進撃の巨人2~名もなき兵士という名の悪魔~ 作:Nera上等兵
人体を動かす為に必要となる栄養素と言えばタンパク質、炭水化物、脂質である。
通称、【三大栄養素】と呼ばれる栄養を摂取すれば兵士は戦い続ける事ができる。
兵士からまずいと評判の野戦糧食は、これらの栄養源が含まれている。
「だが、野戦糧食はあくまでも緊急時に用いられる非常食だ」
しかし、それだけでは健康面に支障が出てしまう。
ミネラルとビタミンを加えた【五大栄養素】こそが平時に食事で摂取しなければならないものだ。
そうしなければ、あっという間に人体に支障が出て病魔の餌食になって死に至るだろう。
「本来ならば、兵舎で出される栄養バランスが整えられた栄養を摂取しなければならない」
だが、五大栄養素を日常の食事で摂取できるのは貴族と商人くらいである。
兵士ですら硬いパンと豆のスープ、そして名前も知らない果実くらいしか喰えない。
貧しい開拓地に至っては何度も豆を煮込んだり、おがくずを加えて腹を少しでも満たしていた。
そして意外にも貴重品となっているのは【塩】である。
「特に塩は重要だ。汗と共に流出し、塩分が足りないと脱水症状を容易に引き起こすからな」
他の栄養素は、別の食品で代替できるが、ミネラルに分類される塩だけはそれができない。
人体に必須な栄養素の上に肉などを長持ちさせる保存食に加工するのにも必要である。
よってかなり重要な物質なのだが、採れる場所はかなり限られる。
この世界における塩の生産は、限られた地域にある岩塩鉱山から採掘された物しかない。
「中央第一憲兵団が一番、頭を悩ませた問題が塩と言っても過言ではない」
岩塩の多くは、ウォール・マリアの北東部、もしくは油田があるクロルバ区の北西部に存在する。
フローラの父親であるミオソティス・エリクシアは広大な農地を擁する地主だったそうだ。
だからといって裕福ではなく青年期は苦しい生活を送っていたとされる。
ある日、連作を続けた農地で塩害と見られる土壌汚染が見られた。
役人と専門家が調査した結果、連作の影響で地中に眠っていた岩塩鉱山が露出したと分析した。
すぐさま、エリクシア商会を継いだミオソティスは、岩塩鉱山の開発に着手。
ウォール・マリアでも一大岩塩鉱山を擁し、あっという間に勢力を拡大した。
「塩を巡る衝突は、日常で起こる問題だったのだよ」
部下たちに塩に関する話を告げるフローラは、商売敵に聴かされた事を告げた。
塩は限られた商人が独占しており、王政府や中央憲兵ですら介入しきれない問題だった。
岩塩鉱山は貴重なのにそれを破壊する事が容易であったからだ。
「塩は常に取引される物資であるから当然の様に騒動に巻き込まれやすい」
しかし、高値で売り付けて私腹を肥やす大商人は民衆と敵対する運命である。
何度も王政府は塩を巡る大規模な抗議デモの対応に迫られた。
フローラが歴代の中央憲兵が記した記録を読み解くとその苦労が伺えた。
「特にあの中央憲兵ですら塩そのものには介入できなかったというのが全てを物語っている」
そんなぼったくりの時代にエリクシア商会が大規模な岩塩鉱山を発見したのが転機となる。
ストヘス区を拠点とするマルレーン商会が塩を仕入れて格安でウォール・シーナに販売したのだ。
「塩を確保するのは本当に厄介だという事だけを覚えてくれればいい」
当時の壁社会では、高価な塩を平民にも提供する為に税金による割引が実施された。
そのせいで富豪層や貴族家庭に提供される塩は、税が加わってかなりの高価であった。
ところが、安価の塩が販売された事でウォール・シーナを中心に塩が市場に出回った。
これにより、ある程度であるが、塩の供給に関しては平等になりつつあった。
それに気に喰わない勢力と言えば、塩の利権を
「塩と鉄と金のどれかを確保すれば、いくらでも成り上がれるという故事は伊達ではない」
当時のエリクシア商会がどれだけ攻撃されたのかはフローラは知らない。
後にマルレーン商会の会長となるエリオットの主観がある話からは詳細は不明だ。
