あゝ楽しんであれ、もんくえ世界津々浦々   作:点=嘘

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活動報告を更新しました。
結論から言うと、11/1以降も更新が少し続きそうだという話です。


第51話

 

 

「……ということが、あったんですよ」

 

 星が瞬く空の下。切り立つ崖の上で、横たわる倒木に腰を下ろす男。そのすぐそばには赤い髪の天使が立っていた。

 

 彼女は今しがた地上に降り立ち、男に報告を終えたばかりだった。崖の下には篝火や松明に照らされて浮かび上がる、賑わうヨロギ村の風景が広がっていた。

 

「そうか」

 

 ゆったりとした黒い服装に身を包み、幾らかの装身具、耳には片方に軽い耳環(ピアス)を幾つか着けている。本人の趣向では無いのだろうが多くの民衆の前に立つ上では以前の格好より受けが良いということらしい。佇まいの雰囲気や考え方が少しずつツァイペエ老に寄ってきたな、とプロメスティンは思った。

 

 数多くの火を焚いて喜び騒めく今宵のヨロギは、祭りの日だ。賢者が齎した知恵の象徴である火を明るく燃え上がらせ、それによる繁栄と感謝を天の女神に見えるよう届け奉じるという意味が込められている。

 そんな様子を目を細めて見守る”賢者”の顔を、側に立ったプロメスティンは横目に見る。数年前から変わらない顔。同じ人間なのだから当たり前だ。

 

 その雰囲気は確実に少し変わっていた。ただ人間の変化が早過ぎるだけなのか、それとも。

 

「それじゃあこれから忙しくなるな。やってくる使者とやらにどんな無茶振りを言われるか……天使様なんて初めて見ました光栄ですって感激の顔でも練習しとくよ」

 

「笑える冗談ですね」

 

「珍しいこともあるな。雪でも降るか?」

 

「茶化さないでください」

 

 言い放つ、その声には有無を言わせない響きがあった。

 眼下からの明るい橙色が二人の顔を薄く染めるなか、反射で曇る眼鏡が彼女の視線を悟らせない。

 

「そこそこ久し振りに会ってその言い草とは相変わらずだな。お互い忙しかったわけだが」

 

「だとしても気付かない道理はありませんよ」

 

「ん……」

 

 

「年々、ほんの少しずつ……貴方から血の匂いが濃くなっている」

 

 

 男は、困ったように眉を下げた。まるで言い訳がばれた時のようにバツの悪そうな顔をしていた。相手のためを思って発した誤魔化しの言葉が、聡明な彼女にはすぐに見透かされてしまったからだ。

 鋭い視線が彼の心の内をじわじわと突き刺し、言葉にできない後悔の念が胸を締め付ける。無言の重圧が二人の間に流れた。

 

 それでも男は、微笑んでいた。

 それが何故だか天使には分からなかった。ただ無性に苛つきのような感情が募った。

 

「妙な出血が増えているでしょう。不調がただそれだけとも思えませんが……身に覚えはあるようですね。そして、今に至るまで黙っていたと」

 

「まさか。お前のことは何より信頼してる……」

 

 しばらくの間、男は目の前の景色を無言で見つめていた。指を組み合わせ、(うつむ)く姿勢はどこか重たげで、ゆっくりと言葉を探しているようだった。

 

「それに俺だって命は惜しいんだぜ。実を言えば、ああ、そろそろ自分でもヤバいと思ってたんだ。相談するつもりだったんだよ。それこそ……今日にでも」

 

「そうかも知れませんね。しかし──これについては議論を挟みませんよ──()()()()()()()。私から天界(向こう)の状況を今しがた聞いてから、療養などしている余裕はこれから無くなると判断して」

 

「…………」

 

 沈黙が何よりの答えだった。

 

 数年来の不明な変調は男の身体を確実に蝕んでいた。それも悪いことに、特定の分野──ことヒト種の病変を含めた地上の生物に関する知識を彼以上に持っているとは、プロメスティンも思い上がる事はできなかった。

