凍て地のボワボワ救出作戦!   作:Senritsu

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第三話担当:蒸しぷりん




第三話:高まる鼓動

 

 びゅうびゅうと風が耳元で唸る。帽子や耳当てで覆われていない部分が、刺されるように痛い。否、痛みと錯覚するほどに冷たかった。

 凍ったまつ毛が重く、瞬きをするたびに目の下に雪が落ちる。

 

 翼竜の脚に取り付けたワイヤーでぶら下がって風の流れに乗るのは、調査団にとって主要な移動手段だ。空には障害物が少ない分、徒歩や竜車よりもよほど早く目的地に着く。

 だが凍て地での空中移動は、絶えず吹いている身を切るような寒風の中を飛ぶことになる。寒さに強くなるのではなく、この寒さを当たり前と思えるかどうかだ、とは誰の言葉だったか。

 

 風音にかき消されないよう、サクは半ば叫ぶようにして相方に声を掛けた。

 

「救難信号が上がったのは、北の方だったよね?」

「ああ、距離からしておそらく難波船から以北の辺りだろう」

「だったら、取り敢えず西キャンプに降りて、そこから徒歩で向かおう」

「そうだな」

 

 今二人が最も警戒しているのは、レイギエナの存在だ。彼らは優れた視力を持ち、空中での機動力も極めて高い。

 彼らの縄張り付近を翼竜で移動しようものなら、すぐさま氷まじりの寒風に曝されてしまう。雪に隠れて移動する方が賢明だ。

 そして口には出さなかったが、調査員を襲ったであろうレイギエナが報告にあった個体であることは、二人とも勘付いていた。その懸念が当たっているならば、なおさら徒歩での移動が推奨される。

 

 セリエナから山一つ越えた辺りには、針葉樹林が広がっている。その外れに、上下から氷柱が伸びる岩場があった。

 その隙間を目がけて翼竜が旋回しながら高度を落とすと、剣山のようになった氷の柱が迫ってくる。

 二人は串刺しにならないように気をつけながら、凍った地面へと降り立った。ここは西キャンプと呼ばれる休憩所だ。

 

「やっぱりガウシカがそわそわしてる。今はコルトスも居ないみたい」

 

 サクは横穴から双眼鏡で下の様子を見て、手帳に書き込んだ。西キャンプは鍾乳洞のように高く重なった氷の上にあるため、周りの様子がよく見える。

 常ならば少ない下草を食んでいるガウシカは、時折怯えたように辺りを見回していた。肉食の翼竜が縄張りから離れているということは、どこかに弱った獲物でもいるのだろうか。

 

 自分たちの翼竜が待機場所に止まるのを見届けると、ヒアシは使い古した地図を広げた。サクはヒアシに薬瓶を手渡しながら、手元を覗き込む。

 

「導蟲もまだ反応してないけど、どのルートで向かおうか? 上からだとレイギエナに見つかる可能性が高いし、下の洞窟はウルグの縄張りだからなぁ」

 

 ウルグは雪原や地下洞窟を中心とした縄張りで、群れを作って暮らす社会性の高いモンスターだ。

 ふつう偵察役が縄張りの見張りをし、縄張りの近くで外敵を見つけると警戒して後をつけ回す。そしていよいよ外敵が縄張りに入ると、群れを総動員して襲いかかるのだった。

 凍て地のウルグの中には、アイルーと意思疎通ができる友好的な個体も存在する。しかしその個体が所属するからといって、群れそのものが友好的というわけではない。

 凍て地の調査でいちばんの障壁となるのは、ウルグの群れに敵対され、囲まれてしまうことだった。経験を積んだハンターでも、巻き付かれた状態で襲われてはひとたまりも無い。

 

「下から直通で行こう。その方が早いだろう」

 

 ヒアシは足元の種火石を拾い、左腕に装着したスリンガーの弓弦に引っ掛けた。

 

「これで洞窟の氷柱を落とせば、奴らの気は引けるさ」

「ああ、なるほどね」

 

 ヒアシの得意げな顔に、サクは口角を上げて相方の肩を軽く叩いた。「頼んだよ」と言外に伝えると、ヒアシは笑って頷いた。

 

 

 

 西キャンプを下りると、先ほどサクが見下ろしていた高低差のある広場に出る。その北には雪原へ続く道と、昼間でも薄暗い洞窟が存在した。

 事前に話し合っていた通り、洞窟の方へと歩を進める。かき分ける雪の量が少なくなっていき、やや生暖かい風を感じた。

 二人は壁伝いに静かに、だが早足で歩く。空間が開ける手前で顔を出すと、案の定彼らがいた。サクがヒアシに目線を向けると、ヒアシは小さく頷いてスリンガーを構える。

 

