服装は寝間着に戻っている。そして今いる場所は最初の白い部屋。
そんな部屋の中心で、ボクはため息を吐いた。
あの『専属』のテイオーと勝負が始まった瞬間、ハシゴを外されたらたまったもんじゃない。あの勝負はボクが負けていたかもしれないけれど、絶対に糧となる戦いだったはずなのだ。
すぐにでも再戦したかったけれど…
ボクはそう思い扉を見る。
そこには扉が二つしかなかった。
「一回入ったら終わりなんて聞いてないよぉ…」
ボクは文句を言って見るがもちろん返事はない。
あの未来の僕、『専属』の僕はすごかった。あれはボクの理想の一つだ。夢の到達点だ。ボクもあんな力が欲しい。
だけれどそのためには『トレーナー』が必要であり、しかもその『トレーナー』はただのトレーナーではなく、共に夢をカケルことができるトレーナーが必要だとあの僕は言っていた。
…うーん
でもまだボクにはそれが実感できなかった。
う〜む……
……あーもう!!!
これ以上考えていてもしょうがない。
うじうじ考えるのはボクらしくない!!
早速ボクは残りの二つの扉の前に立った。
残りは『湿度』と『スピカ』
『専属』は専属トレーナーがついた僕がいたから『専属』とかかれていた。
だけど…『湿度』?『スピカ』?
湿度やスピカがついている僕ってなんなんだよぉ…
わけがわかんないや…でも、扉を開けなきゃこの夢は終わらない。
ボクは意を決して『湿度』のドアノブを掴み、そして開いた。
「ふふふ〜ん♪」
「…うぇ」
そこにはやっぱり僕がいた。扉の先はボクとマヤノの部屋。その部屋で『湿度』の僕が上機嫌に鼻歌を歌いながら、ベッドに座り楽しそうに洋服を選んでいる。
そんな僕の周りにはいろんな雑誌が開かれたまま置かれ、そんな雑誌の見開きには様々なスポットの紹介や最近はやりのコーデがかかれている。
なんというか…その姿はキラキラしていて、まるで恋する乙女のようだ。
「あれ…?」
未来の僕がやっとボクに気がついて首を傾げている。
「えーと、君が未来の僕…だよね?」
一応聞いてみる。
すると未来の僕は少し悩んだ後、合点がいったようにポンと手を打った。
「なるほど、君もボクなのか」
やっぱり同じ存在だからなのかもしれないけど、詳しく話さなくてもわかるものらしい
…それにしても
「僕…なんか変わった?」
ボクは未来の僕に疑問を投げかけてみる。
『湿度』の僕は『専属』の僕とはまた違う変化をしていた。
髪や尻尾の手入れやセットは完璧、お肌はつやつや、選んでいる洋服もおしゃれなものばかり。
肉体も『専属』の僕に劣るもののアスリートとして完璧に近い体。
そして何より、なんと言うか…大人の魅力を感じるのだ。
それは化粧や洋服のせいじゃない。言葉にするのは難しいけれど…雰囲気がキラキラしてる。
そんなボクの視線に気がついたのだろうか。『湿度』の僕は微笑ましいものを見るような笑みを剥けてきた。
「女の子はちょっとしたきっかけで変わるものなんだよテイオーくん」
ふふんと、自慢げに語る彼女はウインクしながら可愛らしく微笑む。
そんな可愛らしい笑顔でも、どこか色気を感じさせ、同じ存在のはずのボクは混乱してしまう。
誰だよぉこの僕…本当にボクなの……?
そんな考えがボクの頭のなかを走り回る。
…いや、本当にだれ?体型変わってないけど、こんな大人っぽくボクなれるの?
ボクが目をグルグルしながら混乱していると『湿度』の僕はポンポンと自分の横を叩いた。
多分横に座れって事なんだと思う。
ボクは促されるまま『湿度』の僕の隣に腰掛けた。
すると僕が微笑みながら語りかけてきた。
「君は…まだ恋をしていないんだね?」
「…!?」
こ、こここ…恋!?
「な、何をいってるの僕!?こ、恋なんて…!!?」
「僕は恋してるよ」
「ぴぇ!?」
「恋のダービーまっしぐらだよ」
「ぴぃ!!」
『湿度』の僕が楽しそうに話していく。
こ、こここ恋だなんて!!
