原作:ウマ娘プリティーダービー
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アグネスデジタルというウマ娘はとても有名である。皇帝に迫る戦果を提げたその勇者が、トレーナーを志望し紆余曲折あってウマ娘競走専門誌の記者になったことは、トゥインクル・シリーズに関心のある人々にとって周知であった。全国に中継されていたある年のあるG1レースのインタビューで、月刊トゥインクルの変人記者が見習いとして連れていた薄い栗毛のウマ娘に、誰しも見覚えがあったからだった。毎度のように興奮の余り大声を出して退室を命じられる変人記者は毎度注目されていたので、その隣でメモ帳を構えるレース場を去った筈の有名人の存在はすぐにトゥインクル・シリーズのファンたちに改めて認知された。程なくして、あの乙名史記者に匹敵する情熱で以って筆を躍らせる新人記者は瞬く間に自分の読者を獲得したのである。
年月が経ったある日のこと。名選手ではなく名記者としての彼女しか知らない世代が台頭する頃。
アグネスデジタル元選手が亡くなった。
その知らせは彼女の旧友たちにあっという間に行き届いた。どんなウマ娘の末脚も敵わないだろうという速さだった。
彼女の死を最初に知ったのは、彼女の大いなる先達であり上司でもある乙名史悦子だった。出社せず電話にも応答しない彼女を訪ねた乙名史編集長は、最悪の事態を想定し最適かつ最速の行動を執ったが、それに意味があったかは分からない。彼女を出迎えたのは、歴々の名選手のポスターや縫いぐるみ、そして物言わぬ後輩記者であった。
警察により速やかに遺族への連絡が行われ、駆けつけた父母は涙を流した。遺書は見つからなかった。
葬式は日本で執り行われた。遺族の希望であった。故人はこの国に帰化していたし、友人の殆どを第二の故郷たる日本で得ていた。父母も日本で暮らして長いので、その選択のハードルは低かった。愛したウマ娘たちに囲まれての旅立ちを、娘は望むだろう。そう判断してのことだった。同じことを考えたのか、葬式には多くのひとが集まった。それは、さながら同窓会のようでもあった。アグネスデジタルというウマ娘が、多くのひとから好かれていたことがよく分かる。
その錚々たる参列者たちに目をくれる余裕が無い程に、乙名史編集長は憔悴していた。多くのウマ娘は彼女から取材を受けたことのある世代の筈だったが、誰も彼女が例の変人記者だと認識できなかった。恍惚と目を潤ませながらメモ帳にペンを走らせる姿と、今の姿を一致させるのは誰にとっても難しかった。
式は進む。
メイショウドトウ元選手は始終嗚咽を漏らしていた。どうしても都合が付かず帰国できなかった覇王の分まで追悼を告げようとしているかのようだった。思い出すのは秋の天皇賞。あのレースで、メイショウドトウ選手は勇者が覇王を追い越す瞬間を後ろから見ていた。テイエムオペラオーもメイショウドトウも、ウマ娘として衰え始めたのがその後からだったから、宝塚記念と同じくらいに記憶に色濃いレースだった。あの時のアグネスデジタルの気迫にメイショウドトウは気圧された。覇王に対して不屈を貫いたメイショウドトウにとって未知の恐怖だった。聞けば、テイエムオペラオーも同じ感覚を味わっていたらしい。思い出を反芻しながら、飾られた故人の写真を見遣った。ポスターにも使われた、現役時代の一番写りのいい写真。凛々しい、まさしく勇者という二つ名に相応しい表情を彼女は見せていた。あの時のアグネスデジタル選手の表情とは天と地ほども差がある。そこまで考えたところで、彼女は涙の量が増えたことを自認した。
式は進む。
対称的に、アグネスタキオン博士は涙を一切見せなかった。ただ不愉快そうに尾を妖しく揺らしていた。博士の苛立ちは、ここ数日収まりそうにない。実験が遅々として進まず、ただでさえ不機嫌だった。買い出しに行っていた筈の助手が尋常でない慌て様で扉を開き博士のメールアドレスに届いたアグネス家からの訃報を見せると、更に機嫌が悪くなった。博士が最も信を置く助手と、博士と最も交友が深い喫茶店のマスター、二人の努力にも関わらず博士の虫の居所が治ることはなかった。その後、遺族から正式に届いた葬儀の案内状を、博士は眼力だけで殺さんとばかりに睨め付けた。この式で、博士の親戚でもある学生時代に可愛がっていた後輩と久しぶりに直接顔を合わせて多少マシになったかと思ったが、アグネス家を代表して参列している博士の姉がそれを帳消しにしていた。