 ジッと音を立てて種火石に引火すると同時に、火の弾が一直線に飛んでいく。

 それは洞窟の脆くなっていた天井部分に当たり、直下に鋭い氷の槍が降り注いだ。

 見回りをしていたウルグの群れは、何事かとそこへ駆け付ける。彼らは匂いを嗅ぎながら氷柱の降る天井を見上げ、頻りに威嚇の声をあげた。

 自然に起こる崩落とは明らかに違うそれに、外敵の侵入だと気付いたようだ。応援部隊が来るのも時間の問題だろう。

 

 その時、それまで虫籠で気ままに漂っていた導蟲が一斉に光の道を作り出した。それはキャンプの方向を示している。どうやら推測は当たっていたようだ。

 ヒアシとサクはなるべく足音を立てないよう、光を辿って壁際を駆け抜ける。

 

「こっちだ!」

 

 騒ぎが聞こえたのか、救難信号を打った本人と思われる調査員が手を振っていた。彼の無事に、サクはほっと胸を撫で下ろす。彼がキャンプから縄を下ろすのを見て、二人はそちらへと急いだ。

 ウルグのうち一匹が調査員の声に気が付き、仲間に知らせた。導蟲が赤く染まる。直後、ウルグたちのよく光る目が、一斉にこちらを向いた。

 二人は縄を伝って滑りやすい氷の壁に足をかけていく。途中で調査員が手を伸ばし、上り切るのを手伝ってくれた。

 ウルグ達が駆け寄ってきた時、縄は間一髪で引き上げられた。その後しばらく威嚇の声が響いていたが、垂直な氷壁はウルグには上れない。

 

 調査団が利用しているほとんどのキャンプは、氷の洞窟のような場所に設置されている。難破船キャンプと呼ばれるこのエリアも例に漏れず、天井からはたくさんの氷柱が剣先をこちらへ向けていた。

 氷の足場が一段低くなったところで縄の始末をしながら、調査員は口を開いた。

 

「多分お前たちは五期団、だよな? オレはヒオンだ。助けに来てくれてありがとな」

 

 ヒオンと名乗った彼は、ぱっちりとした大きな目を和らげた。調査班リーダーの見立ては的中していたようだ。

 

「こちらこそ引き上げてくださってありがとうございました。間に合ったようで良かった。……私はヒアシと申します。こちらはサクです」

「よろしくな。ここで話すのも何だし、中に入ろうぜ」

 

 二人が会釈をすると、ヒオンは快く奥へと通してくれた。

 入り口は腰をかがめないと氷柱にぶつかりそうになるが、岩肌が見えると間もなく開けた空間に出る。

 光の差す自然の天窓や、岩肌の結露が乾燥して咲く石の華、そして一面に青くきらめく氷麗。まるで氷の宮殿のようだ。

 遥か昔に作られたであろうその空間は、外海へと繋がっている。

 その麓には、一期団が新大陸に足を踏み入れるよりもずっと前に訪れた人の遺物がある。朽ちて環境の一部となったその船は、今やキブクレペンギンの憩いの場となっていた。

 

 ヒオンはどうやら直前までテント内にいたらしく、その周りの霜が溶けていた。

 

「そうだこれ、料理長からです。召し上がってください」

 

 ヒアシが差し入れを渡すと、ヒオンは目を丸くした。

 

「えっ本当!? ︎ 嬉しいなぁ。ずっと携帯食料とかばっかりだったから、こういうのが食べたかったんだ。後でお礼を言わなきゃ」

 

 料理長に渡された紙袋には、燻製肉やチーズ、野菜の挟まれたカスクートが三つ入っていた。こういった気配りに彼女の人柄がよく表れていた。

 二人が会話している間、サクはヒオンの様子をさりげなく観察して、内側から血の滲む箇所をいくつか認める。

 

「ヒオンさん。早速ですが、傷を診せていただいてもよろしいですか?」

 

 サクが腰エプロンから治療用具を取り出すのを見て、ヒオンは頷いた。

 

「ああ、悪いな。頼むよ」

 

 サクはキャンプ内が十分に温まっていることを確認し、ヒオンを中に通した。

 一方でヒアシは、ツタの上にある人ひとりがやっと通れるくらいの穴から、辺りの様子を偵察しに行った。このキャンプは出入り口が二箇所あり、ヒアシが出て行った方は北──レイギエナの縄張りの辺りへと通じている。

 

 成人した男二人で小さなテントに入ったが、ガタイの良い相方といる時よりも圧迫感が少ない。

 ヒオンが防具を外している間、サクは後ろを向いて手袋を嵌め、袋からガーゼや鋏などを取り出していく。

 手を動かしながら、サクは早速ヒオンに信号弾を打った時の状況を尋ねた。

 

