私の夢は夢を持った他の子をシバくことです。 作:しゃけむすび
あの子ってのほほんとしてるけど割と他の同期に引けを取らないぐらいは走るの好きだよね。
※誤字報告ありがとうございました。ご意見ご感想お待ちしてます。
初めてその娘を見た時、同学年とは思えないほどに均整のとれた肢体に瞠目した。そして、何を見ても何も映さないその瞳に言い知れない恐怖心を抱いた。
そんな驚嘆と恐怖を抱いたのも束の間、彼女の走りを見た時に私の胸の内にあった思いは、そっくりそのまま畏敬と尊敬の念に変わっていた。
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その日は予定が空いていて、スペちゃんのレースをグラスと観に行ったんだ。キングは一日トレーニングがあってエルは補習をしなきゃいけないって言ってたから、2人だけだけど、そういう事ならって言ってスペちゃんのトレーナーさんが関係者席に通してくれた。
別に私はどこで観ても良かったんだけど同期の中では私達が一番注目されていて、何かトラブルが起きても良くないと言われれば、従わない理由が無かった。そんなこんなで通された席で、グラスと今日のレースの話をした。
「今日のレース……スペちゃんは大丈夫でしょうか」
グラスはスペちゃんの事になると少し心配性になってしまう嫌いがある。しかし、グラスは日頃奔放なあの娘に振り回されているのだからそう思ってしまうのも仕方ない話ではある。
「どうだろうね〜。でもまぁよっぽどの番狂わせが無い限りは、スペちゃん一強だと思うよ」
特に身内だからといって贔屓をする事は無いが、事前に告知されていたら今回のレースの参加者を見る分ではよっぽどのイレギュラーが発生しない限り、スペちゃんが負ける可能性は極めて低い。
少なくとも、レースが始まるまではそう思っていた。しかして、その思いとは裏腹に、その日のレースが終わった後、私は自分が随分と狭い視界で物を見ていたのだと知ってしまった。
「……わお」
それを見たのは、レースも中盤に差し掛かろうという頃だった。
空いた口が塞がらない。そんな風に例えてモノを言われる度にそんな訳があるかと心の内で思っていた。それがどうだ。私は今まさに、暫時は呼吸すら忘れて彼女のそれをただ呆然と眺めていた。
最初は何かの間違いだと思った。偶々、本当に偶々スペちゃんとフォームが似ているだけだと思った。しかし彼女がほんの数十m前まで全く違うフォームで走っていたという事実が、私のその考えを否定した。
そんな事を考えている内に、彼女のそれは瞬く間にスペちゃんのフォームと遜色無いレベルの物になり、やがては彼女のトレーナーが言っていたこれから直していく筈の悪癖すらも修正して、完全に自分のモノとしてしまった。
「すごい……」
私の右隣からは、グラスのそんな声が聞こえた。至極当然の反応と言えるのではないだろうか。その時間の大小に関わらず、今までに少しでもレースに本気で取り組んだことのあるウマ娘であれば、彼女が平然とやってのけた芸当がいかに常識を逸脱した物であるか否応無しに理解してしまう。
ただ真似をすれば良いだけでは無いか。そう言われればそうなのだが、言うは易く、行うは難しだ。具体的に説明するならば、レースというスポーツに於いてウマ娘とは人であり、フォームとは筆跡だ。今知り合った赤の他人が適当に文字を書くからそれを寸分違わずに模写して、尚且つ汚いところがあれば修正しなさい。
こんな事を言われて、果たしてそれを完遂できるか。答えは否である。欠点の修正だけであれば不可能では無いが、それに完璧に模写する事を条件としてつけられば、途端に手が付けられなくなる。そもそも、修正するのにだって少なくない時間を要するだろう。
それを彼女は、走る際のフォームという常人では違いすらまともに分からない物で、あろう事かレースの最中にやってのけた。もはや異常ですらある、と思った。
