進撃の巨人2~名もなき兵士という名の悪魔~ 作:Nera上等兵
ジャン・キルシュタインは、地獄の釜の底に居た。
トロスト区における巨人殲滅が確認された後、招集されて遺体搬送の任務に就いていた。
そこで目にしたのは、死屍累々の屍と大量の羽虫、そしてなにより知り合いだった者たちである。
彼が最初に遺体を運んだのは“バカ夫婦”の片割れであるフランツ・ケフカだった。
兵団本部突入前では、生きており既に死んでいた恋人のハンナの止血を必死にしていた。
そんな彼は、下半身が消失しており、奇しくも胸より上を食い千切られたハンナと対称的だった。
「くそくそくそ!なんで俺たちがここまで苦しまなければならないのか!」
「新兵、これが現実だ。受け入れて黙って遺体を運べ」
その後も顔馴染みの死体を荷台へ運んでいくジャン。
その道中で女性と思われるうつ伏せの死体を見つけた。
何のことは無い、ただ髪が長いから女性だと分かっただけだ。
蠢く無数の蟲によってあらゆる所が覆われており凄惨な状態で判別が付かなかったのだ。
「彼女も運んでいいですか?」
「構わんが、身元が分かる物を見つけたらすぐに教えてくれよ」
衛生兵の許可をもらいジャンは哀れな死体を持ち上げた。
遺体を退かすと、そこには赤子が居た。
「うわああああああああああっ!!!」
いや、赤子だった肉塊があった。
母親とみられる死体から体液を浴びており粘液状の物体が全身を覆っていた。
その粘液に絡むようにウジ虫と蟻が至る所に張り付いて赤子を喰らっていた。
思わずジャンは、死体を投げ捨てて後退りして背中を壁に激突してもなお声を上げて号哭した。
「ほう?硬直具合から見て、まだ死後4時間ってところか」
「ああああああああああっ!!」
「おそらく庇った母親の死体から漏れ出した体液で窒息したんだろうな…可哀そうに」
ジャンは憲兵になろうと成績上位10位内を目指して必死に努力した。
彼は幼少期から反対する母親に反抗して、憲兵になり内地で優雅な生活を夢見ていた。
だが、現実は非情だった。
一歩、判断を間違えればここに居る屍たちの仲間入りをすると実感して任務を忘れて泣き叫んだ。
彼の出身地は、このトロスト区であったのだ。
「なんですかこれ」
サシャ・ブラウンは、粘液状で覆われた複数の物体を指差した。
「巨人が吐いた死体群だろう、あいつらには消化器官がないもんな」
「腹いっぱいになった巨人が吐いたんだろう」
「もしくは、討伐した巨人の腹に収まっていたものか」
指を指したところには肉塊が重なっていた。
皮膚は溶け筋肉の筋が剥き出しになっており一部白骨が剥き出しになっていた。
老若男女、軍民問わずこの世に居た痕跡を辛うじて示すように重なり合っていた。
黄色く黄ばんだ肉塊に粘液が多い重なっており鼻を貫く独特な甘酸っぱい匂いを保っていた。
これでは、遺体の身元確認などできるわけなかった。
「あっ!あっ!ああっ!?」
「よぉ、クリスタ!」
「ゆゆゆ、ユミル…」
「なんだよ、そこまでビビることないだろう」
「だって…だって…」
男性陣が肉体労働をしている裏では、女性陣は掃除を任されていた。
その中でクリスタ・レンズは、目の前の惨状に脳が付いてこれずパニック状態になっていた。
それを見かねたユミルが肩をゆすり優しく髪を撫でてもなお震えが収まることは無かった。
「わたし、巨人に包囲された時、囮になろうとしたの…」
「保身しか考えてない馬面野郎を見捨てられなかった時か」
「うん、自分が囮になれば…みんなが救われると思ったの」
「あん時、フローラが居て助かったな、クリスタじゃ無駄死にしただけだからな」
「うん…そうだね」
事実であった。
成績上位10位に何故か奇跡的に入れたクリスタが一番実感していた。
誰かを助ける為なら自分の命など捧げていい。
そう思っていた彼女も実際に【死】の具現化した姿を目撃して恐怖で全身が硬直した。
心臓の音とユミルの声だけが頭に響いており全てを投げ捨てて逃げ出したくなったほどに。
「いいか!私たちの仕事は、掃除をすることだ!面倒事など臭くてうるさい男共に任せちまえ!」
「でも…」
「あそこに居るフローラを見て見ろよ!」
「わざわざ全身を果汁塗れにして【空飛ぶ雑巾】としての使命を果たしてるぞ」
ユミルが指差した先には、何故か立体機動装置どころか戦場に向かう一式を身に着けたフローラが居た。
屋根掃除にしては、明らかに過剰な装備であり何かやっていたのは間違いないだろう。
「そんなワケで清掃の続きをやろうぜ!」
「でも彼らはゴミでは…」
