「るろうに剣心」と「壬生義士伝」のクロスオーバーです。
 壬生義士伝の主人公である吉村貫一郎の思い出を、維新から30年ほどたった後で緋村剣心と斎藤一が語り合うものです。
 なお、「壬生義士伝」については原作改変ありませんが、るろ剣については「星霜編」の展開がほぼ無かったことになっています。その点ご注意ください。
 エピローグは声優ネタです。
 pixivにも以下のURLに投稿しました。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16527630

追記12/25
noteにも投稿しました
https://note.com/mickhero_ng/n/n5bb0ebbc0b12

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 式波ヴンダーの作者である戦車@MoterSensha 様の「るろうに剣心異聞──抜かせずの男、吉村貫一郎」に感動し、彼らのその後を妄想してしまったものです。発表を快諾していただいた戦車様に、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 原作はこちらです。 
https://togetter.com/li/1799039

 なお、作中のお茶の水女子大学とわんこそばについての評価は、筆者が実際にお茶の水のOGと岩手県民から聞いたものです。


都鄙問答 蕎麦の巻

 「蕎麦粉を、くれてやろう」

 バタ臭い向きが新時代と騒ぎ立てている「20世紀」というのが近づきつつあるとある秋の日曜日、昼前のことだ。

 宿直室の扉にブラ下がっている黒板には、本日の当番は藤田であると記されている。

 「おらぬのか、斎藤」

 50歳ほどの痩せた和装の小男が、宿直室の扉を叩きつついった。色白には似合わず、男の髪は長期間日光に晒されていたように赤銅色に褪色している。柔和な顔の左頬には茶褐色の古傷が二つ、十字を成している

 小男が門前に大八車を止めて立ち入ろうとしているのは、徳川の世には昌平坂学問所であった場所だ。明治の御世にも学校ではあるが、学生は全て女となっている。約10年前に東京師範学校から分離した、東京高等女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)である。暴漢の立ち入りを防ぐべく、課業外と休日には門は閉ざされている。宿直室は閉ざされた正門脇の門番の詰所の一角にあった。

 「なぜわざわざこのようなところに、緋村抜刀斎」

 小男とは対照的に鋭い目つきの洋装の大男が、扉を開けつつ答えた。

 「おなごは売るほどおっても、どれも目の保養にはならぬ。集まればそれなりに見栄えのしないことも無いがな、菜の花のように」

 緋村は取り合わず、自分の事情のみを話した。

 「清国の帰り、台風が近づいているとかで大阪で船を下ろされてしまったのでござる。やむを得ず荷駄を求めて中山道を上り、一月かけて帰ってきた。白乾児(中国北方の蒸留酒)などは口に会わぬだろうと思い、事のついでに信州で蕎麦の実を買い求めて進ぜた」

 そして昨日自宅の石臼で粉にして、手土産にと真砂の居宅を尋ねた。生憎と斎藤本人は不在で、奥方から本日は当直と聞いてやってきた。と、隣村に手紙を届けに行ったほどのように気安く話を済ませた。

 「船から落ちて行方不明になったと聞いていたが」

 緋村を部屋に招き入れ客人向けのソファーに座らせてから、蕎麦粉の詰まったカマスを受け取り香りを確かめつつ、斎藤は尋ねた。

 「確かに足を滑らせて落ちそうにはなったが…。大陸での要件が思いもかけず長引いての、妙な噂がたっても仕方ないでござる」

 「芭蕉を気取ったという訳か」

 俳聖がその実は雄藩を内偵していた忍者であった史実は、この時代の政治に足を突っ込んでいる者の間では常識である。漏れ伝え聞くところによると、緋村が5年以上姿を消していたのは日清戦争前後の清国における間諜の護衛と現地人の保護のためらしい。

 なお、丁度このころ大陸で義和団と称する遊侠の徒が勢力を拡大していたのに伴い、日本等の諸外国の中国への関心の焦点が、満州から華北に移行している。情報網の再編成と報告のために帰国し、中山道でも反政府組織の情報収集なり要人との接触なりを行ったのか、と斎藤は見当を付けた。蕎麦粉も大方、道中で例によって何らかの事件に巻き込まれ、結果として行った人助けの礼金を固辞したら代わりに、と押し付けられたというのが実情であろう。

 むろん、緋村はそんなことなどおくびにも出さない。暢気そうに言った。

 「うむ、道中少々は句をひねった。さほどの出来ではないが、お主の所の副長よりは」

 「あれよりまずければ、尋常小学校から綴り方をやり直す必要がある」

 今なお尊敬する上司の唯一の欠点を思い出しつつ、斎藤は緋村に背を向けると、扉を再度開き廊下を挟んだ教員室に

 「本条先生」

と声をかけた。

 小男と同じ年頃の、女性としては大柄な教師が教員室から出てきた。緋村の眉間に少々しわが寄ったが、何も口には出さなかった。

 客人に茶を出したいので沸騰した湯の入った薬缶を所望する、蕎麦粉を大量に提供してくれたので調理実習に用いるとよい、1割ほどは自宅で使うので取り除けておくように、と述べた。緋村の方を向いて

