パチパチと、静かな暗闇に音が鳴る。
「うぅん」
耳に残る鮮やかな音は故郷でも幾度となく聞いたことがあるもの。不思議と心を落ち着かせるもの。
鼻先にあたる仄かな熱に微睡みながら、ぼやけて凝り固まった思考を溶かすようにあたしはゆっくりと目を覚ます。
「ここ、は……」
いつからこうして眠っていたのか分からない。なんだっけ、すっごく最近にもちょうど同じことがあった気がするような。
あの時は、そうだ。あれはエリックのやつにまんまと気絶させられて……
「はっ」
意識が急速に浮上する。
咄嗟に飛び起きようとしたけど後ろ手に縄のようなもので縛られているのかうまく動けない。変な姿勢で体を伸ばしたせいで少し痛い……って、そんなこと考えてる場合じゃない!
若干涙目になりながらも目を開けると……何だここは、洞窟の中? それに、
岩の天井に覆われた真っ暗な空間を薄く照らしているのは石を積み上げて造られた、家の部屋一つ分ほどの大きさもある円型の炉。
初めて見るような型の金床、一見しただけで頑丈さの窺える金槌、積み上げられた鉄の延べ板……そして、それら全てが霞んでしまう程に存在感を放つ大量の
そしてその全てが、剣。
直剣であったり曲刀であったり。視るだけで背筋が震えるほどの重厚感を放つ武骨な大剣、思わず溜息が漏れるような美しい装飾のレイピア、果てはあたしが見たこともないような……よく分からないグネグネと波打つ細身の刃を持つものであったり。
空間をずらりと囲む剣、剣、剣——それも「ついで」とばかりに立て掛けられているあたしの戦鎚が恥ずかしく見えるほど、その一振り一振りがとんでもない業物だというのが素人の目にも明らかに映るほどだった。
一周回って呆れ返るような光景に”開いた口が塞がらない”を体現しているところに——
「おっと! もう目が覚めたかのう、お早うな」
まあ、そうだよな。あたしはこの人に攫われたんだった。見上げるだけでも首が痛くなるほどの大きさの竜人さんが、膝に手を当てながらこちらをずいと覗き込んでいた。
たしかエリックに「女王」と、そう呼ばれていた彼女はおそらくクィーンドラゴンで間違いないだろう。エリックの中にいるサラマンダーを何かの理由で連れ戻すために殺すと言っていた、そのための人質か何かにされてしまったみたいだ。
……最悪だ。無理に付いてきたからこうして足を引っ張っている。案の定、じゃないか。せめて邪魔にはならないと決めてここまで来たはずなのに。
……だけど、本当にそうなのか? つまり、あのエリックは私なんかを助けにこの竜の女王とわざわざ戦いに来たりするのだろうか。
あまり考えたくない事だけど、もしかしたら……
……その『もしかしたら』は何だ? 私は一体何を恐れている。私を助けるためにエリックが殺されるかもしれないこと?
それなら良い。それなら何の問題もない。今のアイツが足枷にしかならない私なんかを助けるなんて万に一つも無いと思うけど、それを「いけない」と思うことには何の疑問も挟まなくていいから。
けど。だけど……まさか私は。
……違う。そんなのを期待して私はここまで来たんじゃない。間違ったってそんな事を考えちゃいけないんだ。
「ちょびりと具合が悪そじゃな。顔が青いぞ、娘っ子。……おーい、聞こえておるかのう? 儂がいること忘れてないか?」
頭に浮かんだ嫌な感覚を何とか追い出す。そうだ、今はどうにかしてここから逃げ出す方法を考えないと。
目の前でぱたぱたと手を振ってくるクィーンドラゴンを睨み付けながら状況を打開しようと必死に頭を働かせようとしていると——
「いいか、心して聞いてくれ」
そんな決心を無にするような。次の彼女の言葉は、どうしようもなく私から逃げるための思考を奪い去っていった──…
「お前さんには権利がある。これより儂はあのドワーフの町について知る限りすべてのことを教え聞かせることじゃろう。その結果として何が起こり得るか、何を選択すべきであるのか……訪れたる時が我らを導くまでの間、ゆっくりと考えておくがよい」
◼️◼️◼️
「むにゃ……」
滅多に聞けない猫みたいな寝起き声をあげながら目を擦るプロメスティンが”丸まり状態”から起き出すのを、俺は何とも言えない思いで少し遠くから眺めていた。
「もう陽が高いぞ、いい加減に目ぇ覚ませ」
「ふぁ……おはよございます……」
「即決で二度寝に走ろうとするのは結構なんだが、その前に少しでいいからこっちの方に目だけ向けてくれないか」
「……?」
寝返りがてら俺の声がする方向をぼやけた瞳に映した直後——もうちょい早くやってくれねえかな、その反応。
仰向けに上体を起こした姿勢で寄り掛かる俺の体を立ち膝で支えるエリックが、