「クリスタ、失ったことより今やるべきことを考えるべきだ」
「えっ!?フローラ!?」
「ほら、よそ見していたフローラが盛大にすっ転んで立体機動で無駄に足掻いた挙句、屋根にぶら下がってるぞ」
「他の人にこうさせないように一緒に掃除をしような?」
「分かったよ…」
あまりにも間抜けな絵面のおかげでクリスタの笑みを見逃さなかったユミルは、強引に掃除へ専念させた。
自分をどんどん責めて、動く屍になっていく彼女の悪循環を断ち切ってくれたアホ女。
最初は大っ嫌いだったが、クリスタの自己嫌悪を崩してくれる存在力に感謝しつつ掃除を続けた。
「ごめんなさい」
アニ・レオンハートは死体に謝った。
そんな事など無駄だと分かっていながら謝った。
責務と責任で心が潰されそうになっておりそれを絞り出すように何度も謝罪した。
それが死者から見れば、本当に無意味で誰も得しない行為であっても。
「ごめんなさい」
「謝っても仕方がないぞ、早く弔って次に行くぞ」
冷静なライナーの声が非情に響いた。
それは兵士なのだろう。
兵士であるからには死に対しても動じない精神力が必要だ。
分かっていた、分かっていたがアニの心は限界だった。
「ごめんなさい」
「せっかくあんなに訓練したのにな…」
まるで他人事のように抜かすライナーに暴行する気力もないほどに。
そしてライナーの腰巾着と化した役に立たないベルトルトにも気が向かなかった。
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「お前…マルコか?」
ジャンは右上半身を喰われたマルコの死体を発見した。
奇跡的に特徴があるソバカスのおかげで見抜けられた。
思わず、群がった蟲を追い払い顔を近づけてしまうほどに衝撃的であった。
「訓練兵、この人物の名前を知っているのか?」
「あり得ない…あいつに限ってこんな死に様は…」
「いいか訓練兵、仲間の死を嘆いている時間など無いのだよ!」
しかし、最悪の対面を果たして打ちひしがれるジャンに衛生兵は喝を入れた。
「ですが…」
「大岩で穴を塞いでもう2日になるんだ、この意味が分かるか?」
「分かりません」
「つまり死体を2日も放置してしまったのだ、これ以上放置すれば伝染病が発生するだろう」
なんとかトロスト区を奪還したが死体による疫病で二次災害が発生する可能性があった。
街の復旧作業を阻害し、新たな死者を望む遺体をこれ以上放置する時間など無かったのだ。
「彼の名は?」
「104期訓練兵団…所属の…マルコ・ボット…です」
「良かったなマルコ、判別すらできずに合同墓地に入れられる兵士が大半の中でお前は幸せ者だ」
「訓練兵、彼も荷台に運んで置け、これ以上死人を出すのは彼も望んではいないはずだ」
「分かりました」
トロスト区奪還作戦時には、まだ生きていたマルコ。
一体、何が起こったか分からない。
ただ、1つ言えることはマルコは、巨人に喰われたという事だ。
他の訓練兵に呼ばれて衛生兵が立ち去った後でもジャンは思考を停止させていた。
「ジャン大丈夫?」
「あっ?!ああ、フローラか?」
声を掛けられて振り向くと、一昨日から晩飯の取り合いをしているフローラが居た。
「マルコが死んだ」
「そうみたいね…」
「あいつが死ぬわけがない」
「でしょうね」
フローラは他人事のようにマルコの死を受け流しているように見えた。
「フローラ、何でマルコは死んだんだ!?」
思わずジャンはフローラに大声で質問した。
その問題に答えなど無い。
ただ、結果だけが残るだけである。
「何が起こったか分からないけど立体機動装置がないってことはー」
「ことは?」
「誰かの為に渡したんじゃないのかしら」
「どういう事だ!?」
他の兵士たちは立体機動装置を付けたまま戦死していた。
それは巨人との交戦していた、もしくは交戦できずに死んでいたからだ。
だが、マルコは身に着けていたはずの立体機動装置を装備してなかった。
「ジャンと同じように立体機動装置が壊れた人に渡したんじゃないの」
「何が言いたい…」
「そのままの通りよ、誰かの為に立体機動装置を渡して囮になって喰われた」
「マルコは優しかったからね、そうでもなければ装置を外さないでしょ」
ジャンはフローラの言葉を聞いてあの時の事を思い出した。
「マルコ、お前は一番に目標を見つけたのに誰かに譲ったように見えたんだが…」
「うん、どうしても実戦の事を思ってしまってね」
「これは訓練だぞ?頑張らないと憲兵になれないのに何やってんだが…」
訓練終了後に獲物を譲ったのを知ったエレンとコニーがマルコに問い詰めていた。