 「この時刻だ。折角だから食べていくとよい」

 と言っててから、蕎麦を2人前

 「更科で頼みます」

 白い一番粉で打つように頼んだ。これは蕎麦の実を挽いて最初に得られる白い粉で、滑らかな触感が楽しめる。しかし、その理由である澱粉質のため打つ際に湯を用いる必要があり、また他の粉よりも打ち手に筋力が要求される。

 「おなごであれだけの更科を打てる人はいない」

 本条女史は家政学の泰斗であり洋行帰りで肝も座っている、と紹介した上で、更に膂力もある、と斎藤は語った。緋村の眉間のしわが深くなった。

 「江戸生まれの者は砂場(二番粉)か藪(三番粉)を好むものだが」

 意外な、と緋村は口にした。

 「家内が好むものでな」

 斎藤の細君は会津の出であり、当地では白い蕎麦が好まれている。

 「それに、お前も黒い田舎蕎麦には飽きただろう」

 田舎とは何だろうか。緋村は、軽く混乱した。

 

 毎日のように互いの首を落とすべく付け狙いあっていた日々から、既に30年が経過している。幕末、緋村は奇兵隊に籍を置き緋村抜刀斎と名乗り、幕府方要人の暗殺と長州志士の用心棒を担っていた。頬の傷の内、一つはとある幕府の役人を斬った際に一太刀浴びせられたもので、もう一つはその役人の婚約者を斬った際に受けたものだ。

 斎藤一は、京都の治安を守るために主として長州の浪士を狩り出す新選組の幹部、三番隊組長の任に就いていた。今では藤田五郎と名乗っている。

 全ては、遠い過去のことだ。

 

 ふと緋村の視界に、食卓に立てかけてある木刀が入った。巡察の外は寝て過ごしても構わないはずの宿直を、相変わらず律儀に鍛錬に当てていると見当をつけた。

 「お主がこんな、女ばかりの所に務めるとはのう」

 いやはや、と首をひねりつつ、緋村は話しかけた。斎藤は背を向けたまま、低い声でゆっくりと語りだした。

 「高等師範学校で剣術を教えるのも辛くなったのでな、会津で」

 竹刀を鋤と鍬に持ち替えようと考えていたところに、高等女子師範学校への再就職の口が来た。当初は断ろうと考えていたが

 「これからはおなごにも学問が必要だから是非力になりたい、八重さんのように、と時尾が言い張ったからな。」

 

 時尾とは、先に述べた斎藤の妻を指す。賢夫人であり、斎藤もこの妻をよく愛した。約20年前に同志社女子学校を創立した新島八重とは、会津にいたころからの幼馴染にあたる。彼女が夫に対し我を張ったのは生涯でただの2回で、これが2回目にあたる。1回目は西南戦争出陣の直前、夫妻が旧主である松平容保に報告に行った際の事だ。戊辰戦争を生き延びてしまった事を生涯の痛恨事としていた斎藤は、薩奸千人の首を六文銭代わりに三途の川を押し渡り冥府で沖田総司と雌雄を決せん、と胸算用をしていた。そこに会津宰相が、あくまでも帝の臣として戦って生還する任務を全うせよと命じた。帰途、それを承れと時尾は声を押し殺して懇願し、斎藤は従った。

 以上は余談である。

 

 本条女史が薬缶を提げて斎藤に渡した。退室する前に緋村の方を向くと、片目を軽くつぶった。

 「用向きは」

 斎藤は緋村に背を向け、窓際の文机の上で熱湯を薬缶から南部鉄器の急須に注ぎつつ、斎藤は再度尋ねた。なお、二人とも京都での生活が長かったため、微温湯を用いる煎茶ではなく、熱湯により短時間で煮出す焙じ茶を好んでいる。 

 「吉村貫一郎を、覚えているか」

 緋村が言い終える前に、急須が飛んできた。

 たまたま立って斎藤の木刀を握っていた緋村は驚くべき反射神経で足を動かして急須の軌道から身を躱すと、木刀を横に薙いで打ち返した。

 湯を撒き散らかし乍ら、急須は開いていた窓を突き抜けて飛んで行った。

 「ほーむらん、でござるな」

 この男の息子はすぐ北の本郷で、片手間に法律を学びつつ、ベースボールという舶来の球技に精を出している。

 斎藤は虚を突かれた顔をしていた。

 「もはや真剣の重みにも耐えかねているとは、嘘か」

 嫁御をも欺いているのか、との疑問である。

 「膂力はもはや老いさればえてしもうたがの、肩と首の動きを見れば次の動きなど手に取るように」

 何事もなかったかのように緋村は答えた。

 「お主こそ」

年甲斐もないのはお前の方だ、と暗示すると

 「余程吉村君について、腹に据えかねることがあるのか」

と、尋ねた。

 「まさにこの、蕎麦の件で、一つな」

さも気の進まなそうに、斎藤は話し出した。

 