「少し前に氷刃佩くベリオロスが見つかっただろ? オレは奴の調査を担当してるんだけど、途中でレイギエナに不意打ちを食らっちゃってさ」

「うわあ……それは災難でしたね」

「本当だよ、参っちゃうよな」

 

 ヒオンは一つ一つベルトの金具を外していく。

 

「やけに風格があったし、氷の使い方が陸珊瑚のやつと違った。あいつが報告で聞いてた特殊個体だったんだろうな」

「やはり凍て刺すレイギエナでしたか」

「しかも、かなり戦い慣れてるっぽかった。ベリオロスが頂点に君臨してることも分かってるだろうし、正直かなり厄介だぞ」

 

 ヒオンは「いてて」と顔をしかめながら、慎重に湿って貼りついた腰装備を膝まで下ろした。

 

「あーあ、絶対またウルファに大穴開けて、って加工屋のおやっさんに怒られるわ。オレが怒られると、後ろの姐さんが冷やかしてくるんだよなぁ」

「親方、そういうところ厳しいですものね」

 

 ヒオンが零した言葉に、サクは思わず苦笑いしてしまう。

 

 氷は既に溶けて防具に染み込んでいたが、それらが刺さった場所からはやや薄まった血が流れ出しているままだ。

 今のところ、ヒオンには貧血などの症状が起きている所見も、傷口が化膿したり凍傷になったりしている様子も見られない。だが、気をつけて観察していかなければならないことに変わりはなかった。

 

「これは痛いですね……。いま、ご気分が優れなかったり、寒かったりはしませんか?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 ヒオンが頷くと、サクは彼の前に屈んだ。

 サクは水の入った小瓶を傾けて、ヒオンの傷口を洗浄していく。空気中の水分が固まった氷が刺さったのだから、綺麗だとは限らない。

 

「ここ最近ずっと手入れしてないから、足を見せるのは恥ずかしいんだけどな」

 

 頭を掻きながら呟いたヒオンの言葉に、サクは笑った。

 

「長期の調査でこっちにいらしていると聞きました。どのくらい長く滞在されているんですか?」

「十数日……いや、一月は居るかなぁ。ずっとアステラで過ごしてたけど、こっちの寒さにも慣れちゃったよ」

「そんなに! 凍て地に一月は大変だったでしょう」

「向こうではいつも冷たいものが恋しかったけど、今となっちゃ願い下げだな」

 

 そう言うと、四期団の先輩はけらけらと笑った。

 なんと親しみやすいひとだろう。つられてサクも微笑んだ。

 

 押さえて止血したのち、清潔なガーゼを傷口に当てて包帯を巻いていく。

 触れるのは不躾かと思い何も言わなかったが、筋肉質なその脚には、古傷が沢山あった。ヒオンが多くの戦いを乗り越えてきた狩人なのだということが窺える。

 

 ヒオンの盾を持つほうの腕から肩にかけての部分は、熱を持って腫れていた。

 これだけで、凍て刺すレイギエナが相当重い攻撃をしてくる相手だということが窺い知れる。骨折をしていないようであるのが救いだろうか。

 チャージアックスの盾は、片手剣とランスの間ほどの範囲を庇うことができる。それでガードをしても尚、ここまでのダメージを受けるとは。むしろガードができるからこそ、耐久のみに持ち込まれるとまずいのかもしれない。

 氷嚢を三角巾で固定し、しばらくそのままにしているよう伝えると、サクはヒオンがコートを羽織るのを手伝った。

 

「今できる処置はここまでです。傷口が開かないように……は難しいでしょうから、この後もこまめに診せてくださいね」

「わかった、助かったよ。……あと、これは提案なんだけど。お前、オレとそんなに歳変わらないだろ? もっと砕けた口調でいいよ」

 

 ヒオンは人懐こい笑みを浮かべる。

 

「でも、先輩ですし……」

「えっ先輩?」

 

 サクの言葉に、ヒオンは目を瞬かせた。みるみるうちにヒオンの頬が染まり、口元が緩む。

 

「オレがせ、せんぱい? ……すまん、もう一回言ってもらっていい?」

「ヒオン先輩?」

 

 ヒオンは照れくさそうに、手でぱたぱたと顔を扇いだ。

 

「うわー、初めて言われたよ。なんかこそばゆいな! オレ、四期団の中では最年少だったからさぁ。五期団のやつらともなかなか任務は被らないし、しかもオレから先輩って呼んでくれなんて言えないじゃん?」

 

「暑い暑い」などと言いながらヒオンがウルファの帽子を外すと、一つに束ねられた亜麻色の髪がふわりと躍り出る。

 嬉しそうなヒオンが微笑ましい。サクは彼をこれからも先輩と呼ぶことにした。

 