(とんでもない奴がいるなぁ)
このまま行けば、スペちゃんは先頭を走る彼女の影すら踏む事なく敗北を喫するだろう。しかし、そんな事はきっとあの娘からすれば屁でも無い。いや、負けて何も思うところが無いという事は無いだろう。きっと泣く。それはもう大いに泣くだろう。だが、彼女の志しは一度や二度の敗北で薄れてしまうほど虚弱なものなんかじゃない。寧ろ、曲がりなりにも自分の完成形を間近で見ることが出来たのだから、それを全て吸収して飛躍的に成長するかもしれない。
それに何より、私はスペちゃんに対してある種の嫉妬心さえ抱いた。
そんな想いも束の間、彼女───デイズオブレストは、私達の思いも寄らない行動に出た。
『残りは50m、先頭はデイズオブレスト、2バ身離───おぉっと?これはどうしたデイズオブレスト。見る見る内に失速していきます。何かトラブルでもあったんでしょうか。』
マジかよ、あの娘。
*
「ちょーい!ちょいちょい。どこ行くのさ」
「グラスさん、何をしでかす気?」
こんな時に、エルは補習ときた。
心底では、とうの昔に分かっていた事だ。それが血で血を洗う仁義なき鉄火場であろうと、弱肉強食が唯一絶対の法である競闘の世界だろうと、それが不義理であるならば、彼女にとってその想いは何よりも正当なのだ。何よりも貫かなければならない信念なのだ。
自己満足でも、自己陶酔でも無い。一つの淀み無く誰かの為の怒りだから、彼女は心を曲げないのだ。
あの日、結局スペちゃんがそのまま一着で終わった。それだけならばまだ良いのだ。スペちゃんを真似た娘だってそうは見えなかっただけで怪我をしていたのだろうし、例えどんな理由があろうとも勝敗が全てなのだから。
けど、それだけで終わらなかった。否、終われなかった。あのレースから2日後の朝方、校舎棟2階のいつも皆んなで談笑をしている小さな休憩室で静かにスペちゃんは泣いていた。偶々そこに来た私達に気がつく余裕すら彼女には無かった。
けれど、私達は知っていた。その瞬間を共に走ってすらいない者が何を宣ったって意味は無いのだと。だからこそ、ただ黙っていた。だが、今思えばそれがいけなかった。ふと、気配に気づいたのだろう。スペちゃんがゆっくりと顔を上げた。そして、碌に取り繕う気力も無かったのか、はたまた私達にだけは本音を吐露してくれたのだろうか、半ば泣き笑いのような顔で、彼女は呟いた。
『私、勝ったのに……勝ったくせに傷ついたんです』
「えぇ、分かっています。分かっていますとも。私達が息をしているのは我欲が為に飛び込んだ世界。“勝ち上がる”とは即ち私達もまた、誰かの夢を踏み砕き、それらを自分への賞賛に変えてきたという事。“勝って傷つく”などというのは不徳の考えでしょう。」
グラスは振り向かない。あれからスペちゃんは平時と何ら変わりなく生活している。だが、体面を取り繕っているだけであろうというのは容易に察せられた。その証左に、彼女は昨日の練習からまるで何かに追い立てられているように切迫詰まった走りをしている。鬼気迫るだとか、熱が入っているとかではなくて、見ていて痛ましくなるような走りだった。
「ですが、私達が戦場としている場所は………“レース”は、才無き者と天稟を持つ者が唯一対等に競う場所。誰かがゴールテープを切るその時まで、一もなく二もなく“ウマ娘”として在れる場所。」
何も言わない。私はこの娘の想いを諌めるだけの言葉を持ち合わせていない。キングだって、ここで口を挟むほど野暮ったくはない。
「走る前は衆目の声で縛られ、走った後は結果の二文字がのしかかる。そんな状況で、走ってる時だけは何に縛られることも無い。勝利の美酒も、敗北の辛酸も、全ては後について回るもの」