ボクがあたふたしていると、僕が可笑しそうに笑いまた口を開いた
「その様子だと、そっちの僕はまだトレーナーに会ってないんだね」
そう語る『湿度』の僕はどこか蠱惑な笑みを浮かべて言う。
「と、トレーナー…?」
思わず言葉が口に出てしまった。
またトレーナーだ…多分この僕も『専属』の僕と同じようにトレーナーによってこうなったのだろう
すると、『湿度』の僕は突然僕の手を掴み顔を近づけて来た!
「そうだよ!!トレーナーだよ!!!」
「うぇ!!?」
思わず変な声が出るが、目の前の僕はかまわず早口言葉のように喋り始めた
「そう僕はトレーナーに恋してるの!!トレーナーは僕の事をなんでも知ってるんだ!!」
「な、なんでも…?」
「そうなんでも!!ちょっと僕が調子が悪い時も、気合い入れてリップを塗った時も、恥ずかしくてバレンタインのチョコを渡すのに躊躇していた時も、こっそり合鍵を作った時も。な〜んでも気がついてくれる!!」
「あ…うん…」
「それだけじゃないよ!いっつも僕の為に色々してくれるの!!」
「色々…」
「そう!色々!!僕の為、僕だけのためにトレーニングスケジュールを作ってくれて、僕のわがままを聞いてくれて、時には僕の事を考えて僕の事を叱ってくれるんだ!!」
「ボク…のためだけ?」
「違う!!僕のため!!!時々他の子に目移りしちゃうけど、いつもテイオーだけ見てるって言ってくれるんだ!!!」
「あ…はい」
ボクはただ頷くことしかできない。目の前の僕は目をキラキラ…いや、キラキラじゃないなんか淀んでいるような…
「君もトレーナーと出会ったら、僕と同じようにトレーナーを!!……トレーナーを……僕の…トレーナーを……」
「え?ちょ、ちょっと待ってよ!突然テンション落とさないでよ!!」
突然テンションが急落し、何か自問自答するようにブツブツと喋り始めた『湿度』の僕にボクは驚く
いや、驚くと言うか…怖い
何か嫌な予感がして、このまま置いておくとよくない事が起こると僕のウマソウルが告げてくる。
「え、えっと、君もトレーナーのおかげで成長できたんだね」
そんなボクの言葉にうつむき始めていた『湿度』の僕の耳がピクリと動き顔を上げた
「君も…?」
「…うん、実はさっき違う未来の僕と会って来たんだ」
そうボクは言い、『湿度』の僕にさっきまでの事を全部話し始めた
数分後
「そっかー、そんな未来もあるんだね〜」
『湿度』の僕は、ボクの話を時々首を傾げていたが、最後まで聞き終わり、感心したようにうらやむようにそんな言葉を吐露した。
「その言い方をするってことは…」
「うん。ボクは三冠を差し切って取ることはできたけど無敗じゃない。それどころか怪我で途中で引退しちゃったんだ」
「…嘘」
「本当だよ」
ボクの言葉に僕は寂しそうに答えた。
どこかで負けてしまったどころか、怪我で引退。
それは今からトゥインクルシリーズを走り始めようとしているボクにとってはとても怖い言葉。
一つの夢は叶えど、もう一つの夢は破れ、そして怪我で途中引退するなんて恐怖でしかない。
それは目の前の僕にとっては実際に自分に起こった事で、その絶望は計り知れなかった事だろう。
どんな言葉を目の前の僕に言えばいいのかわからない。
えっと、その…と僕が言葉を選んでいると『湿度』のボクはクスリと笑った。
「気にしなくてもいいよもうひとりの僕。引退することになったのは辛いけれど、僕にはトレーナーがいるから」
そう言って僕はボクの頭をポンポンと撫でて来た。
この未来の僕のその声色は落ち着いており『トレーナー』を信じている声色で、その行動はママがボクを落ち着かせる時にするような仕草で…
この僕が『トレーナー』のおかげで、無敗になれなくても、怪我で引退しても、乗り越えて来たのがわかるようであった。
「トレーナーがいたから、乗り越えられたの?」
「そうだよ、怪我して走れなくなった僕をトレーナーが元気付けてくれてね。僕もがんばらなきゃって…」
そう語る引退バは懐かしむように慈しむように言葉を紡いでいく
「それだけじゃなくてね。僕と同じぐらい、もしかしたら僕以上にトレーナーが苦しみ泣いていたんだ…僕のためにね……その時気がついたんだ。ああ、この人はもう僕であり、僕もこの人なんだなって」
そう喋る僕の表情に過去へのトラウマや苦しみはない。
