あゝ楽しんであれ、もんくえ世界津々浦々   作:点=嘘

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第12話

「きゃははははははははははは!!」

 

 なん……

 何が、起こった?

 

 危機を伝える暇も無かった。

 毛むくじゃらの腕に捕まったと思ったら、俺にプロメスティンが気を取られ——ころ、された?

 

 アタマの中が真っ白になる。ただ何も考えられないのに、心臓だけがドクドクとうるさいぐらいに鳴り響いて止まらない。

 この場に立つ音はただ一つ、オオカミ娘の哄笑(こうしょう)だけだった。

 

「よっ、よくも……」

 

「はーはははっ……あん?」

 

「よくも、プロメスティンを……」

 

 なんなんだ。

 俺は今、一体どういう顔をしているんだ。

 

 旅を続けられなくなった事への絶望? 俺なんかに付き合ったせいで死んだ仲間への負い目? 一気につぎ込まれた感情の波がぐちゃぐちゃに押し寄せて、自分ですら何を感じているかがはっきりしない。

 

 ただ、ただ一つだけ……はっきりしている事がある。

 

 俺は今、生まれて初めて——

 本気で人を殺したいと思っている。

 

「いいわねぇ、その憎らしくって仕方がないって目」

 

「黙れ……」

 

「うふっ。あんたの小ざっぱりした真面目な顔は快楽で歪めてやろうって思ってたんだけど……これはこれで興奮するわぁ」

 

 怒りと憎しみが()い交ぜになって渦巻いている。こっちだって相手を殺そうとしていたとか、魔物だって生きるためにやっている事なんだ、とか。以前までなら心の奥底で引っかかっていた”敵を弁護するための理屈”が跡形もなく吹き飛んでいくのを感じる。

 

 こいつが、憎い。

 殺、さなきゃ……

 

「があああ……!!」

 

「あははっ。目の端に涙まで浮かべちゃってぇ、かーわいそー。コオミちゃーん? 久しぶりの上物よ、しっかり捕まえててねーん?」

 

 嘲るように笑いながら近づいてくるオオカミ娘を前に俺は何もできない。俺の後ろにいる誰かが一層強く絞めてきて、身動き一つ取れないからだ。

 

「ふふ……そうだ、この女の死体の前であんたを犯すってのはどう? こんなに唆るシチュって中々ないと思わなぁい?」

 

「くそ、くそっ……!!」

 

 俺に……俺に、力があれば。

 力が、あれば……

 

 

 

 

 

「そろそろ動きますよ」

 

 

 

 

 彼女の体を貫くオオカミの腕を。

 その時、誰かが掴んだ。

 

「は?」

 

「え——」

 

 ズァオッッ!!! と。

 夜闇に慣れた目が眩むほどの聖なる光が、月の魔物を吹き飛ばした。

 

 

 


 

 

 

 事態は混沌の様相を呈していた。

 胸を貫かれたはずのプロメスティンは何事もなかったかのようにそこに立ち、憎しみに身を焼かれていた青年はあまりの出来事に大口を開けつつ、背中に張り付くもう一人の敵の体が強張るのを感じていた。

 

「あ、がぐっ……」

 

「まったく、やってくれたものですね」

 

 白煙を上げつつ仰向けに倒れる狼の魔物は何が起こったかも分からないまま、苦しげに呻くことしかできなかった。

 そうして誰の思考をも置き去りに盤面をひっくり返した外套の少女は、場の中心でため息と共に呟いた。

 

「『むしろ後ろにいた俺の方が危なくなってたかもしれない』……でしたっけ。まさにその通りになるとは、つくづく自分の駆け引きの下手さが嫌になります」

 

「なん、で……?」

 

「ただまぁ、死んだふりをしながら観察した甲斐はありました。——まさか()()()()()()()()()

 

 同時、自分に巻き付く両腕が咄嗟に離れようとする気配を青年が感じた時——間一髪だった。

 プロメスティンがサッと片手を薙いだ瞬間、青年の右頬を掠めるような軌道で光の槍が駆け抜けた。

 

