「やってくれる。仲間に知らせていたとはな」
そういう忍法か何かで既に連絡を残していたのか。恐らくは俺との戦闘に入る直前。
あの瞬間は俺も影に潜っていて分かり難かったが、そういえば印のような物を結ぶ動作をしていたような気がしないでもない。
「如何にもご指摘の通りですわ。独断専行は褒められた物でなくとも、その判断を誤らなかった所だけは及第点を差し上げてもよろしいでしょう」
それで現れたのが、この六尾。
縦長の瞳孔をした透明度の高い目を見開いた顔からは一切の感情が読み取れない。まるで人形、いや機械のよう。不気味な表情だ。
両手を後ろに組み慇懃な姿勢を取ってはいるが、獣の四つ脚はいつでも踏み出せるように片方を前へ出した状態で静止している。
しかし、その毛並みに同じく、白と金の絹糸が織り混ざったような美しい髪。
ぴんと頭頂に立つ獣耳の後ろあたりまで高く結い上げられた長髪に赤い縄を絡ませて纏めた髪型は高位の妖魔が備える妖艶さを当たり前のように感じさせる。ただ主君に仕える忍であるというだけではない、上に立つ者としての気品ある器量のようなものが確かに存在していた。
只者ではない。五尾と六尾の間にある実力差はそこまで大きくないと噂されているが、少なくともこの二人に限っては異なるようだ。
五尾に関しては、言わせて貰えば”若さ”というやつが滲み出ていた。俺の見立てでは尾も増えて間もないぐらいだろう。逆に言えば、それだけの若さで五尾にまで登り詰めているという事実には相当の才覚を感じさせられるが。
しかしコイツは違う……恐らくは妖狐の中でもかなりの上澄み。長年の経験に裏打ちされた隙の無さや風格は、周囲の空気にずしりとした質量を感じさせるような雰囲気を常に身に纏わせている。
戦えば絶対に勝てないとは言わん。この場で今すぐウィルム娘の封印を解く手段だって考えは何通りもある。振り切るだけなら確実だろう。
だが選択は慎重に行わなければならない。特にこういう、何を考えているかも分からないような手合いを相手するなら尚更だ。
「申し遅れました、
「何だ、えらく丁寧だな……」
「単に六尾で構いませんわ。私以外の六尾に囲まれるような状況になど陥った時には、貴方は選択を完全に間違えていると云う事になるでしょうからね」
「なるほど理解はした。大人しくしてさえいれば、ひとまずアンタのような化け物にこれ以上は出会わずに済むぞという分かりやすい脅しな訳だ。
──だが、俺はまだ”間違えて”はいないとでも言いたいのか?
痙攣するウィルム娘の隣で完全に気を失っている黒銀の五尾に視線を向ける。
身内をここまで痛めつけ、蒼白な顔を晒させている男を前にして
それは何とも──胡乱な話だ。
「忍として育てられた以上、戦いの渦中で果てたのであれば、そこに感情が介在する余地は御座いません。我々が優先するべきは『任務』のみなれば。
──そも、これしきで済まされたのであれば魔物が命を落とすことなどありませんわ。そういった加減は良く良くご存知なのではなくて? 賢者と呼ばれ、魔に仇をなし続けてきた貴方になら」
「ふん……」
調べは付いているらしいな。五尾との接触で早々に身柄を明らかにされた以上、これはいよいよ、隠密裏に領内で行動することは諦めなくてはならないかもしれない。
表情も姿勢も微動だにせず、いかなる内心も読み取れない目の前の六尾に、はっきり言おう、俺は手を焼き始めている。
「我ら狐族の、ひいては魔王軍の情報網を甘く見ない方が宜しいかと。女神を盲信する哀れな人間にかつて導きを与えし者。扇動者であり、ヒトより現れ出た魔族に対する明確な敵対者。今やその名は世界中の妖魔に広く知れ渡っておりますわ」
……まどろっこしい話が嫌いって訳じゃないが、高位の魔族にペースを握られているのは気に食わないどうこう以前の問題で単純に危険だ。
ましてや俺には時間が無い。さっさと本題に移ってもらおうか。
「知った風な口を利いてくれるが、こんな場所で長々と人の身の上話をしゃべくるのがアンタの任務という事か? だとすれば笑わせてくれるな」
だからまずは揺さぶりを掛ける。
こんな怪物と対峙してしまっている時点で覚悟しなければならない事だが、そこの所のバランス感覚は非常に難しいものがある。挑発的な発言にはリスクを伴うが、ただし必要以上に自分の立ち位置を低く置く態度や発言は逆に命取りだ。この程度のジャブで冷静を欠いてくるような事は無いと思うが、さて、どう来るか。
僅かに眉を動かし、じっとこちらから目を離さないまま髪をさらりと横に流す仕草をした六尾は、しかし依然として抑揚の薄い流暢な言葉を並べ始めた。
「──勿論、そうでは御座いません。私は
「アンタより上だと……? それは何者だ?」
「
思わず俺は驚愕の表情を浮かべかけた。
その通り名は、かつてプロメスティンから聞いた『絶対に目を付けられてはならない数名の妖魔』の筆頭格。
八尾の妖狐。即ち──
九尾じゃなくて八尾なのかって? 知らん。大昔にはあらゆる妖獣の祖先である六祖の玉藻とかいう大化け物の九尾が実在したとされているって程度の話しか聞かないが、どちらにせよ俺には逆立ちしたって手に負えないだろうから同じようなもんだ。
冗談ではない。
そんな傑物中の傑物と、たとえ会話のみで済むとしてさえ話術で渡り合うつもりは無い。魔物の敵対者という立場を選んだこの俺が無事に帰れるとも思えない。そんな招致に応じる事など、後にも先にも断じて無い。拒否させて貰う。
