ここから本編始まります。
西洋の町並みが広がるこの宿町では、彼の風貌は明らかに浮いていた。
黒髪黒目、腰には湾曲した剣を提げて、着物の裾をはためかせながらゆったりと歩く旅人。その様子はこの異国の地にはさぞ不釣り合いだったことだろう。彼は時折立ち止まり、辺りの様子を確かめていた。
「ふぅ、なんとか日が暮れる前には着いたでござるな」
旅人の名前は秋風楓といった。肩口まで伸びる髪を後ろで一つ結びにして垂らしており、女とも男ともとれる顔立ちをしている。
だが男だ、すまない。身長は自称百六十五であるが、実際はそれより低いかもしれない。
「おう兄ちゃん! ここらじゃ見ない顔だな? この町は初めてかい?」
そんな余所者である楓に、人の良さそうな禿げ頭が声を掛けた。寂しい頭にはちまきを巻きつけていて、見るからに暑苦しい。この町の住人だろうか。黒いシャツの上に革のベストを着ている。
「その通りでござる」
「おう、ガストハオスへようこそ! と言っても、特に何にもねえ町なんだがな!」
ガハハと禿げ頭は一人で笑っている。つんと鼻に来るアルコールの香り。どうやらこの禿げ頭は昼間っから酔っ払っているらしい。
「まっ、のんびりとした所さ。ゆっくりしていってくれや」
「そうさせてもらうでござる」
楓は短く答えると、また景色を楽しむようにゆっくりと歩き出した。
――ここはガストハオスという宿町である。人口千人ほどの小さな町で、これといった特産品は無い。強いて挙げるのなら温泉があるくらいか。
しかし、温泉があるというのは楓にとって大きかった。なんせ楓は
「おーい! 兄ちゃん、ちょっと待ってくれ!」
楓は声をかけられて振り返った。先程の酔っぱらいはよっこらせと言って立ち上がると、千鳥足になりながらこちらに向かって歩いてきた。
「俺ぁ、宿屋を切り盛りしてるもんでよぉ……。まだ宿を見つけてないようだったら、うちに来てくれねえか? 安くしとくからよ!」
男は顔の前で手を合わせて懇願する。
「願っても無い申し出でござるよ。ちょうど今晩泊まる場所を探していたところでござるから、有難く行かせてもらおう」
「本当か!? んじゃ、早速案内するぜ」
「ああ、よろしく頼むでござる」
男が先頭に立って歩き出す。その後ろを楓が続く。二人は裏道に入ると、暗がりを好むように奥へ進んでいった。
……やがて、袋小路に差し当たり、酔っぱらいは足を止める。
「道を間違えたのでござるか?」
「……なあ、兄ちゃん」
「む?」
振り向いた男の表情を見て、楓は何か嫌なものを感じた。この男の目つきは尋常ではない。瞳の奥底に仄暗い炎のようなものが見え隠れしている。
「有り金置いてきな」
男がドスの利いた声で言った。楓はその言葉の意味を理解するまでに数秒かかった。
「……えっと、それはどういう意味でござろう?」
「そのままの意味だよ。有り金を全部出しな」
あまりの豹変ぶりに楓が言葉を失っていると、後ろからの足音に気づいた。
人相の悪い男が二人増えた。一人は体躯に恵まれている筋骨隆々のスキンヘッドで、楓と並べば大人と子供ほどの体格差がある。もう一人はトカゲのような目つきをした豚足の男。短剣を舌舐めずりする仕草に、楓は思わず顔を顰めた。
「そうでヤンスよ。痛い目にあいたくなかったら、さっさと財布を置いてくヤンス!」
トカゲ目の男が下卑た笑みを浮かべながら脅した。その後ろに控えるスキンヘッドは無言で圧を放っている。
「……なるほど、そういうことでござるか」
ようやく状況を理解できたのか、楓は小さく呟いた。
町に不慣れな旅人に声を掛けて裏通りに連れ込んでは、こうして三人組で金を強請る。彼らはその常習犯で、楓のようなお上りさんは恰好のカモだった。
楓は嘆息すると、懐に手を入れる。
「おい、抵抗しても無駄だぞ?」
化けの皮が剥がれた酔っぱらいの禿げ頭が言う。いや、それすらも演技で、目の前の男は酔っ払ってもいないただの禿げなのかもしれないが。
「ほれ、これが拙者の全財産でござる」
「あ?」「は?」「え?」
