ぐちゃり。
みちゃり。
節足動物のような骨格を持つ動物の身体の一部――恐らくは前腕なのだろうソレを、ビニール手袋越しに引きちぎりながら、内面を観察する。
空気中に溶け出すかのように黒い蒸気を放ちながら、ソレは徐々に体積を減らしていく。
しかし、内側には確かな生物めいた組成が垣間見えた。
「鬼怒田さん」
解体作業を続けながら、ふと少年は背後の男に声を掛けた。
その男――鬼怒田本吉は、ビクリと肩を震わせながら「な、何だ?」とぎこちない返事を返す。
「この前ですね、本部長に『お前の大切な人は、今のお前を見てどう思うんだろうな』と言われました」
「……」
「それを聞いて、俺は感動したんですよ」
その目は嘘を語っていない。
だからこそ、鬼怒田は恐怖を煽られた。自分の半分以下しか生きていない非力な小僧に、彼は本気で冷や汗を禁じ得なかった。
「わぁ、この人は、
少年は霧散していく物体――生け捕りにしたモールモッドの足を眺めながら、名残惜しそうに舌打ちする。
「……そんなものを今更研究して、何の成果が見込めるのやら」
トリオン兵は
成果と労力が見合わない、という意味では鬼怒田の考えは正しい。
しかし、長期的な効果で言えば、少年の持つ視野の方が妥当性は高いだろう。
「一手の殺し方は、一手の役にしか立ちません。例えば昔の人は、胸の中心からちょっと左側を竹槍で突けば、相手を殺せるのだと学習しました。それは確かに一手の『殺し方』と言えます。だけど、現代ではもっと手軽に相手を殺す方法がある」
「というと?」
「杉田玄白の解体新書で俺たちは学んだ。首の頸動脈を研いだ指の爪で切断すれば、簡単に相手を死に至らしめるのだと。剣も銃もなく、指で、ですよ? もしかするとコイツらに於いても同じ発見があるかもしれない」
効率的に相手を殲滅するために、前線の戦闘員が戦術を張り巡らせるのも、指揮官が戦略を練るのも、相手を解体して弱点を探るのも、全て同じことだ。
勝つために省いてはいけない努力。
そこに天井はない。知識に打ち止めはないのだ。どれだけ相手の腹を暴こうと、更にその奥深くまでメスを切り込ませる必要がある。
……だからといって、トリオン兵を素手で解体する男は、後にも先にも彼だけだろうが。
「そういえば、この前俺が提案した自爆型トリガー、開発は進んでますか?」
「アホ言え。あんなもの実用化できるか!」
「え、どうして」
少年は小首を傾げる。
彼が提案した『自爆型トリガー』というのは、
「技の巧拙を抜きにして、死なない特攻隊を量産できる。むしろ戦術としては合理的だと思うんですが」
「技術も予算も有限に決まっておるだろうが! 一人で十体の相手を倒せる隊員を捨てて、一人一殺の隊員を生産するなど愚の骨頂だ!」
「……うぅむ。そうですかねぇ?」
少年は唸った。
組織経営の観点がいくと、一人の能力に依存した経営はかならず破綻する。そのため、現代では官僚制組織が好まれているのだが、ボーダーの方策はそれを全く真逆だった。
強い隊員個人に依存する組織体質。
戦闘力ではないエンジニア兼オペレーターであるからこそ、少年はこの弱さを重要視していた。
「まぁでも、確かに
「…………お前、本当に17歳か?」
「失敬なっ!怒りますよ? 俺はこれでも義務教育を乗り越えた華の17歳にして、自立した社会人と肩を並べる立派な無職です」
「偉ぶるなアホが!」
本当に全然全く偉ぶれることではなかったが、そういうなら正社員として雇ってくれればいいのに……と少年は内心ぶー垂れた。
17歳と言えば、大抵の少年少女は高校生だ。このご時世、どれだけ貧乏な家の子でも公立の学校になら通える。その上、彼には立場的にボーダーからの進学支援もあった。それを打ち切ってまで、こうして毎日ボーダー本部に通っているのは、ひとえに彼が己の野望を優先したからだ。
――ぶっちぎりの闇落ち野郎。
彼を知る者は皆、彼のことをそう揶揄する。
身内を
しかし、彼は特にずば抜けているともっぱらの噂だった。
◇◆◇
愛する人間を殺された的な漫画キャラなんて珍しくもなんともないが、そういうキャラは大抵二分されて描かれる。「相手を絶対に許さない」の復讐マンと、「まー復讐なんてしたって愛する人は生き返らないよねー」の達観マンである。復讐の生産性のなさを理解している点を踏まえれば、彼は後者の達観マンに位置するのであろう。
