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第八迷宮アンダーアビス。
その都市階層に足を踏み入れた私は、街の様子を見て唇を噛む。
人々は陽気に、口々に都市の、いや迷宮の女神であるフレイヤをたたえている。今日は特別な祭りの日だからだ。
けれど私は知っている。女神などと呼ばれているものの正体は、悪辣な魔神なのだと。
こうしてはいられない。私はあの最悪の祭典で、絶対に勝ち抜かなければならない。どんな手段を使ってでもだ。
家族を、救うために。
地図を確認する。近頃評判のいい迷宮専門業者『グランメイズ』。私一人では達成できない目的に彼らの手を借りるため、足早にその事務所へ向かう。
待っていて、みんな。私が、みんなの心を取り戻すから――。
(BGMが流れ、カラフルでポップな字体のロゴが現れる)
バレンタインデーイベント20××
兵士と恋とチョコレート
(暗転)
▽
[アズール]
「おおっと手がすべった」
ルーファンと朝の買い出しに外出する際、玄関にかけた『9時開店』という来訪客へのメッセージボードに手がぶつかり、『本日休業』に変えてしまった。あ~しまったな~。
別に誰にも見られてはいないが、斜め上の空間を見ながら上着のポケットに手を突っ込み、ぴぴゅぴゅぴぴと口笛を吹く。
今日は美少女ソシャゲにとっては非常に重要な日。嫌な予感に対しては手を尽くして備えるのが賢明だろう。
具体的には、新キャラがやってくる予感だ。余計なイベントの発生は防ぎたい。
ルーファンに追いつき、並んで歩く。
彼は従業員のとんだ裏切り営業妨害など知らず、朝から機嫌がいい様子だ。
今日は第八迷宮都市のお祭りの日でもあるらしく、迷宮階へ続くメインストリートには、普段よりも露店の数が多い。何が並んでいるかというと、数々の女神フレイヤグッズと……チョコレート菓子。
なんの祭か? というと、女神フレイヤの管理による第八迷宮の隆盛を祝う日らしい。
が、それはゲームのシナリオライターが適当に考えた設定だと思う。
だって、今日は2月14日。
バレンタインデー。期間限定美少女キャラとかが実装される日である。
街の様子を眺めながら、ルーファンに話しかける。
「社長。このお祭りは毎年あるんですか?」
「はい! 女神フレイヤ様は毎年、思い付きでその年の祭日を作るんですけど、2月のこの日は毎年お祭りだって決まっているんです」
「ふむ」
だから市民たちはああやって今日という日の準備ができているのか、と街中の飾りつけを見て思う。アズールになってから、迷宮都市のこういう様子を見るのは初めてだ。
だが、今日はやはりフレイヤの祭りの日、というだけではないはず。
いつもはむさ苦しい迷宮潜りたちでごった返している道にも、若い女性の姿が多いのだ。
「ルーファンくん、バレンタインデーって知ってます?」
「え! あっ、は、はい……知ってますよ……」
「どんな日?」
「あ、あの……主に女性の方が、意中の……あっいや、親しいだんせ……親しい人に、チョコレートを贈る日だと」
やはりそうか。バレンタインデーという概念は、迷宮都市生まれ育ちのルーファンにもあるらしい。テレビの放送波とか新聞とか入って来るもんな。
なにゆえギリシャ神話元ネタの神様が、よその一神教の祝日に祭られるのか。また、なにゆえ現代日本の商業的イベントであるところのバレンタインデーの要素を取り入れているのか。そういう疑問が頭をかすめるが。
まあ、ソシャゲの世界だからそういうこともあるだろう。
「ふぅーん。そんな日だったんですねぇ。よく知りませんでした」
と、自分から振った話題なのに知らんふりをすると、男子中学生のようにチラチラとこちらの様子をうかがっていたルーファンは、少し肩を落とした。
あーーーーーっ。かわいいねえ。
この世界のバレンタインデーが現実の日本のアレと同じだとすると、アズールさんからチョコもらえるかもと期待しちゃっていたのだろう。それを今、暗に否定されてしまったわけだ。
ははは。バレンタインデーを知らん女子高生などこの世にいるわけないだろ。
オレはアズールの記憶を読み、迷宮都市の外では普通のバレンタインデーが存在することを知っていた。つまり今日に向けていろいろと計画をしていたわけだ。ルーファンにチョコレートあげたいからね!
