禊の風   作:エタリオウ

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 戦いは終わり、故郷を失ったジョンは日本へ旅立った。しばらくしてから、ジョンから便りが届いたんだ。山形で弓引いたら矢曲がったんだけど!ってな!

 ここからが本編です。


叩き折られたおじいさんの竹箒

(あの、なんか踏んじゃったんだけど……?)

 

 楓は頭上を見上げる。ちょうど真上に位置する宿の一室の窓が開け放たれており、カーテンがひらひらと舞っていた。なるほど、自分は彼処から落ちたらしい。

 

 そして、再び視線を下に降ろす。額に大きな傷跡の走った大男が此方を見据えている。その足元には、一部凹んだ兜が転がっていた。なるほど、自分はこの男を踏んづけてしまったらしい。

 

 楓は一つ、こほんと咳払いをする。

 

「怪我はないでござるか?」

 

 なるべく優しい声色で問いかける。これ以上、目の前の甲冑に身を固めた大男を刺激しないためだ。

 

「は、はひぃ……」

 

 何故かそれにエリンが答えた。なんでや。しかもめちゃくちゃカミカミである。

 

 楓はちらりと後ろにいるエリンを一瞥する。目に涙を溜めて、その体は震えていた。そこで楓は、これが痴情のもつれによる口論ではないことを悟る。

 

「貴様……これは私をローゼン騎士団の長、アルスランと知っての狼藉か」

(いや、知らなかったです)

 

 アルスランは威圧感のある低い声で言う。楓は元日本人の性ですぐに謝りたくなったが、まずは状況の把握に努めた。

 

 素早く視線を巡らせる。周囲にはアルスラン以外の甲冑姿の男が四人、エリンと楓を囲むように立っている。その手には荒縄が握られていた。

 

(えっ、何これ事案?)

「そこに御座すは領主エリゴール卿のご息女、エリーゼ・ローゼンハイム様である! さあ、エリーゼ様を此方に渡してもらおうか」

(全然違ったわ)

 

 ここで初めて楓は事態を理解した。

 

 エリンは偽名で、本名はエリーゼ・ローゼンハイム。元々冒険者というには優雅な立ち振る舞いだと怪しんでいたが、それがよもや領主の娘だったとは流石に楓も思わなかった。

 

 さて、どうやら騎士団長さまはエリーゼを連れ戻しに来たらしい。

 

「……それはできぬでござるな」

「何?」

 

 口を衝いたのは拒絶の言葉。

 

 しかし楓は一瞬、大人しくエリーゼを渡した方が良いのではないかと思った。それは自己保身のためではなく、親元に帰した方が彼女のためではないだろうかと考えたのだ。

 

 だが結果的に彼は拒否した。理由は単純で、楓がこの騎士団長の頭を踏んづけていたからだ。今更エリーゼを渡したところで、きっと土下座しても許されることはないだろうから。

 エリーゼの震える体や目に溜まった涙も、理由になかったわけでもない。

 

「嫌がる彼女を渡すわけにはいかぬでござるよ」

「カエデ……」

 

 アルスランは眉間にシワを寄せ、楓を睨め付ける。

 

「私は誉れあるローゼン騎士団団長。此処で不躾な旅人一人斬り捨てようが、誰も咎めることはあるまい」

「ほう」

「その上でもう一度問おう」

 

 アルスランは楓に歩み寄り、その太い腕を差し出した。

 

「エリーゼ様を此方へ寄越せ」

「断るでござる」

 

 楓は即答する。すると、アルスランの部下達は一斉に武器を抜き放った。

 

「待て、お前たちは手を出すな」

 

 しかし、アルスランはそれを手で制した。

 

「お前たちでは歯が立たん。私が相手しよう」

「随分と身に余る評価でござるな」

「抜かせ、相手の実力も計れずして騎士団長が務まるものか」

 

 言いながら、アルスランが宙に手を翳す。すると、そこに光を伴った幾何学模様が浮かび上がり、彼は無骨な大剣を引きずり出した。

 

 楓の眉がピクリと動く。

 それは俗に収納魔法と呼ばれる、ごく一般的な魔道の一つ。その引き出しの容量は術者の才に寄り、両手剣を入れられる程となれば、かなり珍しい部類になる。

 

「貴様は武器を取らんのか?」

「はっ! カエデ、腰に差していた刀はどうしたの!?」

 

 アルスランの言葉で、エリーゼは楓が佩刀していないことに気がつく。彼女は慌てて楓に問いかけるが、楓は言いづらそうに目を逸らした。

 

「あー……何処かに置いてきたようでござる」

「そ、そんな……」

 

 まさか素直に昨日の三人組に譲りましたと話すわけにもいくまい。楓は頬を掻きながら、嘘をついた。

 それを聞いたエリーゼは青ざめ、その顔を絶望に染める。楓は心の中で彼女に謝罪した。

 

(ま、拙いわ……! アルスランはシュラハトの武闘大会を三連覇した猛者。いくら楓がサムライでも、丸腰で勝ち目はないわ)

