凍て地のボワボワ救出作戦!   作:Senritsu

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第六話担当:Senritsu




第六話:人と竜、狩人たちの矜恃

 

 結果から言えば。

 それまでの争いでベリオロスが手を抜いていたかというと、そうではなかった。少しも気を抜けない乱戦であったのはレイギエナも含めて全員に共通していたらしい。

 その上でベリオロスの立ち回りを振り返ると、彼は好戦的に動いているように見せつつも、自身が重傷を負わないことを意識していたように思われた。

 目立った傷と言えば、レイギエナとの縄張り争いでできた打撲と切り傷、ヒオンの剣による刺し傷くらいだ。ある程度体力は消耗しただろうが、動きに支障をきたす程ではない。

 

 では、その目的は。レイギエナとベリオロスでは思惑がやや異なっていたのだろう。

 レイギエナは外敵を排除した上でベリオロスの縄張りを奪おうとしていたのに対し、ベリオロスは終始相手側の力量を図ることに注力していた。

 何度かの激しいぶつかり合いを経て、まずはレイギエナが撤退に追い込まれた。

 ベリオロスの目的が推測通りなら、その力量は十分に知れたということか。であれば、その次はヒアシたちハンターを測るということになる。

 

 つまり、ベリオロスは始めから本気を出してはいたものの、常に別のことに意識を割かれる状況であったということだ。大怪我をしないこと、そして、相手を知ることに。

 今、その柵に囚われる必要はなくなった。

 歴戦の老騎士は、一対一の決闘のような争いにこそ、その真価を発揮する。

 

「……っぅ、こいつあれだな。さては乱戦が苦手だな! お茶目なところもあるじゃんか……!」

 

 乱戦こそを得意とする竜なんてそうそういないとは思うが。そんな指摘は野暮というものだろう。

 尻尾で殴られた腹を押さえながらよろよろと立ち上がるヒオンに対し、ヒアシはフォローに入ろうとする。しかし、その直後に敷かれた氷の道が、二人の間に隔たりをつくる。

 

 踏み入った者を強制的にその場に縫いつける氷刃のブレス。数歩分の幅で一直線に伸びるその道は、幅跳び程度では簡単に絡めとられてしまうだろう。

 気が付けばヒアシの背後にもその道が敷かれ、自身の逃げ場がなくなっていることに気が付いた。ほんの少しヒオンに気を取られただけでこの始末だ。

 

「ぐ……!」

 

 反射的に構えた盾に、膨大な量の氷が咲く。レイギエナの風のように少しでも逸れると防ぎきれなくなるようなものではないが、鉄塊を撃ち込まれたかのように重い。

 断熱に優れた骨素材の盾であるはずなのに、痛いほどの冷たさが伝わってくる。盾なしで受ければ大火傷にも近い凍傷を負うことになるだろう。

 氷に覆い尽くされて岩のように重くなった盾をなんとか引き剥がして、すぐにベリオロスへと注目を戻す。そうでなければあっという間にその姿を見失い、背後から狩られることになる。

 

 そう、まさに狩られるという感覚だった。

 珍しいが、この竜に唯一というものではない。多くのモンスターと相対したときの怖さは喰われるか殺されるという表現に結び付けられるが、その中でも例外的に。

 狩るか、狩られるか。ヒアシとサクの故郷であるユクモ周辺で稀に出没する、雷狼竜ジンオウガに対してよく使われている言葉だ。それに近しいものを覚えた。

 

 氷刃佩くベリオロスは、レイギエナがいたときとはその戦い方を大きく変えていた。中でも厄介なのは、ブレスを多用するようになったことだ。

 地面を這うその吐息は、実際、空を飛んでの移動が主なレイギエナには効果が薄い。

 それに、あの氷による拘束はベリオロス自身にも作用する。却って自分の行動を制限することになりかねないため、あえて使わないでいたのだろう。

 

 しかし、人が相手となれば話は別だ。ベリオロス以上に地上というものに縛られている。この拘束と妨害を兼ねる設置罠を使わない手はない。

 しかも、そのブレスの敷き方も練られている。ヒアシがヒオンのもとへと駆け付けて攻撃を防いだり、ヒオンがヒアシの盾を遮蔽物として奇襲を仕掛ける様子を見て学んだのか。

 レイギエナが離脱してからヒオンとヒアシはほとんど合流できていない。かと思えば、互いにブレスを避けたと思ったら思いのほか距離が近くぶつかってしまった、というような弄びまでこなしてくる。