だが、遥かに儲かる香辛料やタバコなど嗜好品を取引しても劣勢であったそうだ。
つまり、塩騒動で敵だらけになったエリクシア商会は窮地に陥っていた事となる。
「塩というのは、本当に人類の存続にとって重要だったのだ」
エリクシア商会が傲慢になったマルレーン商会を手を切り始めたのがこの頃だ。
その際にウォール・マリアに勢力を伸ばそうとしたリーブス商会と接触した。
フローラはこの時にリーブス会長のご子息であるフレーゲルと出会った。
それから何があったのか、今となっては分からない。
「それほど重要な塩が眼前に広がる広大な水の中に含まれている。食事に革命が起こるぞ」
ただ1つ分かる事は、海には塩が含まれているという事だ。
というより、岩塩は海が干上がって蓄積された塩分が積み重なったものだとフローラは知った。
「ほら、さっさと警戒しろ。巨人に包囲されたくないのであればな」
防波堤自体は、壁社会にも存在する。
だが、ここまで大がかりの防波堤は存在しない。
いや、ここでユミルの民を巨人化させていたので一番安全と言える。
それでも、帰りの事を考えているフローラは少しでも巨人を減らす努力をしていた。
「「承知しました」」
連れて来た兵士の集中力が切れていたのでフローラは雑談をした。
少しだけ為になる話を聴いた兵士たちは、リラックスできたようだが…。
それでも巨人の侵入を警戒する気力がないのを見てフローラは頭が痛くなる。
「海だーーー!!」
調査兵団が海に夢中になっており、自分の連れて来た部下のやる気を削いでいるのもある。
誰か1人くらい見張りを寄こしても良いのだが、そうはいかないようだ。
「おおおお!?なんだこれ!?見た事ないよぉ!?」
「ハンジ、迂闊に触るな。毒かもしれねぇぞ」
「もう触っちゃったよぉ!?うおおおおヌメヌメするぅう!!」
それよりリヴァイ兵士長が海を警戒して距離を取っている様子に部下たちが注目していた。
「人類最強の男でも怖いものがあるんですねー」
「未知なる物に警戒するのは当然だろう……」
そろそろエルティアナを演じる事が辛くなったフローラはこいつらをしばき倒すと決めた。
とりあえず、一発ぶん殴ってやろうと拳を振り上げると同期達が海水浴をやっているのが見えた。
『…別の機会にしましょう』
良く考えれば、合法的にこいつらをボコボコにする方法はいくらでもあった。
ここで殴ったところで何も変わらないどころか調査兵団に迷惑が掛かる。
そう考えたフローラは、近くに居た調査兵を手で招いておびき寄せた。
「エルティアナ連隊長、何かありましたか?」
「貴公は、ここで30分ほど見張りができるか?」
「はっ!命令とあれば」
「ならば、私が戻ってくるまで巨人の襲来がないか見張っていてくれ」
海という存在に怖気づいて距離を取っていた調査兵にフローラは見張りを命じた。
それと同時にやる気がない砲兵を見張り任務から外した。
「さすがエルティアナ連隊長、話が分かる」
「やかましい」
フローラの感知能力を過信しているのか、彼らは見張りに集中していなかった。
ただし、結構な頻度で壁外に連れ出しているので慣れてしまうのも当然と言える。
外の世界から持ち込んだカードゲームしか彼らに娯楽が無いのだ。
調査兵が海に対して新鮮な気持ちで行動しているのが羨ましく思っているのだろう。
「30分だけの休憩だ。それ以降は全員がシガンシナ区跡地に帰投できる様に酷使してやるからな」
兵士が立派な働きをする時はいつだって異常事態である。
上官の前で堂々と『七並べ』をするのはどうかと思うが、余力を残すのは必要である。
「さてと…」
フローラが壁上から海岸を見下ろすと調査兵団の兵士が水遊びをしているのが見えた。
ミカサが両手でブーツを掴んで恐る恐る海に足を踏み入れる姿は女から見ても可愛い。
その先に居るアルミンは海に潜んでいた中を捕獲したのか両手で何かを掴んでいた。
「平和っていいわね」
コニーがサシャに海水をぶっかけて今度はサシャがジャンに海水をかけ始めた。
