進撃の巨人2~名もなき兵士という名の悪魔~ 作:Nera上等兵
エルヴィン・スミスという男は、失ってから大切な事に気付く。
先代の調査兵団の団長が引退し、分隊長だった自分が後を継いだ。
当時はこれで調査兵団を変革し、これ以上の無駄な犠牲者を出さずに済むと思ったものだ。
かつて夢を語っていた男は、現実を知って何かを変える為に努力をし続けていた。
「ああ、私はこれで調査兵団を変えられると思ったさ」
元よりエルヴィンはその才能を活かし、分隊長時代には頭角を現していた。
特に民衆に至っては、自分と比較して先代のキース団長に陰口を叩いている有様だった。
それどころか他の分隊長からも団長職を暗に進められるほど誰からも認められていた。
「だが、それは違った」
ところが、実際に調査兵団の団長に就任したエルヴィンは現実を知った。
当時の王政府は、エルヴィンの前評判を知っており、かなり警戒をしていたのだ。
特に画期的な改革を何度も提案し、実行する実現力が脅威だったのだろう。
調査兵団を変革する彼に対して予算を大幅に削減し、破滅する様に仕向けられたのだ。
「こんなはずではなかった」
運悪く同時期にウォール・マリアの領域が巨人によって陥落したのも痛かった。
今まで調査兵団が築いてきた物を全て失ったどころか活動が全て白紙となった。
しかも、調査兵団にヘイトを稼がせる為にあえてウォール・マリア奪還作戦に投入されなかった。
当時のエルヴィンができる事といえば、少しでも教訓や情報を他者に伝える事だけであった。
「個人ができる事など限られるものだ。特に調査兵団なら尚更な…」
自分ならこの現状を変えられると思ったエルヴィンは、非情な現実で思い知った。
何かを犠牲にしなければ、この世界では生き残る事すらできない。
人類の2割を喪失し、ようやく彼は第2回のウォール・マリア奪還に向けて布石を打つ事ができた。
だが、そこに至るまでにあまりにも犠牲が大き過ぎた。
「今となって思うんだ…シャーディス団長こそが特別な人間だったんじゃないかと…」
団長として兵団を率いるのと参謀として兵団を運用するのは大きく違う。
ありとあらゆる現実を真摯に受け止めて迷わずに踏み込む勇気がエルヴィンに無かった。
巨人の群れに向かって突貫し、必ず生還する先代団長の頼もしさを再現できる事もない。
エルヴィンにできたのは、策略と想定される妨害の対処法であった。
「いつも思うんだ。もしもあの時にシャーディス団長が居てくれたら…何度も何度も…」
「…もういいだろ?過去の失敗なんか忘れてしまえ。お前はよくやった。それでいいだろ?」
内心を独白するエルヴィンの眼前には、自分と向き合う様に女将校が座っている。
室内にも関わらず外套のフードを被り、顔面に包帯を巻いている姿は4年前と変わっていない。
お互いの隙間を埋める様に設置された机の上に
「詐欺師らしく開き直ってしまえ。私も多くの人を死なせたが、後悔はしていない」
エルヴィンと向き合うエルティアナという女将校はウォール・マリア奪還作戦で大勢を死なせた。
実際、彼女の瞳を見れば相応の命を散らしてきたと実感できるほどには濁っている。
「最善の手を打とうとして失敗する事などいくらでもある。だからこそやりがいがあるのだよ」
「やりがいですか…」
調査兵団のトップとして色々と悩んだエルヴィン・スミスは昔の顔馴染みに本音を独白していた。
誰にも自分の気持ちを告げられなかった彼は、少しだけ報われた気がしている。
「この手で歴史を作れるという特権が我々にある。歴史の教科書に名を遺せるなどそうないぞ?」
「歴史を作るのは上層部の連中ではないでしょうか?」
「そうか?あいつら、自分の都合の良い未来を語るばかりで現実など考えていない様に見える」
わざとらしく煽ってくるところを見ると彼女は自分の言いたい事に気付いているだろう。
「先人たちが紡いできた歴史があるから今の我々がある。ならば後世に判断を任せて全力で物事に取り組むべきだ。特別な人間など誰かが偉そうに決める称号であって、我々に必要な物ではない。そうだろ?」
そう、エルヴィンは過去に縛られた人間であるので未来ではなく現在を語る彼女に救われている。