 

 竜の側に翻弄されるのは珍しいことでもないが、これはその中でも抜け出すことが難しい類だ。連携というハンターの利を徹底して潰しにきている。

 ここまで来ると、もはや手段に固執しないがいい。ヒオンも同じような結論に辿り着いたらしく、既に立ち回りを調整しているようだった。

 

 ふと、かくっと膝の力が抜けそうになり、地面に膝を付きかけるのをヒアシはなんとか堪えた。

 歯痒いが、無理もない。太陽の移ろいからして狩猟開始から数時間、場所の移動も戦いながら、ほとんど休みなしで走り回っている。疲労が溜まるのも無理はない。

 ヒオンも肩で息をしながら額の汗を拭っている様子が垣間見えた。気力で持ちこたえているとまでは言わないが、動きを鈍らせないことに意識を割かなければいけない頃合いだ。

 

 本音を言えば一時撤退して休みたいところだが、かの老騎士がそれを許すはずもない。

 眼前に大槍のような手甲が見えれば、タックルの寸前だ。いつの間にか背後に壁が迫っていることに気付き、思わず舌打ちする。押し潰す気だ。

 守りの構えは間に合うかどうかというところ。盾を手甲に滑らせながら、身軽さを駆使して懐に潜り込む。

 直後、みしっという嫌な音を立てて岩壁に手甲がめり込んだ。

 かろうじて後脚部に逃げ込み、呻く程度の圧迫に留めたヒアシは、目の前で岩壁がぼろぼろと崩れていく光景を見てぞっとする。

 

 手応えがないことを素早く感じ取ったのだろう。ベリオロスは壁に押し当てていた翼を引き抜いて身を翻すと、即座にヒアシを捕捉して踏み込んでくる。

 かの竜もヒアシの盾に順応してきている。盾の端を両手で掴むように押さえ込んで動かなくした上で、その頭上から覆い被さるように長大な牙を振り下ろす。

 身を捩る程度では到底避けられず、氷刃は深くヒアシの胴に埋まるだろう。盾を捨てればいよいよ丸腰だ。かの竜は恐らく、その後の追い詰め方まで頭の中で組み立てた上でこうしている。

 

 片腕の盾はびくともしない。ならばもう片方の腕を、頭上に。今まさに迫るベリオロスの顔面に向けて、号砲のようにスリンガー弾を撃ち放った。

 装填していたのは天然のハジケ結晶だ。発射と同時に散弾のように砕けて、至近距離に刃状の破片を撒き散らす。

 モンスターに対してそう傷を与えるものではないが、傷以上の痛みを与えて怯ませる。細かな金属片を浴びせかけるようなものだ。

 僅かに盾を押さえる力が緩んだ、その隙を逃さずに盾を引き剝がし、盾の側部の刃で腹を切り裂く。張り付いていた霜がぼろぼろと零れ、つうっと血が滲んだ。

 

 今のヒアシにはこれが精一杯だ。だが、いずれ今以上に。そう思いながら距離を取る。ベリオロスもまた、飛び退くようにして空へと飛んだ。

 その目は未だにヒアシを捉えている。ヒオンの安否が気になったが、今はかの竜から視線を逸らすことはできない。

 空中で羽ばたく老騎士と向き合うのは初めてのことかもしれない。あの凍て刺すレイギエナの空中遊泳を見てからでは、とても素直な飛行に思えてくるから不思議だ。あれはやはり異次元の機動力だったということか。

 

 体感、あと一押しのところではないかとヒアシは思っている。ベリオロスの側に大きな傷はないが、生き物である限りはこちらと同じように疲労と損傷が蓄積されているはず。

 ベリオロスは種として寡黙だ。我慢強く、ぎりぎりまで自身の弱みを見せてこない。それをこじ開けることができれば、こちら側にも光が見えてくるはずだ、と。

 

 ベリオロスは空中から直接、あるいは壁を蹴って猛然と飛びかかってくることがある。翼のスパイクによる制動力に物を言わせた空からの強襲は尋常でない威力を誇る。

 それを警戒して身構えていたヒアシだが、ベリオロスはその素振りを見せず、空中で大きく首をもたげた。

 ブレスの構え。一瞬逡巡する。吐き出されるのは氷の道か、あるいは礫か。受け止めるべきか、避けるべきか。問答無用に避けるべきだと気付くまでに、ほんの少しの時間がかかった。