それとは逆に楽しい思い出を語るように微笑んでいる
「だから、もし夢を途中で諦めるしかなくなっても…隣にいてくれる人がいるなら、そこは終わりじゃないんだよ」
どこかじっとりとしながらも、ボクにそう彼女は伝えてくる。
もう、この僕にとって負けたことも引退したことも乗り越えて来た過去のことなのだろう
それをボクは感じ取る
もう苦しんでなくてトラウマでないなら、一つ聞いてもいいかなっと思い、僕に聞いてみることにした
「……どこで僕は負けたの?」
そんなボクの問いに、僕は懐かしむような表情で答えてくれた
「春の天皇賞だね」
「そっか…」
僕はその言葉を聞きちょっと落ち込む。
目の前のこの僕が弱くないことはボクだからこそ、一目見てわかる。
むしろ『専属』のテイオーには劣るとはいえ、かなりの実力を持った強いウマ娘のはずだ。それはクラシック三冠を獲っていることからわかる。
でもそんなウマ娘でも負けるときはあるのだ。レースに絶対はない。どこかで聞いたことがある言葉。絶対なんてターフの上ではありえない言葉なんだろう。
「誰に負けたの?」
ボクは、『湿度』の僕を倒したウマ娘が気になり聞いてみることにした。
だけど未来のボクは人差し指を口に当て言った
「シー。それは秘密だよ」
「えー!!」
「だって先に教えちゃったらマックイーンに申し訳ないよ」
「…マックイーン?」
「……あ」
未来のボクはやってしまったという顔をする。
ほほ〜ん
「なるほどなるほど〜そのマックイーンっていうウマ娘に負けたんだね〜」
ボクはそう言いウムウムとうなずいた。
この夢から目を覚ましたら、さっそくそのマックイーンってウマ娘をチェックしなきゃ…って
「え?どうしたのさ?」
未来の僕がポカンと口を開け…さっき『専属』の僕がしていた驚いていた表情と同じ表情をしていた。
「えっ…と。もしかしてマックイーンの事しらないの?」
「…?知らないけど」
「え〜…入学式の時に会って同級生になったでしょ?あのメジロ家のマックイーンだよ?」
「???」
「うっそぉ…みんな噂してたじゃないか。あのメジロ家の優秀なウマ娘がきたって」
う〜ん
そう僕がボクに聞いてくるけど、さっぱり思い当たらない。
そんな子いたっけ?
「えっとメジロ家はわかるよね?」
「それはわかるよ」
ウマ娘の名家であるメジロ家を知らないトレセン学園の生徒はいないだろう
「ならマックイーンは?」
「う〜んわかんないや」
ボクがそう言うと、僕はなに訝しむように考え始めた。
なんだよぉ。嘘は言ってないぞよ?
深く考えを巡らせる『湿度』の僕の姿は、『専属』の僕よりもどこか大人びて見えた。
体格はそう変わりないのにそう見えるのは、彼女の表情や雰囲気のせいなのか。それとも夢に躓いたことによって大人になったのかわからない。
もしかしたら恋のおかげかも…ってなんか恥ずかしい!
「あ…」
すると何か気がついたかのような声を『湿度』の僕が口にした。
何かわかったの?と聞いてみると、僕はちょっと悩んだ後答えてくれた
「さっき『専属』の扉の僕と会った時の話を聞いた時に気になっていたことなんだけど…」
「それがどうしたの?」
「カイチョーと模擬レースをする前と同じ感覚って言ってたよね」
「うんそうだよ?」
「その模擬レースはどこでやったの?その時の服装は…?」
「え?そりゃあ、トレセン学園の練習場でトレセン学園の体操服でだよ?」
「その服装でカイチョーと模擬レースをやったんだよね?」
「そりゃもちろんだよ」
ボクがそう答えると、僕はズイっと顔を突然近づけて来た。目の前に映る『湿度』のボクの瞳はどこかじっとりとしていて暗い瞳を…ってなにこれ怖い!怖い!!
そう思ってボクはつい視線を逸らすけど、僕の質問は止まらない。
「…それっていつ?」
「…え?」
「いつ勝負したの?君の今日は入学式の日なんでしょ?なら入学式の日に勝負したの?カイチョーその日絶対に生徒会長の仕事が忙しくて模擬レースなんてできないよね」
「そりゃそうだよ、その日会長忙しそうだったもん」
「ならいつ勝負したの?トレセン学園の練習場はトレセン学園の生徒しか使えないはずだけど」
「それは…」
ボクはここで言葉を途切れさせた
……確かにボクはいつカイチョーと勝負したんだっけ?入学式の日じゃないのは確か……ってあれ?
