箱入りお嬢様の実家爆発ドブカス崩壊世界でゴミ拾い物語   作:ቻンቻンቺቻቺቻ

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つまみ食いしたら死んじゃいそうになった事があるよ

 

 朝目覚めて1番最初にするのは自分の脚を触ること。太ももを軽くつねると少し痛みを覚え、膝を指でなぞるとほんの少しくすぐったくて、ふくらはぎをおもいっきりつねってもほとんど何も感じず、足首から先は何をしても感覚がない。

 

 私の足は爪先に向かうほどに麻痺している。

 まだとても幼かった頃に立派なお仕事をしている父を狙った毒のお菓子を私が誤って食べてしまい、どうにか命は助かったものの足の神経が壊れてしまって私は自分の足で歩くことができなくなった。

 医者の方から悪化する可能性はあれども回復する事はあり得ないと聞かされているけれども、何かの間違いでほんの少しでも回復しないかと祈りながら私は毎朝自分の足に触れて感覚を確かめている。

 そして、毎朝少しだけがっかりもしている。

 

「ウィノラお嬢、起きてるかい?」

 

 いつものようにがっかりしながら一人で使うには広過ぎて少しだけ寂しいベッドの端に腰掛けていると、寝室と廊下を繋げる扉を適当にノックされる音と一緒に力強い雰囲気だけどどこか耳に心地好い優しげな気配のする女性の声が扉の向こうから投げかれられる。

 

「おきてるよ」

 

「あァ、どうやらそうみたいだね」

 

 返事を返している途中にやや乱雑に開かれる扉。私が起きててもまだ寝てても関係無く開かれていただろう扉から姿を現したのは、野性的な赤髪と虎色の瞳をしたカーゴパンツファッションが似合う女性で、私が足を悪くしてから父がお世話役に私設の武装隊から特別に連れてきてくれた人。

 

「おはよう、ルイーサさん」

 

「おはようさん。毎回言ってるが“さん”はよしておくれよお嬢、お上品な呼ばれ方はむず痒くなる」

 

「じゃあなんて呼んだらいいかな?」

 

「お嬢は私の雇い主の娘、アタシはしがない傭兵、()()()()に呼び捨てでいいじゃないさ」

 

 言いながら部屋中のカーテンを開け歩くルイーサ、出会ってからほとんど毎朝同じように繰り返してる問答の最後もいつも同じ答えにおわる。

 

()()な呼び方をするんだったら、ルイーサさんは年上のお姉さんだからルイーサ“さん”だよ」

 

「お姉さんだなんて呼ばれるほど若くもないんだけどねェ」

 

 全てのカーテンを開け終えたルイーサが窓から入り込む朝日の中で私に愛嬌のある苦笑いを向け、対して私は自然と口角が上がってしまったほほえみを返す。

 

「それで、お召し物を着替える手伝いはいるのかい?」

 

「小さな子供じゃないんだから自分でできるよ」

 

「わかってる。実態はお嬢の護衛でも世話役としても雇われてるからね、何も聞かずにサボる訳にはいかないのさ」

 

 会話を続けながらベッドのサイドチェストに手を伸ばし、引き出しの中から最新の技術をふんだんに詰め込んだタイツのような形状の衣服を取り出す。

 

「おや? 初めて見る型のアシストアーマーだね」

 

 アシストアーマー、パワードスーツ、強化外骨格。人によって呼称の変わるこの()()()()()()()()は、父の運営する会社の主力商品で、自由に動かない私の足に変わって私を歩かせてくれる機械仕掛けの衣装。

 

「えっとね、省体積と軽量化が成功した最新型だって言って父様が昨日の晩に持ってきてくれたの」

 

「厚さ15、いや12ミリってところか、見た目もかなり洗練されてシンプルになってるからウェットスーツやタイツって言われても違和感ないね。それにしても、一般に流通してる最高級の物でも倍以上の厚さと何倍もの重さのはずなのにねェ、その素敵なタイツ1枚で豪邸が建つよ」

 

 面白いものを見るような、でもどこか呆れたようにも見える視線を私に向けるルイーサをそのままに寝間着から一度スパッツに着替えて、それから両手で片足ずつ持ち上げながらルイーサの言う素敵なタイツに足を通していく。昨日まで使っていた素敵なタイツよりもよっぽど軽くなったおかげか、力の入らない足でもかなり着替えやすくなっていた。

 

「色んな意味で違和感無く歩けるようするためだけにこんな代物を開発するなんて、お嬢はほんっと社長に愛されてるね」

 

「えへへ……」

 

 愛されてる。その一言に照れと喜びを感じ、言葉が出なくなったので頬が弛んだまま笑いだけを返す。

 

「で、その素敵なタイツの性能は?」

 

 私の着用するアシストアーマーが変わる度にルイーサはいつもそれがどれだけの性能をもっているのか把握しようと同じ質問をしてくる。ルイーサが言うには、護衛をするにあたって護衛対象がどれくらいの速さで移動できるかというのは知っておくべき大切な事らしい。

 

「リミッターを解除するなら理論上はバイク位の速さで走れるようになるって父様が言ってたよ。今までは下半身だけのアシストアーマーだったけど、今回のはパワーがとっても強いから動きが激しくなった時に姿勢を崩さないための補助ができるように全身を包むタイプで作ってくれたんだって」

 