ジャンが抗議するが、その反応を見たサシャとコニーが笑ってよからぬ行動をしそうだった。
「本当に良いわね……」
こうやって羽目を外して知り合いと一緒に馬鹿な事をやれる事にフローラは嫉妬した。
こうして海にやって来たのに思い浮かぶのはマーレ軍と中東連合の戦況の事ばかり。
あれほど憎んでいたライナーを思わず応援したくなったのはいつだったか。
「うぉ、しょっぺぇ!?マジで塩水なのか!?」
磯の香りで当初警戒していたジャンは慎重に両手で海水を掬って少しだけ口に含んだ。
さきほど海水を浴びさせられた時よりは反応が薄いが、それでもかなり驚いている。
一方、記憶で存在を知っているアルミンは、動かなくなったエレンを見ていた。
『妙ね、アルミンと同じ条件なのにここまで反応が違うの?』
巨人化能力者は、先代の能力者の記憶の一部を受け継ぐ事ができる。
だからエレンもアルミンも同じ条件のはずなのにエレンだけ様子が可笑しかった。
負の感情を“声”として聴く能力を駆使しても『親父で見たのと同じだ…』としか呟いていない。
確かにあれほど楽しみにしていた【海】がネタバレされてショックを受けるのは分かる。
それでも、なんでエレンがあそこまで落ち込んでいるのかフローラは理解できなかった。
「ねえエレン!」
「……どうした?」
アルミンは海から良く分からない物を拾った。
おそらく貝というのは分かるが品種までは理解できない。
だが、この硬い物体は海に住んでいる生物の家と直感で分かる。
「言っただろう?」
「何がだ?」
「商人が一生かけても取り尽くせないほどの巨大な塩の湖があるって…」
幼少期のアルミンは、祖父が隠していた禁書で外の世界についてエレンに語っていた。
炎の水、砂の雪原、氷の大地、大きな塩の湖があると知って2人は見てみたいと思った。
とりあえず、大きな塩の湖をこの目で見れた事を共感したくてアルミンはエレンに話しかけた。
「そうだな……すげぇ広いな…」
しかし、エレンの反応は薄かった。
あれほど海を見てみたいと語ったのにここまで冷めているのは珍しい。
ショックのあまり、言葉や態度で示さないと理解したアルミンは口を開く。
「ねえエレン、これを見てよ」
それよりも、新たに発見した新種の生物を見せたいアルミンはエレンを見る。
――彼はどこか達観している。
そんな後ろ姿に見えた。
「アルミン」
「どうしたの?」
エレンは相変わらず同期の方向を見ようとしない。
だが、しっかりと味覚以外の五感で彼は海を味わっていた。
だからこそエレンは発言をする。
「壁の向こうには…海があって…海の向こうには……自由がある。そう信じていた…」
不自由だと感じていた時がどれだけ幸せだったかエレンは良く分かった。
志半ばで戦死した調査兵は確かに無念だったが、非情な現実を知らずに逝けて幸せかもしれない。
そう考える様になったエレンは、ここに来て良く分かった事がある。
「……でも、違った。海の向こうに居るのは敵だ」
巨人を一匹残らずこの世から駆逐すれば平和になる。
そんな事はなかった。
むしろ、
「何もかも、親父が見た記憶で見た物と同じなんだ…」
欠けていたピースが埋まっていくとエレンは現実が自分の予想と違ったと理解した。
壁の中は隔絶された環境で外の世界は未だに変わっていない。
むしろ、悪化していると嫌でも分かる。
「……そうかもしれない。でも僕も同じだよ」
アルミンはピーク・フィンガーという女の子の記憶から海という存在を知った。
そして壁の外がどうなっているのか、そこまでは記憶が鮮明ではないが…。
少なくとも外の世界が敵だらけだと知っている。
「…なあ?海の向こうに居る敵、全て殺せば…」
エレンは夢を見る。
多くの人が自分のせいで死ぬ光景を…。
「オレたちは……自由になれるのか?」
あの海の向こうでは自分たちを滅ぼそうとする勢力が居る。
思わず水平線に向かって左手の人差し指を突き出したエレンは語り掛ける。