三人組は一斉に素っ頓狂な声を上げた。楓は懐から巾着を取り出すと、その中から銅貨を一枚取り出して見せた。
「だから、これで良いでござるか?」
「……う、嘘つけ! んじゃ、銅貨一枚足らずでどうやって宿に一泊しようと考えてたんだよ! どの宿でも少なくとも銅貨三枚は必要じゃねえか!?」
「ははは、これは一本取られたでござるな」
楓は頭を掻いて笑うと、改めて巾着を取り出した。
「こっちは銀貨でござる」
「ハッ、ちゃんと持ってんじゃねえかよ」
楓はさらに続けて、巾着の中から貨幣を一枚取り出した。
「こちらは金貨でござる」
楓の手のひらの上で煌びやかに光る黄金の貨幣。その眩い光沢は正しく金貨特有のものであった。
「こんなもんで足りますかな?」
「…………」
三人組は言葉を失った。まさかここまでの大金持ちだとは思わなかったのだろう。
この世界の貨幣の価値について説明すると、さきほど禿げ頭が言った通り、銅貨三枚で安価の宿に一泊できるほど。そして、金貨一枚=銀貨百枚=銅貨一万枚となる。
つまり金貨一枚もあれば、そこら辺の宿に三千泊以上もできてしまうのである。
「貴方たち、そこで何をしているのです!」
じめじめとした雰囲気の路地裏に、凛とした女性の声が響いた。その場に居た全員がそちらへと視線を向ける。
そこに立っていたのは一人の少女。腰の高さまで伸びた綺麗なブロンドヘアーと、澄んだ青い瞳が特徴の、誰が見ても美しいと言えるような可憐な容姿をしていた。
「その旅人から離れなさい」
「チッ、面倒なことになったな」
毅然とした態度で金髪の少女は言い放つと、さらに一歩前に出た。堅気には見えない三人組を前に全く臆していない。
「おいおい嬢ちゃん、何を勘違いしてるんだ? 俺らは右も左もわからない旅人に町案内をしてただけだぜ?」
「そうそう、俺らは善意でやってるだけさ」
「そうだそうだ!」
口々に三人は弁明するが、どうにも胡散臭い。
「……とてもそうは見えなかったけど?」
「はぁ……。なら、道案内は嬢ちゃんに任せたぜ? お前ら! さっさと行くぞ!」
「えっ、あの金貨はいいんですかい?」
「馬鹿! いいから行くぞ!」
あっさりと引き下がる判断を下した禿げ頭に、他の二人はしばらく呆気に取られていたが、やがて禿げの一喝によってその場から去っていった。
「ふう……。怪我はないかしら?」
「かたじけない。助かったでござるよ」
楓は助けてくれた少女の方を見ると、深々と頭を下げて礼を述べた。
楓よりも少し背が低いくらい。年の頃は十六、十七といったところか。身に着けているのは薄手のシャツとズボン。旅装というよりは、どこかの令嬢が散策に出かけているように見える。
「いえ、当然のことをしたまでよ」
金髪の美少女は優雅な仕草で髪をかき上げた。その所作一つ一つが美しく、まるで絵画から飛び出してきたようだ、と楓は思った。
「拙者は秋風楓と申す。東の方から流れ歩いてきた風来坊でござる。改めて、礼を言わせてもらうでござるよ」
「東の方から、ね。ああ、私はエリン、冒険者エリンよ。よろしく」
「エリン殿でござるか。こちらこそ、よろしくお願いするでござる」
エリンが差し出した手を、楓が握り返す。二人の自己紹介が終わると、早速話題は先程の男たちへと移っていった。
「それにしても災難だったわね。ガストハオスに来て、いきなりあんな輩に絡まれるなんて」
「拙者も迂闊でござった。この町に来たばかりでござるし、もっと警戒しておくべきでござったな」
楓は反省するように腕を組んだ。そんな様子を見て、エリンは小さく微笑む。
「ところでエリン殿――何故、拙者の後をつけていたのでござるか?」
「えっ!?」
楓の言葉に、それまで笑顔だったエリンの顔が一瞬にして強張る。
「き、気づいていたの? 魔道で足音も消したのに……」
「足音のない気配の方が怪しいでござるよ」
楓は苦笑する。
「……流石はかのサムライ」
エリンは小さく呟くと、観念したように事情を話した。
