橙色の夕焼けに染まった平原にて。
「はあああ……ッ!!」
野営の準備を終えた俺は、身の丈ほどの木の枝を抱えながら気合いを込めて唸っていた。
「炎よ出ろ! 出ろ! ファイア!」
「……何をやってんですか?」
「いや、魔法……出るかなって……」
熱心に小さな血溜まりを覗き込んでいたプロメスティンが視線を移し、ジト目でこちらを見つめてくる。その辺をうろついていたトカゲか何かを引っ捕えてバラしていたのか、急な大声で中断させられてお冠らしい。
「わ、分かってるよ。でもさあ、まだ無理だとは言われても試したくなるのが人情ってものだろ」
俺が世紀の大天才魔道士の才能を持って産まれてきていた場合、何かの間違いでという事もあったら儲けもんだと思っていたのだ。
しかし生憎、そういった事は今のところ特に無いらしい。うんともすんとも言いやしないゴツゴツした木の棒に手汗が染み込んだりしない内に、俺は素直に手を離して諦めた。
「あのですね……ああもう、どこから指摘すればいいのやら。まずもって、それはまだ魔法の杖にはなりません。ただの枝です」
「えっ、これじゃダメなの?」
はい。と頷いたプロメスティンはさっきまでの作業の手を止めつつ問題点を解説してくれた。
「不純物が多かったり形状が
つまり、杖としての体裁は流石にきちんと整えてやらなきゃならない訳か。確かにその辺からもぎ取った枝を振り回して魔法を唱える魔道士は想像できない。それはもう半分蛮族だ。
「何より、今の貴方ではきちんとした魔道具を持っていても魔法を発動させるのは不可能です。ゴルド火山に行くまで我慢してください」
「……ああ、それもあったなぁ」
人間が魔法の行使において唯一汎用的に転用可能な大気中におけるマナ濃度の抜本的な低さによる弊害——プロメスティンに言わせれば長ったらしい説明になってしまうが、これは要するに燃料が足りないという話だ。
魔法を出すには魔力が必要で、その魔力がどこから来るのかというと、それは空気という答えになる。ただし含まれる魔力は極めて希薄……残念ながら、とても使えた物ではないのだ。
ただそれは人間に限った話なのである。
人間と違って生命力を体内で手っ取り早く魔力に変換できる天使や魔物に関しては、空気中の僅かな魔力なんぞをわざわざ使う必要は無いらしい。
うーんこの人間と魔物の格差。理不尽だ。
「体の構造が違うんだから仕方がないでしょう。諦めて……いや、いっその事その変換を担う臓器だか器官だかを発見して貴方の体内に移植してしまえばあるいは……」
「いや結構!!!」
「あ、そうですか」
お前、お前この、すーぐそういう発想に至る。怖。マジで何なん? 怖いんですけど。
これで善意で物を言ってるっぽいのもタチが悪い。流石に被験者第一号としてトンデモ改造人間にされるのだけは御免だ──────
「そういえば、いつも私に隠れて貴方がしている自慰の事なんですけど……」
あまりにも突然の事だった。
何の脈絡も無く飛び出した二文字の単語に、まず俺は幻聴を疑った。
「…………………………………は?」
なに?
おまえは何を言っとるんだ?
「おまえは何を言っとるんだ?」
「いえ、話の流れで思い出したんですが……その精液をどうしてるのかふと気になりまして」
「わかったオーケー。今すぐ口を閉じようか」
話の流れでって何?
今あの時、というか今日この日の会話からどこをどう取ったらそういう流れが汲み取れるのか全く理解できない。
……いやちょっと待ってくれ。もしかしたら俺が地雷を知らずに踏み抜いてしまった可能性が無いとも言い切れない。少しだけ、改めて考えさせてくれ。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
何をどう考えても俺に非があるとは思えん。が……もしかするとだ、こいつの中では今の会話の流れが猥談の方向に向かっているという事なのか?
「あの、そろそろ喋ってもいいですか?」
いや、まあ? 俺も前世含めて長く生きてる訳だし、今更そういう話でキャッと恥ずかしがるほどウブって訳ではない。ないが、どうしてそうなった?