 

 きっと、その一瞬が生死を分けた。

 

「!?」

 

 不意に背後から腕を引かれ、気が付いたときにはヒアシの身体は宙に浮いていた。受け身を取ってから自分が投げ飛ばされたということに気付いた。

 

「下がれ!!」

 

 ヒアシが立っていた場所にヒオンがいる。ヒオンの言葉にヒアシは反射的に従った。

 庇われた、のだろうか。ふつう、駆け寄るよりも声をかける方が早いはずだ。その真意が読めないながらも、地を蹴ってその場から離れる。

 直後、ヒオンの姿が一瞬にして銀世界の中に掻き消えた。

 

「ヒオンさっ……」

 

 レイギエナを模倣するように、ベリオロスは目の前の地面一帯に向けて極寒の吐息を吹き付ける。

 びしびしと濁流のように這い寄る氷床はヒアシの足元にすら迫り、さらなる後退を余儀なくされた。これはヒアシだけでは逃れられなかったかもしれない。触れてしまえば、ヒオンの行動が無駄になる。

 

 広く、厚く敷かれた氷の絨毯の中心にヒオンはいた。

 彼はもはや一歩も動けない。腰までが物理的に凍り付いてしまって、肩の辺りまで蔦が絡むように冷気がのたうち回っている。

 まさに、半身が氷の彫像と化していた。

 

 もしヒアシが走って逃げていれば足を取られて転倒し、手をつけばそれすら凍り付き、身動きすら取れなくなっていただろう。もし盾を構えていれば、その時点で姿勢が下がる。そのまま呼吸器まで氷で覆われていただろう。

 あれは盾など意味を成さない。その場で獲物を氷漬けにするブレスだ。

 

 碧から琥珀色へと変じた瞳がヒオンを映す。つうっと残光が走る。

 着地と同時に、氷刃を鳴らしながらベリオロスは跳躍した。とっ、という足音はとても静かで、薄氷の上で跳ねたかのように繊細だ。

 しかしそこから降ってくる一撃は。遠く離れた地上から、氷河の上から、棚氷の下から。幾多の生物の命を刈り取ってきた。

 一点を穿つ、命の収穫。今、その対象はあまりにもはっきりとしている。

 

 氷の絨毯から立ち昇る冷気でヒオンの姿がよく見えない。朝に見る霧のように朧げなその立ち姿に、一筋の雷が落ちる。

 ばごん、という陥没音に慣れることは決してないだろう。緩い地盤ならとっくに抜け落ちている。振動が地面を伝い、ヒアシの足が僅かに宙に浮いた。

 どんなに強いハンターであろうと人の身である限り雪崩には勝てないが、そんな自然の理不尽がすぐ傍で感じられる。まるで古龍に対する例えのようだ。

 

 ヒオンは無事か。あれは本職のヒアシの盾ですらぎりぎりで、しばらく腕が振れなくなる程の威力があった。

 チャージアックスの盾となれば、物理的に破壊されてしまってもおかしくない。氷床がまだ張られていて近付けないことに焦りを感じつつも、ヒアシはベリオロスの気を引こうとスリンガーを向ける。

 

 その先で、ふっと、不自然なまでにベリオロスの力が抜けた。

 一拍置いて、ぞっとヒアシの肌が泡立つ。

 

 まさか、あれは。いくら強靭な肉体を持つ二つ名持ちとは言えど、そんな無茶ができてしまっていいのか。

 老騎士は、今の一撃をもう一度放とうとしている──! 