 幕末、丁度今と同じ秋口の日の事だ。

 まさに蕎麦が出回りつつある季節である。

 京都にも蕎麦屋は多いが白い一番粉を用いた上品なものが多く、かつ江戸に比べれば高額であり、新選組に多い江戸の町人や足軽の子弟には不満が溜まっていた。

 「拙者の郷里の流儀にて馳走してござんそ」

と、出入りの商人から安く蕎麦粉を入手できたから、と幹部隊士の一人であった吉村貫一郎が言った。

 池田屋事件の翌年に入隊した新参ではあるが、剣術にも学問にも秀でており、他の隊士よりも年かさであったため、情報収集を行う諸士調役と隊士の取り締まりを行う監査を兼ねて任ぜられている。幹部といってよい。前歴は、南部藩士であったところ勤王の志止み難く脱藩した、という本人の申告以外は分からない。

 ただし、金離れの悪さには定評があった。継ぎだらけの不調法な着物を恥じる風もなく、居酒屋にも奢りと言われない限り入ることは無かった。また、年長であるとはいえ独身の身で女郎屋に全く通わなかったのは不自然であったといえる。幹部ゆえ給金は多い方であったが、ほとんどを郷里に送金していたのである。

 地元に後ろ足で砂をかけて飛び出してきた若者の多い新選組の中では、何重にも異例の人物である。

 さて、蕎麦だ。

 吉村が蕎麦を打つ手際も剣術のように冴えたものであったため、斎藤は期待していたが、趣向が整ったと食堂に使っている広間に呼び出された時には仰天した。

 椀を敷き詰めた盆が三重にも四重にも重ねられ塔となっている。それが幾つも林立し、一つ一つの塔につき一人、若手の隊士が付いていた。よく見ると、椀の中に一口分の茹でた蕎麦と汁が入れられている。

 「さ、この椀コば持って」

 局長の近藤以下、幹部連が空の椀を片手に座らさせられた。

 「では始め」

 吉村が合図すると、盆に付いていた隊士が盆から椀を取り上げ、幹部の持っていた椀に入れた。

 香りは強く、当初は期待できた。が、口に入れると、茹でおきで伸びているのがわかった。その上ボソボソと口の中で嚙む前に解けていく。蕎麦粉を挽く際に最後に出てくる、最も安い末粉を用いたのである。京風の薄味の汁とむせかえるような蕎麦特有の香りが舌の上で反発しあった。

 どうやってこうも安い粉を入手できたのだ、と思う間もなく、口に入れた次の瞬間にはお代わりが手に持った椀に入れられる。

 「さ、喰って喰って!」

 局長の近藤は無表情で、副長の土方はやや辛そうに、対照的に一番隊組長の沖田は楽しそうに食べ続けている。 

 近藤と土方が不満を漏らさない以上、斎藤としても食べ続けないわけにはいかない。しかし、斎藤の神経を逆撫でするには十分すぎる趣向ではあった。出奔前の江戸の冬空の下、少ない小遣い銭をやりくりして足軽働きの合間の貴重な自由時間に寒い身を温めていた夜鳴き蕎麦が、斎藤にとっての蕎麦の原体験であったので。

 そして斎藤は新選組の中でも特に気の短い方であった。後には近藤勇の養子としとして迎えられた近藤周平の実兄である谷三十郎を、新参者のくせに幅を利かせている、と闇討ちしている。

 吉村貫一郎もまた、ここで斎藤の勘気を被る結果となったのである。

 土方もこれには呆れたようで、あとで酒の席でこのことを話した折

 「モノを食べる時は、誰にも邪魔されず、自由で救われてなくてはなんねぇ 独りで静かで豊かで……」

と、噛み締めるように語った。

 

 以下、無用のことながら

 斎藤は高等師範学校に看守として奉職していた折にも、酒宴の席で他人から聞いた話とぼかした上でこの話をしている。これを傍で聞いていた国文学の教師が、数日後興奮した面持ちで斎藤に以下のようなことを述べた。

  「宇治拾遺物語」に収められているの話の一つに、藤原利仁という人物の権勢を描いたものがある。五位の侍という小役人を領地に迎えて通常ならば貴人の宴席にのみ並ぶ高級料理を大量に馳走したところ、小役人は高貴な椀を一杯のみで固辞した。これがいかなる心理によるものが多年に渡り疑問であったが、斎藤の話を聞き、確かに好物であっても己の呼吸を無視して多量に強いられては食傷すると、得心がいった。

 この教師は後に東京帝国大学で教鞭をとり、講義中度々この話をした。それを聞いていた学生の一人に、芥川龍之介という英文科の学生がいた。

 余談が過ぎた。以下、東京高等女子師範学校の当直室に戻る。

 

 「災難だったの」

と緋村はややわざとらしく嘆息した。

 「金を費やさずに趣向を尽くそうとしたのであろうが。確かに、度が過ぎるほどに愚直な奴であった。蕎麦が喰いたいと言われたら、徹底的に蕎麦を喰わせる。

 つまりは無粋だ、と語ると、しばし瞑目した。

 「だが剣の方では、中々に味をやった」

  