改めて、彼――、
復讐は何も生まない、と何処かの世界の凄い人がいった。
それは正論なのだろう。
素敵だ。最高だ。立派で高尚な、絶対的で倫理的で不可逆的なこの世の真理である。復讐なんてしたって奪われた者は帰ってこない。達観マンである猟樹は十分にそのことを痛感していた。一時期は相手を殺せば死んだ妹が帰ってくるんじゃないかと本気で考えていたが、現実とは非情なもので、他人を殺すことと人間が復活することの生物学的相関関係は宇宙に存在していなかったらしい。
だから、死んだ人間の分も幸せに生きる。
きっとそれが正解の生き方だったんだろう。
しかし妙なことに、人間は正しく生きることが出来ない珍しい生物だ。
猟樹はその典型だった。
復讐が何も生まないことを知っておきながら、復讐に身を焦がさずにはいられない。
まだ十にも満たない愛狂わしい少女。
猟樹が右を行けばその後を辿り、左を行けばついて来る。ふと立ち止まれば腰に縋りつき、まだ自分で行先も決められない女の子。兄として庇護すべき妹でもあった。
その腕が引きちぎれ、足をもがれ、泣きじゃくりながら胸が割かれ、生きたまま捕食された光景は未だ瞼の裏から消えてくれない。
しかも、そんな殺され方をするのがかなりのレアケースで、トリオン兵の性質上、大抵の者は心臓部を射抜かれて即死するものときた。
そうくれば、もうたまらない。
右肩から鼠径部にかけて、縦に身体が裂けると人間はどうなるのか。
そんなこと知りたくない、と思う者が大半だろう。
彼だって、知りたくなかった。
……
あれ以来、水以外の味のある汁物は口に出来ていない。
たとえ復讐を遂げたって、彼女の命は帰ってこない。
それでも、お腹が空いたらご飯を食べる。
眠たくなった布団に潜る。
ムラムラしたら……いや、最近は性欲なんて皆無だが。
ともかく、そういう話だ。
殺したいからぶっ殺すのだ。
その最大の欲望を否定することは、誰にも出来ない。
思惟に耽りながら歩いていると、誘われるように開けた場所にやってくる。
特に目的があって来た訳じゃないし、だからこそ狙ってやってきた訳でもない。72時間近く開発室に籠りっきりで、流石に気が滅入っていたのだ。単なる気分転換で本部内を散歩していただけだが、自然と彼の足はその場所に向かってしまっていた。
――染みついた習慣は抜けない、ってことか。
「おー、やってるなぁ……」
モニターに移し出される戦闘映像を漫然と眺めつつ、猟樹は観客席に座る。
どうやら戦っているのは、諏訪隊、生駒隊、香取隊、早川隊の四部隊のようだ。面子を見る限り、B級中位のランク戦だろうか。観衆も多めだし、多分そうだ。観戦なんてしばらくぶりなので確信は持てないが。
『ここで諏訪隊、味方と分断された香取隊長に狙いを定める!』
『あ~狙ってましたね~。近・中距離の諏訪隊フルメンに単騎。これは凌げない。つーか俺も無理かな』
実況は国近柚宇、解説は米屋陽介に奈良坂透。珍しい組み合わせに猟樹は驚いた。国近はA級一位部隊のオペレーターであり、米屋と奈良坂もA級隊員だ。妙に観戦席に人が多いと思ったが、これなら納得である。特に国近は、着眼点と分析力に優れた実況に定評があり隠れファンも多いとか。まぁそれ以上に本人の人気もあるのだろうが、猟樹からしてもかなり優秀に見えるオペレーターである。
『香取隊長たまらず
『こう言っちゃ悪いけど瞬・殺!!』
『直前まで戦闘していた生駒隊のおこぼれに預かる形になったかな』
『なるほど~戦う前から勝負は始まってい、た…………と……ぇ』
ふわふわと弾むような声だった国近だが、視界の端で猟樹の姿を捉えて言葉尻を細める。
ブース出禁を喰らっている筈の彼がいるとなれば、その驚きも当然のことだ。
少し遅れて、米屋も普通に観戦している彼に気が付いたらしい。
『っ、お前……なんでここに……』
「ん? オイオイ、仕事だろ? よそ見してはいけないぞ」
実況も解説も、役割が大きい部分は同じだ。ここには上位陣から技術を盗もうと励むC級隊員も集まっている。ちょっと珍しい奴を見つけたからといって、いちいち動揺したりしてはいけない。
その辺はしっかりと厳しくいく猟樹は、冷たい視線で解説席を見据えた。
『……おっと、どうやら早川隊にも大きな動きがあったもよう!』
「そうそう、それでいい」
通常運転に戻った解説席。