「別に、貴方が危なっかしそうだったから尾行していただけよ。近頃はああいう輩が多いから」
ため息交じりにエリーゼは言う。聞くところによると、ここ最近ガストハオス……というよりも、この領地の治安は全体的に悪くなっているらしい。
元々、この領地では奴隷売買が盛んだったが、今の領主になってからは表向きは禁止されている。だが、それでも闇で取引されているという噂は絶えない。人攫いもまた然り。
幸い、先程の三人組は人攫いではなかったようだが。
「さて、気を取り直して、今度こそ私が信用できる宿に紹介してあげるわ」
「かたじけないでござる」
二人は並んで歩き始める。しばらくして、ようやく町の喧騒が見え始めた。活気ある町並みは見ているだけで心躍らせるものがある。
楓はふと空を仰ぎ見る。日が傾きかけていた。もうすぐ夜になるだろう。
「ここよ」
エリンは一軒の宿屋の前で立ち止まると、誇らしげに言った。
「おお、立派な宿でござるな」
「そうでしょう?」
楓は素直に感嘆の声を上げる。
そこは大通りに面した大きな建物だった。木造建築で、二階建ての造りになっている。入り口の扉の上には看板が掲げられており、そこには宿の名前らしき文字が書かれている。
「ここは私の行きつけの宿だから、安心して利用していいわ」
「かたじけない」
「それじゃあ中に入りましょう」
エリンが木製のドアを押し開けると、カランコロンと鈴の音が鳴り響く。同時にカウンターの奥にいたダンディな髭を生やした男性が顔を上げた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ただいま、マスター。今日も来たわよ」
「おや、そちらの方は?」
店主が楓に視線を向ける。楓は軽く会釈を返した。
「お初にお目にかかる。拙者、旅の者で秋風楓と申す。エリン殿の紹介で参ったのだが、部屋を一つ借りれるだろうか」
「ええ、勿論ですとも。直ぐにご用意いたします」
店主はすぐに鍵を持ってくると言い残し、奥へと引っ込んでいった。その後ろ姿を見送ってから、楓は改めて店内を見渡す。
内装は外観と同じく木を基調としたもので統一されており、落ち着いた雰囲気が漂っていた。壁際には棚が設置されており、様々な種類の酒瓶が並べられていた。
ぐぅううううーー。その時、腹の虫が宿の中に響いた。楓は思わず腹部を押さえる。
「あら? 今のはカエデの?」
「たはは……恥ずかしながら」
楓が頬を掻いて答える。すると、エリンは何か思いついたのか口を開いた。
「なら、お勧めの食事処も紹介するけど?」
「かたじけない。是非お願いしたいでござる」
「決まりね。こっちよ」
エリンは楓を連れて、宿を出た。
二人がやってきた場所は町の中心部に位置する市場通り。そこでは野菜や果物、肉などの食材はもちろんのこと、衣服や装飾品など様々なものが売られていて賑やかな雰囲気に包まれていた。
「そういえば、この町にはいつまで滞在するつもりなの?」
「明確には決めてござらん。それでも、すぐに発つつもりはないでござるよ」
「そう、貴方が満足するまでいるといいわ」
「そうさせてもらうでござる」
二人はそんな会話を交わしつつ、目的地に向かって歩いていく。市場を抜け、脇道に入ると、やがてその店は見えてきた。
「着いたわ」
エリンが立ち止まり、店の方を指さす。楓はそちらに視線を向けた。
「これは、お店なのでござるか?」
「ええ、その通りよ」
楓の目の前に建っているのは、一見して普通の民家にしか見えない。しかし、よく見ると窓にはガラスが嵌め込まれており、その下には小さな看板が吊り下げられている。
「なんと申すか……落ち着いた雰囲気の店でござるな」
「そうでしょう? ここは喫茶店なんだけど、けっこう美味しい料理を出してくれるのよ」
エリンが自慢げに語る。ここも行きつけの店の一つなのだろう。
「さて、入りましょうか」
「そうでござるな」
エリンに続いて楓は店内に入る。
室内は薄暗く、ランプのような照明器具が天井から吊るされていた。床は板張りになっており、テーブル席が四つほど、カウンター席もあるようだ。
