「落ち着きましたか?」
「……ああ」
ひとしきり泣いてスッキリした……って言うほど単純なつもりは無いが、いくらか楽にはなった。
「悪いな、かっこ悪いとこ見せちまって……」
「いいんですよ。あんな事があった後なんですから」
ぐっ、こういう事で後から弄ってくるような奴じゃないとは思うが……できる限り弱みを見せたくない類の相手っていうのは確かだ。どうしてこんな事になったんだか。
「……ん?」
改めてあの夜の事を思い返すと、そういえば腑に落ちていない事がまだ一つあった。
最初に二匹目の魔物が出てきたあの時、俺は本当にプロメスティンが殺されたかと思った。もろに胴体が貫かれているのを間近で見たんだから当然なんだが、あれは一体どうやったんだろう。
「ああ、その事なんですけど……」
疑問に思って問い詰めると——プロメスティンは気まずそうに目を逸らしたかと思えば、背後にある荷車の持ち手の先を掌で覆った。
「はあっ……!?」
その直後、俺は我が目を疑った。
ずぶ、ずぶりと、その持ち手が手の甲に沈み込んで——貫いてしまったのだ。
「実を言うと、天使の肉体は地上の物体をすり抜けられるんです。こちらから触ろうとすれば話は別なんですけどね……」
「はぁ……??」
なん、なんッだその、そりゃあ……。
いやしかし、なら道理で……今まで誰かと戦ったこともない癖して妙に自信たっぷりで魔物に立ち向かってったのにも説明がつくが……だってそりゃ、いや、ええ……?
「む、無法が過ぎるだろ。何なんだよその天使とかいう生き物……いやちょっと待て。そんな重要な事をなんでお前黙ってたんだ?」
「うっ」
そうだよ、考えてみりゃ不自然だろうが。それが分かってれば俺だってあんなに気を揉むような事は無かったってのに。
幾ら考えても秘密にしとく理由は無いはずだ。どういうつもりだったんだ?
「いえ、その……貴方があまり私を心配してくれてるので……」
「あ……?」
「なかなか……はい、『私は無敵なので大丈夫ですよ』とかはっきり言い出せなくてですね……ちょっ、痛い痛い!?」
「お前なぁ……! 俺がどんだけ、この、心配したと、思ってんだよ!」
こんのコミュ障が……!! てめぇ、もう一生心配なんかしてやんねーぞ、これからの戦闘はぜんぶ矢面に立たせてやるからな……!?
クソくだんねー理由で恥をかかせやがった罰を脳天にぐりぐり与えていると、急に抵抗がするりと消え去った。
「……っと、こんな風にすり抜けられる訳なんです」
「げっ、き……気持ち悪っ!?」
うおお、俺の腕が……頭に丸ごと入り込んで、これは……視覚の暴力だな……。
…………………………。
「ちょ、ちょっと? そのままだと流石に落ち着かないんですが……」
「……いや、中で握ったり開いたりしてるんだが、マジで感触とか無いのな。どうなってんだこれ?」
「あの、やっぱり行動が私っぽくなってません?」
言われてハッと気がつく。
人の頭ん中に手を突っ込んでまずやる事って……普通は引っ込めるとか……あ……?
「ち、ち、ちげぇよ! 確かにちょっと『興味深い』とか……思ったりしたけど……!」
「わかりますわかります。実を言うと天使の肉体って自分の事ながら宝の山みたいなものだと思うんですよね。いつかは徹底的に調べて上げてみたいものです……」
それからしばらく休み、日が中天にかかった頃。
傷も癒えかかっている事もあり、物資に余裕のない俺らは早々に場を発っていた。痛まなくはないし具合もあまり良くないが、あの一件があったその場でじっとしているのも落ち着かない。きっとこれで良かったんだろう。
「…………」
「……あの、やっぱり交代した方が……」
随分と軽くなった鞄を肩に掛けるプロメスティンがそう言うが、これについては譲る気は無かった。
俺は今、あの遺体を積んだ荷車を引いている。
「いや、いいんだ……」
ほぼ人間の娘一人分、おおよそ40〜50kgといった所だろうか。何にせよ、そのまま背負ったりするならともかく車に乗せて運ぶ分には重さだけなら大した事はない。
だけど……この重さには、同じだけの積荷のそれよりも大きな意味がある。
いや、俺だけは。
他でもない俺の中でだけは、その意味が大きくなきゃいけない。
「俺は、この重さをまだ背負っていたい。せめて、それすら消え去っちまう時までは……」
「そう、ですか」
こうして触れ合うことで、より実感できる事がある。
荷車越しに伝わる、肉と板がゴトゴトとぶつかり合うような感触。直接触れずとも生温かささえ感じられるような質感。
当然、気分の良いものではない。あるはずが無い。だけど……。
「なあ」
「はい?」
「こいつの解剖、俺も立ち合わせてくれないか」
「……無理はしてないでしょうね? 今までとは比べものにならないほど大掛かりな作業になるのは勿論ですし、それに……」
「大丈夫。何より……今のお前よりは生き物の中身ってやつに詳しい自信もある。役には立ってみせるさ」
蘭書に出会う前の杉田玄白ほどの知識も無いであろうプロメスティンだけならいきなりの人体は相当
魔物の中身が人間とほぼ同じだとすると、前世知識でどんな内臓がどこに収まってるかぐらいは知っている俺が最初からいるといないじゃかなり違ってくるだろう。少なくともそれは確かだ。
「それにお前、まさか今まで通りナイフ一本でまるごとバラすつもりじゃないだろうな。こういう時は先人の知恵を借りてだな、思いつく限りでもメス、トレー、鉗子にピンセット……感染症が怖いな、マスクに手袋もどうにか作らないと……」