 京都でのある夕刻、緋村は幕府方のとある役人を斬れと密命を受けて居酒屋に入った。奥の座敷で密談をしている何某という男が、長州にとって殊更に厄介という。

 一般客向けの広間の奥、座敷の近くの席に陣取って酒と肴を注文し、人畜無害を装い書物に目を落としつつ、頃合いを図ることにした。

 警戒を解いてはいない筈であったが、様子を伺おうと顔を上げると、豈図らんや対面に垢じみた所在なげな顔があった。

 内心に動揺を押し殺しつつ、二重瞼と鼻筋の通った細面の顔立ちから奥州の者かと検討をつけた。ならば尊王も攘夷も関係なさそうだが、首から下が良くなかった。

 大分くすんではいたが、紛れもないだんだら染めの浅葱色の羽織、新選組である。別用が無ければ、直ちに討ち果たして然るべきだ。  

 「吉村と申す者でござんす。混んでおってな、相席してよかんべか」

 「好きにしろ」

 断れば周囲の酔客からも怪しまれ、良くない結果となりかねない。

 それにしても、見れば見るほどみすぼらしい男であった。湯屋に通う金もないのか顔は酷く汚れていた上、羽織に加え下に着ている麻の単衣も継ぎだらけで襟も袖も擦り切れていた。よくよく見ればかなりの美男子なのだが、これでは芸妓が鼻をつまんで逃げていくだろう。

 外見に似合わず油断のない男らしい、と始めは思っていた。

 どうやら大変な使い手であるらしいと直ぐに分かった。

 座敷の様子を伺いに立ち上がろうとすると、男の草鞋が緋村の足の甲を抑えた。決して強い力で踏みつけているのではなく、むしろ優しいとさえいえる程にそっと押えていたのだが、物見に行かんとする気を奪うにはむしろ効果的でさえあった。よせ、と諭してさえいるようでもある。こちらの意図が暴露したのか、と再度動揺しつつ相手の顔を確かめる。

 迷子のように困った顔をしていた。

 その後も三度同じことが重なり、業を煮やして一も二もなく座敷に殴りこもうとすると、椅子を蹴り倒して立ち上がった時にはもう緋村の脇に立っていた。

 「少々、酒ば過ごしたのではござんせんか」

 完全に毒気を抜かれ、その夜は諦めざるを得なかった。

 

 「で、その夜は大人しく吉村君と呑み明かすことにしたのだが」

 恐ろしいほどの吝嗇であったのには閉口した。何しろ、最初に妨害されてから四半刻も酒に口をつけず書を読むふりをして警戒していると

 「拙者の頼んだ酒をねだられた」

 話題も、迂闊なことは言えないとしても、延々と郷里と家族の自慢のみが続いて興も何もあったものではない。

 「南部盛岡は日本一の美しい国でござんす。西に岩手山がそびえ、東には早池峰。北には姫神山。城下を流れる中津川は北上川に合わさって豊かな流れになり申す」

 行ったことも無い盛岡の風景を脳裏にはっきりと思い描けるようになった頃、散開となった。

 「世の中が落ち着いたら、また一杯奢って頂けんか。壬生の屯所で吉村を呼んでいただければ、直ぐに参りますんで」

 呆れたが、

 「承った」

 踵を返しつつ、答えた。その時こそ

 「殺してやる」

 とは、思っても言わない。

 

 いくら吉村の郷里が何度も凶作に苦しみ、かつ彼自身が軽輩の足軽の出であるといっても、あそこまでのけちん坊は後にも先にも見たことが無い、と緋村は笑いつつ言った。

 奇妙な偶然にもこの折緋村が読んでいたのは師匠から渡された『老子』であり、吉村の顔を見る直前に開いていた頁には『人ヲ治メ天ニツカウルハ、嗇ニ若クハ莫シ。夫レ唯嗇』と、あった。

 あれはあれで大変な天下の偉材かもしれぬと、緋村は帰路に考え続けた。

 

 緋村の学んだ飛天御剣流は徹底的に実戦を重んじる。過去の同様の流派に、二天一流がある。その開祖の名を、宮本武蔵という。緋村の師匠である比古清十郎も武蔵に倣い、行住坐臥の全てに対し合戦を基準として臨んでいた。加えて合戦の資とすべく、剣術の勢いに任せて陶芸等の諸芸に手を染めていた。学問もその一つである。合戦の心得といえば一も二もなくまずは『孫子』であり、その十三篇を貫く天然自然の絶えざる動きを重視した見方が老子に由来しているのは漢学の常識である。これは自然科学的なものであり、社会の静的なあり方を重視する社会科学的な儒教とは正反対と言える。

 比古は孤児であった緋村の才を活かして流派の歴史において筆頭となる剣客とすべく、剣術の哲学に至るまでを徹底的に叩きこんだ。

 形ではなく心を如何に読んだのか、あの晩の吉村は孫子にいう「上兵ハ謀ヲ伐ツ」そのままではないか、と緋村が驚嘆したのは、その素養が故だ。

  

