進撃の巨人2~名もなき兵士という名の悪魔~ 作:Nera上等兵
どうすればもっとマシな結末を迎えられたのか。
時折、そう考えてしまうものの、少なくとも最期になるにはまだ早いというだけは分かる。
アマンダと名付けてくれた両親の顔すら思い出せない少女と呼ぶには年上過ぎる女兵士は笑った。
「なんだよ、気味が悪いな」
「
「いや、そうじゃなくて…」
無表情の彼女に慣れてしまったマティアスは、少しだけ戸惑ったが反論する気も無い。
今日が何年で何日なのかも分からない。
分かる事と言えば、脱出したはずのクィンタ区で知り合いと共に立て籠もっているだけだ。
“償いの旅”に出たのに結局、ここに戻って来てそのまま適当な空き家を拝借して暮らす日々。
「そう、わたしが悪いの」
必然的にリタ・クラマーは悲観的になるが、それはいつもの事だ。
相変わらず自責する伴侶の右手をマティアスは優しく握り締めて笑う。
「今日って何の日か覚えているか?」
「覚えていない」
「“お祈り”の日だ」
「そうだっけ…?」
「ああ、すまない。きちんと言ってなかった俺が悪い」
「今日は寒い」からと焚火で暖を取る事を提案したリタは幼馴染の質問に答えられなかった。
本来だったら、もっと積極的だったとマティアスは思っているが口には出さない。
巨人との戦闘で頭を強く打ってからの彼女は物覚えに支障をきたしている。
だが、それでいいと思っている。
「一緒に犠牲になった人々のご冥福をお祈りする日だったんだ」
「そんな習慣も思い出せなくなった。嫌ね、もう忘れたくないのに…」
だからリタは手の甲や腕に忘れたくない名前や出来事を物理的に書いている。
それを見れば、きっと忘れないと思っているから。
「でも、俺の名前は憶えているだろ?」
「マティアス、それを忘れたらわたしは死んだ方が良いと思う」
かつて、リタはこの隔絶された城壁都市クィンタ区の女王様だった。
彼女なりに不条理な現実に足掻いて生き残る為に暴走を続けた結果、そうなってしまった。
奇しくも巨人のおかげで辛うじて彼女を正常な道に引き摺り戻したマティアスは…。
「そうしない為に俺がいる」
【約束】を守る為に伴侶の傍に留まっていた。
「私の前でお熱い仲を見せないでくれない?嫉妬しちゃうんだけど?」
「ああ、すまない」
そんな夫婦を見てアマンダは嫉妬半分、呆れ半分で挑発を行なう。
さすがにまずかったかと頭を掻くマティアスは思わず空を見る。
気分転換に見たとはいえ名も知らぬ鳥が遥か上空で羽ばたいていた。
きっと壁を越えてどこかに向かうと考えると少しだけ嫉妬してしまう。
「鳥ってさ。なんか羨ましくないか?自由に壁を乗り越える事ができるんだぜ?」
「また、その話?」
「いいだろ?久しぶりにこうやって3人で話すんだからさ」
他にも生き残った者は居るが、気を遣って区庁舎で過ごしてくれていた。
たまにではあるが、それでもこうやって人って配慮できるのかとしみじみと思う。
マティアスは、待ってくれる皆の為にも何かプレゼントしたいと考えている。
「ん?」
そう考えていたら、アマンダの後方で物音がした。
彼女も何か気付いたのか後ろを向くが何も異常は無さそうだ。
「何か音がしなかったか?」
「そう思って振り返ったが異常はない。そっちは?」
「こっちも異常はない」
アマンダは立ち上がって久しぶりに操作装置に刃を装填する。
そして両方の鞘から刃を抜き出して構える姿はいつもよりも頼もしく見える。
「ちょっと様子を見て来る。リタたちは…」
そしてアマンダは2人に避難を呼びかけようとした時!
