あゝ楽しんであれ、もんくえ世界津々浦々   作:点=嘘

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第55話

 

「う、うう〜……」

 

 人里離れた森の奥にて、膝を丸めてぐすぐすと泣く影が一つ。

 なんだか哀れみを誘うようでならないその気配の正体は、お馴染み緑髪の後輩天使ケイローネ。

 

「どうしてこんなことにぃ……」

 

 線の細めな旅用ローブを身につけた彼女は、いやに清澄な気配のする尖剣を腰に帯びている以外は一般的な巡礼者の女性といった風体だ。存在自体が文字通り浮世離れしている生物にしては上手く人間に溶け込んでみようという気概が感じられる。

 ではなぜ覚悟を決めて地上に降りたはずの戦乙女(ヴァルキリー)見習いがこんな所でめそめそしてるのかといえば、それは実のところ完全に自業自得の結果なのであった。

 

 

 ◼️◼️◼️

 

 

『頼もう! ここがヨロギの長の邸宅と聞き及んだが、ツァイペエ老は居るか! 行方不明者についての情報を寄越……』

 

『いたぞ、捕えろ!』

 

『誰だいあれは』

 

『ほら、例の』

 

『婆様のとこからお触れが出てたろ!? 賢者様の家を嗅ぎ回っていた怪しい奴だ! 若い者に掴みかかったとも聞いたぞ!』

 

『う、うわーーーっ!?』

 

 

 ◼️◼️◼️

 

 

 以上である。

 

 そんな感じで成す術もなく逃げてきた結果が今。完全にファーストコンタクトを間違えてたとしか言いようがない。もう既に何日か暗い森を当てもなく彷徨う羽目になっており、それでも始めのうちは痩せ我慢をしていたのだが、早くも夜の寒さや心細さに参り出しているという次第である。

 敬愛する先輩に代わり使命を果たすまで故郷の土を踏まない覚悟で地上に降りたが……任務になどまだ碌に出たことのない実践経験の乏しさでそのメンタルは凄い勢いでガリガリと削り取られ、もはや手ぶらで帰還するわけにもいかない若輩天使は早速どうすればいいのかわからなくなっちゃっていた。補給の必要が薄い天使の身でなければ一体どうなっていたことか。

 

「ふ、ふふ……愚かな人間ども、我を追い詰めんとするか……かくして堕ちた天使の挽歌が奏でられんとも知らず……ならば我が翼で闘いを挑もう。語り継ぐがいい、ケイローネは決して屈さぬ……っ!」

 

 かわいそうな事になっている。どうにか闘志を奮い立たせてみようと頑張ってるようだが、当然の事みたいに状況はさっぱり良くなってない。

 

 ……天界にいた頃は、それで良かったのだ。

 

 似たような思想を持つ同志と寄り集まって、同じような台詞を毎日のように唱えているだけで自分は強い、偉い、間違ってないという気になれていた。紛れもなく、今まではそれで構わないという環境にあったから。

 

 それでは地上で生きていくには通用しないのだと、果たして気が付く事はできるのだろうか。

 

「……に、に、人間どもめぇ……わだ、わだしは悪くないだろっ、別にそんなっ! くそ〜っ!」

 

 そして今度は泣きながら目の前の草むらに向けてぶんぶんと剣を振り回し始めた。

 駄々をこねているようで正直ちょっと見ていられない光景ではあるが、なんと本当に酷いのはここからだ。

 

 ざくっ! と妙な手応えが返ってきたのに戦乙女は顔をしかめる。何かと思って草木の散らばるそこらを覗き込んでみると、何やら立派な双葉の植物が千切れかけて倒れているようだった。

 しかし不審な点はそこではない。葉っぱの根本には明らかに植物のそれではない糸束らしき、例えるならウェーブのかかった金髪のような繊維が顔を覗かせていて、これが何やら生き物のようにぶるぶると震えているような……

 

「な、なんだこれは……?」

 

 不運にも、という言葉がこの場合は最も適切なのか。

 無論ある程度の知識と経験があればその”特性”でもって容易く対処できた事ではあるが、このケイローネに「普段受け入れているものを選り分けて適切にすり抜ける」といった真似が咄嗟にはちょっぴり難しかったというか。