 「あれは、俺が生涯で最も嫌い、殺したかった男だ。蕎麦の件はきっかけに過ぎない」

 珍しく苦々しい感情を暴露しつつ、斎藤は答えた。

 何しろ吝嗇を除くと欠点というものがない。剣術の腕前をいうと、斎藤は何度も本気で吉村を殺そうとしたが、そのたびに無傷では済まないだろうと思わされ断念している。学問では新選組には並ぶものがなかった。人格も高潔そのもので、近藤勇からは会計を託されていた。その上、土方歳三に次ぐほどの男ぶりでもある。

 「あそこまで非の打ちどころが無い男は、周りにいる全てのものを恥じ入らせてしまう」

 善も極点に至ると、それはもはや悪である。故に「悪・即・斬」を以て行動原理とする斎藤は斬らなければならなかった。

 

 しかし、その絶好の機会を自らふいにした。

 慶応四年一月五日、鳥羽伏見の戦いである。

 「あれは、拙者も見ておったよ」

 

 浅井茶々の別名の所以である淀城の程近く、淀川の右岸、豊太閤が手づから植えた松に因んで千両松と呼ばれている当たりだった。会津藩士と新選組からなる幕府方が、薩摩藩の軍勢と対峙していた。

 幕府方は土方歳三の献策に従い、当初土手道の上に会津の槍隊を展開させ、薩軍が接近するや草深い土手下に潜んでいた主力をもって左右から包囲せんと企図していた。

 長州奇兵隊から薩摩方への援軍として参陣していた緋村はこの策を看破し、これを奇貨として手薄になっているであろう本陣に斬りこまんと、数人の決死隊とともに密かに淀川を南に渡った。左岸の土手に駆けあがり、警戒についていた幕府兵を手当たり次第に斬り伏せた後に、友軍の状況を確認せんと対岸に目をやると、信じられぬものを見た。

 人数ではなお優勢なはずの幕府方が、薩軍に背を向け大阪の方へと逃げ出していたのである。軍の秩序は完全に失われ、隊列も何もあったものではない。

 逆側の友軍の本陣には、縦に細長い赤い旗が二つ、屹立していた。

 錦旗である。

 官軍、即ち帝王の勅命を受け戦う軍勢であるとの証で、歴史上戦場で立てられたのはこれが二回目となる。一回目は承久の乱であり、この際は官軍が鎌倉幕府に破られた。が、幕府方を率いていた北条泰時は出陣の際、わざわざ馬を返して総帥である父義時に、官軍を率いる後鳥羽院御自ら御出陣の折は如何にすればと尋ねた。よくぞ聞いてくれた、と義時は嘆じ、そうなれば馬を降り弓の弦を切り、潔く大御稜威に服せと命じた、という。

 そのように描写された「東鑑」という書物は幕府の開祖家康の愛読書であり、ひいては江戸時代における歴史の必読書でもあった。

 果たして600年の時を経て再度武家政権に対峙した錦旗は、新帝睦仁が自ら賊軍の討伐を呼号し神器草薙剣を引っ提げて親征したがごとき衝撃を、その場にいた全ての武士に与えた。

 そこに唯一人、抗い斬りかかっていった影があった。

 

 己の運命を悟ったカゲロウのような儚さを、緋村は覚えていたのである。 

 「それが誰であったかまでは、分からなかったな」

 一度だけ酷く苦い酒を共に呑んだ男であったとは、想像の埒外だ。

 「何か大声で言っていた」

 

 斎藤は、その影の背中を見ていた。

 「新選組隊士吉村貫一郎、徳川の殿軍ばお務め申っす」

 よく通る低い声でゆったりと叫ぶと、帝王の旗、新時代そのものへと刃を向けて駆け出し、そして消えていったのが、斎藤の見た吉村の最後の姿となる。

 「あれ程に正しいものは、死んではならなかった」

 自分以外の手によってなどとは、とても許せなかった。引き留めるか、せめて弾除けになろうと追いすがったが、永倉新八と原田左之助と土方歳三に押しとどめられた。

 

  「過ぎたるは猶及ばざるがごとし、というだろう」

 折角だから覚えていることを全て語ろうと思ったのか、斎藤の話は尽きない。

 お国自慢にも、家族孝行にも、際限というものが無かった。どれほど南部(今の岩手県)が美しい所であろうとも何度も繰り返し長々と語られれば閉口せざるを得ない。また、有る時土方が仲人になって吉村を新選組から退職させ、彼に懸想したという近在の豪商の娘の元に婿入りさせようとした。しかし吉村は、頑として妻女に操を立てて断ってしまった。

 「京と南部だ、いかようにでも誤魔化せる。婿殿に収まれば家族の元により多く送金できたであろうに」

 自分自身をも害する類の正しさであった、と斎藤は語り終えた。

 

 なお、その後の緋村である。

 徳川方の潰走を見ると、5年前に奇兵隊に属して以来初めてとなる疲労に襲われ、そのまま昏倒してしまった。翌朝に東寺の薩摩本営に戻った。これから大阪城を攻めるのだろうと考えていたが、驚くべきことに徳川家当主慶喜は馬印をも放り出して江戸に逃げ出していた。

