私の夢は夢を持った他の子をシバくことです。 作:しゃけむすび
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別に何て事は無い休日であった。
いつだかの怪我もようやく癒え、目標のレースまではまだまだ時間があったが、そろそろ練習を再開する事になった。人が多いのではトレーニングもし辛いからと、その日は偶々学園から少し離れた市営のグラウンドに行ったのだ。設備はやや学園のそれに劣るが、それでも一般的に見れば充分な範囲であった。それに加えて今日は人もまばらであるからうってつけである。因みに私のトレーナーだが、今日は偶然会議が入っていたようで、久々に一人だけでトレーニングすることになった。それこそ、病み上がりで自主トレーニングをするのは愚行ではないかと他ならぬトレーナーに窘められたが、軽い準備運動程度に済ませると託けておいたから大丈夫だ。
話は変わるが、今日はそれとなく気分が良い。普段であれば碌に手入れもせずに粗野に扱っていた練習用のシューズも回帰早々に怪我はしたくなかったから念入りに磨いたし、昨晩だって風呂上がりにストレッチをして寝たから今朝の目覚めも素晴らしいものだった。練習できる喜びなどではない。十全に健康的な生活を送れたからちょっぴり嬉しかったのだ。言ってしまえば私はとっても良いコンディションだったから、俗に言う絶好調ってやつだったのだ。
「ねぇ、君」
鼻唄混じりに走る支度をしていればふと、背中の後ろ辺りからそんな声が聞こえた。今私はグラウンドの隅の方にあるベンチに座って靴紐を結んでいるのだが、私と声の主以外の人影は無い。つまりはそういう事である。
「ん〜?」
振り返ってみると、目算で私よりも幾許か上背のあるウマ娘が、私を見下ろす形で立っていた。何の偶然か丁度太陽を背にする形でそのウマ娘はそこに佇んでいた。影となってイマイチ見えていないのだが、どうにもよっぽどの美丈夫であろうというのは顔の輪郭から容易に察せられた。
「そのジャージって事は、トレセン学園の生徒だよね?」
「っすね。それで、何かありましたか?」
見下ろされながら話すのも気分が余り良くないから、紐を結ぶ途中であったが立ち上がって話し始めたのだが、振り返ってみれば中々どうして大方の予想通りの大層な美丈夫がそこにいた。どちらかと言えば“可愛い”とかよりかは“格好いい”とか“綺麗”とかの褒め言葉が似合いのウマ娘であった。
……しかし、どっかで見た顔であった。今ここで“会った”という表現をしなかったのはどうにも私がこいつを見たのは恐らくビデオの中であろうと思ったからだ。ただでさえ少ない交友関係なのだから流石にそれぐらいは分かる。しかし、目の前のウマ娘が誰であるかは依然として判然としなかった。名前を聞くかフォームを見せてもらうかすれば容易に判別がつくのだが、出会って数瞬も経っていないのにそこまで馴れ馴れしいこともできない。
「! そっか……ふふ。今ちょっと暇でね、少し退屈凌ぎに付き合ってくれないかなって」
こいつ今、少し驚いたな。多分あれだ。私の推測が正しいんなら目の前のウマ娘が自分の事を知らないとは思っていなかったんだ。
……しかし、何だかよく分からないぞこいつ。初対面なのに何でそんな事を言ってくるんだ?今ご機嫌にシューズを履いていた私が他人の暇つぶしに付き合うくらい暇してるように見えたってのか?