「……そんな薄っぺらいのに走るだけなら精鋭のアシストアーマー部隊が使ってるやつより性能が上回ってるじゃないか、行動範囲がこの屋敷の敷地内だけの箱入り娘が歩けるようにするのが目的なのにそんなスペック盛ってどうするってんだい」

 

 なんとなく呆れた風だった雰囲気をおおいに呆れた様子にまで変えたルイーサの溜め息の音を聞きつつ、全身を覆ったアシストアーマーの腰部分にある小さな制御パネルを操作する。すると、私を覆う人工筋肉の生地が湿った布を軽く搾るような音を鳴らしながら収縮し、肌と生地の間にあった空気を抜くように密着した。こうする事により、人工筋肉が肌から私の生体電流を感知し、それに基づいて私の意思通りに伸縮するようになる。

 

「徹底的に省体積を目指したらそれがきっかけでいくつも技術革新したんだって、これが製品化したら市場も戦場もなにもかもが変わるぞって父様が楽しそうにしてたよ」

 

「娘愛しさで戦場を変えられたら傭兵としては複雑な気分だね」

 

 太ももを上げ、膝を伸ばし、足首を回して、爪先の指を上下させる。問題なく足が動く事を片足ずつ確かめてから腰かけていたベッドからゆっくりと立ち上がり、その場で小刻みにジャンプしてみたり屈伸運動をしてみたりする。

 相変わらず私の足に感覚はあんまりないけれども、それでも私はこの機械仕掛けの衣装を着用すれば五体満足のように身体を動かす事ができる。

 

「新しい素敵なタイツの着心地はどうだい?」

 

「とっても良いよ。今までのやつよりとっても動ける気がするの」

 

「そいつは良かったねェ」

 

 会話をしながら、視界の端に有った姿見鏡で軽く身嗜みを整える。

 父と同じ紫の瞳から見た私。亡くなった母に似た綺麗な黒髪だと父がいつも褒めてくれるから伸ばした髪に寝癖は無く、好んで着る濃紺のワンピースに皺も無い。裾から見える足は昨日までよりずっと細く、真新しいゴム製品のような重い黒色の極一部に金属質の硬質な黒光りが見えた。

 

「今日は1段とかわいらしいじゃないか、昨日までの屈強な兵士の血管がバキバキに浮いたゴツい足みたいに見えるアシストアーマーよりよっぽど似合ってるよ」

 

「えへへ、ありがとう」

 

 前回のは下半身だけのアシストアーマーだったせいか見た目がかなりアンバランスでかわいらしさなんてどうしようもない無かったからね。と、小さく苦笑される。

 

「それでね、えっと……新しいアシストアーマーになったし、今日は午前も午後も勉強の予定だったけど、午後からは予定を変えて久しぶりにルイーサの隊の人達と一緒に運動したいな」

 

 ダメかな? と、お願いしてみると、ほんの一瞬の間の後に表情を肯定とも拒否ともとれない曖昧なものに変えたルイーサが私から目を逸らさずに片手で自分の後頭部を掻いた。

 

「お嬢がお転婆な事すると私が本物のメイド達から渋い顔でお小言を言われちまうんだけとねェ……。まぁ、ここ最近お嬢も勉強ばかりだったし、私としても実際にどれだけ動けるのかも知りたいし、家庭教師のスケジュールはこっちで調整しとくよ」

 

「わぁ! ありがとうルイーサさん!」

 

 お願いを聞いてくれた事への嬉しさのまま人工筋肉越しでもわかるほどにがっしりと逞しいルイーサの胴に抱き付く。嗅ぎなれた清涼感のあるボディスプレーの香りが鼻に心地好い。

 どうにも弱いねェ、丸くなっちまったよ。と、優しげな声の呟きが私の耳をそっと撫でた。

 

 

 

 世界は色んな物事に溢れている。

 それらを知るのが私にとってとても面白くて楽しい事。

 

 

 

「それでは、今日は教養の1つとしてこの世界がまだ国家という概念の中で運営されていた頃の統治について学んでいきましょうか」

 

「はい、お願いします」

 

 屋敷に招いた長い白髭を蓄えている老年の教師と談話室のソファーで向かい合う。週に数度、このように私は幾人かの知識人からそれぞれ専門としている分野の話を聞かせてもらっている。

 

「今現在この社会は資本に優れた各企業がそれぞれの経済圏を自治する形で成り立っていますが、そうなる以前は条約で定められた領域を境目として政府という組織が──」

 

 父はとても立派な仕事をしている。父の会社が開発している人工筋肉は私のように身体を自由に動かせずに困っている人を助ける物だし、身体に不自由が無くてもルイーサのような傭兵が身体能力を強化して人を襲う危険な生き物と戦うためにも使われている。

 父の仕事はとてもたくさんの人を助けて守っている。

 私はそんな立派なお仕事をしている父をいつかお手伝いができるようになるために多くの知識を得て、それらを使いこなせるように大きな知恵を持ちたいと思っている。そして、それを叶えるためには日々の勉強は欠かせない。

 

「──では社会の在り方が変わった切っ掛けとは? この星に流星群が降り注いでだいたい全部壊れてしまったからです。それまでの文明はここで一旦滅んだと認識してもそう間違っては──」

 

 勉強は将来のためにとても大切な事。父も、ルイーサも、教師も、屋敷で働く皆も、大人は誰もが皆そう言ってるし、知らない事ばかりの私もそう思う。

 でも、私が勉強するのはそれだけが理由ではない。

 私にとって“知る”という事はいつも胸の奥から私の周り全てに向けられている好奇心を刺激して満たす行為で、勉強とは未知を既知に変える最も手軽な“知る”ための手段。私は勉強が楽しいから勉強をしている。