 徳川幕府は既に死んでいたのであった。

 緋村はそこで闘いの終わりを悟り出奔した。その後西南戦争終結後に東京に姿を現すまでの約10年間の消息は、誰も知らない。

 

 「戦勢ハ奇正ニ過ギザルモ、奇正ノ変ハ勝ゲテ窮ム可カラズ」

 緋村は『孫子』の一節を述べた。

 「戦いとは正道と奇策を臨機に組み合わせるものだが…吉村君は蕎麦を強い続けるように、全身正道のみで出来上がっていたとといえるな。それでは少々危うい。そういえば、奇兵隊にいた乃木君にも同じような印象があった。此度の戦ではつつがなく旅順を落としはしたが…」

 「フ」

 斎藤はうっすらと口角を上げた。西南戦争の折連隊旗を奪われながらも腹を切らなかった連隊長がいたと聞き、幾度も打倒されながらも遂に幕府を打倒した長州の士風が早くも弛緩しつつある、と思いつつ飲んだ酒の、奇妙な苦さを思い出したのである。

 「吉村については、その後は消息を聞かない。恐らくあの後すぐに死んだのだろう」

 南部藩屋敷に逃げ込み、奉行に命ぜられるまま腹を切った、とは二人とも知らない。

 と、そこで宿直室の扉が開かれた。本条女史である。

 「打ち終わりまして、今寝かせています。如何に調理しましょうか」

 緋村は彼女の顔を見てから、再度斎藤に向き直り

 「丁度良い、では蕎麦の奇策を試してみるが好かろう」

 というと立ち上がって彼女の前に立った。

 彼女だけに聞こえるよう、幽かな声で

 「秘すれば花、花失せては面白からず」

 と呟いた。姥桜は婉然と微笑んだ。緋村は

 「棒鰊はありますか」

 と尋ねた。

 「はい、丁度昨日京料理の実習があって、余ったものがいくらか」

 「それは何より、では京風の汁もあろうな」

 昆布、うるめ、鯖、鰹でとった出汁に薄口醤油で味をつけた汁のことである。

 「では、仕上げなのですが」

 引き続き幽かな声で、調理法を指定した。

 しかし調理にかかるまで、打った蕎麦をもう四半刻は寝かせる必要がある。斎藤は、緋村に水を向けた。

 「それにしても、何故今更あのような男を気にかける」

 「いやはや、学問というのは面白いものでござる」

 緋村は長話を始めた。

 彼は生涯、子は長男のみを得た。その息子が

 「母親似らしくての」

 剣術については不満が残ったが、学問はかなり出来た。ならば、と小学校のみでは道場経営もままならぬだろうと中学校に進ませると、豈図らんやこの時代のこの国の科挙といってもいい第一高等学校に合格してしまった。学資を気にするまでもなく、奇兵隊時代の知り合いから学費免除の通知が飛んできた。

 「山縣君は、あれで中々義理堅い所がある」

 時の宰相と、昔は君僕と呼び合っていた。

 清国から帰国した直後、緋村は息子の学ぶ本郷に散歩に出た。そこで

 「吉村貫一郎という名の男が、米の講義に来ていた」

 白昼に蛇行する龍を見つけたように驚いた。

 「倅がいうには、米馬鹿先生と呼ばれているらしい」

 夕食の折の話題に出したところ、誰にでも大喜びで何刻でも米の話をすると有名で、通常勤務している駒場にある農家大学の近在の農家で彼に啓蒙されていない家は無いという。育ったのは越後だが元来は南部の産で、郷里に居た折は母子家庭ながらなぜか喰うに困った覚えはない、とも。

 あの男の名を継いだ息子に違いない。

 長旅の疲れを癒しつつある食卓において、卓越した殺人技に似合わぬ純朴な面差しが、緋村の脳裏に蘇った。

 みすぼらしい新選組隊士の消息を尋ねて奥州の信息を調べ出したところ、彼が日本を離れていた明治29年、岩手県を大津波が襲っていたことが分かった。いわゆる明治三陸大津波である。約2万人が死に、1万に及ぶ家屋が流されたという。

 

 その晩、緋村は悪夢にうなされた。

 

 百年か二百年も後の世であろうか。帝都に百尺(約30m)はおろか、二千尺をも凌ぐ塔が立てられている御代の、とある早春である。

 奥州の太平洋沿岸が瞬時に地獄と化した。

 鋼鉄の柱と混凝土を組み合わせて作られたビルヂングが捩じ切られるのではないかと錯覚するほどの大地震が起こった。恐るべき文明の進歩により、ほぼ全ての建築物は無事であった。

 しかし四半刻ほどして、実に30尺(約10m)に及ぶ大津波がやってきた。沿岸の町は茶色い濁流に飲み込まれ、逃げ惑う人々も鉄製の箱型の車も流されていった。先に高台に逃げ込んでいた人々は、呆然としかできなかった。

