あゝ楽しんであれ、もんくえ世界津々浦々   作:点=嘘

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第62話

 

 淡々とした打ち合わせが続く。

 

 かけがえの無い仲間であるプロメスティンと話す時間もほんの短い間しか確保する事ができないこの旅が始まってから、もはや慣れた作業のひとつである。せっかく俺の前に用意された食事を片付けようと苦心している間にも、二人の話にはようやく区切りが付いてきた。

 

「何はともあれ──()の地には独自の神秘がある。それは確かです。我々がまだ見ぬ癒しの力が隠されているかもしれません」

 

「……そうだな」

 

 この程度の量すら完食することができないほど弱った胃腑に手を当てながら、俺は気のない返事を投げ返す。

 

 期待していることは分かるよ、プロメスティン。俺の身体を治すのに繋がる何かが、あそこにならあるかもしれないと。

 今まで散々繰り返してきたことだ。俺たちがここまで縋り旅路を歩き続けてきたのは全てが不確かな希望でしかない。次の目的地こそは、今度こそはと。

 

 その結果として俺が成した事。それは知識と力ばかりを高めながらも、そのくせ自分の命ひとつ延ばす事すらできず、隠れ潜み、周りに傷跡を残しながらひとまずの生にしがみ付くことだけだった。

 

 この体質は、俺という人間がいかに多くを傷つけながら生きているのかを実感させる。

 

 結果だけを見て語るのは筋違いかもしれないが、無為かつ空虚な数年間を過ごしてきたものだ。

 思えば……全く、滑稽だ。

 

「なら、俺はせいぜい足掻くだけだ……望みは薄、かもしれんが」

 

 

 

「確かに、これは私らしくもない希望的な観測に過ぎないのかもしれません」

 

 一見すると同意する言葉で。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()調()()

 

 プロメスティンはいつしかベッドの上で強張っていた俺の拳に、ゆっくりと手を重ねながら言った。

 

「情けない話ですが、今の私にできることはその程度の曖昧な提案だけです」

 

「……うん」

 

「それでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがどんなに滑稽でも、寒々しいものに過ぎないのかもしれなくても。()()()()()()()()()()()()。貴方の言う通り、ですが私たち二人で。最後まで足掻いてみることにしましょう──今度こそは、と」

 

 目と目を合わせた。俺の黒い瞳と、深みのある赤色をした彼女の瞳。

 こんな事になってもまだ俺のことを大切に思ってくれている、そんな彼女の手の暖かさを感じる。俺たち二人の間にある当たり前のものに、俺という人間はかろうじて繋ぎ止められている。

 

 ……つくづく、馬鹿な人間だな、俺も。

 たったそれだけの事で、もう一度くらいは歩き出してみようかという気持ちにさせられているんだから。

 

「ですが忘れないでください、私たちにはもう時間があまり残されていません。貴方の体力も、維持していられる人心も、厳しさを増し続ける天界からの監視も。もはや猶予が無いんです。もしかすると、今回の旅が最後になるかもしれない」

 

 そっと手を離して立ち上がり、扉の方に歩き出すプロメスティンを名残惜しく思いながら俺は口を開く。

 

「……行くのか」

 

「ケイローネに一任する風潮が徐々に薄れつつある今でも、私のようなものが天界から離れてここに居ることは大きなリスクですからね」

 

「分かった。……いつもながら、寂しくなるな。またしばらくお別れか」

 

「お大事に」

 

「ああ」

 

 今度こそ、多くを語る必要は無かった。

 努めてそうしてくれているのだろう、静かに、いつものように場を後にした彼女を見送りながら、死期の迫りを訴え始めたこの肉体に手を当てる。

 

 もはや手段を選んではいられない。俺の、俺たち二人の夢の為に。

 暖かな再会の熱が冷えていくのを感じながら──目的を見据えるように上げた顔に、”賢者”の冷徹な表情を張り付ける。これも、また散々繰り返してきたことだ。そうしていなくてはならなかった。

 

 先程までの郷愁は既に心を動かさなかった。余計な思考は不要。何も見逃すわけにはいかない。

 俺は未来を手に入れてみせる。その為になら何でもやる。

 

 次の目標は、ヤマタイ地方。

 

 

 

 ◼️◼️◼️

 

 

 

 とある雨上がりの森の中。

 

 そこへ孤独に住まう薬師の男は、何も言わずに姿を消していた”賢者”の寝床を確認する。

 表情に乏しく口も上手くない男は、しかし敬愛する師を助けることができたというそれだけの事実が満足だった。どこにも不満は無い。何も言わず、聞かずに奉仕を捧げられた事が幸せだった。