ただ、この第八迷宮都市で行われる祭りのことがよくわからなかった。今日はルーファンの様子を見ながら、臨機応変に動くつもりだ。
ちなみに、以前のアズールは女子からよくチョコをもらっていたらしい。そして自分から人に贈ったことはないらしい。人付き合いしなくて見た目クール系だから、女子にもモテていたのだろう。毎年どう対応したものか人知れず悩んでいた記憶が頭の中に蘇ってくる。
そんなアズールの初チョコはオレが勝手にルーファンに捧げるけど。
▽
買い出しから戻り現在、オレはルーファンと共に、椅子に立てかけた剣の前に立っている。
剣、スケヴニングが、最近の目標である『レベルの上限解放』について重要なことを話したからだ。
『素材はそろったんだけど、儀式にはまだ足りないものがある』
なんだ。お金か? お金でキャラ育成をストップさせてくるソシャゲも多い。こっちは強くなりたくてウズウズしているというのに。
『親愛度が足りてないんだよ。親愛度』
「え……」
はぁ?
『“狂える戦士らの支配者《ロード・オブ・バーサーク》”の安全装置のひとつさ。絶対に王を裏切らないほどの忠誠心を持つ者でなければ、これ以上のレベルアップはできない』
「わたしは社長を裏切ったりなんて……さっきしたけど」
「えっ」
『決まりは決まりなの。そういう仕様なの。これ以上はもっともっとラブが必要なの。もう王と従者の関係とか超えてるレベルの』
「………」
ちら、と傍らのルーファンを見る。
相手もちらちらとこっちを見ていて、目がちょこちょこ合う。
「……こんなに仲良しなのに!?」
「あっちょっ」
視線だけのやり取りになんともムラムラ……イライラしたので、直接肩を捕まえ、そのまま抱き寄せて後ろから両腕でホールド。バックハグ。ちょっと自分の乳が邪魔だが……スケヴニングに仲を見せつける。
ルーファンは顔を胸でふさいでいないのにも関わらず、声も出せない。体温も高く、至近距離から見える頬は真っ赤だ。
『あのねえ。人と人の結びつきっていうのは、一方通行じゃだめなんだぜ。この意味、わからないかなぁ』
どういうことだ。ルーファンはオレなしでは生きていけない身体に順調になりつつあるし、オレのほうもルーファンをこんなにかわいがっているというのに。この前も二人の関係に立ちはだかる試練を乗り越えたし。完璧な信頼関係、親愛度だろ。
腕の中のルーファンの様子を見ると、おや、表情が暗い。オレ以上に落ち込んでいるようだった。
『まあ、こればっかりは主がアズールちゃんに男を見せていくしかないな。地道にやってくれ』
それ以上スケヴニングからアドバイスはない。
脱力し、ルーファンの両肩に腕をかけたまま、もたれかかる。
考える。我々の関係にこれ以上なんてあるか? こんなベタベタしている男女でもダメなのか? 一体どうしたらいいのやら。
「あ、アズさん。ちょっと重……あっいえなんでも……」
「それ胸の重さなんで」
「ふえっ! あっ、は、はぁ……」
しばらくして。
このままだと仕事ができないからとルーファンに離れられ、しぶしぶデスクにつき、ルーチンとして新聞を広げつつも、さっきのことについて考えていると。
間に挟まっていたチラシに目を引かれ、それを眺めてみる。
おや、これは。
今日という祭日、このアンダーアビスで開催しているイベントのお知らせのようだ。内容を要約すると――。
『この日だけ出現するチョコレートモンスターを狩り、魔力の詰まった濃厚なチョコを女神フレイヤ様に捧げよう』
『上位者には女神フレイヤ様から褒美が与えられる』
『主催:女神フレイヤと第八迷宮運営委員会』
うーん。たくさんツッコミどころがあるが……迷宮の探索者として、気になるのは女神からの褒美のほうだ。詳細を探してみる。
