あゝ楽しんであれ、もんくえ世界津々浦々   作:点=嘘

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第39話

 あれから一週間が過ぎた。

 つまりこのゴルド火山に俺らが侵入してきてから既に十日ほどが経過したわけだ。

 

 湯から上がるなり枯木から葉っぱ一枚ちぎり取る『力』も生み出せなくなるってことがあの後分かった俺の魔法だが(そうトントン拍子に話が進むわけもなかった───)連日連夜の肉体を追い詰める”修行”、そして例の秘湯を浴びることにより効果を高める瞑想を反復して続けることで、魔力操作の練度に関してはかなりの向上を実感できるようになってきた。

 

 自然の力が極めて強い「ゴルド火山」外では今ほど強く力を扱えはしなくなるだろうが、というのがプロメスティンの見立てだが──()()()()戦闘という用途に耐えるだけの仕上がりに持ってこられたのは素直に僥倖と言うべきか。

 

アッパークエイク! エアロカット! ……と、とっ!! 旋風躍りて——

 

 目標の足元を岩の塊で突き上げ──たった数歩の動きで後ろに躱され──障害物ごと切り刻もうと風の刃を飛ばし──尽くを返す刀で叩き落とされ──跳躍、瞬時に間合いを詰めた頭上からの振り下ろしを転がるように回避──切り出された落下途中の岩塊を突風で相手にぶつけようとして────

 

「そこまで!」

 

 ──なんて余裕は無かったな。審判役のプロメスティンの合図と同時、心臓の真上に突き付けられたエリックの剣先がゆっくりと引き戻されていった。

 どっと肩の力が抜けて崩れ落ちる。地面に大の字に倒れて蒼白な顔をしてるんであろう俺に対し、息の一つも乱していないエリックは懐から出した煙草を深く吸いながら淡々とこちらの戦術を批評した。

 

「流石に戦闘経験は少なくないな。間合いを遠ざけようとする工夫は十分だった、魔法に依存して体捌きが疎かになっているという事もない……が、詠唱に時間が掛かり過ぎだ。これは魔術師じゃなく武芸者としての意見だが、その程度の単純な術は無言で出せるようになった方がいい」

 

「……峰打ちなら思い切りぶっ叩いても治癒呪文で治せるからって怖過ぎるぞ、なんだその意味の分からん距離の詰め方は……俺にも一本くれ」

 

「ほらよ。まあ、あれぐらいの動きをするだけの魔物ならこの辺りには少なくない。ここ大陸の最北端は魔王城にも最も近い地域だからな」

 

 動き”だけ”なら……そうなんだよな、エリックは手合わせの時に精霊の力を使うことは一回も無かった。純粋な身体能力だけで俺を圧倒し……ただの一度も敗けはしなかった。

 俺はともかくエリックにとってこの手合わせが有意義かというと正直微妙だろう。だがそれでもやれるだけの事はやる。何しろチャンスは一度きりだ。

 

「あれだけの戦いになると杖も流石に邪魔そうですね。出力の練度自体は安定してきましたし、そろそろ一段ほど短く直すべきでしょうか」*1

 

「いや……それはヨロギ村に帰ってからだな。この大事な時に慣れ親しんだ道具の使い勝手は変えたくない」

 

 なんとか自力で立ち上がり、プロメスティンと話しながら駅舎前のキャンプに歩を進める。

 

 ここでの修行は着実に成果を出しているが、いつまでも時間を掛けていいという訳でもない。

 ここ一週間で俺たちが話し合ったこと——結局の所いつ「仕掛けるか」という問題は、そのまま時間の制限に直結した。

 

 俺たちが今こうしてゆっくりと力を蓄えていられる理由はただ一つ、()()()()()からだ。”竜のかがり火年”……その影響で活性化した大半の竜族が山の外に出払っている以上は安全にここに留まることが出来る。だが俺たちはその後の事も考えなくてはならない。

 クィーンドラゴンはエリックを除いた俺たちを安全に帰してやると言っていた。つまりは残りの竜族が山に戻ってきたとしても俺らが襲われる心配は無い……と考えたくなるが、ところがそうも言い切れない。

 

 確証は無いが、クィーンドラゴンは”かがり火年”が終われば程なく『休眠』に入る可能性がある。彼女が直近で活動していた三年前という時期は前期の”かがり火年”と重なるらしい。これはエリックに確認を取ったから間違いない。

 女王の意向に背く竜族がどれだけいるかは定かではないが……俺らの命の保証にもなっている当の本人が不在という状況は避けたい。そもそもあの女王が寝てる間にマクニアを取り戻せるんじゃないか、という作戦を断念した理由の一つでもある。

 

「明日。決行は明日だ」

 

 焚き火を囲んだ俺たちの中でエリックが初めに声を上げる。神妙な顔で視線を向ける俺とプロメスティンの視線を受けて一つ頷き、補足する。

 