カフェ、そう小声で呼びかけられた喪服がよく似合うウマ娘は片耳をそちらに向けただけで博士を黙殺した。博士と同じように涙を一切見せていないが、不思議と薄情さは感じさせなかった。マンハッタンカフェ元選手はアグネスデジタル元選手との関わりは多くない。ただ、“友人”からこちらを遠巻きに観察されていることを何回も報告されたことがあったし、アグネスタキオンを挟んで食事の席を共にしたこともあった。卒業後に店を開いた時も、どこから聞き付けたのか彼女はすぐに現れ祝いの言葉をくれた。マスターは返礼として夜更かしの恋人と成り得る選りすぐりの豆を渡したのだった。その程度の関係だったが、青鹿毛のウマ娘は誰よりも真摯に友人の死に向き合っている。それを見た博士は、ため息を一つ漏らして前に向き直った。普段ならもっと駄々を捏ねていただろう。学生時代から変わらない博士とマスターのやり取りが、この場に相応しくないことは理解していた。
式は進む。
ダイワスカーレット元選手はウオッカ元選手の様子を盗み見た。学生時代にはトレードマークだったティアラの代わりに地味な黒いカチューシャを付けたダイワスカーレットを、待ち合わせしていたウオッカは軽口で揶揄った。互いに娘は夫に任せてきていたので、配慮は無用だった。暗いニュースに落ち込んでいる親友も、そうすれば前向きになるだろうという不器用な気遣いだった。いつも通りに応戦しようと口を開き、しかし声を発せない親友を見て、あの気のいい年上の友人の死をウオッカは初めて実感した。話し易い人物で、先輩には敬語を使った方がカッコいいと考えていたウオッカも自然とタメ口になるような人柄をしていた。一直線に自分への好意を口にしてくれるから、ウオッカもダイワスカーレットも素直に好意を返していた。ウオッカは消沈している。今にも目尻から水滴が流れ出そうだった。ダイワスカーレットも同じ気持ちだった。どちらかが泣き出せば、もう片方も泣き出してしまうだろうと互いに感じていた。くだらない意地を張り合うように、二人とも涙を堪えていた。
式は進む。
緑色の耳カバーを付けたウマ娘が、ハンカチで上品に涙を拭った。母と同じ道を選び勝負服デザイナーとなったキングヘイロー元選手は、故人とよく顔を合わせていた。あの新人記者が取材に訪れた時に得たインスパイアを、デザイナーはふんだんに作品に取り入れた。出来上がった勝負服は一流を自負するデザイナーにとっても納得がいく一流の出来栄えで、趣味で絵も嗜む故人はよい刺激だった。だから、仕事に行き詰まったら故人を食事に誘うのがお決まりになっていった。何年もそれは続き、つい先日も世話になったばかりだったのだ。彼女を喪ったことではなく、彼女を仕事に活かせなくなったことを悲しんでいるような気がして、デザイナーは自分を激しく責めた。
式は進む。
彼は勇者の伝説を支えた賢者であった。今の担当ウマ娘に今日はオフだと言い渡してここに来ている。彼女が競走バを引退しても、彼は私的に関わりを持ち続けた。彼女が切っ掛けで得た趣味を、そこそこ楽しんでいたのも理由の一つだった。イベントの度に彼女と会っていたし、時には夜通し通話もした。彼女が好きなことに対して命を燃やして取り組んでしまうことを、彼は誰よりも知っていた。だから、適度に嗜める友人が必要だろうと思ったのだ。乙名史記者によれば、彼女の遺体はイラスト用のタブレット端末に覆いかぶさるように伏せていたらしい。彼女らしい死に様だ、だがそれでポックリ逝ってしまったら元も子もないだろうに。おお、勇者アグネスデジタル。死んでしまうとは情けない。だが、彼女が集めに集めたウマ娘ちゃんグッズコレクションに囲まれて死ねたならば本望だったのかもしれなかった。
デジタルは、ここに集まったウマ娘たちを見て何を思っているのだろう。喜ぶだろうか、悲しむだろうか。それとも自分のためなんかにと謙遜するのだろうか。彼はデジタルのことを誰よりも知っていた筈なのに、まったく想像ができなかった。
そんなことを考えていたら、いつの間にか式は終わっていた。