何かが飛んできて地面に転がって来た。
「なんだこれ?」
それは棒状の物体で詳細は分からないが、明らかに人為的に作られたのは確かだ。
確認する為にアマンダが手を伸ばそうとした時に強烈な光を発して視界が喪失した。
「今だ」
突然、発光した物体で視力が失われたと同時にマティアスは強く石畳に叩きつけられた。
何者かの声がしたような気がしたが、それどころではない。
「ぐわ!?」
痛みを不意打ちで喰らったので一瞬、混乱したがすぐに状況が掴めた。
誰かが自分を拘束したのは一瞬で分かったが、意図がさっぱり分からない。
こんな事をしても、利点が無いのは明らかだ。
「ああ!?」
「リタ!?…この!!放せ!!」
なにより、リタの悲鳴を聴いてマティアスは足掻こうとするが…。
「憲兵団だ!!貴様ら!そこで何をしている!!」
懐かしい単語を聴いて抵抗を止めてしまった。
既にここには憲兵という存在はおらず、記憶からもすっかり消え去った存在だった。
「け、けんぺいだん?そんな馬鹿な…」
ただし、ここはウォール・マリアから突出したクィンタ区である。
わざわざ巨人が住む地域を越えて憲兵がこの街を横行闊歩する訳が無い。
しかし、
「本気で言っているのか?」
「えぇ…良いでしょ?」
うつ伏せ状態で頭と背中を何者かに抑えられているせいでマティアスは前にしか見れない。
ただ、目の前に居るのは確かに憲兵である。
何故か緑色の外套を身に纏って顔に包帯を巻いている女憲兵が不服そうに腕を組んでいる。
一方、彼女を煽る様にタバコを吸い始めた妖艶な女性にマティアスは見覚えが無い。
「彼らの人権は私が保証する。責任も私とパパが取る。それで決まりでいいでしょ?」
カーリー・ストラットマンは、クィンタ区の生存者を始末しようとするフローラを牽制!
マルレーン商会の会長のご令嬢は、貴重な商機を逃すまじと条件つきで殲滅命令を取り消した。
「勝手に言ってくれる。ならば彼らと一緒にここで過ごせ」
「そうしたら貴女が困るんだと思うけどな~?違う?」
エルティアナ連隊長に扮するフローラは彼女の口調で抗議するが、聞き入れられなかった。
ここまで彼女たちの関係が険悪なのは、双方が商人の令嬢というプライドがあるせいだ。
誰とでも仲良くできるフローラでも、自分を踏んで成り上がろうとする令嬢だけは許せなかった。
「まずは『他にも生存者が居るのか』と訊いた方がいいんじゃない?」
「へぇ、たまにはあんたも良い事を言うわね」
「た、たまには!?この!!調子に乗るのもいい加減にして!!」
フローラが不利そうなのを見てラナイ女史を演じるミーナが提言するが…。
カーリーの放った余計な一言で怒って本気で殴りつけようとする。
それを対人立体機動部隊の副長であったカーフェンが羽交い絞めをして攻撃を阻止した。
「何やってるんですか?拘束した不審人物たちも呆れてますよ」
【鉄仮面】という異名があるカーフェンによって騒動は一段落し、フローラは口を開く。
「ああ、そこの。うつ伏せで抑えられている青年」
「俺か?」
「お前たちは何者だ。このクィンタ区で何をやっている?」
まさか5年半近く放置されたクィンタ区に生存者が居るとは思わなかった。
しかも、わざわざ敵にバレる様に焚火をして雑談しているなどあり得なかった。
あまりにも現実離れした光景に思わず質問してしまうほど本気でフローラは困惑していた。
「何って?ここで暮らしているんだよ」
「ここに来るまでに巨人の群れと何度も遭遇したんだが、何でお前らは生きている?」
「運良く生き延びただけだ。それ以外に何があるんですか憲兵さん?」
マティアスは包帯で顔を巻いた女憲兵の質問に返答するが、彼女は納得できていない様だ。
「では、庁舎に避難している住民らしき者たちと貴公らは仲間か?」
「そうだが?」
しかし、ここまでバレているとよっぽど自分たちを警戒していた様だ。
ウォール・ローゼから救援部隊が来る時はもっと大騒ぎになると思っていた。
砲撃が鳴り響いて兵士たちの怒声や掛け声がたくさん聴こえる光景を夢見ていた。