 

 しかし、幾ら焦ったところで彼女にはどうすることもできない。戦いはもう、始まろうとしているのだから。

 

「無手だろうが情けはかけんぞ?」

「望むところでござる」

 

 楓は綽々とした態度で答えるが、その内心は穏やかではなかった。

 

(やっべ〜、武器ないのすっかり忘れてた)

 

 ヤバい、ヤバイヤー、ヤバエスト。ヤバいの三段活用を脳裏に思い浮かべてしまうほど、楓は窮地に立たされていた。最早逆に笑いがこみ上げてくる。全く勉強しないで来たテスト前のような心持ちであった。

 

「行くぞ、旅人よ!」

 

 アルスランが吠えたと同時に、地面を踏み砕く。その巨躯からは想像もつかない速度で間合いを詰めてきた。

 

(うおっ、速ッ……!?)

 

 咄嵯に楓は身を捻って回避しようとするが、アルスランの一撃は風圧だけで楓を吹き飛ばした。

 辛うじて受け身を取ったものの、その衝撃で地面に亀裂が入る。直に受ければペチャンコになること間違いなしだ。

 

「『身体強化魔法』でござるか。しかし、これ程の速さとは……」

 

 楓は立ち上がり、体勢を立て直す。しかしその眼前には既にアルスランの姿があった。

 

(は、速すぎる。こんなの目が追いつかないわ)

 

 その速度にエリーゼは戦慄する。凄まじい速度で襲いかかってくる鉄の固まり。思わず楓は前世の自動車を想起させる。

 

「フンッ!」

 

 アルスランの剛腕から放たれる大上段からの振り下ろしが迫る。楓は一瞬、『真剣白刃取り』を考えたが、すぐに不可能だと諦めて後ろに飛び退いた。

 

 ズドンと大地を揺るがすような音が響く。楓の立っていた場所の地面が大きく陥没した。もしあの場に留まっていたのなら、間違いなく楓の体は真っ二つになっていただろう。

 

 楓は近くに視線を走らせる。何か、使えるものがないだろうか。そこで楓の目に留まったのは、箒で道を掃くおじいさんだった。

 

 楓は足に力を込めて走り出す。アルスランがすかさず楓を追いかけて、その背に向かって大剣を振り下ろす。

 だが、その攻撃は空を切った。楓は横飛びで攻撃をかわすと、そのまま全力疾走でおじいさんの元まで駆け抜けた。

 

「すまぬがご老人、その箒を借りても良いだろうか?」

「わし? ああ、別に構わんが……」

「感謝いたす」

 

 楓はおじいさんから古ぼけた竹箒を預かると、それを正眼に構えた。アルスランはそれを見て鼻で笑う。

 

「高が棒切れで、私の剣を受け止められるものかッ!」

 

 アルスランは再び楓に肉薄する。そして、先よりも更に速い動作で大剣を振り下ろす。対する楓はその太刀筋を見極め、竹箒を振りかざす。

 

「受け止めはせぬ。ただ往なすのみ」

「ぬッ!?」

 

 楓は迫りくる両手剣の腹を箒で思い切りぶん殴り、その軌道を僅かに逸らせる。次の瞬間、アルスランの剣は楓の真横の地面に沈み、おじいさんはほげぇっ! と驚愕の声を漏らした。

 

 しかし、形勢逆転とはいかない。すぐさまアルスランの蹴りが飛んできたため、楓は再び間合いの外側に追い出されたからだ。

 

「驚いた、まさか竹箒で大剣を凌げるとはな」

「お褒めに預かり光栄でござる」

「だが、勝った気でいられては困るな」

 

 その時、楓の視界からアルスランの姿が掻き消えた。

 

「私はまだ『身体強化』を使っていない」

「なっ――」

 

 声は後ろから聞こえた。楓は全身の毛が逆立つ感覚を覚えて、勢いよく振り返る。アルスランは楓の背後を取っていて、大剣を楓に叩きつけようとしていた。

 

 ほとんど脊髄反射の域で、楓はその大剣に竹箒をあてがう。

 

(重ッ!?)

 

 先程とは段違いの重量を帯びた一太刀。

 往なそうと力を込めた竹箒はしなりにしなり、終いにはバキッと真っ二つに逝ってしまった。おじいさんがあっ……と切ない声を漏らす。

 

「これが私の全力だ」

 

 見下ろすようにアルスランは言う。楓は折れてしまった竹箒を手に、苦い顔をして独りごちた。

 

「弘法筆を選ばずとは言うが、流石にこれは無謀でござったか……」

 

 

 ◇

 

 

 これは、楓が寝ぼけて転落事故を起こした少し後のこと。

 

「ちくしょうっ! この剣が銅貨一枚にもならないだと!?」

 

 大通りのど真ん中で、禿げが怒号を上げていた。その隣では豚足のゲレオンがやれやれと肩を竦めている。

 