 

 あれはハジケ結晶程度では止められない。閃光弾で僅かに逸らせるかどうか。それも、今からの装填では手遅れになる。

 もしあそこにいるのがヒアシだったなら詰みだ。これは防げない。

 盾を構え続けられていたとしても、一発目を防いだ時点でそれはお飾りと化している。二発目であえなく潰され、首や腰の骨が砕かれる結末が容易に想像できる。

 というより、下半身の自由を封じられている状態でこれを凌ぎきれる人物がいるのか。その場から逃れるという選択すらもできないのだ。まさに必殺技と言うべきものを、老騎士は今の今まで隠し持っていた。

 

「──!」

 

 何もかもが間に合わない。目の前で人の命が奪われる瞬間など絶対に見たくないのに、数秒後の光景がありありと目に浮かんで呼吸を乱す。

 いっそのことなりふり構わず飛び込んでしまおうかという考えがヒアシの頭をよぎったが、二次災害になるという理性の忠告がそれを踏み止まらせた。

 

 その忠告は、相棒のサクの声として聞こえた。

 よく見ろ。無駄だとしても打てる手を。

 一瞬の間にここまで思考を巡らせたヒアシは、先ほどと同じくスリンガーを構えた。一瞬のベリオロスの動きに当てられるほどの技量はヒアシにはない。だから、着地後を狙う。

 あえて氷の檻に閉じ込められに行ったヒオンを信じるしかない。ヒアシの仕事は、その後始末を確実に担うことだ。

 

 ひび割れた地面の上で、再びベリオロスが跳躍する。やはり二連撃、ヒアシの勘は当たった。念に念を押すような執念は、ヒアシたちが彼に明確に脅威として認められている証なのかもしれない。

 とんっと跳んだベリオロスによって細かな氷が舞い上がる。きらきらと舞う白い霧。その中に、雪狼の防具を身に纏ったハンターがいるはずで。

 

 ごうっ、と、真っ赤な火炎が吹き上がった。

 ヒアシは息も忘れて目を見張る。

 あれは──ヒオンの盾斧の炎か。

 

 得物が長い。斧に変形させている。先ほどまでは盾だった部品は剣と繋がり、斧刃と化して牙を剥く。

 加えて、ぎゃりぎゃりと喧しい音を立てながら斧刃が回転している。刃はごうごうと燃え盛っていて、文字通りの火車と化していた。

 

 属性廻填斧強化。ヒアシも見るのは初めてだ。なぜならそれは、使い手がよほど調子よく攻撃を当てて熱量を回収していかなければ到達できない強化段階だと聞いていたから。

 いったいどこでその熱を蓄えたのか。針の穴に糸を通すような老騎士の隙を全て食らったとしか思えない。ヒアシには俄かに信じ難かったが、今現実にそれが解き放たれている。

 

 ベリオロスが奥の手を隠し持っていたように、ヒオンもまた機会を窺っていた。ベリオロスが動いたのに合わせて、ヒオンも己の武器の限界を引き上げた。

 いや、逆か。

 ベリオロスは跳ぶしかなかった。ここで決めざるを得ない状況になった。火竜の怒りを彷彿とさせるあの炎に飲み込まれてしまう前に。あの刃が自身の甲殻を溶断する前に。

 ベリオロスは逃げない。ヒオンも逃げない。

 

 稲妻のようにベリオロスが落ちていく様が、ヒアシの目にはややゆっくりに見えた。それだけ目を奪われていた。

 未だに足の自由を奪われているヒオンは、しかし盾斧の炎によっていくらかその鎖を断ち切ったのか、大きく踏み込んで上体を逸らし、腕をしならせる。属性解放斬りの構え。

 

 老騎士が落ちる。ヒオンの斧刃が氷と炎を巻き上げながら迎え撃つ。

 時間としては、一秒に満たない駆け引き。

 ヒオンの頭上で、両者が触れ合ったように見えた。

 

 どんっ、と、爆炎が咲いた。

 先ほどの大地を割る音とは質が違う。水蒸気爆発のような音だ。ベリオロスの纏っていた氷が一瞬で蒸発したのだろう。濛々と蒸気が立ち込める。

 

 ベリオロスは。ヒアシが目を走らせた先で、膝を付くように項垂れる白い竜の姿があった。

 どうやら着地に失敗したらしい。うまく衝撃を吸収しきれなければ、反動であのようになってしまうのか。

 本来は追撃を仕掛けるべきだが、今は優先すべきことがある。ヒアシの立ち入りを拒んでいたあの氷床は、今の爆発でようやく砕け散っていた。視界は悪いが、ためらわずに足を踏み入れる。

 

 雪狼の防具はこんなときに保護色となって探しづらい。しかし、彼が手に取っていた武器の方はよく目立つ。それを頼りに姿を捜す。

 ぼんやりとした火の揺らめきを見た気がして、駆け寄った先にヒオンはいた。あの衝突で吹き飛ばされていたらしい。その身は、ぐったりと地面に横たわっている。

 