敵がいなくなれば、今度こそ自由が得られるのかと絞り出すような発言をした。
「……エレン、どうしたの?」
数か月前からエレンの様子が可笑しい事にミカサは気付いていた。
だが、フローラ曰く思春期の男子に指摘すると却って悪化すると言われて放置していた。
しかし、せっかく海に来たのにここまで落ち込んでいるのを見て思わず声をかけた。
「いや、不安になっただけだ」
エレンはアルミンの反応を見て自分とは違うと知ってしまった。
だから緊張して弱音が出たフリをしてその場から立ち去ろうとする。
「エレン……」
両手に貝殻を乗せているアルミンはエレンの立ち去る姿を見送る事しかできない。
残念ながらアルミンはそこまで先代の記憶を継承しておらず、多少の知識しかない。
ただ、王政府より巨大な組織がいくつもあるという事だけは理解していた。
「それでも海はあったじゃないか。きっと他の場所も見つかるよ」
それでも希望はあると信じている。
いくら世界が相手だからと言って全てが敵だらけだとは考えられない。
そんな感情をぶつけたかったが、エレンに気を遣ってアルミンは喋らなかった。
『違うのよ、アルミン……』
この中で唯一、海の向こうに行ったフローラはエレンの言いたい事を理解した。
『エレンは敵の正体が分かっているからこそ絶望しているのよ……』
【世界が敵】というのは文字通りである。
フローラは嫌というほど現地で知ってしまったからこそエレンの思考に驚いた。
『エレン、あなたはそっちに行くべきじゃないわ…』
いざとなれば、フローラは壁の外からやって来る勢力を皆殺しにしようとしていた。
いや、最低でも8桁の人間を殺そうと画策した時があるほど外の世界に失望していた。
しかし、彼女としては、エレンにその道を選んで欲しくなかった。
『あなたはわたくしとは違う道に行けるはずでしょ?だってあなたは味方がいるもの……』
壁外勢力を排除する兵団を指揮するフローラはどうしても戦争以外の選択肢がない。
だが、調査兵団は理解する事を諦めずにあらゆる可能性を探る兵団である。
そこで中核を担うエレンに虐殺という選択肢を選んで欲しくなかった。
「エルティアナ連隊長……」
砂浜に上がったエレンは、目の前にフローラが歩いてくるのを見た。
相変わらず外套のフードと包帯で自分の正体を隠している同志が眩しく見える。
「どうした英雄?もっと海を味わなくてもいいのか?当分、来れないかもしれないぞ?」
「もう満足しましたから…」
「そうか」
彼女が眩しいのは逆光だけではないのをエレンは分かっている。
自分ではウジウジ悩むのにフローラは悩まずに前に進める。
そんな彼女に嫉妬と憧れの狭間で苦しめられていると自覚していた。
『フローラ、あとは頼む』
自分が放った不穏な発言で同期たちが困惑しているのはエレンも理解している。
きっとフローラは、そのフォローに来たと思って横を通り過ぎようとした。
「てい」
「いてぇ!?」
そんなエレンの頭を軽く拳で叩いた。
突然の攻撃に両手で頭を押さえてエレンはその場でしゃがみ込んだ。
「いきなり何をするんだ!?」
「え?自分だけが外の世界を知ってますよ面してムカついたから叩いただけよ」
まさかの攻撃にエレンは抗議するがフローラは本音を告げた。
「なんだと!?」
さすがにムカついたエレンはフローラを睨んで拳を振り上げる。
「グリシャさんの記憶を継いだだけで偉そうに言うわね」
「だって!!敵は強大なんだぞ!!あいつらを殺さないと…!!」
エレンは
そんな未来が見えてしまって少しだけ彼が取り乱す姿に同期たちは困惑する。
「殺さないとどうなるの?」
「みんな奴らに殺されちまう!!絶望の未来しかないんだ!」
「ふーん」
エレンは勲章授与式でヒストリア女王と接触した時に覚醒してしまった。
これから起こる未来が見えてしまったのだ。
だが、そんな未来などエレンも望んでなくて必死に否定したかった。
でも、海と壁が見えた瞬間、決して変わらない未来だと感じてしまった。
「あだ!?」