 有り体に言えば、人間の体に関しては男の方がより多くを把握していた。少なくとも今はまだ。

 

 その彼すらが問題の解決に至っていない以上、今のプロメスティンに治療の方法を編み出せると考えるのは楽観的な見立てと言わざるを得なかった。

 

「そう、だなぁ」

 

 微かに震える唇は、以前と比べても明らかに青ざめている。それが男の不調を如実に物語っていた。

 

「ここしばらく──しばらく、お前と一緒に色々とやってきてさ。そう大した人間ってやつでもねー俺がこれだけの事をよくやってこれたなと思うことがある」

 

「…………」

 

「どれだけの事が後に残るか、どれだけお前に残せてやれているか、そんなことをガラにも無く考えていると……死んだ後のこと、ってのが頭に浮かぶよ」

 

「馬鹿な……」

 

 そのような事を言うな。などと、感情だけの言葉を言いかけたことにプロメスティンは我ながら驚いた。人が病に倒れるなど当たり前のことに過ぎない。その病を克服する目処が立っていないというのは動かしがたい事実でしかない。その現実的な事実を蒙昧に否定しようとするなどという考えそれ自体がどうしようもなく──自分らしくない。

 

 そのような彼女の混乱を無視して、男は穏やかに言った。

 

「俺は、お前のために今までやってきたことを無駄にしたくない」

 

 無理に、不自然に生き永らえることを望んでいない。そういう、あまりにも有り触れた、ふつうの、ふつうに生きることへの意思の表示。

 

「人間のまま、死ぬつもりだ」

 

 この賢い男はきっと、それで十分足りているのだ。不足もせず、行き過ぎもしないその時間だけで、十分なものを彼女に残すことができる。それが彼にはできる。それが満足だった。それが彼には分かっている。プロメスティンにも分かっている。

 

 だがそれは、その理解とは、納得というものとは全く別の場所にあるのだということが問題だった。

 彼女を安心させるために、なおも穏やかな口調で彼は言葉を続けた。そうさせている自分に吐き気がした。だって貴方は、貴方も、本当は。

 

「まあ心配すんなよ。そんなの多分、ずっと先の話なんだ」

 

「……本当、ですか?」

 

「ああ、勿論だ。今すぐどうこうってほど悪いわけじゃない。お前には、まだまだ手助けしてほしいことが、ある……」

 

 言葉が途切れ、頭が揺れる。

 ふと覗き込めば、何とも虚ろな目をした、眠そうな表情がそこにあった。

 

 眠いんですか? と、そう聞くだけのことができなかった。ただそれだけのことが何故だか酷く怖かった。

 

 沈黙が辺りを包み込んだ。

 

 風がわずかに吹き抜け、木々の葉がかすかに揺れる音だけが響いていた。静けさはまるで重たい布のように周囲の空気を押しつぶす。

 

「面白いよなあ」

 

「え?」

 

 ついに静かさを破ったのは、突拍子も無いような男の一言だった。

 面白い、と。そう呟く彼の表情は、その口角は確かに上がっていた。内心の言葉をそのまま口にしていなければあらわれない切実さと、拭い去りようもない一抹の寂しさを添えて。

 

「そう長く居られそうにもないのが、つらいんだ。分からなくて、広くて、大きくて強くて、綺麗な、この世界は本当に……──」

 

 楽しいよ

 

 と。夢か現かも分からないようなその言葉に、なにか、プロメスティンが言葉を返そうとした瞬間だった。

 

 

 

 

『た、たす け──……』

 

 

 

 

 男が、はっと顔をあげる。

 プロメスティンもまたぎょっとした顔で振り返った。

 

 悲鳴、それも子どもの声だ。村全体を見下ろせるこの崖際から”賢者”の屋敷に繋がる山路までを隔てるように広がる、すっかり暗くなった夜の森から、バサバサという不気味な羽ばたきと野鳥の鳴き声と共に聞こえてくる。

 