「ヒオンさん!!」

 

 その姿はあまりに心臓に悪い。

 ベリオロスの気配に警戒しながらヒオンに駆け寄る。ざっと全身を見て、腰が変な方向に折れ曲がっているとか、腕から先がないとか、そういう外見的な致命傷がないことを確かめた。

 

 呼吸は。ショックで息が止まったりしていないか。状況を把握すべく、素早くヒオンの身体を転がして体位を整える。

 その過程で、僅かに咳をするような仕草が見えた。それを見たヒアシは心の底からほっとした。

 恐らく即死ではないと信じてはいたが。息がある。脈が途絶えていないというだけでも大違いだ。

 

 そうなれば何としても守りきらなければならないが、状況が状況だ。下手に助け起こすこともできない。

 無防備なヒオンの身を守るべく盾を構える、と、背後からごほごほと咳き込む声が聞こえた。

 

「っぁ……かはっ。ぁー…………やべ、気絶してたな」

「ヒオンさん、大丈夫ですかッ!?」

「ん、だい、だいじょう……大丈夫じゃないっぽいな。はは、肩が外れてやがる」

 

 それは大丈夫じゃないですがある意味運がいいです、と、ヒオンを諭したくなるのをヒアシはぐっと堪えた。命があるだけ儲け物なはずが、ヒオンはまだ前線に立とうとでも思っているのか。

 ちらりとヒオンを見ると、何とか自力で立ち上がろうとしつつも、全く腕の力が入らないことに苦慮しているようだった。

 それでも武器を手放していないのはハンターの執念と言うべきか。彼が最後まで武器を握っていなければあんな爆発にはなっていなかっただろうし、ヒオンの肩が外れたのもそれが理由だろう。腕が残っているのは奇跡という他ない。

 

「動けそうですか? もしだめそうなら背負って離脱しますが」

「なんとか。あーでも戦力にはなれないなこれは……げほっ……どちらにせよ離脱になるか。ごめん」

「大丈夫です。あとは相手がそれを許すかどうか」

「それに関しちゃけっこう自信はあるけど……ん、んー……どうかな。どうしてる?」

 

 よろよろと覚束ない仕草でヒオンが身を起こす。だらんと垂れさがった腕は彼の肩が外れていることを強く印象付けた。

 本人は気付いていないようだが、軽い脳震盪もあるのかふらついている。しばらくはその場から動かしたくない。それだけで済んでいるというのが凄いことではあるのだが。

 

 対してベリオロスは。今のやり取りの間に襲われなかったというだけでも、ヒオンが与えた傷が相当なものであることを物語っているが。やっと視界が晴れて、その姿を見やる。

 明らかな違いは、一目で分かった。

 

 氷刃が、あの真白な牙が折れている。片方は根元から、もう片方は先端が欠けていた。

 ここまでの間に、あの老騎士の誇りを象徴するような双牙は決して折れないのではないかと、無意識にそんな感覚を抱いていたヒアシは、それを見て大きな衝撃を受けた。

 顔面の一部は黒く焼け焦げていて、口元からはぼたぼたと血が流れ出ている。かなり痛々しい傷だ。片目もよく見えなくなっているようで、ヒアシたちが襲われなかったのはそれが一番の理由かもしれない。

 

 さらにこれは、着地に失敗したのが理由だろう。片翼の手甲に生えた棘と爪が折れたり砕けたりしている。

 ベリオロスという種にとってこれは大きな痛手だ。人に例えれば爪や指紋がすっかりなくなってしまうようなもの。地面で踏ん張るということができず、滑って隙を晒してしまう。

 

 現状ではヒオンの方が危うい状況ではあるものの、相対的にはベリオロスの方が大きな傷を負っている。

 ヒオンが手応えを感じたと言うだけのことはあった。あの賭けに出ずに地道に狩りを続けたとして、これだけの傷を与えるまでにどれ程の時間がかかっただろう。その前にヒアシたちの方が蹴散らされている可能性の方が遥かに高い。

 ふつうの竜なら一時撤退を選んでもまったくおかしくない状況だ。ヒオンも彼の戦意を削ぐつもりで行動に出たのだろう。特にあの牙を折ったのは大きいとヒアシは思っているが、さて。