しかし、今の一瞬で会場全体の注意が彼に向いた。
それだけで十分だった。
「なぁ、アレって猟樹さんじゃないか……?」
「は、何でいるんだよ。出禁の筈だろ」
「マジかよあの人。どの面下げて出てきやがった」
「ちょ、まさかまた滅茶苦茶に荒しにきたんじゃ!?」
「最悪なんだけど。顔も見たくなかった」
散々な嫌われっぷりだった。
分かっていたことだが、流石にちょっと凹む。
猟樹は珍しき男性オペレーターの一人であり、しかも本部長からも腕を見込まれるほどの敏腕だ。そのため一年ほど前まではたまにランク戦の実況や解説にもお邪魔していたのだが、それがあまりにも毒舌すぎて悪い意味で伝説を作った男なのだ。
出場している隊に名指しで「どいつもこいつもお遊び気分で不愉快」だの、「彼は下手すぎる。引退した方がいい」だの、「今期は悪いお手本しかいませんねぇ」だの、「目が腐るので、今の戦いはデータから消しておくように」だのと毒舌をぶっ超えた誹謗中傷を繰り返し、全隊員から大不評だった。その癖、指摘している部分は一定の正当性があるところが更に悪質であり、隊員のモチベが下がるという理由で永久出禁を喰らってしまっている。
「……でも、良いでしょ。たまには」
毒舌が過ぎたことが彼も反省する所だ。彼的には愛の鞭であったり、合理的なスパルタだったり、ちょっぴし本音であったりもしたのだが、もう一年近くも過去の話。そろそろ観戦くらいは許して欲しい。
それに今戦っているのは、こちら側の未来を担う貴重な戦力たちだ。データだけでなく生の目で確認しておきたい思いもあった。
そうして観戦していること数分。
彼の目の前に悪魔が舞い降りた。
「……」
「……」
「……騒ぎを聞いて駆け付けた。ここで何をしている」
「つまりお暇のようですね。訓練されては?」
蛇のような鋭い目に確かな熱を湛えた、小柄でありながら厳格ある面持ちの青年だった。猟樹は負けじと視線を鋭くして無言のままに格闘する。余裕のある笑みを浮かべ、足を組む。四つも年上の相手に対し、猟樹は完全に傲岸不遜だった。
「俺は年上だぞ。何だその態度は」
「概念的な質問ですね、答えられません。それより前が見えないので、退いてくれますか?」
「…………来い。話がある」
「この場で済ませりゃいいでしょ。無駄に部下を走りまわらせるのは駄目な上司の典型ですよ。んま、俺は貴方の部下じゃないんで、命令に従う義務なんてないんですが」
「……」
青年の顔が僅かに歪む。
A級三位風間隊隊長。アタッカーランキング二位、総合ランキング三位。間違いなくボーダー三本の指に入る猛者――風間蒼也。
対して、本部所属の(現在は)フリーオペレーター兼エンジニア。隊員としては特に何本の指にも入りません。十七歳無職――猟樹宰孤。
年齢的にも戦闘力的にも差がある二人だが、それでも猟樹が風間に遜らないのには理由がある。
「――お前はもっと司令直属としての自覚を持て」
ボーダーの実質最高権力者である城戸司令から直接の指示を受けて動く猟樹は、その他のどの命令系統にも属さず、誰の命令を聞く義務もない。だからこそ、格式ある立ち振る舞いが暗黙の内に求められるというのは当然だった。
相も変わらず手厳しい正論をかまされて、猟樹は内心おげぇと舌を出す。
「許してくださいよ~、観戦くらい。俺だって他隊員に興味はあるんです」
「つべこべ言うな。司令からの通達を忘れたか。お前はここにいてはいけない」
「他の隊員に悪影響だから、ですか?」
「ほう、よく分かっているようだな」
「……やれや~れ。必死に働いてこの待遇とは。仕方ない」
猟樹はようやく重たい腰を上げる。
そしてポン、と風間の頭に手を置いた。彼の身長は平均より少し高いくらいだが、風間との差は大人と小学生くらいある。このA級三位様が小さすぎるのだ。
「出ましょうか、ボクちゃん」
「貴様……」
「はは。まぁまぁ、そう怒らず。飯くらい奢りますよ」
ボーダーで二番手の攻撃手である風間は、多くの隊員たちからの羨望の的になっている。そして猟樹はよくも悪くも裏方作業員で、どの部隊にも属していない現在はただの研究員。ある種、憧れとは程遠い立ち位置だろう。
そんな二人が、さも対等であるかのように関わる姿は、本部でも不思議な光景として知られていた。
猟樹宰孤。
猟奇的なサイコパスみたいな名前ですが、そんなでもありません(気休め)