郊外でダイアウルフの群れに遭遇し、間一髪の所をクロノアに救われた俺は、そのまま彼と一緒に城下に戻ることになった。
「すまない。本当に助かったよ」
「いえ……お気になさらず」
ロゼッタへ戻る道中、俺とクロノアが交わした言葉は、たったそれだけだった。
存外、無口なヤツなんだなと思った。その辺り、老若男女分け隔てなく、気さくだったローランとは対照的だ。
いやわかってるよ。どうせ相手が俺だからだよ。
他のみんなには通じるのに、俺には一切通じないとか、俺のディフェンスどんだけ鉄壁なの?
四天王の二番目くらいにいそうだよな、こういうヤツ。攻撃は大したことないけど、防御は最強みたいな。口癖は、「強さと孤独はよく似てる」でお願いします。
俺も俺で、「いやー狼って、一匹狼ってワードのせいで単独行動のイメージあるけど、すんげー群れて行動する生き物だよね。現地集合って言われたから、一人で現地まで行ったら、他のみんなは友達と一緒に来てて、結局一人で来たの俺だけに近い矛盾を感じるよね。しかもそういうときに限って到着遅れて、『もうみんな揃ってるよな』みたいな空気を遠目で察したとき……ホント死にたくなるよね。ナハハハ!」とか言えばよかったのかもしれないが、さすがに気持ち悪いのでやめておいた。
アホなことを考えているうちに、南の城門に着いた。
そこでクロノアは、初めて俺の目をまっすぐ見た。
「それでは。僕はここで」
「ああ。ありがとう」
クロノアはうなずき、踵を返す。訓練がてらモンスターを狩ったのち、夜更けまで庭先で鍛錬に励むというのが、奴の日常なんだろう。
全く、見上げた向上心だ。
自らに課した使命に忠実で、努力を怠ることがない。そのひたむきな姿勢は、見る者の心を打つ。天才という言葉は、本来こういう人間に対して用いるべきなのだろう。
「そうだ……一つ、言い忘れていました」
勇者が足を止める。
「生前、父が貴方のお店に何度も顔を出していたようで。その節は、大変お世話になりました」
街明かりの炎がゆらゆらと揺らめいて、夜風が首元を通り過ぎる。
市場は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていて、酒場からは酔っ払いどもの賑やかな声が漏れ聞こえてきた。
会釈をして、去りゆくクロノアの背中を見つめながら、俺はその場に立ち尽くし、ため息をついた。
「……あいつ、最初から知ってたのか」
天才、と俺は評した。だが冷静に考えると、それはクロノアに対してひどく礼節を欠いた言葉だった。
たかが十五歳の少年が、人々の身勝手な期待を一身に背負い、愚痴の一つも吐かずに、巨悪に立ち向かおうとしている。
はっきり言って異常だ。イカれた構図と言ってもいい。
村を苦しめる理不尽な怪物の怒りを鎮めるために、若い娘を生贄に差し出す行為と、根本的に何ら変わりがない。称賛に値すべき人物だなんてほざいて、挙げ句の果てに涙まで流す連中の神経を心底疑いたくなる。
どうして誰も、「大人は何をやっているんだ」と声を大にして主張しないのか。
決まってるよ。
それを口にすれば、「じゃあ、お前には何ができるんだ」と聞き返されるのがわかっているからだ。
クロノアの心の内には、不安や恐怖といった感情は存在しないのだろうか。本当に自分が魔王を倒せるんだろうかという重圧に、押し潰されそうになることはないんだろうか。
アイツだってわかってるはずだ。大いなる力には大いなる責任が伴うなんて、所詮守られる側に都合のいい弁明に過ぎないってこと。
夜風がやわらぎ、ざわめいていた草木が鳴り止む。
偉そうにほざいたところで、クロノアから見れば、俺だって所詮は傍観者の一人に過ぎない。天才だなんて都合の良い言葉で包み隠して、理解から遠ざけようとしているという点では、世間の無自覚な阿呆どもと同罪だ。
静寂と喧騒が入り交じる夜の街で、俺はしばらく立ち止まったまま、一歩も動き出すことができなかった。