本音で語り合えるからこそ「特別な人間は居ない」と発言する女将校に反論した。
「だが、特別な人間は居ると思う」
「ほう?確かに別格だと思う奴は居るが、貴公にそこまで言わせるならそうなのだろうな」
「エレン・イェーガーは、何かを変える事ができる特別な人間だと俺は思っている」
「あいつ1人で何かを変えたか?必ず周囲に居る者たちが協力して初めて何かを変えたはずだ」
“特別な人間”という呪いは、誰もが持つ物である。
心身共に成長して自分の限界を知り、大半の人間が自分の意志で否定する事となる。
他者に呪いを押し付けるのに失敗したエルヴィンにできる事は限られた。
「エルティアナ連隊長が居てくれるおかげで少しだけ希望が見えてきました」
「なんだ、今更口説くのか?もっとマシな口説き文句を貴公はできると認識していたのだが?」
「ははは、相変わらずお手厳しい。……余裕がない男にはこれが精一杯の強がりとなります」
「フン、くだらない事を考える男だ。
ウォール・マリア奪還に向けて打ち合わせをしている時、エルヴィンは本音が漏れだした。
誰もが【自分なら何か代案や作戦を考えてくれるかもしれない】という重圧に晒し続けていた。
実際の彼は、夢の為に自分すら偽る詐欺師であり、ずっと本音と建て前を使いこなしてきた。
しかし、いざウォール・マリア奪還作戦の話になるとエルヴィンは急速に弱気になってしまった。
「申し訳ございません」
「まあ、暗い話ばかりではないのは、さっき告げた通りだ。もっと楽にしても良いと思うがな」
エルヴィンは調査兵団のトップとして本音も弱みも誰にも見せなかった。
しかし、5年以上前から付き合いがあり、先代団長と軽口を叩ける女将校は別であった。
後にリヴァイにも内面を打ち明ける彼は、未だに自分が行なった所業と夢と現実に苦しんでいる。
「同じ詐欺師視点から見ると、貴公は未だに純粋な心があると見える」
「はい、情けない事ですが…」
何かを変える事ができる人間というものは、大事な物を捨てられる。
今までの常識を覆す奇策であったり、兵士全員の命を賭けた囮作戦、武力革命など…。
常識であったり、理性であったり、なんなら自分自身を騙さないと物事を変える事などできない。
それでも、エルヴィンは幼少期からずっと抱き続けて捨てられない物があった。
「別に責めてはいない。時代の変化に影響を受けずに変わらない物があってもいいだろう」
未だに調査兵団の兵力は1名も増えていない。
王政が仕込んだ風習と常識は未だに民衆はおろか覚悟を決めた兵士ですら影響を与え続けている。
それでもエルヴィンは、開き直りを促すエルティアナの発言に救われた。
「弱みが無い人間など存在しない。むしろ人間性を捨て過ぎるのもどうかと思っている」
既にエルティアナ連隊長は、自身が新たに創設した兵団で犠牲者を出している。
クロルバ区壁外で行軍訓練を実施した際に巨人の群れが襲来し、2名の兵士が命を落した。
それでもエルティアナは止まらないし、エルヴィンもまた自身の歩みが途絶える事をしなかった。
同じ壁外を目指す兵団のトップたちは、お互いに意見を交換し、今後について語り合っていた。
「ところで貴公は何を求めている?“夢”か?“名声”か?それとも“実績”か?」
「エルティアナ元監査副長ならお見通しのはずです」
だが、エルヴィン・スミスという男は、目の前に居る年上の女将校に甘えている。
こうやって愚痴を溢す事を看過してくれる彼女に本気で感謝している。
それどころか、自分に代わって質問を投げてくれるのもありがたい。
いつも何かの疑問を投げかけて反応を見るエルヴィンが逆の立場になるのは新鮮だった。
「“真実”だろ?貴公が何を求めているか分からないが、夢を達成できる事を祈っているよ」
「ありがとうございます」
今まで5年以上も悩み続けたエルヴィンはようやく共犯者を作る事ができた。
そのおかげで少しだけ精神的に余裕ができて久しぶりに作り笑いをせずに済んだ。
「……やはり、貴公が笑うのは違和感があるな」
「だから誰にも見せていません」
予想通りの反応を示したのを見て更に笑ったエルヴィンは蒸留酒を飲み干した。