ふと、懐かしい、他愛もない一幕を彼は思い出した。私が死んだらHDDをお願いします……! 何卒……!! 苦笑しながら、彼はその冗談めかしたお願いに、任せとけと返していた。既に彼女の持ち物やパソコンが調査の過程で一通り洗われていることはトレーナーも理解していたが、思い出したら居ても立っても居られなくなった。彼は持ち前の行動力で故人の両親に頼み込み、蒐集された大量の物品の一部引き取りを口実に元担当ウマ娘の自宅の鍵を受け取ることに成功した。元担当トレーナーという肩書きは、遺族の信頼を得るのには十分だった。
そうして、彼はアグネスデジタルが最期に手掛けた描きかけの同人誌の読者となる権利を得た。彼はその権利を行使することはなく、しかし彼女の痕跡を破壊することもできず、ただデータを持ち帰った。
遺品は全て実家に送った。トレーナー寮にはとても収まりきらない。いい機会だったので、手元にあったデジタルとの思い出の品も仕舞い込んでしまうことにした。デジタルとの思い出だけを遠くにやってしまうのは申し訳ない気がして、今まで担当してきたウマ娘たちを思い起こさせるものは全て同じようにした。そうすると、自室がやけに広くなった。同時に、彼は趣味を喪ったことを自覚し、自分には何も残っていないような錯覚に陥った。
アグネスデジタル選手は、彼のはじめての担当ウマ娘だった。あの頃は若く、ただウマ娘競走が好きだからという理由だけでいくらでも努力できた。彼女がもたらした栄光により、新人トレーナーは一息に躍進したのだ。戦場を選ばない勇者がくれた経験に、彼は何度も助けられた。
今の担当ウマ娘から、今日の食事メニューの報告がチャットアプリに届いている。自分はどんな夢を彼女から見出したのだったか。思い出せない、輝きに対して瞼を閉じているかのようだ。もう、辞めてしまった方がいいのかもしれない。物が減った自室は、そのまま引き払うのに丁度いいように思えた。思考がどんどん悪い方に転がっていく。それを止められない。
ベテラントレーナーは、静かに辞表を書き始めた。
乙名史女史から飲みに誘われたのはそんな時だった。
知り合ってからもう何年も経っている。何年経とうがエネルギッシュな人物だと思っていたが、彼女は彼と同じくらいにこたえているようだった。乙名史女史が結婚してから控えていたので、二人での酒の席は久しぶりだった。葬儀の食事会では、乙名史女史はとても話せる精神状態ではなかった。だから、これが乙名史女史にとっての葬式の締めくくりだった。一区切り付けるために必要なことだった。
話題は、当然のようにアグネスデジタルについてになった。故人を偲ぶように、二人は互いが知らない彼女の話をした。現役時代の適性に縛られず自由にレース場を旅した彼女のことは勿論二人とも知っていたし、趣味についても承知していたから、自然と引退後の話になった。
ベテラントレーナーは彼女の恋の話をした。意外にもと言うべきか、あるいは当然とも言うべきか、彼女が惚れたのはウマ娘ではなく一般の男性だった。即売会の打ち上げの席で相談があると言われて出てきたものが色恋だったことにとても驚いたものだった。なにせあのアグネスデジタルである。次の本の装丁はどんな風にするか、どの紙を使うかとかそういう話だと思っていた。今と変わらず独身貴族であった彼にまともなアドバイスができる訳もなく、話し相手を務めるので精一杯だった。結局、その恋は実らず終わる。仕事で知り合ったというその男性はアグネスデジタル元選手のことを知っていたし、彼女からの好意を驚きと好意で以って返したが、彼女の根底たる情熱には付いていけなかった。彼女は更に仕事と趣味に熱中するようになって、そうして大きな家の中で独りで死んだ。あの家の処遇は決まっていないそうだ。彼女がその脚で稼いだ大金を惜しげもなく使った物件だった。一人で住むには大き過ぎたが、コレクションをいくらでも収蔵できる彼女自慢の博物館だった。アグネスデジタル・コレクションはURAのウマ娘競走博物館に寄贈するのがいいかもしれないと、彼はそこでようやく思い至った。乙名史女史はそれに賛成した。身近なURAの有力者に、つまりは秋川理事長に掛け合わなくてはならない。まだ辞表は提出できなさそうだ。