進むべき道が照らされているクロノアとは違って、俺は自分が進むべき方角も、本当にそれが正しいのかどうかの確信さえも、持ち合わせていなかったからだ。
*
「――アルス・ノトリアねえ。なるほど、耳にタコができるくらい聞いたことがあるネタだわ」
クラインの酒場。
真っ白な布巾でグラスを丁寧に磨きながら、マスターは言った。
「でも十中八九、デマなんだよなあ……そんなもんおとぎ話の夢物語で、実在するワケねえだろってのが、商人の間じゃ主流の見解になってる。エフタルの発見にしても、懲りずにまたニセモノつかまされたのかよって、酒の肴にしてる連中が大半だぜ」
ピカピカに磨き上げたグラスを棚にしまうと、マスターは俺の目を見て言った。
「にしてもお前、急にどうしたんだ? アルス・ノトリアなんぞに興味持って……魔術士は廃業したんじゃなかったのか?」
「……別に」
いつもは気にならない酒場特有の喧騒が、今日はいやに耳元にこびりつく。中身がなく、意味もなく、それでも繰り返し続けるノイズの順列組み合わせだ。
「情報がほしいんなら、くれてやろうか?」
「いいよ。どうせカネ要求するんだろ」
マスターはニッと笑った。
「当たり前だろ。情報は時として、百枚の金貨より価値があるんだよ。誰がタダで教えてやるか」
でしょうね。だからこそ、俺はコイツではなくエルを頼ったのだ。
ギルドマスターという立場上、この男の元には、放っておいても勝手に情報が吸い寄せられてくる仕組みができあがっているのだろう。うらやましい限りだ。
「一角の地位にあるアンタが、未だに店に立ち続ける理由が、少しわかったような気がするよ……」
「あん?」
俺は答えなかった。
人間は多かれ少なかれ、誰かに秘密を打ち明けたいという欲求を持っている。こういう酒の入った席で、その場限りの後腐れのない、口の堅そうな男が相手なら尚更だろう。
そしてこの手の打ち明け話には、時としてとんでもない値打ちの情報が混じっていたりして、その掘り出し物の価値を理解しているからこそ、この男の仕事の流儀はプロフェッショナルとか言いたかったのだが、途中で「何が楽しくてこんなオッサン褒めなあかんのじゃ」という気分になったのでやめた。
おわり。
「何だ、一人でニヤニヤして気持ちわりぃな……酒変えるか?」
「一番安いヤツで頼む」
「ゴクツブシだもんな、お前」
「おう」
「良い返事だ。迷いがない」
「おう」
「そこは迷えよ……」
カランと氷の音が鳴って、マスターがグラスを差し出す。
「何だこれ」と言ったら、「酒」と言われた。そりゃそうだ。酔っ払いに何飲ませても同じだもんな。要はアルコール入ってりゃいいんだよ。
「お前にゃまだ言ってなかったけどよ。来週、面白い見せモンがあるんだ」
マスターはポケットから煙草を取り出し、指をパチンと鳴らして火を付けた。手品のように見えるが、何てことはない。詠唱を省略した簡易魔法だ。
「いいのか? 営業中だろ」
「構わん。どうせ誰も見てないし、覚えてない。酔っ払ってんだから」
マスターは口から煙を吐き出す。この時代には珍しく、噛み煙草ではなく紙巻き煙草を愛用しているようだ。
煙草を吸っていると、怜悧な印象がより強調される男だった。素性が読めないというか、元々どこか近寄りがたいミステリアスな人物ではあったが。
噂によると、年齢は三十代後半くらいなんだと。意外に年は食ってるらしい。
「で、話戻すけどよ。その見せモンつーのが、聞いて驚くなよ。御前試合だ」
「御前試合? クロノアが戦うのか?」
「ちがう、戦うのは勇者じゃない……勇者の仲間候補だ。クラインの酒場にも、すでに相当な人材が揃っている。クロノアの旅立ちまで一年を切ったし、ここらがいい潮時だ。誰が勇者の仲間に最もふさわしいか……誰が最強なのかを、勇者の面前で戦って決めてもらう」
グラスを卓に置くと、俺はしばし視線をさまよわせた。
「カードは?」
「あん?」