南西部の名産であるチーズの後に舌を湿らせる甘酸っぱい蒸留酒は全てを洗い流す様だ。
チーズとワインが絶妙に風味が混ざり合って濃厚な一時を過ごせたと実感できる。
「…すまないが、そろそろ時間でな。次回の打ち合わせに関してはまた連絡させてもらう」
「内門まで護衛を付けましょう」
「アホ言え。そんな兵力がどこに居る?私が連れて来た兵で充分だ」
エルヴィンとしては、たった1時間の飲み会を兼ねた交流で大きく夢に向かって前進できた。
その一方でエルティアナに化けるフローラは、更に彼の心理が読めず、更に頭を悩ました。
負の感情を“声”として聴ける能力は、その経緯や原因を教えてくれるものではないのだ。
『いつまで続くのかしら…』
特にエルヴィンの口から度々告げられた【特別な人間】という表現が全く理解できなかった。
殿方は名声や地位を重視し、高みを目指す者が多いとフローラは経験から分かっていた。
それでも、なんでそこまで【特別な人間】に拘るのか、全く理解できない。
女の子たちにチヤホヤされたいならもっと別の表現があるだろう。
『まあ、いつか分かるはず…』
この答えは、キース・シャーディス教官の口から語られる事で示される事となる。
ここで言う【特別の人間】とは、【自分より優れている人間】という事を示していた。
結論から言うとキース・シャーディスもエルヴィン・スミスも自身が凡人と自嘲する単語だった。
時代や環境が許してくれなかったから、彼らは自分を鼓舞して前に進み続けたのだ。
死体の山を築き上げてようやくそれを自覚したキースとそれを知りつつも騙し続けたエルヴィン。
どちらも救いがないが、少なくとも彼らの行動は決して無駄では無かった。
『理解したくないけど……』
当時のフローラは、なんとなくだが…その結論について予想はできていた。
しかし、それを認めるとこれから自分が出し続ける犠牲者の遺族に顔向けができなくなる事。
なにより、男という生物はプライドがあるので背中を軽く押す事しかできなかった。
同性の中でもっとも男性から相談されていたフローラは、詳細には踏み込まなかった。
『さて、クロルバ区に戻りますか…』
トロスト区の表通りを護衛を伴って堂々と歩くエルティアナの姿は周囲の視線を釘付けにさせた。
その視線は可愛い女の子に向けられるものではなく、むしろ畏怖さえも感じさせるものである。
顔面に包帯を巻いているという異様さは、見慣れない者たちの感情を煽る様である。
「姉さま、エルヴィン団長とどんな話をされたんですか?」
あまりにもフローラが別人に思えるほどの雰囲気にラナイ女史に化けるミーナが質問した。
気分転換なのもあったが、親友の歩き姿から異様な感じがして声を聴いて安心したかったのだ。
「ウォール・マリア奪還作戦の打ち合わせをしただけだ。それ以上もそれ以外も無い」
「その割には、ワインを持っていきましたよね?」
割とミーナは失言が多いが、今回の場合はその件について周りの護衛兵たちも気になっていた。
なので自分たちでは絶対に訊けない質問を平気で繰り出すラナイ女史に驚きを隠せない。
「どうしても口が乾くからな、ワインがあれば話が進むというものだ」
訓練兵団を卒業して収入を得たフローラは知り合いと一緒に食事会を行なった。
情報収集も兼ねていたが、本音としては食事をする際に警戒心が薄れるのが大きい。
あるとしても、食事のマナーや相手を気にするので必然と本音が漏れるのだ。
「それに向こうが招待してくれたのだから何かしらお礼をするべきだろう」
それに調査兵団は自分たちより格上の組織である。
そうなる様に仕向けた彼女は、調査兵団の為に様々な手を打ってきたのだ。
「姉さま?ちょっと良いですか?」
「ラナイ、どうした?」
ただ、ラナイを演じるミーナに1つ疑問があった。
「なんで内門に向かわれないのですか?」
用が済んだらトロスト区を出発し、北西に位置するクロルバ区に帰る手筈であった。
しかし、フローラは兵団司令部にも内門にも寄る気がないのか表通りから逸れて歩いている。
というか、この道にミーナは覚えがあった。
「知り合いのご両親に挨拶しておこうと思ってな」
