西暦2065年10月16日。
大量の硫黄酸化物と窒素酸化物を含んだ酸性の雨は、絶えず降り続き、超高層建築物とネオンサインの光に照らされて輝きながら地を打つ。頭上に広がる雲は分厚く、都市が放つ電気を反射して少し橙の混じった紫色を呈している。
もう季節は初秋に入っているうえ、しかも今は夜だというのに、気温は27度だ。
無秩序に拡大し、複雑怪奇に入り組んだ街路地を歩く人々は、みな合成樹脂製の
人々の表情は、ほとんど見て解ることができない。大多数がただ下を向き、その他のほとんどもスマートフォンを操作しながら危うく歩いている。表情がわかる人といえば、子供かこの街に初めて来た人くらいであろうか。
路地の端にはネオン看板とスピーカーが並ぶ店舗が乱立している。店主に日本人は7割程度しかおらず、残りは中国人やインド人、その他欧米系らしき人々である。
「いらっしゃいいらっしゃい! うまいよ安いよ~!!」
「本格中華料理はどうです? 入って入って」
彼らの呼びかけに応じて、数十人かが店へ入っていった。店舗前の路側帯の上には、これでもかというほど大量のケーブルが連なっている。
店に入らなかった人々は、空を飛ぶ海水魚型の
「生体融合の新時代、新しい筆が必要です──サイバネボールペンで、天上人の書き心地を体験しましょう!」
「安~い、安い、実に安価だ、お買い物なら安息マートへ」
「醤油ラーメン一杯でなんと499円! さあいらっしゃいいらっしゃい‼」
「本日の酸性雨,
「飲むだけでパワーMAX! 明日の活力はマックスレモンでチャ~ジ!」
「魅惑の躯体をとくと御覧して体験なさい、最先端のXY遺伝子の結晶、初初しき徒童との交叉を求めるならばこの『受容夫身』へ来訪すべし」
騒がしい音声の数々に、しかし人々は顔を上げようともしない。宣伝広告飛行船と高層ビルの数々は、酸性雨降り注ぐ闇空を人工的に
遠くの方をよく見ると、港湾に隣接した工業・発電地帯の施設が燦然と輝きながら大量の白煙を吐瀉しているのがわかる。白煙は徐々に薄まっていき、淀んだ都市の空気に同化していった。
市民の頭上を、数機の飛行機が成田国際空港や品川国際空港に向かって飛翔していた。ビル群を掠めて飛んでいく鉄鳥は、轟音を響かせながら高度を落としていく。
市民が歩く道の端には大量のペットボトルや空き缶、煙草の吸い殻が転がっており、自動清掃ロボットがこれらを緩慢な動きで回収していく。時折、ロボが粗末な衣とダンボールに身を包んだ浮浪者にぶつかり、後ずさりするのも、もはや見慣れた光景である。
彼ら浮浪者の一年後の運命は、ほとんどが死だ。有毒な酸性雨とスモッグが支配するこの街で、傘も清浄機もなしに路上で過ごすのは、あまりにも過酷である。
天に向かって伸びる摩天楼の大森林。火花を散らして点滅する接触不良のネオンサイン。遥か上にそびえ立つ、上流国民の住居と、それを見上げる男女。湯気と声掛けで人を呼ぶ、衛生管理の概念を忘れた屋台。
屋根や壁、パイプを伝って降りていく酸性雨。
ここは東京。歪つに発達し、汚染されたニッポンの首都である。
・設定集
・防水外套:防水機能付きのコート。
・宣伝広告飛行船:マグロに似た形をした飛行船。広告をながす。
・サイバネボールペン:生体融合科学技術を使ったボールペン。脱力していてもきれいな字が書ける。
・安息マート:メガコーポの一つ。ウォルマートのような巨大スーパー。
・マックスレモン:栄養ドリンク。
・受容夫身:楊康徹が運営する、青年以下専門の売り専風俗。
・上流国民:要するに金持ち。
・サイバネティクス:生体融合科学。