「…………ッ!!」

 

 そのまま呆けていれば重傷を負っていたであろう二人目の敵は焦燥しながらも俊敏な動きで離脱した。これはその場凌ぎとしては正しい行動だったが——後に続くとまでは限らない。

 

「よくよく考えれば……貴女達は彼を陵辱することそのものが目的なのであって、その場で殺すことはないんでしたね。魔物との戦いというのも人質を意識しなくていいだけ意外と楽かもしれません」

 

 この時、身を守る為に最適だった男の身柄を何の考えもなく手放してしまったのは明らかな失策だった。

 そして。長らくこの地の魔物を惑わせてきたオオカミ娘の()()()()——影の獣の秘された姿が、満月に照らされ徐々に明るみとなっていく。四足を地に着け毛を逆立たせ、威嚇するように唸りを上げた。

 

 

「姉妹……いえ、双子ですか?」

 

「うぐるる……」

 

 

 そこに居たのは——二人が目にしてきたオオカミ娘と瓜二つ、僅かに気弱そうな目元と羽根付きの首飾りだけが容姿で異なる——もう一匹のオオカミ娘だった。

 

「!」

 

 その姿を見られた事に彼女は動揺したが、次の瞬間。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「種族の特質ではない。つまり”魔法”……!」

 

 警戒を顕に、しかし隠しきれない好奇心をも爛々と目に浮かべ、プロメスティンは青年と入れ替わるように対峙する。

 そんな中。

 未知の現象を発露する(えもの)に魅せられ、吸い寄せられるように歩みを寄せる少女の背中に、ふと理性の色が宿るのを青年は感じた。

 

「依然問題は無し、ですが……心配を掛けたようですね。ごめんなさい」

 

 未だ心神の喪失から立ち直れずにいる彼へ、背を向けながらも謝意と安堵を伝えるように。

 二度と叶わないと思っていた、しかし何よりも望んでいた言葉を投げかけた。

 

「これが終わったら——また話しましょう」

 

 

 


 

 

 

 月明かりに満ちた舞台に向かい合う二人——その内の一人、もはや狩る側としての立場を確かにしつつあるプロメスティンが呟いた。

 

「ふたご月の狼、ですか」

 

 地上の狼族にそのような寓話……あるいは伝承が伝わっていると、彼女は天界の書物で読んだことがあった。

 古き血を尊ぶ魔物の一族には、往々にして”事実”を基にした御伽噺が語り継がれる事がある。聖魔大戦などにおいて強力な妖魔が振るった力の一端を言い伝え敬う——狼の一族にもそういった文化があったのだろう。

 

 魔物が魔法を作り出す際の手段の一つとして——そういった一族に伝わる過去の寓話などを基に形を作る、という方法がある。

 過去自らの一族が振るった力であれば手に入れられない道理は無い、という観点から、術式の作成法としては理に適った手段とされている。

 

「それにしても目を見張るべきは”使い方”……息の合う双子だからこそ、でしょうか? 種が割れれば何という事もない術を巧みに操り格上を狩れてきた。興味深いですね」

 

 かくいう私でさえ、この体が無くしては負けていたのですから。

 そこまで語ったプロメスティンは——目元に暗い陰を落とし、粘度の高い笑みを浮かべる。

 

「しかし幸運、と言うべきでしょうか」

 

 どこまで行っても彼女は”科学者”。

 その概念を知らぬ野生と言えど——魔物は、本質を悪寒で理解した。

 

 

 

「思いも掛けず、(ひら)けるカラダが二つに増えて……♪」

 

 

 

「…………ッッ!!」

 

 ずぞっ、と咄嗟に影へ潜り込もうとした狼だったが——パチン、と。

 少女が指を一つ鳴らす音と同時、地に沈みつつあった体は瞬時に浮き上がった。

 

「その一、潜む影が消えれば効果を失う」

 

 慌てて周囲を見回せば、先程まで確かに点いていた()()()()()()()()()()()()