次に放った一言によって親友がやりたい事をミーナは理解した。
それを阻止するべく彼女は口を開く。
「姉さま!予定が山積みじゃないですか!早くクロルバ区に帰投しますよ!!」
「予定より2時間も短縮できたんだ。別に寄っても損はないだろう」
「何を仰ってるんですか!早く帰還できればその分、余裕ができます!!」
そう、フローラはトロスト区にあるミーナの実家に挨拶しようとしていたのだ。
さすがに部下を引き連れて挨拶に行ってほしくないミーナは断固として抵抗した。
「……ラナイ・マクロン、貴公は知り合いが死んだ時、どう思った?」
「え?…それはとっても悲しいと思います」
そしたら急に変な質問をされてミーナはしぶしぶ返答をした。
それを聴いたフローラは、うんうんと頷くが、ミーナはその行動が理解できない。
いきなり勝手な行動をする親友の意図が読めずに包帯だらけの顔を睨むしかなかった。
「では、質問を変えよう。もしも、自分の子供が死んだらどう思う?」
最近までフローラ・エリクシアには両親に関する記憶がほとんどなかった。
鎧の巨人がウォール・マリアの内門をぶち抜いた時に発生した瓦礫で両親が潰された。
その衝撃は凄まじくこの時のフローラは、鎧の巨人以外の記憶がほとんどぶっ飛んだ。
最近になって記憶が戻ったが、もはや両親の顔を詳細に思い出す事はできない。
「そ、それは……」
「少なくともすぐには立ち直れないだろうな」
フローラがミーナの両親に挨拶へ向かった理由は2つだ。
まず、大切に育てた娘さんはきちんと生きていて活動していると報告する事。
そしてその大事な娘さんを戦死する環境に引きずり込むと報告する為だ。
「諸君も機会があったら両親や親戚に一言でも良いから挨拶をしておくといいぞ」
これはフローラの本音だ。
「次に生きて逢えるとは限らないからな」
同期のコニー・スプリンガーは、故郷に居る知り合いたちを見返す為に兵士になった。
なんなら、憲兵団への道を蹴って調査兵団に志願してやったと威張るつもりだっただろう。
ところが、故郷であるラガコ村に残った家族や村人は全員、巨人にされてしまった。
「この世は不条理さ、いくら真面目に生きていても死ぬ時は死ぬ」
故郷を文字通りに喪失したコニーの場合は、まだ救いがある。
彼の実家で巨人化された母親は、身動きが取れずにそのまま拘束されている状況だ。
調査兵団が所有している注射器と喰わせる巨人化能力者が居れば元に戻す事も可能であった。
「だったら、やらずに後悔するより、やってから後悔した方がいいではないか」
恥ずかしくて実家に帰りたくないミーナ以外にもフローラは問いかけた。
一度でも良いから家族に挨拶をしておけ…と。
この世に絶対は無く諸行無常である以上、いつかは別れの時が到来する。
自分であるか、相手であるかは、運命の女神様くらいしか分からない。
ただ彼女が言える事は、1つしかない。
そうなった時に後悔しない様にと…強めの口調で家族を軽視する兵士たちに忠告した。
「では、行こうか」
…とフローラは告げたもののリーブス商会と一切、連絡を取っていない。
ディモ・リーブス会長のご子息であるフレーゲルと逢うつもりが無いからだ。
ミーナや護衛兵に偉そうな事を言った彼女こそが、それについて軽視していた。
『婚約を誓った幼馴染の為に彼は血塗れの手でも触れてくれるでしょうね…』
フローラとフレーゲルは、幼少期に結婚を誓った仲であったが、遠縁になってしまった。
久しぶりに再会した時は、過去の記憶を戻れるのを嫌がって本気で殺そうとしてしまった。
それでも彼は自分の事を信じてくれたが、フローラはむしろ縁を切る事にした。
『ふふふ、酷過ぎる。ホント、わたくしって性格が悪い…』
過去の記憶が戻っても、思い浮かぶのはライナーと過ごした日々の記憶ばかり…。
104期訓練兵のフローラの記憶が強すぎて大半の思い出が上書きされてしまった。
その影響か、5年前以降の行動や約束、記憶などをフローラは重視していなかった。
『今度逢ったら彼の最期を看取る事を考えるなんてどうかしてる…』
何故かフレーゲルが死ぬ間際に再会する様な気がした。
