私の夢は夢を持った他の子をシバくことです。 作:しゃけむすび
時々、思う。
私にも、そういう未来はあったかと
もしあったら、あったとするなら、
そんな愚物に産まれた事を、きっと後悔しただろう。
『3番人気───。脚部の不調から……』
下らない思考が大部分を占めていた脳内に、ガサついた音声が響いた。このアナウンスは、ある意味で死刑宣告のような、そんな陰惨な雰囲気を纏う。尤も、それは個人に問題がある訳で、アナウンス自体、特段に不備は無いのだが。
「はぁぁ……」
状況を整理しよう。
怒りは、とてもシンプルな動力源だ。
頭に血が昇っている時は力が増すし、罪悪感とかがぽろっと抜け落ちて、その憤りの矛先に全ての思考が向く。
尤も、私が元から罪悪感を感じる気性であったなら、今ここでここまでの怒りを抱く事も無かったのだろう。ありがちな話にはなるが、欠点を自認をしているのと、それを他人に謗られるのでは、大分感受の仕方が変わる。故の怒りである。
あそこで、特に面罵されたなんて事はないが、グラスワンダーの、心根と言うほど深くないところに、私に対する看過しようの無い嘲弄の感情があったのは、もはや取り繕う必要もない。
ただ、勘違いしてはならないのは、それは己もまた然りという事だ。初めて自発的に模倣した時から、私がレースの最中に悪意を以って接さなかったことはない。
因果応報、と言えばそれまでだが、頭が理解していても、心が追いつかないの。青臭い、と大人は冷やかすのかもしれないが、当人からすれば溜まったものではない。
しかし、今まで外道に近い行いをしていた者が自分も同じ仕打ちを受けたからと言って、正面切って憤るのは憚られる。
つまりは、今の私にはコンセプトが必要なのだ。この怒りを正当な物と捉えて、余す事なく撒き散らすだけの言い訳が欲しい。
グラスワンダーが気に入らない。それは、原因が分かった今、正当な理由ではなくなってしまった。かと言って、他の出場者に適当な因縁をつけるのは、ただの八つ当たりであるから論外である。
「おぉい、デ〜イズ〜」
「ム‼︎」
時間は無い。かと言って1人では結論も出ない。そんな訳で、早歩きでせこせこ探し回っていた人物は、のんきな声で階段の上から顔を突き出していた。
「割り増しで怖い顔してさぁ、どぉしたんだよぅ」
「理由」
「あぃ?」
「私が頑張る理由を、よこせ」
「?、……!お前が負ければ私は悲しいぜぇ」
「分かった」
──────────────────────
……いや、認めよう。どれだけ理屈を捏ねても、私は己が癖を侮蔑された事に腹を立てていて、尚且つ意趣返しをしようとしている。
つまりこれからの戦い、私はどうしようも無い悪徒である。しかし、それで言えば彼方もまた、“我が親愛なるトレーナーに無作法を働く悪徒”である。屁理屈と言えば屁理屈だし、なんなら暴論だが、納得できればそれで良いのだ。
……刹那の違和感。感じ入る間もないままに、ゲートへ入る。ここから先は、それ以外を考えれば即座に勝敗が決まる、一意専心の妙境だ。私以外のウマ娘は、楽しく、熱く、故に冷静に思考する。楽しいからこそより楽しく、より上へ。理由に他人を使い、継続にもまた他者を使う私と彼女らでは輝きに雲泥の差が生まれるのだろう。
しかしだからこそ、
『………ガ』
眩めく輝きを奪うのは、こんなにも心躍る。
『チャン』
今の今まで、注力してスタートダッシュを鍛えた訳ではないが、初手の踏み切りは最高標準である。言ってしまえば当然で、模倣は依然発揮されている。会長さんの踏み込み、小分けした動作にあそこまで手間取ったのは久々だった。