 魔物の気配があった。こんな村の周辺まで近付かれているとは思わなかった。男は素早く立ち上がり、迷いなき足取りで暗闇の山林へと進んでいく。

 

「行くぞ、プロメスティン」

 

「は、はい!」

 

 

 


 

 

 

『人間ってのは死ぬとどうなるんだ? 死後の世界や魂なんてものが存在するのか?』

 

 こんな時に思い出すのは、とある問いと、彼の瞳に浮かぶ疑問の影だった。

 

 二人の日常には、彼が必ず口にするいくつもの問いがあった。彼が語りかけるたびにその疑問は彼女の心に残り、今も静かに響き続けている。

 

『……貴方たちの伝承や教典に在る通りですよ? 大体は。死後人間の魂は肉体を離れ、輪廻転生の循環に加えられます』

 

『ほお』

 

 死。そして魂。この手の話題は彼の興味を引くようだった。似たようなことを幾度か問いかけられたことがある。

 

 もしかしたら彼はこの時から、彼女の知らないところでずっと何かを探し続けていたのかもしれない。この頃はまだ彼の容体の悪化に対し確信まで至っていなかった。そうでなかったら何かが違っていた? 馬鹿馬鹿しい。

 

『まあしかし……つうか一神教……ってあんのかよ、この世界観……輪廻転生ときた……』

 

『いい加減わけのわからないタイミングでブツブツ一人で言い出すのやめてくださいよ、悪い癖ですよ』

 

 彼と彼女の間において学術的な興味関心事は活発に交換された。そうであるべきだと。これもまたその一環だと、僅かな違和感に蓋をして答え続けた。

 天使である彼女にとって死は縁遠いものだった。人間にとってはそうではない。理屈では分かっていても理解しようとしなかったのではないのか? それは怠慢ではなかったのか? 何かが違えば、何かが変わっていたのではなかったのか?

 

 それこそ今更、考えるのも無駄なことだ。

 

『あとはまあ、そうですね。我々が天の御使としての役割を果たす時、という面も一応あります。偉業や善行を成したものには褒美を、五戒を犯すなどした罪人には神罰を。それぞれ与えるためにいわゆる”お迎え”というやつが死した魂を召し上げに来るなんてことがあります』

 

『そりゃ良い。宗教やってて信仰がきちんと報われると天使様から直々に保証してくれるなんて贅沢な経験だ』

 

『そんな良いものじゃありませんよ。内心で下等種族と見下されながら優しく搾精されるかネチネチと罵倒されながら性的な玩具にされるかの違いぐらいしかありませんし』

 

『あ、結局そういう感じになるんだ……』

 

 死んだ後に魂だけになってもそれとかいっそ清々しいな、などと溢す男に何を呑気な事をとプロメスティンは呆れてしまう。

 

 だが、その時に感じた騒めくような感情はその後もささくれのように胸に残り続けた。

 

 

 

 

 

『たんたかたーん、突然ですがアンケートのお時間です』

 

『何だいきなり』

 

『1番。人間をやめることについてどう思いますか?』

 

 ある日の朝、研究場にて。クリップボードに鉛筆を走らせる仕草をしたプロメスティンの唐突な発言で場の空気が変わった。

 

『……あ?』

 

『ほら、例えばですよ。強くて健康でいられて、ずーっと長く生きられて良いこと尽くし、とまあそうなるのであれば人間をやめても良いかなんて思ったりしませんか?』

 

『何かの試験問題か……?』

 

『いえ別にそういうのでは。大丈夫ですよ引っ掛けとかじゃありません』

 

『そもそも人間がやめられるもんだという考え自体がそんなに無かったが、やめた先ってのが何かあんのかよ』

 

『もちろん色々ありますよー、ゴーストになってこの世に留まるとかゾンビとからくりの合いの子みたいなのになってみるとか。あと吸血鬼とかどうです? ガブっといかれなきゃいけないかもですけど強そうだし天然由来だしカッコいいじゃないですか?』

 

『久々に重症だな、今回は10徹ぐらいしちまったか?』

 