『――上位入賞者は、女神フレイヤ謹製『愛の義理チョコレート』のおすそ分けを賜ることができます。意中の相手を意のままに!』
これだ。解説を読む。ははあ、どうやら、邪悪な惚れ薬のたぐいらしい。
惚れ薬など必要ないが、神様の創造物となれば上限突破の素材に使えるし、でなくとも高く売却できる資産となる。手に入れる価値はあるだろうが……。
うちの社長はとくに参加する予定はないのだろう。今日は事務業務の日となっている。
鼻をならし、チラシを適当に放り出す。そもそもバレンタインデーのチョコなんてもう用意しているし、ルーファンはとうにわたしにメロメロのメロだ。こんなことより、足りない親愛度とやらをどうしたらいいのか考えねば……。
………。
…………。
……………。
待てよ。
この、女神フレイヤの惚れ薬チョコ。
これを。
ルーファンに食べさせる……のではなく。
オレが口にしてみたら、どうなる?
そうだ。スケヴニングの言によると、足りていないのはオレからルーファンへの忠誠心。あるいはラブ。受け入れがたい話だが、これを渋々認めるとして。
だとすれば、この惚れ薬でなんとかできないだろうか。試す価値があるのではないか。そう思いついた。
……惚れ薬などというものを口にすることに、抵抗がないわけじゃない。いやある。大いにある。ルーファンがオレに夢中になりすぎるのはいいが、オレがルーファンに夢中になりすぎるのはなんか違う。弄ぶのはいいが弄ばれるのは違う……。そういう考えも頭をよぎる。
うーん。
うん、とりあえず、入賞してから考えよう。
そもそも、ソシャゲでイベントがやってるときに参加しないのは損だよ。ルーファンくんにはそれを教えてやらねば。
「社長ぉ。本日の業務について提案が……」
オレは笑顔をつくり、イベントのチラシを手に、媚び媚びの声を鳴らしながらルーファンに近づいた。
▽
迷宮内。
いつもの魔物たちと違い、今日現れるやつらは皆、チョコレートで身体が形成されていた。そして落とす魔石も、なんかやたら魔力の詰まった小さい豆みたいなやつに変わっている。これを集めるのがこの
低級の魔物はもう全身がチョコで、ずっと見ているとなんだか目がおかしくなったように感じる。強いヤツはちゃんとデコレーションなり調理なりが施されたお菓子のようになっていて、落とす豆?カカオ?も質がいい。これを倒していくのが上位入賞への近道となるだろう。
第八迷宮都市ではそこそこ名前が売れてきた我々グランメイズだが、果たしてその力はこの機会でも通用するだろうか。年一のイベントとあって、普段は見ない他所の迷宮探索者の姿もある。どいつも猛者といった出で立ち。口ではルーファンをおだてつつ、内心不安である。
ということで、開発していた新たな魔法を披露することにした。
「はぁっ!!」
アズールが素早く二刀の光剣を振るい、チョコレートモンスターたちの足や翼を斬る。
移動力の減じたものから、ルーファンの剣、そしてオレの銃弾がとどめを刺していった。
「社長、やりました」
戦闘を終え、ぱたぱたとルーファンに駆け寄る
しかしそれは、
新たな魔法、『分身』によって作り出した、もう一人のアズールだ。
「すごい……すごいですよ! 本当にアズールさんが二人いるみたいです!」
「えへへ」
アズールは嬉しそうに笑っている。
ルーファンの言う通り、この魔法の効力は凄まじい。囮にするとか、相手を惑わすとか、そういうレべルの分身ではない。オートで動き、思考し、武器や魔法で相手を攻撃するという、ほとんど自分と同一の性能を持つユニットを生み出すことができるのだ。使用に相応の魔力を消費することと、分身体は大きいダメージや魔力の消耗で消えてしまうという弱点はあるが、下手な他人を雇うよりチームを強化できる。この