 料理長の差し入れを片手に談笑しているうち、礫が擦れ合う音がしてヒオンとサクは上を見た。

 ちらりと見えた肌に、モンスターでないことが分かると、二人は警戒を解く。

 偵察を終えたヒアシが、抜け穴を通ってきたのだった。隠れ身の装衣を着ていたとはいえ、飛毒竜の褐色の毛皮が、腹から足にかけて真っ白になっている。

 

「ただいま戻りました」

「おかえり、お疲れ」

 

 ヒアシが盾を下ろすと、硬質で重い音が響く。それを傍に置き、雪に隠れる装衣を脱いで畳みながらヒオンとサクに現状を伝えた。

 

「凍て刺すレイギエナはエリア十三にいます。今のところ、ベリオロスとレイギエナはまだ鉢合わせていません。

 ですが近接するエリアにいて双方とも警戒状態だったので、縄張り争いが起きる可能性が高いです」

「まずいことになったな……いや、むしろこれを利用しない手はないか?」

 

 ヒオンは顎に手を当て、じっと一点を見つめる。

 だが二人は、ヒオンが負傷していることが気掛かりだった。いくら歴戦のハンターといえど、万全の状態でない時はリスクが大きい。

 

「ヒオンさん、このまま調査を続行しますか? 私達が引き継ぐことも可能ですが……」

 

 ヒアシの提案にヒオンは少し考えたのち、首を横に振った。

 

「せっかくここまで情報を集めたんだし、もう少し踏ん張りたいな。あと、ちょっと離れられない事情があるんだ」

「離れられない事情?」

 

 サクが口の中で呟く。ヒオンは頷き、ポーチから地図を取り出した。

 

「途中でボワボワに会ってさ、あいつらどうも氷山の頂上を目指してるらしくて。なんとかレイギエナの追撃は撒いたんだけど、この辺に取り残されちゃってるんだよ」

 

 ヒオンの指先が示すのは、頂上に向かう途中の、踊り場のようになっている場所だった。

 そこは雪や岩で隠れてはいるが、辺りをレイギエナが盛んに見回っているのを見かける。

 

「ボワボワが? よりによって、どうして今頂上に……」

「なんでも、連中の催し事のひとつだって言ってたぞ」

 

 ヒオンの返答に、サクが額を押さえる。

 ボワボワの一族と新大陸古龍調査団は、正式に協定を結んでいた。彼らはこの渡りの凍て地の先住民であるため、できる限り友好的な関係を築くことが求められる。

 ヒオンは信頼関係を崩さないためにも、ここは調査団が協力すべきと判断したのだった。

 

 こちらとしては頭を抱えたくなるが、冰龍がいたころは彼らも催し事なんてできなかっただろう。それが久方ぶりに解禁された最中の事件、ということか。

 セリエナにいる獣人族学者がこのことを聞いたら、ぜひ見学したいと目を輝かせそうだ。

 

「きっとあいつらはオレを信じて待っててくれてるはずだ。でも、オレは氷刃佩くベリオロスを放っておくことはできないし、凍て刺すレイギエナもなんとかしないとだし」

 

 ヒオンは腕を組む。そしてひとつ息を吸い込むと、意を決したように目を開けた。

 

「そこで、だ。今から作戦を立てたい。頼まれてくれないか?」

「わかりました」

「ありがとう、心強いよ」

 

 ヒオンはニッと笑い、指を出した。

 

「今回の目的はふたつ。一つはボワボワ達に安全な帰路を用意すること。そのために、氷刃佩くベリオロスと凍て刺すレイギエナを一時でいいから撤退させることだ」

 

 二人が頷くのを確認すると、ヒオンはヒアシへ視線を移した。正確にはヒアシの左腕へ、だ。

 ヒアシはランス使いだが、槍を持たない。そもそも槍を持つ手が無かった。惨爪竜オドガロンの鋭利な盾と、スリンガー機能に特化した義手。それらが今のヒアシの攻撃手段だった。

 ヒオンは対面した時には触れずにいたが、戦闘をするならば話は別だ。

 

「ヒアシ、怪我をしてから大型モンスターとの戦闘経験はあるか?」

「ティガレックスの撃退が一回。ですが、その時は誘導が主でした」

「じゃあ、ちょっときつめのリハビリになるかもしれないな。今回はできる限り攻撃もしてもらいたいんだ。

 あ、でもそんなに気負わなくても大丈夫だからな! オレもがんがん攻撃するし、主体的に動いてもらいたいなって、それだけだ」

 

