらぱらと繰られ、記述されてある文字が高速で並び替えられていく。
そして、タイトルに文字が浮かび上がった。
「禁術、又の名を時空を超越する転移術の行使について」
思わず、息を呑んだ。心音がはち切れんばかりに加速する。
見つけた。見つけてしまった。
発想の転換。視座の転回。
どうして今まで、その発想に思い至らなかったのだろう。死者を蘇らせることができなくても、母さんを救う術はあったじゃないか。
全身の血液が滾って、心臓が脈を打っているのを肌で感じた。
この巡り合わせを運命と呼ばずに何と呼ぶのかと、そのとき確かに俺はそう思った。