あゝ楽しんであれ、もんくえ世界津々浦々   作:点=嘘

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第四節 六十一話

 

 荘厳な光が辺りに満ちている。

 

『…………』

 

 世界の始まりにこの光景を”在れ”と命じた存在が神と呼ばれているのなら、思わず納得してしまうのだろうなと。

 対外的にはともかく内心ではそう信心深くもないつもりである俺が思ってしまうほど、ここは柔らかでありながら威厳に満ちた空気に包まれていた。

 

 そこには、俺が漂っていた。

 

 

 俺が?

 

 

 そうだ。一糸纏わぬ姿の俺が、水底に沈むように力無く揺蕩っている。その俺を、何か、見慣れぬ後ろ姿の誰かが繁々(しげしげ)と観察している。これは。

 

『…………やはり、存在が……』

 

 一切の穢れもない純白の翼。腰にまで届く流れるような美しい金髪。俺はその時点で確信した。いや、俺でなくても、この姿を前にすれば誰もがきっと直感的に察してしまうのだろう。

 

 神の存在を。

 すなわち、()()()()()()()()()

 

 この世界を今まで生きてきた中でごまんと耳にしてきた伝承にある通りの風貌は、初めて目にした後ろ姿でさえ間違えようが無いものだった。

 

 だが、待てよ。

 

 女神イリアスが見下ろしているのが、俺。

 その後ろ姿をいつの間にか眺めていたのも、俺。

 

 じゃあ、それなら。

 

 今ここにいる俺は、あそこでただ存在しているだけの俺は、一体何なんだ?

 

『…………』

 

 女神が、()()()に振り向いた。

 視界だけが在る俺へと両手を伸ばし。ありありと”疑念”を浮かべたその顔は覗き込むように。

 

 口を開く。

 

 そして。

 そうして。

 

『貴方は、誰なんですか?』

 

 

 

 

 


 

 

 

 あーあ、ヒマだ。ヒマだよ〜〜。

 あまりにヒマすぎて、夢の中を覗き見するぐらいしかやる事が無いや。

 

 ボクの仕事が忙しくないのは、いいことなんだけどねぇ……

 

 でも、なかなか面白いことになってるね。

 女神の困惑顔とか、もっと見てたかったなぁ。

 

 やっぱりキミ、おもしろ〜い。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「……?」

 

「おや、おはようございます」

 

 

 ぱたん、と本を閉じた相方の少女の声で意識が浮上する。

 珍しく地上に戻ってきているプロメスティンが、俺の看病をしてくれていた昨晩までの記憶が蘇ってきた。ここのところ発作もいよいよ酷くなり(うな)されていた俺の体は、寝汗でぐっしょりと背中を濡らしていた。

 ざあざあと数日前から続く雨が降っている外の様子を窓から確認して、深く息を吐きながら俺は寝かされていたベッドに背を預けた。

 

 この家は何というか、いわゆる俺の個人的な信奉者の家だ。いわゆる……とか言われても非日常過ぎる単語のせいでいまいち意味がわからんとは思うが、そういう状況も今の俺にはままある事なのだから仕方がない。

 他に寄る辺もなく、この薄暗い森の中たった一人で暮らしている男。10年ほど前に出会ったのがきっかけで色々と教えてやったりもした、世界中に数多(あまた)いる俺の直弟子の一人である。

 

 こんな森の中に小屋を立て薬師として静かに暮らしているのだという事を風の噂で知った。

 そんな俺が土砂降りの雨の中倒れ込むように入ってきたのを、彼は迷惑な顔一つせず迎え入れてくれたのだ。

 

「…………」

 

 口は固い男だ、無表情過ぎるのが玉に瑕だが。暖かい食事を盆に乗せながら部屋の入り口で微動だにせず待機している彼に「それを置いて席を外すように」と視線で促すと、そのまま静々と出ていくのだった。

 

 まあ、そんな事はどうでもいい。俺にとっては久々に会えたプロメスティンと話をすることこそが、何よりも、大事で貴重な時間なのだか、ら……

 

「ッ、は……ふうッ」

 

「痛みますか。これを」

 

「だい、丈夫だ。自分でやれる……」

 

 彼女に差し出されたケースの中から俺は錬金製のアンプルと注射器を取り出す。

 

 手の震えをどうにか抑えた上で──パキンと割った透明な容器の中の薬物を細い針で吸い上げ、腕の血管に流し込んだ。

 

 使い捨てを前提に作られたアンプルの破壊で俺の”症状”が悪化する事は無い──そうして、一般人による所持を合法としている近代国家が前世においておおよそ存在しないであろう種類の液体が体内で強い効果を発揮していく。