入学式ってどんな式だったっけ?カイチョーがなにかイイ話をしていたのはボンヤリ覚えているけどそれ以外がモヤがかかったように何も思い出せない。
だけどその日カイチョーが忙しそうだったのは確かで、その日に模擬レースをする事はないはず…
なら入学式より前?
…それこそありえない
あの時ボクはトレセン学園の体操服を来ていたし、トレセン学園の練習場で模擬レースをしたはずだ。
練習場はトレセン学園に入学しないと絶対に使えない。
カイチョーはボクのわがままをよく聞いてくれるけど、学校の規則を破るわけがない
…なら、ボクはいつカイチョーと模擬レースをしたの……?
あれ…?なんだか頭が混乱してきた
クラクラするし目の前がチカチカする
…それに、どこからか音が聞こえて来た
これは……電子音と誰かが泣いてる……
「どっかーん!!!!」
「わひゃぁ!」
突然耳元で大声を聞かされボクは体を跳ねさせた
横を見るとクスクスと『湿度』の僕がいたずらが成功した時のような笑みを浮かべていた
「な、なんだよぉ!びっくりさせないでよ!」
ボクが怒るけど、『湿度』のボクは反省していないようにまるで子供をあやすように返事をしてくる
「ごめんごめん…ちょっと詰め寄ったから怖がらせちゃったかなって思ってね」
「怖がってなんかないよ!」
「あれ?でもボクがこうやって詰め寄ったら…」
そう言いながら僕がまた、ハイライトが消えた瞳で僕に視線を向けながら……って
「やめてよ!なんでそんな表情が作れるの僕!?なんかじっとりしてるよ!!」
ボクはそう言い後ずさりして僕から離れる
僕はそんなボクをみてクスクスと笑う。
「トレーナーと暮らしてたら、いつの間にかできるようになってたんだ」
「トレーナーと暮らしてたらって、一体どういう時にそんなのつかうの!?」
「そりゃ…トレーナーが僕以外の子を見たり…僕以外の子と会話したり…僕以外の子にアドバイスをしたり…僕以外の子を話題に出したり………なんで?どうしてトレーナー…僕以外の子を気にかけるの?………ねぇ、どうして?」
「怖い!怖い!怖い!」
瞳のハイライトが消えブツブツと呟き出した『湿度』の僕から思わず距離を取る
この僕は『専属』の僕よりも大人な、精神年齢が高い僕だなと思ってたけど、違う…
この僕、今の僕よりも独占欲が凄い!というかなんかトレーナーの事になるとジメってしてる!?
トレーナーの事を語り始めた時やあの瞳を見た時、あれっ?って思ったけど…やっぱりちょっと…いや、かなり怖い!!
未だ自問自答している『湿度』の僕の様子を窺いながら、ゆっくりとドアへと僕は足を進めていく
このままここにいたら危ないと、ボクの心のなかのカイチョーが叫んでる
するとまた、「あ…」という何かに気がついたような『湿度』の僕の声が聞こえ…視線があった。
「ぴぇ…」
思わず小さな悲鳴が口から漏れる
僕が暗い瞳でボクをじっと見つめていたのだ。悲鳴をあげるのも無理はないでしょ…
そしてそんなボクを見つめながら『湿度』の僕は口を開いた
「そうだ…ボクに僕のトレーナーを取られる前に白黒つけよう」
「なんで、そうなるの!?」
ボクの口から悲鳴とも言える抗議の声が吐き出される
「だって…君が僕って事は、僕と同じようにトレーナーに出会って『僕』のトレーナーを、ボクが好きになって捕まえようとするって事でしょ?」
「わけがわからないよー!!」
こんなところにいられない
ボクは慌てて部屋から逃げようと、座っていたベッドから床に飛び降りた
バシャン
足元から水音が聞こえる
ターフの感触が足の裏、靴底を隔てて感じ取れる。
あれ?と思いあたりを見渡すといつの間にか周囲の光景は変わりボクの服装も体操服に変わっていた。
ここはトレセン学園のターフ。『専属』の僕と勝負しようとした時と同じ場所。
違うのは天気と場の状態。
天気は雨、場は重バ場
そして『湿度』の僕の服装も変わっていた。
青を基調としたドレスのような勝負服。
『専属』の僕の勝負服が冒険者のような服ならば、こっちはウエディングドレスのようなどこか大人の色気を感じさせる服装。
そしてそんな服を着る『湿度』の僕は……めっちゃ重い空気をまとっていた。