癖がなく、流麗。単純に基礎を極めた強さの顕れ。数ヶ月そこらで至る筈も無い努力と研鑽の結晶を数日で奪う悦。スタートの好調に浸る間は僅か、しかしてその刹那に油断はない。見渡す、広く視野を持ち、視界の端から中央まで、視覚情報を広げる。
(……事前情報に摺り合わせよう。2人逃げのやつがいる。ペースメーカーになってもらおう、いや、見る分に内1人先行か、先行……グラスワンダーは先行のようだが最終盤に差し脚を残している可能性が高い)
戦うにしても、肝要なのは情報。レース中は瞬間的にしか確保できないそれを、紡ぎ、練り、プランへと反映する。
───ただそれは、敵方が拮抗した実力もしくは格上の時の話である。
横綱相撲という言葉がある。ざっくり言うと敵の得意分野で戦って勝つ事である。轢き潰す、なんて嘯いてみても、確固たる走りもこだわりも無い。と、くれば。
「やってみっか‼︎」
バ群の中央で一息叫ぶ。そうすれば当然、散漫とは行かずとも僅かに此方へと視線が逸れる。なに、生物の本能的なものさ。コイツらに落ち度は無い。あとは何する訳でもなく、黄金世代を落としたネームバリューと今の奇行で、無意識のうちに私に目を遣って、勝手に気を散らしてくれる。
それでいい。
お前らなんて、それくらいでいい。
私は、実際のところ、今だって凄まじい速度で成長している。身体的にも、勿論、技術的にも。だから分かる。いや、分かるようになった。
世に、人に、その心に。文字通り、伝え説かれる神話の戦い。為すはああいう輩だろうと、あの、千紫の花より色づいた瞳を歪ませた時、心密かにそう思った。───唇が、思わず歪む。書いて字の如く、歪に、不恰好に。
ああ、そうさ。綺麗だ、目も眩む。堪らないぜ。だから真似っこをさせてもらうぜ、悪ぃな野武士女。てめーがマブと乳繰り合う予定のもん、ハジメテは貰ってくぜ。あぁ、でもまぁ
「遊んでくれよっ!グラスワンダー‼︎」
競れるんならの話だけどな。
*
電光石火、と形容致す他ありません。あれほどのスタート技術、スペちゃんと戦ったあの日から今までの、この半端な期間で備えてきたというのだから、舌を巻かずにはいられない。ただ、賞賛はしても憧憬を抱かぬのが競争の常。あの程度、寧ろ、予見の内と呼ぶべきでしょう。
注力すべきはこの先、あの異常な技術力からするに、持ち得るスキル───実戦で十全に効力を成せるものは、十や二十では下らない。しかしそれは、一度のレースで全て発揮できるわけではない。先頭での駆け引きは中団に入れば意味が無く、逆もまた然り。
つまりは、限られた策に絞って対応すれば、幾ら対面が不利でも勝機が潰える事はない。加えて、先の会話にて何やら気を損ねてしまったご様子。本来ならば、いの一番に謝意を伝えたい衝動に駆られますが、如何せん今はレースの最中。もし手を抜けば、それこそ士道不覚悟、許されざる傲慢。で、あるならば
(全霊を尽くすのみ)
そう思った瞬間、まるで心が凪いだような、しかし一切闘志は翳らず、それどころか益々燃え盛るが如くに溢れてくる。
一人の友として、勝ちたい。一人のウマ娘として、勝ちたい。或いは、人よりも本能に近しい者として、勝ってみたい。
断言できる、少なくとも、未来のことはいざ知らず、古今に於いてここまで一つの意志を抱いたことはない。そこまで思って、違和感を覚えた。───何故、私はこんなにも清々しく思っているんだろう。相手は、相対すのは、決して看過できないような悪辣を抱くのに。何故、心の底から敬意を表したいとすら、そう思うのだろう。深い没入感は、ますます深い影をつけていき、全く未知の境地へと、私を運んでいく。何故か、疲弊してきた頭の中でそう直感した。