 

「──こうして、ライフラインや物資を独自に用意できる力のあった企業が国家という概念を古い物にした訳で──」

 

「先生」

 

「──であるからして……はい、なんでしょう」

 

「先生のお話では人類は復興できない程に人口を減らして全滅するしかなくなったはずなのに、今はこうして穏やかに時を過ごせるようになっています。それはどうしてですか?」

 

 私の問いにほんの一呼吸の間だけ俊巡するように目蓋を閉じて白髭を撫でた教師がゆっくりと私に視線を合わせ直す。

 

「簡単な事ですよ。地表のほぼ全てが破壊されて人類は流星の影響で発生した変性生物(クリーチャー)の脅威にも晒されましたが、全ての逆境に人類もその他の生き物もまだ負けていない。それだけの事です」

 

 必死にもがいて生きる、それだけでどうとでも乗り越えられるものです。と、のんびりと目を細めて目尻の皺を深くする教師。

 お嬢様にもいつか大変な逆境が訪れてしまうかもしれませんし、訪れないのかもわかりません。ですが、そうなった時は必死に頑張ればどうにかなるはずですよ。とも言葉を続けられる。

 

 逆境、必死。そのどちらも私は実感した事がない。それらがどんなものかもあんまりわかっていない。

 好奇心のままにそれらを知ってみたいと漠然と思ったりしてみるけれども、父やルイーサが私を大切にしてくれているのでそれらを知る機会なんてそうそう無いのだろうとも思う。

 

 

 

 私の知る世界は屋敷の敷地内と書庫の本、周りの大人達が教えてくれる事でできている。それでも毎日たくさんの出来事がある。

 

 

 

 屋敷の警備に常駐するルイーサの隊の人達が訓練するために庭の横に作られた運動場を走る。相変わらず足先に地面を踏む感触は無いけれども、太ももから上は地面を蹴る度に僅かな衝撃を感じて私は自分の脚を動かしている実感を得る。

 

「揃いも揃って食器より重てぇ物持ったこと無ェようなお嬢様に何度も周回遅れにされてる根性無しども! 股間にぶら下げてる芋虫みてぇなイチモツが飾りじゃねぇならスピード上げやがれ!」

 

『イエス、ボス!』

 

 脚を自由に動かせる事を楽しんでいると、庭の草木の匂いの混じる空気を震わせるようなルイーサの怒鳴り声とそれに応えるたくさんの力強い声が私の耳に届く。今日も皆元気だなんて感想を抱きつつ、また少し走るペースを上げて整列して走る一団に追い付いてみる。

 

「ねぇルイーサさん」

 

「なんだい?」

 

 整列して走る一団の先頭にいたルイーサに声を掛けると、他の人達は息を切らしてる中で平然とした様子のルイーサが私を見て声を返してくれる。

 

「アシストアーマーの助けで走ってる私と生身で走ってる皆のペースを比べるのはちょっと厳しいんじゃないかな?」

 

「厳しいのが当然なんだよお嬢。アタシ達傭兵の仕事は本番になると厳しいだなんて表現は生易しい理不尽な物になるからね、この程度にへこたれてたら何一つどうにもならないまま終わっちまうんだ」

 

 至極当然の事を語るようなルイーサにそういうものなのだろうかと内心で首を傾げつつ後続に振り替えると、陽光に輝く汗を流す筋骨隆々な隊員達が満面の笑顔で笑い掛けてくれたり親指を立てたりして元気さを表現してくれた。

 

「えぇと、大変なんだね、頑張って?」

 

『イエス! レディ!』

 

 なんとなく反応に困ったので応援の言葉を贈ってみると、とっても嬉しそうになった隊員達からの今日一番の元気な返事。ルイーサの怒鳴り声よりも空気が震えた気がする。

 

「お嬢、新しいタイツはもっとスピード出せそうなのかい?」

 

「うん。もっと速く走ってもきっと怖くないよ。たぶん、風が気持ちいいと思うな」

 

「お嬢が速さに耐えられるかの話じゃなくて新しいタイツの性能の話だったんだけどね。まぁ、加速するならゆっくり慎重にリミッターの範囲内にしておくれよ? 転んだらコトだからねェ」

 

「うん!」

 

 ルイーサ達の邪魔をしないようにお喋りをそこそこに、並走していた状態から少しずつ加速して引き離していく。時間を掛けてゆっくりと加速し続けて、こっそりリミッターを外して少しの間だけ最高速へ。

 頬に触れる空気がまるでクリームのように重さを得て、髪が風に撫でられて進む先の逆に引かれて伸びていくような感触。速度に比例して跳ね上がった地を蹴る反動が、鈍い足の感覚を刺激してより一層自分の足を動かしている実感を与えてくれる。

 

 楽しい。

 今まで生きてきて未知だった速度の体感に胸が踊る。

 

「お転婆お嬢様は体力持て余してるみたいだね、そんなに走り回りたいなら体験入隊でのつもりでシゴキ倒してあげようかい」

 

 夢中で走っているといつの間にか自分のアシストアーマーを装着して追い掛けてきたルイーサに捕まえられて、安全のためのリミッター解除した事を叱られた。そして、隊員達の訓練に使うアスレチックコースを走らさせて貰えた後に皆でフットサルをして遊んだ。