「………」
しかし。
しかしだ。オートで動くことには、どうやら恐ろしいデメリットがあったのだ。
オレはいま、ちょっとした怒り、妬み、恐怖に震えている。それを抑え、声を上げた。
「ちょっと。わたしの社長です。離れて」
そう。なんとこの分身体。隙あらばルーファンに媚びを売ろうとするのだ。さっきからルーファンに褒められているのはオレではなく、分身体のほう。
冗談じゃない。とんでもないことだよ。ルーファンはわたしのだ。この意地汚い淫婦めが。
本体であるオレにとがめられたアズールは、しかし生意気にも、冷たい目つきで睨み返してきた。
「わたしの、ってことは、わたしのでもあるでしょう。何か問題が?」
「それは……社長が混乱するでしょう。あなたがコピーでこっちがオリジナル。複製なら身の程をわきまえてください」
「はぁ? こっちからしたら理不尽な話ですよ、わたしも社長とイチャイチャしたいんです」
「なっ!」
アズールはルーファンを掴み、胸に抱き寄せた。顔をふさがれたルーファンは苦しそうだ。
このクソアマがーーーっ!!
「このクソアマがーーーっ!!」
「口悪っ! ていうかあなた、自分に嫉妬なんかしてたら頭おかしくなりますよ。気を付けてください」
「だから、気を付けるのはそっちで……!」
アズールに詰め寄る。某お笑い芸人さんの持ちネタならこのあとkissしそうなくらい顔を近づけ合い、文句を言い合う。
くっ、なんだこいつ!! クールな目鼻立ちと長い睫毛、白い肌……めちゃくちゃ顔が良いな。なんか良い匂いもする! 許せない!!!
「この、いい加減に!」
「それはそっちが!」
「ッ~~! ッッ~~~!!」
気が付くと、彼我の乳の間にルーファンが挟まれていた。合計4つのおっぱいだった。
目の前の少女と目が合う。まるで鏡像のようだ。ならば、今よぎった考えも同じなはず。
「「まあ、二人同時に楽しめばいいか……」」
「っ……!?」
ビクッ、と震えるルーファン。胸の先から内側に奇妙な振動が伝わり、吐息が漏れる。対面のアズールは何やら頬を紅く染め、メス豚のような表情をしていた。なにこいつ? 正直引く。
▽
イベントが終了した。
手口が知れた自分との連携はそれなりに上手くいき、戦果はすばらしく、かなりの量のカカオ(?)を稼ぐことができた。
結果、フレイヤ神主催のこのイベントでは、我々グランメイズはなんと五位に入賞できた。例の惚れ薬チョコが一個もらえる順位とのこと。
ちなみに、一位はモブ離れした容姿の美少女だった。妙にキャラクターデザインが凝っていたので、イベント実装のネームド新キャラだったのかもしれん。涙を流して喜んでいた。一位はフレイヤ神への謁見が叶うらしい。よかったね。
さて、そんなソシャゲの季節イベントのことなどどうでもいい。重要なのはこれからだ。
オフィスに戻ってきた私たちは、さっそくイベントの賞品を確かめた。そして。
「社長、その箱に魔力を込めてください」
「ええと……」
「両手で持って、剣に魔力をまとわせるときの要領で」
説明書を睨みながら指示を飛ばす。彼の手にあるのは例のフレイヤチョコだ。お高そうな箱付き。
「できた……かな?」
「これでそのチョコレートを食べた人は、ルーファンくんのこと大大大好きメロメロ恋愛脳人間になるようです」
「ええええっ!?」
間の抜けた顔で驚くルーファン。かわい。彼はいまオレの誘導で、資産としてとっておくつもりの品をお手付きにしてしまったのだ。
「アズールさん、ひどい」
「ごめんなさい。あっ、ちょっとそれ貸してもらってもいいですか?」
「……はい」
受け取った箱の状態と説明書を見比べる。
うん。これで惚れ薬としては完成しているはずだ。