 

 師を同じくする『あの』ロンとフウの二人でさえそれは出来なかった事だ。自分が彼ら以上の弟子とは思っていない、それほどあの二人は賢者にとって特別な存在なのだ。だが、だからこそ、そこで男はこれ以上の名誉が果たしてあるだろうかと考える──

 

「…………」

 

 それでも、ただ。

 (いたわ)しいと思った。

 

 何も聞かずにいた身からしても、治療の為に旅を続けているというあの男の体が快復に向かっているとはとても思えなかったのだ。このまま道を歩き続けるという事が、あの男に計り知れないほどの苦しみを代償として(もたら)していくのだろうと察するのは簡単だった。

 

 たとえ緩やかな死を待つばかりだとしても、帰還を待ち続ける自分のような信奉者達に暖かく迎えられて平穏な余生を過ごすのと、果たしてどちらがあの男にとって幸せなのかと勝手ながら思い悩む事がある。

 

 誰かに、見つかってしまえばいいのではないか。

 

 そんな考えが頭を過ぎる事など以前の自分なら考えられなかったかもしれない。あの男の意思に絶対の信を抱き無上の尊敬を捧げていた、以前までの自分なら。

 

「…………」

 

 彼は目を瞑って回想する。二週間前。賢者が倒れ込むように小屋に入ってきたあの日から更にほんの少しだけ前のこと。

 この森奥まで訪ねてきたあの”追跡者”と触れ合ってから、自分の考えが変わったとでもいうのだろうか。

 

 


 

 

世話になったな。少ないが、礼だ

 

 


 

 

 それは賢者を追って旅をしているのだという、歳若い娘だった。

 ちゃりんと数枚の硬貨を机の上に落とした彼女は、腰に剣を帯び、破れかかった箇所を手縫いで繕ったようなボロボロの外套を羽織っていた。

 

 “賢者を崇拝しており、かつこのような人里離れた場所で暮らしている人間”──つまりは自分のような者の存在を聞き付け、訪来して回っている所なのだという。頼るとすれば次はここだという風に、何度も何度も当たりを付けて。

 その読みは、ここに来て見事に的中していたわけだ。

 入れ違うようにここを訪れた賢者は特定の追手を気にするような素振りを見せていなかった。もしかすると娘は、この娘こそが、賢者が想定している他の何よりもその背中に迫りつつある物なのかもしれなかった。

 

『……あえて包み隠さずに話すが……私の狙いは、賢者の身柄だ。貴方の話を聞かせてほしい。私には協力が必要なんだ』

 

『…………』

 

 出会った当初、忠実と寡黙の男が娘に対して口を開くことは決して無かった。

 昏い瞳で睨み付けるだけだった男を前に──彼女は、ただ頭をかいて苦笑する。

 

 

 曰く、それで構わないのだと。

 自分が追っている男がどれだけ、ここにいる貴方に想われているのかを知る事ができる。たったそれだけの事だけど、それだけで、私は前に進めるから──と。

 

 

 不思議な娘だった。

 イリアスの教えを守る人間にとって余りに大きな意味を持つ賢者の行方を追う者は多い。だけど、そういった者達とは何処かが明らかに違っていた。

 かといって、賢者の意思を信じるからこそ後を追わないことを選んだ自分のような者達とも違う。

 

 しばらく宿を貸してくれないか、と娘は言った。唐突な申し出だったが追い出す事もできなかったのは、そうした感覚に柄にもなく興味が湧いてしまったからなのだろうか。

 娘は最初の邂逅以降、何かを尋ねたり聞き出すような事をしてこなくなった。

 

 代わりに、自らの歩んできた旅路を少しずつ男に語っていったのだ。

 

 夕飯時、固く乾いた保存用のパンを齧りつつ、蝋燭の明かりに照らされて楽しそうに、あるいは誇らしそうに、自分が見つけた”賢者”の足跡と冒険について話してきた時の顔を覚えている。

 窓の外に覗く曇り空を眺めながら、今までに見つけた物と”自分が抱える物”の間に挟まる矛盾について悲しそうに、難しげな表情をして呟いていた時の顔が印象に残っている。

 

 どこか素性をはぐらかすような口振り。全てを伝えられた訳ではないし、伝えられると思っていた訳でもないのだろう。

 

 互いに、それで構わなかった。

 

 