二度と交えない道を自覚しながら、彼は自分に何かを告げて絶命するのを見送る。
あまりにも後味が悪すぎて自嘲するくらいには最低のバッドエンドしか思いつかない。
『でも、時折思うのよね…』
フレーゲルに失われた記憶を掘り返されたフローラは彼に良い印象は無い。
むしろ、公式では自分が死んだ事になって清々しているまである。
死別は生者と縁を切るには最適だからだ。
「着いた……お前たちはその場で待機せよ」
「「「ハッ!」」」
それでも大事な娘さんを預かっている身としては部下の両親に挨拶をしておきたい。
直立不動で待機する兵士たちの列を見て満足したフローラは民家に向かって歩く。
もはや、フローラの背中に隠れる様に歩くミーナにどうする事もできなかった。
「ご両親と再会するけど準備は良い?」
「ま、待って。やっぱり先に手紙を送った方が…」
この期に及んで抵抗するミーナを無視したフローラはドアを3回ノックした。
訓練兵時代に一度だけここに訪れた事があるが、それから建物が変わった様子が無い。
どうやらこの地区は巨人との戦闘に巻き込まれなかった様だ。
ただし、木製の十字架が地面に刺さっているのを見て大体の事情は察する事ができる。
「……え?」
予期せぬ来客に警戒したのか猟銃を構えてミーナの父親がドアから顔を出す。
しかし、目の前に憲兵団の紋章がある女兵士を見て慌ててドアを全開にした。
「け、憲兵様!!カロライナ家に何か御用でしょうか!?」
さすがに憲兵が事情も無く民家を訊ねて来るのはあり得ない。
『何かの間違いではないか』と願った彼は声が裏返りながら女将校らしき人物に要件を訊ねた。
「そこまで身構えなくていい。伴侶が居るならここに呼んで…「承知しました!」…そうか」
憲兵団が民家に訪ねてくるなど緊急事態以外にあり得なかった。
特に後方で整列している中央憲兵出身者たちは良く知っている。
真面目に仕事をしている憲兵に連れて行かれると二度と生きて帰って来れないと…。
その中央第一憲兵団をほぼ掌握しているフローラは、さすがに気まずくなった。
「ハァハァ…」
「お待たせしました!!」
そして1分も経たずにミーナの両親が民家から慌ただしく飛び出してきた。
よっぽど母親はびっくりしたのか過呼吸になっており、すぐにでも倒れそうに見える。
「ああ、急で済まないな…」
さすがにドッキリどころか死刑執行前日を迎えた囚人の様なご両親の顔に…。
先にミーナについて連絡しておくべきだったとフローラは後悔する。
だからといってやってしまった事はしょうがないので素早く要件を伝える事にした。
「実は、カロライナ家のご息女の事なんだがな…」
ここでミーナに発言してもらおうとフローラは思ったが無理だった。
いつの間にかミーナが整列した兵士の後ろに隠れているせいで出鼻が挫かれた。
「ご両親に再会するのが恥ずかしくて整列した兵士たちの後ろに隠れているんだ…」
「……はい?今なんて仰いましたか?」
ミーナの父親は猟師であると過去に聴いている。
野山を駆け巡り、視覚と聴覚を駆使して獲物を探す狩人は生半可な者ではなれない。
そんな彼が憲兵の発言を聴き逃すとは考えられないので本当に頭が理解できなかったのだろう。
「ミーナがご両親に再会しようとしないので強制的に連行して来たという訳さ」
突然、「実は娘が生きてました」と憲兵から報告を受けた父親はその話が信じられなかった。
実際、フローラも似た様な事を言われたらすぐには信じられない。
「ミーナ・カロライナはな、肉の誓いで巨人を討伐し…「ちょっと待って!!」あらら…」
なのでミーナに関するエピソードを披露しようとすると本人から口止めをされた。
あのエピソードについて話していない事実にフローラは驚いたが…ミーナはそれどころじゃない。
「どうしてフローラは余計な事を言おうとするの!?」
顔を真っ赤にして必死にフローラの胴体を掴んで揺らすミーナは…。
自分の両親が信じられない様な顔をしているとは気付けなかった。
「ミーナ?ミーナなの!?」
すぐに母親がフローラを叩く娘に抱擁し全力で泣いてしまった。
父親も思わず地面に座り込んで娘が帰って来たとようやく現実を受け入れる事ができた。