 

 耳鳴りするような心臓の音が響くごとに、身体の痛みが引く。

 痛みだけだ。ここまでやって、なんとか和らいでくれるのは。

 

 それでも、薬の力に頼りながらとはいえ──荒い息と流れる汗をそのままに項垂れる俺は、傍で見守ってくれているプロメスティンに気を回すだけの余裕を取り戻していった。

 

「……ふう……ああ、おはよう……なんだかリアルな夢を見ちまったな。こんなの初めてだ」

 

「夢ですか、一体どのような」

 

「……イリアス様が俺のことを見下ろしてたよ。ただの夢だが、今の俺らにとっちゃ少しばかり空恐ろしいような夢だったな」

 

「それはお気の毒に。具合が悪いとそのような悪夢も見ますよ」

 

「悪夢とまでは言ってないんだがな……」

 

 いちいち発言が不遜なのだが、それもまたこいつの持ち味か。じとっとした汗を拭いながら、そういえば、とある事を思い出す。

 

 言い伝えによると女神イリアスはしばしば人間の”夢枕に立って”というか何というか──まあ、その意思を伝えるに選ばれし者の夢を通じて語りかける事があると言われているらしいのだ。

 

「夢、か……」

 

 俺の知る限りではヨロギ村のツァイペエ婆様、あとはサン・イリアで大司教に抜擢された数名の関係者などが夢のお告げを聞いたと自称している──()()()()()()()()()()()()

 

 というのも、そうだな。

 そのようなお告げらしきものは、俺は少なくとも聞いた(ためし)がないのだ。

 

 こういうのも才能ってやつなのかな。向こうさんにしても今やイリアス教の最重要人物にまで登り詰めたと言っても過言ではないこの俺に何も言いたいことが無いってのはありえないだろうから、よっぽどだ。

 そうでなくても今の俺は天界の監視の外で旅をしているわけだから、本物のイリアス様が夢の中になど出てくるわけがないのだが。

 

「まあ、そうでしょうね。ただの夢という事で間違いないでしょう。特に貴方の場合は」

 

「お前はいつも言ってるもんな、イリアスは言い伝えにあるような全知全能なんかじゃ絶対にない、って」

 

 神様の事情なんて知らない事ばかりなので何とも言い切れたものではないが、それについては俺も一応異論は無い。

 いくら神でも、その目である天界の監視網が役割を果たしていない状態で、狙った人間の所在を正確に把握して適当な内容を夢に語りかけてくるなどまさか不可能に違いあるまい。

 

 そんな事がもしできてしまったらプロメスティンのような地上を監視する任務を与えられた天使なぞ元から必要ないだろうし、つまりは俺たちが今までやっていた事が綺麗さっぱり筒抜けになっているということになる。

 いなくなった俺の居場所など即座に天軍に知られ、ついでにプロメスティンもとっくの昔に吊し上げられて牢獄に放り込まれている筈である。

 

 だからまあ、妙な夢を見たなんつっても、それは単なる夢に過ぎないのだろう。

 

 忘れよう。

 

「にしても貴方、老けましたねぇ」

 

「ム……」

 

 しみじみとこちらを見ながら呟いてくるプロメスティンの言い草に、俺はなんとも言えない気分になる。

 この過酷な旅を続けて既に何年も経った。こんな風に安全な場所で休める機会も極めて限られた旅。発作のたびに蓄積するダメージも馬鹿にはならないし、平均寿命も短い古い世代の人間の肉体はとっくに衰えを感じ始める段階に入ってきている。

 

「そんな事ない……と言いたいが、否定はできんな。まだ身体は動くが」

 

「刻まれた皺は前より深くなってますし、よーく探してみると髪の毛も白髪が混ざってきてますね。人体の特徴的な劣化の傾向です」

 

「ああ、白髪……? ちくしょう参ったな……」

 

「心配なさらずとも、まだまだ顔は格好いいですよ」

 

 弱々しい笑顔で軽口を言ってきた、出会った頃から姿の一切変わらない相方は俺を励まそうとしてくれているらしい。それはありがたいのだが、厳しい現実は変わらない。

 俺の身体の不明な変調を治療するという、この旅の目的をついぞ果たせぬまま随分と遠い所まで来てしまった。

 

 ここに来るまでの出会いと別れ。得られた物が何もないとは決して言わない。むしろ”道”を歩き続ける者としての力は随分と付けさせられたと、この厳しい旅程の中で確かに実感している。

 だがそれでも、それをもってしても俺の体に起こっているこの現象についての手掛かりが()()()()()()()()のだ。発症そのものを抑える緩和法は幾分か確立できているが、それも結局は対症療法でしかない。