思わず笑みが浮かんでしまう。ニヤッとしたやつ。
「これ、もう返しません。わたしが食べますので」
「え?」
ルーファンは不思議そうな顔をする。
そのままじっと見ていると、その顔がだんだんと赤くなり、困ったような、恥ずかしがるような、つまりはオレの好きなタイプの表情に変わっていった。
「な、何言ってるんですかっ。そんなことしたらアズさんは……!」
「ルーファンくんのこと大大大好きメロメロ恋愛脳人間になってしまう……」
ルーファンは口をつぐみ、また顔を赤くした。
ああ、今日は久しぶりに優位に立っている……なんかいい気分。
しかし一応、困らせるのは本意ではないのだ。
「まあまあ。これにはちゃんとした理由があるのです」
と、今回の思い付きを説明する。
上限解放の条件のひとつである『親愛度』を、これで一気に上げることができるのではないか。つまりは戦力強化のためであると。
「いかがですか。スケヴさん」
『いけると思います』
「ほらぁ」
「……ダメダメ! 返して下さい!」
「おおっと」
珍しく頑なな様子を見せる。こちらに近寄ってきて、箱に手を伸ばしてくる。身長は伸びてきていると言ってもまだまだ低いので、いじめっ子みたいに高く上げてやると、届かない。上から困り顔を見ているとゾクゾクする。
そうだな。このまま「あれ~」とか言って押し倒された態勢に移行、ラッキースケベられ……という流れもいいが。
実のところ、こっちもある程度は真剣だ。
「社長。今回は譲りません。わたしは、あなたのために強くなりたいんです」
「でも」
「約束します。このチョコを食べても、わたしはきみへの態度をあからさまに変えたりしない。自分をなくしたりはしません。それが心配だったのでは?」
「………」
いくらかの説得ののち、ルーファンは無言で引き下がった。
納得も了承もしていない。と言いたげな態度。だが隙をつくればこっちのものだ。チョコを口に放り込むだけで済む話なのだから。
正直、本当に強力な惚れ薬なのだとしたら、オレからルーファンへの態度などガラリと変わってしまいかねない。でも、真剣な表情で目を見て適当なことを言えば、この子は信じてくれる。わたしの手玉だ……。
ルーファンが何か言いたげにしながら突っ立っているうちに、再度チョコの箱を眺める。あとはこれを開け、中身を口にするだけ。それで全部が良くなる。
とはいえ。
オレもついこの前までは男で、同性は性愛の対象ではなかった。だからここにきて、抵抗がないでもない。
これを口にしたら、オレはソシャゲキャラよろしくルーファンへの好感度が爆上がりして主人公ラブ勢になってしまう。人の心を操るのは好きだが、操られるのは好きではない。むしろ地雷だ。オレは他人を支配したいのだ。
それに心の底から恋する乙女になってしまうと、オレの内面は、大事な部分が不可逆に変わってしまうかもしれない。
不安だ。
………。
なんてね。
アズールになったばかりのオレなら躊躇もしただろうが、今は違う考えも持っている。
美少女になって惚れ薬を飲まされ、その後は気持ちいいこと(レベルアップ)をされる……。
これは他の誰にも味わえない快楽だ。そのへんの男女にも、元のアズールにも、男のオレにも。
それに、今よりもっとルーファンを好きになれる。いいことじゃないか。いい子だし、からかい甲斐しかないし、そんな彼のもっと色んな反応を引き出せるかもしれない。
そのためなら、ルーファンのメスになることもいとわない。
アズールの……美少女ソシャゲキャラの人生を本気で楽しむなら、これもひとつのやり方だ。
オレは、小さな箱を開いた。
中身は、一口大の、まんまるいチョコレートがひとつだけ。
