あゝ楽しんであれ、もんくえ世界津々浦々   作:点=嘘

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第11話

『あ、えっ?』

 

 

 気の抜けた音が喉奥から漏れ出す。

 動悸が収まらない。頭が真っ白になって……

 

 

『はっ……離せよ。なん、なんだよ。これ』

 

 

 嫌だ。認めたくない、こんなこと。

 声が震える。目の前で起きている事を今すぐ否定してやりたいのに、ほんの数歩、あいつの下に駆け寄る事さえ出来ないでいる。

 

 何だよ、何をやってんだよ、俺は。

 俺は——こんなに弱かったのか。

 

 

『うっ……うあああああああああああ!!!!!』

 

 

 叫ぶ、叫ぶ。

 追い縋るように、逃げ出すように。そのどちらも叶わない今は——正に地獄だった。

 

 

 

 

 

 ────────────────

 

 ────────

 

 ──

 

 

 

 

 

「……であるから、〜〜つまり、……では、呼ばれていて……マグエルの〜〜第三法則が、……あの、聞いてますか?」

 

「うおっ」

 

 や、やべぇ。ついていくのが精一杯だ。理解できないとは言わないが、くたくたに疲れて頭に入ってこなくなってきたぞ。すげぇ眠いし。

 辺りに夜の(とばり)が下りる中、俺は焚火と月明かりを頼りにプロメスティンの授業を受けていた。今夜は満月、目を凝らさずとも良く見えるのが幸いか。

 

「た、たんま。今日はこのぐらいで……」

 

「む、そうですね。明日に差し障るといけません」

 

 この旅ではこうして野営の時に座学をやるのが習慣となっていた。魔法使いを志す手前、論理の習得は欠かせない……らしい。それにしても今日の範囲は難しかった。

 

「うあー、こんなんで本当に魔法が使えるのかね……」

 

「魔法の力はイメージ力ですよ。行使の際に行う処理はすべて頭の中で為されるもの、論理は必要不可欠です」

 

 小難しい論理なんかより分かりやすい呪文とかを教えてほしいと当初は思ったものの、プロメスティンによると詠唱というものは単にその"イメージ力"を固める手段に過ぎないらしい。

 複雑な術であるほど決まった口上を唱えるのが望ましいが、簡単なものなら適当にそれっぽい事を口にするか、極論何も唱えなくても問題は無いそうだ。つまり何が言いたいかというと……座学に対するウェイトってのはそれぐらい大きい。

 

「なんだかねぇ……」

 

 ふと夕方のことを思い出す。俺が試してみたのは相当簡単な部類に入る、ファイアという下級の魔法だ。文字通り何の捻りもなく火の塊を生み出すだけの魔法。

 あの時は手応えの一つもさっぱり無かった。いくらその原因と解決の手立てがはっきりしていたって、こう、流石にモヤモヤくるっていうか。それこそ前世で似たような棒きれを持って似たような事をしてもそりゃ似たような結果になるだろうなと、そういう妙な納得が生じてしまうような結果であった。

 

 やり切れないっつーか何つーか……微妙な顔で夜空を見上げていると、横に座ってたプロメスティンが探るように口を挟んできた。

 

「前に進んでいる実感が無い、ですか」

 

「それ」

 

 結局のとこ、それなんだよな。

 これだけ苦労したんだからちょっとぐらい良い目を見たい、というのは贅沢が過ぎる考えかもだが……

 

「——この空に浮かぶ月や星を手に入れようと、ただ真っ直ぐに腕を伸ばしたとして」

 

「あん?」

 

 ちょっとアンニュイな気分に浸っていると突然、プロメスティンが何やら詩的な台詞をおもむろに繰り出してきた。

 

「その努力が滑稽に映るというのは自他共に認める所でしょうが、実際滑稽なことです。それは何故かというと、前に進んでいないからです」

 

「そりゃそうだ」

 

「そこで、月や星に手を伸ばす努力と貴方の努力とでは一体何が違うのでしょうか?」

 

 急にこっちに振ってくるなよ……えー、つまりどういうこと?

 回らなくなってきた頭でとっくり首を傾げていると、呆れたような楽しむような、そんな雰囲気になったプロメスティンが笑いかけてきた。

 

「貴方がちゃんと前に進んでいるという事を、私が知っている所です」

 

「ん……」

 

「心配しなくて大丈夫ですよ。夕方のあれ、もし貴方が天使だったならもう十分できる筈です。今は少しずつ、できる事からやっていきましょう」

 

 もし天使だったらとかいう仮定を提示されたところで想像しにくいが……ま、そういうもんか。

 

「ありがとな。ちょっと元気出た」

 

「ん、それはどうも」

 

 今のが俺を元気付けようとしての言葉なのだろうというのは流石に分かる。良くも悪くも裏表が無い、その気質は俺にとって好ましかった。

 天使なんて種族の見た目と年齢が一致するとは思えないし面と向かって歳幾つだとか訊いたこともないが、プロメスティンはその中でも見た目通り特に若い方なのだろう、というのも何となくだが見て取れる。やはり所々の言動が若々しい。