 

「どうなっちまうんだろうな、俺たち……」

 

「…………」

 

 賢明なプロメスティンがこんな風に何も言えないでいること自体が、これからの困難をそのまま物語っているようですらあった。

 

 かつては賢者と呼ばれ、イリアス教での尊敬を縦にしていた男がこうまで落ちぶれるとはな。

 結局は無理だったというか──もう、時間があまり残されていない。今から全てを解決してヨロギ村に帰ることができたところで、果たして、俺たちの夢をプロメスティンに託す地盤を整えることが今の俺にできるのかどうかも分からない。

 

 すべての、阻まれる者のために。

 

 それだけを命題として生き続けてきた──だが身分を隠して旅を続けるうち、人の心が”賢者”から離れていくのを確かに感じる。

 こうまで勝手をやっていればそれは当たり前のことだ。これは、女神イリアスにとっての”俺という存在の価値”を次々と擦り減らしながら、ほんの僅かな時間を買い続けていくという行為なのだ。

 

 信用を無くせば、それだけ俺に対する天界の動きに「慎重さ」も「尊重」も欠けていく。プロメスティンがリスクを冒してまで俺のところに今回来てくれたのは看病のためだけではない。その事実を伝えに来てくれたからでもある。躊躇いがちに、口を開く。

 

「貴方も薄々とは察してそうですけど、上がいよいよ痺れを切らしていましてね。どうにもケイローネが成果をあげられていない現状を、いい加減に何とかするべきだろうという動きがあります」

 

「仕方ない……といっても、これほど膠着した状況が良くも今まで続いてくれていたものだ、と思った方が良さそうか」

 

「一度イリアス様の名において議会で決定した事案だからこそ、今の今まで余人が口を挟もうにも話題にすら出しづらかったという事情があります。カチカチを通り越してガチゴチの官僚仕事で呆れるばかりですが、その我々にとってありがたい状況すら破られるほどに時間を使い過ぎてしまいました」

 

「具体的には?」

 

「越境の監視が各地で数段強化されています。平均180%ほどの人員コスト増加と22時間体制の最低監視時間義務化が主軸で、他にも細々とした改正案がぞろぞろと。まったく現場は阿鼻叫喚ですよ……面子の問題があってケイローネの活動と彼女による現地での捜索任務を主とする方針には変わりないようですが、まあ、今回は随分と気合を入れてきてるみたいですね……」

 

 妥当なとこだろう。こうして完全に動きが筒抜けになっているだけ身を隠す側としてはやりやすいと考えるべきか。

 

「要するに非計画的な長距離の移動がほぼ不可能になった訳だ。監視網を掻い潜るためにはお前の指示通りに動くことが絶対になる」

 

「そういうわけです。去年の冬の吸血鬼騒ぎみたいな事は絶対に避けてください、一つの事件で大陸を横断するほどの距離を動き回られると困るんですよ……というかこれからは確実に露見しますからね、あんな調子でいると」

 

「最近はお前の上司の対抗派がピリついてるんだったか。監視部分の要職を抑えられてるとか……今回の動きもその連中が?」

 

「ええ、私が起こしたに等しいとされている此度の一件の責任を問わされる形でアテナ様の影響力は日に日に落ちています。今の状態で貴方の居場所を大天使(アークエンジェル)ヘパイスティーネ様の一派が知ればどういう動きに出られるか分かりません。すると、次の目的地は……」

 

「俺の体調のこともある。療養を兼ねて長期の間身を隠せる場所、それも天界の監視が甘くなりやすいイリアス教圏外となると……」

 

 

「「ヤマタイ地方」」

 

 

 自分と同じ結論に俺が至ったことに満足そうに頷きながらプロメスティンは続けてきた。ただでさえ候補地が少ない中から最適解を選ぶのは今の俺にとってはそう難しい事ではなかった。状況を読み解くことにかけての自信は昔よりはある。

 

「我々にとっては未踏の領域となりますね。魔族が守護している領域であることを差し引いても独特に過ぎるそのイデオロギーから、”賢者”の影響力の拡大を主目的として動いていた当時の貴方に当面の傍観を勧めたことは記憶に新しい」

 

「個人的には興味があったんだが……まあ、あの頃は本当に忙しかったからな。観光目的どころか調査の名目でもふらっと立ち寄るって訳にはいかなかったし」

 

「彼らは新しいものを受け入れる下地はあっても本質的な意味でおもねる事が無い、と言いますか……すみません、私もいまいち価値観を把握しきれていないところがあるんですよね。こちらの方でも天界の監視文書などを当たって調べてみます」