自慰……自慰って言われても。若い男の肉体を羽織っている以上、そりゃ持て余すものはあるけどさぁ。
ましてやアレだよ、こうして若い女の子と二人旅なんかしてる手前、正直ちょっとした事でムラムラする場面はどうしても出てくる。恋愛的に見てないとはいえ顔は普通にかわいいし、こいつ……。
あああもう、わっけがわからん。このまま考えても仕方がない。
「あのさぁ、今どういうつもりで猥談が始まったん? 何、話の流れって」
「……ああ! なるほど、そういう事でしたか。確かに言葉が少し足りなかったかもしれません」
足りないのは果たして言葉だけなのか。もっと色々なもんが欠落してないか。甚だ疑問ではあるが、奴はようやく得心いったとでも言うように頷いた。
「魔物や天使は生命力を魔力に転換できる、という話をしていた筈ですよね。私たち」
「うん」
「魔物はその生命力を人間から直接奪っているんです。男性の精が彼女らに狙われるのはそのためなんですね」
「はぁ」
「そういう話からも分かる通り、精液は混じり気無しの生命力そのものが液体の形をとっていると言ってもいい物質なんです。これは魔導において非常に有用な資源になりうる……と、私はそう思っている訳です」
「資源」
それはマジで言ってるのだろうか。いや冗談にしては目が本気だ。朗々と語り続ける目の前の少女に至極短かな相槌を打つことしかできない。
俺は以前から魔物の生態なんかにそこはかとなくどころの話ではないエロゲチックな世界観を見出していたのだが、こうも科学者キャラにまでR-18はこの世の真理ですみたいな念押しをされると流石に頭を抱えたくなってしまう。
そろそろ改めて自覚せんといかんかもしれん。——俺の生まれた世界、普通じゃねぇ。
「それで結局、どうなんです?」
「どうとは」
「せっかくの精液をその辺りにコキ捨てているのでしたら、どうせなら今後の実験の為にサンプルとして採取させて頂けないかと思いまして」
「黙っとけな?」
「それか……いつも私がそばにいるせいで不自由をさせてしまっているのであれば、出すのをお手伝いしましょうか?」
「変態!!!!! エッチ!!!!!!!!」
「わわ、うぷっ」
まずいまずいまずい。ここに来てこいつの感覚がマジで分からない。つーより人外の貞操観念が分からなさすぎる。
「枕を投げないでくださいよ、枕を……。落としたら汚れちゃうじゃないですか」
「夕飯の準備してくるわ!!! 火ぃ絶やさないように見ててねそこちゃんと!!!!!!」
やばい、頭がフットーしそうだ。顔が真っ赤になってるのが自分でも分かる。とにかく一刻も早くこの場を離れなければ。
しかし……この時の俺は、どこに向かって歩いているのかすら意識に回す余裕が無いほど追い詰められていたらしい。
「だっはあああああああ!!?」
どんがらがっしゃん! と。
——いっそ清々しいほど派手に足をもつれさせ、その場で盛大にすっ転んでしまった。
「いっ、いっでぇ──ッ!!」
「ちょっ、ちょっと! 大丈夫ですか?」
……大丈夫かって、そりゃ今のお前には言われたくねぇ……。俺は俺で色々平静じゃないかもしれんけど……。
「まったくもう、どうしたんですか。見せてください」
「あっ……」
ふと、その時、プロメスティンと目が合った。
地面に這いつくばって悶絶している俺と目線を合わせるようにしゃがみ込み、気遣うようにぺたぺたと顔を触ってくる。傷が付いていないか診てるらしい。
あと、その、近い。
「うぐ……」
や、ちょ、直視できない。
思わず顔を逸らしてしまう。さっきのも今のもこいつに他意は無い……んだよな? くっそ、なのに俺だけ一方的にこんな……。
(……お互い、少しは分かり合えてきたと思ってたんだが……!)
こういう価値観は何も、プロメスティンの奴に限った話じゃないんだろう。今までなんとなく魔物とは対照的なイメージで線引きしてたが、天使は天使で似たようなもんだったのかもしれない。この世界の……人外っていう括りの中では。
ようやく分かった。
照れたり恥ずかしがったりするこいつを知ってるからって、意思も心も通じ合ってるからって、底の底まで勝手に見通せてる気になっていた。どこか人間と同じようにこいつを見ていた。
それは俺の落ち度なんだろう。天使にとってはこのくらい——別に、大したことのない話だったんだから。
「良かった、大した怪我はしてないようで……はい?」
「…………」
片手を前に遮るようにして起き上がる。
悪いけど、ちょっと考える時間が欲しい。
「……………………………………………………」
「あ、あの? やっぱり頭でも打ちましたか?」
「いや……」
正直、人によればトラウマもんの距離の詰め方をされたとは思う。例え相手にその気が無いとしても。この世界では別に普通の事だったとしても。
この場合は美少女が野郎に向かって言ったから良いようなものの、これが逆なら完全に事案。犯罪。セクハラだ。俺がそういう事をした側の立場だとしたら、された側に相当距離を置かれても仕方が無いだろうなとは確かに思う。
でも、なんつーかな……。
これは結局、俺が図太いってだけの話だけど。
「ただ……お前のこと、もっと良く知りたいって思った」
……いや、それはちょっと能天気が過ぎるか!?
自分で言ってても流石にどうかと思うが……うーん……
面白い、って気持ちが勝ったかもしれない。
まったく予測できない未知の思考回路。前世ではまずありえないような人間関係。すでにプロメスティンという少女を心底好きになってきていたからこそ、むしろまだ理解できていない部分をどうにか丸ごと理解してやりたくなってきた。
そうやって仲を深めていけばどうなる?
——いつか俺とこいつは、
きっと最高の友人になれるに違いない。
この確信は俺にとって、どうしようもなく魅力的な発想に思えてならなかったのだ。
俺は今日、また一つ相手のことを知ることが出来た。どんな話であれ、この事実は喜ばしいことに違いない。
まあ何だかんだで、俺はそっくり前向きに捉えることにしたのだった。
「よく分かりませんが、それは精液の提供に同意してくれたという意味で間違いありませんか?」
「間違いあります」
それは、ちょっとうん。
考えさせてね……。
たまにはこういう話も挟んどかないと……最近の展開からまるで普通の異世界冒険記みたいに錯覚されてしまいそうだったので……
この世界の話をするということはつまりこういうことです。こちとらちゃんと狂ってんだよ!!