 

 

 どんな事情を抱えているのか全てを知らされた訳ではないが。

 彼女は外の世界で背負い込んできたしがらみが男の生活を乱すことを嫌っていたようだった。そういった何かの事情が不意に顔を覗かせるたびに申し訳なさそうな顔をしていた様子を覚えている。

 

『……?』

 

『よしよし……』

 

 時折、何やら伝書鳩を指に停めて餌を与えている様子が見て取れた。確認した限りでは数枚の紙と僅かなカネのやり取りがあるようだった。

 友人達への手紙と、それから仕事の話だ、気にするな。そう言って彼女は笑った。

 

 

 

 薬師である男は魔物除けの知識にも秀でており、生態を把握している近辺のモンスターが小屋の周辺まで姿を見せるのは稀な事だった。

 だがある夕暮れ時、薬草の採取から戻る帰りの山道で傷だらけの鳥妖が翼を引きずりながら逃げ去る所を遠目に目撃した。それほど強い魔物ではないと知識では知っているが、この森でハーピーを見た事は一度もなかった。

 

 帰ると、家の外であの旅人が自分の手にする尖剣をぼんやりと見下ろしていた。曰く、過去にあれの友を殺してしまって以来恨まれ続けているのだと。

 迷惑をかけるつもりは無かったが、尾けられているとも気付かず騒ぎを起こして申し訳ないと謝罪をされた。

 

『あんな風に翼をやられ、動けなくなって命乞いをしてきた相手に私が止めを刺した。相手は死んで当然で、私は人から感謝をされた。なのに……今度は見逃してしまった。何が違うんだろうな』

 

 たとえば自分が追う賢者は、自分などよりも遥かに多くの血を流しながら道を歩いてきたはずだ。それは現在に至るまで賢者の足跡を追い続けてきた結果が物語る間違いのない答えであり。

 なのに、ある想像がふと頭に思い浮かんだ。その男が今の自分の立場に置かれたらどのような感情で敵を殺すのか、という疑問。

 

 それを考えると──何故だか剣を振る手が止まっていた、のだという。

 

『はは、こんな事を話しても仕方がないな。さあ戻ろう……』

 

 

 

 そんな取り留めも無いことばかり印象に残ってしまう程度には起伏が無く、穏やかで、しかし普段ほどには静かではなかった滞留の日々は終わった。短いようで事実として短い、ほんの三日か四日ばかりの記憶。

 

『世話になったな。少ないが、礼だ』

 

 ちゃりん、と音を立てて机に散らばる硬貨を眺めながら、男は椅子から腰も上げずに、独り言を呟くように娘の背中に声をかけた。

 

『……なぜ、私が賢者を追い続けているのか? あの方が追われるのを拒むのならばそっとしておいてあげられないのかだと?』

 

 そんなことをわざわざ訊いている自分の真意も男は分からなかった。自分が所詮、何を知ろうとも歴史の何も変わる事のない、ただそこに居合わせるだけの人間でしかないことは自覚していた。今までも、そしてこれからも。どこまで行こうと自分はそれまでの人間なのだという自覚を。

 なのに言わずにはいられなかった。

 ……この数日で貴方の声を始めて聞いた気がするな。と娘は笑いながらも答える。

 

『申し訳ないが、それはまだ、私にも分からないのだ』

 

『……』

 

『今まで私が生きてきた全ての時間よりもずっとずっと長いと思えるこの旅の数年間は、あるいは私にとっては、その答えを探し続けるための時間だったのかもしれんな』

 

『………行く当ては?』

 

『無い。が、問題も無い。何せ今までもそうだったのだし、それに……』

 

 

『あの男が何を考えているのか、それだけを思って歩き続けてきたんだ。

 私の中のあの男が本物と同じことを考えるようになれば、私は自然とあの男に追いつくことができるはず。

 私の旅は、結局はその一つをやり遂げるだけの旅だったんだよ』

 

 

 娘はそれきり、黙してその場を後にした。やるべき事がある。誰にも理解されないかもしれない、しかしそれでも、確かな信念を抱いて。

 こんなにも遅くなってしまいながら旅の終わりが見えない現状を、敬愛すべき先輩に心の中で謝った。その一方で、目的を果たした時のことを頭に思い描いていく。

 

『さて、次の目的地は……』

 

 会って、それから話を聞きたい。自分が長年追い続けてきた男と、まずは。

 

『ヤマタイ村、か』

 

 運命は収束する。

 物語の結末が近付いていた。

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