「……ねえ、アズールさん。やっぱりやめたほうがいいと思うんです。人の心を操るような薬なんて。それに僕は……アズさんには、そんなものに頼らずに……」
「んえ?」
なんかルーファンが語りだしていたが、ちょうど口を開けてチョコを放り込もうとしているところだった。
「ちょほぉおおおっ!? やめっ! やめてくだっ!!」
「ぼーりぼり」
チョコを口内に入れてしまったあとは、急いでぼりぼりとかみ砕いてしまった。もっとセクシーにベロとか唇とか見せつけながらねっとりやりたかったんだけど、ルーファンが詰め寄ってくるもんだから……。
味は……おいしい。この身体になってからは甘味も好きだが、神さま製だけあってか高級ブランドくらいの味をしている。まあそれ以上ではない。ほんとはコーヒーか何かと楽しみたいところだが、そうもいかないのでもう飲み込んでしまう。
ごくりと喉を動かすと、そこにルーファンの視線を感じた。
「わああああ!!! 吐いて! 吐いて!」
「美少女にそんなことさせないでください」
ぽんと頭に手を置き、落ち着かせる。
どうしてルーファンはそんなに必死なのやら。こんな美少女が好きになってくれるなんて幸運、喜んで受け入れてしまえばいいものを。
まあ彼の言は善良な人のそれだ。信頼関係にある相手の心をいじくるのはよろしくないと、そう思ってくれたのだろう。そういうところも好き♡なのだが。
ん?
「アズールさん?」
じっと見上げてくるルーファンの視線。それが、なんだか熱く感じる。
それは見られている部分から、じわじわと顔じゅうに広がっていき、頭のてっぺん、首から下、胸の奥にまでやってくる。
どく、どく、と心臓が血流を加速させ、それが脳みそに到達したとき、重大な不具合を起こした。
……ルーファンの顔が……直視できない! これは……!
「……っ、えい」
「!?」
落ち着くために、顔を見えないようにする必要があった。だから頭の上にのせていた手を、彼の後頭部に回し、いつもみたいに胸に抱き寄せた。
ただし、かなりの勇気を振り絞ってだ。今までやっていたことが、少し恥ずかしくなっていた。
彼の顔を胸でふさいだときの、慣れた感触が返ってくる。でもそこが妙に熱い。ルーファンの熱が胸の奥まで入ってきて、既に臨界状態に思えた鼓動をさらに激しくした。
……! これじゃ心臓の音を、聴かれてしまう。
「わっ! あ、アズさんっ」
「きゅ、休憩してきます」
わたしはルーファンから勢いよく離れた。喉からは異常に高い声が出て驚いたし、恥ずかしくなった。早足で事務室を出る。
閉めたドアに背中からもたれかかり、やがてそのまま地面に尻をつく。
気が付くと、自分は汗だくで、息も絶え絶えで、両手でふれた頬は、ひどい風邪をひいたときみたいに熱くなっていた。
「………」
やっっっっばぁ……。
これが10代の女の子の恋心か。いやあの惚れ薬の強さなのかもしれないが……とにかくヤバい。
オレも男だったとき、何度か女の子を好きになったことがあったけど、そのどれも今の高揚感には程遠い。
マジでルーファンのためならなんでもできる気がする……。
これは……。
いい。
思っていたよりも、いい。とてもいい。
多分アホみたいになっている顔で天井を見上げ、びくびくと震える。
こんなものを味わえて、さらにレベルの上限解放も叶うとすれば最上だ。まったくいい思い付きだった。バレンタインデーイベント、捨てたもんじゃない。ありがとう女神フレイヤ。
ああそうだ。バレンタインデーといえば。
しばらく後。
あるものを手に、オレは事務室へと戻った。
「社長……」
「はい」
「……ル、ルーファンくんっ」
「はっ、はいっ」
「ええと。今日は何の日か、もちろん知っていますよね。……あの、これ…………あげます」