「あの、毎度のことながらそういう知識はどこから来るんです? そろそろ教えてくれてもよくないですか?」
……あ、まずい。不用意に口走りすぎた。
基本的に『旅人』関連の種明かしを誰かにするつもりは無い。今のところ墓場まで持ってく予定の秘密ということにしている。明らかに嘘と分かる下手な言い訳とはいえ、ここまで”知らないはずの知識”について仄めかしただけでも最大限の譲歩なぐらいだ。
こればっかりは信頼どうこうの話でもない。なんというか、その事実そのものが異様すぎて我ながら気持ち悪いって思ってるぐらいだ。明かすってこと自体がなんか生理的に受け付けない。
この世界で生きていく上でのルール、基本原則、そんなものだ。大なり小なり誰にだってそういう物はあると思うし、俺も後ろめたいとまでは思わない。プロメスティンには申し訳ないが諦めてもらうしかないだろう。
「ああいや、小さい頃になんか色々知ってる旅人に教えてもらってさぁ……」
「いや、いいですよそれはもう……ぜったい嘘でしょう……」
「うん、まあ、嘘なんだけど……」
いつまで押し通せるかな、この話……。
◼️◼️◼️
その後。
精霊の森に入る直前に立ち寄ったあの村にて。長老に「狼の魔物の件は解決した」とだけ伝え、離れの小屋を借り受けた。
そして数ヶ月後——俺たちはようやく、彼女の解剖を終えた。
天才のプロメスティンはともかく、俺みたいな素人が魔物の体を切り開いて見た所で何かしらの知見を得られたかっていうと……正直微妙だが、にしても余りに神経を使う仕事が続いた。もう暫くは何も考えたくない。
「あ゛あ〜……」
ひとまず一人で小屋を出て、マスクを口から下げつつ思うさま外の空気を吸う。
あちこち血で汚れた手袋と纏いつく死臭は拭いようもないが、やはり青空の下は安心する。ひどく疲れ切っていたこともあり、だらだら流れる汗はそのままにへたりと座り込んでしまった。
「…………」
大きな仕事を終えて奇妙な達成感に包まれると同時、やはりチラつくのは数々の感覚。
この手で改めて肉を切り開く感触というのもそうだし、それを細かくバラしていく過程、濃密な
ついさっき見た
「ヤニが吸いてぇ……」
猛烈にタバコが吸いたい気分だ。口寂しすぎる。前世でもそこまで好きとかだった訳じゃないんだが、なんかもう、こういう時は無性に恋しくなってくる。
まあ、無い物ねだりをしても仕方がないしな。いちいち拘泥せずぼうっと空を眺めていると、少しして後ろの戸が開いた。
「終わりました。アレは裏庭にまとめて埋めておきましたよ」
「お疲れ」
なんでもかんでもすり抜けられるらしいプロメスティンは俺と違って綺麗なもんだ。はたしてマスクや手袋なんてする必要あったのか……その辺も今後明らかになっていくかもしれんな。こいつにかかれば。
「ふあ〜あ、何にしても、疲れた。眠い……」
「お疲れ様です。ほら、ここで寝る前に体を洗わないといけないでしょう? それにお昼もまだでしょうし」
言われてしぶしぶ起き上がる。始めたばかりの頃は飯なんて食えるかバカ野郎って感じだったが、流石に今はそれほどではない。
「んーぐっ……はぁ。……それで? 終わってみてどうだった? 有意義な時間だったら良いんだが」
大きくひと伸び。この数ヶ月一緒に作業してきたぐらいだ、それは自明というやつだったが、話のタネに改めて聞いてみた。
「それはもう! これで中型生物の内臓配列に明確なイメージが持てただけでなく、魔物特有の魔力回路、本格的な切開技術の習得、その他様々な自説の裏付けも取れたこの解剖実験……有意義と言わずして何としましょうか!」
横を歩きながら熱心に語るプロメスティンは、続いて少し俯いてこう呟いた。
「ですが、やはり貴方がいてくれた事が大きいです。事前に出してくれた案や知識を前提にしていなければ、恐らく今回の半分も物事を理解できていなかったでしょう」
「そりゃあ……よかった。立ち会った甲斐があったよ」
「ええ、本当にありがとうございました」
ぺこりと頭を下げてくる白衣の少女を俺は微妙な気分で眺める。俺が出した知識と言うが、要は他人の褌で相撲を取ってるようなもんだ。そこん所は相手も何となく理解しているだろうとはいえ、こうまで言われるとな。
……いや、今更そんな事を気にするのは止めよう。それでこうして役に立てるなら関係ない。
そうして、いずれは俺自身の力でこいつを少しずつ助けてやれるようになればいいんだ。それが本当に出来るかどうかはこれからの俺に掛かっている。……まあ、ゆっくりやっていこう。
「さて、次はどう動くかだけど……ここからゴルド火山に向かう途中で一旦ヨロギに立ち寄るんだよな?」
「ええ、それといい加減に杖の問題もどうにかしませんとね」
思わぬ足止めを食らって忘れかけていたが、精霊の森で手に入れた魔法の枝は未だにそのままになっている。例の保存魔法で新鮮な状態を保っているとはいえ、当然あれを杖に加工する必要もある。
「木工はそこまで得意じゃないんだが……どうにかなりそうってアテはある。万が一にも失敗できない事だし、あいつらにでも頼んでみるかぁ」
少しずつ、少しずつ風向きが変わっている。
それが善かれ悪しかれ、俺たちは確実に前へ進んでいる。
こうして色々な事があったが、旅はついに折り返し——故郷に帰る時がやって来た。