現実は、こんなにあっさりと部隊が来るとは思っていなかった。
「そうだな、まず貴公の名前と所属を報告せよ。言っておくが嘘をついたら容赦はしない」
更に包帯を巻いている女憲兵はマティアスに対して更に質問を繰り出す。
包帯の隙間から見える黄緑色の翠眼は、こちらの正体を見極めようと試みている。
ここで嘘をついても意味が無いので彼は全てを白状する事にした。
「マティアス・クラマー。かつてここを拠点に「ああ、クラマー商会か」なんだ知ってるのか」
マティアス・クラマーは、クィンタ区で活動していたクラマー商会の総帥のご子息である。
そのままの通り、ボンボンのお坊ちゃまであったが、色々あって成長した。
そんな彼が未だに自分の親が運用する商会が残っていると知って少しだけ口角を釣り上げる。
「父は元気か?」
「ヨルグ総帥の事か?クロルバ区の経済に携わっている大物さ。未だに手腕は老いていない」
「そうか…」
かつて彼は父親によって志願兵の道を妨害されて盗賊風情と取引をしてここに来た。
幼馴染のリタを救いたい一心でここに来て彼女の部下を誤って射殺してしまった。
そんな苦い思い出が蘇る中、女憲兵は何かを探る様にこっちを見ていた。
「なるほど、嘘はついていないか」
フローラは、負の感情を“声”として聴く能力を有している。
身じろぎ1つできない絶望的な状況で“本音”を聴けたせいで信じるしかなかった。
「拘束を解け」
「「「ハッ!」」」
やむを得ず拘束を解いたフローラは、そのまま彼らを放置する訳にはいかなかった。
殺人をしなくて済んで安堵する兵士たちとは裏腹に彼女の顔は曇ったままだ。
「ラナイ、グランツ!内門に待機する部隊に開門許可と砲撃許可を出せ」
「姉さま!分かりました!!」
「了解!!」
とりあえず、ウォール・マリアの領域に待機させた馬たちを入れる事にした。
奇襲をする為に開門できなかったのでここでしっかりと部隊を招き入れる。
そして生存者たちと向き合ったフローラは、更に命令を下した。
「さっそくで悪いのだが、兵団司令部に案内してくれないか?」
「区庁舎ではないの?」
「まずクィンタ区に遠征をしたという証拠が欲しくてな」
補給を断たれて全滅したと思われた住民が生き残っていたという事実は大きい。
特にリタという名前に聞き覚えがあるフローラは、彼女たちに興味を持った。
「カーフェン、リーネ!私と来い。カーリーは…」
「私も噛ましてくれるよね?」
「勝手にしろ。残りはラナイに続け」
ウトガルド城防衛戦で唯一104期調査兵以外で生き残ったリーネ。
そして対人戦闘に優れるカーフェンを連れて見張らせるつもりだ。
ついでにフローラはカーリーの思惑を察して吐き捨てる様に同行を許可した。
「いいのか?俺らを紐で拘束しなくても?」
「生存者代表として意見を伺いたいだけだ、そこまでする気はない」
とにかくフローラは情報を欲していた。
愉快な巨人化能力者たちによってシガンシナ区が巨人に陥落した5年間。
王政府も知る事はない事実を発掘し、それを見て判断する気であった。
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「はぁ!?」
兵団司令部でクィンタ区の住民台帳を得たフローラは生存者に聴き取り調査をする。
そしたら、とんでもない事実が発覚し、思わず声に出してしまった。
「シガンシナ区陥落から半年間も組織的な活動ができたの!?」
それはフローラの思惑とは真逆の事実だった。
てっきり、2週間くらいで人類が内戦をして勝手に破滅したのかと思っていた。
いくら魚と野草があっても、住民の腹を満たす事はできないはずだった。
しかし、裁判記録によると意外と住民に余裕があった事が記されていた。
『豚肉の一塊と4人家族の食料1週間分にバター1塊を窃盗した罪で処刑?嘘でしょ!?』
偶然にも捕獲できた巨人を利用して処刑された罪人の罪と裁判記録をフローラは読んだ。
だが、明らかに籠城から半年経過した時に書かれた記録では無かった。