ジャンは、客観的に見て、その行為をするなんて本当にバカな奴だと思った。
成績上位10位内に入らないと憲兵に志願する資格はないのだ。
だからこそ他者を蹴り落としてでも、どんな手を使ってもトップを目指さなければならない。
「うん、憲兵団になるのは憧れだけど、それでもやっぱりみんなと協力してやっていきたいんだ」
「なるほどな、マルコは指揮官に向いてるってわけか」
「私、次の班に所属する時はマルコの班がいいですね!」
「そうだな!マルコと居ると生き残れる気がするしな!」
次の班編成、つまりトロスト区襲撃時の訓練の班編成だとジャンは分かった。
「それなら俺もあやかりたいな」
「ジャン、お前もか」
「間違っても【死に急ぎ野郎】の班には入りたくないしな」
「おい、誰に向かって言ってるんだ」
「心当たりがあるんだろう?それだよ死に急ぎ野郎」
「お前…!」
マルコなら適切な指示で導いてくれるだろう。
もちろん、強かに彼の分の得点を奪う算段もあったが。
「でましたよ、ジャンの遠回しなラブコール」
「…何言ってんだサシャ?」
「ジャンはエレンの永遠なライバルだろうが」
「よーし、芋女もコニーもこれ以上俺を怒らせる前に黙っててくれ」
まったくバカ2人に死に急ぎ野郎に付き合っていると本当に疲れるものだ。
思わず地面に座り込んで医務室に搬送されるフローラを眺めながらその場に座り込んだ。
「まーたフローラが医務室送りにされてるな」
「今度は何やらかしたんだアイツは…」
「なんでも巨人の模型で無駄に回転斬りをやった挙句ダウンしてああなっただとよ」
「ミカサじゃあるまいし、超人じゃないあいつがやってもああなるだけなのにな」
キース教官ですら呆れて声も出せないほど医務室送りの常連であるフローラ。
それでも寝たらすぐに復活して立体機動の訓練で身体を酷使して搬送されていた。
「立体機動訓練の禁止令を出したら2日間で7回も医務室送りにされた女は違うな…」
「常連過ぎて、医務室の連中と仲良くやっているって噂だ」
「意味が分かんねえなあいつ」
「挙句にフローラ専用の医務室搬送班が2個も創設されたって噂だぞ」
「なあジャン、死に急ぎするのはオレじゃなくてフローラじゃないか?」
「野郎はお前だから、お前に相応しいあだ名だ」
エレン以上の死に急ぎ人、通称、【頭エレン娘】であるフローラ。
意外にも指揮官としては有能であり彼女といると不思議と身体が楽に動けるのを皆が実感していた。
「しかしなんだろうな、あいつのおかげでトップになって肉が何度も食えたんだよな」
「えぇですので、お肉が出る班別の巨人討伐訓練は彼女の班が人気ですよ」
圧倒的なコミュニケーション能力と、いつの間にか張り巡らされた友人関係。
彼女は馬鹿にされることがあっても本気で嫌いな104期生は居ないといっても過言ではなかった。
精神的に追い詰められている時ほど、彼女の存在感はありがたいものであった。
何故なら、唯一の相談役のポジションである為、誰よりも104期生全員を理解していたのだ。
バカ夫婦で知られるハンナとフランツをくっつけたのもフローラである。
「俺も恋のキューピット様になんとか願いを叶えてもらおうとしたら…」
「「「「したら?」」」」
「他人任せじゃなくて、貴方自身の力で勝ち取って見なさいってフローラに怒られた」
「ハハハ、あいつらしいな」
事実上、フローラですら匙を投げられてしまったジャンは笑われても気にしなかった。
そんな感じでメンタルケアの達人である彼女はマルコと同じくらい人気である。
「でも僕はジャンの方が指揮官に向いていると思うな」
「冗談だろう?なんでそう思ったんだ」
マルコの思わぬ発言によりジャンは何を言ってるか分からずに一瞬だけ硬直してしまった。
「怒らないで欲しいんだけど、ジャンは強くないから弱い人の気持ちが良く分かるんだ」
「はぁ?意味が分からん」
「それで居て弱者の視点から現状を的確に把握できるからみんなも付いていけるんだ」
「マルコ、俺を過大評価してないか?どうしようもない屑なのは自分がよく知ってるんだぞ」
自分はどうしようもない男だ。
エレンやフローラみたいに戦う覚悟なんてできない弱虫で屑な男だ。
「僕もみんなも弱いって言えるけど、だからこそ同じ視点で考えられるジャンの指示がー」
「困難で打ちひしがれそうな時でも、みんなに的確に心に響くんだと思うよ」
そんな事考えた事も無かった。
少なくともマルコは自分にそこまで期待してくれたのだ。
彼の期待を裏切ることは男として!自分として絶対に赦せない!!
