私の夢は夢を持った他の子をシバくことです。 作:しゃけむすび
会長さんとの約束が取り付けられた後、私は部屋に戻るとすぐに彼女の走りが記録されているテープを再生した。
以前も伝説級のウマ娘という事で、何かにつけて見ていたのでよく分かる。今の私では彼女に届き得ない。少なくとも本気のレースならば手も足も出ずに敗北する。
トレセン学園現生徒会長シンボリルドルフ。史上初の無敗の三冠馬であり、G1七勝を成し遂げた文字通りの生ける伝説。当時、外国生まれのウマ娘が数多く活躍していたレース界において、独力で世界と渡り合った傑物。その数々の偉業と本人の人格から、いつしか永遠なる皇帝の二つ名がついた。名実ともに今の日本を代表するウマ娘である。
彼女への総評は一言で言えば〈完璧〉だ。スタートからコーナリング、果ては直線での駆け引き等ウマ娘としてレースに必要な技術を全て彼女は高水準で身に付けている。どれか一つでもあれば充分に重賞を狙えるであろうレベルの理不尽ともとれる技術の集合体。心技体が全て完全と言っていい程に研ぎ澄まされている。その中でも特に目を引くのはその精神力。もはや理外と言って差し支えないであろうそれは、私にとって目下の問題となっていた。
(〈領域〉ねぇ…)
真偽の程は定かでは無いが数百人、或いは数千人に1人の才能を持ったウマ娘はレースの最中、ごく稀に極限の集中状態になる事で限界以上の力を引き出す事が出来るというのだ。
そして会長さんはその領域に偶発的にではなく己の意思で踏み込む事が出来るらしい。
思案すればするほど彼我の戦力差が露わになるが、今回の併走で重要なのはそこではない。
今回の併走、不利である事は確かだが、端から負ける気など毛頭無い。何故なら彼女の戦った中に私の様な事ができるウマ娘はいなかったと他ならぬ会長本人が言っていた。それは即ち、彼女ですらもし模倣されればどうなるか分からないという事に他ならない。よしんば負けたとして、この絶好の機会に無為の敗北などあってはならない。
戦意は充分、ここ最近のコンディションも悪くは無い。これならば皇帝の喉笛に手が届くかもしれない。そんな思いの中、思考の限界を迎えた私は眠りについた。
そして数日後、私は学園内のあまり人気の無い寂れたグラウンドに来ていた。会長さんはせっかちなのか既に来ていて、すぐ側に眼鏡を掛けた妙齢の女性が立っていた。恐らくストップウォッチを持っているので彼女のトレーナーか何かだろう。何やら談笑しているご様子だ。
「••お、あの子が件の?」
眼鏡はこちらに気づいたらしく会長さんに何やら語りかけた。すると、会長さんはこちらに振り向いて言った。
「おぉ!よく来たね、この学園は広いからもしかして迷子になっているんじゃないかと不安になっていたんだよ。無事に来れたようで何よりだ。」
彼女は私の事を何だと思っているんだろう。流石に舐めすぎじゃないだろうか。在籍している学校の敷地内で迷子になるなんて事があるのか?そう思ったのでそれとなく聞いてみた。
「あぁ、いや滅多にそういう事は無いんだが、まぁ…何事も例外はあるものでね、それと知らずに君ももしかしたら、と思ったんだ。気を悪くしてしまったのなら謝るよ。」
この学園はトリッキーな生徒が多いらしい。話している時の彼女はどこか疲れた顔をしていた。
「それよりも今日はこの後、数本様子を見ながら併走をする事になっているからね、期待しているんだ。君がどんな走りを見せてくれるのか。色々と準備もあるだろうから開始は30分後でいいかい?」
何かこだわりを持ってレース前にルーティンをする娘も中にはいるが、私は特段何かそういうこだわりは無いので10分も貰えれば十分だと伝えた。
「分かった。君が良いなら開始は10分後にしよう。」
どうやら会長さんもその口だったらしく、併走の事前準備は速やかに行われた。
「距離は2000m、昨日は快晴であったから芝の状態も気にしなくて良い。それじゃ、準備はいいかい?」
•••駄目だ。さっきから薄々勘づいてはいたが、会長さんはどこか私を下に見ている節がある。実力差があるのは分かっているので特に何も思わないが、このままだと本気を出してくれないかもしれない。そうなったら困るので、一つ発破を掛けてみる事にした。
「会長さん。」
「ム、何かあったかい?」
「あんたの走りぃ潰しちまっても、恨まんで下さいよ?」
そう言うと会長さんは呆気に取られたような顔をしたすぐ後、朗らかに笑ってこう言った。
「意気軒昂、戦意は充分のようだね。だけど、安心してくれて構わないよ。」
そう言うと会長さんはこちらを見据えて続けた。
「たかだか
(ム、こりゃあまた……とんだ食わせもんだな)
刹那、会長さんの後ろに雷を幻視した。冷や汗が吹き出るのを感じる。ただの立ち姿でこの威様、改めて彼女の皇帝の由縁を実感する。言葉で伝え聞くよりも余程分かりやすい。
そして、先の発言とこの気迫、この併走は間違いなく彼女の本気を見れるだろうと確信した。
「それじゃあ、準備は良いかい。私が号令を掛けるのをスタートとするよ」
眼鏡がそう言うので大人しくその時を待つ。
もはや言葉は不要。彼女の一挙手一投足、全て目に焼き付けてやる。
『よーい••始め!』
出だしは意外にも緩やかだったが、私は今までの中でも上位にくる好スタートを切った。にも関わらず、私の数歩前に会長は飛び出していた。そこら辺は流石に潜った修羅場の数が違うから仕方ない。
(序盤に模倣を見せて、反応を確かめる。動じなかったら半歩後ろについて差し足を溜めつつ後半に備える。もし他の動きをするなら臨機応変に。)
最初からフォームを模倣しては身体能力の差で彼女に追いつけない。逃げの状態で加速して2バ身程度離したら模倣を見せる。今日までにさんざテープを再生したんだからフォームの模倣だけならばもはや造作も無い。
(…しかし速すぎないか?)