オレは照れ照れもじもじしながら、勇気を出し、少年にブツを、ずい、と差し出した。
ああー、なんかいい。いま。演技と実の割合が今までとはまるで違う。魂が若くなった、そんな気がする。
渡すのはもちろん、この日のために用意した。“本命チョコレート”だ。準備した段階では、もしかすると本命とは言い切れない代物だったかもしれない。けれど今は……。
ルーファンはまた、ゆっくりと顔を赤くしていき、とてもいいリアクションをしてくれた。その顔が見たかった。
でもなんだか、受け取るのを躊躇した。どうやら惚れ薬の効能のことを気にしているようだった。ルーファンから見ても、今のオレはどこか違うのだろう。
だが。
「これ、ちゃんと前から準備していたものです。今日のこととは関係ないです」
そう、薬によって『変わった』というふうにはしたくない。ルーファンもそれは嫌みたいだし。
『強くなった』。そういうことにしておきたい。そのほうが気持ちがいい。気持ちよくやれる。
ルーファンは、チョコレートを受け取ってくれた。手の中から、その重みがなくなる。受け取ってもらえたという事実に、勝手に身体が喜ぶ。
仕事がなくなった両手を後ろに回し、そのままその場に立つ。まるで何かの返事を待っているかのように、オレはルーファンの顔を見た。
「その、本当はいま、いろいろ言いたいことがあるんですけど……」
前置きして、ルーファンは言う。
「僕、バレンタインデーにチョコレートをもらうの、初めてです。しかもそれが、アズさんからだなんて……本当に嬉しいです。ありがとうございます」
喜んでもらえた。
まあこんな反応をするだろう、というのは大体想像できた。この後どうからかうかという計画もしていた。しかし……。
ああ。ルーファンは今までももちろん可愛かったけれど、こっちの気持ちというスパイスがあるだけで、こんな風にも見えるなんて。魅力2倍増しというかなんというか……今すぐ襲ってもいいくらい……。
「えっ!? アズさん!? は、鼻血……」
「……!」
なんか顔の方から垂れてきた赤いのが、服の乳の部分を汚していた。
やべっ、なんだこれ。
そんな。好きな男の子に、美少女が鼻血出すところを見られた。
「きょ、今日は退勤します。お疲れ様です」
「あっ、アズさん、話はまだ――というか鼻血――待っ――」
▽
自宅に戻ってしばらくすると、いつもの調子に戻っていた。
やはり自分の性根が変化しているわけではない。ルーファンのことを考えるといつもより一段階上のニヤニヤが出てくる、といったところ。本人を前にすると崩れるが、そのうち慣れるだろう。むしろ慣れなくてもいい。この状態を楽しみ尽くしたいところだ。
部屋で、チョコレートを食べる。その辺で買った普通のやつだ。
まあ美味しいけど、あれを食べたあとの感動を思い出すと……、
どんな味だっけ。甘ったるくて、熱くて、黒くて赤くて、苦くて、やはり甘ったるいそれ――。
ああ、ルーファン。
おもむろに立ち上がって、姿見の前に立った。女の子の部屋には必須の家具だ。
部屋着のアズールが映っている。けれどそれを見慣れている自分は、今朝までのアズールとは違っていることを見分けた。
顔だ。恋をしている美少女の顔面。それをこの至近距離でまじまじと観察できるのは、本人かその想い人にしかできない。貴重な体験だ。
ルーファンのことを妄想しながら、胸に手を当てる。
女神のバレンタインデーイベントは、どうも毎年開催されているらしい。そして一位はあのチョコが五個もらえる。ハーレム用途なのだろうが……。
一個でこの効力。それを自分が、さらにもっと口にしたら。
いったいどうなってしまうのだろうか。
鏡には、妖しくニヤつきながら唇を舐める少女が映っていた。