流石に只事じゃないと察したのだろう、びくりと背筋を震わせたプロメスティンは酔いも眠気も飛んだ顔で慎重に言葉を紡ごうとしているようだった。
「……どういう状況です、これは」
「知らん。俺が起きた時からこうだった……一応そこから動かないでくれ。下手すりゃこの首から上が馬鹿の握力でもぎ取れちまうかスカスカの黒っぽい炭になるか、いずれにせよ愉快な事にはならなさそうだからさ」
だってこいつ何も喋らねえんだもん。俺達に明確に敵意を向けてるのは間違いなさそうだが……まあ、思い当たる節はある。恐らく何らかの理由であの『秘密』が知られたとしか……
「どういう気分だった?」
「っ……」
ここで初めてエリックが口を開く。俺にではなくプロメスティンに対してだ。
「あの”ドウェルガ”がどういう土地かを知っていながら正体を黙ってるってのは……なあ天使、どういう気分だ?」
「……なるほど、凡そ理解できました。私達を眠らせた間に竜の女王は随分と引っ掻き回していったようですね」
自己嫌悪の顔だな、あれは。やっぱり一度ならず二度までも酔っ払って隙を見せたってのはプロメスティンにとってかなりバツが悪い失態らしい。
……にしてもこいつが天使だとバレた所までは予想できてた事だが、それは今はどこにもいないあの馬鹿にデカい竜人と何か関係があるのだろうか。
「その手を離しなさい、エリック。彼は何も悪くありません。それに、大事なことを黙っているのは私達に限った話ではないでしょう」
「…………」
ん?
ここで黙るのか? 人質を取れてる以上「うるさい質問してるのはこっちださっさと答えろ」ぐらい言える立場にあるはずだし、「知ってて黙ってたならこの男も同罪だろうが」とかは実際ぐうの音も出ない正論だ。
近い将来故郷が天使に滅ぼされる男に黙って天使を護衛させる。改めて考えれば、それは明るみに出た時点で憎まれても殺されても仕方がないほどの残酷な所業だ。エリックという男を虚仮にし、嘲笑っていると思われても仕方がない。それを俺は自覚していながら黙っていた。
なのに何も言えない。いや、言わないのか?
そうなると……俺たちの秘密の一つがただバレた、ってほど事はそう単純でもないのかもしれないな。
「マクニアが、攫われた」
「えっ?」
「あの女王はお前たち全員を確かに見逃してやると言っていた。だがオレは……分かっているだろう、天使どもにオレたちは殺される。そうなる前に女王はサラマンダーを”ドウェルガ”から取り戻すつもりだと言っていた。そして全てに決着を付けるために人質を取った……」
……なるほど、道理でマクニアの姿が見えないと思ったらそんな事があったのか。
「まずは一つ教えろ。お前の言葉をそのまま信じる訳じゃないが……天界は敵に回った四大精霊を、サラマンダーをどう扱う気でいる」
「……今さら神罰を恐れるような身ではないにせよ、あちらの情報を無闇に他所へと流す愚は軽々に冒しかねますがね」
俺の首に掛かる力が強まったのを見て、ため息を吐きながらプロメスティンは語る。
「貴方とサラマンダーの存在が”ドウェルガ”を攻めあぐねる要因の一つになっているのは確かです。もちろんその武力を論じているのではありませんよ? 四大精霊が消滅することで招くであろう事態を収める手段を我々は未だ確立していない……静観の姿勢はしばらく続く、といったところでしょう。
「…………」
「クィーンドラゴンの懸念は尤も。いつ上が痺れを切らして戦争——という名の虐殺、の準備を始めるかも分からない状況でサラマンダーを取り返したくなるというのは当然の帰結でしょうね」
「……実際に聞いても『馬鹿げてる』としか思えない。それだけ派手に手を出せば魔王軍との全面戦争になるぞ。天界に勝ちを確信できるだけの力があるのか?」
「残念ながらドウェルガ創立時の”密約”を天界は既に把握しています。決して動く事が無いと分かっている権威など役に立たないでしょう」
「チッ……」
二人の言ってる事の中には初めて聞いた情報も多少あるが、俺も流石にそれほどの馬鹿じゃない。現状の理解は大体できた、と思う。
それと同時に思ったのは「エリックがどういうを選択するのか」、という事だ。
今、こいつは数多くの事柄を選び取る立場にある。プロメスティンと敵対して俺を殺す道を選ぶのか否か、マクニアを見捨てて逃げ帰るのか否か……
「だからどうした」
───そう、だからどうしたって話だよ。それで俺のやることが何か変わったりはしない。今から俺の言うべきことは既に分かり切っているんだ。
特にエリックが人質を見捨てるかどうかなんて
「さっさと行こうぜ。仲間を助けに行かない理由を考えるなんて無駄な時間を過ごすほど俺は暇な人生を送れそうにないんだ」