 

 

 

 私は毎日に幸福を感じている。

 ずっとこんな毎日が続けばいいなと祈っている。

 

 

 

 好奇心のままにたくさんの勉強を楽しんで、たまにクタクタになるまで目一杯の運動をして、夕方には仕事を終えて帰って来た父とその日にあった事を話しながら一緒に食事を味わって、夜には柔らかいベッドに身を沈めて眠りに就く。今日は父の仕事が忙しくて食事はルイーサと一緒だったけど、いつも同じように繰り返してるようで毎日少しずつ違う生活。

 たまに誰かが陰で“屋敷の中の世界しか知らない世間知らず”と言っているように私の知る世界はこれだけの範囲だけど、それでも私は毎日が幸福で、この世界の外を知ってみたいという好奇心を持ちながらもこの毎日が続く事を望んでいる。

 

 明日はどんな事を知ることができるのか、どんな出来事が起こるのか。ベッドの上でそんな事を考えていると何か瞬間的な騒音を耳にした気がして目蓋が開いた。

 特に何か根拠があった訳では無いけど、何か非日常的な何かが起きているような予感を覚えつつ暗がりの中で時計を確認すると、指し示されていたのは夜明けの少し前程の時刻。明日の事を考えているつもりだったけれども、しっかりと眠っていたらしい事に気付く。

 いつも運動した後の夜は次の日に少し寝坊してしまうほどに深く眠っているのに、なぜ今日は目が覚めたのだだろうかと違和感に首を傾げる。

 直後、何かが破裂する甲高い音と閃光が閉じていたカーテン向こうから寝室へと入ってきた。

 

 目が覚める前に聞いた気がした騒音は気のせいではなかった。

 今この瞬間、この屋敷に何かの非日常が起きている事を直感。

 

「なにが起きてるんだろ?」

 

 いつも少しずつ違うだけの毎日だったはずなのに、今夜は少しだけじゃなくてとても違う夜。屋敷の外では何が起きているのかという好奇心のままに窓の外を覗くためにサイドチェストにしまっていたアシストアーマーの着用を始める。

 

「お嬢!」

 

 アシストアーマーを起動して私の足を動かせる事を確認してから立ち上がると、同時に慌ただしく扉が開かれれてルイーサが自らの隊の人員二人とともに飛び込んでくる。

 

「わっ、そんなに慌ててどうしたの? こんな時間に部屋に来るのもここに隊の人を連れてくるのも珍しいね」

 

「っ! お嬢、立てているのかい? ……さすが社長は良いもの作るね」

 

 何が起きているのかはまだわからないけれど、ひどく切迫した雰囲気のルイーサが普段にはない行動をしている事に直感していただけの非日常が確信に変わる。

 今夜はいったい何が起きているのか、それを聞くのに取りあえず腰を落ち着けようかと夜明け前のお客様達に椅子勧めようとしたところでルイーサの大きな力強い手で両肩を捕まれる。そして、残る二人が私の大き過ぎるベッドをひっくり返してその下から憶えの無い武骨なケースを取り出した。

 

「いいかいお嬢、騒がず落ち着いて聞いておくれよ」

 

「う、うん」

 

 私を掴んだまま、身を屈めてぐっと顔を近付けてきルイーサが真っ直ぐに私の目を見る。かつてないほどに真剣な彼女の眼差しが、なにか不吉な予感を私によぎらせた。

 

「今この屋敷は攻撃を受けていてる、狙いは恐らくお嬢の履いてるその素敵過ぎちまったタイツだよ。会社とここが同時に襲われてるんだ」

 

「……え?」

 

「社長が良すぎるものを開発したから、何処からか情報が漏れてそれを横取りするか根こそぎぶっ壊しにきたらしいね」 

 

「ボス、このアシストアーマーも駄目だ、EMP(電磁パルス)の中じゃ使い物にならねぇ。」

「ヤツらオレ達が嫌な事を知り尽くしてる、同業者だな」

 

 敵襲だよ。と、端的に言葉をまとめたルイーサ。その後ろで隊員の二人が私の使っているものとは大幅に型の違う、本当の意味で父の会社の主力商品(戦闘用アシストアーマー)を武骨なケースから取り出して苦い顔に変わった。

 ここと父の会社が襲われて危ない状態だと聞いて思考が混乱しかけるが、父への心配とこれからどうなるのかという不安に思考が冷めて状況を飲み込むことができた。

 

「えっと、それで、どうすればいいのかな?」

 

()()()()のか、じゃなくて、()()()()()()()のかって聞けるのは上出来だね。お嬢には一旦単独でこの屋敷から脱出して貰うよ」

 

「一人で……?」

 

「アーマーの使えないアタシ達はお嬢の速さについていけないし、お嬢がノロマなアタシ達に合わせたら敵も追い付いてくる。お嬢単独ならEMPでここいら全ての機械が動かない状況で追い付けるヤツはいないし、アタシ達は敵を迎撃するのに足手まとい無しで好き放題できて敵がお嬢を追い掛けないようにもできる。わかるね?」

 

 有無は言わせない。そう瞳の輝きで語るルイーサに私は何も言葉を返せないまま頷くと、少しだけ表情を微笑みに変えた彼女は言葉を続ける。

 

「そこの窓から飛び降りて、真っ直ぐ庭を走り抜けて、その先の塀を越えた道路も真っ直ぐ走るんだ。その道路の先から別の隊がここに向かってるはずだからソイツらと合流して保護してもらうんだよ。5分も走れば合流できるはずだからね」

