箱入りお嬢様の実家爆発ドブカス崩壊世界でゴミ拾い物語 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
トラの背を追い掛けて辿り着いたのは、スラムの中でも特に荒れた建物が多い地帯。そこに放置された古びた集合住宅の一室へと私達は足を踏み入れた。
廃墟群で一度休憩した場所のように壁も天井もひび割れだらけで、それどころかところどころ小さく破損して錆びた鉄筋が出てきているコンクリート造りの部屋。歩くだけで床に積もった埃がささやかに舞い上がり、開口部があるだけでガラスの無い窓から入り込む月明かりを反射して星のように輝く。
「ひとまずはここを寝床に使う」
壁と床があるだけで、風の全てが吹き抜けていく屋外。ここがしばらくの間生活の拠点になると告げられて思うのは、いつかルイーサ達から聞いた行軍訓練で夜を明かすためのキャンプの話。
時に皆で焚き火を囲んで談笑して過ごしたり、時に想定外なクリーチャーの群れが付近を通過する緊張感に皆で身構えたり、時に交代で見張りをしながら星空の明かりの下で眠りに就いたり。恐ろしいクリーチャーとの遭遇は遠慮したいけれども、焚き火で夜食を暖めたり星空の下で寝転がるなんて事は私にとって未知の事なので、もしかしたらそれらを体験できるのではと少しだけ期待してしまう。
「なんだか少しだけドキドキするかも」
「このオンボロ廃墟の何が気に入ったのやら、お前の感性はやっぱりよくわからねェな」
部屋の隅に抱えていたいくつかの荷物を降ろして開封し始めたトラを横目に、ただ開口部が空いてるだけの窓へと歩み寄る。月明かりが淡いスポットライトのように入り込むそこに立つと、暗くて壊れた建物ばかりの景色の奥に、煌々と眩い背の高いビル群。その中の1つ、一際背の高いビルだけが灯りの飾りを纏わずに黒い輪郭だけをもって沈黙していた。
たぶん、あれが父の経営する会社の社屋なのだろう。
いくつかある屋敷からの外出の記憶、その中の1つはあの一番大きなビルに父の仕事がどのようなものなのかと見学に行った時のものだ。あの時は沢山の人が忙しなく業務に駆け回り、誰もが一生懸命だったあの場所がこうなってしまうだなんて思いもしなかった。
父だけではなく、あの場所にいた人達は無事なのだろうか。
遠くにある黒く沈黙したビルから視線を上げて、雲が疎らな星空を見上げる。
屋敷の窓から見上げた時と同じ景色がそこにあった。
昨日の夜も同じものを見ていたはずなのに不思議な懐かしさを感じながら見上げ続けていると、しばらく耳に届いていた荷物を開封する音がしなくなっていた事に気付き、なんとなくトラへと視線を向けた。
暗がりから私を見ていた虎色の視線と、私の視線が絡んで繋がる。
特に何か言葉にしたいものは無かったけれど、絡んだ視線を無視したく無かったので微笑みも視線と一緒に返してみた。
「……っ」
「?」
「お前、ほんっと図太いよな」
「えぇ……?」
見間違いにも思えるほど一種だけ眼を丸くしたトラが眉間に皺を寄せて私から視線を逸らし、なぜその言葉が出たのか全然わからないぶっきらぼうな声。わからないまま、私は困惑するしかできなかった。
「あ、そういえば」
「……あァ?」
困惑ついでに思い出した疑問を問うために窓から離れてトラへと歩み寄る。何かバネ仕掛けの機巧のある細い箱、おそらく拳銃の何か付属品に銃弾を押し込んでいる手を止めたトラが私を見た。
「お風呂……は、さすがに私にもこの状況じゃ難しいっていうのはわかるんだけど」
「図太さ極まってないようで少し安心したわ」
「うん、行軍訓練なら泥塗れのまま何日も歩き続けるのもたくさんだってルイーサさんから聞いてたから。みんなが使う分のお湯を外で用意するのは大変らしいもんね」
「……まァ、互いの認識になにかしらの差がありそうだが今は風呂なんて無理だと解ってくれてりゃそれでいい。で、何が聞きたいんだよ」
「髪や体はどこでどうやって洗えばいいのかな?」
「あァ~~…………」
呆れとも困惑とも違う、ましてや怒りでも決して無いであろうよかわからない感情の長く伸びた不思議な声色。
「アシストアーマーにある程度の清潔を保つ機能はあるけど、それでもある程度でしかないからやっぱり汗とか流したいし、ゴミ箱の臭いは落としたいなって」
「まァ、どれだけ長丁場になるかわからねェし、どんな奴も毎日風呂に入れて当たり前だって認識してそうな繊細なお嬢様が清潔保てなくて病気になられても困るしな……」
ちょっと待ってろ。と、とても面倒くさそうに声をこぼしたトラがまだ開封してなかった荷物に手を伸ばし、幾つか開封し始める。
「湯は無い、こんな場所でこんな時間に燃料を消費してるような浮浪者はいないからな」
「う、うん」