 

 精霊の森での件もあるし、思っている事をそのまま口に出すあの癖は俺が血まみれにされるリスクを増加させるため、多少の狡猾さも身に付けて欲しくないと言えば嘘になるが……

 

 そういう所も含めて、と思えばな。

 

「…………」

 

 そこでぷつりと会話が途切れる。しかし居心地の悪い沈黙ではなかった。

 二人で何とはなしに夜空を見上げる。別に美しいとまで思って見てる訳ではないけれど、この、どこまでもゆっくり流れるだけの時間がただ好きだった。

 

 どれくらいの間そうしていたのか。

 星空の下、どちらからともなく目を合わせると——俺はゆっくりと地面に手を伸ばし、手ごろな大きさの石ころを拾い上げ。

 

 

 

「そおい!!」

 

 

 

 プロメスティンと一つ頷きあい、それを遠くの茂みに向かって放り投げた。

 おいおいおい待て! 何故ここで突然の投石!? ……っと思われるだろうが、そこをちょっと見てほしい。

 

「ぎゃわんっ!?」

 

 俺が石礫をぶん投げてやったあの辺りから、何やら潰れた悲鳴のような声が聞こえはしなかっただろうか。

 

「出てくるとすりゃあそろそろだと思ってたが……おい、お前なんだろ! 出てこい!」

 

 そうして草むらからゆっくりと出てきたのは、いつか俺たちを襲ったあの時のオオカミ娘だった。

 

 そこに身を隠しているといち早く察した俺が牽制の意味を込めての先手を打ったのだ。以前のように昼間ならまだしも、満月とはいえこの真夜中に隠れる自分をいとも容易く見破られたのに驚いているらしい。オオカミ娘は狼狽した様子でこう言った。

 

「ど、どうして私がいるのに気付いたのよ……!」

 

「お前の悪名は聞いたぞ、ここら一帯で随分幅を効かせてるんだってな。またいつ出会すかも分からんお前みたいな奴に対策の一つもしてないと思うな」

 

 オオカミ娘が俺たちを狙うかもしれないと分かっていれば十分だった。こんな事もあろうかと、近くにいる獣系の魔物を自動で察知する魔法をプロメスティンに掛けてもらっていたのだ。

 ……偉そうに言ってるが、要するに他力本願じゃないかって? うん、まあ……その通りなのだが。

 

 仕方がないだろう。探知の魔法は俺にはまだ難しかったんだ。術式の仕組みを一応見せてもらったとはいえ……今の俺では何が何だか。書いてることの半分くらいしか理解できなかった。

 

 ただまあ、事のあらましを一から敵に教えてやる必要も無い。まず今から考えなくてはならないのはこの状況をいかにして切り抜けるかだ。

 

「ぐるる……」

 

「どうします? また逃げられるとも思えませんが」

 

 プロメスティンの言う通り、前と同じ手は使えない。これは相手が騙されてくれるかどうかって問題ではなく、単に俺たちが今すぐ動ける状態にないからだ。

 前回は昼休憩の撤収を丁度終えた所に襲われたが、こんな今から寝るぞという時に逃げるとなれば少なくとも荷物は持っていけなくなる。奴もそれが狙いで、あわよくば寝首でも掻こうと夜にやって来たんだろう。

 

 ……くそ。プロメスティンを無闇に戦わせたくなかったが、こうなってしまった以上は仕方がない。

 

「夜目は向こうの方が効くと思うが……いけるか? どうにか追い払うだけでもいい」

 

「あのですね、私はこれでも天使なんですよ? こんな有象無象に遅れを取るなど万に一つもありえません」

 

 そう言って気後れした様子も無く俺の前に進み出ると、外套を(なび)かせた少女はニヤリと笑って一つ確認をしてきた。

 

「それに……そろそろ魔物の解剖をしてみたいと思っていたんです。まさか貴方でもアレに遠慮しろとは言いませんよね?」

 

「うええ……?」

 

 これはまた、何と言えばいいのか返答に困ることを。そりゃあ俺らを問答無用で襲ってくる魔物を相手に情けをかけろとは言えないが……それって……

 改めて目の前のオオカミ娘を見る。ケモノっぽい印象のする部分が所々にあれど、基本的には人間の娘とあまり変わらない見た目をしている。何より言葉が通じる知性体だ。

 

 あれをぶっ殺してバラすっていう所まで想像すると、それはもう人間を相手にやっているのとほとんど変わらないんじゃないか?