 津波が引いた後には、一面の瓦礫のみが残った。2階建ての家屋は1階部分が潰れ、玄関があった高さに2階の窓が降りた。鉄で出来たビルヂングは骨組みのみが残った。住宅地も道路も公園も、全て建築物の残骸で満ちた。役所の建物ほどもある大きな漁船があちこちに取り残され、中には辛うじて倒れずに済んだビルの上の乗っかったものまであった。

 ある町では過去大津波があったので、海の中に長さ半里以上(約2km)以上に高さ30尺もある混凝土の堤防を築いていた。然るに恐るべき津波により四分五裂し、海中に浮かぶ巨大な岩石と化した。

 そのような光景が、実に百里(約400km)にも渡る沿岸に出現したのだった。

 程なくして、日本中から人員が掻き集められた。西南の役と同じく軍隊と警察が動員されるとともに、町火消までもが。

 状況を精査せずに十万以上の人員を投入したため、津波を免れた広場や役場で炊事を行う部隊以外は、何度も捜索が行われた瓦礫の上を、歩兵が突撃するときのように横隊を組み何度も往復して、瓦礫をひっくり返し下の土を掘り返しながら、行方不明者を捜索した。孫の手のお化けみたいなものが据え付けられた鉄の車が、それと連接して中途半端に残った家屋を解体し、道を作っていった。応急の道路の脇には、破壊された家屋から改修された位牌に預金通帳、写真等の貴重品に加え、何故か泥に塗れた布団も畳まれて並んでいた。

 解体前に家主と連絡が付かないと、中隊長が伝令を右往左往させるのも見られた。はるばる蝦夷地からやってきた部隊の若い見習い将校が、生き残った野良猫に数週間ぶりの微笑を見せもした。

 作業中の兵士と警官の肩に、雪が降りつもった。それ以上に彼らを深く傷つけたのは、心無くも咲いた桜であった。憤ってコンナ時ニ桜ガ咲クノカと呟く若い小隊長を、年かさの曹長がコンナ時ニモ咲クノデスヨとなだめた。

 如何にしてか世界中から援軍が入り、南蛮人が作業をする姿も多く見られた。どこから持ってきたのか、連絡もなしに鉄の馬で多数の携帯口糧を瓦礫に残った役所に持ち込むこともあった。しかし日が経つにつれ軍勢は縮小し、火消しが、次いで警察が去っていった。

 気温が上がり砂埃が舞う中、吸い込まぬよう口を白い布のような物で覆った兵士達は黙々と瓦礫を片づけた。瓦礫とともに取り残された書物や、使い方も分からない奇妙な未来の道具も。

 やがて初夏が訪れると、瓦礫がほぼ片付いた代わりに蠅が大量発生した。破壊された水産加工場の腐敗した遺物に群がっているのだ。兵士たちは飯炊きの傍ら、宿営する天幕の置かれた公園や学校や役場に、酒と酢と蜜を瓶に詰めた蠅取り具を設置した。あちこちの木に消毒薬を噴霧して防疫も行った。

 暑さが厳しくなる前に撤兵が行われ、後には何もない真っ平らな地面に、一部に集中して積み上げられた瓦礫と鉄の車の残骸が残るばかりであった。

 

 「何故そのような、他愛もない夢の話を」

 不快そうに斎藤が答えた。そこに

 「おまちどおさま」

 本条女史が湯気の立つ丼を二つ、盆にのせて持ってきた。

 「かけそばか、有難い」

 即座に愉快そうに、表情が転じた。緋村は意味ありげに微笑している。

 早速すすり始めた。

 やがて、斎藤は怪訝そうな顔をした。蕎麦が甘くなったのである。やがて、丼の底に意外なものが姿を現した。

 「身欠き鰊か。京ではよく食べたな」

 「蕎麦と、相性が良いであろう」

 干した鰊特有の典雅な風味が更科蕎麦の上品な香りと、関西風の汁の濃厚な旨味が煮汁の甘味と、それぞれ溶け合って質素な食材に似合わぬ豪奢な味わいを演出する。

 「以前、剣客兵器の件で北海道に渡った際小樽で食したのが忘れられなくての。それがなんと、京の蕎麦屋が考え出したものだそうだ」

 ほう、と斎藤は驚嘆した。

 「あちらに居た時分に炊いた鰊はよく食膳に登った。嫌いでは無かったが…蕎麦と出会いのものだとは、思いもよらなかったな」

 「そうであろう。京といえば古物しかないと思っていたが、最近は新しいものが次々と出ておる。そういえば剣路が通っている帝国大学だが、昨年京都にも出来たと聞いた。あちらの方から、それこそ世界中をあっと言わせるような大発明が次々と出てくるかも知れんぞ」

 緋村は楽しそうに語った。

 「まさに奇策よ。京雀もああ見えて、古いものには飽き飽きしておったのかも知れん。四方八方から人と文物が集まり長い歴史を有する、都という風土にして初めて出来た料理とも言える」