そんな情けない姿を見せているエレンの左頬に軽くビンタした。
乾いた音と共にエレンは更に砂浜に転がるという無様な醜態を晒す。
「だから何をするんだ!!」
「今、わたくしがビンタする未来って見えた?」
「見えるわけねぇだろうが!!」
無防備になっている自分に攻撃してくるフローラに怒ったエレンは立ち上がる。
そして彼女に抗議しようと顔を見て思わず動きを止めた。
「すぐ先の未来すら見えないのにどうして更に先の未来が見えると断言するの?」
フローラが瞳孔を開く時は興奮しているか、怒っているかのどちらかである。
ここでエレンはフローラが激怒していると理解して言葉を詰まらせた。
さきほどカードゲームで遊んでいた砲兵たちは異様な雰囲気で慌てて持ち場に戻っていく。
同期たちもフローラが珍しく本気で激怒しているのを見て少しだけ距離を取り始めた。
「でもよ!」
「あなたはそれを直接その目で見たの?強大な組織、強力な軍隊。格差があり過ぎる技術と兵器、全部見たなら納得できるけど、あなたはそれを見てないじゃない」
そう語るフローラも外の世界の全てまでは見切れていない。
目を輝かせて塹壕戦に参加した結果、砲撃の余波で6m吹っ飛んだのは記憶に新しい。
自分の後方に居た味方3名が肉片になったのを見てマーレ兵を8名射殺したのを覚えている。
その前にマーレ兵を殺しまくっていたが、エレンはそれすら経験していない。
「あなたが思い浮かべる最悪な未来の根拠は、レベリオ収容区で過ごした父親の記憶でしかない。シガンシナ区で過ごしたエレンみたいにグリシャも大して世界を知らないのは兵団政権に出された記録で分かり切っている事。壁に囲まれて過ごした医者が世界をどれだけ知っているというの?」
「それは…」
「まさか外の勢力と規模を想像で決めつけて自分たちが破滅するって考えてないでしょうね?」
なのに『地獄』だの『オレがやるしかない』とか悩んでいる彼に腹が立った。
エレンがどんな記憶を継いだのか知らないが所詮、過去でしかない。
未来は、さきほどの光景の様に結果になるまで決まらないのだ。
だからこそフローラは、自分だけで色々抱えようとするエレンを叱責した。
「あなたがそんな情けない男だと思わなかった。もっと未来を変えようと動く男だと思っていた」
ただ、エレンの考えが正しいのはフローラ自身が分かっていた。
フローラこそがパラディ島の外に居る勢力を皆殺しにしようと決意していたのだ。
「でも、エレン1人で何もできないのは分かり切った事、今更あなたを責めないわ」
「ああ、そうだな」
それと同時にフローラはエレンの優しさに感激してきた。
虐殺を躊躇う事は人として正常であるからだ。
いや、それでもエレンは勝手に暴走してしまうのは昔話で分かり切っていた。
「エレンが女型の巨人に攫われた時も、鎧の巨人に攫われた時も、王政の刺客に攫われた時も…」
「……ちょっと辛辣過ぎないか?」
ここであえてエレンをコケにする事で自分にヘイトが向くようにフローラは仕込む。
「みんなが居たから窮地から抜け出せたじゃない…」
「ん?」
いつの間にか104期調査兵やハンジ団長、リヴァイ兵長がエレンを囲んでいた。
フローラの言いたい事を理解して声に出さずとも彼の傍に寄ったのだ。
「未来は、あなたが作るのではなく、みんなが未来を築き上げるものなのよ」
いくら強大な力があっても、人間は単独で世界を変える事ができない。
人類最強のリヴァイ兵士長がいくら暴れ回っても彼自身では巨人を掃討できなかった。
それほど個人にできる事は限られるが、人は群れて協力し合って助け合う事ができる。
「エレン、あなたは独りじゃない。少しでも迷ったら同期や頼もしい上官に頼りなさい」
フローラはエレンが行うべき事を告げて砂浜に座り込む彼に右手を差し伸ばす。
包帯で表情が分かりづらいにも関わらずエレンから見たフローラは女神に見えた。
「ああ、そうだな」
差し伸ばされた右手を左手でしっかりと握り締めたエレンは…。
「隙あり!!……ぎゃあ!?」