 ヒオンの言葉に、どんな要求が飛んでくるのかと身構えていたヒアシはほっと胸を撫で下ろす。だが、真面目に取り組まなければいけない事に変わりはない。

 ヒアシは表情を引き締めた。

 

「わかりました。やってみます」

「頼むぜ。具体的なルートはこの後話し合おう」

 

 ヒオンはヒアシの方へにこやかに頷いた。

 

「問題はボワボワか。オレ達も大型モンスターの気は引くけど、連中が放っておかれたままになるのがちょっと不安なんだよな」

 

 ヒアシは「その事ですが」と手を上げた。

 

「サク、確か獣人族の言語を勉強していたよな? 君がボワボワのところに出向けば解決できるんじゃないかとおれは思う」

「え? 齧ってはいたけど……まだ実践したことないし、正直自信ないよ」

 

 サクは不安げに眉を下げる。ヒアシは尻込みする相方の肩に手を置いた。

 

「君が何度も練習していたのを知っている。きっと大丈夫だよ」

 

 甲高く独特の抑揚のあるボワボワの言葉は、習得するまでに時間がかかる。何せ、どの音節で区切られているかも初心者にはわからない。

 サクは獣人族学者に聞きながら、舌の動かし方やアクセントをこっそり練習していたのだった。

 

「なッ、は、えっ? アレ聞いてたの!? 嘘でしょ、うわ恥ずかし…………わかった、やってみる」

「その意気だ」

 

 ヒアシは力強く頷いた。

 サクは赤面しながらヒオンの方に向き直り、束の間ものを言えなくなった。

 

「……ヒオン先輩?」

 

 二人を見るヒオンの眼差しには、何かを懐かしむような色が浮かんでいた。

 

「現大陸にいたころ、ペアを組んでたやつがいてさ。お前たちを見てたら、そいつの顔が浮かんだんだ」

「ああ……その方は、今どうしているんですか?」

「あいつ、現大陸ですごいハンターになったんだよ。追いつけるのは何年先かなぁ」

 

 天窓から降り注ぐやわらかな光を見つめながら、ヒオンは頭装備を被った。

 

 

 

 

 風は通り道が狭ければ狭いほど、高く鋭い音を奏でる。この音の中にレイギエナの咆哮が混ざらないか気を付けながら、ヒオンとサクは頂上への道を辿っていた。

 

 高台にあるレイギエナの寝床の下に、岩屋のようになっている場所がある。

 高低差の激しいその岩場は、徒歩で進むとかなり体力を消耗してしまう。そんな時に役に立つのが、スリンガーだった。

 ここには楔虫と呼ばれる、外からの刺激で硬く身体を閉じる虫が数多く生息している。調査団は、その生態を利用してスリンガーでのワイヤー移動に役立てていた。

 

「あれ、お前メガネ掛けるんだな」

「僕、近視と若干の乱視もあるんですよ。だからスリンガー打つのも下手で」

 

 サクは眼鏡を押さえ、顔を曇らせる。スリンガーを巡ってはとても苦い経験がサクにはあった。あの手の失敗はもう二度と起こしたくない。

 サクの身に何かがあったらしいことをヒオンは察したが、敢えて言及しなかった。

 

「そうなんだ。ここで的が見えないときついもんな」

 

 会話もそこそこに、ヒオンは楔虫にスリンガーを射出した。

 しっかりと固定された手応えを確認すると、地を蹴ってツタ渡りの要領で小さな谷を越える。楔虫の外殻が戻るのに合わせて、トリガーを握りワイヤーを巻き戻すと着地の完了だ。

 後に続いてサクが着地したのを見届けると、ヒオンは周囲の安全確認をした。

 

「前々から思ってたんだけどさ、いや、お前たちには関係ないんだけどな。オレが重めの任務受ける時って、なんか氷系のモンスターと縁があるんだよな」

 

 手袋に付いた雪を払いながら、ヒオンがぼやく。

 

「現大陸でも?」

「そうそう。中でも一番やばかったのはキリン亜種だな。その辺の空気がいきなり凍り付くわ地面から氷が生えるわで、死ぬかと思ったよ」

 

 しれっと物凄いことを言った先輩の言葉に、サクは目を見開く。

 

「えっキリン亜種ですか!? あの古龍、本当に存在したんだ……」

 

 キリン亜種といえば、半ばその存在が疑われている古龍だ。ただでさえ幻と呼ばれるキリンの、亜種と遭遇して生還してみせるとは。

 

「うんうん、そんな感じの反応するよな。マジで珍しかったんだって、後になって知ったよ」

「それはペアの方と?」

「うん。それで認められて、新大陸に渡ることになったんだ」

 

 先程渡ってきた岩屋の上には、雪の積もった小さな窪みがある。そここそが、ボワボワ達との待ち合わせ場所だった。

 雪の上に蛍光色の角がちらりと見え、ヒオンは安堵の溜息を吐いた。どうやらボワボワ達は無事だったようだ。

 