「大丈夫か?」
「少し考え事をしていた」
「そうか、あまり気を病むなよ」
「分かってるよライナー」
差し出されたライナーの手を掴み立ち上がるジャン。
ちょうど回収した遺体を荼毘に付するところであった。
積み重なった死体の中にマルコの遺体があるはずだ。
「心臓を捧げた同胞たちに敬意を!」
「我々は彼らの意思を継ぎ巨人を殲滅する事をここに誓う!」
「彼らの残した火種は必ず燃え上がり最後まで燃え続けるだろう!」
「だが志半ばで亡くなり彷徨う彼らは、【道】を見失ってしまった!」
「せめてもの手向けに生存者の我々は、彼らが道を見つけられるように明かりを灯そう!」
「総員、点火せよ!彼らが新たな道を発見できるように明かりを灯せ!!」
ジャンもお世話になった女衛生兵の演説が終わった。
それと同時に衛生兵たちが一斉に松明で木材に火を付け始めた。
予め油を撒いたこともあり火が激しく燃え上がった。
劫火と見間違えるほどの炎は骨すらも跡形もなく燃え尽すほどである。
「あのどこかにマルコがいるんだろうな」
「そうだな」
ジャン・キルシュタインは、【骨の燃えカス】になってしまうマルコを想った。
ライナーの返答からマルコがあそこから見守っているのを感じる。
そして自分が今、何をするべきか理解した。
「これは頼もしい夫になるはずだったフランツ・ケフカの分!」
「これは良妻賢母になるはずだったハンナ・ディアマントの分!」
「これは率先して囮になって仲間を救ったトム・ベクターの分!」
「これは無念にも誓いを果たせなかったトーマス・ワグナーの分!」
訓練兵の中で唯一武装していたフローラは、スナップブレードを構えて素振りしていた。
犠牲になった訓練兵たちの名前を1人ずつ発して仇を討とうしているのだろう。
「これはオールバックのナック・ティアスの分!」
「これは仲間思いのミリウス・ゼルムスキーの分!」
疲れてきたのか段々適当になってきたフローラ。
実際、訓練兵の顔と性格、どんな人物か思い出しながら素振りをしている為、単純にきつい。
既に息切れしていながらも素振りを続けているのでほぼ力尽きていた。
「ベルトルト以上に空気な奴らが出て来たな」
「あまり接点がないから分からないよ」
「いや、本当に誰だっけ?」
「印象の薄さですら負けていたら、ベルなんとかさんはどうすればいいんだよ!」
「えっ!?そっから僕を弄るの!?」
ミーナ・カロライナとアルミン・アルレルトは、同じ34班の班員という事で覚えていた。
ただし、トーマス以外はほとんど忘れかけているし、フローラですら印象に残っていない2人。
実際、彼らの事を覚えている人物は、きっと片手で数えるほどしかいないだろう!
「これはベルトルト・フーバーの分!」
「待って!僕はまだ生きてるよ!!」
「『まだ』って事はこれから死ぬのか、あいつは…」
「なんでそんなこと言うのおおおお!?」
「珍しく目立ってるなあいつ…」
ついにネタ切れになったフローラは、ベルトルトの名を出して素振りを終えた。
いや、泣きつかれたベルトルトに強制終了させられた。
その瞬間、その場が静かになった。
まるで無の世界のように。
「よぉ!おまぇら!所属する…兵科は何をするか…決めたか?」
ジャンは、この機が最後のチャンスと思い、震えながら喋り始めた。
骨の燃えカスにこんな所を見られたら本気で心配されるほどに震えていた。
「俺は…俺は…決めたぞ…」
兵站行進、馬術、技巧術、立体機動術、対人格闘術、銃術、弾道学、座学、巨人学。
全てを修了して卒業した104期訓練兵団の新兵たち。
その自信を嘲笑うかのように打ち砕いた巨人の恐怖!
1名を除いて、これは全て無駄だったのかという絶望が脳裏を横切っていた。
だからこそ、ジャンは発言した。
「俺は…調査兵団に!入る!」
震えながらも胸を張っているジャンを全員が驚愕した表情で見ていた。
その時、火が大きく燃え上がってジャンの後方から骨の燃えカスが勢いよく飛んでいった。
「もう俺は!迷わん!調査兵団に入隊する!それだけだ!!」
もっとも意外であった男の決断に、思わずフローラはスナップブレードを手から落とした。
自由落下に基づいて衝撃を受けたブレードは金属音と共に刃が欠けた。
その音は、風に乗って遠くまで響き渡った。
それはジャンの確固とした決意を、皆に知らせるようであった。