荷物を開封しつつ私を見ないまま手渡されたのは1枚の白いタオル。
「使える水はこれだけだ。この当りの奴等がどう水を確保してるのかはまだ調べてねェが、少なくともこの建物にある蛇口から水は出ない」
次に手渡されたのは中に水の入った1本のペットボトル。
そして、そのまま私へと視線を寄越したトラが少しだけ考えるような間を作った後に、私達が今しがた通った出入口へと視線を向けた。
「場所の移動は無しだ。俺がその扉さえも残ってない玄関から外に出て見張ってやるから、誰もお前の裸は見ない」
「こ、ここ……?」
「ここが嫌なら諦めろ」
「……ふえぇぇ」
シャンプーや石鹸などは無く、どう使えばいいのわからない水とタオルだけの上に身を清めるためにはほぼ屋外な場所で露出するか、色々と諦めてゴミ箱の臭いのまま流した汗を放置するか、 産まれて始めて迫られるどちらを取っても何か大切なものを失うかもしれない状況に怖じ気の声が漏れる。
「顔の偽装は常に最良にしておきたいから化粧落としはあるし偽装の材料もまだある、そこは心配すんな」
私はどうすればいいのか、ぶっきらぼうなトラの声が耳に入らないまましばらく悩んでいた。
濡らしたタオルで全身を拭い、髪も多少は匂いを減らせた程度に拭う事ができて、アシストアーマーの内部も拭って干す事ができた。
だけど、代わりに今の私はほぼ屋外の場所でスパッツとインナーだけなのをトラが用意した毛布で隠している姿。もしかしたら、この姿もトラ言う常識では変態一歩出前なのだろうか。
「うっわ、犯罪臭い絵面だなオイ」
「犯罪!?」
「こんな時間に大声出すなボケ」
今の私はただの変態を越えて犯罪的な変態らしい。
さっきは何かを失うかもしれないと思っていたけど、どうやら私が失ったのは1人の女性としての何か大切なものだったのかもしれない。
「そういや、まだこの場所が追っ手にバレたりはぐれたりした時の合流先を教えて無かったな」
小さくはないショックを受けている私をそのままに、さっきは私が外を眺めていた開口部だけの窓に近付いていく。
「明日になったら何処にあるか連れていって教える予定だが、ここから見える範囲でもなんとなくの場所は教えれる。ちょっとこっち来い」
「えっと……」
「あァ? そういや足が悪いとかって言ってたっけか」
トラの言葉に私が言葉を詰まらせると、一度怪訝な表情になったトラが私と埃を少しだけ払った床に広げて干してあるアシストアーマーに何度か視線を交互にむけてから自分の後頭部を乱雑に掻いた。
「それが無いと一切歩けねェのか」
「うん……。足の先にいくほど感覚が無くて、動かせるのも膝までだから……」
「そうかよ。それじゃァ場所を教えるのは後にしておくか。でもな、いつお前を探す奴が現れるかなんてわからないから寝ている時もそいつは着ておけよ」
もう大分聞き慣れたぶっきらぼうな物言いの後に開口部だけの窓から離れたトラが移動する時に頭から被っていた汚れた布を自分の肩に掛けて、私から離れるように歩いてから壁に背を預けるようにズルリと座り込む。
「オレは疲れたから寝る。もう一回言うが忘れずにアーマーを着て寝ろよ」
「うん、おやすみなさい」
就寝の挨拶に返事は無かった。寝転がる事をせず壁に背を預けたままのトラは呼吸の音を静かに、目蓋を閉じるだけで身動きをやめる。
静寂。離れた場所にある窓から見える空は相変わらず星空だけど小さく狭く、火を熾せないので夜食を暖める事も無い。ここは多くのの対策が施された街の中ではあるのでクリーチャーと遭遇する事は無いのだろうけど、それでも最初に少しだけ期待した焚き火や満天の星空は無い屋外のような場所での夜。
寂寥感を否めない中で床に拡げたアシストアーマーに触れると、まだほんのりと湿っていたので着用して眠りに就けるにはまだ少しだけ時間がかかりそうだと予想する。
静けさの中、たった今耳にした言葉を思い出す。
トラは疲れたから寝ると言った。当然だと思う、朝の早い時間から見回りの仕事をして、その後すぐに私を抱えてたくさん走って、更には私にはどれくらい大変な事なのかもわからないけれどもこれから必要になりそうな物を調達したりある程度安心して眠れる場所を確保したりしていたのだから。
そこまで考えて、少しだけ違和感に気付く。
「ねぇ、トラさん。まだ起きてる?」
「……なんだよ」
「たぶんちょっと大事な質問かもしれないこと、していい?」
最初は閉じたままの目蓋だったけれども、2つ目の問い掛けで開いて虎色の瞳が私を見た。
「最初に私を助けてあの怖い3人とクリーチャーがいた場所から連れて逃げて助けてくれたのは、トラさんにとってそうしないと許せない事だったからだよね」
「……前に答えた事だ、聞きたい事がそれならオレは寝るぞ」