「ご大層に御前試合って言うからには、根回しはもう済んでるんだろ。クロノアの面前で戦うのは、誰と誰だ?」
マスターは煙草の灰をトンと落とし、不敵に口角を上げた。
「戦士ゴライアスと、魔法使いドロシー」
その返答に、なるほどと俺はうなずく。
確かに、最強を決めるんだったら、その組み合わせしかないだろう。共にその道で天才と称され、勇者の仲間集めにおいて「当確」と目されている二人だ。
勇者のパーティーに選ばれるのは、攻守のバランスを考慮して、おそらく四人だろうと推測されている。
軍の最小単位だって、現代では四人編成がメジャーなことからも、これについて異論の余地はないだろう。
アタッカーにディフェンダー、ヒーラーにサイドアタッカーってのは四人編成における古くからの鉄板だからな。エンハンサーを誰が兼ねるかの違いしかない程度には、王道の編成といえる。
したがって、勇者の仲間決めは、事実上残りのヒーラー枠を賭けた熾烈な争いが繰り広げられているのが現状と言っていい。
「しかしよく思いつくよな、こんなくだらない見せ物……」
「パンとサーカスってか? 当の二人は、こう見えて乗り気なんだぜ」
乗り気ね……そりゃそうだろう。
ここで白黒ハッキリつけておけば、パーティー内の序列も明確になる。ナンバー2のポジション、すなわち勇者の右腕の地位が確保されるというなら、これに乗らない手はない。
「それにしてもアンタ、よくクロノアを引きずり出せたな。こういう俗なことには、あまり感心を示さない奴だと思っていたんだが」
「どうかね……本心はもっと、別のところにあるのかもしれんが」
何やら含みのある言い方だったが、マスターはそこで煙草の灰を灰皿に落とした。
「試合は一週間後の正午、魔法アカデミーの演習場で行われる……お前も見に来いよ。魔王を本気で倒そうとしている連中が、どれほどの高みにいるのか、自分の目で確かめられる良い機会だ」
「わかった。行けたら行くよ」
「それ、来ない奴の台詞だから。必ず来いよ」
半笑いで俺を指差すと、マスターは煙草の火を灰皿でもみ消し、カウンターの奥の別室へと姿を消した。
しかしアイツ、どういう訳か執拗に誘ってきたな……何なの? 俺のことラブなの?
クソ無職の俺が、優等生諸君の試合見たところで、何のメリットもないんだけどな……。
まあそれを言ったら、この広い宇宙において俺が存在するメリットも皆無なんだが。視野が壮大すぎる? むしろマクロすぎて逆にミクロまであるんでは……
ぽつんとカウンターの隅に残された俺は、グラスに残ったモヒートをちびちび飲みつつ、クロノアに救われた一昨日のことを思い返していた。
考えれば考えるほど、俺はクロノアという人間について多くを知らない。
彼の隣家で暮らしていながら、世間の有象無象と同じく、「神に選ばれし者」、「英雄の意志を継ぐ者」といった崇拝にも近い飾り文句に終始し、その奥にいる一人の人間の観察を怠っていた。
俺の記憶にあるクロノアは、いつだって庭先で剣を振るっていた。
花咲く春も、揺らめく夏も、実りの秋も、雪降る冬も、彼は一日もかかさず剣を振るい、自身の向上に努めていた。廊下の突き当たりの四角い窓から、俺はずっとその様子を眺めてきた。アイツが誰より努力の人であるのは、皮肉にもこの街で俺が一番知っている。
大した野郎だと思ったこともある。ただの阿呆なんじゃないかと呆れたこともある。でも、こういう人間こそが世界を救うべきなんだろうなと思った。
選ばれし者と、選ばれざる者。
世間が崇拝から彼との距離を保ったのと同じく、俺は羨望と絶望から彼の理解を拒絶した。けれど、今なら一つだけ言えることがある。
あいつはきっと、誰より孤独だ。
その胸に誰とも分かち合えない孤独を抱え、今までずっと生きてきたんだろう。
掴んだグラスには、氷が溶けて、じんわりと水滴がにじみ出していた。
勇者は一番遠い所にいるようで、その実一番近い所にいた人物だったのかもしれないと、柄にもなく俺はそんなことを思った。