ルビキュータと呼ばれる都市に彼は居た。その男、窃野トウヤはいやらしく笑みを浮かべながらとある眼鏡を大事そうにさすっている。
そこはホテルであった。ルビキュータの南方、森林沿いに存在する小さなそのホテルは、いかにも古びた建物であり、天井の梁がむき出しになってしまっている。壁には長年の使用による汚れが目立ち、所々に大きなひび割れすらも入っている。
どこか薄暗く、昼間でも陰鬱な雰囲気が漂っていた。だが八斎會…極道たる彼らにはこの薄暗さこそが心地よかったのだ。
八斎會の事務所にあった怪しいゲーム機に触れたかいがあったというものである。次第に彼は現実世界よりもよっぽどこの場所を好むようになっていた。
窓からは外の噴水広場が見える。広場を歩くのはプレイヤーか、それともNPCか。艶めかしく歩く妙齢の女を、窃野は眼鏡をかけつつ窓からそっと観察していた。
「うひょひょ!すけすけじゃねーか!」
トウヤは「スケルトンメガネ」をかけながら、窓から身を乗り出すようにして外を眺める。その視線の先には一人のNPCが居た。ドイツの民族衣装、ディアンドルのような衣服を身に着けた彼女は店先でにこりと微笑んでいるのであった。
スケルトンメガネ。指定カード021番であるこのカード。そのメガネをかけた人間はありとあらゆる物を透かして見る事が出来るという魔法のメガネである。
それはもう、スケスケである。女性の下着から何まで、それこそメガネに付属したメモリをきりりと操作してやれば、人前では言えないような場所まで丸見えである。
窃野トウヤは興奮を抑えきれずに下卑た笑みを浮かべている。そんな彼の背後では、別の男、宝生結が無表情のまま本を操作していた。どうやらフリーポケットの整理を行っているらしい。下卑た犯罪をしている彼に対して、宝生は飽きれ交じりにつぶやいた。
「なぜ見てるだけなんだ?あれは多分NPCだ。さっさとホテルにでも引っ張って犯ってくればいいだろ」
「馬鹿だな、あえて見るだけってのが良いんだろ。隠されたエロスっていうのがわっかんねーかなぁ」
「分からんな」
「やっぱ二次元サイコー!現実の女ってクソだったんだな」
うひょひょと興奮しながら食い入らんばかりに女を監視する窃野。どうやら現実の恋人に裏切られてからというもの、彼はもっぱら二次元の女性にしか興奮出来ないようだ。
そんな彼に飽きれた様子の宝生結。宝生はベッドの端からゆっくりと立ち上がった。そんな彼の様子を、窃野トウヤがぼんやりとした目で見つめながら、軽く首をかしげた。
「あん?どこ行くんだよ?」
「No.046を探しに行ってくる」
その一言が部屋の静けさを破った。窃野は一瞬の間、言葉の意味を捉えきれず、考え込むように眉をひそめた。
「46…ってなんだっけ?」
「…金粉少女だ」
宝生は顔をしかめる。一度口にするのをためらうように沈黙し、やがてゆっくりと口を開いた。そんな宝生の言葉に対して、窃野は大きく笑い声を挙げた。
「だはは!やっぱお前も性欲じゃねーか!」
「違う。作り物に興奮するお前と一緒にするな」
「少女シリーズだったっけ。あれ結構難易度高くなかったっけか?」
「あれを組のところへ持って帰れば、大きな資金源になる。そうに違いない」
そっと窓の外を見つめる。そこにはルビキュータの荒廃した街並みが広がっていた。遠くに見える中世風の建物たちは、この世界が現実とどこか隔たった異世界であることを如実に物語っている。
そうだ、金粉少女だ。身体から金を生み出すという彼女。1日1回の入浴で約500gもの金が取れるのだ。現在の金相場にして約630万円にもなる。
かつて金儲けの道具として扱われ、そして捨てられた宝生。そんな彼を拾ってくれたのは八斎會であり、そして治崎である。治崎の役に立ちたいと彼が願うのは、当然の事だろう。ゴミと呼ばれた自身達を拾ってくれたあの恩人の顔を思い浮かべた。
窃野は宝生の言葉を聞いて、呆れたように首を振りながら、大きく肩をすくめた。