そこまで考えた、その瞬間だった。
「遊ぼうぜっ!グラスワンダー‼︎」
思わずして、耳がひくつく。中団のバ群の先頭、大別して見るのなら全体の先頭より少し下の辺り、先行策の上で、最も与し易いポジション。そこで、中盤の辺りから陣取って様子を伺っていた私の、左後方。体感の上でならば、ともすれば接触してしまうのでは無いかという程の、超近距離。デイズオブレスト、彼女の声は劈いた。
「おぉっと、すまねぇ!水差した」
仮にもレース中に、なんと喧しいことか。まるで夕暮れの烏──そんな喧騒とは打って変わって、依然、不可思議な没入感は心の内にある。今の私は、その程度で集中力を切らさない。それどころか、彼女の姿が視界に入り、より明晰的に思考は冴える。
視界が、遅れる。いや、世界が遅い。
一歩、北風が吹き荒んだかのように、全身が強張る。後、即脱力。
二歩、澄んだ視界の中で、脚が踏み飛ばす大地は、より震えるようになった。
三歩、自分が走っている意識は消え、景色のみが、加速した。
これは───〈 〉
*
やば、ちょ、やばば。やばばのば。おぅるるる。うっそでぃ。
話しかけてみても、眉の一つ顰めない。なんか気味悪ぃなぁ、とか思ってたら、直後、どっかで聴いた様な音を置き土産に、グラスワンダーがカッ飛んだ。流石のデジャヴに、正味ちょこっと舐めてた事を後悔しつつ、褌を締め直すつもりで加速する。ある意味で、期待通りで、予定調和とも言えなくないけれど、ある意味ではアテが外れたとも……まぁ、いいや。
確か、“アイツ”は……。丁度、終盤か。
煮崩れしたみたいな半端な体勢を整える。真っ先に重心を所定の位置へ。ついで傾き加減と歩幅を想定し、算出する。最後に、最も適した腕の振りをフォームに合わせ、完成だ。多分、二年後くらいのスペシャルウィークはこんな風だろう。
タッタットンッ………───ズ、ドンッ!
如何に現役の才覚に富んだウマ娘でも、歩き方で誰か当てるなんて芸当、そう出来るものではない。つまり、今一瞬、流し目で此方を見遣った、件の野武士──グラスワンダーは己の世界へと闖入してきた私を見て感じ取ったのだ。
親友が、競りに来た。
でなければ、あんな昂揚めいた顔をしないだろう。と、言えるほど、彼女の表情は今、煌めいている。残すところは最終直線。トップスピードは、無い。私のこれは特別性だ。徐々にギアを上げ、体力が尽きない限り、一定の速度で加速し続ける。山猿の如く鍛えた私でさえ、諸刃の剣以外にはなり得ない技。けれど、残りがこの程度であれば、何ら問題は無い。
悠々、でも無いが。顔が引き攣るほど全力を振り絞ったグラスワンダーを尻目に、いや、差で言うなら腰目くらいではあるが。私はゴールラインを踏み、徐行していく。
瞬間的に、ではあるが、グラスワンダーは本来格上とも呼べる、未来のスペシャルウィークを寸分違わず模した、しかも加速に特化させた私と、競り合ってみせた。それが何を意味するか。
彼方を見遣れば、悔しさを滲ませながら、しかしどこか爽やかな瞳で、一切の曇りもない眼のまま、グラスワンダーが歩み寄ってきていた。
「僅差圧勝、ですね」
「……チッ、謙遜は好きじゃねぇよ」
そんな軽口のあと、少し上擦った声で、グラスワンダーは此方を見据えながら言った。
「どうか、もう一度。私と競走しましょう。何としても、勝ってみせます」
「やぁだよ。もう一度なんて」
顔に影を落としたグラスワンダーに、少し決まりが悪いのでそっぽを向いて呟く。
「あと十回はしばいてやる」
布石は打てたし、このくらいで今日のところは許してやるよ。私は気長に待てるタイプなんだ。
主人公ちゃんは一計を案じたようです。地雷みたいな感じで。