「あれはどう考えても親分が悪いでヤンスよ」

「なんだと!?」

 

 ゲレオンの言い方にガインは更に腹を立てるが、それも仕方がない。なんせこの一件は、本当にガインが悪いとしか言いようがなかったからだ。

 

 武器屋の店主は始め、刀の美しい波紋に見惚れて高値で買い取ろうとしたのだが、それに気分を良くしたガインは『そうだろうそうだろう!  なんせこの剣は武闘大会の優勝者の持ち物だからな!』などと口走った。

 途端に店主の目は胡散臭い者を見るものに変わり、当然何故そんなものをガインが持っているのか疑った。快く譲ってもらったのだと正直に話しても信じてもらえず、厄介ごとに巻き込まれたくない店主はやっぱり買い取らないと言い出したのだ。

 

 しかも一度ならず、それと同じようなミスを異なる武器屋でもガインがしでかしたので、もう呆れる他ない。

 

「んあ? なんだ、この人だかりは」

 

 前方でに通りを塞ぐように人の壁ができている。彼らは何やら興奮した様子で、ザワザワと騒いでいた。

 

「おい、一体これは何の騒ぎなんだ?」

 

 ガインは野次馬の一人を掴まえて訊ねる。男は興奮冷めやらぬという様子でガインの問いに答えた。

 

「決闘だよ! ローゼン騎士団の団長と異邦人が決闘してるんだ! しかも、あの騎士団長相手にかなり善戦してるっ!」

「ほう?」

 

 興味を引かれた三人組は人垣をかき分けるようにして前へ進む。

 野次馬たちの中央で戦っていたのは、三人組が昨日出会ったばかりの少年だった。その少年は矢継ぎ早に繰り出される騎士団長の剣を紙一重で躱し、目を光らせ隙を伺っている。

 

「あの身のこなし……やはり只者じゃなかったか」

「お、親分……っ!」

「あん? どうした?」

 

 何やらゲレオンが指を差している。その先を辿るようにして、ガインは視線を動かした。

 

「帚でヤンス……! アイツ、竹帚一本で騎士団長と戦っているんでヤンスよっ!」

「な、なにぃ!?」

 

 確かに言われてみれば、その少年の手に握られているのはボロっちい竹箒。ガインは目を見開いて驚き、やがて怒りの感情が湧いてきた。

 

 騎士団長アルスランと云えば、その名を知らぬ者などいない王国屈指の実力者だ。それを帚一本で相手取るなぞ、些か自惚れが過ぎるのではないか。

 

 しかし、そんな考えは直ぐに吹き飛ぶ。楓の後ろでへたり込む、金髪の少女の姿が視界に入ったからだ。

 

「アイツまさか……ッ!」

 

 これは端から決闘ではなかった。

 詳しい事情は分からないが、騎士団に追われる身の少女を助けるために命懸けで戦っているのだ。そして貧弱な竹箒をやむを得ず使っているのは……。

 

「どんだけお人好しなんだよ、あの野郎はッ!」

「お、親分っ!?」

 

 気づけばガインは駆け出していた。ちょうどその時、楓の竹箒がアルスランによって叩き折られる。

 

「受け取れ! 旅人ぉぉぉおッ!」

 

 叫びながら、ガインは楓に向けて何かを思い切り投げつける。それは回転しながら空を切り、まるで持ち主の元へ帰るかのように楓の手の中に収まった。

 

「か、勘違いすんじゃねえぞ! お前のためにやったんじゃねえからな!? 俺はただ……そう、騎士団の連中にムカついてんだよ! その剣で騎士団長の鼻をへし折ってやんなっ!」

 

 刀を受け取った楓は、返事の代わりに柔らかく微笑んだ。その後ろにアルスランの影が迫ってくる。

 

「あっ、おい旅人! 後ろッ!」

 

 ガインが叫ぶが、楓は振り向かない。それどころか、その場でゆっくりと息を吸い込んだ。

 

「フンッ!」

 

 アルスランの剛剣が楓に迫る。楓は一歩もその場を動かないまま、静かに鯉口を切った。

 

 ――鞍馬剣舞 一の太刀

 

 丸太のような大剣が楓に触れるか否か紙一重のところまで近づき、ようやく彼は刀を引き抜く。

 

断風(たちかぜ)ッ!」

 

 その時、一陣の風が吹き抜けた。

 

 ガインは眼前の光景に自分の目を疑い、エリーゼはその流麗な剣技に心を奪われた。

 

(かあっこいい……)

 

 野次馬もすっかり黙りこくっていた。中には二人の勝敗を賭け事にしていた者もおり、何度も何度も目を擦っていた。

 

 なぜなら、彼らが勝利を疑わなかった最強の騎士、アルダインの両手剣が、その半ば辺りから真っ二つにされていたからだ。

 

(いや、ノリノリで我流剣術に名付けちゃったけど、鞍馬剣舞ってなんだよォォ〜〜ッ!)




 たぶん次の更新は一年後くらいです。

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