「金粉少女をどうやって持って帰んだよ?現実世界にはカードは持って帰れないぜ?」
「可能性の話だが…案はある」
宝生は少し視線を上げ、深く考え込むように言葉を選びながら応えた。
「港だ」
「…港?」
「そうだ。現実世界と出入りできる港が、この世界のどこかにあるらしい。そこでなら物の出入りも自由に行える…かもしれない」
窃野は一瞬、口を開けたまま固まった。まるで宝生が何を言っているのか信じられないという表情を浮かべている。
「…いやいや、無理なんじゃねーの?」
「試したこともないのにか?俺は馬鹿だから理屈はわからん。それでも治崎のためにできることをやりたい」
その言葉には、宝生の中に秘められた揺るぎない決意が込められていた。固く握られたこぶしと信念。窃野もまたその強い意志を感じ取ったのか、少し感心したように軽くうなずいた。
しかし、その静かな空気を破るように、突然背後から怒声が轟いた。
「うがぁぁぁあああッ!!!!」
それはあまりに巨大な男であった。でかい背丈、プロレスラーと見まごう身体をした、筋骨隆々のその漢。
そう、彼の名は乱波肩動。が目を覚ましたのだ。巨漢の体がベッドから一気に起き上がり、筋肉が膨張するように見えた。2メートルを超える彼の身体は、その場の空気を圧倒するかのように存在感を示していた。
「相変わらずうるせー奴だ」
「それ以上に頑丈な奴だな。あのケガは全治半年クラスだったろうに」
「ここに来てから頑丈さに磨きがかかったよな」
トウヤが笑いながら呟い。乱波はどうやらまだ寝ぼけているらしい。血と汗まみれの衣服を脱ぎ捨てながら、荒々しくため息を吐いた。
「また負けた…ッ!!ミルコの奴め!!」
その言葉は、自身の悔しさと怒りを噛み殺したものであり、乱波の深層に潜む闘志が再燃していることを感じさせた。トウヤは興味津々に問いかけた。
「今戦勝いくつだっけ?」
「60戦8勝だ」
「52回も負けてんのかよ……」
窃野の冷静なツッコミに、乱波は顔を真っ赤にして拳を振り上げた。
「うるせー!今度こそ勝つ!」
乱波の体から溢れ出すオーラが、部屋の空気を一気に熱くする。トウヤは乱波から数歩下がり、その怒りの爆発が自分に向けられないようにと、冷や汗をかいている。しかし、乱波の怒りはなおも収まる気配を見せなかった。
彼は部屋にいる二人の同朋に対して声を荒げた。
「
「あー、今ミルコはゲーム内にいねーな」
「じゃあ
乱波は苛立ちを隠せないまま、さらに声を荒げる。トウヤは笑みを浮かべ、軽く頭を振った。
「そんな貴重な物やれるかよ。俺が持ってたら、もっと面白いことに使うぜ。」
その瞬間、乱波は激高し、苛立ちをさらに増す。あの最高の強敵と今すぐにでもヤリあいたいというのに、どうしてこうも現実が邪魔をするのか。いらだち交じりの彼に対して、宝生は冷静に言葉を投げかけた。
「欲しいものがあるなら自分で攻略してこい」
「俺はゲームなんぞしらん。暴れたいだけだ」
「なら、そこらにいるプレイヤーからカードでも分捕ってこい。運が良ければ
宝生の冷ややかな言葉に乱波はしばらくの間、真剣な顔をして考え込んだ。そして、突然、顔をほころばせ声高らかに笑い出した。
「おぉ、そりゃ名案だな!ついでにつえー奴と殴り合えたら最高だ」
「……」
「やっぱりお前は良い人だなマスク野郎!よし行ってくる」
トウヤは軽く苦笑し、肩をすくめる。乱波の言葉には深く突っ込まず、ただ部屋の中の空気が少し落ち着いたことに安堵していた。
「はぁ…俺ももう行くぞ。少しでも組のために有益なものを持って帰る。」
宝生は深いため息をつきながら、部屋のドアに向かって歩き出した。その背中は、これから向かう先の困難を全く恐れていないように見えた。
「いってらっしゃーい…うひょひょ、No.062もよさそうだな。」
トウヤの軽口が響くが、宝生は振り返ることなく、淡々と部屋を後にした。廊下に足音が響き、静かに消えていく。