 この世界に来てから家畜を絞めたり血を見たりする機会はかなり増えたが……いくら何でも、それは。

 

 だが、爛々と目を輝かせているプロメスティンにそんな事を言えるか? これも種族の問題からか、そういった問題を彼女は全く意に介していないように見える。

 要は普段やっている事と同じなのだ。トカゲや小魚でも、魔物が相手でも、その知識欲を満たしたいという思いからやっている事に何の違いがある。

 

 行いに善悪は無いだろう。その上で——識るための旅に付き合ってもらっている俺が『駄目だ』と一方的に叩き付けるのは、それはあまりにもエゴイスティックで、残酷な話ではないだろうか。

 

「……わかんねぇ」

 

「え?」

 

「いや、俺には……」

 

 縋るように呻く俺に何を思ったのか、プロメスティンは驚いたように振り返った。

 

「……どうすればいい? お前はどうするのが正解だと思う?」

 

「驚きました。貴方なら一も二もなく私を止めると思いましたが」

 

「お前にもそう見えてたんだ、やっぱ……」

 

 元々の俺なら確かに止めていた。だが科学者として理を求めるプロメスティンと旅を共にする内に、果たして倫理に盲従するだけが本当に正しいことなのか良く分からなくなってきた。

 前世で生きていた頃と比べれば俺の価値観は加速度的に変わりつつある。もはや別人に近いと言ってもいい。

 

 そんな今の俺からしても。

 この選択は何か、”決定的”というか……何らかの”訣別”を覚悟しなくてはならない事のように思えた。

 

「ま、安心してください。貴方が何か考える必要はありません」

 

「え?」

 

 しかし、プロメスティンは極めて冷静に言い放った。

 

 

「何と言おうが、貴方は私を止めることが出来ないんですから」

 

 

 いともあっけなく。

 敢えて人を突き放すような意志を、その言葉に感じた。

 

「任せて下さいよ。私が全部何とかしますから」

 

 ふっと笑いかけて敵の前に歩み寄るその背中を——俺はただ見ているだけしか出来なかった。

 

 守られている。

 彼女の意図する事はそれだと分からないほど俺は馬鹿じゃない。ある種猟奇的なまである自身の欲求を無碍に出来ないあまり苦しむ俺に向かって、全ては自分が勝手にやる事だと。 

 どうせ俺が彼女を止める事は無理なのだからと、今はまだ考えなくても良いのだと、遠回しにだが間違いなくそう言っている。

 

「あ……」

 

 待ってくれ、と手を伸ばしかけた。

 だがそれが何になる? ただ守られているだけしか出来ないのに。

 

「俺は……」

 

 俺は、無力だ。

 改めてその事実を確認し、肩を落としながら俯いた。

 

 

 


 

 

 

「……へえ、やっぱり戦えるのはアンタだけなのね」

 

「適材適所ですよ。人には向き不向きがあるもので」

 

 満月が照らす夜闇の下、二人の人外が再び対峙した。

 フードを目深に被った赤毛の少女——プロメスティンは、背後に守る連れ合いを意識に置きつつ思う。

 

(貴方にはまだ早い。その正しさはこれから先、道を求めるのにあたって邪魔にしかならない)

 

 彼女のような生まれついての”向こう側”に立つ才能が無ければ、科学者という人種は必ず何処かで自分そのもの(倫理や常識)を乗り越え続けなければならない。

 当然彼も自らが見込んだ男、いずれは自分と同じ場所に立って欲しいとも思ってはいるが……

 

(でも、少なくともそれは今じゃない)

 

 今やらなくてはならないのは目下の敵の排除、それだけだ。それ以外の事は後で考えればいい。

 戦いに意識を切り替え改めて状況を俯瞰する。このオオカミ娘は自分にとって脅威にならない、それは確かだ。だが以前『森』近辺の村で話に聞いた『狼の魔物』が彼女だった場合、それは見た目以上の何かを隠し持っているという事になる。

 

 もしその懸念が事実だった場合、こちらから手を出すのは得策ではない可能性もある。そう思い様子を見ていると……

 

「どうして私に気付けたのかは知らないけど」

 

 ニィッ、と。

 含ませるような笑みを貼り付け、弱者であるはずの魔物が言った。

 

「誰かが近くに入ってきた……それぐらいのことしか分かってないみたいね、その様子だと」

 

「……?」

 

 それが覚られてしまったからこうして追い詰められているのではないのか。にも関わらず「それぐらいのことしか」などと容易く言ってのけた彼女にプロメスティンは目を細めるが——

 

 その時だった。

 

「わッ、ぐ……!?」

 

「なっ……」

 

 くぐもったような悲鳴、そして激しい衣擦れの音が背後から聞こえた。思わず音の立った方向に振り返ると——

 

「知らなかった? 影に潜んで獲物を狩る、ふたご月の下に生まれた狼を」

 

 そこに見たのは、()()()()()()()()()()()()で羽交い締めにされた連れ合いの姿だった。口を塞がれ、必死の形相でこちらを見ているようだった。

 

「んんん……!!」

 

 声にならない声で何事かを伝えようとする青年を前に、考えるより先に体が動いていた。

 オオカミ娘に向けるはずだった攻撃の手を、謎の黒腕に向け直した瞬間。

 

「あは」

 

 ズボッ、と。

 同時に目を見開いた二人の視線が交錯する。驚きに包まれた少女と、()()を信じられない物を見るような目で愕然とする青年。

 

 体を通り抜けた”違和感”に、その少女は緩慢な動きで視線を下に向ける。そうして、見た。

 自らの胴を貫く、獣の腕を。

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