 何かしたのか——と思う間もなく、プロメスティンの暴くような視線と指摘が止まらない。

 

「ニ、夜闇に潜り込むことは不可能。三、入り口となる影にはある程度大きさが必要……?」

 

 それは、戦闘の場にしてはあまりにも楽しげな声色だった。

 まるで敵を害する事そのものではなく、完璧なスコアを求めて謎を解き明かす事を目的としているような——言ってしまえば、謎解きの妙を楽しんでいるかのようだった。

 

「種の割れない仕掛けを解くには、縛りを一つずつ場に挙げるのが定石ですが」

 

 刺しても死なない。容易くこちらを害し得る。そんな存在が自分の奥の手を実に楽しそうに解体していく様を見て、その魔物は今にも恐怖に息を詰まらせつつあった。

 

「そういうの、得意ですから。私」

 

 言うが早いか、プロメスティンは片手を掲げ聖なる光を放出する。魔物を焼く聖エネルギーを込めた天使の技だが……

 

「……?」

 

 両者が視界を失う一瞬の隙に、オオカミ娘の姿は掻き消えていた。

 

(光で引き伸ばされた影に飛び込んだ……? 火の消えた焚き火跡程度の物陰にでも相乗りしたと)

 

 冷静に分析しつつ”後ろ”に振り返る——すると、()()()()()()()()()()()()()と目が合った。

 

(やはり)

 

 繋がりを持たない影から影へ瞬時に飛び移る能力——しかし、それを知らないはずのプロメスティンが一発で移動先を当ててみせた事にオオカミ娘はぎょっと目を見開いた。

 驚異的な処理速度で術の概形と敵の思考を把握しつつある彼女にとって、最早それを読み切るぐらいの事は造作も無くなっていたのだ。

 

(四、夜闇は無理でも月明かりから浮き出た影には潜める。五、一連の現象は何らかの魔道具に依存して発動している)

 

 暴く、暴く。

 ともすれば使用者本人さえ意識していないような仕様さえ読み解いていく。表面上の効果を並べるだけでもキリが無い。

 泡を食ったように逃げ出す敵の背中に光の槍を撃ち込みながらも思考は止まらない。鎖骨を砕き貫いたらしく——耳を塞ぎたくなるような悲鳴と鮮血が撒き散らされるが、余計な情報は意にも介されない。

 

(六、離れた影までの距離が長すぎると飛び移れない。……っと、いけませんね。どこに向かっているのかと思えば、私の後ろには彼がいるんでした)

 

 過ぎた思考の速さは分析にこそ役立つものの、注意力が散漫になっていては戦いに向いているとは言い難い。

 こうして周りが見えなくなるのは悪い癖だ。いくら相手が魔物とはいえ、命の危機とみれば男を人質に取るぐらいの事はやりかねない。ただ……

 

「お、ねえ、ちゃん……」

 

 地べたに倒れ込み、這いずってもう一匹の魔物に手を伸ばすだけしかできないこの様子では一先ず彼へと危害が及ぶ可能性は無いと見ていいだろう。

 無力化した敵を早々に意識から外しつつ、それより彼女には気になる事があった。

 

「この首飾り、なるほど……」

 

 何かの骨と真っ黒な羽根をあしらった美しい首飾り。先程の攻撃で紐が千切れたのか、オオカミ娘が付けていたそれがはらりと足元に散らばっていた。

 

「濡れ羽(からす)の尾羽根。ふむ……生まれつきの能力ではない。これが貴女にとっての”杖”ですか」

 

 このような品をどうやって手に入れたかは興味があるが、今重要なのはそこではない。つまりこの魔道具を失ったことで、唯一警戒に値する影の魔法を敵が行使することは不可能になった。

 

「あっけないものですね、終わってみれば」

 

 

 


 

 

 

「終わっ、た……?」

 

 茫然。膝を突き、外から戦いを見ていた彼はその実、その内容は殆ど頭に入ってきてなどいなかった。あるのは言葉にできない複雑な思いだけ。

 