 

 私に言葉を掛け続けるルイーサの後ろで隊員の2人がケースから複数の銃器を取り出して検分を始める。殺傷のみを目的に製造された道具を直に目の当たりにした事で、状況はかなり悪いのだという実感が強烈に沸き上がってきた。

 

「合流する隊には必ずこの隊章が付いてる、これがお嬢の味方だって見分ける目印だよ」

 

 言いながら親指で自分の肩を指し示すルイーサ。そこにあるのは突撃槍を構える兎を描いたワッペン。このワッペンはルイーサだけではなく隊の全員が同じ位置に掲げているというのを以前に教えて貰った記憶がある。

 

「ボス、これをお嬢に」

 

「その他は誰も信じちゃいけない、優しい世界しか知らないお嬢には難しいかもしれないどね、この世界はお嬢の想像できないほどに悪辣で、残酷なんだ」

 

「え、えっと」

 

「誰かと合流できてないのにこの屋敷に帰ってくるのも駄目だよ。帰り道にはお嬢を追い掛けてきた悪い奴が隠れていると思いな」

 

「う……うん」

 

 隊員の1人がケースから取り出した艶の無い黒色のヘルメットを後ろ手に受け取ったルイーサが言葉を続けなら私の頭に被せて留め具の紐をを調整し、更に受け取った硬質なプレートを縫い付けたベストを私に羽織らせてから留め具の調整に慣れた手付きで指先を動かす。

 

「似合わないねェ。まぁ、似合われても反応に困るけど」

 

「こんなのが似合わないお嬢だからこそ守りがいがあんじゃねぇですかい」

「このドブカスみてぇな世界でこれだけ“お嬢様”が似合う人間は他にいねぇよな」

 

「違いないね!」

 

 緊迫していたかと思えば揃って大口を開けて笑い始める3人。そのまるで訓練の合間に談笑しているのかのような朗らかな様子に実はそれほど恐ろしい状況ではないのだろうかと思いかけた直後、示し合わせたように今まで接してきた中で1番の引き締めた表情へと変わった。

 

「お嬢、アタシ達がこの部屋を出てからキッチリ1分数えたら窓から飛び降りな。そうしたらとにかく()()に走るんだ」

 

「……()()に?」

 

「そう、()()にだよ」

 

 簡単な事だ、しっかりやりなよ。と、被せられたヘルメット越しに私の頭を撫でたルイーサが隊員から銃器を受け取り、ひっくり返しされた私のベッドからシーツを抜き取って頭から被る。

 

「今夜はアタシがこの屋敷の白いドレスなかわいいお嬢様だ、野蛮なお客様をアタシがもてなすからアンタらはしっかりエスコートしな」

 

「世界で1番お嬢様が似合わないソルジャーが何か言いましたかい?」

「お嬢様って概念への叛逆か? ボスじゃあどうやってもエントランスに飾る鎧の置物かゴリラの剥製にしかなれねぇよ」

 

「知らないのかい? 最近のゴリラはお嬢様を名乗ってショットガンぶん回すのがトレンドなのさ」

 

 引き締めた雰囲気のままなのに、軽快に言葉を交わして笑い合う三人。きっととても良くない状況のはずなのに普段のようなお喋りをするルイーサ達に不思議な安心感。

 

「それじゃあお嬢、キッチリ1分だからね」

 

 再度私の頭をヘルメット越しに片手で撫でたルイーサが何か言葉を返そうとした私をそのままに寝室の扉を蹴破る勢いで飛び出し、後の二人がそれに続いて飛び出して扉が閉められる。

 扉が開かれていた少しの間、幾つかの銃声と思われる激しい炸裂音が響いていた事にルイーサの隊が戦ってくれている事を実感し、ついでにこの部屋の防音性に驚く。

 

「あ、えっと、キッチリ1分……!」

 

 どうすればいいのかという質問に返された指示に従うため、部屋に備え付けてある時計の秒針を見詰めながら時を待つ。1秒とはこんなに間があるものだったのだろうかと考えながらも、細長い秒針が一回りしたのを確認して窓を開けた。

 

 そこかしこから響いてくる銃声に身がすくむ。

 普段はこの見晴らしのいい窓からの景色に恐れなんて感じないのに、これからこの銃声飛び交う暗闇に飛び降りる事を考えると窓から外の空間が恐ろしく思える。

 高いだけなら怖くない、たまにする運動で走るアスレチックでも高い所に跳び乗ったり跳び降りたりしている。暗いだけなら怖くない、夜はいつだって暗くなる。ただ、何処からか何処へと銃弾が飛んでいるのかわからない銃声の響きが行動を起こす前から私の心を挫けかけさせる。

 

 だけど、恐れたままここで立ち竦んでいるのではきっとルイーサ達の邪魔になってしまう。それは、ただでさえ良くない状況を更に悪化させてしまうはずだと自分自身を叱咤。

 

「飛び降りて、真っ直ぐ……。飛び降りて、真っ直ぐ……。飛び降りて、真っ直ぐ!」

 

 意を決し、窓の淵を踏んで一歩先へ。

 銃声が炸裂する暗闇、重力に引かれる浮遊感の中で両足を地面に向けつつ着地より先にほんの少しだけ膝を曲げる。アスレチックでルイーサが教えてくれた着地の姿勢。

 

