あゝ楽しんであれ、もんくえ世界津々浦々   作:点=嘘

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こちらが二話連続投稿の一話目です。


第52話

 

 木々の間を飛び回る視界が目まぐるしく後ろに過ぎ去っていく。

 

 ガサガサと激しく軋むような音の塊に抱え込まれて元いた場所からどんどん遠ざかっていく感覚に胸が締め付けられる。助けを呼ぶ悲痛な叫びさえもが、口を塞がれ封じられていた。

 

 少女は、ただ祭りを楽しんでいただけだった。

 

 神様から遣わされたという”賢者”の知恵に感謝を捧げる行事。宴のご馳走に喜んで手をつけていると、ふと崖の上に佇む賢者が目に止まった。

 子ども達の輪から見たその男はすこし前から疲れたような顔をすることが増えていたように見えた。少女は駆け出した。純粋な気持ちで、日頃の感謝を込めて、村の様子を見下ろしながらひとり寂しそうにしている彼に暖かい食べ物を届けようとしたのだ。

 

 その道すがら──森の中から音もなく伸びてきた、()()()()()()()()()()()に攫われたのだ。

 

「んっ、むうう……」

 

 注意はしていた。けれど村の近くはまだ安全だという気の緩みがどこかにあったのかもしれない。子ども達の恐れ、危機感といったものを鈍らせていたのは、以前よりもそれだけ豊かになり、安全な暮らしを送ることができるようになったことで出始めている弊害とも言えるのかもしれなかった。

 

 魔物に捕まった自分がどうなるのか──考えると恐怖で体が震え、涙が出る。ぎゅっと目を閉じると瞼に浮かぶ、仲の良かった友達、育ててくれた両親の顔、そして。

 

「(賢者さま……)」

 

 あの優しかった、誰よりも誰よりも尊敬するひとの顔。こんな時に脳裏をよぎるのがその顔なのは、女神イリアスに縋るこの時代の人間たちに与えられる、非情な現実に対するせめてもの心の拠り所、信仰に求めた救いなのかもしれなかった。

 

 自分を抱える影が加速し力を蓄えているのを感じる。少女は気が付いていないが、この魔物が飛び降りようとしているのはヨロギ村の周辺を地理的に分断する絶壁の峡谷だった。ここを越えれば人間の足では到底追いつくことができない。二度と後戻りのできない、最後の境界。

 

 果たして、その跳躍は無慈悲に決行された。

 

 人が落ちれば即死もありうる高度に身ひとつで悠々と身を投じ衝撃に備える。まるでそれが当たり前であるかのように。人外の体躯には、恐れも不安も抱く必要は無かった。

 

 どすんっ! と、地面に罅が入る程の衝撃を()()()()()で吸収し着地したその魔物は獲物の確保を完全に果せた満足感に目を細める。

 人間を食す機会にありつけたのは久方ぶりだと、脇に抱えた小娘の怯え引き攣った顔を見ようと心を躍らせ──……

 

 

 いない。

 確かに抱えていたはずの少女がどこにも居ない。周囲に目をやると、目の前の岩陰から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──……

 

 

 ビシッ、と。

 

 

 魔物の、首の肉が抉られた。

 

 

 


 

 

 

「間に合ったか……」

 

 影の中から這い出てきた男──賢者は、救い出した少女を側に置きながら杖を向けた先の魔物を注視した。

 あのサイズの()()が人間部とはいえ首を半分落とされたぐらいで死ぬはずはないと分かっていた。血液をダラダラと流して苦しみながらも強靭な糸を巻き付けて止血を計っている様子が見て取れる。

 

「っ、!?」

 

 ──瞬間、男は脳内がぐらつくような感覚を覚える。膝を突き、激しい鈍痛に頭を抱え、しばし現状を正しく認識することができなくなる程だった。

 “症状”が進行していた。前世の知識をもっても原因をついに突き止められなかった謎の不調。その発作がよりにもよって今、訪れるとは……

 

 肺が傷付く、心臓が痛む。かと思えば手足が引き攣り、遂にはこうして思考までかき乱される。

 自分の体で何が起こっているのかが全く分からない。というよりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う方が正しかった。一つ一つを対処するならまだ良かった。しかし、これでは。

 

 不安そうな声を出してしがみ付いてくる少女が何か言っているのが聞こえる。その内容すら拾えない惨めな有り様に、男はふっと自嘲して笑った。

 

「大丈夫だ、ファリン……もう、大丈夫だからな……」

 

「……!」

 

 名前を呼ばれた村の少女が硬直する。これで安心させられていればいいが、と男はぼんやりと考えた。

 

 ともあれ追撃の機会はとうに過ぎていた。怒り狂った魔物がにじり寄ってくるのを感じる。

 プロメスティンはこの場にいない。時間が無いから仕方がなかったとはいえ手分けして探すことにしたのが仇となったか。この場を任せられる信頼できる盟友は、ここよりも遥か後ろの方を探しているはずだった。

 

「あっちに、行くんだ。そう、一人でだ。あいつがいるはず……お前を守ってくれるから……」

 

「……! ……!」

 

「……はやくしろっ!! あの魔物は俺が倒す!!」

 

 檄を飛ばす。少女はがくがくと膝を震わせながらも、少しずつその場を遠ざかっていった。

 

 魔物と、相対する。

 

 幸いにも深手を負っているのは向こうも同じ──平時なら、負けるはずもない相手のはずだ。

 

 


 

 アシダカグモ娘が現れた!