 複雑、そして窒息しそうなほど重たい情念。

 だからだろうか。

 

 

 

 背後に立つ存在に、彼が遅れて気が付いたのは。

 

 

 

「…………ッ!?」

 

 両手をだらりとぶら下げ、意識が明瞭であるかどうかも怪しい顔は白目を剥いている。だがそれでも、立っていた。

 

 小刻みに震えながらも歯を食いしばり、立っていた。鬼気迫る意志の波を肌に感じると同時——ぎょろり、視線がこちらを向いた。

 

「ぐがああああァァァっっ!!!」

 

 じわっ、という熱い衝撃。灼熱の痛みが背骨を伝う。

 人間のそれとはわけが違う噛みつきを、しかし咄嗟に左腕で受けられたのは幸いだった。——そう思わざるを得ないほどに傷は深く、口の中は溢れんばかりの生温い血液で満たされていった。

 

「なっ……」

 

 ただえさえ真夜中の出来事、視界の悪さにプロメスティンの反応も一瞬遅れる。

 

(——射程距離外! 間に合いますか……!?)

 

 聖光波は論外として、光の槍もこの距離では揉み合う二人のどちらに当たるか分からない。即座に走り出すが、追い詰められた獣が無力な人間を噛み殺せるだけの時間はある。

 

「ぐるあッ!!」

 

 牙が食い込む。太い血管が千切れ、びしゃびしゃと辺りの草地に赤い体液が撒き散らされる。

 出血の喪失感。肉を引き裂く激痛。

 

 だが。

 それでも。

 

「ぐっ……がぁ……?」

 

 押し返す力があった。

 

 鋭い爪を備えた両腕で肩を掴まれ、今にも押し潰されそうな体であっても——傷付いた左腕を、むしろ口内に押し込むように。

 

 体は動いた。()()()()()()()。以前までなら抵抗する気さえ起きなかっただろうが、今や痛みには慣れつつあった。

 体を引き裂く刺突の痛みには、既に。

 

「……………ぉ、おお」

 

 むしろ苦痛は目の覚めるような危機感を煽り、つんと鼻の奥にひり付くような警鐘を脳内で消魂(けたたま)しくも鳴らし、鬱屈、停滞しつつあった思考を綺麗さっぱり洗い流してみせた。

 ならば”今”の、彼は一体何を思うのだろうか?

 何に染め上げられているというのだろうか?

 

「おお…………」

 

 敵をそのまま引き倒し、一方で暗中をまさぐる利き腕はただ一つの目的のためだけに動かされていた。

 抵抗は弱い。どうやらプロメスティンは仕損じた訳ではないようだ。白煙を上げる体は見た目以上にダメージを受けており、もはや気力のみで動いていたようなものだった。今なら、力で、抑え込める。

 

 ただ、青年が()()()()()()()()()()()——察した狼も無抵抗でいるはずがない。

 激しく暴れ、腕から我が牙を抜き、自らに覆い被さる男により多くの傷を与え、より多くの血液を奪い去り、弱らせようと必死にもがく。胸元を裂いた。肩に丸ごと食らいつき、噛み砕いた。ゴリゴリと硬質な音が口いっぱいに広がった。

 

 それでも決して、止まらなかった。

 

 彼が今動き続ける訳、とは。

 大切な仲間が殺されたという、既に払拭された事実である理由、過程さえ飛び越して——切迫した意識に残されていたのはただ一つ。

 たった今、染め上げられたのではない。

 最初から染め上げられていた、その感情(おもい)に従っているだけだった。

 

 果たして利き腕は探り当てる。

 鋭く鋭く尖ったナイフ。

 

 それは既に、彼の中で最もシンプルな殺意の象徴と成り果てていた。手に取った理由はたったそれだけだった。

 それ以外には、何もない。

 

「お、おッおッ、ご、ああああああがあああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 しかる後——

 青年は、”訣別”を喉に押し込んだ。





人殺し。

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