 

「 き ゃ ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛… … 」

 

 要するに、つまり。

 怒り狂ったマンドラゴラ娘の絶叫が、天使の鼓膜をまともに震わせたのだった。

 

 

 


 

 

 

 誰にとっても意外なことに、次にケイローネが目を覚ましたのは残寒の風と落葉の哀しく吹き荒ぶ寒空の下、ではなかった。

 

「うーん……」

 

 馴染み薄い、寝起きの体験であった。

 

 少なくとも天界では藁の敷き詰められたような背の低い寝床で目を覚ますことは無かったし、隙間から日が差し込むような丸太の木壁の匂いに包まれながら起きるようなことも無かった。

 びりびりと脳が痺れるような後味の悪い感覚に身じろぎしていると、何者かが動くような気配を感じるようだった。

 

 すぐそばに居た若い男がケイローネの目覚めに気が付いたようで、心配そうな面持ちで近づいてくる。

 柔らかな、しかし芯のある若者。第一印象はそういったものであった。人間ましてや男を間近で見たことなど無いに等しい彼女からしても。

 

「……ここは」

 

「倒れていた所を近くの山小屋まで運ばせてもらいました。遠くからマンドラゴラ娘の叫び声が聞こえてきたもので……大丈夫ですか? お体の調子は?」

 

「ああ……何とか……」

 

「でも何があったんですか? あれは脚も速くないし声だけ聴かないようにすればいいだけだから、ちょっと山慣れしてたら平気な筈なんですけど……」

 

「…………」

 

 人間ごときが逃げられる相手にまんまとノックアウトさせられてしまったという事実にケイローネは絶望しかけていた。恥辱どころの騒ぎではない。生まれて初めて対峙した魔物にやっつけられた……実際は相性が悪かったとか色々あるのだが、それにしても。

 

「で、でも凄いですね。女性とはいえあれを聴かされて攫われなかっただなんて運がいいです。奇跡です。きっとこれもイリアス様のご加護あっての……わっ泣いてる!?」

 

「うっううぅ……うええん……」

 

 埃を被った毛布に顔を突っ込んでくちゃくちゃになっている緑頭に心配を強めたか、その青年はケイローネの背中を優しくさすってあげ、宥めるようにこう続けてきた。

 

「お、落ち着いて……お家はどこ? お名前は何ですか? 僕は麓のヨロギ村で細工職人をしているロンといいます。あの、泣かないで……」

 

 

 


 

 

 

 それから暫くして。

 

「それで……少し前から村を騒がせている、その、不審者というのはあなたの事ですよね?」

 

 ひとまず落ち着いたと見るや差し出された一杯の水を凝視したり匂いを見たりと、警戒する子猫のごとく吟味してちびちびと啜るケイローネは、ぎくりと身体を強張らせた。

 今がそれほど危機的な状況とまでは思っていない。たとえ村に突き出されて牢屋にでも入れられようと天使である自分なら隙を見ていつでも逃げられる……だが、だとしてもその後どうする? 当てにしていた標的の故郷の村からは締め出され、何の手掛かりも無いままこの広い地上でたった一人の人間を探し歩かねばならないというのか?

 

「うー……ん」

 

 ケイローネは考える。今までと同じように誰かの指示に頼るともなく、自分の頭で考えなくてはならなかった。

 そして──急に俯いて唸り出した彼女を見て気まずい沈黙と捉えたのか、しばし困ったように反応を待ったロンはおずおずと語りかけた。

 

「あの、あなたはどうしてここに来たんですか?」

 

「んむ」

 

「まずここらの人ではありませんよね? 身なりや振る舞いでそれぐらいは分かります。なのに同伴者を匂わせる素振りもなく、流れ者にしてはその、現実味が無い……ほどの軽装と言いますか。気を悪くされたら申し訳ないのですが、僕の感じた印象としては──」

 

 どこかから、放り出されでもしたみたいだと。

 