フローラを投げ技でぶっ飛ばそうとしたが、すぐに鞘に顔面が当たり、失敗した。
その様子を見た同期たちは肩を竦めてヤレヤレを両手を広げて頭を左右に振った。
「なにやってんだお前……」
「クッソ、フローラに恥をかかしたかったのに……」
何度も無様な真似をさせられた仕返しをエレンはしたかった。
だが、負の感情を“声”として聴けるフローラに通じる訳が無かった。
あえて転ぶ仕草をしたフローラは鞘の先端をエレンにぶつかる様に仕向けた。
その結果、更にエレンは恥を晒したが、さきほどの暗い気持ちは吹っ飛んだようだ。
「あとで覚えていろよ!!」
「わたくしより強くなったら素敵な未来が思い浮かべるかもね」
「うるせええ!!」
「ふふふ……」
お嬢様らしくクスクスと鈴を転がすように笑うフローラは空を見る。
『そう、エレンは自由に羽ばたけば良いのよ』
以前、巨人化が上手くできなかった時、フローラは彼に告げた事がある。
今でも一言一句思い出す事ができる。
あれは、まだ先代のリヴァイ班の班員たちが健在だった頃だ。
『やっぱ、オレは処分された方が人類の為かもしれない』
巨人化が8回も失敗したエレンは今の様に悲観的だった。
まずは自分から責めるのがエレンの優しいところであり弱点でもある。
下手に励ましたところで逆効果なのはフローラも分かっていた。
だから、フローラは鳥籠で過ごした鳥でエレンを表現した。
『ほら、ここは壁外、エレンは鳥籠から出された鳥。もう少し慣らさないといけないの』
『そうか…』
『自由になった鳥は、自由過ぎて怖くなって鳥籠に戻ろうとしてるわ…エレンあなたの事よ』
『自由…』
『時間はまだあるわ!その間に自由について考えればいいじゃない』
それとエレンが何度も口にしていた『自由』を加えて例え話をした。
人に飼われた鳥は、野生に帰してもその過酷さ故に戻ってくるという例えである。
当時のエレンは何かを感じたのか、もう1回だけ頑張ろうとした。
『でも、あの時とは違う……』
当時は時間をかけてエレンが巨人化能力を使いこなせれば良いと思われた。
実際はエレンの寿命は短くて、なにより外の世界が待ってくれない。
自分をライバル視するエレンを見てフローラは彼にその事を少しでも忘れて欲しかった。
「自由な未来を目指したいなら、まずわたくしに勝つ事ね。ああ、皆様と頑張ってくださいまし」
顔を真っ赤にして拳を握り締めているエレンにフローラは背中を見せてそのまま歩く。
なにやら自分に向かって叫んでいるが、フローラは特に気にしていない。
『そう、エレンの寿命もなんとかしないとね……』
始祖ユミルの呪いによって巨人化能力者になると13年しか生きられなくなる。
史上初めて巨人化できた始祖が13年で死んだのが影響しているというのが通説である。
だが、なんで未だにそんな呪いが残っているのかフローラは疑問でしょうがない。
『まだ足りないわ…』
フローラに足りない物はいくらでもあるが、特に情報が足りなかった。
既にそれについての対策は打っているものの中々、効果を発揮していない。
『役割分担か』
フローラ・エリクシアは、同志であるエレン・イェーガーを見て決断した。
外の世界が残酷である事を伏せて別の情報を提供し、明るい未来を描いてもらおうと考えた。
いきなりマーレに侵入させたら、彼の精神状態じゃ耐えきれる気がしなかったのだ。
『東洋の【ヒィズル国】か、【シン】辺りに接触してもらいましょう』
残念ながら中東も西洋も南蛮もエルディア人に対して絶滅政策を掲げている。
エルディア人を片っ端から巨人にしているマーレの方がまだマシという有様だ。
だからエルディア人と比較的に負の歴史がない東洋勢力をフローラは誘導させる事にした。
『ヒィズル国と言えば、あの金にがめついキヨミ・アズマビトが元首だったわね』
フローラはこの数か月に正体を隠してキヨミ氏と何度か接触した事がある。
その度に金だけ持っていかれて大損こいたので彼女としては逢いたくなかった。