補給がないのにここまで食品とバターが残っているなど普通ならあり得ない。
当事者である生存者が居なかったら、即座に否定する情報を知ったフローラは更に質問をする。
「もう一度聞くけど、排泄物を食べて飢えを凌いでいなかったの?飲尿はしてるわよね?」
「そんな事をしていない。ちゃんと食料は確保できていた。それは間違いない」
「アマンダ・シュテファン、貴女の言葉は信じたいけど、どう見ても不可能よ」
フローラが真っ先に驚いたのは、半年以上も籠城が成功したという点だ。
補給が断たれて一番の問題は、人体を構成する栄養素が不足する事である。
例えば、フローラはトロスト区で巨人捕獲作戦に従事した時、事故で果汁塗れになった。
巨人捕獲銃の反動による不幸な事故であったが、問題はそこではない。
裏を返せば、過剰な青果物を確保しないと城壁都市を運用できない事を示していた。
「青果物を確保できなければ、壊血病を発症して全滅したはずよ」
壊血病は、
例え魚や野草で飢えを凌いでも、そういった新鮮な果物を食べないと肉体がボロボロになるのだ。
フローラが遠征計画を立てた際に一番の問題になっていたのもこれである。
だからこそ半年以上も2千人近くの住民を養えた事実に彼女は首を傾げたのだ。
「夜間採取で近所から野菜や果樹から青果物を確保していただけ。それ以外にある?」
当然、クィンタ区に駐在していた数少ない兵士や識者は馬鹿では無かった。
夜間に巨人がほとんど動かない性質を利用して野菜や果物を確保したらしい。
そんなアマンダの反論を聴いてフローラは本気で頭が痛くなった。
「死肉を加工して保存食にしたり、尿をろ過したりしたの?」
「死体なんか食べてないよ。衛生上の問題で焼いて遺骨は壁から捨てた。飲料水の確保については井戸や川があったから沸騰させて飲んでいただけでそれ以外はしていない」
「…本気で言ってるの?」
飢餓に追い詰められた人間が行う最終手段は、同族の死肉を漁って食べる事である。
人体を構築している物質が山ほどあるので口にすれば、生き残る事はできる。
飲料水についても、川の水や雨水を沸騰させて飲むのは、普通に腹を壊す危険な行為である。
特に下痢というのは、不衛生な環境だとすぐに死に至らせる危険な症状となる。
トロスト区で生き残った兵士が下痢で衰弱し、感染症を誘発して死に至らせるほど厄介だった。
だからこそ、横で話を聴いているフローラは、クィンタ区の生活が嘘に聴こえてしまった。
「ほら、私の言った通りでしょ?貴女は最悪の事態を考え過ぎなのよ」
ここぞとばかりにカーリーが煽るが、フローラは反論する気力も無い。
意外と悲観主義であるフローラは、何が起こっても良いように複数の対策と手段を用意している。
特に前代未聞の新兵団の運用を兵団政権に任された彼女は、頭を悩ましながら活動してきた。
「別にわたくしだって望んでいた訳じゃない。なっても良いように活動しただけよ」
フローラは訓練兵時代にやらかし過ぎて教官から晩飯抜きを言い渡されて餓死しかけた。
キノコや野草を食べるが、逆効果でいろんな目に遭い続けてきた時、救世主が現れた。
同期のダズ・ウィズリーが持ってきた植物図鑑で知識を得てようやく飢えを凌げたのだ。
そんな経験からか、フローラは特に飢餓や病気について警戒してきたのだ。
「でも兵士の事を心配して手を打ってくれるなら、こっちはありがたいけどね」
調査兵団から派遣されたという建前で徴兵されたリーネはフローラを褒める。
エルヴィン団長も兵站について悩んでいたが、資金不足により根本的な解決ができなかった。
そんな中、ドライフルーツや栄養剤を確保し、1週間活動できる物資を用意した事実は大きい。
憧れだったベテラン兵から褒められたフローラは少しだけ眉の皺を和らげる事ができた。
「でも、わたしの活動は無駄だった」
「ん?」
記録に基づいて生存者から聞き取り調査をしていたフローラは、リタの独り言に気付いた。
彼女の紫瞳からは光が失われており、まるで自決しかねないほどに声が震えている。