「…………」
「その顔を見れば、ええ、考えている事はお察ししますわ。しかし一つ申し上げるとすれば、我々は”賢者”を無闇に害する意志を持ち合わせておりません。
高位、低位に依らずヒトとの調和を重んじる魔族は多く居る。既に立場を得てしまった貴方を一方的に殺害する事はある種の分断を招きかねないと、八尾様はそう考えておいでです」
「その”分断”とやらを、俺は教義に従い進んで成し遂げるぞ。それについてはどう考えるんだ」
「かつての”賢者”は、そうでは無かった。そして現在も、貴方自身の目的は分断そのものでは無い」
「!」
「何か目的を持って”それ”を成し遂げようとしている。我ら魔族全体の益には決してならず、敵対の道を進む物だとしても、それは悪とは言い難い。
貴方がたの定めた聖都とやらの土地に於ける妖精族の扱いや、かつて存在した都市ドウェルガの顛末に貴方が関わっていたとする断片的な情報。それらを始めとする複数の事例からそう推測する見方がある──のだそうです。識者の受け売りではありますが」
参ったな。言う通り、甘く見ていた。こいつらは一体どこまで俺の事を見ていやがるのか。まあ明らかに魔物の死体をいじくり回して連れているといった冒涜に関してはどう見ているのか知らんが……
とはいえハイそうですかと言葉そのままを受け取れるわけがない。
俺が連中の敵対者である事は動かせない事実だ。それにまだ解決していない疑問はある。
「……そこに転がっている五尾はアンタのような釈明も無く俺を仕留めようとしたようだが?」
「……独断専行とだけ。これには別の任務を与えておりましたが、いつの間にやら持ち場を抜け出して我らの目を盗み近隣の哨戒などを。そうして貴方に噛み付いたという次第ですわ。動機はおよそ見当が付くのですが」
「何だそれは。意味が分からんし、説明が雑だぞ。信じられるか」
「信じる、信じないは貴方次第。ですがいずれは全てが明らかになるでしょう──それに何も、私は無理にそちらを拘束し、八尾様のもとへ引き出そうというのでは御座いませんわ。
貴方がこの先に進み、そして我々が抱えている『大きな問題』というものを知ったその時、改めて我らの話を聞く必要がある。それだけの話なのです」
「…………」
事情は知らんが、口振りから察するに俺とも無関係なその『問題』とやらで相手側も中々に窮していた所……って事か?
つまりは色々と言っときながら俺に面倒を押し付けようとでもしているだけか、体よく利用させられるのか。嫌な予感は拭えんが──想定よりは誠実な対応だ。
危害を加える意思が無いというのはどうやら本当の事らしい。話をするかは別として、穏便に事を運ぶ”必要を突き付けられた”形になるな。
くそっ。言っている事が全くの出鱈目でないとも限らんのに、少なくともここで口を封じて情報を差し止める事は出来なくなったわけだ。結局はペースに乗せられている図面になる。会話に応じた時点で、密かに潜り込むという理想の選択肢は既に奪われていたのだ。
……まあいいさ。それならそれで今後の動きを考えるまでだ。幸いにも選択の権利はこちらが持っている。ならばこれからの動き易さを第一に考え、それなりの態度を取るべきか。
「……場所は?」
「神社坂、その中腹。狐神社の本殿にて待つ。との言伝です」
「覚えておこう。だが最後に一つ用事があるな、そこの五尾は意識があるだろ?」
「ええ、途中から目を覚ましていた様です。狸寝入りとは狐らしからぬ真似で嘆かわしい限りですが」
英語じゃ同じ意味で Fox sleep とも言うらしいがな。それはさておき。
「うっ」
単に起きたと言い出すタイミングを見失っていただけだと思うぞ。まあ、あの怪我と失血で勝手に意識を取り戻すとは大した頑丈さだ。さすがは人外と恐れ入る。
それよりこの場を退散させて貰う前にやり残した事がある。俺は虚空に右手を掲げ、ぶぉん、と音を立てて揺らいだ空間から一振りの忍者刀を引きずり出した。それを五尾の近くへと投げ捨てる。
「お前の武器だ、返してやるよ。ただし俺から奪った腕飾りをそちらも返してもらおうか」
未だに五尾の手に握られているそれを指して言う。差し出された得物、そして”敵”に持ち物を返す嫌悪感からか両方を交互に見比べて困惑した表情を浮かべる彼女に、俺は溜め息を吐きながら淡々と続けた。
「少しばかり思い出深い品でな。今の俺には必要は薄いが、それでも返して貰いたい」
「だ、だって……誰がお前なんかにっ、ふざけっ」
「
「ぐぐっ……でござる」
こいつも何なんだろうな、上司であろう六尾が立場を明らかにしたのにも関わらずこれだけ敵対的なのはちょっと妙だ。何の為に戦うのか。それは確か『友情』の為とこいつは言っていたが、知らぬ間に恨みでも買っていたのか。
まあ、心当たりには尽きない身だがな。葛藤の表情で同じく放り投げられたそれを片手で受け止め、今度こそ俺は振り返る。杖を振り上げてウィルム娘の封を剥がしながらだ。色々と考えてはいたが一番簡単で隙も大きい方法を取る事になってしまったな。
これで後ろから六尾の奴に襲い掛かられでもしたら最早乾いた笑いを浮かべるしかないが、そういう様子も無さそうだ。
「確かに言伝を済ませました。お待ちしております」
「期待しないで待ってろよ」
再び俺は闇に消える。恐らくはそう長くもない間。
とっくに灯火の消えたカンテラの下がる車椅子へと、”症状”にやられつつある足の激痛を静かに堪えながら向かうのだった。