あの黒髪で一重まぶたと細い目でのっぺりな顔をした女狐はフローラにとって…。
『あれ?東洋?』
ここでフローラは今まで引っ掛かっていた東洋という単語に改めて着目した。
『そういえばミカサって東洋人だったわよね……』
ミカサ・アッカーマンはかつて壁の外で暮らしていた東洋人の末裔である。
その貴重さから人
まあ、アッカーマン家の血を継いでるので純血ではないが…。
問題なのは、そこじゃなかった。
『ヒィズル国の将軍の家紋とミカサの右手首の刺青が同じって偶然じゃないわよね…』
ヒィズル国に堂々とマーレ海軍の艦隊で入国した時、どこかで見た事がある紋章に首を傾げた。
当時のフローラは、マーレ陸軍1個中隊を指揮していて忙しい時期だったので気にしなかった。
その時は、念の為に手帳にメモだけしてそれっきり放置して今さっきまで忘れていた。
だが、今ならその違和感の正体に気付ける。
『将軍家の末裔がミカサか、こんな偶然ってあり得るの……』
家によって家紋が違うのは壁社会でも同じである。
特に家柄がトップの家紋が複数の家に存在するのはあり得ない。
分家としても、相応の家紋に変えられるのが常識である。
ここでミカサの先祖が行方不明になった将軍の一族だとフローラは理解した。
『ミカサを利用してキヨミ氏をおびき寄せますか』
急いで防波堤の壁上に登ったフローラは見張りをしていた調査兵の任務を解いた。
すぐに砲兵たちに無言で指示をして退却する準備を進めた。
マーレ軍の士官として交渉した時はダメだったが、今度こそ交渉が成功すると踏んだ。
あれほど将軍家を気にしているのだから、絶対に無視できないとフローラは考えた。
『調査兵団は、ヒィズル国を利用して外の世界を知っていけばいいかもね』
マーレと中途連合の戦争に数少ない中立国と表明しているヒィズル国は絶好のカモである。
ついでに最近覚えた『てんねんがす』と『せきゆ』という新情報で彼らを釣る事にした。
『ああ、調査兵団ならきっと和解への道に辿り着けるはず…』
フローラは自分では選択できなかった和解を調査兵団が選択すると思っていた。
だからヒィズル国に細工をして調査船団をパラディ島に向かせるように仕向けた。
そしてそれが上手く行く事を祈りつつ、フローラは再びマーレ大陸に向かう事となった。
『いえ、わたくしが間違っている以上、彼らは違う道を選べないと可笑しいわ!』
ここでフローラは3つの失態を犯した。
まずは、エレンの反応を受けて自分と一部の直属兵しか抱えていない秘密をずっと騙し通した事。
2つ目は、調査兵団の能力を過大評価し、世界と和解できる道を選べると本気で信じた事である。
『その為にもマーレと中東連合の戦争を
致命的だったのは、中東連合が仕掛けた戦争でフローラが暗躍してしまった事だ。
これにより、ただでさえ悲惨だった戦争が、人類を容易く滅ぼせるほどの規模に拡大した。
後に調査兵団がヒィズル国を介して外の世界の実情を知った時、思わず絶句したほどである。
それほどまでに世界が荒廃し、救いようがない惨状と悲劇が広がってしまったのだ。
『マーレと中東連合、どっちに手を貸そうかしら』
フローラ・エリクシアという女悪魔は、時と場によって複数の顔を使いこなす。
壁社会では、ザックレー総統の副官であり、総統局の監査部の元監査副長として影響力を保った。
ある時は、マーレ陸軍の兵站を管轄する准将の副官としてマーレ軍の戦略に多大な影響を与えた。
またある時は、そこで得た情報を中東連合の統合参謀本部に密告して戦争を行方を操作した。
それほどまでにフローラは堂々と軍事組織の中枢に入り込んで好き放題に暴れた。
『とにかくパラディ島を守る為に大勢の人々が無駄に死ぬ様に努力して差し上げますわ』
既に兵団政権の予算無しで活動できてしまうフローラ・エリクシアは密かに暗躍する。
マーレ国籍と中東連合の国籍を取得して身元を偽る事ができる彼女の暴走は止まらない。
パラディ島の外で死をばら撒き続ける【死の商人】は、854年まで暗躍する事となった。