「わたしは頑張った。でもみんな死んじゃった」
当時のリタ・イーゲルハウトは、2年目にして生き残った兵士の中で最高位になってしまった。
アマンダは彼女の同期であるが、リタに過酷な役割を与えて後悔した事はいくらでもある。
彼女たちは、巨人という【恐怖】を活用し、クィンタ区に留まる住民を無理やり団結させてきた。
「あんなに居たのにみんな死んじゃった…」
記憶がほとんど残っていないリタも伴侶と一緒にクィンタ区から脱出する時の事は覚えている。
先頭に位置する馬車群は、数百人ほどの子供を乗せていた。
しかし、フローラの報告によると、クロルバ区に辿り着いて生還した人数はたった7名のみ。
駐屯兵団の再編成など混乱期であったとはいえ、公式記録ではそう記されていた。
一方、脱出が最後だったリタ班はクィンタ区に撤退して14名が今なお、そこで暮らしている。
「わたしのせいでみんな死んじゃった…」
「それでも生存者は居たんだ。無駄じゃなかったはずだ」
決死の避難作戦の末路を知って泣くリタを伴侶に迎えたマティアスは優しく声をかけた。
確かに犠牲者が多く出てしまったが、それでも7人が保護されたのは大きい。
0か、1かでは大きく違う様にリタの決断をマティアスは否定しなかった。
「でも、こうやって情報を照合していくと…生存者はもっと多いかもね」
「「「え?」」」
しかし、フローラの放った一言で状況が一変する。
「考えてみなさい。あまりにもこちらに情報が無さ過ぎると思わない?」
クィンタ区で籠城した住民の数の多さで驚いたフローラは確信した事がある。
「どういう事だ?」
「この公式記録は、
クィンタ区から脱出した民衆は街道に沿って進めば、クロルバ区に辿り着ける。
しかし、かつて内地であったウォール・ローゼの住民は知っている。
無事に避難できたとしても、ウォール・マリア奪還作戦に投入されるという事に…。
「つまり、クラマー商会が非合法な手段で避難民を壁上に誘導した可能性があるわ」
フローラはクロルバ区の駐屯兵団上層部を王都へ転属させて街の実権を握った。
しかも、クロルバ区の庁舎に勤務する腐敗した役人を憲兵団を利用して一掃した。
そのおかげでフローラは、クロルバ区及び近郊の状況について無駄に把握する事ができた。
「現にクィンタ区から脱出した時期から西部地域の住民が増えたそうよ?」
5年前に活動する領域の3分の1を失った人類は、過剰な人口を調整する事となった。
その一環で避難してきた住民の中で子供や若い女性は開拓地に送られる事となる。
壁の外からやって来たライナーたちが何食わぬ顔で潜伏できるほどには適当な配置である。
それでも人口を把握したい王政府は、住民の管理を徹底し、人減らし作戦に挑んだ。
だから住民の移動や転勤はかなり厳しく管理されたのに…とある時期に人口が増えていた。
「おかしいわよね?ウォール・マリア陥落から半年後に西区で500人も増えたなんて」
人口の管理を徹底した王政府は、兵士ですら管轄外の移動を原則として禁止している。
だからザックレー総統の通行許可証でいろんな場所に行けるフローラが可笑しいのだ。
「確かにその規模なら通行許可証も大量に発行されるから原因も特定できるわねー」
令嬢としての本能からフローラと敵対しているカーリー・ストラットマンも異常に気付いた。
内地に住む上流階級の住民だとしても、通行許可証が無ければ移動する事ができない。
アニという女憲兵から偽装された通行許可証を受け取れたからこそカーリーは自由になったのだ。
「つまり、どういう事だ?」
マティアス・クラマーは既に答えを導き出している。
ただ、それが本当なのか確証が持てずにフローラに発言を促した。
「つまり、あなたのお父様であるヨルグ総帥が避難住民をこっそりと匿ったと考えるのが妥当ね。おそらく行方不明になったご子息を必死に発見しようと尽力したのでしょう」
マティアスやアマンダの証言からヨルグ総帥の根回しが用意周到だとフローラは知った。
そしてマティアスが志願兵にならない様に仕向けた所から愛情があると判断!