「少し……失礼な事言いますけど、もしその小綺麗な目ん玉が正常なら、私がそこまで暇してる様には見えないと思うんすけど」
「ああ、ごめんごめん。気分を悪くしたんなら謝るよ。でもさ、病み上がりの君が一人っきりでトレーニングっていうのはどうなのかな?大丈夫、絶対に無駄な時間にはしないから」
「!」
マジに何なんだこいつは。私は今、こいつが言っていた通りに上下ジャージを着ているから脚はおろかまともに体しか見えていない筈だ。それが一体どういう理由があれば私が病み上がりである事に勘づけるのだ。
ただまぁ、それはそれとして少しこいつに興味が湧いた。何処にそんな自信があるんだか分からないが余程自分の口に自信がない限り、初対面の輩にこんな啖呵は切らない。不思議な事に、ここまで言うんなら話してみるのも吝かではないとこの時自然と思ってしまった。
「まぁ……別に大丈夫ですよ」
「ほんと?何かゴメンね、けどそんなに時間は取らせないからさ。それと、何から何まで我儘で悪いんだけど、もう少し静かに話せる所に行かない?」
「はぁ…」
「まず幾つかテーマを出すからさ、それについて2人で考えて、話し合ってみようよ。言うなれば、ある種の議論かな?」
歩きながら彼女はそんな事を言った。……ちょっぴり不安になってきた。今まで己の直感に任せて生きてきたのだから哲学的なノリのものはてんで疎いのだ。しかし、やると言ったのであれは最後までやり切らねばそれは不徳というもんだ。……地味に後に退けないのが辛い。しかもいつの間にか先のベンチではなく観客席のような所に連れられてきていた。いよいよこいつ走らせる気がないぞ。
「じゃあ一つ目。勝利に必要な条件って何だと思う?」
「……参考までにお伺いしても?」
思ってたより全然難しい事だった為、彼女に意見を仰ぐ事にした。こんな事を暇つぶしで考えてんならそれ以外の時はフェルマーの最終定理でもやってんのかな。
そんな事を考えていると、快晴の空を見つめながら思案した風な彼女はやがて、口を開いた。
「そうだなぁ……やっぱり“強さ”じゃないかな。一見原始的に見えるけど、何かの勝敗を競う上で1番重要なピースだし」
彼女は飽くまで視線は上に向けたまま、言葉を続けた。
「だけど一概には「これが強さだ!」とは言えないと思うんだ。例えばボクシングなら素の身体能力とかが物を言うし、盤上遊戯なら頭の回転がそのまま強さに繋がるよね。各々の分野で何が強いかは違うから、全体の中で共通する条件では無いけど」
「それでもやっぱり、最後は強かに在れた方に勝利の女神は微笑むんじゃないかな」
彼女はそんな風に言葉を締めた。晴天を見据えるその眼差しに、少しだけ寂寥の念を感じたのは気のせいなのだろうか。何となく、彼女が、自分はそう在る事が出来なかったと言っている様に思えた。しかして、何となく感覚は掴めた。後はより思考を明瞭にすれば相応の答えが分かるだろう。
暫しの逡巡の後、思い切って口火を切ってみる事にした。
「確かいつの時代かは忘れたけど、中国の昔の偉い人が、楽しんでいる奴、その事柄が好きな奴、その事柄を知っている奴の順で優れていると言う風な事を言ってたと思うんすけど」
余りに拙い。中学で習うような格言であるが、それでも本質は高尚だと思いたい。ただ………ただ、心の奥底でこれでは無いだろうと言う疑念が、少なからずあった。
「それに従って考えるなら、“楽しさ”が1番大事なんじゃないかなって思います。」
私が喋っている間、彼女は朗らかに微笑みながら相も変わらず晴天をぼうっと眺めていた。
「……成程ね。確かに“何だって楽しんだもんの勝ち”って言うよね。でも、勝敗を度外視して考えればそうかもしれないけど、今回のテーマはその競技の勝利に必要なものを考える、だからね。楽しさだけじゃ勝てはしないよ。それに」
そう言葉を切って彼女はこちらに顔を向けた。視線と視線がかち合う。彼女の澄んだ色の瞳に、何だか全てを見透かされているようで気味が悪かった。
「君はもっと、純粋になれる筈だよ」