 

「そんな事を気にするなよ頼むから。重ねて言うがこれは俺の問題だ、付き合ってもらってる時点で感謝しかない……

それにまあ、あそこの連中の考え方とかは何か案外すんなり理解できるような気がするんだよな、俺……」

 

「……?」

 

 多尾の妖狐を筆頭とした魔族が縄張りとするヤマタイ村。妖狐や妖怪といった他ではあまり見られない種類の魔物や、忍術、陰陽術といった独自の技術、文化的概念が発展を遂げているという閉ざされた土地──……

 

 

 言うまでもなく、その存在は、俺の記憶にだけ眠っている()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 まあ以前からヤマタイの地に限らず「輪廻転生(Reincarnation)」だとか、「エルフ(elf)」「ドラゴン(dragon)」といった一部の単語・魔物の名前などにもそれは割と感じていたのだが……特にヤマタイの存在は、この世界における俺の知っている文化や概念の気配をどうにも色濃く思わせてきた。

 

 この世界と前世に何らかの関係があるのかは分からない。そんな郷愁にも似た感覚が、今の俺の問題の解決に役立つわけではないだろう。

 とはいえ正直に言えばどうにも惹かれてしまう……ヤマタイ村は俺が前々から訪れてみたいと思っていた土地の一つなのだった。

 

 ()()()──このタイミングで、俺はある一つの事柄を思い出す。

 

 この身に起こった原因不明の変調。それが、実は初めての事ではないのだ、という事実を。

 

 

『その後、()()調()()()()()()()()()()? “ゴルド火山”での一件から何か反応はありましたか?』

 

 

 順を追って振り返ってみよう。

 

 当時の俺はまだ魔術師として修行中の身だったか──遥か以前にも、この症状と似たような体験をした事が確かにあったのだ。

 初めてプロメスティンと出会った時から歩み始めた道、あの修行の旅の終点、ゴルド火山。瀕死まで追い込まれた俺は合計で二度、側にいたプロメスティンには聞こえなかったらしい『声』を耳にした。

 

 

 その内の最初の一回は──思えば、俺が手にしていた杖の”破損”に伴って聞こえたはずだ。

 

 

スキューア・ペトリファクト(串刺し石化の呪い)……!

 

『か、あがっ……!?』

 

 あの直後、俺は当時の力量ではとても使いこなせないような強力な魔術によって難敵を撃退することに成功した。あの当時は、俺の為に身を捧げてくれた”杖の意思”とでも言うべきモノが……最後に背中を押してくれたのか、などとそう思っていたのだが。

 それが事実とは違うのだとしたら?

 杖という物体の“損壊”。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、いつだったか、プロメスティンは確かこう言っていた。その声は自分には聞こえず貴方だけに聞こえる。しかし知識や魔法的素養において私が持っていないものを、貴方が持っているとは到底思えない、と。

 だけど今にして思えば、俺は一つだけプロメスティンの知り得ないものを持っていたんだ。

 

 前世の経験。

 

 それはこの世界に生まれた時点で他ならぬ俺が、決して他人には明かすまいと定めた秘中の秘。

 

 ……といっても「症状」は「症状」、これはこれだ。

 物体の損壊が肉体へのダメージとして還元されるなんて意味不明な──改めて考えると本当に意味不明かつ理不尽な──障害は、ごく平凡な人間の前世知識を持っている程度の事なんかとは特に関係性が見出せない。だから俺と他人との唯一の差異が、それ以上の意味を持つと考えた事は無かった。のだが……

 

 

 記憶、声、そして苦痛。一見すると関係ないように思える複数の事柄が、実は一つの図の上で成り立っている関係なのだとしたら?

 

 

 ……いや、考え過ぎか。確かに俺の勘はよく当たる。だけど、苦しみから安易に逃れたいが為にこじつけた、意味も根拠も無い後付けに大した価値など無いだろう。

 兎にも角にも目の前のことに集中する。それ以外のことに目を向けている余裕など、今の俺には無いのだった。

 




【Tips】
ヘパイスティーネ様……プロメスティンさんの上司であるアテナ様のもっぱらの政敵とされている大天使。地上監査役の現場の指揮権をもぎ取り、過労死環境に作り変えてまで優位に立ちに来ている様子。

ところで原作履修済みの方々にはお分かりの通り、イリアス様は全知全能とは程遠いです。
ですが少なくとも本作のプロメスティンさんが現時点での推測をもとに考えているよりは遥かに──その単語と近接した次元の存在である、ということもまた確かです。この事実は触れる機会が無いから今までスルーされ続けていただけです。それだけは真実を伝えておきたかった。
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