 


 

 

 

 八本の節足を生やした蜘蛛の胴体に、人間型の上半身を乗せたアラクネ種の魔物。二本の前足を振り上げ息巻いて威嚇してくるそれは、複数の眼を持つ異形の顔に激しい怒りを滲ませていた。

 

「グギギ……”賢者”ぁ、おのれェ……!」

 

「よりにもよって俺がいるヨロギ村から、それも女を攫うとはどういうつもりだ……!」

 

 

「──きさまが!!」

 

 

 それはただならぬ、狂気的なまでの声だった。

 

 

「きさまが、私たちを追いやったのだろうが!」

 

 

 顔を掻きむしり刺し貫かんばかりの恨みがこもった視線を向けてくる。そうして俺は直感する──これは、俺が今までにやってきたこと。俺に巡ってきた因果なのか。

 

「今やおちおち、逸れた獲物を自由に狩ることさえままならん! 大人しく餌に甘んじていればよいものを……! 人間ごときが生意気なッ、許せん、許せん……!」

 

 聞くに堪えない罵声を放つその魔物は、こめかみに青筋を浮かべながらもその目的を語るにあたって邪悪に口の端を吊り上げていく。いや、そう見えるだけなのか。こいつはそういう生き方をすることしかできないだけの、俺たちと同じ知性ある生き物に過ぎないのだろうか。

 

 何を今更、関係のないことだ。

 

「娘を攫ったのも、そうよ、きさまの元から奪い取りたかったからよ! たとえ女の肉が最良の馳走でなかろうとも、きさまの悔しがる顔を思いながら喰らえば男の精にも勝る贄となるわ!」

 

「ただの虫けらの方と違って大層な害虫ぶりだな、外道が。その口ぶりじゃ以前はよほど好き勝手にやれていたんだろうが……もういい……そんなに駆除されたきゃ、すぐに終わらせてやる」

 

「終わ、らせるぅ……?」

 

 怒りを通り越して笑みすら滲ませる凄惨な表情。峡谷を青白く照らす月夜のもとに、両者がついに構えを取った。

 

「ここで終わるのはきさまの方だッ! 我らの暮らしを奪ったことを後悔しながら、精も根も枯れ果てた無様な屍を晒せぇぇぇえ!!」

 

 


 

 

 力を蓄えた蟲の脚が伸び切り、アシダカグモ娘の巨体が爆発するように飛びかかった。そうして振りかざされた前脚を”賢者”は躱しざまに杖を振る。

 刹那。見えざる刃がいとも簡単に外骨格を切り裂き、前脚の一本を切断した。

 

「ぐあああッ!?」

 

「うっ、グ……!?」

 

 戦うたびに”症状”が進行する男の、その苦痛に悶える様子を好機と見たか再びアシダカグモ娘は飛びかかる。

 だが。だが──男が幾度も繰り返し行ってきた杖捌きだけは、いささかも衰えを見せずに敵の魔物へと向けられた。

 

「うおおおおおッッ!!」

 

 ゴバッ!! という轟音が迸った直後に襲いかかる炎の爆発が、蜘蛛の体ごと吹き飛ばす。

 身を翻して体勢を立て直さんとした次の瞬間には──鋭い風の刃がズバリと閃めき、右側の眼を容赦なく切り潰していった。

 

「つ、強い……!!」

 

 息もつかせぬ強力な攻撃。これが人間だとはとても思えない──それ程の魔力と魔法の腕前に、アシダカグモ娘は戦慄した。

 だが、それでも。勝つのは自分だと魔物は思考を絞る。見たところ”賢者”は万全ではなく激しい消耗を伴っている。ならば最も恐れるべきは何がしかの「救援」だが……それをさせない事こそ、他ならぬ彼女の独壇場であった。

 

「ぐ、ぬあああ……!!」

 

 魔物は、ただ闇雲に攻撃だけをしていたわけではなかった。アシダカグモ娘の、いや、アラクネ種が持つ特有の魔法。準備に時間は掛かったが──それは糸を紡ぐように時と(くう)を自在に紡ぎ、その場にひとつの別空間を織りなす魔力だった。

 

「っ……!?」

 

 既に練り上げられていた力は──ぐわんッ、と、即座に展開された閉鎖空間に両者を閉じ込めた。

 

 ここは言うなれば彼女の”巣”。薄暗い地下空間のような領域には無数の糸がびっしりと張り巡らされており、蜘蛛の体に有利な場であることは明らかだった。勝ち誇ったように、魔物は笑う。

 

「く、ははは。どうだ人間、恐れよ、慄け──」

 

「後悔しろ、か……」

 

「あ……!?」

 

 目の前の脅威をまったく無視するかのような人間の呟きに、アシダカグモ娘の左側しか残らなかった眼がぎりりと吊り上がる。

 

「お前らの生活を奪った、それは間違いない……俺がお前ら魔族にやってきたことを消すことはできない。きっと、いつかどこかで報いを受ける……」

 

「…………」

 

「だがこの俺に報いを与えられるのは今なんかじゃない。ましてやお前ごときじゃあねえっ」

 

 いよいよ限界が近いのか。口の端と右の眼球からだらりと血を流し始めた”賢者”は、ぺっと血の塊を吐き出しつつも──歯を食いしばって、叫びを上げた。

 

「その前に俺がお前を先に地獄へ送ってやる! こんな空間にこそこそと逃げ込んだところで、お前が殺してきた者の報いからは逃れられないぞッ!」

 

「……人間がっ、ほざくなああァァァっっ!!」

 

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