中距離においては序盤の優位などあってないような物。それを会長が分かっていない訳がない。それなのにこのハイペース。しかし、会長の顔を見やれば涼しい顔で走っている。
(まさか••)
成程、合点がいった。いや、あまり考えたくはないが、一見すれば掛かっているとも思えるこのペースは、こいつからすれば何の事は無い。走っているだけだ。ただ、普通に、最も自分の走りやすいペースを。基礎一つとってもここまでの違いか。
悪くない。寧ろ良い。なればこそ、攻略のしがいがあるというものだ。 私が怯み、遥か上の玉座にて私を見下ろす皇帝さんは、自分の努力の粋を模倣され、あまつさえそれに敗れればどんな顔をするのか。
(見てみたい、聞いてみたい、感じてみたい‼︎)
いつかの情動が再び心に湧き出てくる。それと同時に是が非でも勝とうというやる気が溢れ出る。まさか自分が、斯様な悪意一つでここまで勝ちにこだわるとは思わなんだ。しかし、それが全く悪い気分ではない。功徳を積んでいるような気分にさえなってしまう。己が悦楽に入る事の、何と安らかなことか。
会長さんは、そんな私の心など素知らぬ風に、その豪脚で心を折らんばかりに駆けている。言葉だけ聞けば荒々しい想像にしかならないが、その実、その姿は一枚の絵画にしても何ら可笑しくない程洗練されている。
駄目だ、ウズウズして仕方がない。一刻も速く模倣された反応をみたい。こうなっては仕方が無い。以前ビデオで見た破滅逃げを模倣し、一気に先頭を奪いにいく。破滅と付くだけあって、随分とスタミナを消耗するが、会長さんを模倣するだけの脚は十分残っている。
(ストライドは大きく。さほど前傾では無いが、尚且つ体幹を意識する。)
彼女のフォームの特徴として、癖が少ない事が挙げられる。私ほどの広範囲では無いにしても自在型の会長さんは走り方まで理想系に近い。
気付けば中盤に差し掛かっていた。芝生を蹴る音が嫌に耳につく。ここまで神経を尖らせた事もそう無いぞ。
(どうだ?)
期待半分、警戒半分で後ろを一瞬見やる。
『……ドン』
瞬間、爆撃でもされたかという振動が脚を通して全身に伝わり、何かを抉り飛ばしたかの様な鈍い音が私の鼓膜を震わせた。そしてそれが、会長さんの踏み込みにより発生したものだと理解するのに、数秒の時間を要した。少なからず疲弊し、体力の消耗により汗が噴き出している状況下でも、ハッキリと冷や汗が滲むのが分かった。
後ろを振り返る必要は無い。そこにいる訳が無いのだから。
(くそが……与太話じゃねぇんかよ……)
言葉で知らされなくても本能で理解できる。これが、これこそが領域。精神性の極地にして、遥かな天稟を持つ者のみが到達する高み。
気付けば会長さんは前方10m先にいた。半身の差であってものっぴきならない実力差の証明だというのに、これでは大敗どころではない。しかし、切迫した状態にあって頭は酷く冷静に思考していた。
このままでは敗北は必至だが、領域の存在を確かめられただけでも意味はある。しかし、しかし何か引っかかる。何か物足りない。
(…「猿真似では辿り着けない…」か。)
これだ。何か引っかかる。何だ?何がそんなに重大なんだ?
(待てよ……)
模倣以外なら……越えられるのか?
(…そういう事か。)
うっかり失念していた。模倣の強力さの余りに視野狭窄に陥っていた。
思わず数瞬前の自分を自嘲してしまう。元々、模倣は必殺技が欲しいと思ったから作っただけだ。なのにも関わらず私は、あたかも模倣以外で勝ち得ないかのように思考していた。模倣が駄目なら作ればいいじゃ無いか、新しい必殺技を。彼女に届き得る武器を。
(模倣の先…)
気付けば併走も終盤に突入していた。模倣•••真似したら次は何をする?元々何の為に真似はあるんだ?人の後を追うだけの行動の意味は?
(…ッ!)
閃くのと同時に身体にそれらの動作を強いる。来た、来た来た来た来た!これだ!
(〈造り出す〉んだ。状況に応じたフォームを。指先の、掌の、太腿や脹脛の最適な形を!)
今まで幾千に登るフォームを模倣してきた。その中で選りすぐるんだ。状況に応じた体の各部位一つ一つの動き。そして造り出す。その瞬間に最も最適なフォームを。
真似をしたなら次は派生だ。後を追い、追いかけ続けたその背中に新しい形を見出す。
脚が母指球の辺りまで埋まるのが分かるほど強く踏み込む。そうすれば、今までの物のどれよりも優れた加速ができた。
残りは100m。会長との差は40m前後。•••行けるか?いや、行くんだ。今、これを試さなくてどうする!
徐々に加速をする。ほんの少しずつ距離は縮まってきた。
(35m…30m…来た、25m)
ここで更に加速する。差しウマの末脚と、逃げウマのスタミナ回復を併せたフォームを造り、脚を奮い続ける。
(20…10••5)
(届く!)
そう思った瞬間、左脚がガクンと下がった。
「あぇ?」
そしてそのまま距離は再び広まり•••
『ピッ!』
私の初併走は、会長に5バ身という大差をつけられて終了した。
主人公ちゃんは成長が著しいですね。