「……何を言ってんだ? 天使の片棒を担いでる輩の言葉をオレが信用できるとでも思ってるのか?」
「思えないし、思わない。黙っていた事がいくつかあるのは謝るよ。その上で俺は『俺たちの言葉に嘘はない』って主張するだけしかできない……けどな、どの道こうしてたって結果は変わらないだろ」
俺の記憶がイカれてなけりゃだ、エリック。お前達は大概詰んでいる自分達の状況を把握していながら取引相手の俺たちに何を頼んだ? よりにもよって「マクニアを匿ってくれ」だぞ。おまけに魔王の力で天界を退けるまで、なんて全部知ってる側からすりゃ馬鹿らしいような嘘を吐いてまでだ。
どれだけ幼馴染を危険から遠ざけるために外面を取り繕おうと、余所者に弱みを見せないように振る舞っていようと。あいつを逃がしたいっていうその気持ち、それだけはお前達二人が嘘で隠し切れない本音の部分である筈なんだ。
「お前は絶対マクニアを助けに行くよ。……でもその後は? 俺達と敵対した後、天界が攻めてくる前にマクニアを守れるだけの力と考え持った人間があの町を訪れる奇跡でも期待するのか? 魔王の意向に背いてまで見ず知らずのドワーフを助けようとする魔族がなけなしの勇気振り絞って願い出てくるとでも思ってんのか?」
「……だからオレが、故郷を天使に焼かれるこのオレが。今ここで天使とよろしくやってるイカれ野郎を始末しないで見逃すとでも思っているのか?」
「仮に信じられなくても乗る価値のある『賭け』だと言ってんだ! ……どうせこれ以上悪くなるような状態はスデに通り越している。なあ、どのみち借金を返せないなら踏み倒す覚悟ぐらいしてみろよ。ここは無難な『降り』に流れる場面じゃない、それぐらいテメェはとっくに理解してるだろうが!!」
静寂が、無人の荒野に果てしなく満ちる。
自分の心臓の音が痛い。毎回思うが、俺はこんな死ぬか生きるかの時に啖呵切ったりなんて性に合わない真似をするのは本当は御免なんだ。
何を言ってもエリックが俺を殺す可能性が無いと確信はできない。こいつらの不明瞭だった”優先順位”も少しずつは分かっては来たものの、
だけど俺のやる事は何も変わったりしない。
変える必要もないことだ。
「お前に必要なのは俺達の弁明でも、ましてや
「……何だ、お前は何なんだよ! こっちの事情なんて関係ないお前にどうしてそこまでの事が言える!?」
「言っただろ、こんな所でてめーにカッコよく死なれちゃ困るって」
「っ……!」
「これからやる事は絶対に無駄になんてならない。あの町には『まだ』お前が必要だ。……先に終わりが見えているから何だってんだ、それは
目の前で仲間に死なれるのは沢山なんだよ、ちくしょう。二度と
「……くっ」
短い沈黙の後、苦しげに呻くような声を吐き捨てた次の瞬間。
エリックは、俺の首に掛けていた手をだらりと下ろした。
俺はそのまま動かずに空を見上げたまま。いったい何分ぐらい経った頃だろう。ゆっくり後ろを振り返った先にいたエリックは、近くの岩場に腰を下ろしたまま頭を抱えて深く俯いていた。その表情は窺い知れない。
ほんの一瞬。エリックは俺のことを庇うように自分との間に割り込んできていたプロメスティンを視線で見上げた後……ぽつり、ぽつりと語り出す。
「本当は……分かっていた。話に聞いていた天使ってやつは……俺の敵は……そんな風に地上を旅歩いたりはしない。そんな目で人間を庇ったりはしない……」
「本気で彼を人質に取っていた訳ではなかった、と?」
「どうだろうな……こんな事を正直に言うべきじゃないんだろうが、お前のことを憎いと思ったあの気持ちは本物だったと思う。意外に感じるかもしれないが……裏切られた気分だったさ。オレはお前ら二人を好きになりかけていた。認め、尊敬さえし始めていたんだ……」
「…………」
「……なあ、教えてくれ。オレにお前らをもう一度信じさせてくれるのか?」
……すまん、プロメスティン。この寄り道はまた俺の我が儘になっちまうが……今ここを避けて通った後お前に見せてやれるのは、それは俺の”道”じゃなくなっちまう。
不服そうな気配を隠そうともしないプロメスティンの顔をできるだけ見ないようにしながら、俺はゆっくりと立ち上がってエリックの目の前に手を差し出した。
「最後までやり切ってやろうぜ、俺達全員で」
主人公くん、強く生きれるよう成長してはいるけど人の良さとお節介焼きは初期の初期から真っ直ぐ据え置きだな…なんやこいつ…書いてるこっちがビックリするわ…
毎度ヒヤヒヤさせられてるプロメスティンさんはいい加減怒ってもいいです。(でも何だかんだこの男と一緒にいると楽しいからなぁ…)とか思ってないで。