 ヒオンがワイヤーで降りると、ボワボワは嬉しそうに声を上げた。ヒオンは彼らの歓迎を受けながら、空から見えない場所へ移動させた。

 ボワボワたちは後から続いたサクの姿を見て、仲間かと尋ねるように首を傾げる。

 

「……ヒオン先輩、恥ずかしいのでちょっと耳を塞いでもらっていいですか」

「え? いいけど……」

 

 ヒオンがウルファの帽子の上から耳を塞ぐのを確認すると、サクは咳払いをした。

 

『ええと、僕は調査団の者だ。あなた達が安全に頂上に登れるよう、支援させてもらいたい』

『しゃ、喋ったァ!!!!』

 

 サクが自分達の言葉を話し始めたことに、ボワボワは大いに驚いたようで、興奮してぴょんぴょんと飛び跳ねた。ふわふわした外見と相まって非常に可愛らしい。

 

『キミ、ワレラの言葉がわかるのか! 小さき戦士はよく話しかけてくるが、キミのような大きな戦士は初めてだ!』

『少しわかる程度だから、ゆっくり話してくれると助かる』

『了承した』

 

 ヒオンは目をぱちぱちさせて、ボワボワ達とサクが会話する様子を見ていた。

 耳を塞いでいても、隙間から微かに甲高い声が聞こえてくる。確かにこれは人に聞かせたくないかもしれない。

 

『ワレラもここから様子を見ていたが、さっきのヤツの様子を他のレイギエナも見物しているようだ』

『僕たちは彼らを警戒する必要があるね』

 

 サクがヒオンの方へ振り返ると、ヒオンは言わんとすることを察して耳から手を外した。

 

「先輩、凍て刺すレイギエナの他にも、レイギエナ達が様子を窺っているみたいです」

「マジかー。まあ、そりゃそうか。ドンパチやってたら誰だって気になるよな」

 

 ボワボワの隊長は、長い爪の付いた腕を組んだ。

 

『実動部隊を呼びたいが、下にはレイギエナやベリオロスがいて身動きが取れず、ワレラだけではどうにもならない。キミラに力を貸してほしいのだ』

『なるほど、事情はわかった。予め、こちらも作戦を用意してきたんだ』

 

 サクは地図を取り出し、ヒオンの立てた作戦をボワボワ達に説明した。

 ヒオンもサクの表情や手振りでなんとなく伝わってくるニュアンスで内容を把握し、頻りに頷く。

 表現がわからない部分は身振りや絵を使ったが、なんとか伝わったようだった。作戦を前にしたボワボワ達は、意気揚々としている。

 

 その様子を見てヒオンは立ち上がり、滑空の装衣を取り出した。

 

「こっちは大丈夫そうだな。じゃあ、オレは氷刃佩くベリオロス達の方に行ってくるよ」

「護衛ありがとうございました。ヒオン先輩もご無事で!」

「おう、お前達もな!」

 

 ヒオンは素早くレイギエナの翼を模した青い装衣を纏うと、雪の上を駆けて岩の割れ目から舞い降りた。

 

 

 

 高所に吹き荒ぶ風の中、ざり、ざり、と硬いものを引っ掻く音が混じる。

 凍て刺すレイギエナは、苛立ったように地面に鋭い爪を立てていた。大抵は縄張りを主張するマーキングとして行うが、凍土で爪を研ぐ役割も兼ねているのかもしれない。

 

 ヒアシは凍て刺すレイギエナのいるエリア十三の手前にある坂で様子を窺っていた。切り立った崖のようになっているここは、レイギエナ達の縄張りの中心地と言える。

 本当は山一つ越えた場所にある、ツタの生えた崖から観察する方が見つかりにくい。

 だが、そちらは頂上へ向かう道に通じており、ヒオンとサクがいる。別れてから時間は経っているが、二人がどの辺りまで登れたかは分からない。

 二人を危険から遠ざけるためなら、あえて自分がそれを背負おうという魂胆だった。元ランサーたる者、慣れている。

 

 上空で野次馬をしているレイギエナ達の視線を感じる。彼らはこちらに気付いているかもしれないが、口出しをする気はないようだった。

 ヒアシは新雪を口に含む。そして長い時間をかけてわずかに顔を出し、視野を広げた。凍った息で居場所が特定されては、奇襲の意味がない。

 こちらが雪に紛れる隠れ身の装衣を着ていたとしても、彼らは野生の生き物だ。ほんの少しでも自分の肌や赤髪が見えれば、すぐに気づかれてしまうだろう。

 