彼女の醸し出す雰囲気は会長さんの威圧感と毛色こそ違うが、言い知らぬ妖艶さがあった。ただ超然とそこに在るのでも無く、知らぬ間に、気付かぬ内に、纏わり付きやがては呑み込む。この時、本当に奇っ怪であるのだが、答えをはぐらかして煙に巻こうとは少しも思わなかった。
「“悪辣”だろ。」
何を考えるまでも無く、自然と口を突いた。
「どんなに強かろうが関係ねぇ。正道を踏んでルールに徹する必要なんざ欠片もねぇ。番外戦術、ブラフ、トラッシュトーク。どれもこれもやる時に相手の心配なんて必要ねぇからな。同じ土俵にいる以上、勝者になるのは自分かそれ以外だ。それなら相手だって相応の覚悟で臨むだろ」
彼女は私の弁を、依然此方を見据えたまま黙って聞いていた。口を噤む気は無かった。喋れば喋るほどに自己という存在の肯定になる気がした。
「どれほど強くたって、最後の一瞬にとどめを躊躇えば意味が無ぇ。どんなに賢しくたって、僅かでも倫理に思考を邪魔をされたならそれで終わりだ。競い合う楽しさも、夢を追う尊さも、語る奴ほど非情になれねぇで負けてくんだろ」
やがて、喋り終えた私はふと、今まで自分の目の焦点があっていなかった事に気づいた。恥ずかしい話だ。あろうことか弁論に熱を上げるなんて。思わず口調が荒くなった事を詫びれば、彼女は気にするなと言ってくれた。
そしてそれと同時に、自分の言行の矛盾に気づいた。私は、つい最近完治したばかりの怪我の発端となったレースで、一切の情も躊躇いも無かったのにも関わらず勝ちを譲っている。そればかりか、楽しむ為にそのレースに出ていた。これでは全てがチグハグでは無いか。
何だか混乱しているようだ。己の思考と感情の整合性がまるで取れていない。初めて直面する異変に混乱していると、静かに彼女は口を開いた。
「そうだね、きっと君の言った事が一番正解に近いんだと思う。」
不意、であった。
「けど、一つ正すとすればそれは“悪辣”ではなくて“我の強さ”或いは“エゴイズム”と言い換えるけどね」
先の言葉に続けて目の前の女は言った。
「夢を追う。誰かの気持ちに応える。どんなに耳触りの良い言葉を並べたところで私達の飛び込んだ舞台は競走で、本質は闘争なんだ」
「……」
淡々と彼女は言葉を連ねた。しかし、“エゴイズム”か。ふむ………まぁ確かにそうだろう。確か直訳で“独善”とかだよな。凡その意味として私のやっている事は間違いなくその言葉通りのモノだと言える。
まだ微かに混乱はしている。しかし、それの原因を探り出すのとこの女の話とでは明らかに前者の方が時間がかかりそうなので、一先ずは後回しである。
「身も蓋もない話になってしまうけど、争い事をする上で最も求められるのは才能だよね。これは揺るぎようが無い」
首肯する。
「ならば争い事に勝利する上で最も大事になるのはさ、如何に自分の才能を躊躇わずに発揮できるか、て事じゃないかな」
ム、なるほどそういう事か。………ン?私は何故、自分の発言の意図を自分で真面目に考察してるんだ?ひょっとして私って結構頭悪いのか?
「自分が勝つ上で、何が使えるのかは知っておいて損は無いよね」
「フィクションなら綺麗事並べた方が勝つけどさ、現実ってそうも行かない訳だし」
あぁ……納得がいった。今のこいつの台詞で、何故私が本来勝ち得たはずの勝負を捨てたか分かった。いや、実際知ってみると何故だか不自然なくらいスッキリする。いやはや、こいつには礼を言わねばなるまい。変人の頼みにも付き合ってみるもんだ。
だがしかし、である。
「なぁ、マジに気になるんだけどさ、あんたなんで初対面の私にそんな仲良いやつと話すような真面目っぽい話するんだ?」
これだけは知りたい。普通のやつなら初対面の奴と話すのにこんなトリッキーな話題を出す訳がない。こいつがただの変人の可能性が高いが、一応そうでなかったら嫌なので確認をしておきたい。
そう思い問うてみれば、彼女は苦笑混じりに口頭で軽く謝罪したあと、こんな事を言った。
「実は伸び悩む若人に助言の一つでもしてやるかぁ、ぐらいに思って君に話しかけたんだ。まぁ、話してみれば全然そんな事無かったみたいだけどね」
ン?