「イイハナシダワー」
フローラは二度と両親から愛される事は無い。
両親の顔がほとんど思い出せないフローラはこの光景が羨ましく感じる。
それと同時になんか嫉妬してしまい、呆然とする部下たちに向き合った。
「ああ、諸君は楽な姿勢を取りたまえ」
もはや、投げやりな命令を下したフローラは親子団らんの時間を邪魔する気は無かった。
…「再会がこれで最後になるかもしれない」などと報告する気も失せてしまった。
『仕方がありません。ミーナはここでお別れにしましょう』
予想はしたもののいざ、可愛がられた娘が両親と再会するのを見てやる気を失った。
さっきと打って変わってミーナを放置してフローラは帰路につこうとする。
『兵士一人一人に家族が居て仲間が居る。果たしてわたくしは彼らを犠牲にできるのかしら…』
あまりの顔の怖さに鬼教官と評されたキース・シャーディスは、その現実に打ちのめされた。
さきほど悩みを抱えていたエルヴィン団長も、最終的に行き着く問題はここであった。
大切なご子息やご息女の戦死を伝えるという役目ほど…命を…心臓を預かった身として重い。
既に犠牲者が2名も出しており、これから犠牲者が増え続けているのは確定している。
『できるんでしょうね』
フローラは既に自分を慕ってくれた人々をこの手で殺害している。
なんなら、人類を救う為なら自分の作った兵団の構成員を皆殺しにできてしまう。
そこまで大切な物を捨てられる人格破綻者と自覚するからこそ…フローラは自分の性格を呪った。
自分が死なない限り、周囲に死をばら撒き続けると自覚したからだ。
「フローラさん…ですよね?」
ミーナの母親とは一度だけ面識がある。
厳しくも娘想いな良い母親だと認識していた。
「ああ、そうだ。諸事情により口調と格好を変えている。本当に報告が遅れて申し訳ない」
その母親を前にしてこれから娘を最前線に投入するなど口に出せる訳が無かった。
ミーナの母親にお辞儀をしたフローラはそれだけを告げて周れ右をする。
そしてすぐにでもこの場を去ろうとした。
「娘を守ってくれて本当にありがとうございます…」
嗚咽が混じり合った感謝の声はフローラに強い印象を残した。
これから感謝される声より罵倒や泣き崩れる声を聴く事になると考えると尚更である。
「我々も娘の為に兵団の手助けをさせて頂けませんか?」
「……巨人と戦う術がない貴公らに何ができるというのだ」
「娘から色々聞きました。私たちのできる事があれば…」
確かに調査兵団に兵士が志願する流れを作ったのでフローラの部隊は人手不足だった。
猫の手どころか両腕が無い兵士を動員するほどに協力者が欲しかった。
しかし、大した知識も経験も専門分野に精通していないご両親を連隊に迎える事はできない。
「……気持ちだけは受け取っておくよ」
「では、これからご馳走を振舞います。どうぞ中へお入りください」
「…はい?」
今度はフローラがミーナの両親に振り回される事となった。
必死に拒否しようとするが、さきほど恥を晒されそうになったミーナが敵として立ち塞がる。
頼みの綱の護衛兵たちも、元中央憲兵たちなのでむしろ、その様子を楽しんでいた。
彼ら曰く【振り回される苦労を思い知れ】という事だ。
「こ、こんなはずでは…」
結局、ミーナのご両親は、わざわざクロルバ区に越して来る事となった。
さすがに拒否しようとしたもののフローラが振り回されるのが本当に面白かったのか。
フローラ以外に誰一人否定しなかったせいで強制的に決まってしまった。
「どう!?今度変な事をやったらこれより暴走してやるんだからね!」
あれほど両親との再会を嫌がったミーナは両手を腰に当ててドヤァ顔をしていた。
ついでに護衛兵たちも他人事の様にフローラを馬鹿にしているが、本人はそれどころじゃない。
さっそく予定も計画も狂ったフローラはすぐにクロルバ区でいろいろ仕事をする羽目になった。
旧時代の様に住民基本台帳を管理する気はないが、役人の報告から傾向はよく分かる。
『移民が多い…』
新兵団が設立された事もあり、巨人掃討作戦が現実味を帯び始めた。