 

「……いや、堪えてはいるみたいですが、これは……」

「うわまじか、これはちょっと読み違えたな。……っぅ、悪い。手間をかけることになりそうだ」

 

 少し身体を動かしただけでもかなり痛むのか、ヒオンの声に苦痛が滲む。

 あれでは回復薬を飲むことすら億劫だろう。手助けをしてやりたいが、その余裕は先ほどまでで失われてしまった。

 

 のそ、とベリオロスが身を起こす。あちらの目にもヒアシたちが映っていることが見て取れる。その瞳に灯された戦意は未だ消えていない。

 戦闘続行の意志がある。まだ瀕死には至っていないにしろ、これはもう執念と言っていい。

 それなのに、凍て刺すレイギエナがぶつけてきたような怒りや敵意があまり感じられないことがヒアシには空恐ろしかった。

 

 あくまでも冷静に、淡々と殺しにくる。あるいはヒアシとヒオンを測っている。何を目的としているのか、何がかの竜をここまで駆り立てているのか。

 長らく老騎士を追っていたヒオンであれば何かしらの推測を得ているのかもしれない。実際、何度か思わせぶりなことも言っている。しかし、その話はきっと長くなるのだろう。ならば、今は知らないままでいい。

 

 ヒアシとヒオンはどうしても一時離脱しなければならず、ベリオロスは未だ争う気でいる。

 それだけ把握できればいい。あとはできる限り自分たちの思い通りの運びになるように策を講じるのだ。

 

「ここからだと難破船キャンプが近い。ヒオンさん、あの下り坂まで走れますか?」

「うん、それくらいならどうにかする。後を任せることになるが……」

「あの翼の傷なら、こっちに襲ってくる度に隙ができるはずです。おれも後で向かうので、待っててください」

 

 むしろ、囮役の自分を抜かれてヒオンが背後から襲われないように、ヒアシは全力を尽くさなくてはいけない。

 これまで戦っている間にベリオロスの動きはよく観察してきた。ヒオンさえ安全地帯に移せれば後のことはどうにでもなる。どうにかする。

 

 ベリオロスが歩き出す。素早さを捨てたように見せて、着実に距離を詰めてくる。自身の怪我による不便を悟った上でのその選択がどこまでも恐ろしい。

 まずは隙を作るところから。ヒオンもヒアシの動きを見て走り出すだろう。スリンガーに閃光弾を装填し、狩猟では最も難しいといわれる撤退に臨む。

 逃がしはしない、いや、逃げたいのならやってみろとでもいう風に、歩み寄る老騎士が低く唸った。

 

 そのとき、凍て地の谷に吹く風の音にも似た、それよりもいくらか鋭く小さな音を、ヒアシの耳が拾った気がした。

 

 それはベリオロスの背後から飛来し、その甲殻を僅かに傷つけて弾かれた。細い棒がからからと地面に転がる。

 はっとしたベリオロスがその身を翻す。と、今度は左右の方向から放物線を描いて飛んできた。

 ベリオロスが視認した分は避けられたが、やはり片方の目が傷ついて見えにくいのだろう。その翼膜に二本ほど突き刺さる。

 

 ベリオロスが辺りを見渡す間にも飛来物はその数を増していく。

 それは小さな投擲銛だった。ひとつひとつはハンターの使う矢と同じかそれよりも低い威力だが、数にものを言わせれば十分な制圧力を発揮する。

 ここでベリオロスはようやく、自身が彼らに包囲されていることに気が付いた。

 

 彼らはベリオロスの周囲への警戒が途切れる瞬間を狙っていた。ヒオンがベリオロスを転倒させたのを見計らって彼らは一斉に周囲へ散った。

 地面は長らくの戦闘で荒れ放題になっていて、身を隠すには困らなかった。この時はヒアシもヒオンに注意が向いていたため、その布陣に気付けた者は本人たち以外に誰もいなかった。

 そして、彼らが認める勇敢な戦友に対してベリオロスが未だに敵対する意思を見せ、一歩一歩と歩み出したそのとき、彼らは果敢に狩場へと躍り出たのだ。

 

「ボワボワ……!」

 