 そこまで言うと、箸を置き、茶の入った湯呑を手に取った。

 「南部の事を後でまた調べたのだが、千年前の貞観の御代にも大津波に襲われたそうな。凶作も相次ぐと聞く。美しいといっても、誠に厳しい所よの」

 茶を一口飲んだ。

 「盛岡の桜は石ば割って咲ぐ」

 緋村が吉村の口真似をすると、その続きは斎藤も口にした。

 「「盛岡の辛夷は、北さ向いても咲ぐのす」」

 「飽きもせず何度も酒の席では言っていた。つい殺してしまいたくなるほど、苛立たされたものだ」

 食後の紙巻きたばこをを指に挟みながら、斎藤は軽く笑いつつ語った。

 「拙者もだ。一杯奢ってやっただけだが、未だに覚えているほどしつこく言われた。その風土が、あのような男を産んだのだろう」

 都から鰊蕎麦が産まれたように、といってから、緋村は蕎麦の残りをすすり終えた。

 「当地にはあんな奴が、いくらでも居ると思う。悪夢に見た大津波が来たとしても、あくまでも正道を貫いて錦旗に斬りかかっていた吉村君のように、我が身を顧みることなく立ち向かっていくだろう。軍が去って残された更地に涙を零しながら、あるいは鋤を入れ、あるいは町を立て直すのだろうよ。

 何度でも石を割って、花を咲かせてくれるに違いない」

 本条女史が丼を下げるついでに二人の前に饅頭を置いていた。

 饅頭をかじりつつ、緋村は話し続けた。

 「また、北海道に渡ることになりそうなのだ。露西亜との中が怪しくなっておるからの。その折は、道中盛岡で吉村君の墓に参ろうと考えている」

 「噂では、京の正覚寺という小さい寺に無縁仏として埋められているというらしいが」

 「あれだけのお国自慢だ。身はたとい山城の野辺に朽ちぬとも、留めおかまし南部魂。きっと帰ってるさ。それに、本人に約束したからの」

 「何をだ」

 緋村は笑いながら答えた。

 「安酒をもう一杯、ひっかけてやるとさ」

 

追記

 

 翌日、緋村の住む神谷道場を斎藤夫妻が訪れた。蕎麦粉の礼に、と酒瓶を携えて。

 「会津の酒だ。酔うほどに甘くなるぞ」

 果たして深更まで呑み続けたのであった。全く乱れた風を見せず、斎藤は戯言を言い始めた。

 「お前がいっていた京都帝国大学とやらだが、例えばどんな大発明をしてくれるのだろうな」

 「そうよのお…拙者も師匠から聞いただけだが、志々雄の十本刀の『不二』という30尺もあるとかいう巨人、鉄のカラクリでああいったものが出来れば、さぞかし強力な武器になるだろうの」

 「それは確かに」

 巨人の軍勢によりどれほど戦況は変わるだろうか、斎藤は想像しかねた。一方緋村は、酔いに任せて放言をつづけた。

 「拙者の師匠はあれでなかなか派手好みでの、甲冑では武田の赤備え、次いで家康公の金陀美が良い、と何度も言っていた。鉄の巨人を扱うとしたら、師匠の分だけは常に全身赤く塗らせるであろう」

 「それはまた、戦場に似つかわしくないな」

 「そういう男なのだよ。もし赤が叶わないとしたら、権現様に倣って黄金色の巨人を作るだろうな」

 もしかしたら悪くないのかも知れぬ、と思いつつ、斎藤は話題を変えた。

 「鉄製ならば重すぎて満足に動けぬだろう」

 「不二のように肉で出来ていればいいだろう。ああいう生き物を作る」

 「どう操るのだ」

 「それはまあ、中に人間が入るのが最も早いのではないか?だがまあ、それはそれで難しいように思える。やれと言われて直ぐに出来るのは、まあ拙者か、十本刀の瀬田宗次郎くらいのものだな」

 斎藤は盃に目を落としつつ、遣る瀬無さそうに答えた。

 「そういう我の強そうな連中を率いるのは、さぞ大変そうだな」

 「柄にもなく苦労人染みたことをいうではないか」

 「お前には分からないだろうが、指揮官は苦労が絶えないものだ。新選組でも、警察でもいつも身の細る思いがした。心を鬼にして部下を処断しなくてはならないこともあれば、近藤さんや土方さんから庇ったこともある」

 緋村は心底意外そうに、目を丸くした。

 「時には傷ついて戦いから背を向ける若い隊士を殴ってでも出陣させなくてはならないこともあるだろうし、母御が一人きりになっていたとしたら帰してやる事も考えざるを得ない。食べ物の事まで気を配るのだ。やれ塩が尽きたといわれ、遠征の途中寄り道したりな。一介の兵卒とは違うさ」

 「成程、拙者は一介の剣士に過ぎないようだ」

 「それに、そんな兵器があちこちに出回ってみろ。市中への迷惑は不逞浪士どころの騒ぎではないぞ。もし幕末のように志士とやらがそんな巨人で暴れまわろうとしたら…」

 斎藤は盃を干すと、断言した。

 「たとえそれが己の倅であっても、手打ちにせざるを得ないな」




 司馬遼太郎っぽい文体に挑戦してみました。また時代が時代なので、山田風太郎の明治もののような趣向も入れてみたのですが、楽しんでいただけたならば幸いです。
 


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