 地面と足先が触れた瞬間、私の足を下半身を覆う人工筋肉が波打つように複雑な収縮を瞬間的に繰り返し、私の身体に一切の負担を与えないように着地の衝撃を受け流す。

 

「真っ直ぐ、走る!」

 

 銃声ばかりが炸裂する中、全力疾走の意思の通りに人工筋肉が絞るような乾いた音と共に脈動。着地の姿勢から跳ねるように加速して前進、夜闇のせいかいつもより広く感じる庭を突き進む。

 息継ぎに肺を満たした空気、いつもの草木の香りにルイーサ達が銃器の訓練で発砲していた時と同じ科学的な臭気が混ざる。

 

「塀を、越えるっ!」

 

 いつもより広く感じたのに、それでもほんの僅かな時間で横断仕切った庭の端。私の身の丈を遥かに超える塀の至近で走っていた勢いのままに地面を蹴り、飛び越えるなんて今までこの屋敷に住んできて考えた事もなかったそれを飛び越える。

 

 世界が変わった気がした。

 

 庭の手入れされた瑞々しい緑の芝とは違う、ひび割れが縦横無尽に走る黒色のアスファルト。

 顔に吹き上がってきた砂塵混じりの風に草木の香りは無く、無臭というよりは淀んだ乾燥と表現するしかない何かに一瞬だけ噎せそうになる。

 そして、宙に身を翻している私を見上げる人達の顔に屋敷の人達のような親愛の微笑みは無く、刺々しい好奇や表現しがたい気持ちの悪い視線。

 

 今まで住んでいた世界とは別の世界に足を踏み入れた。と、飛び越えた先の全てが私に訴え掛けてくる。

 

「ターゲット出現! 捕縛だ! 捕縛しろ!!」

「足が不具のはずだろう、何故単独で!?」

「アーマーの補助……このEMP状況でも動くのか!」

「射つな! アーマーは無傷で確保だ!」

 

()()に、走る!!」

 

 窓から飛び降りた時の焼き増し。両足を地面に向けて膝を軽く曲げる態勢でアスファルトを踏みつける。

 言葉にしながらも未だに()()という事がよくわかってないけども、どうすればいいのかという問に答えてくれたルイーサの意に最大限沿うように真っ直ぐ走り抜ける事だけに集中。

 

 ここで屋敷を囲んでいる人達の肩に突撃槍を構えたウサギの隊章は無い。この人達はたぶん私の味方のではない。

 私を囲むように動き始めた味方ではない人達を無視して跳躍するような急加速。

 

 なにもかもを置き去りにした全力疾走。

 味方ではない人達が私のずっと後ろで慌てるような怒鳴り声を発しているのを耳にした。

 

 必死とは何かなんてまだあんまりわからない。だけど、ただ真っ直ぐ走り抜けて味方をしてくれる人達と合流する事だけを考えて足をアシストアーマーの人工筋肉に覆われた足を動かす事に集中する。

 

 走って、走って、走る。

 5分も走れば味方と合流できるというルイーサの言葉を信じて走り続ける。

 

 走って、走って、とにかくに走る。

 すれ違う見知らぬ人や車両、建物など目に映るもの全てが屋敷から離れる度に荒れた物へと変わっていくのに気付きながらも前進する事に集中する。

 

「ウィノラお嬢様!」

 

 走って、走って、ひたすらに走る。

 どれだけ走ったかわからなくなった頃に、道路を塞ぐように駐車されていた大きなトラックの前で突撃槍を構えたウサギの隊章を肩に掲げた人達に呼び止められた。

 

「もしやと思って呼び止めましたが、やっぱりウィノラお嬢様でしたか」

 

「えっと──」

 

 呼び止められてすぐに強烈な違和感。

 私がその違和感に戸惑っているのに気付いているのかいないのか、私を呼び止めた人がにこやかに言葉を続ける。周囲の人達も迎えるようににこやかな顔をしながら私を囲む。

 

「屋敷上空に緊急の信号弾を確認したのでウィノラお嬢様の安全確保に出動しました」

 

 味方を見分ける隊章を着けた人達に呼び止められて足を止めてしまったけど、この人達はたぶん味方ではないのかもしれない。

 私はルイーサの隊の人達全員の顔を憶えているけれどもこの場に見覚えのある人達はいないし、隊の人達は私を呼ぶ時に“様”と付けずに親しみの感じる“お嬢”と呼んでくれるからだ。それに、隊の人達も私の顔を知ってるはずなので私を呼び止めるのに“もしや”だなんて確信の無い状態にならないはず。

 

「──だ、誰ですか……?」

 

 本当に味方なのかと確認するつもりでの私の問い掛けに、私を呼び止めた人も周囲の人達もにこやかな顔を辞めて色の無い真顔に変わる。

 

 

「騒がれる前にガキを確保して黙らせろ」

 

 

「えっ?」

 

 急激な雰囲気の変化と突然の乱暴な言葉に戸惑いが膨れ上がる。そして、私は何か大きな失敗をしてしまったんだと直感に背筋が冷える感覚に陥りながら私を囲む人達を見回す。

 そして、気付く。

 道を塞いでいたトラックの物陰に、衣服を奪われた状態で額から血を流しながら倒れている見覚えのある隊員の姿。

 

 無事なのだろうか、いや、怪我をしているんだから無事のはずがない。頭の怪我だから急いで手当しなければ危ないかもしれない。

 

「っ!……ぅぐ……」

 