そこから導き出された結論をフローラは述べた。
「そんな訳が無い。そんなに生き残る訳が無い」
一方、リタは信じられない様で必死にフローラが出した仮説を否定した。
他の2人も信じたいが、目の前の女憲兵が甘い嘘をついている可能性が否定できなかった。
「じゃあ、フエルト区のガブリエレ区長は彼の名を騙る偽者って事になるわね」
とある人名を煽る様にフローラが告げると、ガブリエレを知っているマティアスは硬直した。
ウォール・ローゼの西に位置するフエルト区は、クロルバ区の近隣に存在する。
マティアスはそこでいろんな人の力を借りてリタを助ける為にクィンタ区にやって来た。
「本当なのか?」
「まだ世間に認知されていない孤児院の支援をしろってうるさいから間違いないわ」
ガブリエレはフエルト区の役人であり、表向きにはそこに居る事となっている。
そしてあの日、ガブリエレは子供たちを多く乗せた馬車を率いて真っ先にクロルバ区に向かった。
影武者の可能性もあるが、あの性格が悪い奴を演じるのに孤児院など建てる必要はない。
「リタ」
アマンダは隔絶都市の女王だった同期の女兵士を見る。
リタ・クラマーと名乗っている彼女は、信じられない顔をしている。
「よかった、私たちの活躍は無駄じゃなかった。本当に良かった…」
「ほんと、本当に?」
「うん、今までごめんね。ずっとーずっと…貴女に重荷を背負わせちゃってごめんなさい…」
そしてアマンダは金髪が乱れたリタを抱きしめて泣いた。
真っすぐに長い黒髪と切れ目から堅物そうな女兵士は嗚咽を交えながら泣き続ける。
今までアマンダの本音を聴く事は無かった金髪の女兵士も目尻から涙を垂らした。
「まあ、とりあえず生存者をこのままにしておく訳にはいかないわ」
「どうする気だ?」
そんな感動なシーンも当事者ではないフローラからすれば、どうでもよかった。
むしろ、生存者の処遇についてここではっきり決めておくべきだと思っていた。
マティアスもこの後、どうするのか気になったのか質問をして返答を促した。
「どの道、クロルバ区に帰投するつもりだったけど…あなた方も連れ帰るわ」
「できるのか?」
「替え馬は人数分揃っているし、荷駄車もあるわ。後はここの住民の判断次第よ」
本来だったら、クィンタ区で野営訓練を行うはずだったが予定を変更した。
翌日の夜にクィンタ区から脱出してクロルバ区に生存者を連れ帰る事にしたのだ。
「ああ、みんなに謝りたい事があるんだ」
「そうだよ、もう巨人に怯えて暮らさなくて済むんだ。断る理由はない」
マティアスとアマンダはフローラの提案に乗っかった。
リタに関しては返答は無いが、首を縦に振って同意を周囲に知らせた。
「じゃあ、区庁舎に居る生存者を手前にある広場に召集しておいて」
「分かった」
「それまでにこっちも準備をしておくわ」
ウォール・ローゼに行けるという事実から盛り上がる生存者の一団を見て…。
『……生存者が居ると困るんだけど』
フローラは今からでも生存者を皆殺しにできないかと一瞬だけ考えてしまった。
少なくとも、ここに連れて来た兵が中央憲兵出身者だけであったら実行していただろう。
それほど、彼女にとってクィンタ区の生存者が目障りだった。
『ふふふ、こんな事だからミーナに叱られちゃうのね……はあ…』
理由は、5年以上も放置されたウォール・マリアに生存者が居ない前提で動いているからだ。
要するにこれから壁の外で生存者と遭遇したら【敵】として始末できなくなるのが大きい。
特にライナーやベルトルトにしてやられたフローラは、敵性スパイを異常に警戒していたのだ。
なにより特に混乱なく半年近くもクィンタ区の住民が暮らしていたという真実が不都合過ぎた。
『これを兵団政権に報告したくないわ…』
王政府と各兵団は、フローラとかいう女兵士に本気で悩まされた。
「平原で立体機動ができないなら巨人でやればいい」を実行する彼女の戦歴がヤバすぎたのだ。
もしも、彼女の情報が民衆に露見すれば、フローラ基準で兵士たちが巨人と戦わないといけない。
そんな窮地がブーメランとして
『5年半以上も補給が断たれた城壁都市に多くの住民が暮らせるという実績など必要ない』