「これ以上は伸ばせない。オレも”かがり火年”がいつ終わるかと明確に把握してる訳じゃないが──何しろ自然現象だからな──とはいえ早く見積もればこれくらいが限界だ。どの道あまり悠長にしてはいられない」

 

「わかった……作戦はあるか? 俺ら全員が正面から行っても勝てる相手じゃないだろ」

 

「私にいい考えがあります」

 

 ふんすと自信ありげに手を挙げたプロメスティンに無言で促す。何だか様子が少し不安だが聞くだけ聞いてみよう。

 

「まず私たちは分かれて行動するべきです。女王の足止めをする側、こっそり忍び込んで人質を回収する側との二手に分けましょう。本来なら天使である私が時間を稼ぐのに最適のはずなんですが、あの女王相手ではさっさと無力化させられるのが落ちですからね。後者に組分けされるべきでしょう」

 

「俺とエリックの二人だけで時間稼ぎか……正直かなり厳しいと思うが、それでも何とかするしかねーな」

 

「いえ違いますよ、貴方も当然こっち側です」

 

「えっ?」

 

 クィーンドラゴンとの戦力差はエリック本人からも重々聞かされただろ、それなのに潜入側を手厚くしてまで一対一を仕向ける意味があるのか?

 言っている意図が読めない俺に対してプロメスティンはこう続ける。

 

「まず女王は私たち二人がマクニアさんを無理やり取り戻そうと裏で企んでいる事までは、恐らく知りません。その数少ない優位はなるべく保つべきだと思います」

 

「……かもな、それで?」

 

「エリックさんが一人で真っ直ぐ勝負を挑みに来れば女王は掛かり切りになるでしょう。つまり人質を運び出すまでは円滑に進むはず——その後、私たち二人が背後から女王に奇襲を仕掛けます。そこで生じた混乱に乗じてこの機関車に乗り込むことができれば逃げ切るのも不可能ではないという寸法です。どうですか? これぞ完璧な作戦……」

 

「本音は?」

 

「それはもちろん時間を稼げなくてエリックさんが死んだ場合も私たちは女王と戦わなくて済むので安全にマクニアさん(ドウェルガの技師)を持ち帰れるというメリットが……あっ。」

 

 空気が凍った。

 それも一瞬でだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 本来なら温もりを感じさせる焚き火の暖かな音がパチパチと虚しく鳴る中、俺はあまりの情けなさに心を抉られる思いだった。

 流石のプロメスティンも不味いことを言ったのは自覚しているのか何処となく居心地が悪そうに目を泳がせている……いや、俺を大事に思ってくれてるからそういう考えになるってのは分かるよ。有り難いと思いこそすれ、他でもない俺が簡単に否定してやるのは何か違うのかもしれない。

 

 にしても時と場合ってのがあるだろうが……! 決行の前日っていう時に何て空気にしてくれやがったんだこの野郎……!

 

「……正しいのかもな、お前の言ってる事は」

 

「なっ」

 

 何言ってんだエリック、言っとくけどこんな外道の言うことを変に真に受けて持ち上げようとしなくても大丈夫だからな。そうでなくとも調子こきなんだから甘やかしてるとこんな奴すぐつけ上がるぞ。

 俺のそんな困惑を感じたのか「心外だ」って風に睨んできた外道を無視しながらどういう意味かと問えば、エリックは静かに一つ頷いてこう言った。

 

「元々オレはここで死ぬ人間……お前ら二人が負うリスクは少なくある方が自然だ。それに、これが上手くいく望みの高い作戦である事に変わりはない」

 

「……女王との戦いは、俺では足手纏いだと?」

 

「そうだ。確かにお前はよほどの化け物が相手でなければ決して邪魔にはならない——ウィルム娘との戦いでオレを幾度となく助けたようにな。正直言ってその機転と手札の多さ、背後を任せる相手としてなるべく手放したくはない」

 

 だが今回ばかりは相手が悪い、と続けるエリックの言葉には確かに頷ける物がある。

 今日までの特訓でますます思い知ったのは圧倒的な力の差だけだ。下手に動いてクィーンドラゴンの警戒を強めるよりはプロメスティンの言う通り裏方に徹した方がいいのかもしれない。だけど……

 

「心配するな。ここ数日で強くなったのは”賢者”、何もお前だけの話じゃない」

 

 切迫した状況下で易きに流れる事への漠然とした拒絶感に悩む俺を説き伏せるようにエリックは言う。

 

「時間稼ぎ程度ならこなしてみせる。()()()()()()()()……オレにあるのは、それだけだ。だからお前もそうしろ。これ以上オレから言える事は無い」

 

「…………」

 

「詳しい段取りは言い出しの天使が詰める。今は体を休める事だけ考えろ……そら、湯が沸いたぞ」

 