 見知った相手の負傷した姿によって何もかもから思考が逸れた直後、私を囲んでいた内の1人が背後から羽交い締めるように私の首に腕を回し、そのまま持ち上げるようにして喉を圧迫して気道を塞ぐ。

 不意に与えられた苦痛に全身が強張った。

 

「必要なのはアーマーだけだ、悪く思うな」

 

 命の危機を感じさせる苦痛に涙が溢れ、逃れようともがいても私の小さな手では絞め上げる太い腕を掴みきれずに指で何度も掻くだけで、両足を暴れさせても地面に届かず反動が私の身体を揺らして更に気道を潰すだけに終わる。

 

 意識が遠退き、涙で滲んでいた視界が更にぼやける。

 足だけじゃなく、全身の感覚が鈍っていく事に死の接近を自覚。

 

 怖い。

 ただそれだけが思考を染めた時、突然喉を締め付ける苦痛が消えて頬に生温くぬめりのある感触が付着し、一瞬の浮遊感の後に地面に打ち付けられたのか全身が重く硬いものに当たる衝撃。

 

「はっ、はひゅ……!」

 

「お嬢! 生きてるか?! 走れ!! とにかく走ってくれ!!」

「1人やられた! まだ隠れてるやつがいたぞ、ぶち殺せ!」

 

 気道が解放された事により反射的に再開される呼吸、遠退いていた意識が即座に復帰し、耳に幾つもの怒声と今夜だけで聞き慣れてしまった銃声の炸裂が叩き付けられる。状況の推移に混乱しつつ視界を滲ませていた涙を手の平で拭うと嫌悪感を呼び起こすぬめりが頬をすべった。

 

「お嬢! 頼む、走れぇ!!」

「また1人やられたぞ!」

 

「……なに、これ?」

 

 半ば混乱したまま、頬についた嫌悪感を抱く何かを確認するために手の平を見ると赤黒く鉄臭い液体。ほんの一瞬の俊巡の後にこれが誰かの血液だと気付き、誰かが周囲に飛び散らせるほどの出血をしたのだという事にも気付いてほんの一瞬だけ忘れていた恐怖を思い出す。

 

「ガキを盾にしろ!」

 

「えっ、やっ……あぅっ!」

 

「クソァ!!」

 

 喉を締めるように首を掴まれ、無理やり立たされる。

 視界に映るのは血走った眼で私の背後を睨む味方ではない人や同じように私の背後の何処かへと銃器を向けて小刻みに発砲する集団。そして、地面に仰向けで倒れる額を抉るように大きく欠損させて欠片の身動きすらしない人。

 頭部の破壊、脳の損傷。医学を心得ていなくても命を落としてしまっているのが理解できてしまう有り様。その凄惨な姿に、混乱半ばだった思考が完全に制御できないものへ。

 

「あ、う、あああああああああ!」

 

「ぐあっ! このガキィ!」

 

 もう嫌だ。痛いのも苦しいのも怖いのももう嫌だ。

 なにもかもから逃れたくて遮二無二に腕を振り回すと何かを砕く気持ち悪い感触。喉への締め付けられる苦痛が消えたと同時に浴びせかけられた怒声の元へと視線を向けると私の首を掴んでいた人の肘関節が曲がってはいけない方へと曲げて眼を血走らせたていた。

 

 きっと、この人が私に向けている視線は敵意そのものだ。

 生まれて初めてこんなものをぶつけられた。こんな恐ろしいもの、知りたくなかった。

 恐ろしい人から容赦無くぶつけられる敵意が恐ろしい。酷いことをされた相手とはいえ骨折という大怪我を追わせてしまった。手に残る関節を砕いた感触の余韻が気持ち悪い。何もかもが嫌で、今すぐこの場から逃げてしまいたい。

 

「シャァオラァァッ! でかしたお嬢!!」

 

 ほんの一瞬静まり返った周囲に、聞き覚えのある声による歓声が響く。たしか、この声は屋敷の警備に出入りする隊員の1人でトラックの影に倒れている隊員とよく一緒に談笑している人の声だ。

 

「そのまま逃げろ! 走れぇぇ!」

 

「逃がすな! アーマーをブチ抜いてでも止めろ!」

 

「あ、に、逃げっ、走っ!!」

 

 深い思考があったわけではない。しかし、混乱と恐怖ばかりの状況で信用できる相手の声に反射的に身体が動き、幾つもの銃口を向けられるのを認識しつつもがむしゃらに地面を蹴りつけた。

 瞬間、目に映る景色が引き伸ばされているかと錯覚するようにブレて向かう先の宛てもなく急速な前進、銃声と共にほんの一瞬まで私が立ち尽くしていた空間を貫く飛来音。

 

「最優先ターゲットが逃げたぞ!」

「他の部隊と屋敷を攻めている奴等を呼び戻せ!」

「まだあっちはEMP状況で通信できない、信号弾を!」

「あの隠れていた奴も逃げたぞ!」

 

 背中越しに聞く刺々しい大声が急速に遠ざかりつつ、幾つもの銃声を伴う飛来音。1度だけ耳を掠めるほどに至近の飛来音を聞き、耳たぶに熱が滲みるような痛みを知覚して恐怖がぶり返す。

 きっと、首を締められてもがいた時にルイーサに被せられたヘルメットを落としてしまっていたのだろう。あと少しだけ運が悪ければ先程目の当たりにした額を欠損させた人と同じ姿になっていたのかもしれない。