ベテラン記者は彼女の仕事の話をした。乙名史記者は彼女に自分を重ね合わせていたと告白した。ウマ娘のトレーナーを目指し、その門の狭さに別の道を選んだ。だから惜しげもなく自分の技術を継承させたのだと月刊トゥインクル編集長は語った。だが、トレーナーへの憧れを捨てきれず、それを記者としての軸にした自分との違いを思い知ることになったと言う。彼女はトレーナーライセンスの前に挫折したのではなく、考えを改めてポジティブにウマ娘の輝きを知らしめる道を選んでいたからだ。それでも乙名史記者は有望な後輩を可愛がったし、アグネスデジタル元選手もまた同志として彼女を受け入れていた。
二人の会話は何度も時系列を前後し、ちょっとした日常のことから何年にも亘る変化まで、様々なことを話した。ナマモノを扱った漫画を何十冊もお蔵入りにしていただとか。自分のトレーナーが担当するウマ娘をちょっとだけ贔屓して書く癖があっただとか。そうして夜は更けていった。
珍しく酔い潰れた乙名史女史をタクシーに託して、ベテラントレーナーはゆっくりと歩き出した。トレーナー寮はそう遠くない。酔い覚ましがてら歩こうと思った。もう若くないのだと忘れていたから、途中でもう一台タクシーを呼ぶ羽目になったのだけれど。
ベテラントレーナーは、彼女の取材を思い出した。当代の担当ウマ娘をトレーナーと記者で挟んで、その魅力を語り合うのだ。それは彼の担当ウマ娘を迎え入れる通過儀礼で、いつもメイクデビューの後に行われていた。数ヶ月トレーニングを診ているトレーナーと同じくらい、デビュー戦を観ただけの記者は新人選手の魅力を語ることができた。見出した選手をベタ褒めされるのは気分がいい。それが、肩を並べた戦友からならば尚更だ。彼女とトレーナーは着眼点が少し似ていて、トレーナーは彼女を通じて担当ウマ娘の魅力を再発見したりもした。挟まれた担当ウマ娘はたいてい数分と待てずに真っ赤になって、変人たちの語らいを中断させる。トレーナーと変人記者が同類であり竹バの間柄だということをそこで察して警戒心が削がれるので、一挙両得であった。そうして彼女は仲のいい生徒やライバルとの関係性について必ずインタビューして、デビューしたてで取材の経験が無い新人選手の目を白黒させるのが得意だった。それでいて引き際を誤らないし、地雷を嗅ぎつけるセンスも抜群だった。もちろん、相手を不快にさせない程度に踏み込む仕掛どころを見極めるスキルも。
今の担当ウマ娘もその洗礼を浴びた。そこでデジタルが何を言っていたかと、それに対して上機嫌で頷いていた自分、照れ照れとした担当ウマ娘の姿をトレーナーは思い出した。突然泣き出した酔っ払いを、タクシーの運転手は迷惑そうに眺めた。
寮に着いたトレーナーは泣きながらチャットアプリを開き、担当ウマ娘に礼を言った。何故だかすぐに既読が付き、彼はメッセージのタイムスタンプを二度見した。アプリの表示が信じられなくて、腕時計を外すついでに見遣った。それでようやく機械は嘘をつかないことを思い出した彼は慌てて早く寝るようにと付け加えて、着替えもしないで自分も寝た。担当ウマ娘からの返信を目にしたのは起きてからのことだった。彼はもう一度礼を告げて、少し考えた後に辞表をゴミ箱に捨てた。その代わりに、遺書をちゃんと書いておこうと決心した。自分だって初代担当ウマ娘のようになるかもしれないのだ。決心ついでに駿川理事長秘書に理事長のアポイントメントを頼む。アグネスデジタル・コレクションについて話すためだ。駿川理事長秘書からのレスポンスは迅速な快諾だった。そこから少し遅れて、担当ウマ娘が何に対しての礼だか分からないという困惑のメッセージを返してきた。ヒトである理事長秘書にスピードで負けるとは彼女もまだまだだ。ベテラントレーナーは笑って、駿川理事長秘書には社会人としてのお礼の文章を、担当ウマ娘には何を意図しているのか解らない摩訶不思議なスタンプだけを送信して、出勤の準備をした。
不思議と、二日酔いは苦にならなかった。
G1六勝ウマ娘アグネスデジタルの死がその日に報じられた。傾聴ッ! と偉大な卒業生の死を秋川理事長は校内放送で発表し、一分の黙祷を指示した。少しの間だけいつもの賑やかさが失われたトレセン学園を、三女神像はいつも通りに微笑みを湛えて祝福していた。
アグネスデジタル号のご冥福をお祈り申し上げます。