「スペちゃんは……スペシャルウィークは、“勝って傷ついた”んじゃない。“傷つきながらも勝った”んです。こんな風に考える事こそ、異端だと唾棄されるのでしょう。たかが無名のレースと言われればそれまでです。だけど私は、先達が血に塗れ築き上げた土俵を、親友を虚仮にしたあのウマ娘を傍観するぐらいであれば“外道”と面罵され、路傍の礫をぶつけられた方がマシです」
ここまで怒っているのならば、何を言ったところでどれほどの楔にもなるまい。ならば、私達のすべき事は
「ならグラス、一つ約束して」
「えぇ、私からも一つ」
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「ネェ、スペちゃん」
あれから数日。やはりスペちゃんの纏う空気はどこか重く、澱んでいた。1人の親友として早急に何か改善しなければと思考を巡らせていたが、妙案が出ることはなく、気分転換も兼ねて何の気なしに5人で昼食を食べる事にした。そして、各々が席に着くと、ちょっと前から三日くらいウンコ出てなさそうな顔でうんうん唸っていたエルが口を開いた。
「何で最近そんなにへろへろなんデスカ?スペちゃんらしく無いですネ」
「………ぇ」
「んぐふぅ⁉︎」
上記の音は、私が頬張っていたミートボールが口腔内を脱出した時の音声である。マズい……このプロレスマスク擬きは今まさに地雷を踏み抜いた。
「ていうカ、誰を追いかけてるんデスカ?最近なんかフォーム変わりましたヨネ」
「っ……あはは、えっとね」
イマイチ歯切れの悪いまま、スペちゃんはポツポツと語り始めた。このまま行けば地獄みてぇな空気のまま解散になってしまう。やるしかなくなったわけだ。期せずして賽が投げられた。ドギマギしていたところで何が変わるわけでもない。私は他の2人とアイコンタクトを取り、事の成り行きを見守る事にした。
「フムフム。つまりは一刻も速くそのフォームをモノにしたいと?」
「はい………」
「ナルホド、合点がいきましタ。だけどスペちゃん、このままじゃ一生そんな事出来ませんヨ?」
「…………へ?」
「そもそもフォームっていうのハ、自分がより速くなれるように練習しテ、自然と磨かれるモノなんでスヨ」
「そのウマ娘だっテ、未来が見えるわけじゃ無いんですカラ飽くまで想像のスペちゃんのフォームだったんでショウネ」
「!」
「それに第一、フォームにスペちゃんが合わせるんじゃなくて、スペちゃんに合ったフォームを磨くべきなんでス」
徐々にスペちゃんの顔に光が戻っていく。
この時、奇しくもスペシャルウィークとエルコンドルパサーを除く3人の思考は一致していた。
(エ、エルがまともなアドバイスをしている………だと?)
「全部真似っこする必要なんてありませんヨ!アくまでその娘のは参考程度にしテ、その娘の度肝を抜いちゃうくらいのすっごい走りを見せてやりまショウ!」
「わ、私に出来るかな」
「ダイジョブですヨー!いざとなったら私たちがいますからネ!」
彼女はそう言ったあと正月元旦の朝に新しいパンツを履いたような清々しい顔で食べ掛けだったご飯を食べ始めた。
本日のmvpは間違いなくエルだ。そして、後は任せろ。
「エルの言う通りよスペちゃん。私達はこういう時こそ頼りあうべきよ」
グラスがすかさずそう切り出した。
「グラスちゃん……‼︎」
「えぇ。一流の友人として出来得る限りの助力を約束するわ」
キングが間髪入れずに続けた。
「キングさん……‼︎」
「釣り行かん?」
「処刑よスカイ。表に出なさい」
そんな風なやりとりをしている内に、いつの間にかエルも加わって皆んなで久しぶりに騒いだ。そうして燥いで、疲れて、解散する頃にはさっきまでの緊迫感が嘘の様に和やかだった。
これから何があったって、多分大丈夫だ。とそう思った。
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