「らっしゃい!」
カウンターの向こう側から声を掛けられた。
そこに立っていたのは、肉付きのいい男性。年齢は四十代半ばといったところか。白いコック風の服に身を包んでいて、喫茶店のマスターというよりかは、飲食店の厨房の方が似合っている。
「こんにちは、ダンさん」
「おお、エリンちゃんか。っと、そっちは見ない顔だな?」
「こっちは旅人のカエデ。今日は私がここを紹介したの」
「よろしくでござる」
楓は礼儀正しく頭を下げる。それを見たマスターは、ほう、と感心したような息を漏らした。
「おう、俺はこの店のオーナーのダンってんだ。よしっ、今日は腕によりをかけて作ってやっからな!」
「感謝いたす」
楓はもう一度頭を下げてから、空いているテーブル席に腰掛けた。エリンも向かい合う形で席につく。
「それで、何にするよ?」
「私はいつものにするわ」
「ん、それじゃあ拙者もそれを頼むでござる」
「あいよっ」
ダンは元気に返事をして、調理に取り掛かった。
「ねえ、カエデ。貴方のその腰に差してる剣って」
エリンが興味深そうな視線を楓の刀に向ける。楓は小さく笑って答えた。
「これは、刀。拙者の祖国に伝わる刀剣でござるよ」
「……やっぱり」
エリンは小さく呟く。それから、徐に席を立ち上がった。
「ごめんなさい。少し、お手洗いに」
「分かったでござる」
◇
エリンは――本名をエリーゼ・ローゼンハイムと云う少女はトイレの個室に駆け込むと、急いで鍵をかけた。
エリーゼは便座に腰掛けて、深い深いため息をつく。いや、それはため息というよりも深呼吸。自分自身を落ち着かせるためのものだった。
「まさか、こんなところで会うなんて……」
彼女は今にも心臓が口から飛び出してしまいそうになるくらい緊張していた。膝を抱えて、先程の旅人――秋風楓のことを思い出す。
彼女には、誰にも言えない秘密があった。
「あ、あれは間違いなく本物のサムライっ! ど、どどどうしましょうっ!?」
それは、エリーゼが熱狂的な日本かぶれ――いや、『大和』かぶれであるということ。
悲劇は彼女の幼少期、エリーゼがとある本と出会ってしまったことから始まる。その本には最東にある島国、『大和』について記されていた。『大和』の民たちは独自の文化を発展させており、中でも有名なのが忍と侍であった。
幼いエリーゼは『大和』の国に強く惹かれた。いや、今でもその感情は薄れない。
なんせ忍に憧れるあまり、彼女は服の下に常にオーダーメイドの忍び装束をまとっているくらいだ。加えて、護身用に携帯している武器は鎖鎌である。
そんな彼女が侍と出会えば、一体どんな反応を示すのか。
「はぁ……」
再び、エリーゼは深く息を吐き出した。
「大丈夫かしら、私」
彼女は平静を装うのも精一杯だった。
◇
その噂の侍はテーブルに突っ伏していた。楓は顔を赤くして小刻みに震えている。
彼には、誰にも言えない秘密があった。
(やばい! ござるござるって言うの、もう恥ずかしいんだけど!?)
秋風楓はいわゆる転生者である。
しかし、転生特典らしきモノはなく、代わりにその身は重い呪いに蝕まれていた。その名も『ござる口調の呪い』。そう、彼は生まれつき、ござる口調でしか喋ることができなかったのである。
「おぎゃーでござる、おぎゃーでござる」とこの世界に産声を上げた彼は両親に大変気味悪がられ、三歳の時に山に捨てられた。よくもまあ、三年も保ってくれたよね。
楓はへこたれなかった。それどころか、ござる口調なのに剣術がからっきしだったら可笑しいと思い、山に籠もってひたすら修行に明け暮れた。
そうしてめちゃくちゃ山籠りして、かれこれ二十年。『技』を身につけた楓はついに山を降り――現在、羞恥心で悶えていた。
(はぁ……早くこの呪い解きたい)
楓は大きなため息を吐く。彼の旅の目的は、ござる口調を卒業することであった。
年末でめちゃくちゃ忙しいので、更新はクソ遅くなると思います。ごめんなさい。