それは雨に濡れた青いドレスだけが原因ではない。
まるで引き摺り込むような、決して逃さないというようなじっとりした念を纏っている。
こんな存在に後ろから追われたらまともな走りができるわけがない。コンディションがぐちゃぐちゃにされてしまう。
これが、三冠を差し切った帝王の姿。
ボクの一つの未来
「じゃあ、スタートは『位置について、ヨーイ…ドン!』でいいよねボク」
『湿度』の僕が『専属』の僕と同じ事を言う
『専属』と違うところは、その表情が…真顔で瞳が暗いってとこ…
「えっと…勝負するのはイイけど…勝負するだけだよね?なにか罰ゲームとかそれ以外の目的があるとか…えっと、つまり、ボクが負けるとひどい目にあったりしないよね?」
一応、念のため、ボクは彼女に聞いて見る
すると『湿度』の僕は真顔から笑顔で…って目が笑ってない…そんな笑顔で答えてくれた
「そんなのはないよ。ただ普通に勝負するだけ…ボクが刺し斬るだけだよ」
「…今、『差し切る』のところ発音おかしくなかった?」
「そうかな?僕ワケワカンナイヨ」
「嘘だ!!!絶対『差し切る』じゃなくて刺して斬るだった!」
「刺して斬るだなんて…そんなのこの小刀でやらないよ」
そういって『湿度』のボクが懐から小刀を取り出す
ボクは迷わず悲鳴をあげる
「なんでそんな危ないもの勝負服についてるの!?」
「ライスだって勝負服についてるし」
「わけわかんないよぉー!!」
ボクは手足をジタバタして抗議するが、僕はクスリと笑うだけで答えてくれない
このままだと刺し斬られる!
そんな恐怖から、どうここから逃げるか頭を働かせるが…
「位置について…」
『湿度』の僕は止まらない
「え、ちょっとまって!」
「ヨーイ…」
ダメ!!待ってくれない!!
え?このまま走る?
いつものように先行で?
でもこんな重い空気を当てられてまともにボク走れるの・・??
追いつかれたら刺して斬られるかもしれないんだよ???
そんな思考が頭を瞬時に駆け巡るが、時間がない
そしてボクは、わけがわからないまま、構えた
こんなところで…こんなところで……
「ドン!!」
「刺されてたまるかぁぁぁぁむぎゅ!!」
そしてボクは白い部屋の壁に激突した
前を見ても隣を見ても
そして念のために後ろを見ても
そこにボクの姿はない
「ちょっと怖がらせすぎちゃったかな?」
よく無意識にトレーナーに向けてやってたら、いつの間にか故意にできるようになっていた瞳のハイライト消しを元に戻し僕はクスクスと笑った
レースが始まったら消える事はなんとなくわかっていた。
ちょっと残念だけどここはそういう夢なのだろう。
そしてこの夢の目的は…
「『無敗の三冠バであるこのテイオー様に過去の僕が助けを求めて来たってわけだね!!わははー!!』っかぁ。もう一人の僕、無敵の九冠バは言うことが違うねぇ。直感でわかったのかな?」
僕はそう呟き、過去のボクが言っていた『専属』の僕の言葉を復唱した。
なんでこんな不思議な事が起こってるのかわからない。
というかそもそもウマ娘なんてわからないことばっかりだ。
見えない友達、シラオキ様、未確認飛行物体、突然現れるゴルシ温泉旅館、発光するトレーナー
いちいち考えても仕方がない。
でも、この夢はあの過去のボクのための夢なのだと言う事はわかる。
そして過去のボクがどうなっているのかもある程度推測できる。
これもトレーナーのために日々知恵を絞っている賜物だ。
そして推測できるからこそ、僕は伝えたい事を全部伝えたからボクをさっさと次の僕へと送り出したのだ
「ま、トレーナーを取られるわけじゃないなら幾らでも協力するけどね…でもまぁ、時間があまりない事ぐらい先に教えてくれてもいいじゃないかなぁ?」
そうぼやいて見るが、これを起こした誰かからの返信はない。
ま、わかってた事だけどね
「じゃ、やることやったし。僕はちょっと好きにさせてもらうよ」
そう言って僕はターフを一人で走りだす。
もう怪我で、骨折で走れなくなっていたと思っていたターフを走る。
これは夢だ。現実ではない。
だけど、それはとても気持ちよく。
ちょっと目から雨粒がこぼれ落ちた。