 火に掛けていた鍋の熱湯でエリックがいつも淹れてくれるのはここら一帯で採れる葛の茶だ。

 とろみのあるこの緑の液体はかなり苦く決して旨いとは言えないが、とても冷めにくく体を芯から暖かくしてくれる。これを夕食の前に皆で飲む時間はこの男と少しの間でも行動を共にできて良かったと思える瞬間の一つだ。

 

「……私だって精いっぱいやるつもりなんですからね。忘れてるようなら言っておきますけど、私は貴方に魔法を教えた師匠なんですよ。幻惑、呪い、視界封じに果ては空間操作まで……作戦に使えそうな術式は一通り揃えてあります。少しぐらい信用してくれてもいいでしょう?」

 

「……わかったよ、そんな口を尖らせて拗ねるなって。お前の言葉は誰より信頼してるさ」

 

「ならいいですけど」

 

 湯気の立ち上るコップが全員に行き渡る。これがゴルド火山の雄大な自然の中で三人が焚き火を囲む最後の夜になる。

 エリックの言う通り俺達は今までやれるだけの事をやってきた、ならどんな結果になろうと悔いは無いはずだ。

 

 やがて俺達は誰からともなしに杯を掲げ——

 

「明日の成功に」

 

 ゆらゆらと舞い散る火の粉に向けて、乾杯した。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 決行前日の深夜。

 

 当日に備えて三人の誰もが寝静まったと思われる中、小さな駅舎に併設されたキャンプからもぞもぞと誰かが抜け出そうとする影があった。言ってしまえば、そう、我らが”賢者”である。

 

「……寝てる、寝てるよな? よし」

 

 限界まで声を落として確認をしたかと思えば抜き足差し足、極めて慎重に駅舎の戸を静かに開き、また後ろ手に閉めて一息をつく。まるで人目を憚るような様子で彼が一体何をしようとしているのか。

 

 そう、オナニーである。

 

 健全な男として避けては通れぬ道。十日ほど続いた修行漬け生活の中で不覚にも溜まってしまった性欲は都度無理のないように処理してきたつもりだったが、間の悪い事に決戦の直前というこの時に”そういう日”が来てしまったのだった。

 重ねて言うがこれはこの男の薄弱さを意味しているのではない。溜まったものを吐き出せないという事は、とりわけこの世界においてはいざという時に最悪の事態を招く可能性があるということを経験で既に知っているからだ。むしろ適度に自分を慰める術を身に付けているだけ賢明だと言える。

 

「はぁ……さっさと済ませよ……」

 

 ただ、男のサガとはいえ戦いの前夜にこんな事をしている情けなさがあるのもまた事実。快楽への期待にほんの僅か気を緩めながらも鬱々とした気分で着古したズボンに手を掛けると——

 

「ねえ、普通にバレバレなんですけど」

 

ぁ!?!?

 

 どんがらがっしゃん、とあまりの驚きに倒れ込んでしまったのも無理はない。声が聞こえてきた方向を見れば、天使の特性を遺憾無く発揮し壁をすり抜けている途中のプロメスティンが体を半分こちら側に出してきていたからだ。

 

「まったく嘆かわしい……とは言い切れませんけどね。極力接触を控えるとはいえ相手は竜の女王、何があっても不思議ではありませんから」

 

「……正直知ってたよお前みたいなのから壁一枚で隠せてるわけねえって! でも今まで見ないフリしてくれてたんなら最後までそうしてくれよぉ!!」

 

 悲痛な叫びと共に床を叩く惨めな姿にもどこ吹く風といった調子のプロメスティンはこの件に関して議論する気は無いようだ。

 

「それにしてもあの堅物司祭の方は私にさえそういう兆候を感じさせませんでしたね。単に気配を隠すのが上手いだけなのか何なのか……あるいは一切そういうことを()っているのかも」

 

「……そんな事ありえるか? 十日だぞ?」

 

「さあ? それでもあの”いつでも死ぬ準備は出来てます”みたいな気に食わない態度からすると妙な話でもありませんけどね。ストイック過ぎて不健全であるとは思いますが……それより問題は貴方ですよ、貴方!」

 

 びしっ、と指を差しながらすっかり部屋の中に入ってきたプロメスティンはぐいぐい詰め寄りながらこんな事を言い始めた。

 

「私というものがありながら貴重な精液を無駄にするなど言語道断! 許せません! どうせ手の中に射精して捨てるぐらいなら私の中で出してくださいよ!」

 

「ばっ……!? なんでそうなる!?」

 

「明日使う予定の術式にかなり多くの魔力が必要になってくるんです。私だけで練ることのできる魔力量はそう多くないんですよ? ただえさえキツいんですから少しぐらい協力してください! ほら、分かったらさっさと脱ぐ!」

 

「ちょっ……待て待て! まだ心の準備が……ああっ……!」

 

*1
杖についての設定は6話参照




39.5話に続く)
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