『いや、とりあえず答えてください。普通に』

 

『…………』

 

 作業の手を止めた男は、口に手を当てて暫し考えた。目の色が変わり、思考の種類が切り替わっていくのが見て取れる。

 

『まず前提として、イリアス教では魔物の存在が認められていないだろ。俺だって既に魔族に対して色々とやってきた。世界の半分を敵に回してる男がもう半分まで敵にする? 冗談じゃないよな、もう俺は後に戻れるような状態じゃねえ』

 

『私が聞きたいのはそういうことでは……』

 

『無い、ってのは分かってる』

 

 作業用の前掛けを取って椅子にかけ、腰を下ろす。彼の思考は既にフラットだった。プロメスティンは彼のそういう所が好きだった。

 

『正直なところ……いいか、ここだけの話な』

 

『ええ』

 

『めちゃくちゃ興味はある。老けずに500年ぐらい生きてみてえし、ジャンプで屋根に登り降りできるぐらい強え足腰とか一回ぐらいはなってみてえ』

 

『うわ、意外』

 

『マジで何なんだよおい』

 

『正直「……そうやって変わっちまった俺は……果たして本当に俺なのかな」とか「一人で何でも抱え込めるなんて思うのは傲慢だよ、受け継いでいくのが人間なんだ」とか言いそうと思ってました』

 

『お前俺のモノマネうまくね? なんか解像度高くてムカつくんだが』

 

『よく見てますから』

 

 

 

 

 

『アテナ様、折り入って提案させて頂きたい事案があるのですが』

 

 故郷には、人間を別の存在に生まれ変わらせる方法があった。高位天使の中には身ひとつでそれを可能とする能力を持つ者もいる。

 ひと知れず確保された優秀な人間を素体とするのは、天の軍勢が数を増やす手段の一つ。手頃で負担も少なく、主流になりつつある方法だった。

 

 低俗下劣と忌み嫌っているはずの魔物とも負けず劣らぬ所業を「神秘」という言葉で曖昧に仕立て上げ行われ続けていたそのエゴを、プロメスティンは過も不足もなく把握していた。

 

 そして──彼女もまた紛れも無く、その仕組みの一部であった。

 

『実績であれば十分過ぎる程です。死後ゆくゆくは我らが天の座の末席に加えるということを今から検討しておいても良いのではないでしょうか……』

 

 強靭で、老いも知らず、未知の病すら物ともしないであろう新たな肉体。

 そうして産まれたものが「あの人間」と「同じもの」であるかは、そう成り得るのかは分からない。少なくとも天の総意として、新しく産まれたものに人間としての自我を残すなどという必要も前例も無い。

 

 だが、前例が無いことなど関係ない。必要が無いなら作ればいい。そんなものはいくらでもでっち上げられる自信があった。幸いにして”賢者”の、人格こその有用性を知らしめる下地なら出来ている。

 

 例えそれが叶わずとも、秘奥の神秘と言われるだけはあるその術法すら完全に再現する自信がプロメスティンにはあった。時間さえ掛ければ、理論を解き明かすことさえできれば──……

 唾棄すべき盲従者どもの作為など介在しない、それでいてこの天界で共に生きるに相応しい新たな体をあの人間に用意してあげられると。本人に確認は取ってないが特に断る理由もないだろうし喜んで受け入れてくれるだろうそうだろう、と。

 

『その件についてですが、イリアス様はこう仰られました。神の言葉を有り難く拝聴なさい』

 

 だが。

 しかし。

 

『エグエル、リヴァエルをはじめとした上位天使による転生及び再誕、その他天界の技術による延命の措置を”賢者”に対して行使することを今後一切禁ずるものとする』

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 

 縋れる物も、逃げ道も。安易に頼ることのできる道など塞がれている。

 何故かと、神に問うことは許されていない。何故なら神は間違えない。考えることは無駄だった。

 

 ならば己に問う。

 ならば、どうする。己には何ができる?

 

 どうすれば良かったのか?

 

 

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