 こちらを一方的に憐れむような言い分にカッとしかけたが、ケイローネはそれをぐっと飲み込んだ。

 図星だと思ったからだ。

 ここに来たのは他ならぬ自らの意思であり、忠誠を果たすべき任務のためであり、それを何も知らない人間にどうこう言われる筋合いは無い。だがそれだけに故郷へ帰ることもできず行く宛もない今の状況は、確かに、そう変わりない物かもしれないと。

 

「ああすいません、こういう言い方はやめろと言われていたんでした……」

 

「……?」

 

「このごろ物の見方がお師匠様に似てきたんじゃないかと言われまして……それはまあ嬉しいんですが『同情っぽい考え方が子供に移りそうで危なっかしい』と妻に注意されているんです。まあ気にしないで、こちらの話ですから」

 

 気を取り直して。と一拍間を置いた若者は、改めてこちらに目を合わせてきた。

 

「どうして、あなたはここに来たんですか?」

 

「私は……」

 

 いつか聞かれるだろうと思って色々と言葉を考えていた。だが口をついて出てきたのは、どうにも余りに当たり障りのない台詞だった。

 

「私は、賢者を探しにここまで来た」

 

「あなたは賢者様の何なんですか?」

 

「な……?」

 

 思わずその目を見返した。あの温和そうな青年が、この問いに関しては単なる保護をする優しさだけの目ではなく真剣そのものの顔でこちらを見ているようだった。

 人に言われて来ただけだ、とだけ答えて済むような雰囲気ではない。だからといって他に何と言えばいいのか……

 

「わたしは……」

 

「私は?」

 

「………………………………」

 

 今度の沈黙は長かった。しかしそれでも——忽然と現れた怪しい少女を(いぶか)る思いがあるだけにしろ——痺れを切らして村に突き出すなど言わずに、辛抱強く言葉を待ってくれる彼が今のケイローネは少しありがたく思えた。

 

「…………賢者は、お前にとって大切な存在か?」

 

「もちろんです」

 

「ここに居場所など無いとでも言うように、お前たちの誰にも黙って村を出ただけの男の邪魔をすると私が言ったら、お前は奴を守るのか?」

 

「当然」

 

「……そうか」

 

 神に賜った使命だなどという”模範”で飾ったものとは違う、賢者を追い立てようとまでするに足る理由の納得が行く説明なんていうものは分からない。

 だけど少なくとも自分を助けてくれたこの人間はその男を慕っている。ならば自分が口にする答えは、それだけは何よりも真摯なものでなくてはならないのではないだろうか?

 

「ヨロギの賢者……そう呼ばれている者の失踪を知って、私の故郷では、多くの者が怒りをあらわにしたのだ」

 

 だからケイローネは、自分に許されているだけのことでも話そうと努力した。軽んじている下界のものに、言葉を選んで何かを伝えようなどというのは言うまでもなく初めての経験だった。

 

「イリアス様に遣える使命を果たさんと動き出し、これからだという時に手前勝手な理由にかこつけ行方を眩ませるという不届きは私も許せなかった。病が何だと言うのだ、その身その命尽きるまで神に遣えるという覚悟無くして何が賢者だ、と……」

 

 ヨロギの若者はその独白を黙って聞いていた。またしても多くを語らず、まるでこの村に居場所など無いかのように去っていくあの男に対して彼自身思うところが無いわけでもなかったし……ケイローネと似たような考えに至る者は少なくなかった。さしあたりツァイペエ老が火消しに専念してはいるが、以前から怪しい術法の探求に熱心だった”賢者”の信仰を疑う暗黙の声が、燻っていた煙を強くしたのは間違いない。あの老婆でさえ、自分に利が無くなると見るやどんな変わり身をするか分からない人だと身内ながらに思っていた。

 

「しかし、私が尊敬するひとを、行かせるわけにはいかなかった。こんなにもつらく苦しい旅になると分かっても後悔なんてしていない……だから、私は必死だった。なんとしてでも賢者を探して、捕まえないといけない、と……()()、思った」

 

「…………」

 

「だけど、何というか……それは何か違うような気もする」

 