「え?」
「ん?」
「いやぁ……だってねぇ。幾ら休日だからってトレセン学園の設備もろくずっぽ使わないで、こんな人気のないような寂れた運動場に来てる娘がいたもんだからさ、てっきり何か悩み事があるのかと思うじゃんか」
まぁ見え…なくもない。だけどさぁ、何かこう、あるだろう。もうちょっと手緩く言って欲しかった。
「それに、親しい友人とかより赤の他人の方が悩みとかは話しやすいかなって」
「友達いねぇんで分かんないす」
「え」
「親しい友人が居ないので分からないです」
「…………」
何だその目は。
「その、ごめん?」
喧しいわ。
──────────
彼女はその後、そろそろ時間だとか言って適当に見切りをつけてどこかに退散してしまった。
別に、あの後話さなかったかと言われればそんな事はなく、やたら申し訳なさそうな面をした彼女に飲み物を奢ってもらったり他愛も無い話をして時間を潰した。流石に空気が沈んでいたので幾らか冷やかしをいれて茶化しておいたが、無闇矢鱈に人の事情に首を突っ込んじゃあ、それは浅慮ってもんだろう。ただ、今回ばかりはそのお節介で良い事もあったのでとりあえずは丁重に礼を言っておいた。
そして彼女と別れてすぐ、私は緩やかにトレーニングを始めた。調子で言えば来た時よりも幾分良い感じで出来そうな心持ちであった。
彼女との問答に端を発し、自分の矛盾に気づき、そして理解した。
気分はいつになくスッキリしていた。
肩の辺りから入念にほぐし、肝心の脚は上半身の倍ほども時間をかけてストレッチをした。長らく動かしていなかったので節々が小気味良い音を響かせながら鳴る。こういう時の己の好調を実感できる瞬間は嫌いではない。
トラックに出て、まずは一周分駆け足程度に走っておいた。適当なフォームで跳ねるように脚を動かし、異常の有無を確認する。多少不恰好であるかもしれないが、こんな程度が一番分かりやすいのだ。
そして、逃げ、差し、先行、追い込みの脚質の順に四週分走る。特に順番とかにこだわりは無いのだが、気づけばこれで定着していた。時間がない時は一周を半分に割って二周だけで済ませるが、今回は平時と変わらずに走る事にした。
逃げが最初の理由は、ハイペースで最初から飛ばしておくことで、なまっちょろくなった身体を叩き起こすのが狙いである。
そしてこれは飽くまでもウォームアップの範疇。終わり次第に他のトレーニングに移るのだが、私はその特性上、何かとトレーニングの内容を常に考えながら練習するため、今行なっているウォームアップ以外は2回と続けてやった試しがない。しかも一度にうんと長考をするので、己を追い込むほどキツいトレーニングでも、連続してやる事が少ないのだ。
しかし、今回は少し訳が違う。今走りはしているものの、頭の中で考えているのは自分の考えと行動のことだった。
私は、知識として、勝利に必要なものを知っていたのに、先のレースでは感情の悦を優先した。果たしてそれは何故なのか。
私は今まで、レースを楽しめないから他で補おうとしたのだと思った。事実、それは間違っていないが果たしてそれだけかと問われれば答えは否である。
気持ち悪かったのだ。
勝ち負けを競うはずの世界での、あいつらの行いは私には理解し難かった。戦う以上は降さねばならない相手に、友情だの礼儀だの……何を求めているんだと思った。
何故そんな風な事を言っていて、夢や希望を語るのだ。仲良しごっこがしたいならこの学園になど来ないで地方でそれなりにやればいいじゃないか。ここに来て夢を語るのならそれを貫く為には騙し討ちも辞さないような覚悟であるべきだ。
汚いことを見たくない気持ちも、したくない気持ちも分かる。
ただ、綺麗事だけがさも全てであるかの様に動くあいつらは、私からすればひたすらに悍ましく見えた。
ただひたすらに、気持ち悪かったのだ。
だからだと思う。敢えて負けてみたのも、あいつらの走りを潰すのも、きっと心の奥底で同じ土俵に立っていると思いたくなかったのだ。
綺麗事しか言わない向う見ず共に、お前らは私の掌の上なんだぞって、嘲りたかったのだ。
心の何処かで見下していて、そんな奴らと対等に争うだなんて、と自尊心が私をアレらと勝ち負けを競わせるのを拒んだのだ。
全く馬鹿げた話があったものだ。
私の技術を磨くなら、これから先競争相手の心理を理解する事も必要になってくるだろう。にも関わらず、根本からそれを拒んでいてはこの先の私に向上などありはしない。
それだけではない。青臭い夢を語る輩を嘲弄するようなウマ娘が、自分のちょこざいな矜持一つの為にこれからのレースでもし敗北を喫すような事があらば笑い者では済まないだろう。
私はこの競技の頂点に座している訳では無い。未だ発展途上の分際で随分とつけあがった事を考えていたものだ。
この先、見下した輩共に土をつけられたくないのなら、もっと貪欲に、己にとっての恥すらも呑み込んでいかなければならないのだ。
幾ら走ったところで疲れるだけだ。叶うなら今すぐ横になりたい。しかし今はそれ以上に、あのウマ娘共に負けたくなくなった。
何よりも、心が騒めくのだ。私と戦う時だけは、夢を追うような希望も持たせるな、と。
決して対等とは思わない。だが、獅子は兎を狩るのにも全霊を尽くすのだ。畜生にも出来る事を、私がしない道理は無い。
誤字、文法の誤用などあれば是非ご指摘ください。