 氷山を隔てた遠くから、ベリオロスの低い咆哮が聞こえ、ヒアシはちらりとそちらを見た。姿は見えないが、ヒオンもかの竜に接触を図ったようだ。

 彼の言った通り、老騎士も自らの縄張りで騒いだ輩をただで置くつもりはないらしい。

 

 ヒアシはレイギエナに視線を戻し、さほど使い込まれていない盾の持ち手を握った。これまで以上に激しい使い方をするから頑丈にしてほしい、と二期団の親方に頼んだ特注品だ。

 レイギエナの立てる音に耳をすませながら、ヒアシは岩陰に身を隠し、装衣の留め具をゆっくりと外していく。

 

 幸い、こちらにはまだ気付かれていない。

 凍て刺すレイギエナまでの距離は、大股で六歩といったところだろうか。

 ヒオンのことはまだ警戒しているだろうが、仲間がいるという情報は知らないはずだ。

 ならば、それを利用するのみ。

 

 その時、音を立てて一陣の突風がレイギエナの翼膜を揺らした。

 そしてヒアシがいるのは風下。計算通りだ。

 笛のような風切音に紛れ、ヒアシはふさふさしているように見えるほど細く、しかし恐ろしく冷たい氷柱の下へと駆け出した。

 

 凍て刺すレイギエナがこちらを見た時には、既にヒアシは彼の胸下へと潜り込んでいた。レイギエナが翼膜を広げようとしたその時、歯ががちりと鳴って目の前に火花が散る。

 顎を殴られたのだと理解するよりも早く、レイギエナは翼をはためかせた。一瞬動きが遅れただけで、致命傷となることもあるのだから。

 

 凍て刺すレイギエナは己の身が地から離れたことを悟ると、目を開けた。

 色は赤茶だが、先程の小さな白い毛皮とよく似た姿。こいつも敵だ。

 凍て刺すレイギエナは胸を反らして肺を膨らませると、どこまでも響き渡る咆哮をあげた。その甲高い鳴き声は、耳栓をしていてもなお突き抜けてくる。

 

 ヒアシは耳から手を外し、バックステップでレイギエナから距離を取った。

 すぐにでも行動に移したいところだが、彼も馬鹿ではない。ヒアシは凍て刺すレイギエナの堪忍袋の緒を突いていくことにした。

 

 レイギエナは鉤爪を振り上げて急降下する。尤も、それが当たるとは思っていなかった。

 レイギエナは自身の爪が虚空を掴んだ直後、ヒアシが避ける方向を目の端で捉え、尻尾を鞭のようにしならせた。

 雌火竜リオレイアのサマーソルトとは異なる、細い回転軸による宙返り。レイギエナの空を掴む翼だからこそできる芸当だ。

 

 嫌な予感がして、ヒアシは瞬時に伏せた。その刹那、氷針の生え揃った尻尾は飛毒竜の帽子を凍土に放り出した。

 

「ッ、考えたな」

 

 帽子に縫い付ける形の耳栓を使っているため、これでしばらく咆哮の音圧を防げない。音という空気の振動を盾で遮断するには限界がある。レイギエナの鳴き声が、ティガレックスのように鼓膜を破ってくる類でないことは救いだと言えるか。

 凍て刺すレイギエナは、ヒアシの視線を塞ぐように立ち塞がった。

 ヒアシは横に二歩ほど飛び、レイギエナの頭の側面へ張り付こうとする。いくらこの飛竜がブレスを吐かないといえども、正面が危険なのは皆同じだ。

 肉食モンスターの目は草食よりも前向きに付いているため、横の視野は狭い。

 

 だが死角に入り込まれる危険を、凍て刺すレイギエナがみすみす見逃すはずがない。

 鋭い牙の生えたくちばしが即座に大きく開かれた。

 これは間に合わない。ヒアシは咄嗟に盾を構えた。

 自らを覆う盾の上下に硬い衝撃が走る。それはガリガリと擦れ合う嫌な音を立てた。このまま力尽くで押し退けようとすれば、不利なのは間違いなく人間の自分だ。

 

 しかしレイギエナは顎関節の開く角度にも制限があるうえ、咬合力もさほど高くはない。

 ヒアシは素早く腰をかがめて重心を下げ、真っ向から張り合っていた力の軸をずらした。

 

 閃光玉は何度か使用したと聞いている。そのため、もう網膜を焼く光から逃れる術は見出してしまっているだろう。

 だからこそ、ヒアシは原始的なボディメカニクスを利用した。モンスターと対峙するには、まずは人間の身体機能や構造を熟知している必要がある。たったそれだけで、その状況を有利に運ぶことすらできるのだから。 

 