クィンタ区の生存者は、必然的に補給が無くても生き残れるという実証になる。
だからフローラが率いる新兵団も武器や燃料以外なら補給が無くても戦える説が出て来る。
そうなっては困るので、「孤立した城壁都市は地獄絵図だった」と報告したかったのだ。
『それに緘口令を敷いたところで絶対に存在がバレるに決まってる!!』
もちろん、フローラだって生存者が僅かに居るという想定もしていた。
精神を病んだ女兵士が白骨死体に1日2食のスープを注ぎ込むなど悲観的なイメージをした。
実際は、暢気に焚火で囲んで雑談する余裕があったなんて想定できる訳が無い。
そして、生存者14名を兵団政権に隠し通せる自信などフローラには無かった。
「……やはり、俺らの生存は受け入れられませんか?」
「そうね、生存者の情報が民衆に発覚すれば山ほどの救援要請が来るでしょう」
「そうでしょうね…」
フローラとしては、クィンタ区に生存者は居て欲しくなかった。
ここに来たのは、巨人によって補給を断たれて最悪の末路を辿った記録が欲しかっただけだ。
「遠征をするのに補給が大事」だと兵団上層部に訴える根拠を入手したかったのが本音だった。
さすがにマティアスに隠し通せないと判断し、フローラは本音を告げる。
「でも、クィンタ区の整備をしてくれて本当に感謝しているわ。それだけでお釣りが来るくらい」
「え?」
「本来の予定では、ここは遠征作戦の訓練を実施する拠点にするつもりだったの」
そもそも、クィンタ区にやって来た要因を辿っていくと1つの結果に辿り着く。
兵団政権が遠征任務を過小評価しているのでフローラは抗議する根拠が欲しかった。
それと同時に何も知らない兵士に遠征の訓練をできる場所が欲しかったのだ。
「これから壁の外にある脅威を排除するわたくしたちは情報を欲しているの」
なにより、フローラは人手不足に苦しんでおり、とにかく兵士が欲しかった。
「クィンタ区の周囲に詳しい案内人を始末するほど馬鹿ではないわ」
フローラは自分で色々抱えて独自に行動した結果、裏目に出て酷い目に遭った。
だから自分の部下や事情を知る人物に意見を述べてもらい判断する事にしたのだ。
「とにかくまずはクロルバ区に帰ってからご相談させて頂きますわ」
当初の目的だったクィンタ区の住民台帳を入手している。
これを上層部に提出するだけでここまで遠征したという証明になる。
だが、遠足は帰りまで重要と言う様にまだクロルバ区に帰還できていなかった。
まずは、クロルバ区に生還しない限り、何も始まらないのだ。
「ふふふ、別に良いじゃない?
「あら、わざわざ褒めてくださるなんてお優しい事、
「もちろん、雨天も想定なされているのでしょう?」
「ええ、もちろん。
ただ、空気を読まずにマルレーン商会の令嬢がわざわざエリクシア商会の令嬢に皮肉を告げる。
負けじとフローラは気を遣って皮肉で返すが、もはや誰の目から見ても仲が悪いのが分かる。
「え?」
クラマー商会のご子息であるマティアスは、好戦的な令嬢たちを見て目を丸くした。
それほど、社交界でドンパチをする令嬢の本性を見るのが初めてであった。
『調子に乗ったあんたが破産して私の前で懇願しながら跪くのが愉しみだわ』
『わたくしの前で泣かせてやるから覚悟しなさい…!!喫煙狂風情が…』
珍しくフローラが他者を遠回しに貶しているのを見てリーネとカーフェンは困惑する。
「何が彼女たちをそうさせているんだ?」
「上には上の問題があるんでしょう」
リーネの質問に返答したカーフェンは巻き込まれるのを避ける為に一目散に退室した。
異様な空気感からフローラとカーリーを残して皆が退室するが、彼女たちの戦闘は終わらない。
未だにフローラが率いている新兵団の名前すら決まっていない状況下である。
もうじきヒストリアが女王になるというのにここで余計な時間を使ってしまった。
だからフローラは――。
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かつてシガンシナ区と呼ばれた荒れ地は、相変わらず何も変わっていない。
ウォール・マリアから突出した壁は、出現した超大型巨人の大群と一緒に消し飛んでしまった。