「えぇと、聞きたい事はもう少し別で、それで、その後もこうやっていっぱい疲れる位に助けてくれてるのは、そういうお仕事を私がトラさんに依頼してるからなんだよね?」
「……だからなんだってんだ。仕事じゃなきゃ自分から面倒なんて抱えねェよ」
トラが口にした仕事という言葉に、違和感がたしかな物へと変わる。
「あのね、私、そんなに物事をわかってないけど、それでもいつか父様のお仕事を手伝えるように色んな事を勉強してるつもりなんだ」
「何が聞きてェのかさっきから全然わからねェな」
「私は今、その気になったら人を銃で撃とうとする人達に追われていて、トラさんのお仕事はそういう人達から私を守りながらハーゼバインの人達の所まで連れていくお仕事。そして、その報酬は傭兵さんの仕事を続けるために必要な幾つかの道具」
「……もっと聞きたい事を、サクッと聞けねェのか」
「もしかしたら、死んじゃうかもしれないような大変なお仕事をしてくれてるのに、報酬が安すぎるんじゃないのかな?」
父の仕事を手伝えるようになるために学んでいる事に、ハーゼバインが主な顧客としている傭兵の装備についての事もあるし、当然ながらお金の事も含まれている。
アシストアーマーというのは型式が多少古くてもやっぱり高級な装備で、運用するにはそれなりの資金が必要な事を私は知っている。そして、その金額の比較対象として、最初に会った時にトラが装備していた一式がどの程度で揃える事ができるかもだいたいではあるけれども知っている。
その金額は、たしかに安いものではないのかもしれないけれども、人が死の危険を背負うべきだとは到底思えない値段のはずだと思う。
いや、それなりに資金が必要だとしてもアシストアーマーを手に入れるためだけにだって死の危険を背負うのには私は違和感を感じてしまう。
「……契約を持ち掛けた時はもう少し手間の少ない仕事だと思っただけの見積りミスだ。自分から持ち掛けた契約なのに後から報酬でゴネる気は無ェし、手を抜くつもりも無ェよ」
「こんなに助けて貰ってるから、このままじゃ良くない気がしちゃって」
「それなら仕事が終わったらお前が妥当だと思えるように報酬以外にも色を付けてくれりゃいい。それだけの簡単な話だ」
話は終わりだ。とは言葉にしなくても瞳を閉じて雰囲気で語るトラに圧され、私もまだ釈然としないまま口を閉じる。
手持ち無沙汰にアシストアーマーに触れると、乾き具合からしてもう少しで着用できると予想。そのまま今しがたの会話を自分の中で反芻してみる。
依頼した仕事に対して報酬が割に合ってないと思うのなら、依頼主である私の判断で報酬を好きに嵩増ししろとトラは言っていた。契約は契約として寸分の狂い無く遂行されるべきだという教えを受けていた私としてはとても新鮮な発想に良い意味でのショックを受ける言葉だった。
そういう事が駄目な事ではないのならば、いつかこの依頼が完遂された後に私が父にお願いして叶えて貰える範囲で最大限の
そう考えてから、それだけでは足りないとも思い直す。
トラは私からの依頼を受ける前から私の事を危ない状況から助けてくれているのだから、それに対してもしっかりお礼をしなければいけないはず。
お金は大事だというのは私にだってわかる。
でも、お金よりも命の方が私は大事なんじゃないのかとも思う。
だから、依頼ではなくても命を掛けて助けてくれたトラに対して私は、お金だけではなくお金には変えられないような何かを返すべきなのかもしれない。
それがなんなのかは思い付いたばかりの今ではわからない。
だけど、お金に変えられない何かというのはきっと、自分の身に付けてる物以外何一つ持ってない今の私にも渡せるものなのかもしれない。
ひとまずは何もかもをトラに頼りきりな現状を変えて、私自身もトラの仕事を手伝えるようになるべきなのではと考える。
ルイーサや隊員達がいつか言っていた言葉に、隊の仲間は家族同然の戦友で、どんな時でもギヴアンドテイクを大事にしているというのがあった。助けて、助けられて、また助けて。そうする事でどんな過酷な状況であっても自然と助けあって乗り越えていけるという事らしい。
ルイーサや隊員達の言う過酷な状況と、私とトラの状況というのはきっと同じものではないのかもしれないけれども、それでもトラが私を助けてくれるだけではなくて、私もトラを助ける事ができれば状況も少しは好転しやすくなるのかもしれない。
そのためには私はどうすればいいのか。
やっぱり、思い付いたばかりの今の私には少し考えただけではわからなかった。
「……ふぁ」
しばらく思考にのめり込んでいた後に出てしまった欠伸。なんとなくアシストアーマーに触れると手には乾いた感触。
トラの指示通りに私はアシストアーマーを着用してから、毛布に丸まって目蓋を閉じた。