 

 怖い。

 何処へ向かえば良いのかわからない、どれだけ走ればいいのなわからない、どうなれば怖くなくなるのかもわからない。遮二無二に両足を動かし続けて宛てもなく走り続ける。

 

 気付けば空が白んでいて、周囲には銃声も飛来音も怒声もない壊れた建物ばかりの静かな廃墟群の何処かに私は立っていた。

 

 朽ちて崩れかけのコンクリート、割れて散っているガラス片、廃墟のひび割れから僅かに伸びる名も知らない細い草。時折吹き抜ける風は冷ややかに乾燥していて、舞い上がる砂ぼこりが鼻を不快にくすぐる。

 何もかもが初めて知る景色。

 屋敷の塀を飛び越えた時も世界の変化に動揺を感じたけど、今この場所には動揺を抱く事すらできないほどになにもかもが空虚な景色で呆然とするしかできない。

 先程までの乱暴な騒ぎがまるで悪い夢か白昼夢だったのだろうかと考えてしまう程に、生も死もない静けさ。

 私がこれまで生きてきて培った常識が何一つ通用せず、五感の全てで知覚する全てが摩訶不思議に見えて、あまりにも非現実的な有り様。

 

 

 まるで世界が終わった後の光景みたい。

 

 

 そんな事を考えてから気付くのは、事実この世界は一度滅んだ後で、この辺りはその滅んだ時から人の手が付かずにそのまま放置され続けている場所なのだろうということ。

 

「……これからどうしよう」

 

 風の音だけしかない場所でふとこぼれた独り言。

 合流する予定だった隊とは合流できなかったし、合流するまで屋敷に帰ってはいけないとルイーサに強く言い付けられている。そもそも、走る事に集中しすぎて家の方向さえもわからない。

 

 壊れたものばかりの場所で1人。恐ろしい人達から逃げられた事への安堵よりも、屋敷への帰り方がわからない不安よりも、空虚な景色への虚無感よりも、静寂の中に立っているだけの寂寥感に心が埋め尽くされる。

 なんとなく、その場にゆっくりと腰を降ろして走り通しだった身体を休める事にした。

 

 そういえば、衣服を奪われた状態で倒れていた隊員や合流する予定だった他の隊員は無事なのだろうか。危ない所を助けてくれた隊員も無事に逃げ切れたのだろうか、屋敷に残ったルイーサ達は、会社も襲撃されたと聞いたけど父はどうしたのだろうか。

 精神が落ち着き初めてから様々な心配が次から次へと胸中に浮かんでくる。

 

「…………あっ、痛い……」

 

 ふと、思い出すように痛み始めた耳たぶ。

 特に何を考えるでもなく指先で触れると、先程知った血液のぬめる感触。

 

「おい、お前」

 

「ひんっ!!?」

 

 唐突すぎるほど唐突に背後から投げ掛けられるぶっきらぼうな低い声。

 ほぼ思考のなかった意識には刺激が強すぎて、喉の奧から自分でも初めて聞く類いの悲鳴が飛び出てくる。

 

「こんなところでなにやってんだよ」

 

「え? え、えっと」

 

 咄嗟に立ち上がって振り返って目に入ったのは、ルイーサ(頼りになる身近な大人)を幻視するほどに彼女と似た野性的な赤髪と虎色の瞳。ほんの一瞬の戸惑いの後に認識したのは彼が私のよく知る女性ではなくて、彼女を含めた隊員達がそうしているように動きやすそうなカーゴパンツを着こなしている青年。顔付きから感じる雰囲気はとても若く、もしかしたら私と年齢はあまり変わらないのかもしれない。

 

「す、座って、た……?」

 

 何をしていたと問われても、それしかしていないのでそう答えるしか無かった。

 

「そんなの見ればわかる」

 

「あ、うん……。ごめんなさい……?」

 

 見ればわかる事らしいのになんで問われたのだろうかと内心で首を傾げていると、なにか変なものを見るような眼を向けられた。

 

「怪我」

 

「え?」

 

「処置くらいしたらどうだ。この辺に変性生物(クリーチャー)はほとんど出ないけど運が悪けりゃ血の匂いで呼び寄せるぞ」

 

 やはりぶっきらぼうに言葉を吐いた少年が私に小さな赤いケースを投げ渡してきて、私はそれを受け取ろうとするも2度3度お手玉するように落としかける。

 

「これは……?」

 

エイドキット(応急手当道具)だ、そんなのもわかんねェのか」

 

「へぇ、これってエイドキットって言うんだ。これで怪我の手当ができるのかな?」

 

「お前……」

 

 私に向けられている視線が変なものを見るそれから表現しがたい曖昧で不思議なものへと変わる。

 

「えっと、それで、その……どう使えば良いのかな?」

 

「…………そこに座れ。手当に手間取られて本当にクリーチャーが寄ってきたら面倒だからやってやる」

 

「わぁ、ありがとう!」

 

 

──誰も信じちゃいけない、優しい世界しか知らないお嬢には難しいかもしれないどね、この世界はお嬢の想像できないほどに悪辣で、残酷なんだ。

 

 

 何故なのか、ものすごく深くて長い溜め息を吐かれながらもなんとなくルイーサに言われた言葉を思い出す。

 とても酷い事になりながらたぶん優しくはない場所にまできてしまったけど、見ず知らずの私を手当てしてくれるこの人はきっと信じても大丈夫なんじゃないかと思った。

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