唯一、ウォール・マリアに作られた内門だけがシガンシナ区があった証拠を示している。
「ふえ?寝てた?」
その内門の上に建てられたプレハブ小屋の隣に設置された旗が強風でなびいていた。
そのプレハブ小屋の中で寝ているフローラはようやく起きる事ができた。
「あー、ああ、変な夢を見てしまったわ…」
涎を垂らして寝るなど乙女として恥ずかしいというのが、記憶を失う前の自分。
だったらすぐ傍のベッドで寝ればよかっただろうと告げるのが今の自分だ。
少なくとも寝ぼけたフローラにとって強風で揺れるプレハブ小屋は心地よかった。
「あ、そうだった。クィンタ区の駐留部隊にも伝令を送らないと…」
今頃、クィンタ区に駐留するリタ中隊長が次の指示を待っている事だろう。
久しぶりに彼女と再会した夢を見たフローラは、急いで書類を執筆した。
「カーリー宛には…適当でいいか」
今まで商人の令嬢としてその手腕を振るっていたフローラに強力なライバルが出現した。
顔を合わせる度に牽制や遠回しに罵倒しているが、フローラ本人は彼女の才能を認めている。
汚れ仕事ができる分、なんとかフローラが有利というくらいには実力が拮抗していたのだ。
「どうせ、好き勝手してるんだからわざわざ干渉する必要がないものね」
今までフローラは、戦闘をこなしながら投資をしつつ武器の研究を並行して行っていた。
そのせいで生活が破綻したので、その2つを任せられるカーリーの存在はでかかった。
ついでにライリーのお散歩も任せたいくらいには優秀な女であるとは認めていた。
絶対に本人に向かって発言するつもりはなかったが!
「……なにやってるんだろ」
寝ぼけているせいで独り言を呟くフローラは、今後の予定を考える。
『いっそ、クィンタ区から遠征部隊を出撃させてもいいかもね…』
現在のクィンタ区には、クラマー商会とマルレーン商会の関係者が滞在している。
ウォール・マリア奪還作戦の成功を受けて誰よりも利権を確保しようと暗躍していたのだ。
フローラからすれば、勝手にやってろ案件だが、彼女も他人事ではなかった。
『イノセンシオ商会と交渉しておこうかしら?いえ、会長が来られても困るけど…』
当然の事ながら彼らを守る為に義勇兵を含む1個中隊が駐留している。
責任者は当然、エルティアナ・ヴェルダンディを演じるフローラ・エリクシアである。
『本当に来てほしくない…』
その義勇兵部隊を組織してクィンタ区に派遣したのは、イノセンシオ商会であった。
ついでに最近、英雄キュクロの子孫である会長がクィンタ区に乗り込むという噂を聴いた。
史上初めて立体機動装置で巨人を討伐した英雄の子孫にも、ちゃんと血が受け継がれている様だ。
あまりフローラも人の事は言えないが、大人しくしてほしいと思っている。
『まあ、帰ってから考えましょう』
そんなトラブルなんて考えている暇など無い。
今からフローラはシガンシナ区を放棄してクロルバ区に帰る準備をしなければならない。
余計な事を考えるだけで頭が痛くなるので撤退ルートを部下と相談する為に外に出た。
「ようやくお目覚めですか?」
「アマンダ補給隊長、上官に向かってそれは無いじゃない?」
そしたら、さきほど夢で出会ったはずの女兵士と逢う事となった。
シガンシナ区が崩壊するのを目撃した特殊補給第一分隊のアマンダ分隊長の発言は辛辣だ。
ケニーに悪態をついていたカーフェンとどっこいどっこいであると感じられるほどにきつい。
「皆さまが待ってますよ、早くお着替えになられたらどうですか?」
「…そう、すぐに向かうわ」
最近、自分に辛辣な発言をする女兵士が増えたとフローラは思っている。
ただ、そうやって時にはダメ出しをしてくれないとフローラは暴走を続けてしまうのだ。
誰かの反応を見て自分の行いを戒めると決意した女悪魔にはその事について不満はある。
ただし、リタとマティアスがお互いを支える事で暴走を止めている様に…。
「早く逢わないとみんなに怒られちゃうもんね…」
自分が作った兵団に所属する兵士の反応を見てフローラは自分の暴走を食い止めようとした。
それはちゃんと機能しているはずだった。
だが、致命的な破綻をしていると彼女が気付いた時には…手遅れだったと実感する事となる。