 一斉に聞こえ出した甲高い鳴き声は、この凍て地では馴染みのもの。

 この作戦をかけるきっかけにもなったボワボワがどうしてこの場に駆け付けてくれたのか。しかもサクと一緒にいる者たちよりずっと数が多い。

 

「これはひょっとすると、氷山にいる連中の部族か?」

「そうか、サク……!」

 

 ヒアシは空を仰ぎ見る。ここからではあの稜線を見ることはできないが、何よりもサクの存在感を感じた。

 こんな指示を出せるのは調査団でもごく一握りで、中でも実行に移せるのは彼くらいのものだろう。

 サクは何らかの手を使って、ここから遠く離れたボワボワの集落に事情を伝え、本隊とも呼べる狩人たちを呼び寄せたのだ。ぎりぎりだが、これ以上にないタイミングでの支援だった。

 

 降り注ぐ銛の雨に、ベリオロスは前にも後ろにも動けず防戦一方となっている。あの老騎士が、だ。

 あるいはそれは、一帯を縦横無尽に走り回って彼らを蹴散らすだけの元気がないということなのかもしれない。

 

 やがてリーダーらしきボワボワが大きく叫ぶと、彼らは投擲を止めた。標的となったベリオロスの周囲に突き刺さったり転がったりしている銛は優に百を超えている。

 凄まじいの一言だが、凍て地で狩りをする彼らにとってはあまり珍しい光景でもない。

 調査団が彼らと協力関係を結ぶことに注力していたのは、彼らを敵に回してはいけないという切実な事情もあったのでは、と。ヒアシは頭の隅でそんなことを思った。

 

 体を丸めていたベリオロスがゆっくりとその身を解く。

 ヒアシもヒオンもなんとなく予感してはいたのだが、やはり戦意は衰えていない。

 自身の命を投げうつほどに好戦的だったり、後に引けない理由があるわけでもなさそうだが。本当に命が危うくなるまでは争うつもりなのだろう。それが彼自身の掟だと解釈した方がまだ納得できるのかもしれなかった。

 

 しかし、そんな老騎士の瞳がふっと揺れる。それと共にその身も大きくふらついた。

 彼の命の灯火が消えかかっているわけではない。むしろ未だはっきりとそれは灯っている。ただ、彼も気付いただろう、自身が深く毒に侵されているということに。

 ボワボワの銛の一斉投擲はそれだけで恐ろしいが、その槍の一本一本には丁寧に毒が塗布してある。その肉に火を通して食べる分には問題ないが、獲物を確実に弱らせる毒が。

 そんな槍をあれだけ浴びせられたのだ。ひとつひとつの傷は小さくとも、少しでも血を流せばその毒は着実に体を蝕む。即効性なのはある意味で救いと言えるのかもしれない。

 

『……!!』

 

 ヒオンとヒアシの前に立ったボワボワが、ベリオロスへ向けて宣言するように声を発した。

 呼応するように周りのボワボワからも声が上がる。その気になればまだまだ投げられるぞ、とでも言う風に槍を掲げている者もいる。

 ヒアシもまた、それに便乗する形にはなるが。本来はやってはいけないこととされている、ベリオロスが向ける視線に正面から応える。

 

「……ここから先は調査団の狩りになる。これだけ強いあなたなら、それは十分に分かっているでしょう」

 

 たとえここで自分たちを殺しても──そんなことはさせないが──その次のハンター、さらにその次のハンターが来るぞ、と暗に示すように。

 彼は賢明な竜だ。ここでその命を散らすのは惜しい、という意思を目で訴えるように。

 

 老騎士とヒアシ、そしてヒオンは、長い間その場で向き合っていた。

 

 やがて、ベリオロスが再び歩き出す──その身を、翻す方向へ。

 あれだけの怪我をしても、その身を毒に侵されても、体の芯は決して揺らがせずに歩いている。本当に強い竜だということが、その佇まいだけでも察せられた。

 

 老騎士が立ち去る姿をヒアシとヒオン、そしてボワボワたちはずっと見守っていた。その姿が見えなくなるまで、ずっと。

 ふいに吹きつけた、凍て地では馴染みの谷風が、ひどく懐かしく感じられる。

 

 凍て刺すレイギエナおよび氷刃佩くベリオロスの撃退。

 まだ本命の、氷山にいるボワボワたちの救出までは辿り着けていないが。とりあえずは。

 

 ヒオンたちの、勝利だ。

 

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