 拮抗する力が唐突に消え、レイギエナは前につんのめる。ヒアシは一瞬の隙を突き、レイギエナの懐から抜けて駆け出した。

 頭装備は放置したままだが、それよりも作戦が優先だ。

 

 温泉の湧く広場から小さな崖を降りると、一気に雪が深くなる。

 足を取られないように、そして背後のレイギエナからの攻撃に当たらないように気をつけながら、ヒオンと約束した集合地点へ向けて走り出した。

 

 背後からレイギエナの怒号が聞こえてくる。挑発の装衣を身に着けるまでもない。

 例えこの先に何かがあると悟っていたとしても、それをもねじ伏せるべく追いかける。そんな気迫が伝わってきた。

 背筋が凍るような逃走劇だが、新大陸でさまざまな狩りを経験してきたヒアシにとっては幸か不幸か慣れたものだ。何かに躓いて転ぶようなことだけはしないよう、しかし大胆に雪原を駆け下っていく。

 

 結果として、かかった時間は数十分ほどだろうか。何度か追いつかれたり回りこまれそうになったりしつつも、ヒアシは凍て地の中央部へと辿り着いた。

 長距離走の息を整えるのもつかの間、ヒアシが走ってきた道とは別方向から、雪に紛れて小さな何か──否、人影が鋭い石を避けながら雪原の中央へと駆けてくるのが見えた。

 昼間の日差しのきつい照り返しでよく見えないが、大方見当はついている。

 

「ヒオンさん!」

 

 ヒアシが呼び掛けると、人影はこちらへと進路を変更した。

 ウルファの帽子から覗く黒い瞳に、安堵の色が浮かぶ。決して短くはない距離を走ってきただろうに、息の一つも切れていないのは流石だった。

 

「お、よかった。無事みたいだな! それで、連れてこられたか?」

 

 ヒアシはちらりと後ろを確認した。

 

「どうにか、付いてきているとは思うんですが」

「オレの方もなんとかなったよ」

 

 ヒオンはくい、と親指で後ろを差す。

 次の瞬間、雪を巻き上げて白く精悍な竜が分厚い氷壁の影から飛び出した。

 

「あれが、氷刃佩くベリオロス……!」

 

 歳を重ねているというその竜の眼差しには、どこか竜らしからぬ知を感じた。歴戦のハンターであればあるほど、まず手を出そうとは思わないだろう。

 かの竜ははじめヒオンに目を向けていたが、やがてこちらを一瞥する。

 

 彼が人間をどのような生き物と認知しているかは分からない。

 だが身に纏う防具は違っても、似たような大きさと骨格で互いに意思疎通をしているなら、仲間だということはすぐに判るだろう。

 ヒオンに対して牙を向けているということは、間も無くヒアシのことも敵と見做す筈だ。あまり長いこと話しているわけにはいかない。

 

 その時、背後から虎落笛のような甲高い咆哮が響き渡った。

 

「遂にお出ましだな」

 

 ヒオンの呟きに、ヒアシは頷く。

 二人はベリオロスからは顔を背けず、目線だけで後ろを確認した。

 凍て刺すレイギエナは、ヒオンの姿を認めるやいなや目を剥く。何度も自分の大事な視覚を奪ってきた相手。やはり手を組んでいたかと唸り声を上げた。

 

 だが、何よりも。

 凍て刺すレイギエナはホバリングをしながら、肌が痺れるような空気感を作り出す根源に眼差しを向ける。

 その主は怒っているわけではなく、むしろ余裕すら感じさせた。ただそこに佇んでいるだけでも、彼には辺りをしんと静まらせるだけの気迫があった。

 気に食わない。

 レイギエナは凍て地を我が物顔で牛耳る賢竜を、鋭く睨めつけた。

 対する氷刃佩くベリオロスは全く気圧されることなく、むしろレイギエナがどう動こうとも構わないとでもいう風に向かい合う。

 

 今や新大陸の名物とすら言われるもの。大規模なそれが見られることは、確定したようなものだった。

 ヒオンが口角を上げると、その隙間から白い息が漏れる。

 

「そろそろ縄張り争いに入りそうだな」

 

 凍て刺すレイギエナは、やがて一点で止まると翼を大きく広げた。まるで自分の力を誇示するかのように。

 翼によって落とされた影は、白い雪を暗く染める。

 

 黒と群青、そして蒼と黄金の視線がぶつかり合う。今にも紫電が閃きそうな勢いだ。

 ヒオンは身構え、素早くヒアシに声を掛ける。

 

「来るぞ……巻き込まれないように気をつけてな!」

「わかりました!」

 

 ヒオンは目線をそのままに、握り拳に親指を上に立てた。

 

 刹那。

 雪まじりの一陣の風が、三者の間を縫うように吹き渡った。

 

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