その影響からか、クロルバ区とその周辺地域に変化が見られた。
旧政権派の貴族が次々とクロルバ区近郊に引っ越してきたのだ。
『
当初に予想した通り、兵団政権に反感がある貴族たちがエルティアナに接触してきた。
フローラも何度か女将校を演じて対応したが、どいつもこいつも碌な事を考えていなかった。
『鬱陶しい…』
どんどん増えて来る旧体制派は、新兵団を支援して兵団政権を打倒できる戦力にする気だった。
そもそも新兵団は、王政府の狗だった中央第一憲兵団を中核にした組織である。
むしろ対抗勢力以外に見えない方が可笑しくて実際に兵団政権の高官からも指摘されている。
だからわざわざ調査兵団より格下の組織にしたのだ。
『早く一網打尽できる機会を作りましょう』
もちろん、これは賢明なザックレー総統とフローラが仕掛けた罠である。
広大に広がった網に気付かずに喰い付いた魚たちは自分たちの破滅を未だに信じられない。
フローラは特に兵団政権やヒストリア殿下に危害を与えそうな人物に地位を与えた。
『これで兵団政権から庇えるから更に活動を活発にする事でしょう』
中途半端に出世すると身動きが取れないのは身をもって証明済みである。
表向きには兵団政権から庇う為に役職に就かせて逃げられない様にした。
兵団規模の拡大を狙った支援金は、ありがたくクロルバ区の発展に使わせてもらった。
いつの日か、こいつらを一掃できる事を考えつつもフローラは本音と建て前を使いこなす。
『ふふふ、くだらないわ』
エルヴィン・スミスが人として弱みが見えてくる中、フローラは更に壊れていた。
自分すら偽る詐欺師以上に建前と本音を使いこなす化け物は更なる一手を打つ。
『成果を見せるなんてね…』
民衆や兵団政権が成果を出せと何度も自分に告げて来るが、それが難しかった。
巨人を討伐すると消滅してしまうので成果として提出できないのだ。
だからフローラは、わざわざ誰もが納得できる成果を用意する事にした。
『クィンタ区の住民台帳なら誰もが納得する事でしょう』
トロスト区の北西に位置するクロルバ区は人類活動領域の最西端となる。
ただし、5年前はシガンシナ区が最南端であったように西にも城壁都市が存在していたのだ。
その城壁都市の名は、クィンタ区。
巨人の襲来を受けて籠城したその“隔絶都市”についての情報はほとんどない。
だからこそフローラにとって都合が良かった。
『ほかの地区と違ってほとんど情報がないのだから…』
ウォール・マリアが巨人に陥落する日、様々な人々が決断する羽目になった。
クィンタ区の住民は籠城するか、クロルバ区に逃亡するかの二択に分けられた。
運良くクロルバ区に逃げ込んだ住民は安堵したもののすぐに絶望に突き落とされる事となる。
選別されてその1年後にウォール・マリア奪還作戦に投入されて戦死するのだから。
しかし、クィンタ区に籠城した住民に関しては、ほとんどの情報が残されていない。
それほど生存者が居なかったのだ。
『そう、クィンタ区は補給が途絶えたせいで破滅した』
クィンタ区が破滅した原因としては、補給が断たれたのが大きい。
50mの壁から突出する城壁都市は、その地域の拠点にして巨人を誘き寄せる餌場でもある。
もしも、巨人に突破されても内門さえ守り抜けば、巨人を閉じ込める牢獄の用途があった。
だが、餌が無くても生きていける巨人と違って人間が籠城し続けるのは無理がある。
『遠征をするわたくしたちにぴったりな場所ね』
ただし、これはフローラにとって他人事ではなかった。
率先して巨人を討伐する関係上、遠征しないといけなかった。
だからこそ補給関連に力を入れて来たのだが、あまりにも情報が少なかった。
しかし、破滅した前例があるならそれを知って損は無い。
『なにより情報は残っているはず…』
基本的に兵団という組織は、活動内容や実績を記録として残している。
例えば、調査兵団のイルゼという女兵士は、遭遇した奇妙な巨人を最期まで記録した。
その記録した手帳を調査兵団が回収し、巨人の研究に活かした経緯がある様に…。
先人たちは自分たちが破滅すると分かっていても必ず記録に残すのだ。
だからフローラは、クィンタ区に破滅した原因が記された記録があると推測した。