 若く未熟で、そのうえ無知で、傲岸不遜な一人の天使兵に過ぎない何者かは──それでも苦渋の表情で俯いたまま、絞り出すようにそう付け加えた。

 たとえ要領を得なくても。

 自分の拙い嘘やごまかしでは彼は納得してくれない。ならば自分自身がこの旅とどう向き合っていくのか。ケイローネはそれを自分の、本当の言葉で言わなくてはならない。

 

「違う、とは?」

 

「いや、奴は今すぐにでも捕まえられるべきだと思っているし、今でも私は怒っている。だがそれも元はと言えば……むぅ……私だって()の御仁が成した偉業を知り、尊敬していたからこそ、でもあり……」

 

 違う、そんな事が言いたいのではない。それで私が言いたいのは、つまり。

 ケイローネが今まで生きてきた中でここまで頭を悩ませられたのは人間に関する事では初めてかもしれない。いや、きっとそれ以外の事を含めていたって、そうだった。

 

『……先輩。いつもこの量の報告書を、一人で?』

 

 こんな時に思い起こすのは、そう、天界の……

 

『考える事』

 

『はい?』

 

『彼らを見て、考える事……より真摯に注意深く、興味を持って、考える。それができれば苦にはならない物ですよ』

 

 あの日、あの人が言っていた「考える」とはこういう事だろうか。

 あの人ならまるで旧友を穏やかに迎え入れるようにこの感覚を楽しむことができるのだろうか。

 

 それは彼女にはまだ分からない事だが。分かろうとしながら、だから拙く、言葉を紡ぐ。

 

 

「ここで生きていくのは、大変なのだなと──そう、思った。

 

 …………

 

 ……私のような、者でさえ、地上の脅威には倒れるのだな。人の不興を省みようとしなければ、土地を追われる。話をすることさえできなくなる。それが現実なのか。

 お前に助けられていなければ、今ごろ私は寒空の下で縮こまっていることしかできなかったのだろうか。

 

 (たす)け……そう、助けが、要るのだ。人間はそのような、生きているだけでは生きていけない世界で暮らしている。

 

 賢者は今も苦しんでいるだろう、病に侵されているという言が正しければ。

 私はまだ奴が抱えているその苦しみは知らない。知らない……そうだ、私は何も知らない。奴の抱えているもの、背負っているもの。

 

 それなのに、何も分からないものの一側面に指を差して糾弾するのは不平等なのではないか?

 

 ……だから、

 えっと、だから……

 

 私は、知りたい。

 これは使命ではなく……それとは関係なく……

 使命にただ順じた結果が、奴にとって何をもたらすのかなど考えもせず唯々諾々と従うのではなく。

 賢者と呼ばれている男の事を、この旅を通じ知っていかなければならない、のだとも、思う……」

 

 

 それは、何か白状(はくじょう)でもしているような絞り出された台詞だった。

 結局は質問に答えられていない。どんな権利があって、聞けばイリアス教の過激な一教派?──と若者は解釈したが──らしき連中の手先となり一人の男を付け狙っているのかすら自分でもまだ分かっていないのだと、つまる所はそう言っているに過ぎない。

 

 ケイローネは俯く視界の端で影が伸びてくるのを見た。殴られると思った。咄嗟にすり抜けようと思ったがそうなれば彼の口を封じなくてはならない。それは、何か、嫌だ──……

 ぎゅっと目をつぶる。だが想像したような衝撃は無かった。代わりにわさわさと頭を撫でられる感覚があった。

 

「…………」

 

 少女の顔をじっと見ながら美しい翠の髪を確かめるように摩る。地上の人間に触られているという意識が反射的にその手を振り払おうとしたが、すんでのところで踏み止まった。少しすれば、なぜだか悪い気もしなくなっていた……。

 

 

「ともあれ、体調は悪くなさそうですね」

 

 

 この男もこの男だ。遅まきながら地上の者から見た自らの得体の知れなさを自覚し始めてきていたケイローネにとっては、先程までの警戒をなぜかあっさり解いてしまい安心したように微笑むこの男もまた、ひたすらに謎だった。

 すっと立ち上がり、そして困惑しきっている翠の少女へと、明日の天気の話でもするかのような朗らかさで手を差し伸べてきたのだ。

 

「少し歩きましょうか。──付いて来てください、話したいこともできましたから」

 

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