『わたくしたちに必要な情報が…』
フローラは、兵団政権に対して実績を示す為にクィンタ区に遠征すると報告している。
クィンタ区に眠る住民台帳ならば、遠征した証拠になると告げたのだ。
ヒストリア女王就任に向けて明るいニュースを欲した上層部はあっさりと承諾した。
しかし、これはフローラの建前に過ぎない。
『あるのだから…』
フローラとしては、クィンタ区がどう破滅したのか知りたかった。
飢餓、疫病、過剰な規律による反乱、狂乱など様々な要因が思いつくが、どれが正解か。
むしろ、破滅した原因の答え合わせをしたいが為に遠征する事にした。
彼らの破滅から得られる教訓や答えを知りたかったのだ。
『それに遠征が成功したという実績は大きいはず…』
民衆の常識としては、自分たちが暮らす壁の向こうは危険だとされている。
歴代の調査兵団が失敗続きだったのだから、今度も成功する訳がないと意見が多い。
エレンの硬質化で大量の資材や物資が要らなくなったと言われても納得できる訳がない。
そこでフローラは、先に遠征を成功させて民衆を納得させる事にした。
『特に調査兵団の協力を得たという実績は必要だから…』
今回の遠征作戦は、調査兵団の協力を得られたから成功しました。
この一文を報告ができる様にどれだけ苦労した事か。
羽ペンのインクは何度も尽きてその度に補充し続けた。
『……いけるはず』
今回の遠征作戦は早朝に行われる。
夜間では巨人が動かないと分かっているのにやる理由は1つだ。
そもそも4年前のウォール・マリア奪還作戦以降に部隊が出撃していないのだ。
つまり、手探りで進軍する羽目になるので夜に紛れて出撃ができなかった。
『大金をはたいて案内役と元住民を雇ったのだから金額分は仕事させてやるわ』
後に調査兵団が夜間に進軍できたのは、事前に準備をしていたのが大きい。
元よりウォール・マリア奪還の為の布石として補給拠点を設置していたのだ。
しかも、一ヶ月以上かけて少数精鋭が事前の進軍ルートを模索していたのもある。
一方、準備していたとはいえフローラは、ぶっつけ本番で進軍させるしかなかった。
ヒストリアが女王になる前に実績を示さないといけないという縛りがあったのだ。
「きつい…」
ここでフローラは本音を漏らしてしまうほどに今回の遠征は失敗すると感じていた。
原因は兵士の練度不足でまともに部隊運用できる自信がなかった為だ。
巨人との戦闘を極力避ける調査兵団と違って真面目に相手をしないといけない。
その訓練が計画通りに行なわれておらずフローラ自身が失敗すると確信していた。
「何が?」
ただ、現実を分かっているフローラと違ってミーナは楽観視している。
親友が出した計画と報告を文字通り受け取ったので失敗を想定していなかった。
どれだけ楽観視しているかというと他人事で質問してくるミーナがそれを示している。
それどころかフローラの直属の配下ほど作戦が成功すると信じていた。
「できる事はやったけど色々心配なのよ」
「フローラがそこまで悩むって珍しいね」
「……むしろ、悩んでいない時が珍しい気がするのだけど…」
最悪の事態に備えていくつも策を仕込んだが、それでもフローラは心配だった。
なにせ一番の策が自分の聴覚と勘で巨人の群れと交戦を避ける事になっているのだ。
索敵の陣形すら訓練できなかったのでフローラ自身が部隊を引っ張るしかできなかった。
「それでもフローラは何度も生き残ったじゃない」
「わたくしだけ生き残っても意味がないのよ」
フローラ自身は、夜間に無灯で馬を走らせた実績があるので下手すれば自分一人で達成できる。
しかし、部下が居なければフローラはどうする事も出来ない。
見張りも捜索も休息も兵士が居ないとまともにやれる自信がなかった。
「そう、わたくしだけ目的を達成しても意味ないのよ」
個人でやれる事など限られるから人は群れるのだ。
特に新兵団のトップとして活動しているフローラは、個人で功績を作る気など無かった。
組織の長として部隊を効率良く運用できる様に仕込んで作戦を実施するだけであった。
それが破滅に繋がろうとも、逃げる事などできやしないのだから。